こんにちは、ちゃむです。
「悪女の皇后様に溺愛されてます」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
67話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 8年後
皇太子殿下へ。
お元気でお過ごしでしょうか?
私は最近、一生懸命勉強しています。
文学や淑女としての礼儀作法、楽器、そして社交ダンスを習っています。
時には皇太后陛下や皇后陛下も、お時間があるたびに私に直接教えてくださることがあるんです。
すごいでしょう?
ただ、いったい私がこんなことを習って、どこで使うのかとは思いますが……。
誰かが見たら、私が本格的に社交界にデビューする淑女だと思うでしょうね。
実際には、一生舞踏会場に足を踏み入れることすらできないでしょうけど。
まあ、それでも何かを学ぶことは自分のためになりますから。
日ごとにだんだん寒くなってきて、ずっと田舎のことを思い出しますね。
北部はここよりずっと寒いでしょう?
何があっても、まずはご自身の健康を大切にしてください。
分かりましたね?
それでは、穏やかな一日をお過ごしください。
〈愛情を込めて、シャルリーズより。〉
・
・
・
〈親愛なるシャルリーズへ。〉
最近、一生懸命勉強しているんだって?
それはとてもいいことだね。
でも君は、勉強は頑張っていても、字を書く練習にはあまり気を使っていないみたいじゃないか。
まるで暗号文みたいに解読しないと読めない手紙だなんて、ちょっとひどくないかい?
君の言う通り、こっちはかなり寒いよ。
それでもみんな私によくしてくれているから、君が心配することはなさそうだな。
実際にここへ降りてきてみると、これまで北部の状況がどれほど厳しかったのか、ようやく分かる気がする。
それでもアンテス辺境伯は立派にこの地を治めているようだ。
そうそう、今日は私と同い年くらいの女の子に一人会ったよ。
名前はシエナ・アンテスというらしい。辺境伯の一人娘なんだって。
弓の扱いがとても上手らしくて、もう山の獣とも何度か戦ったことがあるそうだ。
すごくないかい?
そうそう、明日は初めてキエル平原へ出征することになったんだ。
少し緊張するけれど、それでもうまくやれると信じているよ。
それじゃあ、また会う日まで元気で。
また手紙を送るね。
――ディアミドより。
・
・
・
皇太子殿下へ。
まあ、キエル平原へ遠征された件はどうなりましたか?
どこかお怪我をされたりしていませんよね?
絶対に怪我をせずに戻ってくると約束してくださったこと、忘れていないと信じていますからね。
それから……アンテス伯爵令嬢がいらっしゃって、本当によかったです。
アンテス伯爵令嬢は、とても美しく聡明な方だと聞いています。
しかも武術にも秀でていらっしゃるなんて、少し安心しました。
お二人は年齢も近いですし、仲良く過ごしてくださるといいですね。
ご存じですか?
お二人が結婚することになるかもしれないですよね?
お二人が結婚なされば、殿下にも素敵なご家族ができますね。
あ、家族の話をしていたら、一つ思い出しました。
宮内庁でヤオンが……あ、ヤオンというのは私が勝手につけた名前なんですけど!
とにかく、ヤオンが子猫を産みました。
全部で三匹なんですが、私にはヤオンにそっくりな黄色い猫が一番かわいく見えます。
ヤオンに家族ができてよかったです。そうでしょう?
でも、お父様は猫を一度も見たことがないような気がするんですが、お父様は今どこにいらっしゃるんでしょう?
あっ、もうこんな時間ですね。
私はそろそろ寝に行こうと思います。
殿下も良い夢を見てくださいね。
愛情を込めて、シャルリーズより。
追伸。
字が少しくらい下手でもいいじゃないですか!
暗号文だなんて言うのは、あんまりです!
「今、殿下が字がお上手だって私をからかってるんですか?
覚えておいてください。私は殿下よりもずっと字の上手な男に出会ってみせますから!」
・
・
・
〈親愛なるシャルリーズへ。〉
シャル、元気にしてるかい?
キエル平原から帰還して間もないから、返事が少し遅くなってごめんね。
魔獣は今回初めて見たんだけど、基本的に体がものすごく大きくて危険なんだ。
見た目は……なんて説明したらいいのか分からない。
ただ、何というか、好き勝手に生えている感じなんだよ。
脚が六本あったり、目が後頭部についていたり……。
かえって私の説明のせいで、もっと混乱させている気がするけど、本当にそんな姿なんだ。
それでも、私がここで少しでも役に立てているようで、本当によかったと思っているよ。
それはそうと、どうしてあなたはそんなにアンテス伯爵令嬢のことばかり気にしているんだい?
手紙の三分の一がアンテス伯爵令嬢の話だなんて、どうも気に入らないな。
私と仲良くする女の子は、あなただけでいいんだから。
アンテス令嬢の話をする暇があるなら、私にもう少し関心を向けてくれないかい?
それか、あなたがどう過ごしているのか、もっと詳しく教えてくれよ。
猫ももちろん可愛いけれど、私はあなたの話をもっと聞きたいんだ。
これからは、その辺りをもう少し気にしてほしいな。
ああ、それから。
君、手紙を送る数が少なすぎないかい?
これからは一週間に最低三通は書いてほしい。
正直、三通と言っても、一日おきに一通書く程度だろう?
君は普段から特に忙しそうだから、今回はこれくらいにしておくよ。
それじゃあ、私は明日出張に行かなきゃならないから、手紙はここまでにするね。
おやすみ。幸せな夢を。
――ディアミドより。
追伸。
僕より字が上手な男と付き合うだって?
まあ、そんな男をすぐに見つけるのは簡単じゃないだろうね。
だって、僕もこれからずっと字の練習をするつもりだからさ。
・
・
・
時間は流れる水のように、あっという間に過ぎ去っていった。
いくつもの季節が巡り、いつの間にか真っ白な息が立ちのぼる冬が戻ってきた。
しかし、私の周囲の空気はただ穏やかなままだった。
なぜなら、今日は皇后陛下と皇太后陛下が温室で優雅なティータイムを過ごされるからだ。
「お招きいただき、ありがとうございます」
「そんなこと言わないで。私もずっと皇后宮にばかりいて、退屈していたところなのよ」
皇后陛下は穏やかな笑みを浮かべ、皇太后陛下の挨拶に応えられた。
私は静かにお二人のお茶のお供をしていた。
その時だった。
私はふと顔を上げた。
満開のライラックが、ひときわ目に鮮やかに映ったからだ。
なぜかライラックを見ていると……。
『ディアミドを思い出す』
ディアミドと最後に顔を合わせた、あの夜のこと。
手首の上に大切そうに置かれたライラックを見つめながら、目を細めて微笑んでいたディアミドの姿がよみがえる。
『私は必ず帰ってくる。君にもう一度会うために』
……そうだった。あんな約束をしていたんだ。
けれど皮肉なことに、私はまだディアミドに直接会えていない。
「そういえば、ディアミドがいなくなってから、もう8年になるんですね」
皇太后陛下の感慨深げなお言葉に、私も知らず知らずのうちに微笑みを浮かべた。
「わあ、もう8年も経ったんですか?」
ディアミドは今、どんな姿になっているのだろう?
背もずいぶん伸びたのかな?
そういえば、旅立つ直前にもすでに私より背が高かったっけ。
再会したら、本当に私がディアミドを見上げることになるかもしれない。
しばし思い出にふけっていた私を、皇后陛下の落ち着いた声が現実へと引き戻した。
「そうですね。時が経つのは本当に早いものです」
ちらりと私を振り返る皇后陛下の瞳は優しかった。
「シャルも、もうこんなに大きくなったのね。ということは、皇太子殿下はもっと大きくなられたのでしょうね」
「そうでしょうね。いつになったらディアミドに会えるのかしら……」
皇太后陛下は小さいため息をつくと、私に手招きをされた。
「シャル、そんなところに立っている必要はないわ。あなたもこちらに来て座りなさい」
「いいえ、私は大丈夫です」
「あら、皇太后の命令を拒むつもり?」
冗談めいた言葉とともに、皇太后陛下がにっこりと微笑まれる。
でも……さすがにそれは礼儀に反する気がする。
私はそっと皇后様の顔色をうかがった。
しかし皇后様は笑いながら、優しくうなずかれた。
「そうね、こちらに来て座りなさい」
そのうえ、私の席まで勧めてくださった。
結局、私はおとなしくスカートの裾を整え、勧められた席に座った。
実はお二人の陛下と一緒にティータイムを過ごすのは、今回が初めてというわけではないのだけれど……。
『それでもやっぱり、少し緊張するな』
そのうえ皇后陛下は、私の前に自然な仕草でスコーンがたっぷり入った籠を差し出してくださった。
「クロテッドクリームもいる? ジャムはアプリコットとオレンジマーマレード、どちらが好き?」
「あ、ありがとうございます。私はどちらでも大丈夫です」
その時、茂みの向こうから伸びてきた手が、私のティーカップにそっと紅茶を注いでくれた。
皇太后陛下だった。
「喉が渇いているかもしれないから、お茶も飲みながら食べなさい」
「あ、ありがとうございます」
……うーん、これはちょっと気恥ずかしい。
私に注がれる温かな視線に、私はどう反応すればいいのか分からなかった。
お二人の陛下とも、まるで我が子が食事をする姿を見守るような表情をしていらっしゃるじゃない?
そのうえ、皇后陛下はもう一度ため息をついた。
「もしかして、お菓子が足りないのかしら? ケーキでももう少し持ってこさせようか?」
「いいえ、これだけで十分です!」
私は慌てて首を横に振った。
お二人が私を可愛がってくださるのはもちろん嬉しいけれど……。
『どうりでお二人と一緒にいると、お二人とも私の世話を焼こうなさるわけだ』
本当に、こんなに甘やかされていいのだろうか。
私は少し気まずい気分になり、スコーンの上にクリームとジャムをたっぷりと重ねて塗った。
そのとき、皇太后陛下が冗談めかして私におっしゃった。
「うちのシャルは、どうして成長するほどますます可愛くなるのかしらねえ」
「まあ、褒めすぎですよ」
「褒めすぎだなんて。幼い頃から目を引くほど可愛らしい子だと思っていたけれど、成長するにつれてますます綺麗になっていくわね」
そう言うと、皇太后陛下はそれとなく私のほうへ顔を寄せた。
「私の耳にも入っているわよ。あなた、侍従や騎士たちからものすごく人気があるんですって?」
あはは……。
私は気まずそうに笑うしかなかった。
こういうとき、なんて答えればいいのだろう?
幸い、皇后様が私の代わりに答えてくださった。
「さあ。気に入らない相手にはシャルを嫁がせるつもりがないからでしょうね」
そうおっしゃる皇后様の瞳には、いつの間にか鋭い殺気が宿っていた。
皇太后陛下は肩をすくめた。
「そ、そうなのね」
「ええ。どこの馬の骨とも知れない男に、うちのシャルをさらっていかれたらどうするのです?」
……あの、私が五歳のときに城からさらっていった方は――お二人がおっしゃりたいのは、そういう昔のことではないようだけど。
皇后陛下は両手をぎゅっと握りしめた。
「もう成人したというのに、まだこんなに幼く思えてしまうわ」
「そ、そうでしょうか?」
「ええ。シャルが成人する前から、あなたの周りをうろついていた騎士や侍従たちのことを思うと……」
皇后陛下は興奮を抑えきれない様子で、声を弾ませた。
うーん、まあ……。
私は目をくるりと回した。
成人する前から、交際の申し込みを何度か受けていたのは事実だ。
もちろん、そういう申し込みを受けるたびに……。
『皇后陛下がその相手を遠くから鋭く睨みつけていたせいで、まともに会話すらできなかったけど』
このままでは一生、夫どころか男の「お」の字も知らずに生きていくことになりそうだ。
そんなことを考えていた、その時。
「それにしても、シャルももう十八歳でしょう?」
皇太后陛下が笑いを含んだ声でおっしゃった。
「こんなに可愛い年頃なんだから、恋愛の一つくらいしてみないと。私が一人、素敵な若者を紹介してあげようか?」
「あ、私は大丈夫です」
私は苦笑しながら首を横に振った。
正直、恋愛にはそれほど興味がない。
それに、私にはもう皇后様がいらっしゃるのだから、これ以上は望まない。
「私はただ、皇后陛下のおそばでお仕えしながら暮らしたいです」
「お聞きになりました? うちのシャルったら、こんなにも健気で可愛い子なんですよ!」
皇后陛下はすっかり誇らしげに顎を上げた。
そして意味ありげな眼差しで皇太后陛下をご覧になった。
「それより、シャルに他の男性を紹介してもよろしいのですか?」
「え?」
「もし皇太子殿下がお怒りになったら、それをどうやって収拾なさるおつもりですか?」
「あはは」
一瞬、皇太后陛下の瞳にもいたずらっぽい光が宿った。
「まあ、それもそうね」
お二人はどちらからともなく、声を上げて楽しそうに笑い出した。
何よ、どうしてそんなに笑うの?
私が戸惑った表情を隠せずにいると、ひとしきり笑った皇后様が、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら話題を変えた。
「それはそうと、皇太后陛下」
「おっしゃいなさい」
「実は今回、皇太后陛下にお伝えしたいサプライズがあって、こちらへお越しいただいたのです」
お伝えしたいこと?
一体何だろう?
私と皇太后陛下はそろって首をかしげた。
すると同時に、皇后様が爆弾発言を投下した。
「皇太子殿下がお戻りになるそうです」
「……そ、それは本当ですか?!」
皇太后陛下は普段の落ち着きすらすっかり忘れ、声を一段高くされた。
私も皇太后陛下と大して変わらなかった。
お二人の陛下をお迎えしている席だということさえ忘れ、目を大きく見開いてしまったのだから。
皇后陛下は落ち着いて言葉を続けられた。
「本当です。近いうちに盛大な凱旋式が行われます」
「凱旋式ですって? それを皇帝陛下がお許しになったのですか?」
「まあ、お許しにならないわけにもいかない状況ですから」
皇后陛下は何でもないことのように肩をすくめられた。
「皇太子が北部で挙げた功績があまりにも凄まじいでしょう?」
その答えに、皇太后陛下のしわの刻まれた顔に――
誇らしげな笑みが浮かんだ。
確かに、それは本当に大きな成果を上げたからだ。
ディアミドが北部へ派遣されていた8年間で、魔獣の総数がほぼ8割も減少したというのだから。
少なくとも数年間は、魔獣の侵攻を心配する必要がないほどだという。
「客観的に見ても、現在この帝国で皇太子殿下以上に国民から支持されている方はいないでしょう」
「まあ、そこまでなのですか?」
「ええ。私が皇太后陛下に嘘を申し上げるはずがないでしょう」
皇后陛下が皇太后陛下を優しく諭すようにおっしゃった。
「帝国中の民が、陛下が皇太子殿下をどのようにお扱いになるのか固唾をのんで見守っているのです」
「それは……」
「陛下は何があっても、皇太子殿下の盛大な歓迎式を開いて差し上げるべきだということです」
私はそっと皇后様の様子をうかがった。
うーん、どうりでさっきから……皇后様がものすごく寂しそうに見えると思った。
まるで私の推測を裏付けるかのように、皇后様はぐっと固く目を閉じられた。
「帝国の英雄を盛大に迎えるとなれば、北部はもちろん、帝国中の民が熱烈に歓迎するでしょうね」
その言葉に、皇太后陛下の顔がぱっと明るくなった。
私も同じだった。
ああ、私たちのディアミド。
あんなに小さかった子が、あんなにも立派に成長したのね!
私は高鳴る胸を押さえながら、慎重に尋ねた。
「では、凱旋式にはどなたが代表として出席されるのですか?」
「聞いたところでは、皇太子殿下とアンテス小伯爵だそうよ。たぶんね」
一瞬、私の心臓がドクンと大きく跳ねた。
「……アンテス小伯爵ですか」
「シエナ・アンテスのことよ。北部アンテスの代表として上京してくるの」
皇后陛下は親切に説明を付け加えてくださった。
「以前は伯爵令嬢だったのですが、最近、家門の後継者に指名されて小伯爵の爵位を授かったそうです」
「そ、そうなのですね」
乾いた唾を飲み込み、私は再び慎重に質問を投げかけた。
「ところで……どうしてアンテス辺境伯ご本人はいらっしゃらないのでしょうか?」
「だって、初めて帝都に『シエナ・アンテス』という存在を紹介するには、凱旋式ほどふさわしい場もないでしょう?」
皇后陛下は当然のことを尋ねるなと言わんばかりに答えられた。
「中央政界にも顔を覚えてもらい、小伯爵として確実に地位を固めるためでしょうね。ついでに貴族たちの品定めもしてもらうのでしょう」
私は小さく頷き、急いでティーカップを持ち上げて顔を隠した。
……なるほど。
そうなると、今回の歓迎式では代表として、ディアミドとシエナが並んで立つ姿を見られるということか。
私、ついに原作のヒロインに会えるのね。
私は必死に表情を取り繕いながら、胸の奥で湧き上がる複雑な感情を押し殺した。
二人を心から応援しなくちゃ。本当にそう思っているのに……。
「…………」
なぜか紅茶の後味がひどく苦く感じられた。
・
・
・
時はあっという間に流れ、いつの間にか歓迎式当日を迎えた。
ディアミドの凱旋を祝福するかのように、空は雲一つなく晴れ渡っていた。
色とりどりの花びらと紙吹雪が青空いっぱいに華やかに舞い散る。
軽快な音楽が鳴り響き、その中に大きなラッパの音が混じった。
雷鳴のような拍手が世界中を揺るがした。
自ら街へ飛び出してきた帝国民たちが歓声を上げる。
「ウィンソール万歳!」
「皇太子殿下、万歳!」
「万歳! 万歳!」
人々の顔は皆、喜びと熱気で満ちあふれていた。
皇帝夫妻と皇太后陛下は皇宮の前に立ち、騎士たちが帝都へ入ってくるのを待っていた。
私も皇后様の侍女として、その場に付き従っていた。
皆が喜びに浮き立つ中、唯一暗い表情をしているのは皇帝陛下だけだった。
『何よ、まるで苦虫でも噛み潰したような顔ね。ディアミドが活躍したのが、そんなに気に入らないの?』
私は皇帝をちらりと横目で見ながら、心の中でぶつぶつと呟いた。
ところが、まさにそのとき。
「わああああ!」
一段と大きな歓声が沸き起こった。
しばらく眉をひそめていた皇帝が、歓声の聞こえてくるほうへと重い首を向けた。
「皇太子殿下のお出ましだ!」
「魔獣を討伐した帝国の英雄だ!」
「万歳! 万歳!」
私はそっと顔を上げた。
騎士たちが整然と隊列を組み、皇宮の前へと進んできている。
まさに威風堂々とした姿だった。
そして、その中でもひときわ目立つ人物が一人いた。
彼こそが――
『ディアミド!』
私は大きく目を見開いた。
巨大な黒馬に跨ったディアミドは、まるで生きて動く彫像のようだった。
私が送り出したあの小さな少年は跡形もなく、そこには凛々しく逞しい青年が立っていた。
濃い藍色の髪が額の上へ柔らかく揺れる。
太陽を思わせる朱色の瞳が、一切揺らぐことなく真っ直ぐに正面を見据えている。
『……本当に大きくなったのね』
時折、想像することはあった。
成長したディアミドがどんな姿になっているのかを。
大人になったディアミドは、きっととても素敵な男性になっているだろうとは思っていた。
けれど、目の前にいるディアミドは私の想像をはるかに超えていた。
言葉では言い表せないほどの感慨が波のように押し寄せ、私はその場に釘付けになったように立ち尽くした。
ところが。
『あれ……?』
そのとき、真っ白な馬に乗った一人の女性が、自然な仕草でディアミドのそばへと近づいてきた。
ディアミドの隣に並んだ彼女は、淡い微笑みを浮かべながら彼に何かを話しかけた。
その瞬間、私の表情は見るも無残に崩れ落ちた。
本能的な悟りが、私の心臓を強く打つ。
『あの人がシエナなんだ!』
シエナ・アンテス。
この世界のヒロインであり、やがてディアミドの愛を独占することになる人物。
シエナは帝国のか弱い令嬢たちとは違い、背が高く、すらりとした体つきの美人だった。
灰色がかった金髪は、耳がはっきりと見えるほど短く切りそろえられている。
『……たしか、戦闘の邪魔になるから切ったって言ってたっけ』
そしてディアミドは、そんなシエナの凛々しい姿を見て、ますます彼女に惹かれていくのだ。
私はこっそり二人を見つめた。
堂々と会話を交わすディアミドとシエナは、誰が見てもお似合いの美男美女だった。
きっと私が生まれ変わって出直したとしても、シエナのようにはなれないだろう。
『なんだか、少し変な気分……』
手の甲に小さな棘が刺さったような、妙な感覚だった。
それほど激しい痛みではないのに、手を使うたびに胸がざわつくような感覚。
この気持ちの正体は何だろう。
たった一人しかいなかった大切な友人が、以前よりずっと遠い存在になってしまったように感じるからだろうか?
なぜか自分だけが取り残されたような気がして、私も知らず知らずのうちに小さく肩をすくめた。
・
・
・
ディアミドは妙な気分で周囲を見回していた。
北部を発ったときとはまるで違う、あまりにも華やかな光景だった。
周囲には、ディアミドを「帝国の英雄」と称えて褒めたたえる人々が大勢集まっていた。
その熱狂的な反応を目にしても、ディアミドは誇らしいとも嬉しいとも感じられなかった。
ただ、自分を歓迎するこの雰囲気そのものが……どこか見慣れないものに感じられただけだった。
『……功績を立てる前は、誰も私のことなんて見向きもしなかったのにな』
あの暗かった日々のことは、今でも鮮明に覚えている。
皇宮の最も深く暗い場所で、ゆっくりと息絶えていったあの日の絶望を。
もちろん、それは帝国の民たちのせいではなかった。
すべては皇帝のせいだった。
その事実をよく分かっていても、胸の奥に深い虚しさを感じずにはいられなかった。
ディアミドが私の知らないうちに眉間を狭めた、そのとき。
「……はぁ」
「………」
「皇太子殿下!」
ちょうど自分を呼ぶ声が聞こえ、ディアミドは物思いからようやく抜け出した。
シエナが丸い目で彼を見つめていた。
「何をそんなに考えていらっしゃるのですか、殿下?」
「ああ、シエナ」
「殿下らしくもなく、そんな怖いお顔をなさっているではありませんか」
「……そうだったか」
ディアミドは手を伸ばし、自分の唇の端に触れた。
彼は笑み一つ浮かべず、ずっと硬い表情をしていたのだ。
「笑ってくださいよ。あなたはウィンソールの英雄ではありませんか」
「さあな。ウィンソールの英雄か……」
雲のように押し寄せる帝国民たちを見つめていたディアミドは、ゆっくりと首を横に振った。
帝国民を守り、保護することが皇太子の義務だということくらい、彼自身もよく分かっている。
しかし、その責任感とは別に、ディアミドは時折こんなことを考えていた。
『もし私が彼らの役に立たなくなったら、どうなるのだろう』
今は彼が魔獣を討伐し、冷気を操ることで、人々は彼を英雄として持ち上げている。
だが……その必要がなくなった後も、彼らは変わらず自分を評価してくれるのだろうか。
どうにかしてディアミドを殺そうとしながらも、万が一自分の正統性が揺らぐことを恐れ、命だけはかろうじてつなぎ留めていたあの兄皇帝のように。
シエナは首をかしげた。
「私は殿下が帝都に戻られて、さぞお喜びになると思っていましたのに」
「まあな。とはいえ、帝都に戻ったところで特に良いことがあるわけでもないだろう?」
「ですが、皇帝陛下が殿下をいつまでも捕まえて離そうなさらないでしょうから」
シエナは頷きながら、訴えるような眼差しで遠くの皇帝をちらりと見つめた。
「死ねと言わんばかりに北部へ送り出しておいて、あんな赫々たる戦功まで立てて戻ってこられたのですから……陛下はどれほど悔しいでしょうね?」
そう言って、シエナがにやりと笑った。
「それでも、ずっと帝都へ戻りたがっていたではありませんか」
「それは……そうだな」
ディアミドの表情が初めて柔らかくなった。
彼は癖のように懐へ手を入れる。
しばらくして、ディアミドの指先には一枚の古びたハンカチが引っかかる。
耳元にはブドウの房を思わせるライラックの刺繍が施された、縁がすっかりぼろぼろになったハンカチだった。
彼はしばらくそのハンカチを見下ろした。
まるでとても大切な宝物を撫でるかのように、刺繍されたライラックの上を指先でゆっくりとなぞる。
シエナがそれとなく尋ねた。
「そのハンカチ、片時もおそばから離さないのですね」
「ああ、私にとってとても大切なものだからね」
ディアミドはきっぱりと答えると、再びハンカチを大切そうに胸元へしまった。
幼い頃の彼を救い、温もりを教えてくれたシャルリーズ。
彼に生きる意味と幸せを取り戻してくれた、ただ一人の人。
彼女と約束したんだ。
いつか必ず笑顔で、無事に帰ってくると。
そしてロチェスター公爵よりも、はるかに立派な地位に上り詰めると。
その約束を守るために、彼は今まで耐えてきたのだ……。
『ついに、あの約束を果たせる立場になった。』
朱色の瞳が決然と輝いた。
遠くには皇帝と皇后夫妻が立っていた。
その後ろでは、皇太后が年老いた目元ににじむ涙をしきりに拭っている。
しかし今、ディアミドの目に映っているのは、ただ一人だけだった。
『シャル。』
シャルリーズは驚いたウサギのように目を丸くし、じっとこちらを見つめていた。
胸がいっぱいになるような愛おしさに、ディアミドは思わず息を呑んだ。
実に8年もの歳月が流れた。
それでも、一目で分かった。
月光のように優雅な銀髪と、鮮やかなライラック色の瞳。
最後に別れたときは、確かに小さくて涙もろい少女だったのに……。
『……いつの間に、あんなにも眩しいほど美しく成長したんだ。』
胸の奥底から、熱いものがこみ上げてくるような気がした。
ディアミドは確信した。
彼はこれまで、誰かにこんなにも心を躍らせたことなど一度もなかった。
そして……これから先も、きっとないだろう。
『今すぐにでもシャルリーズを胸いっぱいに抱きしめたい』
心臓があまりにも速く激しく鼓動するものだから、このまま倒れてしまうのではないかと思うほどだった。
馬から飛び降りたディアミドは、シャルリーズに向かって明るく笑いかけようとした。
自分の昂ぶる感情が、少しでも彼女に伝わることを願いながら。
ところが、まさにそのとき。
「……」
シャルリーズは一瞬肩をすくめたかと思うと、あろうことかすぐに視線を逸らしてしまった。
ディアミドの表情がわずかに強張った。
『何だ? 今、シャルリーズ……』
私の目を避けたような気がする。
そう考えた瞬間、胸がずしりと重く沈んだ。
同時に、皇帝が口を開いた。
不快感を隠そうともしない、刺々しい声だった。
「北部の魔獣を討伐し、見事な功績を立てた皇太子の功労をここに称える」
「すべては皇帝陛下が私を信じ、支持してくださったおかげです」
ようやく現実へと引き戻されたディアミドが、謙虚に頭を下げた。
わあああっ!
拍手と歓声が一斉に沸き起こった。
その熱狂的な歓迎を耳にした皇帝は、まさに腹の底が煮えくり返るような気分だった。
皇帝は歪んだ眉間を伸ばすことすらできず、苦い顔でシエナをちらりと振り返った。
「また、長きにわたり魔獣との最前線に立ったアンテス家にも感謝の意を表する」
「ありがとうございます。すべて陛下のおかげでございます」
馬から飛び降りたシエナは、胸にしっかりと拳を当て、礼儀正しく頭を下げた。
その瞬間、皇帝の顔にかすかな異色が浮かんだ。
なぜなら、その挨拶は貴婦人に対するものではなく、皇帝に対する臣下の礼だったからだ。
次期アンテス辺境伯の地位を継ぐ後継者でもない限り、彼女がわざわざそのような格式高い挨拶をする理由はなかった。
『……世襲の爵位を、父親に似て生意気なこいつが勝手に。』
いったい誰の許しを得て、世襲爵位をすでに継ぐことが決まったかのように振る舞っているのだ。
皇帝の目が細くなった。
しかし皇帝がどう思おうと、爵位の継承権は完全に当主とその後継者に与えられた正当な権利だった。
いくら皇帝といえど、むやみに口を挟むことのできない問題だ。
そのため皇帝は、唇の端をわずかにぴくつかせるだけにとどめざるを得なかった。
ちょうどそのとき、皇后が前へ出た。
「本当にご苦労さまでした、皇太子」
「ありがとうございます、皇后陛下」
ディアミドは深々と頭を下げた。
皇后は顔を向けると、シエナに向かって穏やかな笑みを浮かべた。
「アンテス小伯爵もご苦労さまでした」
皇帝に向けていた刺々しい声とは違い、とても柔らかな態度だった。
シエナも皇帝に接するときの毅然とした態度とは打って変わり、そっと微笑んだ。
「皇后陛下にそうおっしゃっていただけるなんて、光栄です」
「まずは二人とも、ゆっくり体を休みなさい」
「はい、そうさせていただきます。一緒に来た騎士たちのためにも、別宮に宿舎を用意してくださったそうですね」
そこへ、皇太后がちゃっかりと会話に割り込んだ。
ハンカチで何度も涙を拭っていたせいか、しわの刻まれた目元はいつの間にか真っ赤に腫れていた。
ディアミドはもちろん、皇后とシエナまで気の毒そうな表情を隠せなかった。
そんな中、皇帝だけが一人、不満げな表情を浮かべていた。
『いったい母上はどうしてああなんだ。』
ハンカチを握りしめているだけでも足りないのか、目に涙まで浮かべている姿がひどく気に障った。
あの調子では、周囲にディアミドへの同情票でも集めるつもりなのか!
皇帝は冷ややかな声で話を打ち切った。
「祝賀宴は十分に休息を取った後で開くことにしよう」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
「まったく、口だけは達者だな」
ぶっきらぼうに答えた皇帝は、自分の役目は果たしたと言わんばかりに身を翻した。
しかし、民衆の喜びに満ちた歓声は途切れるどころか、ますます大きくなっていった。
「ウィンソール万歳!」
「皇太子殿下、万歳!」
「あんなに好きなくせに、いつまで知らないふりをするつもりなんですか?」
見かねたシエナが、そっとディアミドに耳打ちした。
結局、ディアミドは軽く手を振って民衆に応えた。
それに呼応するように、さらに激しい歓声が沸き起こった。
「わああああ!」
これほど熱烈に反応されてしまっては、すぐに手を下ろして背を向けるわけにもいかなかった。
ディアミドがぎこちなく微笑んだ、まさにそのとき。
皇太后が笑いを含んだ声で孫に囁いた。
「皆に一言くらい何か言ってあげなさいよ」
「……ですが」
「あなた一人を見るために、ここまで出てきてくれた者たちでしょう?」
皇太后の優しい眼差しがディアミドへと向けられた。
「この機会に、帝国民たちに温かい顔くらい見せてあげたらどう?」
それと同時に、皇太后の声がどこか寂しげに沈んだ。
「あなたは近い将来、次期皇帝になる人なのだから。」
そのつぶやきを聞いたディアミドは、ぴくりと肩を強張らせた。
朱色の瞳が鋭く光る。
そうだ。
彼は皇帝にならなければならなかった。
頂点に立ってこそ、シャルリーズと自分の大切な人々を守ることができるのだから。
そのためには必然的に、あの皇帝と争わなければならなかった。
そして今、彼が手にしていて、皇帝にはない最大の武器は――
『帝国民からの絶大な愛情と支持』
ディアミドは拳をぎゅっと握りしめ、一歩前へと踏み出した。
人々の視線が一斉にディアミドへと集まった。
「皆、静まり返ってくれ!」
「皇太子殿下がお話しになるぞ!」
瞬く間に周囲が静まり返った。
ディアミドは人々をぐるりと見回した。
その顔には、英雄に対する期待と信頼が満ちあふれていた。
……やっぱり、こういうのはまだ慣れないな。
姿勢を正したディアミドは、落ち着いた力強い声で口を開いた。
「帝国民の皆様のご支持がなければ、これほどの成果を収めることはできなかったでしょう」
声を張り上げることも、無駄に感情に訴えかけることもしなかった。
それでも、ディアミドの声には不思議と皆を圧倒する力があった。
「ですから、私の勝利はすべて、この帝国民の皆様のものです」
そう言い終えたディアミドは、深々と頭を下げた。
「心から、ありがとうございます」
「わああああ!」
「皇太子殿下、万歳!」
「万歳!」
飾り気のない真摯な感謝の言葉に、割れんばかりの歓声が絶え間なく沸き起こった。
皇太后は満足げな目でディアミドを見つめるのに夢中だった。
しかし、ディアミドの意識はその瞬間もずっとシャルリーズに向けられていた。
『シャル。』
そしてディアミドが再び彼女のほうを振り返ったとき。
シャルリーズは皇后の侍女として頭を下げるふりをしながら、再びディアミドの熱い視線を避けてしまった。
ディアミドの表情が大きく曇った。
1. 遠距離での手紙のやり取りとそれぞれの変化
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シャルリーズ: 帝都で淑女としての教育(文学、作法、楽器、社交ダンスなど)を受けながら日々を過ごしつつ、ディアミドの身を案じている。
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ディアミド: 北部へ出征し、初めてのキエル平原への遠征や魔獣討伐を経験する。手紙の中でアンテス伯爵令嬢(シエナ)ばかり話題にするシャルリーズをやきもきさせつつ、互いに文通を通じて絆を深めていく。
2. 皇后宮でのティータイムと凱旋式の予告
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8年の歳月が流れ、18歳に成長したシャルリーズは、皇后陛下や皇太后陛下と温室でティータイムを過ごす。
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お二人から、北部の魔獣討伐で大きな功績を挙げた皇太子ディアミドが、盛大な凱旋式とともに間もなく帝都へ戻るというサプライズが明かされる。
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凱旋式には、北部アンテスの代表(小伯爵の爵位を授かったシエナ・アンテス)も同行することが告げられる。
3. 凱旋式当日の再会とすれ違い
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帝都で盛大な凱旋式が開催され、民衆の熱狂的な歓声の中、見違えるほど凛々しく成長したディアミドが帰還する。
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ディアミドの隣には、戦友であり美貌の次期アンテス辺境伯であるシエナの姿があった。
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ディアミドは群衆の中からシャルリーズの姿を見つけ出し、熱い視線を送るが、シャルリーズは複雑な感情から思わず目を逸らしてしまい、小さなすれ違いが生じる。