こんにちは、ちゃむです。
「余命わずかな令嬢が黒幕家に偽装就職したら」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
41話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- あなただけを見る
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したカーディエンが静かに口を開いた。
「……先生だけを見ろって?」
「はい! 私だけを見てください。私も――」
私は彼に向かって身を乗り出した。カーディエンは鼻で笑うように私を見た。
「その程度で済むと思うか?」
私はあなたを見張るつもりよ。あなたがセレスティナに惚れて公爵家に入り浸るかどうか、この目で確かめるために。私が真剣な表情で見つめていると、カーディエンはしばらく私を見つめ返したあと、ふっと小さく笑みをこぼした。
「……先生が、こんなに独占欲が強い人だとは思いませんでした」
独占欲? ……確かに、そうかもしれない。
『いつ言おうか、そのタイミングばかり見計らっていたの』
馬車を降りた瞬間にセレスティナが現れるわけでもないのに、なぜか気持ちだけが焦っていた。カーディエンはそんな私をじっと見つめると、ゆっくりと口を開いた。
「私も」
「え?」
「私にも条件がある」
「条件ですか?」
急に何の条件だろう?
「それって何ですか?」
そう尋ねると、カーディエンは答える代わりに、おもむろに懐へ手を入れた。私は彼が何をするつもりなのか、黙って見守った。
懐から何かを取り出したカーディエンは、約束を交わすために差し出した私の右手首を優しく包み込み、そっと裏返した。
私は思わず息をのみ、反射的に手を引こうとした。右手を差し出すのは癖になっていたけれど――あざが見えてしまう。
右手首の内側には、魔花病の証である花の形のあざが刻まれている。以前、カーディエンがそのあざを見てひどく顔色を変えたことを思い出した。それ以来、腕輪で隠すようにはしていたけれど、厚みのある腕輪は重くて身につけ心地も悪かった。あざを隠すためには仕方がなかったが、今日は侍女たちが身支度を整えてくれたせいで、すっかり身につけるのを忘れてしまっていた。腕輪を持ってくる余裕がなかったのだ。
(もう、どうにでもなれ)
そう思った瞬間、手首の内側にある小さな花の形をした黒いあざが露わになった。私はカーディエンの様子をうかがった。
カーディエンは何も言わず、そのあざを見つめると、親指でそっとなぞった。少し力が入ったせいで、私は小さく息をのんだ。やっぱり、気に入らないんだ。無理やり手首を返したくせに、いったい何をするつもりなの。私は悔しい気持ちで彼を見つめた。
だが、カーディエンの突然の行動は、それで終わりではなかった。彼は懐を探ると、すぐに私の手首へ何かを着けた。私は呆然としたまま、自分の手首に着けられたものを見下ろした。
「……ブレスレット?」
それは細い銀色のリングブレスレットだった。中央には、どこかで見覚えのある十字架型のペンダントが付いている。
「これって……」
さらに驚いたのは、その細いブレスレットではあざを隠せるはずがないのに、手首のあざが綺麗に消えていたことだった。驚いた目でカーディエンを見つめると、彼は何でもないような口調で言った。
「考えてみたら、ネックレスはあまり実用的じゃなかった。切れやすいし、服の中に隠したら取り出すのも面倒だからな」
その言葉が意味することは一つしかなかった。
「……まさか、あのペンダントのネックレスをブレスレットに作り替えたんですか?」
そんなはずない。そう口にしながらも、自分でも信じられないと思っていた。それも当然だ。完成した魔道具を別の形に作り替えるというのは、一度建てた城を壊し、別の形で建て直すようなものだからだ。
それなのに、カーディエンは私の言葉も聞かずに続けた。
「前のペンダント型ネックレスより、はるかに丈夫になっている。居場所を把握できるのはもちろん、先生の身体に異変が起きた時には、魔力を流し込まなくても自動で魔法が発動する。それに幻惑魔法で、先生の手首のあざも……」
「ま、待ってください、公爵様」
慌てて声を上げると、カーディエンは口を閉じた。私は何と言えばいいのか分からず、言葉を探した。ただただ、この状況に混乱するばかりだった。
もちろん、あのペンダントのことを忘れていたわけではない。いつか返さなければ、とは思っていたけれど――まさか、ここまでパワーアップして戻ってくるなんて思わなかった。
あの時は城一つ分ほどの価値だったものが、一度壊されて作り直され、今では城三つ分ほどの価値になって戻ってきたのだ。以前のように気軽に受け取れるようなものではなかった。もちろん、前だって十分に気が引けていたのだけれど。
でも私は、もうカーディエンの性格を知っている。何を言っても無駄なのだろう。前みたいに「捨てる」と言って窓から放り投げられなければ、それで十分だ。
そうしてためらっていると、不意にカーディエンが口を開いた。
「先生が、こういうものを負担に感じる人だということは分かっている」
思いもよらない言葉に、私は驚いて彼を見つめた。本当に今の言葉、カーディエンが言ったの? しばらく口を閉ざしていた彼は、やがてゆっくりと再び口を開いた。彼はそこで言葉を切った。
「……ですが、先生ももう認める時ではありませんか。先生の身に何かあれば、どれだけ多くの人が――」
そこまで言うと、彼の握る手に力が入るのが分かった。私は呆然と、血管が浮き出たその手を見つめ、それからゆっくりと顔を上げた。薄暗い中で、紫色の瞳がじっと私を見つめていた。その眼差しに、私の胸もずしりと重くなる。
「……公爵様」
「先生の体についた傷一つでさえ取り乱してしまう人たちのことを思うなら、このブレスレットを断ってはいけません。まさか、第4区の子どもたちのことは心配しても、先生を大切に思う人たちの気持ちは考えない、なんてことはありませんよね?」
最後の言葉には、かすかに非難するような響きが混じっていた。
それでも私は、いつものように「カーディエンのことだから、大げさに心配しているだけだろう」と軽く考えることはできなかった。その時になってようやく、自分の行動が周囲の人たち――つまりカーディエンを、どれほど心配させていたのかを理解した。
カーディエンだけじゃない。ヴィンセントも……。
私は本当に大丈夫だと思っていた。私には特別な力があり、魔花病を発症する周期も長い。それに普段は何事もなく元気でいられるのだから。でも、それはあくまで私自身の考えであって、周りの人たちも同じように考えているとは限らない――そんな当たり前のことにさえ気づいていなかった。
とくにカーディエンは、ジェフリーの件で私が危険な目に遭い、魔花病で血を吐いて苦しむ姿をすべて見てきた人だ。それなのに私は、「カーディエンだから。冷酷で、理性的で、感情を表に出さない人だから」と、軽く考えてしまっていた。
彼にとっても、それが心の傷になり得ることだと考えもしなかった。彼が平気なふりをしながらも、どれほど私を心配してくれていたのか知っていたはずなのに。
「……申し訳ありません、公爵様」
「……」
私は彼に向かって静かに頭を下げた。侍女たちが丁寧に整えてくれた暗い茶色の髪が、さらりと肩から流れ落ちる。頭上から、カーディエンが私を見つめる視線をはっきりと感じた。
私はそっと息をのみ込み、彼の目をまっすぐ見つめて言った。
「公爵様のおっしゃる通りです。私は自分のことしか考えていませんでした」
私は手首にはめられた細い銀色のブレスレットにそっと触れた。ひんやりとしているのに、不思議と安心感があった。まるで目の前にいる彼のように。
「ブレスレット、ありがとうございます。絶対に肌身離さず身につけます。だから、そんなに心配しないでください。これ、とても大切なものなんですよね?」
これほど貴重なものなのだから、きっと効果も高いはずだ。私はにっこりと微笑んだ。カーディエンはそんな私を静かに見つめると、小さくうなずいた。
「……分かってくれたなら、それでいい」
よかった。機嫌も直ったみたい。私は思わず、えへへと笑った。
やがて馬車が止まり、扉が開いた。降りる直前、私はもう一度彼に向かって手を差し出した。彼は少し呆れたような目で私を見た。私はしつこく、ブレスレットをつなぐように手を差し出しながら言った。
「“条件”がありましたよね。閣下の条件を受け入れたんですから、今度は私の条件も受け入れてください」
「……つまり、他の女には目もくれず、先生だけを見ろということか?」
「その通りです。私だけを見てください!」
カーディエンは相変わらず呆れたような表情を浮かべていた。だが、私の手首にある銀色のブレスレットへ視線を落とすると、大きくため息をつきながら小指を差し出した。そして低い声で言った。
「約束しよう。先生――リビア・フリングトンだけを見る」
「他の女性には目も向けない、ですよ?」
「……ああ。ほかの女は絶対に見ない。そもそも約束なんてなくても見るつもりはなかった。先生だけが特別なんだ」
彼はぶっきらぼうに付け加えたが、私はその言葉を聞いて思わず顔をほころばせた。
私は満足そうに微笑んだ。これで戴冠式の前準備はすべて整った。
――いよいよだ。
私は顔を上げ、馬車の開いた扉の向こうに見える壮麗な神殿を見つめた。すっかり慣れたカーディエンのエスコートを受けながら、私は馬車を降りた。
先ほどまでの賑わいとは違い、神殿の前はひっそりとしていた。忙しそうに動く神官たちと、入口を守る二人の聖騎士だけがそこにいた。おそらく参列者はすでに全員中へ入ったのだろう。閉ざされた真っ白な扉の隙間からは、眩い光が漏れ出していた。曇り空だったせいか、その光はいっそう神々しく見えた。
私は深く息を吸い、エスコートのために固く握っていたカーディエンの手を離そうとした。けれど彼は手を放すどころか、そのまま私の腕を自分の腕に絡ませた。私が驚いて彼を見ると、彼は前を向いたまま、何でもないことのように言った。
「普通、パートナーはこうやって入場するものじゃないか?」
確かに、その通りだった。本来、パートナー同士はこうして腕を組んで入場するものだ。
『なんだか少し照れるな……』
どう表現すればいいのだろう。今までとは違う、新しい触れ合い方で、どこか落ち着かない気持ちになった。きっと、パートナーと一緒に入場した経験がほとんどないからだろう。私はそっと息を整えながら歩き出した。
階段を上り、神殿の扉の前まで来ると、神官が口を開いた。
「招待状を確認いたします」
その言葉を受け、カーディエンは懐から二通の招待状を取り出した。一通はカーディエンのもの、もう一通は私のものだった。
「メルツェデス公爵閣下と、そのパートナーの方ですね。確認いたしました」
神官は招待状を返し、丁寧に一礼した。すると、隣で待機していた別の神官が、すぐに大きな扉を開いた。年齢が若そうに見えたので、おそらく見習い神官なのだろう。
「お二人にテレイアの加護がありますように」
通常の舞踏会や夜会であれば、入場者の名前を高らかに読み上げるものだが、この儀式ではそうした呼名は行われなかった。宴ではなく、あくまで神聖な儀式であることを示すためなのだろう。
『これのどこが宴じゃないっていうのよ……』
私は会場の中を見回した。
神殿の中央ホールを改装した儀式会場は、真っ白で息をのむほど美しかった。あちこちには歴代の聖女たちの彫像が立ち並び、繊細な彫刻が施された柱には蔦植物が絡みついている。白いテーブルクロスが掛けられた丸テーブルがゆったりとした間隔で配置され、美しく着飾った人々が、そのテーブルを囲むように談笑していた。
天井にはホールの半分ほどもある巨大なシャンデリアが吊り下げられ、その両側にはステンドグラスの窓が並んでいた。差し込む光と色鮮やかなステンドグラスの光がシャンデリアと調和し、純白の床を美しく照らしていた。
まるで舞踏会のような華やかさでありながら、神殿ならではの神秘的な雰囲気も漂っている空間だった。そしてホールの最奥には高い祭壇が設けられ、その上には女神テレイアの像が静かに佇んでいた。両手を広げたテレイアの像は、まるでこの場に集う人々を祝福しているかのようだった。
あれこそが、今日の儀式の最大の見どころだ。私は原作で描かれていた光景そのままの内部を、感慨深く見渡していた。そのとき、ふと周囲が静まり返ったことに気づく。
『まあ、そうなるよね……』
わざわざ確かめなくても、その理由はすぐに分かった。
『私の隣にいる、この人のせいだ』
私は腕を貸したまま、無表情で周囲を見回しているカーディエンをちらりと横目で見た。静寂の中、あちこちから感嘆の声が聞こえてくる。
「……あの方は、どなたですか?」
「ラグラナシアに、あんなに美しい男性がいたなんて……?」
「この儀式に招かれているなら、きっと高位貴族の方でしょうけど、初めてお見かけしますね」
「そうですよね? 一度でも見たことがあれば、あのお顔を忘れるはずがありませんもの」
カーディエンは公の場や社交界にほとんど姿を見せない。それなのに、思わず目を奪われるほどの美貌を持っているのだから、なおさら正体が謎めいて見えるのだろう。
『うーん……』
私の考えは間違っていたかもしれない。カーディエンの隣にいれば、私まで目立ってしまうと思っていたのに。
『やっぱり「光が強いほど、その下の影は濃くなる」ってことね』
みんなの視線はカーディエンにばかり集中し、誰一人として私には関心を向けていなかった。――もっとも、それもほんのしばらくの間だけだった。やがて、少しずつ私にも視線が向けられ始めた。
とはいえ、そのほとんどは――
「隣の女性も初めて見る方だけど、どなたかしら?」
「あんなドレスは初めて見たわ。誰の作品なの? 本当に素敵……」
「あの女性の正体が分かれば、隣にいる男性が誰なのかも分かるはずだけど……」
「誰か話しかけてきてよ」
話題は大きく二つに分かれていた。
『私が何者なのかを突き止めて、カーディエンの正体を知ろう』という人たちと、『あのドレスをどこで手に入れたのか知りたい』という人たちだ。私自身に興味を持っている人は、ほとんどいなかった。
安心したような、でも少し寂しいような……この気持ちは何だろう。とにかく――
「少し奥のほうへ移動しましょうか?」
入口付近は、どうしても人々の視線を集め続ける場所だった。私の言葉に、カーディエンは頷いて歩き出した。
そうして隅のほうへ移動していると、不意に周囲がざわめき始めた。そちらへ視線を向けると、人々が左右に道を開け、その間を一人の人物が歩いてくる。その姿を見た私は、大きく目を見開いた。
『あの人は……』
金髪に緑色の瞳。爽やかな美男子。
『主人公(ヒーロー)だ』
それは、圧倒的な存在感を放つ人物だった。金色の髪をなびかせた彼は、まるで周囲の光をすべて集めてしまうかのように、賑わう人々の中でも輝いていた。さすがは主役だ。
二度目に見る彼だったが、それでもなお物珍しくて、私はつい見入ってしまった。その時、不意に頭上から鋭い視線を感じて顔を上げると、カーディエンが冷え切った目で私を見下ろしていた。
(えっ、何? どうしてそんな目で私を見るの?)
いつにも増して険しいその視線に、私は思わず戸惑った。そこへ、彼が私たちの前まで歩いてきた。彼は嬉しそうに口を開く。
「メルツェ……」
だが、彼がそこまで言いかけた瞬間、私の体はぐいっとカーディエンのほうへ引き寄せられた。
「きゃっ!?」
驚いて振り向くと、カーディエンは私と腕を組んだまま、どんどん歩き出している。
「ちょ、ちょっと待ってください、公爵様! あそこに殿下が……」
慌てて声をかけたが、カーディエンはまったく聞く耳を持たなかった。
(もういい。好きにすれば)
そう半ば諦めながら引きずられていると、今度は反対側へ私の体がぐいっと引っ張られた。私の体が後ろへ引かれると、止まる気配のなかったカーディエンの足がぴたりと止まる。
私は驚いて振り返った。そこには、かすかの笑みを浮かべた彼が、私の手首をつかんだまま立っていた。穏やかな笑みをたたえた彼は、私に向かって言った。
「驚かせてしまったのなら申し訳ない、お嬢さん。声をかけたのに聞こえていないようだったから、つい慌てて手を取ってしまった」
「……い、いえ。その、お声はちゃんと聞こえていました」
顔もちゃんと拝見していましたし。ただ、その前にカーディエンと一緒に、殿下を無視するような形で立ち去ってしまっただけです。