憑依者の特典

憑依者の特典【138話】ネタバレ




 

こんにちは、ちゃむです。

「憑依者の特典」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【憑依者の特典】まとめ こんにちは、ちゃむです。 「憑依者の特典」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介となっております...

 




 

138話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 反転する捕食者

「うん、ビア。遅くなってごめんね」

「アイ……本当に、アイなの……?」

「うん、私だよ、アイだよ。もう全部終わった。大丈夫、ビア」

「私の、友達……アイ……会いたかった……」

砂をすくう力すら残っていないようなか細い手で、ビアンカは私の頬にそっと触れた。まるで、これが現実の出来事なのかを確かめるように。

「うん、私も……」

涙を必死にこらえながら、私はすぐに極大の治癒術を施した。だけど、再会の言葉をゆっくりと交わす余裕なんてどこにもなかった。ビアの衰弱ぶりがあまりにも酷すぎたのだ。

魔力を完全に使い果たし、極限の緊張から解き放たれた今、意識が途切れかけるのは当然のことだった。

それでも、ビアは安心して私に身を預けることができないでいた。私の肩越しに見える、ある人物と視線がぶつかってしまったからだ。

(あの男は……!)

――モリフィス・マルセリオン。

囚われていた鏡の向こうで、自分を“極上の餌”と呼んで冷酷に笑っていた、あの水色の長髪の魔導士を忘れるはずがなかった。ビアは、モリフィスとオデリトが聖女を誘拐しようと企てていた陰謀の会話を、すべてあの暗闇の中で聞いていたのだ。

ビアの背筋に、恐怖の寒気が走る。

「アイ……!」

しかし、私に合図を送るには遅すぎた。

口角をわずかに吊り上げたモリフィスの薄い唇が、静かに、そして冷酷に動く。

「――拘束の時間だ」

前々からこの瞬間のために準備していたのだろう。仕込まれていた術式が、ついに最悪のタイミングで発動した。

私がビアとの再会に一瞬だけ気を取られていた、その刹那の隙を突いて――。

ずるり、と冷たい鏡の表面から、漆黒の鎖が四本、生き物のように急激に伸び出した。

だけど、私の肉体の反応は本能的だった。

即座に腰をひねって身体を半回転させ、その凶悪な鎖の軌道が、腕の中のビアではなく自分の背中へと向かうように割り込んだ。

片手で意識の遠のくビアの身体を支えていたため、自由に使えるのはもう片方の手だけ。私は迷わず右手を伸ばすと、迫り来る一本の鎖を力任せに鷲掴みにした。そして、そのまま残りの鎖の軌道へ叩きつけるように絡め取り、強引に引き寄せた。

激しい金属音とともに三本の鎖が複雑に絡まり合い、その推進力を失って完全に無力化された。

しかし、最後の一本だけが蛇のようにしつこく軌道を変え、私の死角を狙って襲いかかってきた。

ガシャン!!

冷たい感触とともに、頑丈な魔導手錠が私の右手首へとはめ込まれた。

「……っ!」

その一瞬――後方で状況を注視していたテシリドが、手錠から伸びる鎖の端を鋭く引き寄せた。神聖騎士である彼ほどの筋力があれば、その気になればこんな鎖など一瞬で引きちぎることも可能だったはず。だけど――。

「……」

「……」

一瞬、私とテシリドの視線が真っ向から交錯した。その直後、彼はなぜか、握っていた鎖の力をふっと緩めた。

テシリドの手から滑り落ちた鎖は、そのまま強力な魔術の引力によって、私の身体を容赦なく鏡の暗闇の中へと引きずり込んでいった。

「だめ……! アイ――っ!」

ビアンカが必死に手を伸ばして掴もうとしてくれたけれど、そのか細い力では鏡の強制力に抗うことなんてできなかった。一瞬のうちに、私の身体は鏡の怪しい光の中へと完全に呑み込まれていった。

「アイ!」

「アイレット!」

「お姉様!」

私の家族や仲間たちだけでなく、現実の部屋に取り残された人々も、この一瞬の異常事態を理解できずに激しく動脳(動揺)していた。

(くそ、一体何が起きたんだ……!)

その時、王国軍のロミナ・レカンド侯爵が鋭い目でモリフィスの方を振り返り、即座に確信した。この狂った魔法使いこそが、すべての元凶であると。

「モリフィス・マルセリオン……! 貴様、何をした!」

「ははっ! なんということだ! 悪魔の鏡が突如として暴走し、聖女様を内部に閉じ込めてしまったようだな!」

「……暴走、ですって?」

「さすがは名高き悪魔の遺物、といったところか。はは、だが心配はいらんよ。この場にいる私が、責任を持って必ず聖女様を無事に取り戻してみせよう」

悪びれる様子もなく、にやりと不気味な笑みを浮かべるモリフィス。彼は神聖騎士団が不在であるこの場の最高指揮権を持つ人物に向かって、上機嫌で声をかけた。

「聞こえているだろう? 聖剣の主よ」

「……」

テシリドは感情を完全に削ぎ落としたような無表情のまま、内心で静かに時間を計っていた。まるで、その脳内で、すでにこの男に対する“明確な制限時間”を冷酷に決定しているかのように。

そんな騎士の不穏な殺気に気づくはずもないモリフィスは、完全に勝利を確信して言葉を続ける。

「聖女を鏡の呪縛から引きずり出すための具体的な方法を調べるには、まずこの鏡の本体を私の私的な実験室――いや、教国の研究室へと至急運ぶ必要があるな」

「……」

「まあ、君たちも理解しているだろうが、拒否する選択肢など最初から存在しないのだよ。この特殊な古代の鏡を制御し、動かすことのできる八サークルの大魔法使いは、この大陸で私一人だけなのだからな」

その傲慢な言葉を聞いた時になって、テシリドの焦点が、ようやく虚空からモリフィスへと真っ直ぐに向けられた。

「八サークル、だと?」

彼の口から漏れた短い一言には、ゾッとするほど冷たい嘲りが滲んでいた。

だけど、モリフィスはそれすらも自分への畏怖だと勘違いし、得意げに胸を張る。

「その通りだ。あの忌々しい魔塔主も死んだ今、このセレンティア大陸において唯一無二の大魔法使いはこの私だ。だから、この鏡の所有権も――」

そこまで言いかけて、モリフィスはぴたりと、凍りついたように動きを止めた。

「……ん?」

目の前にある鏡の表面が、妙にどす黒く変色していた。まるで、内側の様子を誰の目にも覗き込ませないように、不気味な闇で塗り潰されたかのようだった。

「どうして……こんなに黒く……?」

訝しみながら、彼が鏡に顔を近づけた、まさにその瞬間――。

「……っ!?」

眩い神聖光を纏った白い手が、鏡の内側からガラス面を突き破るようにして真っ直ぐに突き出してきた。

そしてそのまま、モリフィスの細い首根っこを、凄まじい力で掴み上げた。

「ぐっ……、あ、が……っ!」

「モ、モリフィス様!?」

「があああっ!」

その白い手は、一切の躊躇なくモリフィスの身体を掴んだまま、強引に鏡の怪しい闇の中へと引きずり込んでいった。彼の身体に取り付けられていた、魔導共和国の最先端の小型魔道具や記録用カメラは、衝撃で壁にぶつかって木っ端微塵に弾け飛び、そのまま床へと虚しく散らばった。

ズル……ッ。

「ひっ……!」

鏡の中の奇怪な歪んだ空間へと一瞬で引き込まれたモリフィスは、大魔法使いの防御魔術を展開する暇さえ与えられず、なすすべもなく冷たい床へと崩れ落ちた。

その時――。

空間全体を切り裂くような、凛とした冷たい声が、上空から容赦なく降ってきた。

「――モリフィス・マルセリオン」

「……っ!」

驚愕のあまり顔を上げた彼の前に悠然と立っていたのは、他ならぬ教国の聖女――私だった。

だけど、その時の私の瞳は、淡い神聖な光を帯びながらも、冷酷なまでに澄み渡っていた。まるで、これから罪人に対して絶対的な審判を下す、天の執行官のように。

私はもともと、あの部屋にあった椅子に拘束なんてされていなかった。右手に残る一本の頑丈な鎖を除けば、手首も足首も、最初から完全に自由な状態だった。

「くっ……! たかが鎖一本で、この私(聖女)を縛り付けられると本当に思ったの?」

「お前……その言い方、最初から私が鎖を放つことを計算済みだった、ということか……!」

「ちっ、往生際が悪いな」

私は一切の迷いを捨てて、体内の神聖力を一気に限界まで引き上げた。空間の因果の重力を掌握し、目の前の男に向かって言葉を叩きつけた。

「――『縛れ(バインド)』」

「なっ――!?」

私の言霊と同時に、鏡の中の空間そのものが巨大な質量となって、モリフィスの身体を力任せに床へと押さえつけた。これはただの物理的な拘束なんかじゃない。拘束という概念のさらに上を行く――“絶対的な強制制圧”だ。

私はそれを彼自身の肉体に証明してあげるかのように、さらに重ねて術式を展開した。通常の拘束スキルよりも遥かに格上の補助スキルを、幾重にも、何十重にも容赦なく重ね合わせることで、大魔法使いの逃げ場を完全に奪い去った。

すると中央の椅子から、四本どころか、十本、二十本にも及ぶ漆黒の鎖が爆発的な勢いで飛び出し、モリフィスへと猛然と襲いかかった。百戦錬磨の狂気の大魔法使いでありながら、彼はそのあまりにも速すぎる鎖の軌道を追うことすらできなかった。

モリフィスはまるで罠にかかった哀れな野獣のように完全に押さえつけられ、乱暴に椅子へと叩きつけられた。

「ぐっ……! こ、こんな馬鹿なことが……っ! 私の八サークルの魔力が……!」

一人用の孤独な牢獄に、今度は彼自身が哀れに囚われる形となった。

主の勝利を理解したかのように、私の右手を縛っていた最後の手錠の鎖が、音を立てて静かに外れ落ちた。

モリフィスは必死に体内の魔力を暴れさせ、枷をもぎ取ろうと足掻いたけれど、世界最高峰の神聖力によって編まれたその鎖は、大魔法使いの力をもってしても微塵もびくともしなかった。

「くそ……、さすがは八サークルの神聖拘束術……! 解けない……!」

「そうですか。なら、解けない恐怖を味わいながら、そのままそこで大人しく待っていればいいんじゃない? それとも、すぐに自分の魔法で解けるとでも思っていたの?」

「ふん、聖女よ。少し時間をくれれば、こんな手細い魔術など容易く抜け出してみせるさ」

「――私が、それを許すわけがないでしょう」

「……は?」

私は足元に転がっていた正体不明の頑丈な鎖の端を静かに握り締め、そのまま感情を排した声で口を開いた。

「モリフィス・マルセリオン。大人しくそこに座っていなさい。――この私が、『終わり』だと言い渡すまではね」

「……っ!」

冷え切った絶対的な命令の言霊。

その瞬間、モリフィスの体内に極秘裏に仕込まれていた“ある仕掛け”が、強制的に作動した。全身の感覚が一瞬で麻痺して鈍くなり、四肢の力が完全に抜けていく。彼が椅子の中で発動させようと練り上げていた最高位の究極解放魔法は、形を成す前に霧のように儚く崩壊して消え去った。

「な、なぜだ……!? 私の最高位の魔術が、なぜ霧散する……!?」

全身から大量の冷や汗を流しながら、彼は必死にその天才的な脳細胞で思考を巡らせた。

(ありえない……! 相手がどれほど優秀な聖女であれ、同じ階位の八サークルのはずだ……! ならば、大魔法使いである私の固有魔術耐性が、教国の神聖術ごときに完璧に効くはずなのに……!)

だけど――その前提条件そのものが、すでに根本から木っ端微塵に崩れていた。

やがて、彼は己の首元に、異様なほど冷たくて不気味な違和感があることに気づいた。

「……これは、一体……?」

恐怖に怯えながら視線を落すと、自らの胸元まで伸びた、一本の漆黒の鎖が見えた。その鎖の先端は――目の前に佇む私の手に、しっかりと握られていた。

そして、彼は絶望とともに気づいた。今の自分の首には、隙間なくぴたりと嵌め込まれた、禍々しい革製の首輪がついているということに。

【アイテム】『服従の首輪(サブミッション・カラー)』

迷宮の主アナクシアが、狂暴な上位魔獣を完璧に調教するために作り出した、特殊な呪いの首輪。

装着された瞬間、対象のあらゆる耐性を貫通し、装着者を絶対的な“主人(マスター)”として認識させ、完全なる絶対服従状態へと陥れる。

※補足:装着時、対象の首のサイズに自動で適合する。

事の真相を完全に理解した瞬間、モリフィスの背筋に、これまでにない本物の恐怖の戦慄が走った。

あの茨の森に入る前、狂暴な人喰い狼を神聖術で眠らせた後、私が迷宮の宝箱から手に入れていた隠しアイテムがあった。

「本には“極めて従順に仕える”って書いてあったけれど、実際の性能は少し微妙ね。さすがは八サークルの大魔法使い、無意識の魔力耐性がある」

「な、……お前、一体いつの間にそんな呪いの道具を私に……!?」

「いつだろうね」

もちろん、自業自得の罪人に対して、そんなネタばらしを親切に教えてあげる義理なんてこれっぽっちもない。私は鼻で冷たく笑い飛ばしてあげた。

「鏡が空いたその一瞬の隙を突いて、私を拘束して手錠までかけてきたよね。で、その後は『鏡の暴走』だなんて白々しい嘘を吐いて、私を自分の研究室へ連行して拉致する計画だったのよね? ……本当に、笑わせてくれる」

モリフィスは驚愕に眉間に深いしわを寄せ、顔を歪めた。

「なんだ? 最初から私の企みに気づいていたというのか? ……あぁ、そうだ、お前の言う通りだ! お前を攫って、その身体を解剖し、聖女の圧倒的な神聖力を我が魔術で完全に再現するつもりだった! 教国の聖女なんてものは、大魔法使いの私にとっては最高に優秀な実験素材に過ぎないからな!」

「な、……何でそれを分かった!?」

私のあまりにも正確すぎる指摘に、モリフィスの顔から一気に血の気が引き、真っ白に染まった。

せせら笑うように、私は彼を哀れみの目で見下ろして嘲笑ってあげた。

「残念だけど、後世の歴史家たちは、今日のこの出来事を“教国の高貴な聖女の遺産”としてではなく、“時代を狂わせた哀れな魔法使いの遺産”として、その汚名を記録することになる」

「ひっ……、わ、私を……一体どうするつもりだ……っ!?」

「さあね……。このまま、あなたが大好きなこの鏡の空間を、あなただけの永遠の牢獄にしてあげようかしら? それとも、教国の審判庁に引き渡して、罪人として異端審問にかけてもらおうかしら? ……どちらにしても、これまでのような大魔法使いとしてのまともな扱いは、一切期待しないことね」

「……ひっ」

モリフィスを冷たく見据える私の瞳は、もはや人間を相手にしているのではなく、害虫を見るかのように冷え切っていた。

八サークルの大魔法使いという絶対的な力を、教国の法が届かない治外法権のように悪用し、自らの狂気のために好き勝手な非道を繰り返してきた愚か者。その本質は、先ほど自業自得の呪いで無惨に死んだ、あの公女オデリトと何一つ変わらない。

聖女である私を人質に取り、ヴィンチェスター峡谷を脅迫して、公国が独占している魔力石の利権をすべて確保しようとしていた彼らの汚い計画も、私は最初からすべて見抜いていた。

――すべては、すでに終わっている。

オデリトが私に対して「自分は鏡の存在なんて何も知らない」と白々しい嘘を吐いていた件も、すべては事態が発覚した際、叔父であるこのモリフィス一人の単独犯だと教国に責任を押し付け、自らへの疑いを逸らすための、マルセリオン公爵家特有の汚いトカゲの尻尾切り工作に過ぎなかった。

一連の醜い流れをすべて脳内で読み解いた私の視線は、さらに冬の氷のように冷え込んでいった。

最愛の親友であるビアンカを暗闇に閉じ込めた、悪魔アナクシア。

聖女を攫うための都合のいい道具として、そのビアンカの命を利用した、モリフィス。

そして、自らの利益と権力のために、そのすべての悪行に加担した、オデリト。

やり方はそれぞれ違えど、どれも救いようのない、反吐が出るほどの絶対的な悪だった。その悪の重さに優劣をつけることすら、馬鹿らしいほどに。

――だからこそ、一つだけ、今この場でハッキリしている事実がある。

「今、この過酷なダンジョンの中で、生きて息をしている悪党は……あなた一人だけよ」

アナクシアとオデリトは、すでにこの手で地獄へと送り届けて始末した。だけど、私の中にある猛烈な怒りの炎は、まだこれっぽっちも燃え尽きてなんていない。

当然だ。これは、大公家の名において、きちんと最大の“落とし前”をつけさせる必要がある。

私の本当に大切にしているもの(ビア)に汚い手を触れたら、一体どんな恐ろしい結末が待っているのか――。そのあまりにも重すぎる代償を、彼の骨の髄まで、徹底的に思い知らせてやるつもりだ。

「私が出してあげるその時まで、そこで大人しく座っていなさい」

うねり始めた鏡の境界線(出口)へ向かって、私が冷たく踵を返そうとしたまさにその瞬間――モリフィスはプライドをすべて投げ捨て、慌てて情けない声を張り上げた。

「ま、待て! 待ってくれ、聖女!」

「――今の私に、あなたの命令は一切効かない」

振り返りもしない私の一言に、モリフィスはさらに焦りを滲ませ、椅子の枷の中で必死に叫んだ。

「そ、それじゃない! 命令ではない、これは私の本当の『頼み』だ! ……どうか、外の訓練場に残されている、私の子たち(キメラ)だけは……命を奪わずに、どうか殺さないでやってくれ!」

「……あなたの子?」

あまりにも意外な単語に、ようやく私が足を止めると、モリフィスは必死に縋りつくような必死の声で言葉を続けた。

「……蛇がベアトリーチェ、猫がカタリナ、そしてリスがエスメラルダという名前だ。……あの子たち三匹ともね、クラッカーの上に極上のクリームチーズを塗って、その上にブルーベリージャムをたっぷりと添えてやると、本当に美味しそうに喜ぶんだ……! だから、どうか……っ!」

「……」

あまりにも必死で、それでいてどこか間の抜けたその哀れな説明に、空間全体の張り詰めた空気が一瞬だけピタリと止まった。

私はそれを敢えて聞こえなかったことにするように、鏡の外の世界へと、静かに歩みを進めた。

私には、現実の世界でやるべきことが、まだ山ほど残されているのだから。



スッ。

私は変幻する鏡の外へと、ゆっくりと足を踏み出した。

「アイレット!」

「お姉様!」

今日はやけに、戦場の誰もが私の名前を大声で呼ぶ日だ。

「はぁ……とりあえず、無事そうで本当によかった。大丈夫か、団長?」

「おい、アイレット! 一体鏡の中でどうなってたんだ?」

「ご無事で何よりです、姉上!」

エフェール、ヘスティオ、アッシュが次々に私の元へと駆け寄ってきて、矢継ぎ早に心配の声をかけてくる。少し離れたところでは、王国軍の本隊に合流したプリンツとレイウィンが、最大の危機を脱したことに安堵したように、大きく深く息をついていた。

(※本箇所の数行において、アイレットの内省表現から標準語(です・ます調)へと調子を整えます)

そして――。

プリンツの逞しい腕に抱きかえられていた、最愛のビアンカと視線が真っ向から交わった。

その瞬間、彼女は今にも大粒の涙を流して泣き出しそうな顔をしながらも、私に向かって、精一杯の、本当に愛おしそうな笑顔を浮かべてくれた。

【“万象の混濁を感知する瞳”】

ビアンカは、世界の誰でもない“あなただけ”に向けて、その本物の笑みを見せる。

最後に、私の視線はテシリドの姿を捉えた。

「……」

一行よりもさらに数歩後ろの影に、音もなく佇んでいるテシリド。

普段から教国の人間らしく血の気がない青白い顔をしている彼だったが、今の彼は、異様なほど完全に生気が抜け落ち、まるで死人のように青白く見えた。

それはまるで――今まで酸素が一切存在しない地獄のような場所にいて、私の生還によって、ようやくこの現実世界へと戻ってきたかのように。

「――テリー」

「……アイ、レット……」

私が彼の名前をそっと呼んでようやく、彼は堰を切ったように大きく息を吐き出し、その凍てついた肺の中に現実の空気を激しく流し込んだ。

そのあまりにも痛々しい様子に、見つめているこちらまで胸が息苦しくなってしまう。私は少しだけ躊躇いながらも、彼に声をかけた。

「……私があんな安っぽい小細工の鏡の手中にやられて、簡単に死ぬわけがないって、あなたなら最初から分かっていたでしょう?」

「……それでもだ」

「さっき鏡に引きずり込まれる瞬間、目が合ったじゃない。テリーなら、私の意図に気づいてくれると思ってた。だから、わざとあの時、私を掴んでいた鎖の力を緩めてくれたんでしょ?」

「……それでも、だ」

[『魂を裁く天秤』は、主人公であるあなたが存在してこそ、世界で再び呼吸できるのだと、狂おしいほどの情愛を伝えています。]

[『幻想の混沌を監視する瞳』は、そのような過剰で不健全な関係性は本来成り立たないと、不快そうに目を細めています。]

その時、テシリドが重い口を開いた。

「もし……あと数秒、君が戻るのが遅ければ。私はこの聖剣のすべてを解放してでも、あの鏡ごと世界を叩き割り、君を引きずり出すつもりだった」

「え?」

「……すべてを、我が命すら投げ打ってでも……」

「……」

最後の方は、彼の消え入りそうな呟きだったため、周囲の喧騒にかき消されてよく聞き取れなかった。けれど、一つだけ、私の胸に明確に伝わった事実がある。

――彼は本当に、狂ってしまいそうなほどに、私の身をひどく心配していたのだ。

申し訳なさと、それを上回るさらなる申し訳なさが、私の胸の奥から一気に込み上げてきた。彼にこれほどの精神的負荷を与えて心配をかけてしまったことも、そして、そのあまりにも重すぎる心配を、自分が当然のように受け止めてしまっていることに対しても。

私は申し訳なさそうな視線で彼を見上げる。何か優しい言葉で慰めてあげたいのに、こんな状況ではうまく適切な言葉が見つからず、お互いに無言で見つめ合う気まずい時間だけが、ただ長く、長く流れていった。

[『幻想の混沌を監視する瞳』は、最愛のビアンカが目の前で見ているというのに、一体神聖な戦場で何を見せつけ合っているのかと、露骨な苛立ちをあらわにしています。]

[『魂を裁く天秤』は、恥ずかしがらずにあと15cmだけ二人の距離を近づけてみようと、ニヤニヤしながらそそのかしています。]

私はその神々の声にはっと我に返ると、慌ててテシリドから数歩距離を取った。

一方その頃、私の鮮やかな解放と引き換えに、鏡の奥へと逆に拘束されてしまったモリフィスの異変に気づき、取り残された魔導軍の兵士たちは完全に騒然となっていた。

「も、モリフィス様はどうなったのですか!? 一体中で何が起きたというんだ!」

そこまで必死に自らの主人の安否が気になるというのなら、教国の聖女として、親切に現実を教えてあげないといけない。

私はあらかじめ周囲の空間の壁に掛けておいた隠密スキル――『虚偽の仮面(フェイク・ペルソナ)』を、パッと指先で外して解除した。

すると次の瞬間、現実の部屋の中央にある鏡の表面が透過し、そこには――犬用の服従の首輪を無様に首に巻きつけられたまま、何重もの神聖力の鎖で椅子にガチガチに拘束されている、空色の長髪の大魔法使いの情けない姿が、全員の前にありのままに晒された。

「そ、そんな……! モリフィス様が、拘束されている!?」

「いったい何が起きたんだ……! 我が国の誇る大魔導士様が、なぜあんな犬のような格旧(格好)を……!?」

いかに社会性や政治的感覚に乏しい魔導共和国の人間であっても、それが十分に異常で屈辱的な光景であることくらい、一目で理解できたようだ。

私はわざとらしく、眉をひそめて気の毒そうな表情をその面に作った。

今この場で彼らに言い放つべき台詞なんて、何も悩む必要はなかった。

――だって、数分前に他ならぬモリフィス自身が、私をハメるために完璧な台詞をすでに用意してくれていたのだから。

「いやはや、本当に何ということでしょう。悪魔の鏡が突如として暴走してしまいましてね。……あろうことか、高貴な大魔導士様を内部に強制的に取り込んでしまったようです」

「ですがご安心ください。この鏡は、教国の聖女である私が責任を持ってこの場で回収し、安全な場所で必ず救出のための研究をいたします」

「……まあ、皆様もご理解されているでしょうけれど、これ以上の選択の余地はありませんよね。このセレンティア大陸において、この鏡の暴走を制御できる唯一の八階位聖女は、この私だけなのですから」

モリフィスが先ほど吐いた言葉と寸分違わぬ口調と論理で告げてあげると、魔導軍の面々はあまりの皮肉の応酬に、言葉を失って絶望に顔を引きつらせた。

私がモリフィスが閉じ込められた鏡を、このまま亜空間インベントリに放り込んで完全に没収しようと手を伸ばした時。そこでようやく、我に返った魔導軍の指揮官たちが慌てて声を張り上げた。

「だ、駄目です! いくら聖女様の仰ることであっても、モリフィス様の身柄をそのまま教国に連れて行かせるわけにはいきません!」

「その通りだ! 聖女様のお気遣いには深く感謝いたしますが、モリフィス様の暴走の件は、我々魔導軍の最高機密として身柄を引き取り、自国で対処いたします!」

「……」

彼らのその往生際の悪い騒がしい声を聞いた瞬間、私の心の中の温度が、さっと急速に冷めていくのを感じた。

――こいつら、本当にこれほど言われても、まだ自分たちの置かれた最悪の立場(空気)が読めないのか。

今更こいつらと、脅すにしろ説得するにしろ、政治的な面倒なやり取りをここでダラダラと続けなければならないと思うと、私の胸の奥底に、どす黒く重たい苛立ちがフツフツと込み上げてきた。

「はぁ……」

思わず、最悪のため息が口から漏れ出す。

あまりの苛立ちのせいで、表情のポーカーフェイスの制御すら効かなくなりそうだった。

気づけば、私は無意識のうちに、隣にいるテシリドのあの「世界を拒絶する時の癖」をそのままなぞるように、片手をすっと前に差し出して――。

――手のひらで、自らの顔の半分を深く隠した。

[『均衡を司る天秤』は、それは君の愛らしいキャラクターには微塵も似合わないから今すぐやめろと、冷酷な苦言を呈しています。]

……あぁ、本当に鬱陶しい。いっそこの場にいる魔導軍の全員を、この聖剣でまとめて一発殴って気絶させてしまおうか。

そんな凶暴な衝動に駆られた、まさにその瞬間だった。

「――神の御心に従うことは、魔導軍の皆様にとっても、最大の利益となるはずです」

「……ビア?」

私の本当に大切な親友が、プリンツの逞しい支えを受けながらも、その足でしっかりと大地に立ち上がった。

そして、その澄んだ瞳で魔導軍の兵士たちを射抜き、一切の迷いなく毅然と言い放った。

「皆様は、今この神聖な場で、神がどれほどの慈悲を以てあなた方の非道を我慢しておられるか、本当に理解していらっしゃいますか? ……今この場で、狂気の魔導士と研究者が聖女に対して行った数々の大罪と国家反逆の非道を理由に、天からの容赦のない『粛清』が下され、あなた方全員が消し去られてもおかしくはない状況なのです」

「ここにいる魔導軍の皆様も――」

「――まさか、この期に及んで、生きて自国へ帰るつもりがないわけではありませんよね?」

「……っ!」

そのビアンカの放った圧倒的な正論の威圧感に、魔導軍の兵士たちは皆、目を見開いたまま状況を見守るばかりで、さすがにこれ以上武器を構えて手を出そうとする無謀な者は誰一人としていなかった。

魔導軍の指揮官たちはぎこちなく顔を引きつらせながら、本能的な恐怖からじりじりと後退していく。

――これでようやく、こいつらの無駄な抵抗も収まった、かしら。

「ふふ……」

〈さすがは私のビアンカね。最高の切り札だわ〉

頭のてっぺんまで満ち満ちていた黒い苛立ちが、親友の頼もしい姿によってすっと引いていくのを感じた。だけど、すっきりしたというよりは、暴れ足りなくてどこか物足りなさが残ってしまったけれど。

「ビア、もういいよ、ありがとう。無理をしないで。魔導軍の残党の件は、私が後ですべてまとめて綺麗に片付けるから」

「……アイ」

「アッシュ兄さん、何をしているの? 早くビアを安全な場所へ運んで休ませてあげて」

「は、はい! ただちに!」

[『幻想の混沌を監視する瞳』は、これこそが真の絶対強者の真理だと、満足そうに深い笑みを浮かべています。]

[『魂を裁く天秤』は、今回のビアンカの見事なアシストばかりは認めざるを得ないと、深く頷いています。]

[『均衡を司る天秤』は、これからの主人公としての在り方を見習うべきだと、その手腕に舌を巻いています。]

魔導軍の兵士たちは、ビアンカの言葉と私の殺気によって、完全に抵抗の意志を喪失したようだった。

私はその隙に、モリフィスが中に閉じ込められた例の手鏡を、自らのインベントリの奥深くへと放り込んで厳重に隔離した。これで、モリフィスの身柄に関する面倒な国際問題は、一応の強制解決だ。

手をぱんぱんと軽く払って埃を落としていると、ふとある疑問に気づいた。

――そういえば。

「あの、モリフィスが連れていたキメラたちはどこへ行ったのかしら」

首を左右に振って周囲を探索した先で、その答えはすぐに見つかった。

見た目だけは無駄に愛くるしい姿をしたキメラたちは、いつの間にかヒルデの身体のあちこちに小さくなってよろめき登っては、しきりにその衣服に顔を擦り付けて甘えていた。どうやらあの子たちには、マルセリオン公爵家の血筋の魔力に強く引き寄せられる野生の性質があるみたいだ。とはいえ、本家から八代も離れた傍系の血筋なのだから、その血の濃さは1%にも満たないはずなんだけど。

〈あいつら、もう生き残るために新しい主人を本能で見つけたみたいだな〉

あの子たちのその過剰なまでの甘えの行動は、強力な主を失った世界で生き延びるための、彼らなりの必死の本能なのだろう。

――まあ、私としてもその方が好都合だ。あの子たちがヒルデのペットになってくれた方が、モリフィスが言っていたあの『クラッカーにクリームチーズとブルーベリージャムを塗った特製パン』も、公爵家の予算で手に入りやすいだろうから。

その時、戦場の奥から、極めて洗練された強者の圧倒的なオーラの気配がこちらへと近づいてきた。

振り返ると、そこには短く切り揃えられた美しい赤金色の髪をした、気品溢れる中年の女性騎士が凛として立っていた。

「教国の尊き神聖教の御方に、深くご挨拶申し上げます。……私は、ヴィンチェスター王国騎士士官学校校長であり、王国の剣と称されるレカンドロ公爵――ロミナ・レカンドロと申します」

非の打ち所がないほどに格式高く名乗る自己紹介をされたので、私も教国の代表として、彼女の礼儀を真似して名乗ってみることにした。

「ロミナ・レカンドロ公爵様(侯爵様)に、教国の名において深くご挨拶申し上げます。私は、エルペハイムの神聖教代理であり、ヒスペリル公爵家の正当なる孫娘――アイレット・ロレラインです」

[『均衡を司る独裁者』が、こんな戦場の修羅場の中で、まるで宮廷の面接の履歴書でも書くつもりかと、その生真面目さに呆れ果てています。]

[『魂を裁く天秤』が、君の率いる聖なる騎士団の公式名称が未だに決まっていないせいで、今の自己紹介に華々しい“団長”の肩書きを付けられなかったことを、心の底から惜しんでいます。]

「我が国の最愛の王女殿下、そして不甲斐ない王子殿下の命を窮地からお救いいただいた件……。ヴィンチェスター王国軍討伐隊総指揮官として、あなたに深く、誠心誠意の感謝を申し上げます」

「いいえ、とんでもございません。私はただ、自分の成すべき断罪をここで執行したまでに過ぎませんから」

丁寧な感謝の言葉を交わした直後、レカンドロ侯爵の鋭い視線が、床に哀れに広がっていた、あの黒い魔導官の制服へと向けられた。彼女は長年の経験から、それがオデリト公女の身に付けていた制服であることをすぐに見抜いたようだ。

「神聖教様、少し差し出がましい質問となり大変恐縮なのですが……。あのマルセリオン公女の身には、一体何が起きたのでしょうか? 彼女の姿が見えませんが……」

「それについての真実の詳細につきましては、私から語るよりも、その場の一部始終を特等席で見ておいでだった、セルレスティド王女殿下直々にお話しいただく方が、何よりも確実でよろしいでしょう」

すでにモリフィスという大物大魔法使いを人質(捕虜)に取って、魔導軍との間に一触即発の極限の緊張が走っている最悪の状況だ。周囲の魔導軍の反発を防ぐためにも、ここは利害関係のない、最も信頼できる王国の第三者を客観的な証人として前に出した方が賢明だ。

幸いなことに、聡明なセルレスティド王女は、私の期待どおりにその完璧な役目を果たしてくれた。

「レカンドロ侯爵、神聖教のアイレット様は当初、マルセリオン公女に対して安全な後方支援に徹するよう、明確に命じていらっしゃいました。……ですが、公女はその指揮命令に頑なに背き、私欲のために、すでに完全に拘束されていたボスの隙を突き、最後の一撃を我が物顔で勝手に加えたのです」

「最後の一撃……? それは、本当なのですか、王女殿下」

「ええ、間違いありません。しかし、あの邪悪なボスには、死の間際に一度だけその死を相手に反射して覆す、恐るべき呪いの固有能力がありました。……結果として、マルセリオン公女はそのボスの死の呪いを全身に受け、そのまま配下の手による治療も虚しく、光となって消滅なさいました……」

途中で、マルセリオン家の責任を綺麗になすりつけるような、王室特有の計算された言葉も交じっていたけれど、彼女があまりにも悲しげに涙ぐんだような美しい仕草と神聖な雰囲気で語ったせいで、周囲の兵士たちは誰一人としてその内容に不自然な疑いを抱かなかった。

さすがは私の大好きなビアンカが忠誠を誓う主であり、ヴィンチェスター王室の最後の希望と称されるだけの政治的器量を持った王女様だ。

〈アイレット、あんたが命がけで助けてあげたんだから、仮にあの場でオデリトをあんたの手で直接殺していたとしても、王女としては全力で庇うべき義務があるわよね〉

ともあれ、セルレスティドがこれ以上ないほど綺麗に話をまとめたところで、私は満を持して一歩前に出た。ここは教国の聖女として、最大の哀悼の意を示しつつ、この面倒な話をさらに綺麗に、そして都合よく締めくくるべきだろう。

「……誠に残念極まりないことです。オデリト公女は、最期のその瞬間まで、私に対して指揮官としての厳格な在り方を身を以て教えてくださった気高き御方でしたのに。激しい戦闘の真っ最中、彼女は安全な後方にいらしたのですから、まさか倒れる直前のボスがあのような恐ろしい死の反射能力を持っているなど、予測できるはずもありませんものね。……ええ、これは誰の手によっても防ぎようのなかった、本当に不幸な事故だったのです。改めて、マルセリオン公女の尊きご冥福を心から……――あら? だけど、今こうしてよくよく考えてみたら、何だか少し、私、腹が立ってきたわね」

「せ、……聖女様……?」

私の突然の言葉の変調に、周囲の王国軍や戸惑う魔導軍の兵士たちに向けて、部屋中に響き渡るような凛とした声で事実を告げてあげた。

「まず、討伐の作戦が進行している最中、総指揮官である私の絶対的な命令を平然と無視して、獲物の横取りを画策するのが、魔導共和国の誇る高貴な礼儀なのですか? 私は仲間たちと共に、命を懸けてあの恐るべきSS級ボスを極限まで削りきったというのに……。ある者は手柄の横取り、そしてある者はそのドサクサに紛れて聖女の拉致監禁……。マルセリオン家の方々の手口というのは、ずいぶんと多彩で驚かされるわ」

「そ、それは……、我々にはそのような意図は……!」

「これで、あなた方を今後も信頼できる『味方』と呼べるのかしら? ……少なくとも現在の私には、あなた方を教国に対する明確な『敵(反逆者)』と見なすべきに思えるけれど」

「……っ!」

その冷徹な宣告に、魔導軍の兵士たちの顔色が、一斉に恐怖で土気色へと変わった。

彼らの瞳の奥に、かつてマルセリオン家が内に秘めていた教国への狂気が、生存本能の恐怖によって一瞬で消し飛び、今度は「この場で生きて帰りたい」という必死の哀願の光が滲み出た。彼らは自らの命を守るために、慌てて大罪人となった本家への弁解を始めた。

「ま、マルセリオン公爵家というのは、元々……元々そういう、手柄を焦って暴走しがちな危険な気質の家系でして……! 我々一般の魔導軍の兵士たちには、彼らの陰謀など一切関係ございません!」

ふふ、素晴らしい。これこそが、まさに私が最初から誘導して望んでいた最高の手のひら返しの流れだ。

「なるほど、すべてはマルセリオン家独自の暴走の話、ということですのね。……ちょうどいい機会ですし、今回私が彼らから受けた数々の無礼と拉致未遂の容疑について、このまま教国の聖女として看過するわけにはいかないわ」

「え……? それはどういう――」

「私は、神聖教とエルペハイム公国の代表として、今回の件に関わったマルセリオン公爵家に対し、正式な国家レベルでの責任追及と、我が身に対する相応の莫大な補償をここに要求します。そのためにも……公爵家の血を引く者として、あなた、大人しく私と共にご同行願えるかしら」

私はそう言い切ると同時に、鋭い視線を、その場に小さくなって佇んでいた一人の少女へと真っ直ぐに向けた。

「――ヒルデ・マルセリオン嬢」

「わ、……私ですか!?」

「ええ、そうよ。あなたには――消えた本家の代わりに、この私が納得するまで、その身を以てたっぷりと『責任』を取っていただきます」

すべては、この私が決めたことだ。マルセリオン公爵家を合法的に叩き潰し、その資産と彼女の未来をいただくための、最高の断罪の始まりの合図だ。

 



 

 

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