悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す

悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す【75話】ネタバレ




 

こんにちは、ちゃむです。

「悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す】まとめ こんにちは、ちゃむです。 「悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す」を紹介させていただきます。 ネタバレ...

 




 

75話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 揺らぐ聖域

イヴァネフ教への不満と不信感

エノック皇太子の評価が大陸全土で高まるにつれ、それと完全に反比例するように、市井におけるイヴァネフ教への不満と不信感は、堰を切ったように強まっていった。

「おい、お前も神殿へ行って、あの傲慢な神官どもにぞんざいな扱いを受けたこと、一度くらいはあるだろう?」

「あぁ、あるとも。それにさ、お前たち知っているか? 神殿のあの華やかな慈善治療だって、結局は我が国の莫大な国家支援金で成り立っているらしいぞ……」

「何だって? じゃあイヴァネフ教の連中は、口を開けば『神の御心だ、慈悲だ』と大層な綺麗事を並べているけれど、実際は自腹を痛めてなんかいないってことか? ただ私たちから法外な布施を毟り取っているだけじゃないのか!」

「あいますらが崇めているのは、偉大なる神ではなく、ただの黄金(カネ)なんじゃないか?」

これこそ、聖女リリカとセブリノ神官長が最も恐れていた最悪の事態だった。

これまで神殿の絶対的な権威を恐れ、ただ理不尽に耐えるだけだった従順な民衆が、少しずつ、けれど確実に不満を口にするようになっていたのだ。

かつてであれば、ほんのわずかな疑問や不満を漏らすことすら「神聖冒涜」として血生臭く処刑され、封じられていた暗黒の空気が、今、ユネットの登場によって完全に崩壊し始めていた。

ついこの前まで、異端の烙印を押されることをあれほど恐れていたはずの民衆。だが今や人々は、一生届くかどうかも分からない神殿の「気まぐれな奇跡」よりも、目の前で確実に、安価で病を退けてくれるユネットの『薬』の方を、遥かに高く評価し始めていたのだ。

「一体どういうことなんだ。ユネットはそれほど素晴らしい薬を自力で開発して安く提供しているのに、皇室はそれを大量に買い叩くどころか、国家の予算を使って全国の貧民にまで無償で配っているというのか?」

神殿の上層部は、この恐ろしい民衆の反応と、時代の潮流に激しい動揺を隠せずにいた。

ユリアとエノックが事前に周到に仕込んでいたこの医療政策は、彼らの貧弱な予測を遥かに超える凄まじい速度で、帝国の隅々にまで浸透していったのだ。

もし、この画期的な新薬が一部の特権階級向けに高額で出回っていたならば、途中で欲深い貴族たちの利権が絡み、価格が不当に吊り上げられて頓挫していた可能性もあった。

だが、現実は違った。誰もが日常的に手に取れる驚くほどの安価であり、しかも皇室が直接流通の全責任を握っている。だからこそ、神殿側がどれほど圧力をかけようとも、不当な中抜きや値上げといった汚い“横やり”を入れ込む余地など、最初からどこにも残されていなかったのだ。

「……薬の開発から、この国家規模の流通に至るまで、まさかすべて計算通りに仕組まれていたというのか? 最初から……あの女の手のひらの上で?」

あまりにも完璧で迅速な展開に、神殿の最高会議室の空気は、鉛のように重く沈み込んでいた。

集まった高位神官たちが、どう対処すべきか誰一人として決断できずにいた、その時――あろうことか、先日の緊急会議にも出席していた最高位の老神官の一人が、懐から何かを隠すように口にしているのが見つかった。

「……神官、今、我が目の前で一体何をなさっているのですか?」

低い、けれど背筋を凍らせるような冷徹な声が響いた。声をかけたのは、リリカだった。

「い、いや……これは……その、断じて不審なものでは……」

問い詰められた老神官の手の内にあったのは、紛れもない、ユネットの最新作である『育毛剤(内服薬)』だった。本来であれば神職にある者が飲む必要など微塵もなく、教理の観点から見ても、用途が完全に違うはずの禁忌の品。

「神殿の厳かな威信のため、これまで民に対して散々『異端の魔女の毒である』と糾弾し、不買を命じてきたユネットの薬を、他ならぬあなた自身が陰で使っていらしたのですか?」

「も、申し訳ありません、聖女様……! ですが、その……髪が抜けて頭頂部が寂しくなるというのは、ただの外見の軽薄な問題とは言い切れず、毎晩夜も眠れぬほどの深い精神の苦痛でございまして……」

見苦しい言い訳にもならない弁明を聞くリリカの双眸が、激しい怒りによって真っ赤に燃え上がった。

水を打ったように静まり返った会議室に、彼女の底知れぬ怒気の圧だけが、はっきりと満ち満ちていった。

冬の舞踏会で自分からすべてを奪い去ったように、今また、見えざるユリアの不気味な影が、この神聖な神殿の中枢にまで深く差し込もうとしていたのだ。

混乱は、もはや神殿の制御を完全に超えて広がっていた。

どうやってこの未曾有の局面の収拾をつけるべきか――ただでさえ宗教的な権威が失墜しかけている難しい局面において、他ならぬ身内の高位神官が、神殿の内部で堂々とユネットの品を愛用していたのだ。それも、彼らが最も激しく排斥していた『薬』と呼ばれる禁断の品を。

「信徒たちには『魂が汚れるゆえ、ユネットの物など決して買うな』と厳しく説教しておきながら、ご自身は自らの美髪のために、陰で貪るように使っていらしたのですか?」

リリカの問いは穏やかだったが、その響きは刃物のように冷たかった。彼女がその薬の真の価値と効能を知らずに口にしているわけではないのは、誰の目にも明らかだった。

いつもより一段と低い彼女の声音に、周囲の神官たちは恐怖で一斉に息を呑んだ。先日の会議で見せた、あの不遇に耐える柔らかく上品な“可哀想な聖女”の顔とは、完全に別人の、冷酷な統治者の顔がそこにあった。

「このままでは、本当にユネットが我がイヴァネフ教を完全に上回り……人々の信仰の中心に、あの忌々しい女が居座ることになってしまいますわ」

「……」

誰も反論できず、重苦しい沈黙がドロリと落ちる。

「私は、このように神を裏切り、自らの欲に負けた不敬な者を、これ以上神聖な神官として認めることはできません。……皆様は、どうお考えですか?」

リリカが冷たく視線を巡らせると、その圧倒的な威圧感の前に、誰一人として異を唱えることなどできなかった。

静まり返った会議室の奥から、セブリノ神官長が低く重い口を開いた。

「民がどれほど我ら神官の奇跡の治療を必要としているか、今一度、教理を大々的に説き明かすべきところではありますが……。現実問題として、あの安価な薬が市場に出回ってからは、神殿を訪れる病人の数は目に見えて、明らかに激減しております」

隠しきれない困惑と焦燥をにじませながら、彼はゆっくりと首を傾げた。

「先日の『地方への神官派遣に関する国家協定』の場で、我が神殿が最後まで条件を譲らずに折れなかったのも……すべては、王家がこの巨大な医薬事業を裏で進めているという確信があったからでしょうな」

神官長はわずかな間を置き、静かに視線を上げた。

「――いずれにせよ、近く予定されている皇室との『最終交渉』の場で、何かしら我が神殿の絶対的な威信を示していただく必要がありそうです。……そうではありませんか、聖女リリカ様?」

「ええ、その通りですわ。セブリノ神官長」

リリカは冷酷に深くうなずき、張り詰めた調子を一切崩さないまま、氷のような声で続けた。

「神から選ばれた我らだけに授かった、あの神聖なる『治癒』の奇跡は、人間の薄汚れた手で調合されただけのただの薬草の薬とは、その本質において根底から異なるものですわ。皇室の連中には、その絶対的な格の違いを、身体の芯から理解していただかねばなりません」

淡々とした口ぶりの裏に、絶対に一歩も譲る気のない強硬な硬さがにじむ。

「ゆえに――これまでの不敬の数々を帳消しにするためにも、皇室には我が神殿に対し、相応の莫大な対価を支払っていただく必要がありますわ」

一拍置き、彼女は美しい目を細めて残酷に言い放った。

「もし、それが受け入れられないと言うのであれば……」

言葉はそこで不気味に切られたが、その後に続く破滅の含みは、その場にいる全員に伝えるには十分すぎるものだった。



しかし、残酷な現実を言うならば、その最終交渉の席を整えること自体が、もはや神殿側にとって容易なことではなかったのだ。

かつてであれば、絶大な宗教権威を背景に、皇室側がわざわざ神殿へと自ら足を運び、神官たちの都合に合わせて平伏するのが世界の当たり前だった。

だが、現在のフィアステ帝国は違う。

実権を握るエノック皇太子は、先の会談で提示した強硬な条件を一切変更せず、もしこれが受け入れられないのであれば、我が皇室には神殿と交渉する意思など毛頭ないと、はっきりとした冷徹な態度を示してきていたのだ。

その一切の妥協を許さない皇室の姿勢に、老神官の一人が恐怖を押し隠すように低く呟いた。

「……あの若造、ユネットというただの化粧品店の医薬産業を後ろ盾にしたくらいで、少々我が神殿に対して強気に出過ぎているのではないか?」

新して、その諸悪の根源である“ユネット”に関しても、イヴァネフ教側には、不敬だ、違法だとぶつけたい文句が山ほどあった。

だが、そうした互いの激しい思惑を水面下で一つ一つぶつけ合い、激しい火花を散らした末に――重苦しい静けさが支配する謁見の間で、ようやく、両者は同じ交渉のテーブルに着くこととなった。

「エノック皇太子殿下。国の最高権力者であるあなたに直々にお会いするというのは、随分と骨が折れるものですな?」

最初から、嫌みと皮肉を一切隠しようともしない、無礼な声が室内に響いた。

セブリノ神官長は、豪奢な椅子に深くもたれかかったまま、卓の向こうに座る若き皇太子を、蛇のような目でじっと見据えた。

実際のところ、現在の皇室は官僚による徹底的な防衛線を敷いており、行政官を介さずにエノック本人に直接面会すること自体が、神殿の権力をもってしても至難の業だったのだ。

その事実だけでも、すでに両者の立場が「対等ではない」という不愉快な空気が、室内にねっとりと漂っていた。

「我が神殿の優秀な神官たちを、帝国各地の辺境へ派遣しないという選択をされたのは結構ですが……」

神官長はあえて言葉を区切り、自らの口角を歪んだ形に持ち上げた。

「その頑なな決定の間に、随分と民に対して冷淡になられたようだ。帝国の民がどれほど病に苦しもうと知ったことではない――あの忌々しいユネットの薬さえ売れれば、皇室の懐が潤えばそれでいい、ということですかな?」

それは、大衆の面前であれば即座に不敬罪に問われかねない、露骨極まりない挑発だった。

国家協定を結ばないのは、民の健康のためなどではなく、“人々をあえて不完全な薬に依存させ、皇室が独占的に暴利を貪るつもりなのではないか”――そんな悪質な含みが、その言葉の裏にはべ当たりと張り付いていた。

しかし、その剥き出しの不躾な言葉に対しても、エノック皇太子は表情一つ変えなかった。彼はその澄んだ瞳でセブリノを真っ直ぐに見据えると、静かに、けれど明確な声で言い放った。

「――むしろ」

彼は、さらに深く、神殿の核心へと一歩踏み込む。

「この期に及んで、黄金(カネ)のことしか考えていないのは、他ならぬイヴァネフ教の方ではないのですか?」

ぴたり、と、その場のすべての空間が凍りついたように静まり返った。

交渉に同行してきた神官たちの何人かが、あまりにも直球すぎる痛烈な指摘に、思わず顔色を最悪に変えてガタガタと動揺した。

完全に図星を突かれ、反論の言葉すら見つけられずに、情けなく口を金魚のように開閉させる者もいる。

室内のすべての視線が、一斉に総責任者であるセブリノ神官長へと集まった。

この若き統治者が、次に一体どれほど恐ろしい言葉を紡ぎ出すのか――それを待つ、張り詰めた沈黙が、謁見の間を支配する。

……さて、この空気、もはや燻っていた火種は完全に巨大な爆薬へと変わっていた。この後、エノックがどう切り返すかで、何百年と続いてきた神殿と皇室の立場が、一気にひっくり返りそうな危険な流れだった。

「我が神殿の神官たちの態度や、奇跡の治療に対する感謝の問題には一切目も向けず、ただ法外な金額の支援金ばかりを一方的に要求しているのは、あなた方のほうではありませんか」

それに対し、エノック皇太子は驚くほど冷静なトーンで、イヴァネフ教が長年隠蔽してきた構造的な問題点を淡々と指摘し始めた。

彼らの教理では、軽い風邪であっても命に関わる重病であっても、神の前には平等であるという名目で「同じ治療費」を建前としては徴収することになっている。ならば、なぜ患者が直接神殿に赴いて治療を受ける場合に限って、それとは別に、天文学的な「特別祈祷料」という名の不当な別料金を上乗せして徴収しているのか。

「我が皇室が、あなた方の要求通りにイヴァネフ教への年間支援金をどれほど増額したところで、実際に最前線で神聖力を使って民を救う高貴な神官の数が、一人でも増えるわけではないでしょう。……ならば、その膨大な予算をユネットの医薬事業に投資し、人間による正しい医術を発展させたほうが、この国に生きるより多くの無力な民を、確実に救えるはずです」

淡々としながらも、その言葉には、一切の迷いも妥協もない強固な意志がはっきりと宿っていた。

「……皇太子殿下。お言葉ですが、あなた様はあの異端の薬に続いて……神の領域である命を扱う『医者』とやらまで、人間の手で勝手に作り出すおつもりですか?」

同行していた高位神官の一人が、恐怖に声を震わせながら、慎重に問いかけた。

「――イヴァネフ教の神殿で、ただの熱病の治療を一度受ければ、平民の半年分の生活費が瞬く間に消えてなくなるのが、この帝国の現実です」

エノックの言葉には、激しい感情の起伏こそこもっていなかった。だが、こもっていないからこそ、その冷酷な事実の重みが、聴く者の胸に鋭く突き刺さる。

「もし、その治療の後に再び同じ熱病が出たとしても……その時にはもう、全財産を失った平民には、二度目の治療を神殿に乞う機会すら残されてはいないのですよ」

エノック皇太子の表情は、すでに自らが進むべき未来の覚悟を完全に決めている、そんな絶対的な君主の佇まいをしていた。彼は淀みなく口を開く。

「ですが、皇室がその予算を使って、彼らに一銭の負担もなく解熱剤を飲ませ、何が原因でその恐ろしい発熱が起きているのかを、医学的に正確に突き止めて治療できるのであれば……患者の生存率は、あなた方の奇跡を待つよりも、遥かに上がるのではありませんか?」

国家の限られた支援金によって、イヴァネフ教の最高の治療を受けられる特権階級の人間など、この広大な帝国においてほんの一握りに過ぎない。だからこそ、神官の治療を直接受けようとすれば、どんなに裕福な平民であっても、一瞬で家が傾くのだ。多くの場合、先祖伝来の土地を売り払い、全財産をかき集めるか、悪質な高利貸しから借金をしなければ、神の慈悲すら受けられない。

たった一度の病に罹っただけで、その後の人生のすべてが悲惨に崩壊していくなど、あまりにも残酷で、不条理な世界だった。

「我々は、イヴァネフ教と一切の交渉を断絶すると言っているわけではありません。比較的症状の軽い日常的な病人には、安価な薬を使わせてその場で治癒させ、神聖力を以てしても一刻を争うような重病や緊急の患者だけを神殿の神官に任せる――。そうして役割を明確に分担すれば、あなた方がいつも仰っている、神殿で説く神官の崇高な教えや役割も、未来永劫失われずに済むのではありませんか?」

それは、神官たちの「待遇改善」や「特権の維持」ばかりを声高に主張して、前回の交渉を身勝手に決裂させた神殿に対する、これ以上ない最高峰の皮肉であった。



セブリノ神官長は、目の前のエノック皇太子が、話を巧妙に金の本質や人道的な問題へとすり替えている以上、これまでの古いやり方の主張がそのまま通ることはないと、内心で確信していた。

この若き皇太子の意志は、すでに鋼のように固まっている。

その事実が、何よりも神官長の傲慢な自尊心を激しく逆撫でした。

自分の目の前に座っている、まだ戦場の青臭さの残る若造が、自らの下した青い判断に対して絶対の自信を持っている――その生意気な態度が、どうしようもなく気に入らなかったのだ。

「エノック皇太子殿下は、随分とご自身の知恵に絶対の自信がおありのようだ。……だが、その人間の手で作った不完全なやり方で、もし民の身体に恐ろしい『副作用』が出たらどうされる? 薬のせいで、かえって症状が最悪に悪化して命を落としたら、一体誰がその責任を取るのだ? ……我が神殿の神聖力は、病の原因が何であるかなど人間の浅知恵で分からずとも、ただ祈りを捧げるだけで完璧に治療できる。それこそが、偉大なる神が我らにお与えになった、絶対的な奇跡の力なのだからな」

セブリノ神官長の目が、獲物を狙う蛇のように冷たく光る。

彼は今度は、人道論ではなく「政治的なパワーバランス」という別の角度から、エノック皇太子を激しく揺さぶろうと言葉を尖らせた。

「……それとも、その不敬極まりない医薬事業とやらは、病床におられる偉大なる皇帝陛下も、すべて同意しておられることなのですかな?」

「――皇帝陛下が、この私に国家の全権を委ねられたのは、周知の事実です」

「つまり、本日のこの交渉の場であなたがおっしゃった不遜な戯言はすべて、皇帝陛下のご意志ではなく、皇太子殿下、あなたご自身の身勝手な判断だ、ということですか?」

セブリノ神官長の声は、言葉を重ねるごとに次第に鋭さを増し、謁見の間の壁を震わせた。それは今にも、国家への恫喝に変わりそうな、凄まじい宗教的な圧を帯びていく。

「殿下、よくお考えなさい! あなたのその青く誤った判断一つで、これからどれほど多くの罪のない帝国民が命を落とすことになるのかを! あのユネットの不届きな小娘に、一体裏で何を吹き込まれたのかは知りませんが……あなたは、不確かな病の治療に関して、神の奇跡ではなく、ただの不完全な人間の判断を信じるおつもりか!」

「……」

「帝国の輝かしい歴史を思い出しなさい。このまま独善を貫けば、あなたは歴史書において『神を捨て、偉大な国家を滅ぼした愚かな暗君の皇太子』として、永遠に不名誉な名を刻まれることになりかねませんぞ」

皇太子とはいえ、所詮はまだ二十歳にも満たない、世間知らずの若者に過ぎない――神官長の口ぶりは、そう明確に彼を見下していた。

脅せばいいのだ、この程度の若造など。あえて自分の浅薄な立場で、歴史ある神殿の伝統を変えることが、どれほど恐ろしい破滅を意味するのかを、身を以て分からせてやればいい。

「皇帝陛下も、ずいぶんと残酷な御方だ。自らの手を汚さぬよう、この皇太子殿下にすべての厄介な泥を被る役目を押し付けられたのですな。初孫に対して、少々酷が過ぎる。……上手くいけばすべての功績は病床の皇帝のもの、もし失敗して民の怨嗟が爆発すれば、エノック皇太子殿下、あなたがそのすべての罪の責任を、一人で背負って破滅することになるのですよ?」

そうして容赦なく言葉の鞭を振るった後、セブリノ神官長は、今度は一転して甘い「飴」を目の前に差し出して見せた。

「……おっと、これは失礼。交渉の過程で、我が方の神官たちの間で何か重大な誤解があったのかもしれませんな。辺境の過酷な地にまで赴いて命懸けで働く神官たちの、当然の待遇改善の要求が、もしフィアステ帝国の財政に多大な負担をかけてしまっていたというのであれば……神殿の最高責任者である私の名において、ここで寛大にお詫びいたしましょう」

セブリノ神官長の態度は、まるで手のひらを返したかのように、信じられないほど柔らかく、包容力のあるものへと一変した。

「殿下とこうして、直接胸襟を開いてお話しできるのは、本当にありがたいことです。……あのユネットの危険な医薬産業とやらが――」

「……あのような、民の命を危険にさらす無許可の業務を今すぐ全面的にやめるというのであれば。我が神殿としても、神官を派遣する際に皇室から受け取っていた例の支援金について、これまで通り大幅に調整することは、今回特別に控えて差し上げてもよろしいですぞ」

わざわざ自分たち皇室の側で、そんなリスクの大きい危険な仕事を抱え込んでまで、得るものなど何があるというのだ。これまで、偉大なる先代の皇帝たちがやってきた通りに、神殿にすべてを丸投げして維持していれば、何の問題も起きないのだから。

セブリノ神官長は、今回のこの交渉が、皇室にとって「毒」にも「薬」にもなり得ること、そしてこれ以上の独断は身を滅ぼすということを、エノック皇太子の幼い脳髄に完全に理解させようと、言葉を尽くした。

「……」

だが、いつもであればどんな傲慢な言葉に対しても、即座に冷徹な正論で言い返してきたはずのエノック皇太子が、今回はどうしたことか、すぐには口を開かなかった。

その長い沈黙を見て、セブリノ神官長は、場の流れが完全に自分たち神殿側に傾いたと確信した。彼は勝利を確信し、さらに声に力を込めて畳みかける。

「これまでと全く同じ金額の支援金を、ただ例年通りにお支払いいただく――。提案としては、これ以上なく破格でしょう? もし、来年になってまた神殿側が条件を変えてくることをご懸念されるのであれば、今回特別に、数年単位での長期の固定契約を結ぶという形でも、私は一向に構いませんよ」

「し、神官長様……?」

後ろに同行してきた若い神官が、あまりにも神殿側が譲歩しすぎではないかと、心配そうな視線でセブリノ神官長の背中を見つめているのが感じられた。

(フン、愚か者が。今重要なのは、目の前の一時的な金などではないのだよ)

ここで、この傲慢なエノック皇太子が、恐怖に屈してコクリと首を縦に振りさえすれば、それですべては我々の勝ちなのだ。

フィアステ帝国におけるイヴァネフ教の影響力が弱まることを、あそこまで恐れていた神殿の老人たち。もし、このエノック皇太子の口から「やはり医薬産業は危険極まりないため中止とし、これまで通り医療の分野はすべて神殿に一任する」という公式な決定を引き出すことができれば――?

ちょうどプリムローズ公爵家を勘当同難で飛び出してきたばかりのあのユリアには、皇室という後ろ盾が消えれば、もはやただの無力な小娘に過ぎない。となれば、彼女が夢見た医薬産業など、二度とこの世に産声を上げることはできなくなる。

たとえ彼女が一人でどれほど足掻こうとも、すでに国を統べる皇室そのものが――。

すでに皇室が完全に背を向けたユネット側など、神殿の権力を使えば、いくらでも容易に圧殺できる赤子のような相手だった。

操作して、二度と彼らが医薬産業に手を出せないよう、今度こそ公的に「異端の魔女」の名を以て、社会的に完全に抹殺してしまえばいいのだ。

「……よく考えてみてください、殿下。神殿の神官に頼ることができず、我が子の亡骸を抱いて泣き崩れる哀れな民たちが、その時、一体誰を呪い、誰を頼ることになるのかを」

その後で、形勢が完全に逆転してから、皇室からの支援金をこちら側の言い値で引き上げてやればいい。その頃には、フィアステ帝国における宗教的な影響力を心配する必要もないほど、イヴァネフ教がこの世界の医療という分野を、完全に、独占的に掌握しているはずなのだから。

もはや「神ではないただの人間が、人間の知恵で人を治療する」などという不敬な思想そのものが、二度とこの世に生まれてこないよう、恐怖の歴史を以て徹底的に押さえ込めばいいのだ。

「どうか、無理な野心はなさらないでください。皇帝陛下がご自身の病を心配なさるあまり、この若きエノック皇太子殿下に、あまりにも多くの重すぎるご判断を背負わせすぎておられるのではありませんか。殿下ご自身も――」

「――あなた方は、我が皇室が、このフィアステ帝国から『イヴァネフ教を完全に切り捨てる』というこの重大な決断に、私が何の同意もなしに踏み切ったと、本気で思っておられるのですか?」

 



 

「……なっ」

エノック皇太子はしばらくの深い沈黙の後、ゆっくりと、けれど地を走るような重々しい声で口を開いた。

セブリノ神官長の老いた眉が、ピクリと不快そうに跳ね上がった。だが彼は必死に湧き上がる焦りを押し殺し、まずは目の前の若き皇太子の言葉を、値値踏みするように聞き届けることにした。

「――かつて、イヴァネフ教が自らの権威を守るため、医薬を扱う市井の賢者たちを『異端の魔女』だとして凄惨な魔女狩りを始める前は。この大陸の各地には、神聖力など持たずとも、薬草を用いて民の軽い病気くらいなら難なく治せる、優秀な人間が大勢存在していました」

エノックの瞳の奥が、冷たく、静かに据わっていく。

「人間が神に代わって他者の命の選別という判断を下す以上、そこにはそれ相応の、血の滲むような医学的努力が必要です。かつて我がフィアステ帝国が誇り、歴史の闇に葬り去られたあの輝かしい医術の膨大な記録は、国外の他国には未だに大切に残されていると聞いています。……我が皇室は、それらの国々と今一度、深い交流を図るべきでしょうね」

しかし、エノック皇太子の口から飛び出したその発言は、セブリノ神官長の予測を、あまりにも大きく裏切る破滅的な内容だった。

「……な、何だと!? まさか、あの西方のイスタ王国の、あの薄汚れた蛮族どもと手を結ぶというのか……!?」

「あのような、神を信じぬ不敬な農民たちと、国家の協定を結ぶと……!?」

同行していた神官たちが、あまりの衝撃に立ち上がって絶叫した。

「ただ宗教が違うというだけの理由で、彼らを『蛮族』などと蔑むあなた方の傲慢さには、到底同意しかねますね。少なくとも彼らは、あなた方のように祈るだけで何もしない連中とは違い、人類の尊い学問である『医術』の歴史を、何世代にもわたって命懸けで守り続けてきたのですから。……私の調べによれば、当時の帝国の技術よりも、さらに独自に発展させている医療分野もあるとか」

「殿下――っ! あなた様は、後で必ずや神の罰を受け、激しく後悔なさいますぞ!」

「――そんなことは、百も承知しています」

エノック皇太子の口から出たその拒絶の言葉は、奇しくも、先の教団会議でリリカが放ったものと全く同じ単語だった。

だが、その低い声に宿る、何万人もの命を背負ってきた圧倒的な『王の重み』は、彼女の薄っぺらな虚栄心のそれとは、まるで次元が違っていた。

「これまで、我が帝国がイヴァネフ教という寄生虫に頼りすぎできた時間が、あまりにも長すぎたのですよ」

沈んだ瞳とは裏腹に、エノックの声は、戦場の嵐のように低く、荒々しく響き渡った。

彼は今、神殿の脅しに怯えているわけでは決してない。ただ、かつて自ら剣を執り、血生臭い最前線に立って戦っていた頃の、あの忘れもしない「絶望の記憶」を鮮明に思い出しただけだった。

エノック皇太子は、今でも目を閉じれば、昨日のことのようにはっきりと脳裏に蘇らせることができた。

自分が信じていた神殿の神官が、前線への派遣を拒否して「来ない」と知ったときの、あの兵士たちの絶望の叫び声を。

怪我人を前にして何もしてやれず、ただ血が流れるのを立ち尽くして見つめるしかなかった、残された人々のあの無惨な表情を。

『――し、神官様は、今日も来てくださらないのですか!? うっ……! 私は、ただ戦って不当に負傷しただけじゃない……! 国のために、皆の未来のために、命を懸けて戦ったというのに……!』

『お願いです、誰か、お母さんを助けてください! お願いします、神様……!!』

血を流し、肉を裂かれ、あまりの痛みに泥を噛んで呻く者たちに対して、当時の自分は何一つ、救いの手を差し伸べることができなかった。どう対処すればいいのか、止血の方法すら分からず、ただ恐怖に身体を硬直させ、動くことすらできなかったのだ。

『せ、せめて、止血だけでも……! 近くの森にあるという、あの効く薬草でも取ってきます! それか、どうすれば彼らを救えるのか、その知識だけでも……誰か教えてください……!』

『――いいえ、それは神殿の法により、イヴァネフ教が“異端の魔術”として厳に禁じている大罪行為です。人間が勝手に薬草を扱ってはなりません』

『この極限の状況で、お前たちは未だにそんなくだらない綺麗事を言うのか!?』

『……だからこそ、神官様が来られない今、我々の誰も、この負傷者にどう対処すべきか、正しい方法が分からないのです……』

かつての戦友たちは、死の間際に必死に自分へ訴えかけていた。

イヴァネフ教という、金で動く腐った組織だけに国の医療を頼っていては、絶対に駄目だと。その盲信的な選択がもたらした、今のこの凄惨な戦場の現実を見ろ、と。

人々を、国を守るという大義名分のもとに最前線へと送り出しておきながら、国の中枢は何一つ、彼らを救うための実質的な手を打てていなかったのだ。

『皇太子殿下、あの神官どもが今回、前線に来なかった本当の理由を考えてください! このまま神殿の言いなりになっていれば、他の安全な地域の神官たちまで、金を理由に神殿に引きこもって戻ってしまうかもしれません!』

『だが……!』

『あいつらは、イヴァネフ教を深く信仰していない異教徒の兵士と、前線で些細な争いが起きた、とそれらしい言い訳をしていたでしょう! 信仰のない穢れた者に、神聖なる奇跡の力を使うことは神の法によってできない、と……!』

『――すでに、我がフィアステ帝国から『前線治療費』の名目で、莫大な国家予算を受け取っておきながら、自分たちの都合で神聖力は使わないというのか……!!』

「……せめてあの時、彼らの痛みを一瞬でも忘れさせる『鎮痛剤』さえ、この戦場にあれば」

せめて、死にゆく彼らの、その凄絶な瞬間の痛みを和らげ、人間としての尊厳を守ることくらいはできたはずなのだ。

「もしあの時、傷口を腐らせない『麻酔』と『軟膏』があったなら――神官の奇跡などなくとも、外科の技術を持つ人間だけで、十分に応急手術くらいはできただろうに」

すでに軍を除隊した、多くの哀れな傷病兵たちのこれからの人生はどうなるのだ? 彼らは今もなお、戦場での恐ろしい肉体のトラウマと不眠に苦しみ、消えない激しい痛みに苛まれ続けている。

だが、ユネットが今、実用化に向けて水面下で準備を進めているというあの『安定剤』や『睡眠薬』があれば……彼らに、人間としての普通の日常と、安らかな夜を与えてあげることができるのだ。

「人間というものは、単に肉体の傷だけが痛むわけではないはずだ」

しかし、今のようにすべての医療をイヴァネフ教の暗黒の支配下に置き続ける限り、彼らは治療を受けることができない。

「あなた方は、過去に凄惨な性的暴行や横領の暴力を犯した身内の神官を、教団の権威のために一度としてまともに罰することはなかった。我が皇室が、帝国法を適用して彼らを厳罰に処そうとしても、あなた方はいつも『神官たちは帝国の民ではなく、偉大なる神の僕である』という都合の良い盾を並べ立てて、国家の正当な司法を阻んできたではないですか」

だからこそ、自分たちは今、神を信じているのか、それともただの欲深い「神官」という人間を信じているのか、分からなくなるのである。

もちろん、自分が今ここで神殿を切り捨てるという未曾有の選択をしたせいで、一時的に神殿からの報復を受け、まともな奇跡の治療を受けられずに命を落とす不運な民が出るかもしれない。

「だが……」

エノック皇太子は、自らの下す決断が、この帝国にどれほど巨大な激震の波紋をもたらすかを、すでに誰よりも深く理解していた。

セブリノ神官長の、あの歴史を笠に着た脅し文句の圧に、彼の魂が圧倒されることなど、最初から万に一つもあり得なかったのだ。

すでに彼は、己の選択によって、これからどれほど多くの人々の人生が劇的に変わっていくのかを、その双肩に痛いほどに実感していたのだから。

それは喉を締めつけられるように、呼吸をすることすらできないほどに、重く、苦しい責任。

「――私は、愛する患者が何の処置も受けられずにただ目の前で無惨に死んでいくくらいなら。たとえ相手が神の使徒ではなく、ただの不完全な人間であったとしても、その温かい『医術の手』によって救われたいと、切に望むはずだと思います」

彼はただ、自らの胸の奥にあるその絶対的な本心を、どうやって最も力強い言葉にして叩きつけるか、口にするまでにほんの少しの時間を要しただけだった。

「……は、ハハハ!」

セブリノ神官長は、あまりの発展的な拒絶に、狂ったように短く笑った。周囲の空気は、今にも戦争が始まりそうなほどの緊迫感でパチパチと張り詰めていたが、エノック皇太子は眉一つ動かさず、微動だにしなかった。

「……激しく後悔なさるでしょうな、皇太子殿下。あなた様は、自らの手でこの素晴らしい帝国の未来を、完全に地獄へ叩き落としたのだ」

そうかもしれない。

だが、エノック皇太子は、自らの決断が常に100パーセント正しいなどと、傲慢に過信していたわけでは決してない。

彼はただ、盲目的に信じているだけなのだ。

あの小さな工房で、民を救うために毎日泥にまみれて血と汗と涙を流し続けてきた、ユリアをはじめとする若き錬金術師たちの、あのひたむきな努力を。

そして、かつて自分の傍らで、無念のまま倒れていった勇敢な戦友たちの、あの遺言を。

『――エノック殿下。実は、まだ殿下にはお伝えしていない、とっておきの秘密事項がございますの』

ユリアは、この最終交渉の前に、一人重圧で悩んでいた自分に対して、あの悪戯っぽくも美しい微笑みを浮かべながら、そう告げてくれていたのだ。

まだ世に一切明かされていない、神殿の奇跡すら過去にする、究極の“薬”がすでに完成しているのだ、と。

――『エリクサー』。

それこそは、古の神話の時代に語り継がれ、神殿が歴史から完全に抹殺したはずの、すべての病と傷を一瞬で癒やす、錬金術師の放つ「絶対の秘薬」であった。

 



 

 

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