こんにちは、ちゃむです。
「憑依者の特典」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
135話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 鏡の公爵アナクシア
歓談を楽しむ準備を整えているうちに、ある魔族と四人の人間の足取りは廊下の奥へとたどり着いた。
五組の足が止まった先には、複雑な模様が施された両開きのアーチ型の鉄の扉があった。
「何だ?この扉、勝手には開かないみたいだな?」
「大きくて華やかですね。これまで通ってきた部屋とは違う感じです。もしかしたらボスルームかもしれません」
「まあ、うちのアイレット団長なら全部計算済みでしょう。タンク、何してるんだ?早く開けろ、テシリド。」
「そうだ。」
アナシアが口を挟むまでもなかった。
ここまではすべて順調だ。
「ははは!愚かな連中め!これから何が起こるかも知らずに!」
もうすぐだ。
正体を明かした彼女を見て、衝撃と恐怖に震える人間たちの姿を楽しめる時が、もう間もなく訪れる。
銀髪の聖騎士が扉を押す。
ギィィィィ—
あえて油を差していない蝶番が、耳を裂くような悲鳴を大きく美しく響かせた。
「さあ、行け!」
扉が開く。
それに伴い、アナシアの顔に笑みが浮かび、呼吸が軽くなった。
「空っぽのボスルームを見て、驚くがいい!」
ついにアルヒェルの姿が現れた、その瞬間。
「来たの?ずいぶん待ったわ」
「……え?」
本来は空のはずのボスルームに、誰かがいた。
「え?」
「え?」
「うん?」
イペル、ヘステオ、アシュが呆然とした表情で間の抜けた声を漏らした。
アルヒェルで最も奥まった高い場所にある華やかな王座。
そこに、傲然と頬杖をついて座る女性。
長く垂れた髪の淡い桃色が、どこか見覚えがある。
しばしの沈黙の後。
「アイレット!?」
「お二人いらっしゃるの!?」
「何だよ!なんでボスがうちの団長の姿をしてるんだ!」
三人は本物のアイレットと偽物のアイレットを交互に見比べ、混乱と驚きに満ちた表情を浮かべた。
玉座に座るアイレットの視線は、自分の姿を奪った相手にしっかりと向けられていた。
彼女は偽物に向かって言った。
「椅子がこれしかなくてね、ここに座って待っていたの。少し時間がかかるでしょう?」
「……!」
それは明らかな挑発だった。
「よくも……!」
怒りに震える偽物のアイレットの桃色の髪がふわりと揺れる。
「私の玉座に座るなんて!」
偽のアイレットの背後から、二本の鎖が鋭く伸び出した。
それは黄金と宝石で飾られた玉座に座る本物のアイレットの顔めがけ、一直線に突き進む。
「……」
玉座に身を預けた彼女は、微動だにしなかった。
そのまま無防備な彼女を貫こうとした、その瞬間――
キィン!
左右の死角から二人の騎士が現れ、それぞれ一本ずつ鎖を弾き飛ばした。
プリンツとレイウィンだった。
イペル、アッシュ、ヘステオは依然として混乱していた。
「今、どういう状況なんだ?」
「まさか……ここまで私たちを連れてきたお姉さまの方が偽物……?」
「そんな、あり得ない!」
そのとき、テシリドが三人を残して一人で歩み出た。
「やれやれ」
顔を上げた彼の視線は、玉座のアイレットへ向けられていた。
微笑みを浮かべながら。
「心配したよ」
カーペットを踏みしめ、本物へと近づくその足取りに迷いはない。
「無事でよかった」
「テリー……」
これまで本当に最終ボスなのではないかと思えるほど冷ややかな眼差しで一行を見下ろしていたアイレットの表情が、ようやく少し和らいだ。
「見抜いていたのね」
「当然だよ」
「やっぱりね」
アイレットが安堵を感じた、その瞬間だった。
テシリドの視線が、彼女の左右に控えていた二人の騎士へと向けられる。
「それで、その二人は何だ?まさか……」
「うん?」
「死刑囚か?」
「……何だと!」
無遠慮な物言いに、見習いの二人が思わず声を荒げた。
アイレットが慌てて取りなす。
「紹介するわ。左のピンク髪の騎士見習いは、私の兄よ」
「……失礼しました」
「ふん」
「それから、右の騎士様は……」
一連の会話で状況を完全に把握したアシュが、慌てて前に出た。
「お久しぶりです、レイ兄さん!」
「……レイウィン・バレンシュタイン小公爵様でいらっしゃいます」
「えっ?ただの兄さんじゃなかったのか」
「あなた、なぜここにいるの、暗殺者?」
「お姉様に雇われました」
ここまでで、誰が偽物で誰が本物なのかは明らかになった。
アナシアはもはやアイレットの姿を借り続ける理由を失った。
「今、私の前で……!」
光の輪がアナシアの足元から始まり、頭のてっぺんまで駆け上がる。
ピンク色の髪の神聖騎士の姿は消え、紫の髪を持つ妖艶な美女へと変わった。
「のんびり挨拶なんてしている場合かしら!」
ぶわっと、魔気が燃え上がる炎のようにアナシアを包み込んだ。
彼女がダンジョンの主として真の姿を現すと、アイレットのシステムウィンドウにメッセージが浮かび上がる。
[システム]ダンジョンの主、魔界序列207位『鏡の公爵アナシア』が出現しました。
[システム]警告。「混沌の加護」の影響により、ダンジョンの主の力が徐々に強化されています。序列がリアルタイムで上昇します。
アナシアは赤く光る瞳を瞬かせ、咆哮した。
「現れよ、我が眷属たち!」
アナシアの左右に、六枚の鏡が召喚され、屏風のように広がった。
その中から、黒い何かがどろどろと流れ出てくる。
泥のように見えたそれらは形を成し、大きなものから小さなものまで様々な生物の姿となって、アルヒェルを埋め尽くした。
〈我らはアナシア様のしもべ〉
〈アナシア様、命令を〉
魔族と魔物で構成された軍勢が、アナシアの前に跪く。
その中心に立つアナシアの威圧感が、アルヒェル全体を震わせた。
まさに血筋ある高位の魔族ボス。
研ぎ澄まされた直感が、ヘカイオンの時以上の危険を告げている。
敵の圧倒的な数とボスの気配に、気圧される者はいなかった。
アッシュ、イペル、ヘステオがすぐに私の座る玉座の段へ移動し、テシリド、プリンツ、レイウィンと合流した。
合計六人の味方が、私の前に守るように陣形を整える。
〈ちゃんと位置についてるね〉
アグネスが褒めた。
テシリドを中心に、プリンツとレイウィンが前衛を担い、素早いアシュとイペルが中衛に立つ。
そして最後にヘステオは――
「ふん」
「さあ来い、ヘステオ」
「私をしっかり守ってよ」
「もちろん」
大切で頼もしいサポート役は、私のすぐそばにぴったりと寄り添った。
さて、作戦会議の時間だ。手短に済ませる。
「テリーと私でアナシアを引きつける。他のみんなは眷属を素早く処理して。ヘステオは聖歌をしっかり回して、状況を見ながら負傷者が出たら声をかけて」
「うん」
「わかった」
「了解です」
「周囲の処理が終わったら、牽制と支援を優先して。アナシアの後ろに並んでる鏡が見えるでしょう?あそこから出てくる鎖を防いでくれるだけでも十分助かる。無理にアナシアを攻撃する必要はない」
私以外は全員が近接タイプの編成。
それに、アナシアはヘカイオンのような“当てやすい大型ボス”でもない。
接近戦の最中に動き回る相手へ距離を詰めること自体、簡単ではないだろう。
〈一対一の近接戦を交代で回す余裕はないわ。ほぼあなたたち二人で片付けることになる〉
“あなたたち”と指された私とテシリドは、視線でアグネスの言葉に同意した。
「私は後方に集中して回復も担当するから、タンクは当然テリーね。それと、すごく重要な注意点がある」
全員の視線が集まっているのを確認して、続けた。
「絶対に……しちゃダメ」
「何が?」
仲間たちの顔に疑問が浮かぶ。
聞こえていないわけではない。
「えっと、団長がやるのか?」
「まあ、それはやっぱりお姉さまですよね」
私は念を押した。
「やったら死ぬよ。脅しじゃなくて、本当に死ぬってこと」
「なるほど、そういう意味か」
「うん、わかった」
「注意します」
三日免除の奴隷たちや、現象収集のために来ている傭兵たちは口を挟まなかった。
プリンツとレイウィンも、長い軍隊――いや士官学校での生活で身につけたように、無言でうなずく。
伝えるべきことは伝えた。締めは穏やかにしておこう。
「それじゃ最後に、みんな無事でいてください」
「……」
一瞬、私たちの間に張りつめた戦意が満ちた気がした。
[『試練の魔神殿建築家』が、あなたが働けば働くほど働けなくなるため、ぜひともご注意ください。]
[『均衡を調整する読者』がディス状態のため、「仲間を傷つけずに死ねと言ったのか」と困惑しています。]
[『世界を構築する運営』が悪意ある解釈に不満を示しています。]
同じ頃、アナシアも自軍に命令を下していた。
「我が眷属たちよ」
〈はい、アナシア様〉
「目の前の人間どもを殺し、その死を私に捧げよ。首を持ち帰った者は解放してやろう」
〈……!〉
眷属たちの士気が一気に高まった。
〈解放だ!解放!〉
〈奴隷の運命から抜け出せる!〉
〈先頭の奴の首は俺のものだ!〉
アナシアはなかなか優秀な指揮官だった。
勢いに乗って、彼女が叫ぶ。
「行け、眷属たち!」
それに応じて、私も叫んだ。
「突撃!」
戦闘が始まった。
味方はアナシアの奴隷の眷属たちと激突する。
オーラをまとった刃が鮮やかな軌跡を描くたび、黒い影のような存在が次々と切り裂かれていく。
味方はそれぞれ魔族を斬り伏せ、着実に戦線を押し広げていった。
ヘステオも忙しく動いている。
味方に祝福を与えるだけでなく、敵には広範囲の呪いをかけて弱体化させていた。
ある意味では、魔族たちにとっては他の誰よりもヘステオの方が厄介な存在だった。
テシリドが危険度を安定して引き上げるまでは、私はアナシアに手を出せない。
だから私も周囲の掃討に加わることにした。
味方のディーラーたちがまだ展開しきっていない今こそ、広範囲スキルを使う好機だ。
「神罰」
私の左右に電撃の門が開く。
バリバリバリッ!
横一線に走る雷撃がアルヒェルの左右を薙ぎ払った。
床には二本の巨大な直線の痕が刻まれる。
一瞬で敵戦力の三分の一が消し飛んだ。
「うわ、姉さま……」
「さすが団長!」
「これぞ聖女だ!」
「アイレット、見ないうちにずいぶん強くなったな……」
「俺の妹が聖女に……俺の妹が……」
続けて、私は指を立てて線を描いた。
「断罪」
私が描いた虚空の軌跡。
それはすぐに視界というキャンバスへと写し取られ、魔族たちの魂を引き裂いた。
魔族の数が減るにつれ、赤い群れの向こうにいたアナシアの姿があらわになる。
「なかなかやるな、断罪の執行者!」
カルペイオスと同じ呼び名だ。
おそらくあれが、魔界での私の肩書きなのだろう。
アナシアは、鋭い棘の付いた鎖を両手に一本ずつ握りしめ、床を蹴った。
浮遊する六枚の鏡も、彼女を囲うように追随する。
私へ向かって高速で迫っていたアナシアは、壇上の階段の前で宙高く跳び上がった。
その鏡から、数十本の鎖が私めがけて一斉に放たれる。
「私の玉座から離れろ!」
その時だった。
「あなたの相手は私です」
「……!」
気づけば、アナシアの右側へと回り込んでいたテシリド。
彼は空中でアナシアを横方向へ叩き飛ばした。
ドン!
アナシアの軌道は物理法則を無視したかのように、まったく別の方向へと折れ曲がる。
彼女の体は私へ向かうことなく、外側へと弾き飛ばされた。
四階の高さにあるアルヒェルの壁の中央に、亀裂が走る。
ガラガラと石片が崩れ、影が床へと滑り落ちた、その時――私を狙っていた鎖の一部が、甲高い音を立てながらテシリドへと向かって飛ぶ。
彼は聖剣でそれらをすべて弾き払った。
やがて、粉塵の中から歩み出たアナシアが口を開く。
「いいわね、それでいい」
「……」
「銀髪。まずはあなたをズタズタに引き裂いて、“断罪の執行者”の前に飾ってあげる!」
テシリドは挑発に見事に乗った。
「待って、アイ」
アナシアの注意をより引きつけるためか、彼は私に待機を促す。
〈とりあえず一人でやらせてみて〉
テシリドは、私が神罰で薙ぎ払ったアルヒェルの端を戦場に選んだ。
彼の足が壁をなぞるように、素早く床を蹴る。
鋭く飛び交うアナシアの鎖が、紙一重で彼をかすめ、床や壁に突き刺さる。
「逃げ回るつもり?」
鎖の数は、圧倒的だった。
時間が経つほど、それらはテシリドのかかとをかすめるほど執拗に追いすがってきた。
彼は壁に張りついて走るだけでは足りず、壁そのものを駆け上がり始める。
四階の高さにある壁面を、徐々に高度を上げながら疾走するテシリド。
そんなある瞬間――
「貫いてあげるわ」
アナシアが両手に持つ鎖の武器を振るう。
棘のついた鎖の先端が、テシリドめがけて射出された。
ガキン!
一瞬の差で空を切った鎖が、壁に深く突き刺さる。
その威力は、鏡から放たれる鎖にも劣らないほどだった。
やがて壁面全体に巨大な亀裂が走り、深淵のような闇がその隙間から覗いた。
「直撃したら、この体じゃ耐えられないな」
天井近くにぶら下がっていたテシリドが、ぼそりと呟く。
鎖がかすめたのか、彼の左肩と右太ももから血がにじんでいた。
私が片手をかざすと、その傷はすぐに綺麗に塞がる。
アナシアは、こちらに視線を向けることもなかった。
それを確認したテシリドは、安心したようにすぐさま跳び出す。
刺さったまま回収されていない鎖は、まだ壁に突き立ったままだった。
シュルッ!
テシリドはその鎖を足場にして、アナシアへ一直線に迫る。
振り上げた剣の先に、アナシアの顔があった。
しかし、アナシアの表情にはまったく焦りがなかった。
「拘束」
彼女はテシリドの接近を許さなかった。
四方から鎖がテシリドへと襲いかかる。狙いは攻撃ではなく、拘束だ。
「当たると思った?」
「……」
テシリドの剣先は、アナシアの鼻先でぴたりと止まった。
彼女の頭を断ち割るよりも先に、鎖が彼の全身を絡め取ってしまったのだ。
「テシリド!」
「兄さん!」
「団長!」
味方が鎖に縛られたテシリドのもとへ駆け寄ろうとした、その時だった。
アナシアは聖剣の鋭い刃先を軽くかわしながら、ゆっくりとテシリドに歩み寄る。
彼女は片手でテシリドの顎をつかみ、顔をあちこちから眺めた。
まるで品定めをするような、残酷な仕草だった。
「やっぱりリーダーに似てるわね」
「……」
「それで、声はどうかしら?少し似てる気もするし……もう一度聞かせて。銀髪のお兄さん。ね?」
「……」
テシリドが黙り込むと、鎖が彼の全身を締め付け始めた。
アナシアの唇に、笑みが浮かぶ。
そして彼女は威圧的に命じた。
「歌いなさい」
「……」
「苦しんで、悲鳴を上げなさい」
「……」
「苦しそうに泣き叫びなさい!さあ!」
「……ぐっ」
棘付きの鎖がテシリドの皮膚に深く食い込む。
このままでは全身が押し潰されかねない状況だった。
やがてテシリドが口を開く。
「青き……聖火」
自らの身を焼くことも厭わず、彼は神聖な炎を灯した。
「つまらないわね。たった六階位?」
しかしアナシアの魔気に阻まれ、彼女にはわずかな傷すら与えられなかった。
テシリドの表情がわずかに崩れた、その時だった。
「……!」
アナシアは何かを察したように、慌ててテシリドから距離を取り、その場を離れた。
ドォン!
アルヘンシルの天井を突き破り、雷が落ちた。
それは、ほんの少し前までアナシアが立っていた場所へと直撃する。
続いて、私の私服剣が唸りを上げ、テシリドを拘束していた鎖をすべて断ち切った。
「はぁ……」
駆け寄ってきた私を見て、テシリドは安堵のため息を漏らした。
少し離れた位置にいたアナシアは、こちらを見て笑っていた。
「ついに重い腰を上げたか、断罪の執行官。」
「まあね。あなたの椅子が快適すぎて、ずっと座っていたくなってね。」
「どうせ捨てるところだ。気に入ったなら持っていけばいい。」
「まずは戦利品の分配を考えましょう。いいボスね、あなた。」
その会話は、互いに立て直すための時間を取るという合意でもあった。
アナシアが壊れた鎖を回収している間、私はテシリドの傷を治療した。
やがてテシリドが口を開く。
「情けないが、一人では前線に立つのは厳しいな。鎖の制御が追いつかない。」
「気にしないで。誰がやっても同じよ。オーラマスターがいないんだから。」
個々に動くかのようでありながら、アナシアを守る鎖の連携――それこそが厄介な点だった。
今の彼女を相手にするのは、オーラマスター級を敵に回すのと変わらなかった。
私は戦況を確認した。
味方は着実に奴隷の魔族たちの数を減らしている。
あと少し持ちこたえれば、援護を受けて鎖の処理に回れるはずだ。
それまでは、私が引き受けるしかない。
「とりあえずやろう、テリー」
「了解」
テシリドが私の前に立つ。
役割分担を察したアナシアが、わずかに目を細めた。
「自分より弱い部下を前に出すのか?思ったより狡猾だな」
「魔族の基準で褒めるな。戦術として当然の判断よ」
「盾に隠れるのを正当化するつもり?悪魔が傲慢さで人間に負けるわけにはいかないでしょう」
何かを見せてやる、と言わんばかりにアナシアが口にした。
彼女の背後に浮かぶ六つの鏡のうち、二つが人影を映し出す。
次の瞬間、二人の人物が鎖に縛られたまま、乱暴に引きずり出された。
「きゃっ!」
「ぐっ……!」
金髪の若い男女。
その正体を見抜いたのはプリンツだった。
「王女殿下、王子殿下!」
ヴィンチェスター家の王族――本来なら丁重に扱われるはずの存在が、無残な姿で晒されている。
その光景に、味方陣営の空気が一気に張り詰めた。
アナシアは、単に人質の無事を誇示するために王族を引きずり出したわけではなかった。
彼女は王女と王子を交互に見やりながら、静かに口を開く。
「人質なんて、二人もいらないわよね……?」
ギリッ!
「きゃあっ!」
アナシアの右手に絡みついていた鎖が、セレスティド王女の体を容赦なく締め上げた。
そのまま彼女は鎖を振りかぶる。
「一人だけ返してあげる」
「やめろ――!」
次の瞬間、鎖に吊るされたセレスティドの体が、四階の高さから壁へと叩きつけられた。
「殿下!」
「だめ!」
悲鳴のようなプリンツとレイヴンの叫びが響いた。
セレスティド王女は、三大勢力の力を持たないただの一般人だ。
あの衝撃をまともに受ければ、ひとたまりもない。
〈アイレット!〉
アグネスの声が届いたときには、もう身体は動いていた。
ドンッ!
「……!」
私はセレスティドが受けるはずだった衝撃を、代わりにその身で受け止める。
壁に叩きつけられた背中に、鈍い痛みが走ったが――声は漏らさない。
「主様!」
「アイレット!」
仲間たちの叫びが、重なるように響いた。
腕の中に抱き寄せたセレスティド王女の無事を確かめたかった。
だが、その余裕はない。
「そう、その反応よ」
アナシアの声と同時に、セレスティドを拘束していた鎖に力がこもる。
次の瞬間――
ガガガガガッ!
鎖が私ごと壁へと押しつけたまま、容赦なく引きずり始めた。
「……っ!」
背中を削るような激痛が走る。
それでも、私は王女をしっかり抱きしめたまま離さない。
呼吸が止まりそうなほどの衝撃。
だが、意識は自分ではなく、彼女へ向ける。
――このままでは、普通の人間である彼女の身体はもたない。
〈アイレット、長くは耐えられない!〉