こんにちは、ちゃむです。
「憑依者の特典」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
144話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 公国への帰還
黒い祭服をまとった悪魔たちが、まるで大群をなしてこちらへ押し寄せてくる。
ちらりと後ろを振り返った私は、背筋が凍るのを感じた。
「追手が多すぎる……!『神聖賛歌』!」
すかさず自分とテシリドに補助スキルをかけ、さらに速度を上げて駆け出した。
その時だった。
ゴゴゴゴゴッ……!
地鳴りのような重低音を響かせ、神殿の巨大な正門が完全に閉じようと動き出す。
――間に合え!
私たちは一心不乱に地面を蹴った。
滑り込みながら外へ飛び出した瞬間、背後で凄まじい衝撃音が轟く。幸いにも、重厚な扉が閉まったのは私たちの『後ろ』だった。ぎりぎりのところで、神殿からの脱出に成功したのだ。
だが、そこで足を止めて息を整える余裕などなかった。一刻も早く神殿から離れる必要がある。
足がちぎれそうになるほどがむしゃらに走り続け、ようやく人面樹の森の奥深くまで入り込んだところで、テシリドが足を緩めた。
「もう安全そうだ、アイ」
「はぁっ、はぁっ……ほんと、に……?」
「うん」
全力疾走でかなりの距離を駆け抜けてきたはずだった。私はすっかり疲れ切り、腰を折って膝に手をつきながら、激しく上下する呼吸を整えた。
「お、お疲れさま、テリー……」
「あなたこそ」
労う声を返してくれたテシリドだったが、その声はなぜか妙に落ち着いていた。不審に思った私は、息を整えるのも忘れて彼をじっと見つめた。
「どうしてそんなに平気なの、テリー?」
「どうしてって?」
「私なんて、こんなに息が上がっているのに……」
「……確かに、不思議だな」
そこでようやくテシリド自身も、自分がほとんど疲れていないことに気付いたようだった。いくら元々の体力差があるとはいえ、生身の人間としてここまで差が出るものだろうか。
その疑問に答えたのは、やはり頭上の神々だった。
【『魂を裁く天秤』が、『帰属の治癒』に含まれている特殊効果が発動したのだとドヤ顔で説明しています】
帰属の治癒に、そんな効果まであっただろうか。
私はてっきり、テシリド限定で治癒系スキルの効果を五倍にするだけの能力だと思い込んでいたので、目を丸くした。
【『均衡を司る読者』が、主力スキルの詳細すら把握していなかったあなたに呆れ果てています】
……こればかりは言い返せない。
私は慌ててシステムウィンドウを呼び出し、スキルの詳細説明を開いた。すると、備考欄の隅に、確かにこのような一文が刻まれていた。
――『オルシュ伯爵が未来の花婿のために用意していた秘伝のスキル書。パートナーのスタミナ回復にも優れた効果を発揮するため、夜の寝室でも大変有用であり……』
「……っ」
「どうしたんだ、アイ?」
「な、何でもない!」
私は無言で、もの凄い勢いで説明ウィンドウを閉じた。こんな破廉恥な内容、テシリドには絶対に見せられるわけがない。
(うん、なるほど。だから都合よく記憶から消去していたんだな、私……)
「アイ?」
「本当に何でもないよ、テリー!」
幸いにもテシリドは、私の体力が急激に回復した理由について、それ以上深く追及してこなかった。気まずさを誤魔化すように、私は声を弾ませた。
「せっかくだし、今回手に入れた『記念品』でも確認してみる?」
「そうだな」
私は先ほど神殿の宝物庫から拝借してきた一対の指輪を取り出し、そこに神聖力を流し込んで『浄化』を始めた。かなり高ランクのアーティファクトらしく、こびりついた魔気を取り除くには少し時間がかかりそうだ。
その間に、テシリドは魔族の変装チョッキがよほど居心地悪かったのか、「少し着替えてくる」と言って近くの木陰へと消え、間もなくいつもの端正な聖騎士の制服姿に戻ってきた。
「終わったよ」
そう言って私の前に立った彼と同時に、ついに指輪の黒い呪縛が解け、透き通るような青い輝きへと変化した。浄化完了の合図だ。
「さあ、テリー。一つずつつけよう」
私は片方をテシリドに手渡し、もう片方を自分の指へと滑り込ませた。
【『魂を裁く天秤』が、あなたが自分の手でテシリドにつけてあげなかったことを酷く残念がっています】
脳内の余計なメッセージを見なかったふりをして、指輪の効果を待つ。
しばらくすると――
「お?」
普通の装備品を身につけた時とは明らかに違う、奇妙な現象が起きた。アーティファクトがシステムと直接連動し、私にしか見えない特別なステータスウィンドウが目の前に浮かび上がったのだ。
【ステータス情報】 『円鏡教』
主神:世界を構築する円鏡
教祖:アイレット・ロヴェライン
評価等級:D
・大陸占有率:0.000004%(F)
・8階位級信徒数:2人(A)
・聖人名簿登録者:アグネス・アジュレット 1人(C)
・教祖数:1人(F)
※参考:占有率と教祖数だけ見ればF等級同然ですが、アイレット・ロヴェライン、アロンジェイク・ヒスペリル、アグネス・アジュレットの三名という規格外の存在のおかげで、奇跡的にD等級まで押し上げられています。まだまだ成長の余地は無限大です。布教を頑張りましょう!
まるで、我が円鏡教の通信簿を突きつけられたような気分だった。
D等級か……なかなか厳しい現実だ。とはいえ、付与されるバフ効果は決して悪くなかった。
【状態】 『D級・数珠の指輪』効果
・装着者の神聖力を10%増加させる。
・【システム】あなたが使用する神聖力スキルの威力が大幅に上昇します。
・【システム】あなたの神聖力の総量が、一時的に「8階位相当」へと到達しました。
体内に満ちていく強大な力を感じながら、私は何度も手を握ったり開いたりした。
〈どう、アイレット?〉
アグネスが心配そうに声をかけてくる。
「かなり強くなった気がします」
〈おめでとう。よかったじゃない〉
「ありがとうございます。これ、アグネスのおかげなんですよ?」
〈あら、私が何かしたかしら?〉
私は苦笑した。実際、アグネスはただ名簿に存在しているだけで、我が教団の評価を大きく押し上げてくれているのだ。その詳細は、テシリドがいない時にこっそり教えてあげよう。
そうは言ったものの、いざ成績表を受け取ると、どうしても他人と比べたくなるのが人間の性というものだ。私は競合宗教の情報を確認しようと、そっと隣のテシリドの方へ視線を向けた。
「テリー、そっちはどう?」
実のところ、口に出して聞く必要はなかった。“賢者サポートシステム”はテシリドのアーティファクト情報にも難なくアクセスできるため、私は彼が所属する『秩序教』の現状をそのまま覗き見ることができたのだ。
【ステータス情報】 『秩序教』
主神:厳格なる秩序と善
教祖:セネディクト・デルロイド
評価等級:B+
・大陸占有率:57.57%(A)
・8階位級信徒数:0人(F)
・聖人名簿登録者:バルクス・オドレックを含む11名(S)
・教祖数:319人(S)
※参考:セレンドラ大陸で信仰の過半数を占める圧倒的な唯一神教です。しかし、主神の失踪により神聖力が弱体化しており、8階位級信徒数の項目で大きく減点されています。今後もさらなる低下が予想されるため、急ぎ布教活動を行うべき状態です。
さすがは長年大陸に根を張ってきた巨大宗教だけあり、一項目を除けば圧倒的な数値を叩き出している。当然ながら、アーティファクトから得られる補正効果も、私のものとは比べものにならなかった。
【状態】 『B級・数珠の指輪』効果
・装着者の神聖力を30%増加させる。
「うわっ、さんじゅっ……!?」
思わず素っ頓狂な本音が漏れそうになり、私は慌てて口元を押さえた。そんな私に気づくこともなく、テシリドはしばらく自分の内なる変化を確かめるように黙り込んでいたが、やがて驚いたように目を見開いた。
「……あ」
「ん? どうしたの、テリー?」
「今……神聖力の境地が、一段階上がった気がする」
「えっ、それって上位階位に到達したってこと!?」
「うん」
「すごい! 本当におめでとう、テリー!」
さっきまで感じていた微かな羨ましさも一瞬で吹き飛び、私は心からパチパチと拍手した。テシリドはいつになく、少年のような満面の笑みを浮かべている。
「これなら、神聖オーラの発現にも良い影響が出そうだ。目標とするマスターへの昇格も、ずっと近づいたと思う」
原作では第40話を過ぎてからようやくオーラマスターになったはずの彼だ。もしその時期を大幅に前倒しできるのなら、これ以上ない朗報だった。
その時、勝負事になると妙に熱くなる脳内の元王女が、悔しそうに口を挟んだ。
〈だめよ、アイレット! 負けてられないわ、あなたが先にマスターにならなきゃ!〉
(はい、頑張ります!)
便利なアーティファクトを手に入れられて、私はかなり上機嫌だった。能力が強化されただけでなく、円鏡教と秩序教の生々しい現状まで一目で確認できるようになったのだから。
私は自分とテシリドの指にはまった、お揃いの数珠の指輪を眺めながら満足げに微笑んだ。
だが、そこでふと、ある重要なことを思い出す。私は真剣な表情になってテシリドに釘を刺した。
「テリー、教団の偉い人たちにはうまく説明してね。この指輪のことは、あくまで『偶然見つけたただの数珠の指輪だ』って通すのよ」
「分かった」
十分な休憩を終え、私たちは腰を上げた。
「よし。それじゃあ今度は森を回って、元の世界へ繋がる脱出ゲートを探そう。魔族たちに追いつかれる前にここを出なきゃ」
「そうだな、アイ」
暗い夜の森を進むため、私はインベントリから照明石を取り出した。
――その時、予想外のシステムメッセージが視界に飛び込んできた。
[システム] 警告。人面樹の森に『怨魂歓喜の雨』が降り始めます。
ぽつっ、ぽつっ。
大粒の雨が頭や人面樹の葉を叩いたかと思うと、たちまち視界を白く染めるほどの土砂降りの豪雨へと変わった。
「アイ、これを」
テシリドは流れるような動作で自分の制服の上着を脱ぐと、私の頭の上へとふわりとかぶせてくれた。本人は一瞬で激しい雨に打たれているというのに、まるで気にしていないように穏やかに微笑んでいる。
私は小さくため息をつきながら彼の逞しい腕を引き、上着の即席の雨宿りの中へ、一緒に入るよう促した。狭い上着の下、自然と二人の肩が触れ合い、顔が至近距離まで近づく。
〈ちょっとアイレット、インベントリに普通の傘くらい入ってないの?〉
(……)
(……アグネス、お願いだから少し静かにしててください)
一方で、この魔界の豪雨は、あまりにも奇妙な現象を引き起こしていた。
激しい雨が紫の地面に染み込んでいくと、半透明の白い不気味な何かが、うごめきながら次々と地中から這い出てきたのだ。それらは宙で徐々に膨れ上がり、次第に人間の頭部や四肢の形を形作っていく。
あちこちで白い人影がゆらゆらと揺らめく光景に、アグネスが嫌悪感を露わにした。
〈今度は何かしら。亡霊の軍団?〉
「そう見えますけど、実際には亡くなった人の姿を模した『幻影』に過ぎません。今降っているこの雨の魔力に影響されて現れたんです」
〈趣味の悪い雨ね〉
「私もそう思います」
そう答えて、私は隣のテシリドの様子をちらりと窺った。
実のところ、先ほどのアグネスへの説明には、意図的に少しだけ嘘を交えていた。
この雨が見せるのは、正確にはただの『死んだ人』ではない。
――『自分がこれまでに殺した人間』の幻影なのだ。
今、森のあちこちで産声を上げている怨霊たちの幻影は、すなわちテシリドがこれまでの過酷な人生の中で手にかけざるを得なかった人々の姿そのものだった。
だが幸いなことに、テシリドの横顔に動揺した様子は見られなかった。
私は視線を前方へ戻した。先ほどまでぼんやりと揺らめいていた半透明の幻影たちは、時間が経つにつれて、まるで精巧な泥人形のように実体感を帯び始めている。
「テリー、あの幻影、よく見ると脳に異様な恐怖心を植え付けられるから、なるべく直視しない方がいいですよ。精神系の攻撃なので、一度意識を引き込まれるとなかなか抜け出せなくなりますから」
そう言って、私はごく自然な動作を装い、片手でテシリドの目を優しく覆った。
彼がかつて『異端者の谷』で、正義のために葬らなければならなかった犠牲者たちの顔を、この怨霊たちの中に見つけて傷ついてほしくなかった。少し踏み込みすぎた、お節介な行動だったかもしれない。けれど、テシリドは拒むことなく、私の温かい手のひらを黙って受け入れてくれた。
怨霊たちの幻影は、ただ周囲をふらふらと彷徨っているだけだ。時折こちらをじっと見つめてくる個体もいたが、襲いかかってくる気配はない。本来なら、数分もすれば雨と共に自然に消えるはずの存在だ。
だから、このまま静かにやり過ごそうと思っていたのだが――。
〈ねえ、アイレット〉
「はい、アグネス」
〈この幻影、流石に数が多すぎやしないかしら? 本当に大丈夫なの?〉
その言葉に、私はハッと周囲を見回した。
確かに異常だった。幻影が途切れることなく、地面から次々と、際限なく現れ続けていたのだ。まるで濃い霧が立ち込めたかのような密度で、視界のすべてを埋め尽くしていく。
私はわずかに顔を引きつらせた。
「そうですね……どうしてこんなに多いんでしょう。いくらなんでも、共同墓地でもここまでにはならないはずですが……」
テシリドがこれまでに手にかけた人間の数が、これほど膨大であるはずがない。そして、この不気味な森の中にいる人間は、今、私とテシリドの二人しかいないのだ。
それなのに、なぜ幻影はこれほど狂ったように生み出され続けているのだろうか。
その時、目を覆う私の手の隙間から、テシリドの少し掠れた低い声が漏れた。
「……溶け落ちた『超新月』の影響じゃないか?」
「あ、うーん……」
辻褄合わせとしては悪くない推測だった。現実世界の月が潮の満ち引きを支配するように、魔界の月もまた、世界の魔力へ多大な影響を及ぼしている。しかも今夜の空には、あの魔王アビシニスの象徴とされる不吉な超新月が浮かんでいるのだ。何が起きても不思議ではなかった。
「……まあ、原因はともかく。今は考察している場合じゃないですね。消えるのを待つのは諦めて、このまま一気に森を突破しましょう!」
「私が先頭に立ちます」
私が相棒の聖剣セレンスを引き抜こうとした瞬間、テシリドの手がそっとそれを押さえた。彼は私の手を目の上から優しく下ろすと、上着の雨宿りから一歩前へと踏み出した。
「私が前を歩きます。アイは後ろについてきて」
不思議な現象が起きた。テシリドが進み始めると、あれほど密集していた幻影たちが、まるでモーセの海割りのように左右へと静かに退き、道を開けたのだ。それはまるで、私のパッシブスキル『アンデッド世界に響き渡る悪名』を見ているかのようだった。
私は適度な距離を保ちながら、頼もしい彼の背中を追いかけた。
「……」
歩き始めて間もなく、神経を逆なでするような妙な違和感を覚え、私は思わず目を細めた。背後から、私たちの歩調に完全に合わせて、ぴったりとついてくる気配がある。
(しつこいな……)
無数の幻影のうちの一体が、どういうわけか私のすぐ後ろをストーカーのように歩いていたのだ。追い払おうとして、私は不機嫌に振り返った。
だが――。
「……え?」
そいつは二歩ほど後ろの距離でピタリと立ち止まり、じっと私を見つめていた。その瞬間、私は息を呑み、完全に目を奪われてしまった。
「……」
「……」
周りの他の幻影たちが皆、テシリドの背中を呪わしげに見つめている中で、その一体だけは、執拗なほど、私『だけ』を真っ直ぐに見つめていたのだ。
その視線の意味は、魔界の法則が示す通り、明白だった。
――すなわち、この私に殺された人間。
(……あ)
ずっと胸に引っかかっていた、解けなかった疑問を解く、絶好の機会が目の前に転がっていた。
〈アイレット? どうしたの、急に立ち止まって〉
本当は、この幻影を見つめ続けてはいけない。精神を汚染される。
だが、胸の奥から湧き上がる抑えきれない好奇心が、理性の警告を頭の隅へと乱暴に追いやってしまった。
誰なんだ? 一体、私は前世か現世で、誰を殺したというんだ――?
私はすでに、その幻影の顔を穴が開くほど凝視していた。
歪んでいた幻影の顔の輪郭が、ゆっくりと、明確に焦点を結んでいく。脳の記憶の引き出しにある、どこか見覚えのあるその容姿が裏返った瞬間、私は驚愕に目を見開いた。
「お前は……っ」
その時だった。
さっ――と、視界が遮られる。
「……アイ」
背後から回り込んできたテシリドの大きな温かい手が、優しく、けれど拒絶を許さない強さで私の両目を覆った。
いつの間にか私の身体をぴったりと抱きすくめていた彼が、耳元で静かに、諭すように囁く。
「見ちゃだめだ」
「……」
「行こう」
「……うん」
私はそれ以上振り返ることをやめ、テシリドに優しく手を引かれるまま、その場を離れた。
ちょうどその時、鬱蒼とした人面樹の森の開けた先に、現実世界へと繋がる出口のゲートが、私たちを迎え入れるようにゆっくりと青い光を開き始めていた。
こうして、私たちの奇妙で危険な魔王領での旅は、静かに幕を閉じた。
眩しい光を抜けて現実世界へと戻った頃には、あの不気味なダンジョンへ足を踏み入れてから、ほぼ丸一日が経過していた。
さらに、ヴィンチェスター王国とヒスペニル公国との間に存在する時差を考慮すると、私たちがヒスペニル公王城へと到着した時には、すでに東の空が白み始めた夜明け間近だった。
それにもかかわらず、城門の前には、私たちの帰還をいま遅しと待ち侘びていた人々が詰めかけていた。
「ひっ……! 来た、来たぞ!」
「お、おい……本当に……! やっと、やっと帰ってきたのか……!」
「姉上、兄上! ご無事で何よりです!」
「本当によかったです……心配しました……」
「お嬢様! 聖女様ー!」
騎士団の仲間たち、アッシュ、ヒルデ、そして私のおじい様である公王が、一様に目を潤ませながら城門で私とテシリドを温かく迎えてくれた。
出迎えてくれた人々の顔には、深い安堵の色が広がっている。
どうやら、偵察隊の隊長を務めていたレカンドロ侯爵が、あのボス部屋で起きた一連の出来事について、すでに詳細な報告を入れてくれていたらしい。そのおかげで、私たちが勝手に職場放棄をして姿を消したわけではないと、一から説明する手間が省けたのは幸いだった。
私は申し訳ない気持ちを込めて、おじい様をはじめ、集まってくれた皆に頭を下げた。
「ただいま戻りました。皆さんに大変なご心配をおかけしてしまい、本当にすみません」
「よい、無事ならばそれでよいのだ。さあ、夜風は冷える、中へ入ろう」
差し込み始めた清々しい朝日のなか、私たちは賑やかにおじい様の屋敷へと入った。
ひとまず応接室のふかふかのソファに腰を下ろし、この間に起きた出来事を順序立てて報告する。
世間では『黒の魔導師』として畏怖されているリードに変装し、危うくボス部屋で命を落としかけたこと。
三魔王の突然の侵攻によって、ダンジョン全体が危機的状況に陥ったこと。
そして、窮余の策としてアビシニス領の亀裂を経由し、魔界から命からがら脱出してきたこと。
もちろん、システムに関わることや指輪の本当の性能など、マニアックな詳細は適度に伏せ、必要な部分だけを簡潔にまとめて説明した。
黒の魔導師との死闘の最中、私が最終手段として『神聖降臨』を使ったことを話すと、その後に伴う恐ろしい代償――「神熱病」の苦しみを知るおじい様は、潤んだ瞳で隣のテシリドを見つめ、深く頭を下げた。
「ありがとう、孫婿よ。私の大切な孫娘を支えてくれて」
「当然のことをしたまでです、公王閣下」
「うむ……その通りだな。よくぞ言ってくれた」
しんみりとした空気が漂い始めたので、私はそれを切り上げるようにパンと手を叩き、明るい話題へと変えた。
「おじい様、私はこの後、すぐに聖皇庁がある教国へ戻らなければなりません。でも、今この状況でヒルデを一緒に連れて帰ると、向こうの気難しい枢機卿たちに色々と詮索されそうなんです。ですので、これからもヒルデをここ公王城で預かっていただけませんか?」
「ふむ、事情はレカンドロからも聞いておる。心配はいらんよ。この祖父が責任を持って、我が孫娘のように面倒を見よう」
おじい様は自信満々に頑丈な胸を叩いた。
私の母が家を出て以来、どこか広い城内で寂しそうだったおじい様にとっても、ヒルデが公王城に身を寄せてくれることは、むしろ大歓迎の嬉しい話だったようだ。
見ると、今ヒルデが着ている服も、かつて母が公女だった頃に愛用していたお下がりのドレスらしい。実によく似合っていた。
ヒルデは小さな手で、大切そうに通信カメラのボディを撫でながら、少し不安そうに上目遣いで尋ねてきた。
「私……本当に、ここにいてもいいのでしょうか?」
「あなたが望むなら、いつでも」
優しくそう答えたものの、私の心の声(本音)は全く違っていた。
(うん、絶対にここにいて! 何が何でも残って!)
ヒルデは『危険感知系』の特殊スキルを持つ、それだけでも超激レアな「7階位」の神聖力覚醒者という超優秀な人材だ。だが、よくよく考えてみれば、それ以上に今の私にとって大きな価値があった。
――彼女はまだ、どこの宗派にも属していない「無宗派」なのだ。
近いうちにペルーシャ地域に私の直轄教会が完成したら、真っ先に彼女を拉致して司祭叙任式を行うつもり満々だった。
『我が円鏡教の熱心な信徒になってね、ヒルデ。そして早く8階位へ到達して、うちの教団のステータス格付けをガンガン上げて頂戴』――そんな、底黒い下心が胸の中に渦巻いていた。
〈そうよ、その通りよ! そうするべきだわ、ヒルデ!〉
[『世界を構築する円鏡』が、あなたの邪悪な期待に満ち溢れています]
[『天機観測監察官』が、信徒も神も邪悪な表情を一切隠しきれていないことに深く呆れ果てています]
私は慌ててコホンと咳払いをし、聖女らしい清らかな表情を引き締めた。幸い、純真なヒルデはこちらの黒い本音には微塵も気づいていないようだった。
「ありがとうございます……お嬢様」
「気にしなくていいよ、ヒルデ」
私はヒルデの華奢な肩を軽く叩き、お姉さんのように親しげに笑ってみせた。
すると、その様子を横で見ていたアシュリーが、突然目をキラキラと輝かせながら身を乗り出してきた。
「姉上! ヒルデお姉さんも、私たちの騎士団に入るんですか!?」
「んー、ヒルデがそれを望むなら、ね?」
「ぜひ入ってください、ヒルデさん! 歓迎します!」
その時、ヒルデを見つめるアシュリーの目は、私以上にギラギラとした期待で爛々と輝いていた。どうしてそんなに新しい団員の勧誘に乗り気なんだろうと首を傾げていると、アシュリーは拳を握りしめて熱弁を振るった。
「私は……私はヒルデさんが入団して、うちの騎士団の『新しい末っ子』になってくれたら、とっても嬉しいです……!」
なるほど、自分が「騎士団最年少の末っ子」というポジションから、一刻も早く脱却したいだけらしい。理由を察した私は、聖女という特権階級の立場を最大限に悪用して、慈悲深い笑みを浮かべた。
「アッシュ、残念だけど、ヒルデが入団してもあなたの『末っ子』ポジションは不動のままだよ」
「えっ!? どうしてですか、姉上!」
「たった今ね、神様から神託を授かったんだけど……ヒルデはあなたより、ちょうど二か月早く生まれたお姉さんなんだって」
「……っな!?」
現実を受け入れられないといった絶望の表情を浮かべたアッシュは、それでも諦めきれずに、フンスと鼻を鳴らしてヒルデとその場で誕生日を確認し始めた。そして、悲しくもそれが紛れもない事実だと判明すると、ガタッと床に膝をついてがっくりと肩を落とした。
すると、最後の悪あがきとばかりに、アッシュが勢いよく手を挙げた。
「異議ありです! 年齢ではなく、入団した順番の『先任順』で上下関係を決めるべきではありませんか!?」
「ううん、違うよ、末っ子」
「うん、往生際が悪いな、末っ子」
イペルとヘスティオの双子が、すかさず左右から冷ややかに否定の言葉を突き刺す。おまけに脳内のアグネスまで調子に乗った。
〈黙って先輩たちに従いなさい、末っ子のくせに〉
素晴らしい連携プレイの流れに乗って、私もニコニコと末っ子いじりに参加してみた。
「そういえばアッシュ、私たちが新しく結成する騎士団の名前、もう決まったの?」
「……っう」
予想通りのバツの悪そうな反応だった。だが、アッシュはどこか意味深な、負け惜しみのような笑みも浮かべていた。
「えっ? もしかして何も考えてなかったの? 一つも? あれだけ時間があったのに?」
「そ、それが……その……」
完全に慌てたアッシュは泳ぐように周囲を見回し、隣の頼れる先輩に助けを求めた。
「テシリド兄さん……! 助けてくださいよぉ。一緒に新しい騎士団の名前を考えてくれるって、あの時約束したじゃないですか!」
「さあ。私はそんな破廉惜しい約束をした覚えはありませんね」
「ひ、ひどい……! 裏切ったな!」
平然とアッシュを冷たく突き放したあと、テシリドは楽しそうに私の方を振り返り、端正な唇を開いた。
「ただ……私が個人的に、一つだけ考えていた案はありますが」
「よし、それで決まり!」
「えぇっ!? まだ名前を聞いてもいないのにですか、団長!?」
「アッシュ、私が直感でネーミングを考えるよりは、テリの案の方が100倍マシに決まっているでしょう」
[『世界を構築する円鏡』が、お堅い主人公に大事な騎士団名を任せても本当に大丈夫なのかとハラハラしています]
[『魂を裁く天秤』が、不安半分・期待半分でウキウキしながら見守っています]
神々の雑音を無視して、テシリドは少し気恥ずかしそうに、その美しい声を響かせた。
「――『銀光(ぎんこう)聖騎士団』……なんてどうだろう。略して、“銀聖(ぎんせい)”」
「おお……!」
その名前を聞いた瞬間、私は言葉にせずとも全てを理解した。
それが、私の持つ究極の絶対防御結界スキル『守護の城壁』――あの眩い銀色の光の壁にちなんで名付けられたものだということを。
〈ふん、まあ、あの銀色のスキルには何度も全員の命を救われているものね。悪くないじゃない〉
[『世界を構築する円鏡』は、なかなかセンスの良い名前だと感心しています]
[『魂を裁く天秤』は、この程度の命名センスがあるなら、将来生まれる二世の名前の心配もなさそうだと深く安心しています]
神々の未来永劫トチ狂ったメッセージは完全にスルーしつつ、私は力強く頷いた。
「すごくいいと思う!」
他の団員たちにも一切の異論がないことを確認すると、私はその場で颯爽と立ち上がった。
「それじゃあ一同、これからは“銀光聖騎士団”として、胸を張って聖皇庁へ帰還しましょう!」
「「「はい、団長!!」」」
「はい、姉さん……(ボソッ)」
教国の本拠地である聖皇庁は、戻ってきた私と新生『銀光聖騎士団』を、文字通り国を挙げた盛大な祝宴で大歓迎してくれた。
それもそのはずだ。ヴィンチェスター王国の最重要王族を無傷で救出し、あの悪名高き災厄アナシアを討ち取り、さらに終盤の魔王侵攻という大事件の渦中から生還したのだから、当然といえば当然の評価だった。
しかし、その輝かしい三つの大功績以上に、お堅い枢機卿たちの関心を最も強く、文字通り貪欲に引きつけた功績が別にあった。
「聖女様……! 真実なのですか? あの伝説の狂気の魔法使い『モリフィス』を、本当に捕らえられたというお話は!」
「おお……二百年前の大災厄に、まさかこのような形で完全な決着がつくとは、神の御加護に違いありません!」
「その大罪人を封じたという例の鏡を、ぜひ我々にも見せていただけますか? 一目だけでも構いません、どうか!」
私は彼らの熱烈な求めに応じ、インベントリから、空色の髪をした狂った大魔法使いが永遠の闇の中に封じられているあの『鏡』を、一度だけ取り出して見せてあげた。
だが、枢機卿たちは生唾を呑みながら順番に鏡を凝視するなり、まるで祟り神でも扱うかのように、すぐに怯えて私へと返してきた。
当然ながら、私はこのモリフィスを封印した国宝級の鏡を、聖皇庁のズサンな地下倉庫に大人しく預けるつもりなど毛頭なかった。
「聖皇庁の宝物庫に置いておけば、魔族の残党が潜入して奪還を試みる危険性があります。ですので、安全のために引き続き、この私が責任を持って厳重にインベントリ内で保管いたします」
「おお、流石は聖女様。非常に賢明なご判断です」
「いやはや、せっかくの歴史的快挙ですから、本音を言えば聖皇庁の正門にでも飾って大陸中に見せびらかしたかったのですが……安全第一ですから、残念ですね」
ここまでは非常に和気藹々とした、お祝いムードの和やかな雰囲気だった。
しかし、ひとたび話が「捕らえたモリフィスの今後の処遇」へと移行するや否や、聖皇庁の二大巨頭である『検察省派』と『福音省派』が、剥き出しの敵意を放って激しく対立し始めたのだ。
発端は、脳筋で知られる検察省の枢機卿だった。
「皆さんもその目でご覧になったでしょう! あの狂気の魔法使いめ、二百年以上も生きてなおあの若々しさを保っているなど、どう考えても人理に反した異常事態です!」
「実に羨ま……いや、間違いなく邪悪で冒涜的な黒魔法によって、醜く生命を延命しているに違いありません! 異端審問官殿!」
「何を迷うことがありましょうか! 明日にでも厳粛なる異端審問裁判を開き、一週間以内に広場で盛大に火刑へ処すべきです!」
その過激な一喝に、今度は政治と外交を司る福音省の枢機卿たちが、机を叩いて猛烈に反発した。
「お待ちください! 物事をもう少し慎重に、大局的に考えるべきではありませんか!? あの大魔法使いの存在は、今後の魔導共和国との交渉において、これ以上ない強力な『外交の切り札』として利用できるはずです!」
「その通りです! 彼らの始祖とも言える存在を人質に取れば、長年膠着している我が国との『魔晶石利権問題』を一挙に解決する最大のチャンスになるかもしれません!」
「火刑だ! 即刻処刑せよ!」
「いや、外交利用が先だ! 利益を考えろ!」
売り言葉に買い言葉、応接室は瞬く間に、醜く不毛な怒号の口論へと発展しかねない一触即発の空気に包まれた。
「……静かにしなさい」
その時、部屋の最奥から響いた地響きのような重々しい一言が、加熱していたその場の空気を一瞬で氷結させた。