こんにちは、ちゃむです。
「残された余命を楽しんでいただけなのに」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
94話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 平民の憧れ
理性を取り戻した魔導猫のキムボルグは、自らの仕でかした大失態を深く悔いるように、そっと小さな足取りでイサベルのもとへ歩み寄った。
[――キムボルグ、反省して。]
主の冷ややかな脳内アナウンスに促されるまま、キムボルグは言われるがまま自分から部屋の隅の壁際へとトボトボと移動し、そこでペタンと膝を突いて、自らの両腕を頭の上へと真っ直ぐに上げた。いわゆる、子どもが受ける定番の「お仕置きの姿勢」だ。
自分のあまりにも軽率な我がままのせいで、最愛のイサベルが机から転落して危ない目に遭いかけたのだと思うと、彼の大きな瞳には、みるみるうちに大粒の涙がじんわりと静かににじんでいった。
[……イサベル、ごめんなさい。キムボルグ、悪い子。]
[どうしようもない、いらない子、キムボルグ。]
[もう、絶対にこんな悪いことはしないから……っ]
イサベルは、その健気でおいたわしい姿を見つめ、小さく「はあ」と困ったようなため息をつくと、彼の元へと近づいてその爆発頭の毛並みを優しく何度も撫でてあげた。
キムボルグが脳内で紡ぐそれらの謝罪の言葉は、彼のまとう強大な魔力を、システムの力によって人間の分かりやすい言語へと変換したものだ。だからこそ、その言葉の端々に込められた、胸が締め付けられるほどの強い後悔と申し訳なさの気持ちは、ダイレクトにイサベルの心へと痛いほどに伝ってきた。
(……はあ。こうして見ると、私の方こそちょっとだけ、あの子に対して申し訳ない気持ちになっちゃうわね)
このジルデル・ベースキャンプに到着して以降、国家を揺るがすような高度な政治交渉や、カマンお兄様の複雑な心のケアばかりにすべての時間を奪われ、キムボルグに対してあまりにもそっけなく冷淡に接していたのは、紛れもない事実だったからだ。
(そういえば……この数日間の長い間、あの子はずっと、私の斜め後ろの影の場所から、ただ大人しく私の方を寂しそうに見つめているだけだったわ……)
イサベルは、自らの忙しさにかまけて忘れていた、ここ数日間の彼の健気な後ろ姿をかすかに思い出す。
いつ自分に優しく声をかけてくれるのか、いつ自分と目を合わせて微笑んでくれるのか、いつ昔のように二人で楽しい時間を過ごしてくれるのか――。
キムボルグは、ただそれだけの奇跡の瞬間を、気の遠くなるような時間のなかで、ひたすらじっとイサベルの背中を見つめて待ち続けていたのだ。
ふとした瞬間に目が合えば、まるでご主人様に褒められた子犬みたいに耳をパタパタさせて嬉しそうに反応するのに、イサベルがすぐに実務に目を戻してしまうと、途端にシュンと悲しそうに首を垂れてしょんぼりとしてしまう。
「いくら公務が忙しいからって、私はさすがにあの子のことを、ちょっと放っておきすぎたわね……」
そう反省したイサベルは、机の上から床に降りると、彼の前にしゃがみ込んで素直に謝ることにした。
「キムボルグ、私が悪かったわ。あなたに対して無関心だったわけじゃ決してないのよ。本当に寂しい思いをさせてごめんなさいね、お姉ちゃんがちゃんと謝るわ。……その代わりと言ってはなんだけど、今夜はお詫びとして、あなたと一緒に基地の中を楽しくお散歩して、美味しいおやつもたくさん食べましょう? ねえ、それで許してくれる、いい?」
[……ダメ。キムボルグ、そんな優しいご褒美をもらう資格、ない。……だって、大好きなイサベルを、危うく怪我させそうになっちゃったんだもの。]
「あなたに、一体それ以上のどんな大層な資格が必要だっていうの?」
イサベルは、そう言って自らの小さな両腕を伸ばすと、壁際で小さくなっていたキムボルグの軽い身体を優しく抱き上げ、自らの胸元へとそっと持ち上げた。
「――あなたは、私の世界の、たった一人の大切な『キムボルグ』でしょう?」
[――っ、イサベル……っ! キムボルグ、感動……!]
[キムボルグ、これからはもっと、世界で一番イサベルの言うことをちゃんと聞く!]
[もう、絶対に、二度とお姉ちゃんを困らせるような問題なんて起こさないから……っ!!]
妖精が自らの胸に顔を埋めてワンワンと嬉し泣きする声を耳にしながら、イサベル自身も、何故か胸の奥がじーんと熱くなり、自らの下唇をぎゅっと噛み締めて、溢れ出そうになる涙を必死の自制心でこらえた。
そして――その、部屋の片隅で繰り広げられていた幼い子供たちのあまりにも純粋な和解の様子を、少し離れた場所から直立不動のままじっと見つめていたカマンは、思わず、自らの仮面のような面に、誰に見せるでもなく柔らかく優しい微笑を浮かべていた。
「……そうか。結局……あの時、この私が心の底からお前に向かって本当に言いたかった最大の核心は……あの一言だったのだな」
カマンは、自らの口元に手を当てながら、ぽつりと静かにそう呟いた。
自分でも、先ほど自らの口から一体どんなに恥ずかしい愛の言葉の数々が飛び出していたのか、今でも頭の中がぐらぐらと心地よく揺れていて、完璧な整理はついていなかったのだ。自らの胸の奥にある、この生まれて初めて抱く熱い家族の気持ちの正体すら、自分自身の手で上手く掴みきれずに困惑していたというのに――。
目の前の幼いイサベルは、自らが放ったあの他愛のない言葉の本質を、たった一言の真理によって、これ以上ないほど綺麗に言い当ててしまっていた。
『あなたに、一体それ以上のどんな資格が必要だっていうの? お兄様は、私のお兄様でしょう?』
その彼女の美しい声の残響が、何度も、何度も、カマンの乾ききっていた頭脳の最深部で心地よい反響を呼び続ける。
――あぁ、そうだ。実の家族として愛し合うために、そこに身分の優劣や上手い下手といった、くだらない『資格』なんてものは……最初から一寸もいらなかったのだ。
カマンは、その彼女から授かった尊い言葉の真理を、これから先の長い人生において何度も手で噛みしめるようにして、自らの引き締まった胸の奥へと深く押し込んだ。
その一方で、イサベルの腕の中でようやく精神的に少し落ち着きを取り戻したキムボルグは、自らの小さな手の上に、先ほどひったくったあの美しく封印された上質な「招待状」を、今度こそ恭しくそっと置いた。
[イサベル、これ……お兄様の大切なやつ、ちゃんと返すね。]
「ええ、ありがとう、キムボルグ」
イサベルは受け取ったその上質な招待状を机の上に置くと、内側にあるペーパーナイフを使って、そっとその美しい封の切印を引いた。
「差出人は……確かお兄様の話だと、このジルデル・ベースキャンプの全体を裏から統括している、最高の絶対責任者……だったわね?」
軍の階級が最高位の「中将」であるということ以外、その詳細な正体や出自に関しては、対外的にほとんど市中には知られていない不気味な人物。
国家の最前線であるこの巨大なベースキャンプ全体を、一手に掌握して指揮する絶対の最高指揮官というのは、それ自体の存在が国家にとって極めて強大な政治的・軍事的な戦略価値を持つため、他国(ミロテルなど)の暗殺から守る名目もあり、対外的には徹底してその情報が厳重に秘匿されていたのだ。
イサベルとしても、もし本気を出して自らの商団の情報網やシステムをフル活用して調べさせれば、その人物の本当の名前や過去の経歴くらいは、今すぐ簡単に突き止めることなど造作もないことだった。
それでも、今までは余計な政治的摩擦を引き起こして目をつけられないよう、あえてその絶対領域のプライバシーには一歩も踏み込まずに、知らないフリをして泳がせていたのだ。
――けれど。
今、自らの手によって開かれたその招待状の末尾の署名には、国中がひっくり返るような、あまりにもはっきりとした『ある名前』が刻まれていたのだ。
【――ジルデル・ベースキャンプ最高指揮官:中将、アルミエル】
「――えっ!? ち、ちょっと待って……! ア、アルミエル……!? アルミエルって、あの……!?」
イサベルは、その名を目にした瞬間、驚きのあまりその美しい琥珀色の目を限界まで見開いた。
アルミエル?
一体どうして、そんな前世の原作の物語における超ド級の最重要人物の名前が、今、この私の目の前の交渉の場に突然出てくるというの!?
「嘘でしょう……!? この歴史の現時点の段階において、あのアルミエルが、この広大なジルデル・ベースキャンプの総責任者(トップ)の座に君臨していたっていうの……っ!?」
あの目障りなビンチェスター公爵家との過酷な戦いが一段落して以降、私の目の前に、ついに本当の意味での「前世の原作ヒロイン」に最も深く関わる、物語の核心の超重要人物がその姿を現したのだ。
かつて、この高貴なベースキャンプにおいて皇女である私を裏から独断で襲撃し、今は地下牢に繋がれているあの哀れな男「マン・カルフ准将」は、卑しい平民の出身でありながら、自らの卓越した武功と命懸けの功績を幾重にも積み重ね、ついには准将という、平民としてはあり得ない高位の地位にまで上り詰めた傑物だった。
純粋な戦士としての実力や、部隊を率いる指揮官としての能力だけを見るならば、彼は間違いなく、帝国軍の中でも五指に入るほど極めて優秀な軍人であると言えた。
だが、彼はこれほどの能力を持っていながら、宮廷の歴史において常に正当な最高の評価や勲章を受けることができなかった。
それは、彼個人の能力のせいなどではなく、彼が生きたこの『時代(環境)』そのものが、あまりにも残酷なまでに彼に味方をしてくれなかった――そんな、どうしようもない悲惨な側面もあったのだろう。
「よりによって、あの不器用なマン・カルフ准将が、軍の中で血の汗を流して必死に生きていたのと同じ時代に……。あの規格外の天才『アルミエル中将』が、すでに軍の頂点に存在していたなんてね……」
アルミエルという存在は、我がピアスト帝国の軍部に所属する、すべての貧しい平民出身の兵士たちにとっての、生きて届く最高峰の『憧れ(神話)』そのものだった。
“卑しい平民の生まれでありながら、自らの天才的な頭脳と武力だけで上り詰めた、軍における最高の地位”――。
その、すべての平民の夢と理想のすべてを体現した生きた伝説こそが、他ならぬアルミエル中将だった。
彼女は、まだ世間も何も知らないわずか17歳という若さで自らの意志で軍に入隊すると、そこから数えきれないほどの圧倒的な武功と、他の追随を許さない輝かしい戦果の数々を戦場に積み重ね、ついには若くして、軍の最高幹部である将軍(中将)の地位にまで一気に上り詰めたのだ。
この冷酷な世界の大衆というのは、歴史の教科書において、いつだって一番高い場所にいる「頂点の第一位」の名前しか記憶してはくれない。
だからこそ、次点として十分に優秀であったはずのマン・カルフ准将の血のにじむような努力の歴史は、いつも、彼女の放つあまりにも眩すぎる神話の後光の影に隠れて、民衆から惨めに無視され続けていたのだ。
「確か、今の原作の時系列の時点だと、彼女はまだ、年齢的には20代半ばくらいの、うら若き大人の女性のはずだけど……」
一般的に、帝国軍において中将という雲の上の地位に就くための平均年齢が、どれほど早くとも45歳前後であることを考えれば、
まだ20代という若さでその絶対の地位に就任した彼女の存在は、まさに世界の理を無視した、規格外の天才(モンスター)と呼ぶにふわしいものだった。
もしもこれが、前世の読者たちが読む小説の単なる創作の設定だったならば、間違いなくファンから「さすがに現実味がない」「主人公側の都合が良すぎるメアリー・スーだ」と、激しい批判を受けて炎上してもおかしくないレベルの――。
それほどまでに、彼女はこの世界の現実において、“ありえない絶対の奇跡の存在”だったのだ。
……しかし、そのあり得ない神話を、アルミエルという女性は、この現実の世界の歴史の中で本当に、自らの力だけで完璧に成し遂げてみせたのだ。
「待って。私の記憶が確かなら……あのアルミエルって、確か、前世の原作小説のメインヒロインの『お姉さん』って設定だったわよね?」
原作のメインヒロインは、もともと人間の種族ではなく、世界に終焉をもたらすと言われるあの伝説の“竜”の化身たる存在だから、血のつながった実の姉妹ではないはずだ。
ただし、原作の物語の作中においては、
アルミエルは行き場のないそのヒロインを、まるで自らの実の妹であるかのように深い愛情を持って接し、
ヒロインのほうもまた、自らを過酷な世界から救い出してくれた彼女のことを、本当の実の姉のように深く慕い、お互いを心の拠り所にしていた。
――それは、世界の崩壊を前にしても一寸も揺らぐことのない、極めて仲の良い美しい姉妹関係だった。
ヒロインは、アルミエル中将にとって、命を代えてでも守る価値のある、世界で一番可愛い末っ子の妹のような存在だったのだ。
「ヒロインが、確か現在の私(イサベル)と全く同い年の設定だから……。逆算すると、アルミエル中将との年齢差は、今はおよそ18歳くらいかしらね」
原作の描写によれば、アルミエルはあまりにも若くして中将という激務の地位に就いてしまったがゆえに、日々の軍務が多忙を極め、幼い妹(ヒロイン)の傍にいて十分な世話をしてあげられなかったことに、一人の姉として常に胸の奥に強い後悔と自責の念を抱えて生きている。
そのせいで、彼女はヒロインに対しては、いつだってどこか一人の姉としての申し訳なさと、底なしの深い愛情が複雑に混ざり合あった、歪なほどに強い愛着の感情を持っていたはずだ。
「……それで、結局。物語の後半のあの最大のクライマックスの時――。彼女は最愛の妹を守るために、主人公のアランとヒロイン側の陣営に完全に寝返って、我がビルロティアン皇室を裏切る最大の反逆者になるのよね」
優れた名剣というものは、それを持つ主が自分自身であれば、国家を守るための最高の盾(名剣)となるが、
もしもそれが、敵である他人の手に渡ってしまえば、自らの喉元を一瞬で引き裂く、ただの最悪な凶器にすぎなくなってしまう。
「……フランス。今回の私の最初の任務は、あのアルミエル中将が、将来的に絶対にビルロティアン皇室を裏切って敵に回らないように、今のうちから完璧な手を打っておくことね」
たとえ、期限付きの悪女である私自身が、遠くない未来にこの世界を去ること(死ぬこと)が決まっていたとしても、
せめて、私にこれほどの多くの愛を与えてくれた、カマンお兄様をはじめとする大切な家族たちには……あのアランたちに滅ぼされない、幸福で新しい未来の光を残してから、私は静かに逝きたい。
私がこの世界に介入したことで、物語の流れ(シナリオ)はすでに、原型を留めないほどに大きく変わり始めている。
それでも、後に残される家族の未来を守るために、今の一人の人間としての私にできることは、どんなに泥臭いことであっても、すべてをやり尽くすしかなかった。
――もしかしたら、今夜用意されているこのアルミエル中将との極秘の出会い(晩餐会)の瞬間自体が、歴史の未来を大きく変えるための、絶対の“運命の分岐点(ルート選択)”なのかもしれないわ。
イサベルの聡明な頭脳の思考の糸は、迫り来る未来の破滅を防ぐため、次第に複雑に、より深く絡み合っていく。
「主人公のアランと、メインヒロインの二人が、運命に導かれてこの世界のどこかで出会うということ自体は……この物語の絶対条件(世界線の修正力)だから、そこは私の一存では変えられないとして……」
この世界の物語というものは、細部のエピソードであればあるほど、私の介入によって容易に改変しやすい特性がある。
原作者が公式の書籍で明確に文字にして定めていないような細かい部分ほど、こちらが介入できる自由度は極めて高い。
だが、その真逆の本質として――。
物語の“核”となるような、世界の根幹を支える絶対の設定だけは、人間の力では簡単には動かせないのだった。
「そうなると……。公式で最初から私に明確に決められている、あの21歳での悲惨な“死の運命”も、それと同じ動かせない世界の核(バグ)ってことかしらね……」
かつて私の肉体に深く刻まれた、あの――“ナラビダルの烙印(呪い)”――。それは、原作者が物語の絶対のスパイスとして設定した、人間の力では絶対に覆ることのない絶対の悲劇の要素。
だから、これから私がどれだけ必死に運命にあらがって抗おうとも、イサベルとしてのこの肉体は、21歳を迎えたその瞬間に、必ず命を落とす運命にあるのだ。
そう冷酷に考えると――。
主人公アランと、ヒロインの恋が世界の終わりで美しく成就するというハッピーエンドの結末も、他ならぬ『期限付きの悪女イサベルが、哀れに死んだ後』という大前提があってこそ初めて成立する、動かせない絶対条件(シナリオ)だったのだ。
「もしも……私がこれからの未来、あの主人公のアランを原作のように理不尽にいじめたり嫌がらせをしたりしなければ……。我がビルロティアン皇室が、後半のシナリオで彼らの襲撃を受けて無残に滅ぼされるという最悪の未来も、綺麗になくなるんじゃ……?」
……いや、そう簡単に断言することはできないわ。
私の知らない世界のどこかで、別の最悪な出来事が身代わりに起きて、因果の修正力によって、結局は原作通りの凄まじい皇室滅亡の流れへと強引に収束してしまう可能性だって、十分に考えられる。
だからこそ――私は一瞬たりとも、この世界に対して油断をすることなどできなかったのだ。
いずれにせよ、今夜対面する“アルミエル中将”という存在は、
後の歴史において、我がビルロティアン皇室の喉元を裏から引き裂いて裏切るという、極めて重大かつ凶悪な役割をシナリオ上初めから担わされている。
これほどの超重要人物が目の前に現れた以上、最低限の、彼らを縛り付けるための絶対の“保険(罠)”だけは、今のうちに私の手で完璧に打っておくべきだろう。
いつか私が21歳でこの世を去った後、この地に残される、あの不器用で優しいカマンお兄様たちの未来のために――。