こんにちは、ちゃむです。
「残された余命を楽しんでいただけなのに」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
93話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 本物の「家族」
その時、二人のいる部屋の開かれた窓のすぐ外では、妖精キムボルグが、主の気を引くために何度も、何度も大きな美しい「花吹雪の魔法」をド派手に巻き起こしていた。
――しかし、悲しいかな。それほどの魔力の輝きを以てしても、今のイサベルの尊い意識をこちらへと振り向かせることなど、ただの一寸もできなかった。
何故なら、今のイサベルのすべての愛おしい意識は、目の前にいる実の兄であるカマンのその不器用な態度にばかり、100%集中して向けられていたからだ。
キムボルグはその場で悔しそうに「ぴょんぴょん」と何度も激しく跳ね上がったり、あるいは窓から室内に侵入してイサベルの着ているドレスの裾をグイグイと必死に引っ張ったりして、自らの存在を涙ぐましくアピールし続けたが、その涙の努力はすべて哀れな空振りの空振りに終わった。
「お願いだから、私にも……私にもちゃんと構ってよ、イサベル……!」
しかし、イサベルは相変わらず、目の前のカマンとの楽しげな家族の会話にばかりすべての意識の熱を向けていた。
キムボルグは、自らが世界で一番愛する主から完全に無視され、蚊帳の外に置かれている現実に、すっかりとへそを曲げて拗ねてしまった。
そんな絶望的な状況の中、ついに彼は、主の意識を力尽くでこちらへ向けるための、これ以上ない絶好のチャンスの瞬間を見つけたのだ。
「――もう、私の我慢の限界だーーっ!!」
キムボルグはその場で「ぴょん」と音を立てて高く跳ね上がった。
室内にいる誰よりも、あのカルフ団長すらも凌駕するほどの凄まじい野生の神速の速度で空間を駆け抜け、カマンが今まさにイサベルに向けて差し出そうとしていた、あの貴重な一枚の紙を、横から電光石火の勢いで「ひったくる」ようにして強奪したのだ。
「――あっ、ちょっと、キムボルグ!! 何をするの、返しなさい――っ!!」
イサベルが驚いて大声を張り上げたが、紙を奪ったキムボルグは、まるで身軽な一羽の鳥のように空中へと高く飛び上がり、そのまま部屋の遥か上空にある、日の光が差し込む窓辺の縁へとひらりと舞い降りた。
それは、大人の背丈よりも遥かに高い位置にある、普通の人間では到底手が届かない強固な壁の窓際だった。
「……何で! 何で最近のイサベルは、私のことをちっとも構ってくれないの!?」
「いいから、お兄様の大切な書類よ! 早く下へ降りて返して頂戴!」
「嫌だ!キムボルグは今、ものすごく激しく怒っているんだからな!」
だが――まさにその、主に対して我がままに怒りをぶちまけていたその刹那。
キムボルグの脳内の奥底に、自分自身の声とは根本的に違う、どこか哀愁を帯びた「奇妙な少年の声」が、不意に直接響き渡ったのだ。
―『……やめるんだ、キムボルグ。……そんなふうに、感情に任せて彼女を困らせるような我がままを言うのは、結果として大好きなイサベルに多大な迷惑をかけるだけの、一番最低な行為だよ』
キムボルグは、その脳内からの突然の警告に、激しい戸惑いを覚えてその場で身体を硬直させた。
自らの頭の中のどこから響いてきている声なのか、その出所が全く分からなかったからだ。
―『……そうだよ。驚くのも無理はないけれど、僕は……僕こそが、本当の君自身の姿(本質)なのだからね』
それは、これまでの人生の歴史において、ただの一度だって聞いたことのないはずの、どこか寂しげな「一人の人間の少年の声」そのものだった。
しかし、何故だろう。妖精の身であるキムボルグは、その脳内を支配する少年の声を、過去に何万回も、何十万回もずっと聞き続けてきたかのような、そんな魂のレベルでの圧倒的な既視感(懐かしさ)の波に一瞬にして包み込まれていた。
―『……お願いだから、僕のことを……僕という人間の存在を、どうか忘れないでくれ、キムボルグ。……私たちは、どんなに姿形が変わってしまおうとも、お互いの本当の姿を……あの夜の約束を、絶対に覚えていなきゃいけないのだから……』
キムボルグは、激しい精神的パニックを覚えてその場で頭を抱えた。
何故なら、今脳内で自分を優しく窘めてくれているその少年の声が、他ならぬ「自分自身の魂の声」そのものであると、本能の領域ではっきりと理解できてしまったからだ。
この頭の中に響く不思議な言葉の数々が、決してただの気の迷いなどではなく、世界の真理を突いた本物の真実であることを、彼は直感的に悟っていた。
だが――。それ以上、その自らの奥底から響く不思議な少年の声が、彼の脳内に聞こえてくることは二度となかった。
代わりに、目の前の現実に引き戻された彼の内側から、一度火がついたら誰にも我慢のきかない、あの「甘い蜜を求める蜜蜂」のような、妖精としての強烈な野生の本能が、一気にあふれ出して全身を支配した。
彼は、窓の上から、自らのことを冷酷な暗殺者のような目で見つめ始めているカマン皇子の鋭い視線から、慌てて目を逸らした。
「……イサベル。お前の連れているあの粗暴な野良の獣は、一体どうしたらあのように大人しくなるのだ? ……不快だな。今すぐこの私が、あの場で首を撥ねて静かにさせてやろうか?」
「あ、お兄様、お待ちになって! 私が今すぐあの子を大人しく落ち着かせてみせますから! どうか、ほんの少しだけ私にお時間をください!」
「……フン、早くしろ。ちなみに言っておくが、あの獣が握り潰しているその紙は、ここ『ジルデル・ベースキャンプ』の総責任者が、我が王室に向けて直々に送ってきた、今夜の公式の晩餐会への重要な招待状だからな」
イサベルは、その書類の本当の重要性を知り、むくれ面をしながらおもむろに近くの木製の机の上へと小さな足で這い上がった。
「いい加減にしなさい、キムボルグ! 早くそれを私に返しなさい、本当に怒るわよ!」
「嫌だ! キムボルグのほうこそ、もうとっくの昔から大激怒しているんだ! ……何故なら、キムボルグは、いつだって世界で一番イサベルのことだけを真っ直ぐに見つめているのに!」
「わ、分かっているわよ、そんなこと!」
確かに、この未知のジルデル・ベースキャンプに到着して以降、国家間の複雑な裏交渉やカマンの心のケアにすべての時間を奪われていたせいで、キムボルグのことを二の次にして冷遇してしまっていたのは、紛れもない事実だった。
この数日間の長い間、キムボルグは、他の人間と楽しそうに高度な政治の話をするイサベルのその後ろ姿ばかりを、ただ寂しそうに遠くから見つめ続けるしかなかったのだ。
彼女とちゃんと正面から向き合って触れ合えた時間など、彼女が夜のベッドで無防備に深く眠りについている、あの僅かな時間の合間だけであり、そんな一過性の静寂だけでは、彼の飢えた妖精の魂が満足できるはずがなかったのだ。
イサベルは、机の上でめいっぱい自らのかかとを高く上げ、小さな両腕を窓際へと向かって精一杯上に伸ばした。
しかし――。元々、本日一番のパーソナルカラーの気づきにより、自らの身体の「手先の器用さ」のパラメータが壊滅的に不器用(ゼロ)であると自覚したばかりの彼女なのだ。そんな無茶な姿勢を維持できるはずがなかった。
案の定、彼女は机の上で一瞬にしてバランスを完全に崩し、キムボルグのいる窓際とは全く違う方向へと、重力に従って真っ逆さまに転がり落ちていったのだ。
「――わっ、きゃあぁっ!? ちょっと、身体が――っ!?」
(――ぐらり――)
イサベルの世界の視界が、一瞬にして大きく斜めに傾く。
完全に足元のバランスを崩し、宙へとその身体が放り出されたのだ。
「――イサベル――ッ!!」
窓際でそれを見たキムボルグが、血相を変えて慌てて空中へと飛び出した。
ほんの一瞬の、瞬きをするほどの短い時間の間の出来事であったが、その時の妖精の顔には、自らの我がままが招いた最悪の事態に対する、底なしの激しい後悔の色が浮かんでいた。
自らのあの軽率な嫌がらせの行動のせいで、世界で一番大切な彼女の細い肉体を傷つけてしまうかもしれない――それは彼にとって、自らの魂が消滅するよりも遥かに耐えがたい、最悪の恐怖だったのだ。
――だが。幸いなことに、部屋の床に彼女の肉体が激突するような、そんな最悪の衝突音がこの私室に響き渡ることは、最期までなかった。
なぜなら、宙に浮いたイサベルの小さな身体を、すぐ横にいたカマンが、自らの強固な両腕を以て、間一髪のところで完璧に受け止め、抱き留めたからだ。
「……へへっ、冷や汗をかかせちゃってごめんなさい。ありがとうございます、お兄様。……私、もし落ちたとしても、私の素敵なお兄様なら、絶対にその身を挺して私を完璧に守ってくれるって、最初から信じていましたわ」
実のところ――この一連のドタバタの転落劇は、すべてイサベルの頭脳の中で一瞬にして組み立てられた、冷徹なまでの『計算(フェイク)』だったのだ。
もしも、あのままキムボルグが窓際で書類を持ったまま頑なに立てこもり、時間を無駄に長引かせてしまっていれば……。逆に、カマンお兄様の怒りの温度が完全に限界(レッドゾーン)を超えてしまい、本当にキムボルグの命そのものが物理的に危なくなる可能性が極めて高かったのだ。
今のキムボルグの未熟な実力では、本気になった暗殺者カマンのあの狂暴な一撃を、真っ正面から受け止めて生き残ることなど到底できない。
――だからこそ、彼女は自らの身体を人質にして、この舞台を強引に終わらせたのだ。
キムボルグという存在に、その崇高な本当の名前を直々に与えた主(オーナー)であるこの自分が、いざ実戦の場において、彼を完璧に制御できていないという恥ずかしい事実を示すことも、イサベルにとっては一人のプロの政治家としてプライドが許さないことだった。
だから彼女は、わざと危険な高い机の上に登り、わざとカマンのいる方角へと自らの身を投げ出した。
それこそが、カマンの怒りの矛先を一瞬にして完全に消し去り、この最悪な修羅場のすべてを最も合理的かつ迅速に収めるための、唯一の絶対の手段(アンサー)であったからだ。
「……お前、どこか身体に怪我はないか? 痛む場所は?」
「ええ、どこも痛くありませんわ。すべてはお兄様の、その素早い機転のおかげですもの」
すべては自らの冷徹な計算の上の行動だったとはいえ――。今、目の前で必死に自分を抱き留めてくれているカマンのほうは、そんな裏の意図など一寸も知らないのだ。
実際、彼の着ている上質な服の背中のあたりには、妹を失うかもしれないというあまりの恐怖のせいで、びっしりと冷たい冷や汗がにじみ出ていた。
カマンは、腕の中の妹の無事を確認すると、その安堵から、静かに、どこまでも低い声で口を開いた。
「……お前は、頭脳は優れていても、肉体はまだこれほどまでに幼く、脆い子供なのだな。……身体の効率的な使い方も、体内の魔力を巡らせる運身術の真理も、基礎的な歩法のステップも……。そして、目の前の目標を正確に捉えて動くための空間把握の力も、何もかもが、戦士としてはあまりにも未熟すぎる」
「それどころか、基本的な剣を握るための手技(マニュアル)すらも、まだ何一つその身についていないではないか」
かつての孤独だった頃の歪んだ彼であれば、目の前にいるこのような戦闘能力皆無の弱者を見つめた時、そのあまりの弱さを「未熟なゴミだ」と冷酷に見下して切り捨てていたことだろう。
だが、このイサベルという一人の少女と出会い、その温もりに直接触れて以降、彼のその偏った強さに対する絶対の考え方は、根本から完璧に間違っていたのだと気づかされた。
人間というのは、一人一人が全く違う生き物であり、それぞれに神から与えられた「得意なこと(才能)」が全く違っているだけなのだ。
もしも、誰かに足りない不器用な部分があるのなら――。それを、その人の代わりに、別の得意な誰かが全力で補って守ってあげればいいだけの話なのだ。
「だから、イサベル。お前は……」
彼の胸の最も深い奥底に、十数年もの間ずっと冷たく溜め込まれ続けていた、本当の家族への愛の言葉のすべてが、堰を切ったかのように一気にあふれ出し、室内に優しく響き渡った。
「――だからお前は、そんな未熟な身体のまま無理をして一人で立とうとせず、ただこの私に、すべてを頼ればいいのだ。……私は、他ならぬお前の本当の『兄』なのだからな。……お前がこの私に望むことであれば、私はどんなことであっても、それを拒むつもりなど毛頭ない」
どうか、これからは私を頼って、私の前で生きてほしい。
今、腕の中で温かい息を吐いている彼女を見つめていると、剣術の腕前が上手だとか下手だとか、政治的なセンスがあるかないかなど、そんな世俗のくだらない問題は、国家の歴史を考えても本当に大した問題ではなかったのだと、心の底から思えた。
彼の人生にとって、本当に、世界でただ一つだけ重要な絶対の真理は、もうこれしかなかった。
――目の前にいるこのイサベルが、今日も五体満足に、無事で生きていてくれること。ただそれだけだ。
先ほど、イサベルが机の上からぐらりと体勢を崩して宙へと倒れかけたその刹那、カマンの脳内には、自らの世界が音を立てて真っ二つに傾いて崩壊していくかのような、心臓が凍りつく凄まじい『恐怖の感覚』が襲いかかっていたのだ。
「だから、イサベル。……私の前で、そんな危なっかしい無理な生き方をするのは、もうおやめなさい」
彼の目には、今のイサベルのすべての政治的行動が、今にも壊れてしまいそうなほど、ひどく危なっかしい綱渡りのように見えていた。
『私、剣術の訓練が大好きですのよ!』だの、『身体を動かすきつい特訓のほうが、かえって楽しいですわ!』だの――。
そんな、周囲の大人たち(皇室)の顔色を伺って気に入られるために、自分の心に嘘をついてまで、平気なふりをして無理な言葉を並べ立てる必要など、私の前では一切しなくていいのだ。
『私は全然大丈夫ですわ! 毎日がとても楽しくて、今、これ以上ないほど世界で一番幸せですの!』
――そんなふうに、私の前でまで、傷ついていないフリをして健気に強がる必要など、どこにもないのだから。
どうか、あの一歩間違えれば死に至るような、自らの命を削るような危うい生き方だけは、私の目の届く場所ではしないでほしい。
誰よりも、その孤独な強がりの生き方の果てに待っている「地獄の苦しみ」を、自らの身を以て誰よりも知り尽くしているカマンだからこそ。
せめて、この新しく出会った最愛の妹(イサベル)だけは、自らが歩んできたあの暗い過去の歴史とは全く違う、誰かに甘えられる幸福な道を歩んでほしいと、一人の人間として切に願ったのだ。
「これからは、この私が……お前の本当の、世界で一番の『家族』になってやろう。だから、何も恐れずに私を頼るがいい。……どうか、その小さな心を開いて、私の前では、お前の本当の正直な本音だけを見せてくれ、イサベル」
「お兄様……」
「……あぁ、本当に、怪我もなく無事でよかった」
カマンは、自らのこれまでの人生で一度もしたことのないような、まるで世界の至高の宝物(壊れ物)を両手で慎重に扱うかのような、優しい手つきで、イサベルの身体をそっと冷たい地面の上へと降ろしてあげた。
もしも自分の力が強すぎたら、彼女が簡単に壊れてしまうのではないかと、心底から気遣うような、皮膚にそっと触れるだけの優しい大きな手のひらの感触が、そこには確かにあった。
(……うふふ。カマンお兄様ったら、今のその真剣な顔。誰がどう見ても、過酷な戦場からボロボロになりながらも奇跡的に生きて生還してきた、本物の帰還兵(ヒーロー)みたいにカッコいいわね)
彼のあまりにも本気すぎる優しい様子を間近で見ておきながら、先ほどは事態を収めるためとはいえ、わざと机から嘘の転落をして彼を騙してしまったことが、イサベルの胸の奥で、少しだけ申し訳なくなるほどだった。
「お兄様。……そんなに私のこと、心の底から激しく心配してくださっていたの?」
「……あぁ、当然だろう」
その彼の直球の答えを聞いた瞬間、イサベルはふわりと、世界を優しく照らす太陽の光の笑顔を浮かべて微笑んだ。
「ほら、お兄様。……やれば、ちゃんと私に対して、そんなふうに最初から優しく本当の本音を言えるじゃないですか」
「――っ!?」
その彼女の愛らしい指摘の言葉を聞いた瞬間、カマン皇子の引き締まった全身の肉体が、驚きでピキリと化石のように硬直した。
言われて初めて、気がつけば、自分が長年の自制の殻をすべて突き破って、信じられないほどの熱い感情の言葉の数々を、自らの口からノンストップで口走っていたという事実に気づいたのだ。
「……私は、今……一体、お前に向かって『何を口にしていた』のだ……?」
カマンは、自分が今さっきまで、この部屋の内部で一体どんな熱い家族の愛の告白を口にしていたのか、その詳細な言葉の内容が、気恥ずかしさのあまり頭の中で上手く思い出せなくなっていた。
いや、より正確に言うなれば、あまりにも感情が高ぶりすぎていたせいで、自らの理性の記憶が上手く追いついていなかったのだ。
ただ、彼の貧しい頭の中に不意に浮かんだ、妹を愛おしいと思う真っ直ぐな本音の言葉の数々を、ほとんど無意識の衝動のままに、そのまま外部へと口にしていただけのようだった。
けれど――。彼の胸の奥底には、これまで生きてきた二十数年の歴史の中で一度も味わったことのないような、どこかぼんやりとしていて、世界の何よりも柔らかくて、温かくて心地いい、極上の幸福な感覚だけが、余韻として確かに残されていた。
それは、彼が生まれて初めて自らの肉体で味わうような、奇妙で、不思議な、言葉にできない極上の気分。
それでも、その初めての温かい感覚は――彼にとっては、決して悪いものではなかった。
「――本当に、ありがとう。……大好きよ、お兄ちゃん」
「……っ」
あぁ、神様。
今日という日を境に、この孤独だった彼にも、世界で一番温かい、自分だけの本物の「家族」ができたのだ。