こんにちは、ちゃむです。
「悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
95話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 情報工作
傲慢と焦燥が、かつて名門と謳われた公爵家の当主を盲目にさせていた。
だが、プリムローズ公爵はまだ気づいていなかった。
もはや昔のように、プリムローズ公爵家のすべての権力を握り、自分の子どもたちへ好き勝手に恩恵を与えられる立場ではなくなっているということを。
リリカの罪は暴かれ、ジキセンは狂性に呑まれた。公爵としての責務すら果たせなくなっていく彼とは対照的に、家門を離れたユリアは日に日に成功を重ね、まばゆい輝きを放っている。
いや、そもそも今回の混乱を招いた原因そのものが、プリムローズ公爵自身の傲慢さと無能さにあった。当然ながら、家臣たちももはや、落ち目の当主を頼るような真似はしなかった。
彼らが次の主君として仰ぐべき相手は、すでに決まっていた。
現公爵よりもはるかに視野が広く、柔軟な考えを持ち、何よりこの絶望的な状況を解決できる唯一の人物――。
「ユリアお嬢様。プリムローズ公爵家と共同で行っていた事業を打ち切るという噂が、すでに社交界で広がっています。実際、他家の方々にお会いした時も、かなり冷たい雰囲気で……」
「そもそもリリカ嬢……いえ、あの偽物の令嬢が『生命の恩人』だと偽っていたからこそ結べた契約でしたからね」
「妊娠詐欺の件まで発覚した上、神殿への不信感も爆発しています。こちらの事業にも甚大な影響が出ておりまして……」
プリムローズ公爵は、これまで蓄えてきた莫大な財産がある。プライドを傷つけられた勢いで無茶を通すこともできるだろう。だが、現実を生きる家臣たちは違った。
「このままだと、投資した資金をすべて失うことになりかねません!」
「昨日も、『偽物の聖女』と親しいことを公然と自慢していた神官が暴徒に殺された、などという不穏な噂まで流れてきております」
ユリアは、彼らの悲痛な訴えを静かに、ただ静かに聞き流していた。
家臣たちは彼女の顔色をうかがいながら、ついに本題を口にする。
「それに……公爵様は今、屋敷の使用人たちへ凄惨な暴力を振るっているそうです」
「え?」
「詳しくは分かりませんが、ジキセン様が暴れた際、公爵様もかなり傷を負われたようで……。ジキセン様は最終的に別館にまで隔離され、近いうちに――」
「……どこか遠くの病院へ入院させられるようです」
それは、ユリアがこれまで見せた中で、最も大きな反応だった。家臣たちは好機と見て、急いで説明を続けた。
「プリムローズ公爵様は実の息子に殺されかけた怒りと屈辱を、すべて騎士や使用人たちへぶつけておいでです。特に執事は気絶するほど酷くやられ……下手をすれば命に関わっていたとも」
「命に……?」
「もし公爵様が途中で力尽きていなければ……本当に危なかったかもしれません」
執事は特に、ユリアとマドレンヌに肩入れしていたという理不尽な理由で激しく暴行を受けたらしい。他の使用人たちも同じように八つ当たりの標的にされていた。
「灰皿を投げつけられて顔に当たった騎士は、失明寸前だったそうです。お嬢様が残してくださった回復薬があったからこそ一命を取り留めたものの……」
ユリアが家を出て行ったあの時、自分へ突進してきたジキセンを止めるため、身を挺して庇ってくれた騎士たちの実直な姿が脳裏をよぎる。
「……初めて聞きました」
「皆、『ユリアお嬢様』にこそ本当の忠誠を尽くしておりますから」
「……」
「状況が状況ゆえ、皆できる限り隠してはいたのですが、傷があまりにも深くて隠しきれなかったようでして」
家臣がユリアへ報告すると伝えたことで、ようやく重い口を開かせ、事情を聞き出せたらしい。残っていた貴重な回復薬はすべて重傷者の治療に優先して使われており、打撲や軽傷程度には回せない過酷な状態だと推測された。
「今や、公爵家が薬を買いに行くこと自体、周囲の目を気にして難しくなっているそうです」
「……」
「おそらく、プリムローズ公爵様も精神的にかなり追い詰められているのでしょう。ジキセン様の様子も相当に深刻だと聞いております。このままでは、プリムローズ公爵家の先行きは完全に暗雲に包まれるでしょう」
最後までユリアに余計な心配をかけたくなくて、家臣たちも迷った末に打ち明けたのだろう。彼らの言葉には、次第に露骨な本音が滲み始めた。
「家を出る時に色々と思うところもおありだったでしょうが……今は状況が違います。どうか、お戻りになられてはいかがでしょうか?」
「皆、ユリアお嬢様の帰還を心から望んでおります」
「もちろん、お気持ちを整理する時間が必要なのは理解しております。ですが、公爵様がお仕事を続けることも難しくなっておりまして……いえ、仕事を続けるのも難しいほど、“健康状態”がかなり悪化しているそうでして……」
「一度、お見舞いという形で屋敷に行かれてはいかがでしょうか?」
「お嬢様こそ、誰が何と言おうと祝福の力を持つ、正真正銘のプリムローズ家のお方なのですから」
家臣たちは口々に、「慈悲深いお嬢様なら、病める父親のために動いてくださるはずだ」と美辞麗句を並べ立てた。話の辻ざまは微妙に噛み合っていなかったが、結局彼らの言いたいことは一つ。早く戻ってきて、この泥舟のような公爵家を救ってくれ、ということだった。
「……分かりました。プリムローズ公爵家へ伺います」
家臣たちはユリアの返事に、安堵のため息を漏らした。
――その瞬間、彼女の美しい口元に浮かんだ、冷酷で満足げな笑みには、誰一人として気づかなかった。
彼らは、自分たちが必死にユリアを説得したと思い込んでいた。だが実際には違った。ユリアは、家臣たちの方から先に困り果て、頭を下げて訪ねて来るこの瞬間を、ずっと完璧なタイミングで待っていたのだ。
その頃、プリムローズ公爵はユリアの乗る馬車を必死に追させていた。
どれだけ懇願の手紙を送っても、娘は一度も会ってくれなかったのである。
「馬車を何とかして物理的に止められないか?」
「え……?」
「それが無理なら、ユネトの近くの荒野にでも放置して、向こうからこちらを頼って探しに来ないと生きられないようにしてしまうか……」
付き従っていた使用人は、そのあまりの暴論に顔を青ざめさせた。公爵の言っていることは、誘拐や監禁の類であり、明らかに常軌を逸している。冗談だと思おうとしても、その血走った表情はあまりにも真剣だった。
「あるいは、社交界の集まりの日程をすべて調べて、偶然を装って接触するか……」
延々と執着に満ちた方法を考え続けていた公爵が、不意に使用人へ刺すような視線を向けた。
「お前はどうして何も言わない? まさか、お前まで私を滑稽だと思っているのか?」
「い、いえ! そんな滅相もないことは……!」
本当は、「会いたくないと拒絶している娘を、そこまでして醜く追い回す必要があるのか」と口にしたかった。
プリムローズ公爵は答えも待たず、手元にあった分厚い本を白くなるほど強く握り締めた。まるでその角で、誰かを殴りつけるつもりでいるかのように。
飾られた部屋の扉が勢いよく開く。
「ユ、ユリアお嬢様がお見えになりました!」
「……何だと?」
プリムローズ公爵の表情が、一瞬で嘘のように明るくなった。
「どこだ、どこにいる!?」
「ひとまず応接室へご案内しております……」
使用人の言葉が終わる前に、公爵は椅子を蹴立てて立ち上がり、そのまま応接室へと駆け出した。
扉を開けた先には――。
自分によく似た美しい金髪を持つユリアが、静かに腰を下ろしていた。
「……私の娘が、ようやく来てくれたのか!」
それは、彼が生まれて初めて口にした、心からの歓喜を装った呼び方だった。
無表情のまま座るユリアの唇が、わずかに動く。だがプリムローズ公爵は、それを久しぶりの再会に対する照れ隠しだと勝手に受け取った。彼はすぐさま“慈愛に満ちた良き父親”の仮面を作り上げ、嬉しそうに歩み寄る。
「久しぶりだな。今までどれほど――どれほどお前を心配していたか分からない。顔を見ることすら難しくて……」
そう言いながら愛おしげに手を伸ばしかけた瞬間、ユリアの護衛騎士セリアンが、鋭い踏み込みで素早くその前に立ち塞がった。
先ほどまで浮かれていた公爵の顔色が、一気におぞましく険しくなる。
「貴様……どこの馬の骨とも知れん護衛風情が、私の前に……」
だがユリアはセリアンを制するでもなく、静かに、そして冷たく口を開いた。
「急に近づかれると困りますので」
「……ああ」
公爵は言葉を失った。本来なら、主君である自分を遮った無礼な護衛騎士をその場で極刑に処してもおかしくない立場だ。それ Nano に――。
「はは……他人じゃない。私はお前の父親なのに」
「……」
「護衛騎士が、帝国の公爵である私を遮ってまでお前を守ろうとしたから、少し驚いただけだ。だが……お前がそれを望むなら、我慢しよう」
それでも彼は、必死にプライドを押し殺し、ユリアの機嫌を取るための柔らかな表情を作った。今はとにかく、この救いの一手を逃したくなかった。
「細かいことを責め立てるつもりはない……。そもそも、今まで私がお前に与えてやれなかったものも多かったからな」
公爵は、さも申し訳なさそうに言った。だがその言葉の端々には、どこか「自分は許してやっている側だ」という傲慢な響きが混じっていた。自分が歩み寄る寛大な姿を見せれば、慈悲深い父親として映る――そう信じ込んで疑わないのだ。
「たとえリリカに騙されていたとしても……お前が私の本物の娘だった事実は変わらない。せめて一度、顔を見て直接謝りたかったんだ」
当然ながら、そのあまりにも身勝手な謝罪は、ユリアの心には微塵も響かなかった。響くどころか、果てしない呆れすら覚えさせた。
(全部リリカのせいにするなんて……どこまで責任感がないのかしら)
確かに、リリカの犯した罪は到底許されるものではない。彼女によって傷つけられ、あるいは命を落とした者の数は両手でも足りないほどだ。だが――。
(そのリリカを『聖女』として育て上げ、増長させたのは、あなたじゃないの?)
どれほど生まれつき性格が歪んでいようとも、きちんとした教育と真っ当な愛情を与えていれば、少しは違う未来もあったはずだ。それなのにプリムローズ公爵は、リリカの本性に最後まで気づけず、ただ盲目的に甘やかし続けた。無限の権力を与え、好き放題できる環境を整えたのは、他ならぬこの男だ。世間が公爵家に向ける冷酷な視線は、その盲信の代償だった。
「ユリア……私は本当に反省している。お前には心から申し訳なく思っているんだ。時間が経つほど、リリカという女がどれほど凶悪だったか……」
だが結局、彼はまた全てを死人に押し付け、自分自身の責任から醜く目を逸らしていた。自分だけを哀れな被害者のように仕立て上げるその姿勢は、あまりにも見覚えがあった。
(……本当にリリカそっくり)
血の繋がりはなくとも、行動も表情も、無意識に人を見見下す態度さえも、驚くほど似通っている。
「口では何とでも言えますから」
ユリアは冷ややかに呟いた。本当の娘であるユリアよりも、プリムローズ公爵の醜悪さに似て育ったリリカ。時には血筋以上に、長く傍にいて甘やかされた環境が、その人間性を染め上げるのだろう。ユリアよりもずっと近くで彼の背中を見てきたのだから、考え方や振る舞いが骨の髄まで染みつくのも当然だった。
ユリアは静かに息を吐いた。
「謝罪は聞きました。でも、今日はそんな昔話を精算しに来たわけではありません。……お父様」
「な、何でも言ってくれ!」
「もう一度『お父様』と呼んでくれるなら、何だってできる気がする……手紙にそう書きましたよね?」
「……ああ、そうだ!」
プリムローズ公爵は感極まったように何度も頷いた。自分の都合の良い言葉に簡単に酔うあたり、本当に浅はかな男だった。
「お前が望むものなら何でも与えよう。後継者の座も、今すぐお前のものにしてやる! お前はずっとそれを欲しがっていただろう?」
「……」
「家を出た娘だと反対する家臣がいれば、私がすべて力で黙らせる。だから戻ってこい、ユリア。頼む……この父を見捨てないでくれ」
今回、ユリアが皇帝を救うエリクサーを作り、真犯人まで暴いた功績はあまりにも大きかった。望むなら、彼女個人で新たな爵位を得ることなど容易い。もはやプリムローズの姓に縛られる必要など、どこにもなかったのだ。
家を出る時に、この男がユリアへ浴びせたあの言葉とは、まるで正反対だった。
『愚かなやつめ。最近少し持ち上げられたくらいで、自分が何者かになった気か? お前からプリムローズを取ったら何が残る! 全て私が与えたものだというのに……!』
『家を出てまだ数日しか経っていない……すぐ後悔して、泣きながら頭を下げに来るさ!』
プリムローズ公爵は内心の不安を必死に押し殺しながら、ユリアの返事を待った。
立場は完全に逆転したのだと、ユリアは冷徹に理解していた。
『私を小公爵に任命してください』
『そんな現実味のない話ではなく、本当に言いたいことを言ってください』
かつて自分を鼻で笑った男に向け、ユリアは肩をすくめながら言い放った。
「前は私が小公爵になるなんて有り得ないとおっしゃっていたのに、今はどうして問題ないのかしら?」
「ユリア、あの頃と今では状況が違うだろう。父がこうして頭を下げているのに、どうしてわざわざ昔の話を持ち出すんだ……」
「ああ、はい。『状況』ですか」
そうだろう。後継者だったジキセンは壊れ、可愛がっていたリリカも消えた。その後になって、ようやく彼はユリアを見始めたのだ。
今みたいに切羽詰まった状況じゃなければ、私に戻ってこいなんて言わなかったくせに。彼の愛情というものは、自己保身の状況次第であまりにも簡単に揺らいでいた。もし本当にユリアを愛し、少しでも申し訳ないと思っていたなら、すべてが崩れ落ちる前に一度くらいは自分を振り返ったはずだ。
「私も、状況が変わったんですよ」
ユリアはゆっくりと、妖艶に口元を歪めた。
「もう――『それ』じゃ足りないんです」
「そ、そうか? なら何が欲しい? プリムローズ家が誇るルビーより価値のある宝石でも、私が競売でいくらでも……!」
慌てた公爵は、ユリアが自分の提案に前向きなのだと勝手に思い込み、その一点だけに必死にしがみつこうとした。
だが、次の瞬間、放たれたユリアの言葉に、公爵の表情は音を立てるように崩れ去った。
「後継者の座ではなく――プリムローズ公爵位そのものを、今すぐ私に譲りなさい」
「な……ッ!?」
「何を馬鹿な……!」
「昔なら小公爵位で十分だった。微温い地位じゃ満足できそうにないんです」
「ふざけるな! 冗談も大概にしろ!」
「時間が経ちましたから。人は変わるものですよ」
ユリアは肩を軽くすくめた。
「だから、あの時、私をちゃんと後継者にしておけば良かったのに」
「お前……公爵位を何だと思っている!」
プリムローズ公爵の首筋に、おぞましい血管が浮かび上がった。怒鳴り散らしたい衝動をどうにか押し殺しながら、彼は低く唸るように言葉を吐き出した。
「後継者でいながら、公爵の莫大な仕事を少しずつ学ぶだけでも、どれほど難しい立場だと思っているんだ!」
「そうですか? 傍から拝見している限り、そんなに難しそうには見えませんけど」
「何だと?」
「むしろ興味ありますよ。どうすれば偽聖女と結託して、皇帝と皇女の暗殺未遂に関わり、一族を破滅へ導けるのか……その無能の極意を」
「黙れ!!」
ついに堪えていた怒りが爆発した公爵だったが、ユリアはなおも余裕の笑みを崩さなかった。
「きっと歴史に残りますね。プリムローズ公爵家はフィアスト帝国建国の頃から続く誇り高き名門だったのに、ここまで家名を地に落とした無能な当主はいなかった、と。……そんな不名誉なこと、教わる必要もありませんわ。教えられても真似できそうにありませんし」
くすりと、ユリアは鈴を転がすように笑った。
「謝ろうとしている父親に対して限度というものがある! 父親に向かって、いつまでそんな無礼な口を叩くつもりだ!」
図星を突かれて反論できなくなった末に、公爵ができたのは、結局ユリアの態度を責め立てることだけだった。そして次の瞬間、彼は苛立ったように威圧的に一歩前へ踏み出し、言葉を重ねた。
「答えろ、ユリア!」
その瞬間、ユリアの瞳に一瞬だけ暗い影が差した。
それを見た公爵は、内心でほくそ笑む。長年培ってきた貴族としての勘が告げていた。この反応は見逃せない。ほんの少しでもユリアの心を揺さぶれれば、この先の会話で主導権を取り戻せるかもしれない――そう考えたのだ。
どれだけ余裕ぶって見せても、所詮はまだ若い娘だ。言葉に詰まる瞬間くらいあるだろう――。
「さっき、『近づかないでください』と言われたのを忘れたのですか?」
だが今回もまた、セリアンが鋼の壁となって公爵の前に立ち塞がった。
「父親だからって、今さらお嬢様に何をする気です?」
「さっきから何なんだ、その生意気な護衛騎士は! 主人の家族に対して!」
セリアンは冷え切った暗殺者のような視線で、公爵を見据えた。やはり、あの時ユリアへ近づけさせなかった判断は正しかった。相手が公爵だろうと関係ない。感情に任せて使用人へ暴力を振るい、執事を半殺しにするような男なのだ。追い詰められれば、今度は実の娘に何をするか分からない。
「公爵である私に逆らって、どうなるか分かっているのか……」
公爵の目が、怒りで真っ赤に染まった。
ジキセンのあの粗暴さは、生まれつきではない。この父親の血だ。目の前の護衛騎士を叩き潰せば、ユリアも恐怖で怯えるだろう――そう考え、拳を握りしめた、その時。
「公爵様。まだご自分の状況が理解できていないようですね」
ユリアは先ほどと同じように優雅に腕を組んだまま、冷徹に告げた。彼女が口を開いた途端、セリアンへ向いていた狂気の視線が再びユリアへと引き戻される。
「リリカは、公爵様が後ろ盾だったから聖女になれた。皇族とも繋がれた。……つまり、今の帝国の混乱と公爵家の破滅を招いた原因は、他ならぬ『公爵様ご自身』なんじゃないですか? そんな泥舟の状態で、私がただの後継者になったところで、何が変わるというのです?」
「そ、それは……」
「父親の犯した大罪を、健気な娘である私が引き継いでやれば、世間体はいいかもしれませんね?」
ユリアは静かに微笑んだ。まるで磨き抜かれた一級の陶器のように、ひび一つ見せない完璧な偽りの笑みだった。
「でも、それでプリムローズ公爵家の評判が根本から回復するわけじゃないでしょう? むしろ『あの無能な公爵の娘が無理やり継いだ』って、社交界でさらに嘲笑されるだけじゃありませんか」
その痛烈な言葉に、プリムローズ公爵の顔色が一気に土気色へと変わった。
「私はただ、お前に謝ろうとしているだけだ! それなのに、お前は……父親をそこまで容赦なく追い詰めたいのか!?」
生まれた時から公爵家の嫡男として特別視され、苦労らしい苦労を何一つ知らずに生きてきた男。だからこそ、他者から否定されることにも、不条理に耐えることにも、彼はまったく慣れていなかった。
「そんなに刺々しい言葉ばかり並べて、何が変わる! 私の傷を抉って満足か!? どうしてお前は、そこまで冷酷な怪物になれたんだ!」
「言いたいことを全部言え、とおっしゃったのは公爵様ですよね?」
そう返すユリアの声音は、最初から最後まで、不気味なほど一切揺らがなかった。感情を抑きれず醜く動揺しているプリムローズ公爵とは対照的に、彼女だけが絶対的な強者として君臨していた。
どちらが本当に追い詰められている側なのか、一目で分かるほどに。
プリムローズ公爵は唇を血が出るほど噛み、俯いた。怒りと焦りで、首筋まで赤黒く染まっている。
「……リリカに肩入れしていた神殿の者たちが、今どうなっているかご存じですか? 民衆の批判が落ち着けば、次に国家反逆の責任を問われるのは――公爵様、あなたです」
ユリアは淡々と事実を告げた。ただ現実を並べているだけなのか、それとも無力な男を心の中で嘲笑っているのか、その美しい声色だけでは判別できなかった。
だがプリムローズ公爵には、もはや顔を上げて彼女の表情を確かめる勇気すら残っていなかった。
「……後継者任命の準備はすでに進めてある。どうせ私が死ねば、お前が継ぐことになる家だ! それなのに、なぜそこまで父親をいたぶる!」
吐き捨てるように叫ぶと、プリムローズ公爵は乱暴に背を向け、応接室を飛び出した。このままあの子と向き合っていれば、せっかく戻ってきたユリアを衝動的に殴り殺してしまいそうだったからだ。
「……っ、はぁ、はぁ……!」
執務室へ戻ったプリムローズ公爵は、荒い息を吐いた。かつては冷静沈着で優雅さすら漂わせていたはずの自分が、今では感情の制御すら利かない。立て続けに起きた騒動のせいで、彼の精神はとっくに限界を迎えていた。眠れぬ夜が続き、食事も喉を通らない。
それでもプリムローズ公爵は、一つだけ確信したことがあった。
――綺麗事だけでは、人は動かないのだ、と。
相手を自分と同じ対等な人間だと思い込み、穏やかに説得しようとするなど、最初から愚かな間違いだったのだ。ユリアも傷ついているだろうと無駄な気遣いをし、柔らかい態度で接してやった。だが結果は、あの生意気な有様だ。
「穏便に済ませる方が、お前ににとっても得だろうに……。結局、この父親に力ずくの手段を選ばせるのだな、ユリア」
公爵は低く吐き捨てた。所詮は“仮初めの娘”だと油断していた。少しくらい放っておいても、勝手に従順に育つ家畜だと思っていたのだ。
「……娘の分際で、この私に牙を剥くとは」
彼は冷え切った苦い紅茶を一気に飲み干した。そして、ユリアを強引に再び取り込むための、どす黒い準備を始めた。大きく息を吐きながら今後の算段を巡らせた彼は、執務室のベルを激しく鳴らす。
やって来たのは、先ほどジキセンの件で暴行を加えられ、命の危険すら噂されていたあの執事だった。
「お呼びでしょうか、公爵様」
思ったよりもしっかりとした足取りの様子に、公爵は不愉快そうにわずかに眉を寄せた。
「ユリアと私が劇的な和解を果たした、という噂を今すぐ社交界に流せ。さらに、あの子をプリムローズ家の新たな正当なる後継者にするつもりだ、ともな」
執事は黙ったまま、差し出された偽りの書状と、口止め料の金貨入りの袋を受け取った。
だが――いつまで経っても、従順な返事がない。
「……どうした。耳が聞こえなくなったか? 書かれている通りに、愚かな民衆どもに信じ込ませればいいだけだろう」
「本当に……ユリアお嬢様がこのような泥舟に戻って来られると、本気でお思いなのですか?」
執事は低く、冷徹に問いかけた。その濁った目に浮かんでいたのは、隠しきれない深い失望と、明確な軽蔑だった。
プリムローズ公爵は苛立たしげに激しく舌打ちする。
「最近、どうしてこうも腹立たしい不敬ばかりが続くんだ……!」
彼は机が割れんばかりに強く叩いた。
「前回、あれほど痛い目を見せてやったというのに、まだ理解できないのか! 上に立つ者が命じたなら、犬のように従えばいいのだ! そんな基本中の基本まで、この私が一から教えなければならないのか!」
執事は口を固く閉ざしたまま、ただ俯いていた。
「役立たずめ。なら聞くが、他にユリアを連れ戻す方法でもあるのか? 何一つ成し遂げられなかった無能なお前に、この私を批判する資格があるとでも思うのか!」
「……私は」
「黙れ! お前の薄汚い言い訳など聞く価値もない!」
彼の狂気は、それだけでは終わらなかった。もはやユリアの件だけでなく、周囲のすべてが自分を嘲笑っているように思え、苛立ちを募らせていた。
「運が良かったな。前回は拳の骨折だけで済ませてやったが、今度この噂を流すのに失敗したら、本当にお前の墓を用意してやる!」
怒鳴り声と同時に、公爵が投げつけた重厚な置物が、近くの美しい窓ガラスを激しく粉砕した。執事へ直接手を上げる代わりに、怒りを物へぶつけて狂ったように叫ぶ。
「分かったなら、さっさと私の目の前から失せろ!」
執事は何も言わず、深く頭を下げて静かに部屋を出ていった。
だが、公爵の荒れ狂う態度は、それで収まるはずもなかった。彼は部屋を飛び出し、廊下を通る無辜の使用人たちへまで、手当たり次第に怒声を浴びせ始めた。
「ユリアの居場所を徹底的に探れ! 城の中に、まだあいつと内通している裏切り者がいるはずだ!」
「あの子がプリムローズ公爵家を出ていったのは、お前たち無能な使用人どもにも責任があると分かっているのか!? もしお前たちがもっとあの子の機嫌に気を配っていれば……こんなことには!」
ここ数日、まともに眠れていない公爵は、神経を無理やり昂らせるために濃い紅茶ばかりを過剰に摂取していた。だが、そのせいで自分の精神が、内側から修復不可能なほど擦り減っていることには、ついに気づくことはなかった。
「ふん、一度『和解した』という噂が広まれば、ユリアは簡単に引き返せなくなる……。これ以上拒めば、『後継者の座だけでは満足できず、父親を脅して公爵位まで強欲に狙う希代の悪女』――世間からそう見られるようになるからな。あの子に選択肢などないのだ」
彼は胸の奥で不気味に暴れる、底知れない不安を必死に押さえ込みながら、自らが流した卑劣な噂が世界を覆うのを、ただ暗闇の中で待ち続けた。
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家臣たちの哀訴とユリアの計算:崩壊寸前のプリムローズ公爵家から家臣たちがユリアに助けを求め、ユリアは彼らが頭を下げて頼み込んでくる完璧なタイミングを見極めて公爵家へ出向いた。
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公爵位の要求と無能さの糾弾:復帰を迫る公爵に対し、ユリアは「後継者」ではなく「公爵位そのものの譲渡」を要求し、全ての罪を死人に押し付けて自己保身に走る公爵の身勝手さと無能さを徹底的に追い詰めた。
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追い詰められた公爵の暗躍:プライドを打ち砕かれ精神的に限界を迎えた公爵は、使用人へ暴力を振るいながら「ユリアと和解して後継者にする」という偽の噂を社交界に流し、彼女を強引に縛り付けようと画策した。