公爵邸の囚われ王女様

公爵邸の囚われ王女様【147話】ネタバレ




 

こんにちは、ちゃむです。

「公爵邸の囚われ王女様」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【公爵邸の囚われ王女様】まとめ こんにちは、ちゃむです。 「公爵邸の囚われ王女様」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介となって...

 




 

147話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 怪物

生温い風が、頬を撫でる。

慣れない湿り気と、どこか甘く、曖昧に鼻をくすぐる香りが、肺の奥へと流れ込んできた。

「……ふぅ」

クラリスは小さく息を吐いた。

少しずつ、意識が戻ってくるのを感じた。

『どうして……こうなったの?』

まだ少し重たい頭を、ゆっくりと整理する。

まず思い浮かんだのは、視界が真っ白になって気を失った瞬間だった。

あれは――暴力にも等しい魔法だった。

彼女は、何の抵抗もできないまま、心も身体も投げ出してしまったのだ。

『……頭、痛い』

締め付けられるような鈍い痛みが続く中、クラリスはゆっくり指を動かし、こめかみを押さえた。

凍りついていた身体が、少しずつ溶けていく感覚があった。

『あ……』

そこでようやく、思い当たる。

なぜ今になって気づいたのかは分からないけれど。

『……魔法使いアスト』

突然現れたあの男は、なぜクラリスをこんな場所へ連れてきたのだろう。

彼女を捕らえたところで、何の得があるというのか。

クラリスは、鈍く重たい身体をわずかに動かした。

とにかく――ここから逃げなければならない。

「……っ」

だが、片脚が彼女の意思に反して、鋭い痛みを訴えた。

視線を落として、ようやく気づく。

長いスカートは裂け、血でぐっしょりと濡れていた。

無理に歩こうとしたのだろう。

膝下から足首にかけて、深く裂けた傷が走っている。

動いた拍子に、傷口から血がどくりと溢れ出した。

意識が朦朧とする中で、最初に感じた、あの甘く生臭い匂い――きっと、これだったのだ。

「……い、行かなきゃ……」

クラリスは歯を食いしばり、必死に意識を繋ぎとめながら、ふらつく身体を引き起こした。

なぜか、魔法使いアストの姿は周囲に見当たらない。

――もしかすると、今が唯一の好機なのかもしれない。

一歩踏み出すごとに、裂けた場所から狂おしいほどの痛みが押し寄せた。

まるで、自分自身の身体が引き裂かれていくようだった。

それでも、クラリスは立ち止まらずに歩き続けた。

どこへ向かっているのかも分からないまま。

「……そういえば、ここは……」

いつの間にか暗闇に目が慣れ、最初に目を開いたときよりも、多くのものが視界に入ってきた。

怪物のように巨大な木々や岩が立ち並んでいる。

人の手がほとんど入っていない――深い森であることは明らかだった。

『石を探せばいい。そうすれば、道を聞ける』

クラリスは、自分の力を希望に変えるようにして、もう一歩踏み出した。

けれど、五歩も進まないうちに、何かに足を取られ、そのまま倒れ込んでしまう。

「きゃっ!」

地面から露出した、太い木の根だった。

「……うぅ」

込み上げてくる呻き声を、必死にこらえながら、クラリスはゆっくりと上半身を起こした。

ほかにも傷は増えているようだったが、もともと強い痛みに襲われていたせいか、これ以上ひどく苦しむほどではなかった。

――ガサッ。

近くの草むらで、何かが動く気配がした。

クラリスははっとして顔を上げる。

魔法使いアストかもしれない――そんな最悪の想像が、胸をよぎる。

「……あ……」

だが、彼女の前に姿を現したのは、一匹の白いウサギだった。

大きな耳をぴんと立てたその姿は、この緊迫した状況にもかかわらず、驚くほど愛らしい。

クラリスは思わず、小さな生き物に向かって手を伸ばしていた。

「ねえ……ここがどこだか、分かる?」

もちろん、ウサギが人の言葉を理解するはずもない。

返事が返ってくるはずなどないと分かっていながらも、柔らかく、温もりのある存在を前にして、なぜか自然と、言葉をかけずにはいられなかった。

その場に立ち止まったままの兎は、真っ赤に染まったクラリスの手を、じっと見つめるばかりだった。

「あ……ごめん」

クラリスは慌てて手を引っ込めた。

この状態の手で野生動物に触れるのは、決して賢明な行為ではない。

血の匂いをまとった動物が、どれほど危険な存在になるか――それを誰よりも、彼女自身がよく知っていた。

そのとき、小さく鼻を鳴らしながら匂いを嗅いでいた兎の、苺色の鼻の下にある口が、異様なほど大きく裂けた。

鋭く交差して生え揃った歯は、それが草食動物のものではないことを、はっきりと示していた。

「きゃっ!」

クラリスは咄嗟に手を引いた。

次の瞬間、勢いよく跳びかかってきた兎の無遠慮な口が、ほんの少し前まで彼女の手があった場所を、がりりと噛み砕いた。

あと少し遅れていたら、手首ごと持っていかれていただろう。

地面に伏せたウサギは、特有の愛らしい耳をぴくりと動かし、再びクラリスを振り返った。

――彼女を、明らかに餌として見ている。

その視線を受けて、クラリスはようやく理解した。

“血の匂いをまとっている動物”とは、ほかでもない――自分自身なのだと。

彼女はよろめきながら後ずさりし、土を蹴って再び走り出すウサギを避けつつ、必死に身を起こした。

だが、傷だらけの脚では動きが遅い。

距離はあっという間に詰まり、次の瞬間、ウサギは大きく口を開けて、クラリスの脚へと跳びかかってきた。

『噛まれる――!』

その刹那、どこからか飛来した火の塊が、ウサギを貫いた。

ちょうど、鋭い牙が、深い傷の残る脚に食い込もうとした、その瞬間だった。

「……っ!」

一瞬で炭と化したウサギは、ほどなく小さな塊となって、地面にぽとりと落ちた。

「あ……」

思わず、かすれた声が漏れる。

――助かった。

そう理解するより先に、膝の力が抜け、クラリスはその場に崩れ落ちた。

突如として現れた恐怖の対象が消え去り、その事実を理解するまでの、ほんのわずかな時間。

クラリスは、自分のほうへ歩み寄ってくる男――魔法使いアストを見つめながら、ひとつのことに気づいた。

――ここは……北の城壁の外。

彼の背後、白いローブの向こうには、真っ直ぐに伸びる城壁の稜線が見えていた。

その上に揺らめく篝火の炎や、はためく旗の影を見れば、それが確かな事実だと分かる。

「どうして……」

クラリスは、魔法使いアストを振り返って問いかけた。

「私を、ここへ連れてきたのですか?」

「単純なことです」

彼は、地面を転がる兎の死骸を一瞥し、そのままクラリスのすぐ目の前まで歩み寄った。

「怪物は、怪物の土地で死ぬべきですから」

 



 

「……ほんとに……嫌。」

そう吐き捨てるように言い残し、手を振り払って駆け去っていくクラリスの背中を、ノアは最後まで見送っていた。

その視線が重かったのか、クラリスはやがて巨大な樹の影が落とす闇の中へと溶けるように消えていった。

――あんな場所、良くない。

一瞬、胸の奥に不安が差し込む。

今日は宴のある日で、この周囲には酒に酔った者たちがあふれていた。

それに、ノアは以前から騎士たちに対して、ひとつの偏見を抱いていた。

彼らは美しい少女を見つけると、寄ってたかって称賛し、もてはやす――そんな連中だというものだ。

実際、今日の宴で目にした光景は、その推測が決して的外れではないことを示していた。

ノアは、ちらちらとクラリスへ向けられる無遠慮な視線を、いくつも見つけていたのだ。

とりわけ、騎士たちが連れてきた年若い従者たちは――その目に宿る感情を、隠すことすらしていなかった。

どうにかして、クラリスのそばに留まっていたい。

ノアの胸にあったのは、そんな切実な思いだった。

もし公爵が険しい顔であの場を見張っていなければ、その場にいた十人ほどは、とっくにクラリスに声をかけていただろう。

――それに、彼女は誰に対しても無防備すぎる。

相手がどんな本性を隠しているかも知らないまま、クラリスが使用人たちと楽しそうに話し込むようなことがあれば、ノアの胸の内は、きっと黒く濁っていったに違いない。

……だが、その中でもっとも卑しい感情を抱いているのは、ほかでもない自分自身だ。

彼は今回も耐えきれず、彼女の額にそっと口づけてしまった。

幾度となく、ひとりで思い出しては恋しくなり、その感触を反芻して、また触れてしまったとき。

ノアは、あらためて自覚した。

――たとえ、それが罪であったとしても。

それは、クラリスにとって、決して消えることのない、不快な記憶として残るのだとしても。

ノアは地面に落としていた仮面を拾い上げ、付着した埃を払ってから顔を覆った。

――恥ずかしい。

欲望に突き動かされて、想いを寄せる少女ひとり、まともに思いやることすらできない愚か者が、いったいどんな資格で告白など口にしたのだろう。

そもそも、クラリスの問いは、そんな答えを求めてのものではなかったはずだ。

ノアは、彼女が消えていった方向へもう一度視線を向けたあと、ふと足元に目を落とし――そこに、マランの姿を見つけた。

ぴょこぴょこと、懸命に走り去っていく小さな背中。

まるで、少し離れた場所にいるクラリスの心を察し、急いで追いかけているかのようだった。

その光景を見て、ノアはようやく胸のつかえが取れた気がした。

――マランが一緒なら、大丈夫だ。

あの偉大なゴーレムなら、きっとクラリスの心に真っ先に寄り添い、危険からも確実に守ってくれるだろう。

そう思えたからこそ、ノアはようやく自分の家へと足を向けることができた。

まずは、明日。

どんな言葉で、どんな態度で、彼女に謝るべきか――それを、きちんと考えなければならない。

そして、できることなら……。どうにかして、彼女の命を救う方法を見つけ出す必要があった。

幸いにも、ここにはバレンタインがいる。

彼は王家の人間でありながら、クラリスの死を決して望まない人物だ。

必ずや、力を貸してくれるはずだった。

『絶対に……死なせない』

たとえその決意が、クラリス自身の意思に反するものだったとしても、それでも構わなかった。

その結果、彼女から憎まれ、恨まれることになろうとも。

……いや、正直に言えば、まったく平気ではないのだけれど。

それでも――胸が引き裂かれるような思いをしたとしても、クラリスが生きていてくれるのなら、それでよかった。

さらに、時間が過ぎていく。

クラリスが戻ってこないことにノアが気づいたのは、彼が想いを告げてから三時間が経った頃。

すでに夜半が近づいていた。

彼は自分を責める暇もなく、追跡の光を放って、彼女の行方を追い始めた。

宴をあとにして、ノアはまっすぐ、クラリスが姿を消したあの大樹へと駆け寄った。

木の根元に散らばる小石の中に、マランの姿はない。

石の種類を見分けるほどの才はノアにはなかったが、あの独特の形だけは見逃すはずがなかった。

――いない。

そして。

ノアは、樹の周囲の地面にそっと手を触れた。

そこには、はっきりと魔法の残滓が刻まれていた。

しかも、その気配は――

「……ジェエル。」

誰よりも、クラリスが警戒していた男のもの。

愚かにもノアは、あの男の柔らかな微笑みに、どこか害のないものを感じてしまっていた。

だが今になって思えば、それこそが最大の過ちだったのかもしれない。

次の瞬間、白い光が視界を貫いた。

それは、先ほどノアが見送った光ではない。

質も、重みも、まるで違う――。

「……魔法使いアスト!」

ノアは叫び、光の軌跡を追って走り出した。

嫌な予感が、胸の奥で激しく脈打っていた。

……そうだ。

これは罠だと分かっていた。

それでも、構わなかった。

 



 

『ノア……殺そうとしていた魔法使いは……どうなったの……?』

クラリスは、修道院で耳にした“石”の噂を思い出していた。

――やはり……魔法使いアスト。

すでに予想していた結論をなぞりながら、それでも胸の奥が重く沈んでいくのを、彼女は感じていた。

「どうして……」

彼女は、目の前まで歩み寄ってきた男に、裂けるような声で問いかけた。

いつの間にか、脚の痛みは感じなくなっていた。

「ノアに、どうしてあんなことをしたんですか?」

「……妙な質問ですね」

彼はローブを脱ぎ、木の根元に静かに敷いた。

そして魔法でクラリスの身体を宙に浮かせ、その上へとそっと横たえた。

「私は、まだノアに何もしていません」

軽装のまま、彼はクラリスの正面に腰を下ろす。

「……いいえ」

クラリスは逃げも隠れもせず、真正面から彼を見据えて言い切った。

「ノアを……愛しているふりをしていたじゃないですか」

「……あ」

「本当に大切にしているみたいに。まるで、そこに揺るぎない信頼があるみたいに!」

抑え込んでいた怒りが、言葉に押し出される。声は次第に荒れ、最後にはほとんど悲鳴に近い響きへと変わっていた。

「……ええ、そうです」

それでも、アルステアの表情は一切揺れなかった。

「ですが、そうしていれば――」

彼は穏やかな声のまま、淡々と続ける。

「いつかは、あなたのために死んでくれるでしょう?」

その言葉は、あまりにも静かで、あまりにも残酷だった。

「……!」

「実際、父が亡くなったとき、あの子は死ぬはずだったでしょう?あなた一人の問題ではなかった。あのときで、すべて終わるはずだったんです。……残念でした」

「魔法使いアスト、あなたは……」

「いいえ、正直に言えば、あのときは本当に――」

彼は、ようやく浮かべた満ち足りた笑みのまま、クラリスの顎に手をかけた。

「腹が立ったんですよ。自然に死なせるために、父親に長い間毒を飲ませ続けたのに、その甲斐もなく、あの子はぴんぴん生き残ってしまった」

「……!」

クラリスは、悲鳴がこぼれそうになる唇を、必死に噛みしめた。

魔法使いアストは、再び穏やかな微笑を浮かべながら、彼女を捕らえていた手をゆっくりと離した。

「ともかく、やり直す必要があった。今度こそ、私を愛するように仕向けなければならない――そう思ったのです」

だからこそ、彼はノアに向けて、惜しみない関心と愛情を注ぎ続けてきたのだ。

「ずいぶん長い間、仕込みをしてきました。他の魔法使いたちを通じて――彼の存在が、あなたにとって“枷”になっているという噂も、わざと耳に入るようにして」

クラリスは、かつて灰色のローブをまとった魔法使い――ルカが、ノアを見下ろしながら口にした言葉を思い出していた。

『魔法使いの宝石が、これほど長く反応すらしないのも、きっとあなたの呪いなのでしょう』

当時は、荒唐無稽な戯言だと切り捨てた。

けれど――今になって思えば、それはすべて。

「ノアに……罪悪感を抱かせるための、言葉だったんですね」

「ええ」

「優しくて、誠実な私のために。彼が自分を犠牲にしてくれることを、あなたは望んだ。
……でも、どんなに願っても、私はあの子の“すべて”にはなれなかった」

そう告げながら、彼は埃にまみれ、すっかり乱れてしまったクラリスの髪を、指でなぞるように払った。

「……あなたのせいで」

「……っ!」

その一言は、短く、鋭く、逃げ場なく突き刺さった。

「だから、ついに考えを改めたんですよ。偉大な魔法使いである私の可愛い弟は、あなたのことを考えるだけで集中力を失ってしまう。そういう子でしたからね」

彼は、くつくつと笑い声を漏らした。

まるで、かつての出来事を懐かしんでいるかのように。

「私があなたの名を口にするだけで、ノアの魔法はすぐに破綻した。真っ赤な顔で、やめろと怒鳴る姿が、あまりにも愛らしくて」

しばらくのあいだ笑い続けたあと、彼はようやく呼吸を整え、落ち着きを取り戻した。

「私は誰よりも早く気づいたんです。ああ、ノアは間違いなく……」

意味深な視線で、彼はクラリスをじっと見つめる。

「いつか、クラリス嬢を殺してしまうほど、深く愛するようになるだろう、とね」

胸が、どすんと重く落ちた。

おそらく、少し前に庭園で起きた出来事も、その証左だったのだろう。

彼は、彼女の名を一文字ずつ、慈しむように呼び、そして、こう告げた。

クラリスは、彼を真正面から否定した。

――いいえ、もっと正確に言うなら。彼女は、その言葉そのものを打ち砕こうとしたのだ。

『……少女を失えば、私はこの世界から消える』

その宣告じみた言葉を、クラリスは不安を押し殺しながら叫び返す。

「そんなこと、ありません……ノアは……!」

否定の言葉が、途中で途切れた。

彼女の鼻先へ、ふわりと舞い降りた小さな光。

それは、かつてノアが――夜道を歩くクラリスのために、そっと送り続けてくれていた光と、あまりにもよく似ていた。

淡い輝きは、クラリスの周囲をゆっくりと巡る。

まるで、彼女を包み込み、守ろうとするかのように。

「……それでも、まだ“違う”と言い切れるのですか?」

「絶対に、違います!」

「面白いですね。あなたまで、ノアをそこまで深く想うようになるとは思いませんでしたが」

「……っ!」

その一言は、静かで、楽しげで――だからこそ、底知れない悪意を孕んでいた。

「あの怪物の、どこがそんなにいいんですか?私は今でも、あの顔を見るたびに吐き気をこらえなければならないほどなのに」

「ノアは、誰よりも強く、そして優しい人です」

クラリスは静かな声で答え、目の前の男を、まっすぐに見据えた。

「あなたがノアの顔を直視できないのは、弱いからです。あなたの乏しい力では、ノアに触れることすらできない。その卑しい感情が――」

「うるさい!」

突然、怒鳴り声が響き、彼は乱暴にクラリスの喉元をつかんだ。

「……っ」

締め上げられる指の力に、クラリスの呼吸が苦しげに途切れる。

「私が弱いからじゃない!あれは怪物なんだ、人間なんかじゃない!」

真っ赤に充血した目を剥き出しにし、アストは、クラリスの顔へと威嚇するように迫った。

「そんな甘っちょろい感情が、弱点になる結末を私が黙って見過ごすとでも思ったのか?あの怪物に、私が慈悲を与えるとでも?」

「……っ」

「……はあ」

短く息を吐き、彼はゆっくりと首を振った。

わずかながら理性を取り戻そうとしているようだった。

――誤ってでもクラリスを殺してしまえば、本来の目的は果たせなくなる。

喉元を締め上げていた手が、ふっと離れる。

急に空気が流れ込み、クラリスは目眩に襲われながら床へと崩れ落ちた。

「……どうせ、関係ない」

床に伏せたまま、必死に呼吸を整えながら、クラリスはかろうじて顔を上げ、アルステアを睨みつける。

「全部……終わるんでしょう?」

――違う。絶対に、そんな終わり方にはならない。

そう叫びたかった。

けれど、喉は焼けつくように痛み、荒い息のせいで言葉は形にならない。

それでも。

彼女の瞳に宿った意思だけは、確かに伝わったのか。

アルステアは、ほんの一瞬だけ表情を歪めた。

「彼は死ぬでしょう。何よりも愛する、クラリス嬢を救うために」

「……違うわ」

「そうですか?」

彼はゆっくりとその場から立ち上がった。

いつの間にか朝が訪れ始めていたのか、暗闇一色だった空には、淡い青と紫の光がにじみ始めていた。

その美しい空の下、遠くにもう一つの影が見えた。

今回は、はっきり見なくても誰なのか分かった。

「これで……答えが分かりそうですね」

アルステアは、クラリスを振り返って笑った。

 



 

 

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