こんにちは、ちゃむです。
「悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
72話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 必要のない人たち②
プリムローズ家の父子は、今の状況を理解できずにいた。
ユリアのパートナーになるつもりで手を差し出していたのだ。
「お前が不正を働いたと弁明するつもりはない。家族という縁は、お前が嫌だと言っても断ち切れるものではない。」
「舞踏会の最初のダンスは家族と踊るのがよかろう。」
リリカの戸惑った顔は気になったが、結局視線を向けることはなかった。
リリカが“聖女”と呼ばれているのは喜ばしいことだ。
だがそれとは別に、ユネットの代表であるユリア――いや、その前に自分たちの家族であるユリアは、プリムローズ公爵家へ戻るべきだった。
『お前の前で、リリカよりもお前を優先しているだろう?』
『父と私、どちらの手を取る?』
簡単なことだと思っていた。
ユリアが感動して泣き出してしまったらどうしよう、とさえ内心で気取っていた。
『ラディエータのルビーを本当に売ってしまったのか?』
それに比べても見劣りしない、いやむしろ一層輝いて見えるダイヤのネックレスを身につけたユリアの姿も。
“ユネットの代表”という言葉に泰然と応じるその様子も。
彼らがいなくても本当に問題なさそうに見えた。
その姿は気に入らなかったが……それでも、戻ってくるはずだと思っていた。
ひとつ誤算があるとすれば、現ベイエル伯爵の体調が優れず、突如としてマルセル・ベイエルが伯爵位を継いだことか。
「だが、家族だというのなら、常に共にいたはずの家門から私を追い出したお二人に、私を非難する資格などありませんよね。」
「厚かましいな、マルセル・ベイエル!」
「ユリアの前でリリカに求婚したくせに、良心の呵責もないのか!」
さすが伯爵らしい余裕だ。
伯爵になってから、以前よりも背筋がまっすぐに伸びて見える。
「プリムローズ令嬢。私にたった一度だけでも機会をいただくことはできませんか?」
「私はあなたと踊ることはありません。」
ユリアは容赦なくベイエル伯爵を拒んだ。
その様子を見ていたプリムローズ父子の口元が、ほんの一瞬だけ上がった。
「ああ、もちろんプリムローズ公爵様やプリムローズ公子様とも踊りませんが。」
「ユリア!」
「申し訳ありませんが、すでにパートナーがいるんです。」
「パートナーだと?お前にいったい……」
返ってきた言葉は予想外だった。
「どいてください。」
ベイエル伯爵を嘲っていたことも忘れ、二人はその場に凍りついた。
「……何だと?」
ユリアはすでにパートナーがいると言って、申し出を断った。
いつも問題ばかり起こしていたユリアが、ユネットの代表だと明かされた今でも、人々にはまだ受け入れがたい存在だというのに。
そのユリアにパートナーがいるだって?
だが、その衝撃はすぐに別の衝撃に塗り替えられた。
そのパートナーの正体が、まったく想像もしていなかった人物だったからだ。
「まさか、他の誰でもなく皇太子だというのか?」
信じがたいことだった。
プリムローズ公爵は言葉を失った。
ジキセンも同じだった。
背を向けた瞬間、必死に表情を取り繕っていたリリカの顔が崩れ落ちた。
その場で余裕を見せていたのは、パートナーを見つけたユリアとエノク皇太子だけだった。
それだけでも大事だというのに、エノク皇太子はそこで終わらなかった。
「ユリア令嬢に妙な噂が立っていると聞いた。本来なら言及する価値もないことだが、そのような話を真に受ける者もいるようだから、はっきりさせておこうか。」
彼はユリアの隣で、ためらいなく口を開いた。
「彼は平凡な護衛騎士などではないし、不純な目的で近づくような人物でもない。私がユリア令嬢と“たびたび会って”いることを見れば、証明になるだろう。」
エノク皇太子は、最近ベイエル伯爵がほのめかしていた奇妙な噂さえも、一蹴してみせたのだった。
なんとパートナーである自分が、ユリアと“頻繁に会っている”とまで言い切ったのだ!
これで、ユリアに向けられていた下品な噂はもう立たなくなるだろう。
それが正しいからではない。
皇太子という新たな存在が現れたことで、より大きな話題に塗り替えられたからだ。
プリムローズ公爵やジキセンが噂を抑え込もうとするより、はるかに効果的な一手だった。
『あり得ない……』
こうなると本当に、ユリアにとって自分たちは不要な存在なのではないか。
彼らは呆然と、エノク皇太子の腕に手を添えてゆっくりと去っていくユリアの背中を見送るしかなかった。
そして認めたくはなかったが――二人の後ろ姿は、あまりにもよく似合っていた。
「どのご令嬢ともパートナーとして入場されたことのないお方なのに!ああ、今日は一段と素敵ですわね。お二人、とてもお似合いで……嫉妬する気にもなりませんわ。」
「ユリア令嬢がとても目を引きます。あんな……柔らかな表情をされるの、初めて見ました。」
何よりも、ユリアが幸せそうに見えた。
プリムローズ公爵家で彼らと過ごしていた頃よりも、ずっと。
彼らに愛されたいと内心で願い続けていた、あの幼い少女は、どこかへ消えてしまったようだった。
「ほら、狩猟大会のときに言ったでしょう?皇太子殿下とあの方の関係は普通じゃないって!」
「今は追い出されたくせに、皇太子殿下と仲がいいんですって?」
「狩猟大会のときは同情の余地があったかもしれませんが、今は弁解のしようもない縁じゃないですか!今日パートナーとして来てるの、見えませんか?」
皇太子の側近たちもまた、ユリアとエノクの組み合わせにざわついていた。
「ユネットの代表と怪しい関係だって言われていましたが、やっぱりそれがユリア嬢だったんですね!」
「ある人は殿下がユネットの代表、ある人はユリア嬢。ロールプレイと狩猟大会で分かれて戦っていたのに……二人とも同一人物だなんて……」
「ただ家柄だけ見て好きになったわけじゃなかったんですね!」
なんてこと!
皆が驚く中、二人は見事に踊り始めた。
優雅なダンスの線。
まるで舞うように軽やかなステップ。
お互いの調和が完璧だからだろうか、それとも見つめ合う幸福そうな表情のせいだろうか。
多くの人が集まった冬の舞踏会。
誰もがこの日のために装いを凝らし、心待ちにしていた。
しかしその中で、最も目を引く存在が、エノク皇太子とユリアのペアであることに異を唱える者はいなかった。
前にエノク皇太子に話した通り、もう他人の視線など気にならないという言葉は嘘ではなかった。
『近い!』
私は今、この瞬間、エノク皇太子殿下のことしか頭になかった。
今、彼が私の腰に手を回し、こんなにも至近距離で踊っているのに、他のことなんて考えられるはずがある?
こちらを見て歯ぎしりするベイエラ公爵令息も。
呆れたように薄く笑うリリカも。
無表情を装いながらも怒りを滲ませているプリムローズ公爵も、ジキセンも。
目を向ける時間も、気にする余裕もなかった。
『エノク皇太子殿下を見るので忙しいんだから!』
むしろ、公爵令嬢として受けてきた教育の方が、今この場で足を踏んでしまわないかと心配になるくらいだった。
『私がこんなふうに他人の視線を気にしないでいられるなんて。』
家族たちを堂々と拒むことができて、嬉しかった。
彼らに見られているにもかかわらず、堂々と踊れることに胸が高鳴った。
そして、それ以上に。
「好きな人と一緒に踊れるのが嬉しい。」
悪女である私が、舞踏会で堂々と踊っていることも。
誰かがこんなふうに、私を他の誰よりも大切に思ってくれていることも嬉しい。
踊りながら体を動かすたび、ふわりと香りが鼻をくすぐる。
存在感のあるラベンダーとローズマリーに、やがてシダーウッドが涼やかに重なっていく。
だが、決して軽すぎはしない。
香水は、つける人によってその体の香りと混ざり、印象が変わるもの。
私が彼に贈った香水は、間違いなく私が心を込めて作ったものだった。
だけど……今、エノク皇太子がそれをまとったことで、ようやく完成した気がした。
舞踏会まで忙しい中でも一生懸命作って贈った甲斐があった。
そして――
『これで、私の香りもする。』
私も今日、舞踏会に来る前に香水をつけてきた。
その香りがエノク皇太子の香りと混ざり合い、より深みのある香りを生み出していた。
『だって、ずっと近くにいるから……』
私にはエノク皇太子の香りが、エノク皇太子には私の香りが。
一緒に踊ろうと言われたあの瞬間から、手を取り、ステップを踏むたびに――いつの間にか、こんなにも近くなっていたから。
好きな相手と踊る――舞踏会を前にした令嬢たちが皆夢見るその出来事が、私に起きていた。
「皇太子殿下。今回は私の侍女とご一緒に踊っていただけませんか?もちろんパートナーのご令嬢がいらっしゃるのは承知しておりますが……本日の舞踏会は少し特別な形式ですので。」
そう。舞踏会といっても、すべてが同じルールで進むわけではない。
今回の冬の舞踏会では、「一度踊った相手とは二度と踊らない」という決まりがあった。
けれど――
「申し訳ないが、お断りする。」
エノク皇太子は、踊りが終わった後も私のもとを離れず、傍に留まっていた。
「今は、私の大切なパートナー一人だけを大事にするので精一杯でね。」
「まあ、大切だとおっしゃるのですか?」
「そうだ。この人が、あの人と踊るというのなら――たとえパートナーでなくとも構わないと思えるほどにな。」
そのやり取りの隣で、私は誇らしさを感じていた。
口には出さなかったが、私にもまたエノク皇太子に対する独占欲があった。
(他の人たちは知っているのだろうか。今日エノク皇太子がまとっている香りが、私が彼を思いながら作ったものだということを。)
そして、今の状況もまた私にとって心強かった。
皇太子がしっかりと私を庇ってくれているのだから。
プリムローズ公爵とジキセンは、遠くからこちらを睨むばかりで、エノク皇太子に近づこうとする者の多さもあって、迂闊に近寄れずにいた。
「私は少し嫉妬深いんだ。私のパートナーに他の男が近づくのも我慢できないんだ。理解してくれ。くだらない噂が広まると、気分が悪いからね。」
ビエイラ伯爵は、皇太子の鋭い視線を受けて、びくりと体を震わせた。
「女性に手を出しておきながら、言葉も状況も読めないとは……その程度の頭では無理もないか。」
先ほどに続き、エノク皇太子は冷ややかで厳しい態度でビエイラ伯爵を追い詰めた。
人前で、“皇太子”である自分に対し、相手が明確に一線を越えたことを示すような対応だった。
皇太子がここまで攻撃的な態度を見せるのを見たことがない人々は、息をのんで様子をうかがっていた。
その直後、エノク皇太子はふっと表情を和らげ、柔らかく微笑んだ。
「そういえば、ビエイラ伯爵になったのだったな?おめでとう。」
顔色を失ったビエイラ伯爵は、半ば反射的に皇太子の祝辞に応じた。
「は、ありがとうございます……」
「だが、祝辞とは別の話だ。皇家がビエイラ家と共に進めていた事業は、ここで打ち切る。」
「え?い、いきなり何をおっしゃっているのですか?まさか、私がユリア嬢の元婚約者だからといって……」
「私情ではない。あなたの判断力と知性に疑問があるからだ。」
強い内容とは裏腹に、口調はあくまで穏やかだった。
「それはおかしいでしょう!でなければ、伯爵になったばかりの私に、どうしてそんなことをおっしゃるのですか!」
「自分に問題がないと、本気で思っているのか?」
「言葉で、ですか?」
遅れて状況を理解したビエイラ伯爵は、顔を歪めて言い返したが、エノク皇太子はまったく動じなかった。
「私はね、君が物事の前後も分からず、言ったことすら覚えていないうえ、嫌がる女性を追い回して騒ぎを起こすのを見ていると……伯爵である以前に、一人の人間としての資質すら疑わしく思えてくるんだ。」
エノク皇太子の言葉は、よどみなく続いた。
「今回も、ユリア嬢の屋敷の前で無理やり連れ去ろうとして、護衛騎士に止められた件や、“その男が気になる”などという妙な噂を広めていた件……覚えがないとは言わせない。もはや犯罪者と大差ないのではないか?」
エノク皇太子は、彼を巡る噂をあえて口にし、真正面から突きつけた。
まさに正面突破だった。
噂の出どころまで名指しし、その発言に至るまでの経緯まで一つ一つ明かしていった。
「まさか、ビエイラ伯爵がまたしつこく迫ったのですか?妹のリリカ嬢の誕生日の宴で、公の場で求婚したことすら覚えていないのでしょうか?」
「狩猟大会の時もああでしたのに、また同じことを……正気とは思えませんわ。」
「前回も少し怖かったですわ。公の場でユリア嬢に決闘を申し込んだのですもの。」
舞踏会の会場全体に、「ビエイラ伯爵は信頼できない」という認識が広まり始め、冷ややかな視線が一斉に注がれた。
「ああいう人が伯爵だなんて……とても信用できませんわね。急に怒ったかと思えば、次の瞬間には取り繕うように振る舞って……不気味ですわ。」
「うちの家も、これまでビエイラ家とは関係を持ってきましたが……」
「今後の共同事業については、改めて検討させていただきます。前伯爵はそのような方ではありませんでしたが……」
ビエイラ伯爵を糾弾する皇太子の鋭い気配に、周囲でダンスを申し込もうとしていた者たちは、そっと距離を取った。
「お姉さま、そんなことがあったなんて……本当にお辛かったでしょう」
その話を聞いた人々がざわつく中、一瞬で場が静まり返り、空いた隙を逃さず近づいてきたリリカは見事だった。
先ほどまで敵意を込めてこちらを見ていたのが嘘のように、ビエイラ伯爵の話を聞いて心配する妹の顔を作るあたり、さすがとしか言いようがない。
「皇太子殿下、リリカ・プリムローズでございます。不出来な姉にお心を配っていただき、ありがとうございます」
一瞬で表情を切り替えたリリカは、上品な微笑みを浮かべた。
まず、エノク皇太子に先に挨拶をした。
「申し訳ありませんが、ユリアお姉さまと少しだけ家族で話す時間をいただけませんか?」
そう言いながら、さりげなく私とエノク皇太子を引き離そうとする。
私と彼の間に割って入るように距離を作ろうとするあたり、なかなか大胆な行動だった。
「そういえば……プリムローズ公爵と若公爵が、先ほどユリア嬢にパートナーの申し込みをしていませんでしたか?」
その一言で、人々の関心が私たちからプリムローズ公爵家へと移り始めた。
エノク皇太子ではなく。
「申し訳ありません、令嬢――」
しかし、それよりもエノク皇太子の方が早かった。
「これ以上、“ユリア”との時間を邪魔されたくないので。」
「ゆ、ユリア……ですって……?」
エノク皇太子が私を名前で呼んだ一言に、場にどよめきが広がった。
そして、その事実に最も衝撃を受けていたのは、どうやらリリカのようだった。
さりげなく私を引き寄せようとしていた手も止まり、その場に立ち尽くしている。
「ええ。ユリアに名前で呼んでもいいか、きちんと許可をもらっています」
エノク皇太子は、リリカの動揺などまるで気づいていないかのように、穏やかに微笑んだ。
「他の人と同じような関係に見られるのは、あまり好きではないので」
「……」
リリカは言葉を失い、唇をきゅっと結んだ。
頭の中で、状況を必死に整理しているのだろう。
皇太子がここまで明確に、はっきりと私の味方についている――その事実を。
――そんな展開になるとは、思ってもいなかったのだろう。
「まあ、追い出されたって話でしたけど……どうやら違うみたいですね?プリムローズ公爵様も若公爵様も、お二人ともユリア嬢にパートナーを申し込まれていましたし。ああいうの、初めて見ましたわ」
「ええ、本当ですね。エノク皇太子殿下とも親しそうでしたし。何か問題があるのなら、殿下の方が距離を置かれるはずですもの」
“プリムローズ公爵家から追い出された”という噂がまた持ち上がりかけたそのとき、それまで動かなかったプリムローズ公爵とジキセンが、大股でこちらへ歩み寄ってきた。
「ユリア・プリムローズ!くだらないことはやめて、今すぐ公爵邸へ戻るんだ!」
むしろ声を張り上げ、私の噂をかき立てるかのようだった。
「リリカの言う通りにすればいい。いい噂が立ったときだけ出てくるつもりか?異種族の男と関係があるなどという下品な話が出回っているのに、そんなものが嘘だと言うつもりか。だが、そもそもお前の振る舞いにも問題があったことが分からないのか?」
“男をたぶらかして異種族の奴隷と関係を持っている”という噂は、この場でエノク皇太子によって即座に否定された。
では、それ以外の下品な噂は?
それは……プリムローズ公爵家が流したものではないのか。
私が重大な過ちを犯して追い出された、という話だ。
噂を流した当人でありながら、それを理由に私を責め立てるなんて。
「お前が屋敷を出ていったから、あんな噂が……」
「私が“デマ”だと言ったでしょう?今、被害者を責めているんですか?」
エノク皇太子が口を挟んだ途端、ジキセンは言葉を失った。
「それに……もし本当に一緒にいたのなら、むしろ私のほうが一緒にいたはずでは?その点については、どうお考えです?」
「い、異種族の奴隷と、皇太子殿下は別の存在でしょう!」
プリムローズ公爵は、息子よりもいくらか冷静だった。相手をエノク皇太子ではなく、より言いやすい私に向けてきたのだ。
「ユリア・プリムローズ。いつまでも殿下の後ろに隠れていないで、前に出なさい。子どもでもあるまいし、恥ずかしくないのか?」
「私が隠れている、ですって?」
思わず、くすりと笑ってしまった。
あなたの息子の方こそ、いつも他人の陰に隠れてばかりなのに。
それに、狩猟大会のとき、責任を取りたくなくて右往左往していたのは、ほかでもない――目の前の公爵本人だったでしょうに。
私の様子に戸惑いを見せた公爵に、私は一歩踏み出し、はっきりと声を上げた。
「ではお聞きします。私たちがいるこの舞踏会に、どうしてあなた方が来ているのですか?“戻れ”と言われるために来たわけではないでしょう?」
「まさか……いや、そんな……」
先ほどの動揺とは打って変わって、プリムローズ公爵の目にははっきりと怒りが宿っていた。
「お前……今、反抗しているのか?」
「反抗、ですか?何をおっしゃっているのですか、公爵様。出て行けとおっしゃったから、その通りにしただけですが?」
「プリムローズ公爵家を出てもうまくやっていると言いたいのか?それを見せつけるのが反抗でなくて何だというのだ、私の目の前で!」
苛立ちを隠そうとしながら声を抑えたが、先ほどよりは抑えが利いていなかった。
「……」
「……な、何だ?」
気づけば、舞踏会場は静まり返っていた。
私とプリムローズ公爵の間で、次に何が起こるのか――誰もが息を呑んで見守っていた。
まるで、私が何を言うのか――一言も逃すまいとしているかのようだった。
あなたたちが流した噂のおかげで、かえって視線を集めるのは簡単だった。
“ユリアとプリムローズ公爵の間で何が起きているのか”
誰もがその行方を見守っている。
(やっぱり、気にしてるのね)
人目を意識してパートナーの申し込みをしたのなら、その反動も考えておくべきだったでしょう。
「……」
リリカはここで口を挟むべきではないと判断したのか、ぐっと言葉を飲み込んでいた。
今の状況では、黙っているのが一番賢明だ。
それでも――先ほど私とエノク皇太子を引き離そうとした動きは、止まっていなかった。
「私の目の前で、こんなことをするつもりか?」
「……何を言っている?わざわざ私を刺激するような真似をして……」
「ふふ」
「いい加減、くだらない見栄はやめて公爵家へ戻ってこい」
まるで最初から、私のことなど娘として見ていなかったかのように。
私が家を出たときは、平然と見ているだけだったくせに。
追い出したという噂を流したのはどこの誰だったのか。
今さら“戻れ”などと、都合よく言い換えるその姿は滑稽ですらあった。
「もう娘としては見ない、とおっしゃっていましたよね?」
「きついことを言わないと分からないのか?」
社交界での噂がこれ以上広がる前に従え、とでも言いたげな口ぶりだった。
「ええ。では、“見栄”をやめろとおっしゃるのなら――ひとつ、お願いを聞いていただけますか?」
「お願いだと?」
「ええ。お二人とパートナーを組んで踊るなんて、くだらなくて無意味なことではなく――」
私はゆったりと肩をすくめた。
「私を“令息”にしてください」
「何だと?」
「は?」
ジキセンから、ひときわ鋭い声が飛んだ。
「正気か?」
それはジキセンだけではない。
“令息”という言葉に、周囲も大きくざわめいた。
今まで息を潜めていた人々が、一斉にどよめく。
それほどまでに――私の口にした言葉は重かった。
“令息”――。
これまでずっと、ジキセンのものだと疑いもしなかった地位。
あれほど可愛がられていたリリカでさえ、一度も口にしたことのない“称号”。
ジキセンがプリムローズ公爵家の後継者であるという事実は、揺らいだことがなかった。
(――でも、私がなれない理由はどこにあるの?)
公爵家を出たあとも、なお「プリムローズ令嬢」と呼ばれ続ける中で、ふとそんな疑問が浮かんだ。
たしかに家を出たはずなのに――その呼び名は、悪くないとも思えた。
(そう。私は確かにプリムローズ公爵家が好きだ。公爵も、若公爵も、リリカも――“人”は好きじゃない。でも、“プリムローズ”という名前が嫌いなわけじゃない)
自分自身で地位を得ることだって、悪くはないはずだ。
けれど――。
どう考えても、私だってプリムローズ公爵家の加護は受けているし公爵邸は私が生まれ育った場所。
騎士や使用人たちとも、きちんと信頼関係を築いてきた。
考えれば考えるほど、私が積み上げてきたものをそのまま置いて去るのは、あまりにも理不尽だった。
「お父様が本当に私の帰還を望まれるのなら――それ相応の条件を整えていただかないと、“我儘”をやめる気にはなれませんよ?」
私はわざとらしく首を傾げ、にこりと笑った。
その瞬間、空気が張り詰める。
「ユリア・プリムローズ、お前……」
「ずいぶんと調子に乗ったものだな!」
プリムローズ公爵は眉をひそめ、ジキセンは今にも掴みかかりそうな勢いで一歩踏み出した。
――踏み出しかけたその足は、結局止まった。
「体面をお守りください、公爵」
「くっ……」
私の隣で、エノク皇太子が静かに、しかし鋭い視線を向けていたからだ。
穏やかな言葉とは裏腹に、その圧は明らかに“警告”だった。
ジキセンは歯を食いしばり、その場に立ち尽くすしかなかった。
プリムローズ公爵は、深く息を吐く。
これまでで一番長い溜め息だった。
そして、低く言い放つ。
「くだらん理想論はやめろ。現実的な話をしろ」
「現実的、ですか?」
私は小さく首を傾げた。
「どうやら、私の言葉を真面目に受け取る気はないようですね。でしたら、これ以上話すことはありません」
「ユリア!父上に対して、きちんと礼を尽くせ!小公爵に任命しろだと?そんなものが通ると思っているのか!」
ジキセンが激昂して叫んだ。
「家を出ていくときは大人しかったくせに、化粧品を一つ作ったくらいでいい気になって……!所詮はその程度だろう!」
「その“化粧品”が良いと、真っ先に持っていったのは誰でしたっけ?」
私は冷ややかに笑って振り返る。
これ以上、言い合う価値はない。
「……小公爵位をお与えになる気がないのでしたら、今後は私に関わらないでください。お二人に申し上げることは、それだけです」
そう言い切って背を向けた。
その場に残った者は、誰一人として私を引き止めることができなかった。
その場に残った者は、誰一人として私を引き止めることができなかった。
――ただ一人を除いて。
私が背を向けたその瞬間、ビエイラ伯爵が慌てて声を張り上げた。
「私は君に、ビエイラ伯爵夫人の座を与えられる!」
返す価値もない言葉だった。私は振り向きもせず、そのまま無視した。
けれど、ビエイラ伯爵はなおも食い下がる。
「聞いているのか!私はもう平民ではない、伯爵なんだぞ!」
「聞いていません」
「な、何だと……?」
彼は戸惑いのまま、私の後を追いかけようとしたが――
近づいた瞬間、はっとして足を止めた。伸ばしかけた手を、慌てて引っ込める。
それ以上、一歩も近づけなかった。
「……香り、違う?」
彼はそう言いかけて口をつぐんだ。
香り?
ああ、確かにさっきパートナーを申し込んだ時とは違う香りがするはずだ。
あの時は私の香水の香りだけだったけど、今はエノク皇太子のそばにいるから、香りが混ざっているんだろう。
(ちょっと恥ずかしい……)
ビエイラ伯爵が呆然とその場に立ち尽くす中、エノク皇太子は私を守るように前へ出た。
そして騎士たちに命じる。
「ビエイラ伯爵はどうやら体調が優れないようだ。お連れしろ」
「はっ!」
呆けていたビエイラ伯爵は、そのまま抵抗することもできず連れて行かれた。
それが最後だった。
私は気だるげに、エノク皇太子とともに舞踏会の最中で姿を消した。
けれど、その存在感は自分で言うのもなんだけど、その日だけでなくしばらくの間、社交界をひっくり返すほどの影響を残したらしい。