こんにちは、ちゃむです。
「残された余命を楽しんでいただけなのに」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
97話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 残酷な世界の真理
ガブリジャンは、これ以上の醜態を晒して主導権を完全に握られる前に、大急ぎで自らの精神をプロの冷徹さへと戻すと、今回の最重要任務である本題の交渉へと入ることにした。
彼の今回の真の目的は、昨日国王バルキオが直々に手渡した、あの国家一流の職人が作った仕掛け人形に対する、皇女の「本当の生の反応」を間近で正確に見極めること。そして、その贈り物の内容が、今後の二国間の重大な外交問題へと発展しかねない致命的な地雷になっていないかどうかを、政治的に正しく判断することだった。
ふと、ガブリジャンが自らの鋭い視線をソファの横のテーブルのほうへとやると、そこには、まさに昨日王が手渡したはずの、あの高価な仕掛け人形が、無造作に置かれているのが目に留まった。
……しかし、その人形の見た目の出来栄えは、一言で言って、あまりにも「悲惨でひどい有様」だった。
(な、……何だこれは……っ!? まるで、上空から超高濃度の魔力雷撃でも直接頭の上に叩き落とされたかのような、見事な大爆発の爆発頭(アフロ)になっているではないか……っ!)
人形の着ている豪華なシルクの衣装こそ、確かに我が国の一流の仕立てのままであったが、イサベルが良かれと思って施したらしいドレスと宝石の組み合わせは、どこか歪で、全体が妙にアンバランスで不気味なちぐはぐさを醸し出している。
本来であれば、国宝級の魔法の技術がふんだんに施された最高級の一級品のはずであるのに、何故か、市場の裏通りで売られているような最悪の“粗悪品(ゴミ)”のような、不吉な印象を見る者に与えていたのだ。
それはまるで――何者かの強大な魔力の意思によって、あえて「丁寧に、完璧に破壊し尽くされた」かのような、そんな不気味なメッセージ性を放っていた。
(……これは、……これはあまりにもまずい、最悪の政治的状況だぞ……っ!)
もしも、この無残に大爆発して破壊された人形の有様が、我がジルデル王国から「子供扱いされた」ことに対する、皇女側からの無言の『激しい不快感と怒りの抗議の表明(サイン)』であったとしたら?
しかもそれを、あえて隠すこともせず、使節である私の目の前のテーブルの上に堂々と見せつけるようにして放置しているという、この現実の意味を考えると――。
(相手は、現帝国の未来を握る、最重要の絶対資産なのだ。……彼女の一つの表情の変化、一つの冷酷な反応の選択によって、今後の我が国の物流の利権など、一瞬にして宇宙の彼方へと叩き潰されかねん……っ!)
ここで対応を一つでも間違えれば、国家の歴史が終わる。ガブリジャンは、自らの政治家としての生命のすべてを懸けて、慎重に言葉を選んで交渉する覚悟をここに決めた。
彼はすぐに、外交の本当の本題へと切り込んだ。
「――イサベル皇女殿下。我がジルデル王国としては、決して殿下のご高貴なるお立場を軽んじたり、侮辱したりするような不敬な意図などは、最初から一寸もありはいたしません。……我が国王陛下もまた、昨日の贈り物の選定の不手際に関するこの件について、裏で深く心を痛めておいでであり、殿下に対して直接、最高のお詫びの言葉をお伝えするよう、この私に直々に仰せつかっておりますの」
(ぴょん!)
――あ、まただわ。おじ様が真面目な顔をして話し終えた瞬間、またあの立派な口ひげが可愛らしく上に跳ね動いたわ。
イサベルは、ガブリジャンがこれほどまでに命懸けの深刻な顔をして交渉してきているというのに、どうしても、その彼のユーモラスな口ひげの動きのほうにばかり意識を奪われてしまっていた。
「……え? ジャン卿、お詫び……ですか?」
イサベルとしては、何故今このタイミングで、一国の首席補佐官が自らの目の前でこれほどまでに必死に青ざめて頭を下げて謝罪してきているのか、その対話の話の流れが全くさっぱり分からず、本当に純粋に、きょとんと首をかしげて困惑するしかなかった。
ガブリジャンの頭の中の最高級のブレーンでは、今この瞬間も、皇女を如何にして懐柔するかという、複雑で高度な政治的駆け引きの計算式が狂ったように渦巻いている。
だが――対する当のイサベルの頭の中はというと、実のところ、本当に、神に誓って何一つ高度な政治のことなど考えてはいなかったのだ。
ただ、目の前のおじ様のあの長く立派なナマズの口ひげが、次にいつぴょこんと跳ね動くのか、それだけが気になって仕方がなかったのだ。
(……くっ、やはりそうか。この『すべてを分かっていながら、あえて何も知らない無垢な幼児のフリをしてきょとんとしてみせる』という、この恐るべき最高位の演技力(タヌキ化け)を以て、私を裏から激しく試して揺さぶってきているのだな……!)
彼女が、あの大爆発して無残に破壊された出来の悪い人形を、あえてこれ見よがしにテーブルの上に置いて私を迎え入れ、その上であのような「私は何も知りませんわ」という態度を取ってみせるその真意。すべては、こちらの出方と誠意の量を推し量るための、計算され尽くした上からの高度な心理統制(コントロール)なのだと、ガブリジャンがそう疑った瞬間、彼の心臓の鼓動のスピードは、恐怖によって一気に限界へと跳ね上がった。
「……殿下。あの職人の作った人形の件に関しまして、殿下には多大なるご不快な思いと、我が国に対する失望を抱かせてしまったのではないかと、王宮一同、夜も眠れないほどに深く案じております……」
(ぴょん!!)
その、彼の必死な言葉と、ひげのジャンピングの瞬間、イサベルは思わず「ハッ」として、その美しい琥珀色の目を丸くした。
どうやら、目の前にいるこのガブリジャンという首席補佐官のおじ様は、そのナマズのような老獪な見た目に反して、自らの手先が不器用であるという些細な事実に対し、裏でかなり過剰に、繊細に傷ついて気に病んでしまう、とつもなく可哀想な心の持ち主(おじ様)であるらしかった。
「……ジャン卿。あの……それ、私が触ったせいで、完璧にこなごなに『壊れちゃった』っていうことなのかしら……?」
その事実を突きつけられた瞬間、イサベルの小さな胸の奥が、キュッと激しい痛みと共に締め付けられた。
せっかく国の一流の職人さんが、私のために心を込めて丁寧に手入れして作ってくれた高級な仕掛け人形であったというのに、私が良かれと思って自らの手で触れば触るほど、あの可愛いお人形の髪の毛が原型を留めないほどにボサボサに崩れていってしまったという現実は、一人の女の子としてはやっぱり、涙が出るほどに悲しくて、悔しいことだったのだ。
しかも今、自らのすぐ隣に控えているユリは、その人形の「本来の美しかった元の姿」のすべてを完璧に知っている唯一の目撃者なのだ。そう考えると、一人の主としては、余計に気まずくて仕方がなかった。
――どうして、ユリが触れば、どんなにボサボサの爆発頭であっても一瞬にして元の綺麗な形に戻るのに。
(同じ人間の肉体で、手の構造も、指の長さも何もかもが全く同じはずなのに……。一体何故、私という人間が触る時だけ、こんなに壊滅的にすべてがダメになっちゃうのよぅ!? どうして私だけ、神様からこんなに不器用な呪いを与えられなきゃいけないのよぅ……っ!!)
その、自らの不器用さに対する一人の女の子としてのリアルな悔しさと悲しさの感情が、自制の限界を超えて、そのまま彼女の愛らしい顔の上へと、あからさまに絶望の表情となってポロリと出てしまっていたのだ。
しかし――。目の前の首席補佐官ガブリジャンは、彼女のその一瞬の、世界の終わりを見たかのような凄まじい「絶望と怒りの表情の変化」を、プロの政治家として絶対に見逃しはしなかった。
(――ひっ、!? 今、……今、皇女殿下の顔に、一瞬にして凄まじい暗黒の不快感の波が走ったぞ……っ! あぁ、やはり、やはり我が国のあの子供騙しの贈り物のせいで、我がジルデル王国に対する決定的な『不快感と怒り』の炎を、その内に完全に確定させてしまわれたのだな……っ!!)
客観的な、この客室に漂うあまりにも重苦しい気まずすぎる空気の重さを肌で察したガブリジャンは、自らの国家の破滅を防ぐため、額から滝のような冷や汗を流しながら、全力で平伏するようにして答えた。
「はい……! 殿下、本当に、我が国の配慮の足りなさが招いた不手際につきまして、王宮を代表して、深く、深く申し訳ありませんでした……っ!」
「……いいえ、ジャン卿。どうぞお顔をお上げになって。これは何も、あなたのような優しい方が、自らの身を粉にしてまで私の前で謝るようなことでは決してありませんわ」
その、彼女の放ったどこまでも冷徹で、絶対的な拒絶とも取れる拒絶の言葉(突き放し)を耳にした瞬間、ガブリジャンはあまりの恐怖と衝撃のあまりに、ゴクリと喉の奥で息を飲んだ。
(な、……何だと……っ!? 『首席補佐官のお前ごときが、私の前でいくら頭を下げて謝罪したところで、この問題は一寸も解決などしない』……だと!? まさか、この人形の不敬の罪を正式に償うためには、――『我がジルデル王国の国王バルキオ陛下が、自ら直々にこの最前線のベースキャンプの泥の地へと這いつくばってやって来て、殿下の目の前で直接土下座をして謝罪の誠意を見せろ』――という意味の、恐るべき絶対の宣戦布告(脅迫)なのか……っ!?)
ガブリジャンの高度な頭脳の中は、もはや恐怖と疑心暗鬼によって、一瞬にして完璧なパニック状態へと陥って大混乱を極めていた。
――この、帝国が誇る最凶の“政治的戦略資産”は、一体どれほど莫大な国家の利権を、我が国から強引に毟り取ろうと画策しているのだ?
この天使の皮を被った怪物は、一体その裏の頭脳で、どれほど恐ろしい破滅のシナリオを組み立てて笑っているというのだ。
何故、自らの犯した罪(不器用さ)であるはずなのに、それを100%我がジルデル王国の責任であるかのようにすり替えて、これほどまでに冷酷にこちらを追い詰めることができるのか。
(……分からない、この私の老獪な頭脳を以てしても、この少女の内心の奥底など……本当に、何一つとして分からないぞ……っ!!)
政治家にとって、どれほど言葉を交わしても、その本当の内心の意図がただの一寸も読み取ることができない規格外の相手ほど、この世で最も恐ろしく、不気味な存在は他にはいなかった。
結局、その後もガブリジャンは、イサベルとの間でさらに何十分にも及ぶ高度な(と彼が勝手に思っている)外交の言葉の応酬を必死に交わし続けたものの、彼女の鉄壁の演技(と彼が勝手に思っている無垢な態度)の前に、何一つとして我が国にとって有益な裏の情報を掴み出すことなどできず、ただ精神的に骨の髄まで擦り減らされるだけで会談は幕を閉じた。
彼は命からがらベースキャンプの幕舎を後にすると、大急ぎで王宮へと引き返し、すぐさま国王バルキオをはじめとする最高幹部たちに向けて、血相を変えて一通の極秘の「緊急報告書」を提出した。
【――国王陛下。今回のベースキャンプの視察において、あの皇女の本当の裏の狙いのすべてを正確に把握できたわけではありませんが……。ただ一つだけ、我が国の未来を賭けて断言できる、絶対の確実な事実がございます。
あのイサベル皇女という少女は、間違いなく、現ビルロティアン皇室にとっての、大陸を裏から支配するための『最も危険で、最も重要な絶対の政治的戦略資産(モンスター)』に他なりません】
「……何だと、ガブリジャン? お前が直々にあの地へ行って直接対面してきてもなお、そこまでの恐ろしい結論に至ったというのか?」
【はい、陛下。私がベースキャンプの正門に足を踏み入れたその瞬間、最前線の兵士たちが私に対して向けた、あの異常なまでの鋭い警戒の視線(空気の歪み)の密度から、すでに彼女の支配力の凄まじさを肌で感じ取っておりました。
さらに恐るべきことに、彼女はその極秘の客室の内部において、平民のカリスマであるあの『アルミエル中将』と、二人きりで表の歴史に出せないような高度な裏の密談を平然と交わしていたのです。……あそこには、明らかに、我が皇室を完全に市場から叩き潰すための、何らかの恐ろしい軍事的な目的があるはずです。
あの幼き皇女が、これからの新時代において、帝国の絶対の裏の支配者としての重要な役割を担っていることは、これで100%確実となりました。
……そして、何よりも致命的な事実として、その恐るべき皇女が、我が国の贈ったあの仕掛け人形に対し、私の目の前で、隠そうともせずはっきりと凄まじい『不快感と絶望の拒絶のサイン』を示された以上、この件は我がジルデル王国としても、国家の存亡に関わる最大の緊急事態として、極めて重大に受け止める必要がありますわ!】
「……」
【陛下。……どうか、陛下ご自身も、今すぐあのベースキャンプのテーブルの上に置かれている、あの無残に破壊された人形の凄まじい有様を、その目で直接ご覧になるべきです。
あれは、我が国の子供扱いの無礼な態度に対する、彼女の内に秘められた抑えきれない『激しい怒りと失望』を、こちらに対して無言で突きつけてきている、一種の冷酷な宣戦布告のサイン(踏み絵)であったことは、誰の目から見ても間違いありません。
……ですが、陛下。何故、何故あのような百戦錬磨の怪物相手に、あんな子どもじみた人形などという最悪な地雷の贈り物を、ドヤ顔で手渡してしまわれたのですか!?】
「……う、……む。細かい過去の選定の言い訳は後だ、ガブリジャン! まずはこれ以上の破滅を防ぐための、最高の解決策(貢ぎ物)を今すぐ全員で考えろ!」
「――それこそが、今回の緊急会議の真の目的だ!」
バルキオ国王をはじめとする、ジルデル王宮のすべての首脳部(最高幹部たち)は、この日の夜、国家の歴史上初となる大規模な「緊急最高秘密会議」を一晩中ぶっ続けで開始した。
すべては、帝国最高の戦略兵器である、あの畏るべきイサベル皇女の怒りの炎を鎮め、その奇跡の心を何としてでも我が国の方へと繋ぎ止めるための、命懸けの貢ぎ物の選定に関する、大真面目な最高会議であった。
その日の夜、そんな王宮の大人たちが自らの存在にガクガクと震えて必死に命懸けの会議を開いていることなど一寸も知らないイサベルは、お詫びとしてキムボルグをその胸元へと優しくしまい込むと、再び、中将アルミエルが滞在しているというあの最高の幕舎へと足を運んでいた。
イサベルの一人の人間としての直感のセンサーが、「あのアルミエル中将という人は、原作の裏切りの歴史に関わらず、根は世界の誰よりも優しくて、本当に性根の良い素晴らしい人だわ」と告げていたため、そんな素敵な人との限られた時間のすべてを、もう少しだけでも大切に育んでおきたいと考えたからだ。
対面したアルミエル中将は、少し驚いたように首を傾げて尋ねてきた。
「……皇女殿下。先ほど、我が国の正門のほうから、あの王国の首席補佐官であるガブリジャン閣下が血相を変えて戻っていく姿が見えましたが……。殿下は、あの方と直々にどのような高度な密談を交わされていらっしゃいましたの?」
「ふふ、はい。ジャン卿とは、先ほどまで客室で二人きりで楽しくお話をさせていただきましたわ」
「……それで、一体どのような、国家間の恐ろしい裏の取引の話をされたのですか?」
「特に、これと言って大層な政治のお話などは何もしていませんわよ? ただね、私はあのおじ様のこと、お話してみたらとっても親切で、誰よりも私の不器用な気持ちを裏から優しく分かってくださる、本当に気配りのできる素晴らしい方だと思いましたの。私が、自分の手先のことについてちょっと『つらかった事実』を正直にお話ししたら、ジャン卿は私の言葉を否定することなく、ただ黙って、真剣にしっかりとその頭を下げて聞いてくださいましたわ。なんだか、親しみやすくて感じのいい、隣の家のおじさんみたいで私はとっても大好きになりましたの。……フフ、お話ししている最中、ちょっとだけ胸がドキドキして、少し面白かったですけれどね」
「……ど、……ドキドキ、ですか……?」
「えっ、あ……! い、いえ、そういう意味のドキドキじゃなくて、何というか、その……彼独自の、とっても素晴らしい『素敵な動き(ひげの跳ね)』があったのですわ、ふふふ」
アルミエル中将は、先ほどのあのガブリジャンのように、皇女の言葉の裏にある陰謀の深さについて、そこまで過剰に深読みして複雑に考えるようなことはしなかった。
何故なら、今の彼女の鋭い目は、ただ純粋に、目の前で一生懸命にお茶を飲みながら笑っている、この愛らしい皇女殿下個人の存在に対してだけ、そのすべての意識の熱を真っ直ぐに向けていたからだ。
実のところを言えば、この軍を代表するアルミエル中将にとっても、このイサベルという少女の存在は、これまでの自らの人生の歴史を振り返っても、どこまでも不思議で、奇妙な存在に映っていた。
何故なら、この過酷な最前線の地にあっても、皇女殿下はその愛らしい顔から、ただの一瞬だって美しい笑顔の光を絶やすことがないからだ。
それはまるで、春の訪れを告げるかのように、大自然の中でちゅんちゅんと楽しそうにさえずり合っている、あの一羽の小さな可愛い小鳥の姿そのもののように、どこまでも無邪気で、本当に守ってあげたくなるほどに可愛らしかった。
ただそこに存在しているという、その事実だけで、周囲のすべての人間の心を一瞬にして温かく癒やしてしまうほどの圧倒的な愛らしさを持つ人間など、彼女にとっては、自らの故郷に置いてきた、あの最愛の双子の妹アセリアという絶対の存在を除けば、この広い世界で本当に出会ったのが初めての経験だったのだ。
――一体どうして、人間という生き物は、これほどまでに愛らしく、尊くなれるものなのだろうか。
アルミエルは、胸の奥から湧き上がるその尽きない疑問に対し、どうしても不思議で仕方がなくなり、ついに自らの口から問いかけていた。
「……皇女殿下。不躾な質問で申し訳ありませんが、殿下は一体どうして……どのような過酷な環境にあっても、いつもそのように、世界を照らす太陽のように明るく笑っていられるのですか?」
「え? 中将、私が、そんなに周りの人から見て明るい子供に見えますかしら?」
「ええ、本当ですわ。……失礼ながら、私はこれまでの人生の戦場において、殿下のような高貴なお歳でありながら、これほどまでに内側から眩しい光を放っていらっしゃるお方を、ただの一度もお目にかかったことなどございませんでしたもの」
彼女の頭の中には、あの皇室に代々代々伝わるという、あの残酷な死の呪い――“ナラビダルの烙印”――という過酷な運命をその身に背負わされていながら、一体どうして、目の前の少女は絶望することなく、これほどまでに純粋に明るく生きていられるのだろうかと、心からの本物の不思議の念があったのだ。
「ふふ、そんな大げさですわ、中将。……でもね、きっとあなたの大切なアセリアちゃんという妹さんのほうこそ、私のなんかよりも遥かに、毎日を明るく優しく生きている、とっても素敵な女の子に違いありませんわよ?」
「……」
イサベルとしては、当然、これからの歴史においてそうなるに違いないと、確信を持って満面の笑みで告げたのだ。
何故なら、この新しい世界のこれからの物語において、誰が何と言おうと、世界を救う最高のメインヒロインの座を務めることになるのは、他ならぬそのアセリアちゃんなのだから。
原作の描写における彼女は、大陸の誰よりも愛らしく、誰よりも美しく、そして誰よりも明るい。ただそこに一歩佇んでいるという、ただそれだけの事実だけで、周囲の空間のすべてをきらきらと黄金の光で輝かせてしまうような――それこそが、本物のヒロイン、アセリアの持つ絶対のアイデンティティであったはずなのだ。
――しかし。対面するアルミエル中将の口から飛び出した次の言葉は、イサベルのそんな完璧だったはずの原作の知識を、根底から完全に覆すものだった。
「……いいえ、皇女殿下。……私の、私の大切なあの妹は……少し、……いえ、客観的に言えば、かなりその『身体が異常なほどに弱い』子なのですわ」
「――えっ!? ち、ちょっと待って……! いま、……身体が『弱い』って、そうおっしゃったの……!?」
イサベルは、その彼女の悲しげな言葉を耳にした瞬間、自らの耳の鼓動を本気で疑って硬直した。
そんなはずは、絶対にあり得ないわ。
だって、前世の原作小説の膨大な設定知識のロジックからして、アセリアというヒロインの本当の正体は、人間なんかではなく、世界を滅ぼすほどの強大な絶対のパワーを内に秘めた、あの伝説の“竜(ドラゴン)”の化身そのもののはずなのだから。そんな無敵の生物の化身が、身体が異常に弱いなどという初期設定、どこを探しても一寸もあるはずがない。
(……あ、いや、待ちなさいよ。……いいえ、違うわ。そうとも言い切れないかもしれないわね)
例えその本質が最強の竜の王であったとしても、今世において「人間の女の子の姿」を模して現世に生まれて生きているのであるならば……その肉体のシステムは本当に一人の人間としてのルールに従っているのだから、当然、人間の病気にかかって身体を壊してしまうことだって、十分に考えられる。
ふと、イサベルの視線が、自らの隣の椅子の上の特等席で、気だるそうに「ふわあぁ」と大きな可愛いあくびを漏らしながら、再び眠そうにこくりこくりと舟をこぎ始めている、あの魔導猫のキムボルグの姿へと向けられた。
(そうよね。これって、あのあり得ないおとぎ話の理論と同じことだわ。もしも、あの伝説の最強の竜の王が、何かの気まぐれで、今のキムボルグみたいな小さな可愛い猫の姿に変身して現世を生きているのだとしたら……。その時の竜は、きっと自らの最強の力を完全に封印して、100%『一匹の猫としてのルール』に従って生きるに違いないもの。猫が食べるキャットフードを同じように美味しそうに食べ、猫が眠くなるように同じように丸くなって眠り……。他の周囲にいる普通の猫たちの持つ、あの不器用で愛らしい弱さの性質だって、そのまま全部自らの身体に持って生きるはずだわ)
ちょうどその時、椅子の上で丸くなっていたキムボルグが、自らの大きなあくびの姿を主に見られて恥ずかしかったのか、思った以上に幼いあどけない表情をしてシュンと首をすくめてみせた。その姿が本当に可愛らしかった。
(とにかく……そうやって生物の真理のロジックを順番に考えていくと、あのメインヒロインのアセリアちゃんが、現時点の子供の歴史において、何かの原因で身体が異常に弱い状態になってしまっているという可能性も、十分にあり得る話よね。……あれ? そういえば、前世で読んだ原作小説の会話のなかでも、男主人公のアランとの何気ない過去回想の雑談のなかで、ほんの一瞬だけ『私は幼い子供の頃、原因不明のひどい体調不良で毎日死にかけていた時期があったのよ』っていうエピソードが、確かに触れられていたような記憶がうっすらと蘇ってきたわ……)
それは、当時の読者にとってはストーリーの進行上全く重要な設定でもなく、その後の物語の展開に大きく影響を与えるような大層な伏線でもなかったため、これまでのイサベルの頭の引き出しのなかでも、はっきりとは記憶に残っていなかった程度の他愛のない過去の描写に過ぎなかった。
「……中将。その、アセリアちゃんは、一体どのような風に、どこが具体的に具合が悪くて苦しんでいらっしゃるのかしら?」
「それは……、……あの子の病状は……」
イサベルは、アルミエル中将とソファで自らの不器用さの愚痴をあれこれと交わしている最中、彼女の軍服の首元の隙間から、大切そうにチェーンでかけられている、一枚の小さな古い「写真(ロケットペンダント)」の存在に、ふと目が留まった。
その古びた写真の内部には、若き日のアルミエル中将と、彼女が今大切そうに語っていた、あの幼いアセリアちゃんと思われる二人の子供の姿が、モノクロの形でくっきりと写し出されていたのだ。
(――え……っ!?)
しかし、その写真の中身を間近で盗み見た瞬間、イサベルの頭脳の中に、今日一番の凄まじい「違和感」の波が走った。
おかしい。おかしいどころか、その写真に写っているアセリアちゃんの姿は、前世の原作小説を知る私からして、あまりにも『不自然で、あり得ない形』をしていたのだ。
(一体……一体どうして、こんなことが起きているというのよ……!?)
私は、あまりの視覚的パニックのせいで、しばらくの間、生きた心地もしないまま呆然とその古い写真を凝視し続けることしかできなかった。
(この写真のなかに写っている女の子の顔立ち……、何故、何故かこの私(前世の私)の子供の頃の顔と、気味が悪いほどに『一寸の狂いもなくそっくり』に写っているのよ――っ!?)
ゾクゾクと、自らの背筋の皮膚が一瞬にして粟立つような、底知れない本物の恐怖の感覚が全身を駆け巡る。
何故なら、その写真の中のアセリアちゃんの瞳の色彩は、この金髪碧眼が当たり前のファンタジー世界においては極めて珍しい、前世の私と同じ――『漆黒の黒い瞳』――をしていたからだ。
そして、その顔全体のパーツの配置も、極めて東洋的な、前世の日本で生きていたあの頃の私の幼少期の顔立ちそのものが、そこにははっきりと写り込んでいたのだ。
実を言うと、私はこの新しい世界に生まれ変わって以降、自らの前世の病室での惨めな記憶を呼び起こしてしまうのが嫌だったため、私室で鏡を見るという行為があまり好きではなかった。
イサベルとしての健康的な肉体を得て、八年以上もの長い幸福な時間を過ごしてきた今となっては、かつて前世の冷たいベッドの上で死にかけていたあの頃の本当の自分が、一体どんな顔の形をしていたのかなんて、もう頭の中でははっきりとは思い出せない状態になっていたのだ。
いや、より冷酷に自らの本心を裏から紐解くのであるならば――私は、あの惨めだった過去の自分の顔など、二度と「思い出したくない」と、脳が勝手に防衛本能で記憶を消去していたのかもしれない。
それでも、今この目の前で突きつけられたアセリアちゃんの古い写真を見た瞬間、私の魂は、一瞬にして自らの前世の本当の顔の形を完璧に思い出して理解してしまった。
写真のなかの、アセリアという名のその少女の顔は、かつて前世で孤独に病死していった、あの頃の私の本当の顔に……あまりにも異常なほどによく似すぎていたのだ。
私は、自らのパニックを抑え込むようにして、前世で何度も読み返したあの原作小説のなかのヒロインの公式の描写の文章を、必死に頭の中でリピートした。
『――彼女は、自らの頭上からさらりと流れる、美しい新緑のエメラルド色の長い髪を夜風になびかせ……』
『――主人公アランは、彼女と初めて至近距離で視線を交わした。まるで、大陸の名匠がその生涯のすべてを懸けて丹精込めて磨き上げた、あの最高級の至高の宝石そのもののように輝かしい、エメラルドグリーンの美しい瞳をじっと見つめていると、アランはその圧倒的な美しさに、思わず息を呑んでため息を漏らした』
原作の書籍の文章のどこをどうひっくり返して読み直してみても、ヒロインであるアセリアの髪の毛と瞳の色彩は、一貫して「まばゆいばかりの新緑のエメラルド色」であると、原作者の手によって明確に表現されていたはずなのだ。
それにもかかわらず、何故、何故今私の目の前の写真に写っているアセリアちゃんは、エメラルドではなく、前世の私と同じ不吉な「真っ黒な黒い瞳」をしているというの。
(いや、そんな馬鹿なことが現実にあるはずがないわ。……私が今、あの子の顔を見て前世の自分にそっくりに似て見えてしまっているのは……ただの光の加護による偶然か、私の見間違いに過ぎないはずだわ、絶対にそうよ……!)
私は恐怖のあまりに、その脳内に突きつけられた最悪の因果の事実から、必死になって目を背けようと自らの理性を奮い立たせた。
――だが、その写真のなかに隠されていた不都合な真実は、瞳の色だけでは決して終わらなかった。
(……でも、中将。どうして、どうして写真の中の彼女には……自慢の美しい長い髪の毛が、ただの一房すら『どこにも生えていない』の……?)
写真の中の小さなアセリアちゃんは、自らの頭のすべてを隠すようにして、平民の編んだ毛糸の帽子を深く頭にかぶせられていた。
日々の生活の中で、一度も健康的な陽の光を浴びていないことの証明であるかのように、彼女の素肌は幽霊のように青白く透き通っており、顔全体の血色も、どこか死人に近い灰色(グレー)がかって写っている。
(あぁ、間違いないわ。……この写真の中に写っているアセリアちゃんの姿は、……かつて前世の病院のベッドの上で、抗がん剤の副作用によってすべての髪の毛を失い、死の恐怖に怯えながらただ静かに死を待っていた、あの頃の私の『本当の闘病の姿』と……あまりにも完璧に重なり合っているじゃないのよ……っ!!)
写真のなかの小さな彼女は、カメラのレンズに向かって、健気に見るからににっこりと愛らしい満面の笑みを浮かべてみせていた。
けれど――その無理をして作った笑顔のすぐ奥底に隠されている、病魔による凄まじい肉体の痛みと絶絶の苦しみの感情が、同じ病気を経験した元患者である私の心には、手を取るようにしてリアルに、痛いほどにダイレクトに感じ取れてしまったのだ。
その痛々しい姿が、かつてあの寂しい白い病室で一人で孤独に泣いていた自分の過去の歴史とあまりにも完璧にシンクロして重なってしまい、私の胸の奥は、今度こそ物理的に息ができなくなるほどに、激しく、激しく締め付けられた。
(一体どうして……一体どうして、こんなあり得ない因果のバグが、この新しいファンタジー世界の中で起きているというのよ……!?)
彼女の顔が自分にそっくりであるというあまりにも不気味すぎる謎の伏線については、ひとまず今は頭の引き出しの奥へと強引に押し込み、考えないように思考をシャットアウトした。今はそんな恐ろしいこと、怖くて一寸も考えたくはなかったからだ。
それでも、どう考えても、世界線の歴史のロジックとして致命的におかしい。
何故なら、これからの新時代において、男主人公のアランと共に世界のすべてを美しく救うはずの絶対のヒロインであるはずのアセリアちゃんが……何故、物語のスタートを告げる前のこの幼児の時点において、すでに「ほとんど死にかけてベッドに伏せっている」という、最悪のバグの状態に陥っているというの。
「……アルミエル中将。あなた、さっきアセリアちゃんが原因不明のご病気で苦しんでいらっしゃるとおっしゃっていたわよね? ……医師や神官たちの手にも負えないなんて、一体、一体彼女はどんな病名に侵されているというのかしら?」
「それが……我が国の一流の医師たちや、高位の神殿の神官たちのすべてを総動員して彼女の身体を調べさせても、誰も、その衰弱の本当の『原因が分からない』と首をかしげて、お手上げの状態なのですわ……」
その、彼女の口から漏れた最悪の言葉を耳にした瞬間、イサベルの胸の奥は、今度こそ刃物で直接抉られたかのような凄まじい劇痛とともに締め付けられた。
――原因が分からない。
あぁ、その絶望のセリフは、前世のあの冷たい病院のベッドの上で、私が死ぬまでの長い間、白い服を着た大人たちの口から何度も、何百回も聞かされてきた、あの私の魂を殺した最悪の言葉そのものだった。
自分は今こんなにも、肉体が引き裂かれるほどの凄まじい激痛に毎日泣いて苦しんでいるというのに、肝心の大人の医者たちの誰も、自分が何故こんなに苦しまなければならないのか、その本当の理由すら分からないと言われ、ただ見捨てられ続ける恐怖。
それは、病魔と戦う幼い子供の魂にとって、この世の何よりも残酷で、何よりも絶望的な地獄に他ならなかったのだ。
「中将。……重ねて失礼を承知で伺うけれど、写真の中の彼女のあの『髪の毛』のことも……。何故あのような帽子をかぶっていらっしゃるのか、理由を伺ってもよろしいかしら?」
「……現在のアセリアの身体は、体内の激痛を抑えることすら困難な状態にありまして、毎日、神殿から処方される非常に強力な特殊な『鎮痛剤(麻薬)』を大量に飲ませて、どうにか意識を保たせている状態なのですわ。ただ、普通の人間が使うような市販の鎮痛剤ではただの一寸も効果がなく……。確か、名前はうろ覚えですけれど、監察学院の奥に眠るあの特殊な薬の術式だけが、あの子の痛みを僅かに和らげる効果があるのです。……ですが、その神の薬を毎日大量に服用し続けていることの、最悪の『副作用(ペナルティ)』として……。あの子のあの美しいエメラルド色のはずだった長い髪の毛は、ある日を境に、すべて根元から抜け落ちて失われてしまったのだと、故郷の村からの手紙には書いてありましたわ……」
「……」
アセリアちゃんがそんな重い未知の病気に侵されているという事実を聞いて、私の脳裏に真っ先に浮かび上がってきたのは、――『私だって、前世のあの過酷な闘病生活の間、髪の毛だけは最期までちゃんと生えていたのに……!』――という、激しい因果の矛盾に対する焦りだった。
(一体何故、原作ヒロインの彼女の身に、これほどの過酷すぎる最悪の事態が起きているというのよ……!?)
もしも、アセリアちゃんが幼児の段階でこれほどまでに生命の危機に瀕するほどの最悪の重病を患っていたのだとしたら、後の本編の小説のストーリーのなかでも、彼女のその壮絶な闘病の歴史について、原作者の手によって絶対に大きく大々的に触れられていなければおかしくないはずなのだ。
何故なら、あの『期限付きの悪女が死んだ後は』という物語は、他ならぬその病を乗り越えた美しいヒロイン・アセリアが、すべての幸福を掴み取るためだけに用意された、彼女のためだけの絶対のハッピーエンドの物語であるはずなのだから。
もしも彼女があれほどの絶望的な奇病を自らの力で乗り越え、最期にアランとの愛を美しく成就させたのだとしたら、作中の文章のなかで、それこそ歴史の英雄のように大きく称えられて誇らしく描写されていなければ、設定のロジックとして絶対に辻褄が合わない。
『――かつて、幼少期に誰もが治らないと諦めた、あの恐ろしい暗黒の奇病をその不屈の精神で見事に乗り越えてみせた、我が聖女アセリアは――』
そんな、読者を感動させるためのドラマチックな描写が、物語のあちこちに嫌というほど散りばめられていなければおかしくないはずなのに、実際の原作には、そんな話はただの一文字だって書かれてはいなかった。
その時、イサベルの胸の最も深い奥底に、ふと、背筋が凍りつくような一つの恐ろしい『最悪の可能性(疑念)』がよぎった。
(……まさか、……まさか、アセリアちゃんが今、これほどまでに死の淵に立たされて苦しんでいる本当の原因って、……すべて、この『私のせい』なんじゃないかしら……!?)
写真の中のアセリアちゃんのその顔立ちまでもが、何故か前世の私の幼少期の姿にこれほどまでに気味が悪いほどそっくりに似てしまっているという、この異常な現実。
(違うわ! 違う、絶対にそんなはずはないわ、そんな恐ろしい因果のバグがあるはずが……!)
(……よね? 神様、本当の答えを教えて頂戴……!)
私は心の中で必死に自らの仮説を否定しようと叫び続けたけれど、それでも、胸の奥から湧き上がるその得体の知れない恐怖の不安の霧は、どうあっても簡単には拭い去ってはくれなかった。
何故なら、この新しく始まった二度目の世界線において、歴史の未来を原型を留めないほどに大きく書き換えて破壊し続けている、最大の“イレギュラー(変数)”の正体こそが、他ならぬ私(イサベル)自身に他ならないからだ。
私は今、自らの前世の知識をフル活用して、この世界にある本来の物語のシナリオを、確実に、そして劇的に裏から変え続けている。
あのテシリドのテイサベル移動ゲートの件もそうだし、ラメントの利権の回収の件もそうだ。あの『イサベルの整理』だったり、『イサベルの鎖』の魔道具の開発の歴史もすべてそうだ。
本来の正しい原作の歴史であれば、この最前線の地で健気に指揮を執って行方不明になるはずのなかった、あの黒幕のビルヘルムまでもが、私の介入によって、歴史の予定よりも遥かに早くどこかの時空へと行方不明になって隠れてしまった。
さらに、本来であれば空中島の奥底に引きこもって物語の終盤までほとんど公の場に姿を見せるはずのなかった、あの最愛のロベナお姉様までもが、今は私のために外の世界に出て活発に軍を動かしてくれている。
とにかく、私はこの八年間の間に、この世界に対してあまりにも多くの致命的なバタフライ効果(歴史の改変)をもたらしすぎてしまったのだ。
自分が良かれと思って裏で引き起こした数々の些細な変化の波が、世界の因果律の裏側で、一体どのような最悪の歪み(反動)となって、他の誰かの運命へと直撃してしまっているのか、今の私には全く予測すらつかない領域に入っていた。
(もしも……もしも、私がこのビルロティアン皇室を守るために裏で引き起こした数々の歴史の改変の反動(バタフライ効果)のせいで……。あの本来の世界を救うはずだった無辜の少女アセリアちゃんに、今、あんな残酷な死の絶望の運命が身代わりに降りかかって苦しめているのだとしたら……!)
そんな最悪な事実、私は一人の人間として、とてもじゃないけれど見て見ぬふりをしてのうのうと生き続けることなんて、絶対にできっこないわ。
鏡の中に映る、かつての自分の闘病の姿が、目の前の写真のアセリアちゃんの姿とあまりにも完璧に重なり合って見えてしまい、私は激しい罪悪感と恐怖のあまりに、胸が詰まって本当にその場で息が止まりそうになった。
(本当は、……本当はこんな不気味な世界のバグのことなんて、何も気づかないフリをして、自分と家族の幸せのためだけにこのまま知らない顔をして笑って生きていたいのに……!)
過去の私の悲惨な姿に、ただ偶然ちょっと形が似ているというだけで、本来の彼女は、私とは血の繋がりも前世の因縁も何一つ関係のない、ただの赤の他人のヒロインのはずなのだから、私がここまで責任を感じて気に病む必要など、どこにもないはずなのだ。
それでも、私の胸の奥の魂は、かつてのあの病室の地獄の苦しみを誰よりも知っているがゆえに、目の前で死にかけている彼女の存在を、他人事として冷酷に割り切って切り捨てることなど、どうしても絶対にできなかった。
一体どうして、よりによってこの広い世界のなかで、あの原作ヒロインの彼女が、これほどまでに前世の私にそっくりな悲惨な姿をして血を吐いて苦しまなければならないのか――。
その本当の残酷な世界の真理を、私はこの命に代えてでも、今すぐ自らの足で現地へ行って、その目で直接確かめずにはいられない強い衝動に駆られていた。
私は、自らの震える小さな声をどうにか振り絞りながら、目の前のアルミエル中将の瞳を真っ直ぐに見据えて、こう願い出たのだった。
「――アルミエル中将。お願いよ、私を……私を今すぐ、あなたのその世界で一番大切な、アセリアちゃんのもとへ連れて行って。……私、今すぐあの子に、直接会ってお話をさせていただきたいの」