こんにちは、ちゃむです。
「残された余命を楽しんでいただけなのに」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
110話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 愛された記憶
夜の沈静が訪れた部屋には、重く気まずい沈黙だけが満ちていた。
客たちが去り、静まり返ったその空間に残されたのは、お母様とお父様、そして私の三人だけだった。
「おいで」
ベッドの縁に腰を下ろした母が、優しく手招きをして私を呼んだ。私はまるで透明な糸で手繰り寄せられる魔法にでもかかったように、ふらふらと歩み寄り、母の隣に腰を下ろした。
気づけば、私は母の温かな肩にそっと頭を預けていた。母の手が、私の髪を慈しむように何度も撫でてくれる。
「何かあったの?」
「……」
私は小さく息を呑み、静かに考えを巡らせた。
(一年、なくなっちゃったの)
けれど、その言葉を唇から零すことはできなかった。私の寿命がまた一年縮んでしまったのだと知れば、母は胸を切り刻まれるような深い悲しみに暮れてしまう。一度は激しいショックに打ちのめされた私だったけれど、母の温もりに触れているうちに、少しずつ心が落ち着きを取り戻し始めていた。
「話してごらん」
「何もありませんでした」
お母様はそれ以上追及しようとはせず、ただ私の頭を包み込むように撫で続けてくれた。どれほどの時間が流れただろう。私はぽつりと呟いた。
「でも……」
「これからは、お母様の前で『大丈夫』なんて言うのは禁止よ。分かった?」
「……」
「『何もありませんでした』という言葉も、禁止」
「本当なんです」
いつかは真実を知ることになるのだろう。けれど、今この瞬間にだけは、伝える勇気が持てなかった。
「本当に……何もありませんでした」
優しく頭を撫でる母の手の温もりが、痛いほど心に染み渡っていく。ただ黙って私を見つめる父の表情もまた、どこまでも温かいものだった。その包み込むような眼差しに触れているだけで、目頭が熱くなり、涙が溢れそうになる。
私は慌てて、見透かされないよう言い訳を口にした。
「嬉しすぎるんです。私なんかがこんなに愛されていいのかなって思って……それで、涙が出ちゃうんです」
その時、ずっと沈黙を守っていた父が重々しく口を開いた。
「お前に、まだ話していないことがある」
「はい?」
「お前が生まれた時のことを覚えているだろう」
「……はい」
「あの時の私は、自分を酷く後悔している」
お父様が私を見下ろしながら言葉を紡ぐ。あの時、私に向けられた「お前は生まれてこなければよかった」という言葉。不思議なことに、今の視線の角度はあの恐ろしい日とよく似ていた。けれど、今のお父様の瞳に宿る光は、あの頃とはまったく異なっていた。
「まだ謝れていなかったな。本当にすまない。あの時の私は……父親ではなかった」
「……」
部屋に落ちた短い沈黙の後、私は胸の奥でずっとくすぶっていた問いを投げかけた。
「じゃあ……私は役に立たない子じゃないの?」
私の頭を撫でていたお母様の手が、一瞬だけピタリと止まった。そしてお母様は、壊れ物を扱うように優しく囁いた。
「イザベルは、お母様とお父様が世界で一番愛している娘よ」
私はお父様のほうに視線を移した。気がつくと、あのお父様の目元が微かに赤く染まっている。私は確かめるように、もう一度尋ねた。
「私は役に立たない子なんですか?」
「……」
「私は、価値のない子なんですか?」
「そんなことはない」
「優しく言ってください」
「お前は……」
父は言葉の重みを噛み締めるように、しばらくじっと沈黙を守った。そして静かに、確かな温もりを込めて口を開いた。
「お前は、愛しい子だ」
「私……ビロティアンの剣術も身につけられません」
「それでも、お前はイサベルだ。剣術を身につけられなくても、強くなれなくても、それでもお前はイサベルなんだ」
「……」
短い言葉の端々に込められた強い肯定が、私の傷ついた心にしみ込んでいく。謝罪の言葉なんて聞けなくてもいいと自分に言い聞かせていたけれど、いざその言葉を贈られてみると、やはり違った。胸の奥の結び目がけて解けていくようだった。
お母様が優しく追及する。
「お母様もお父様も、あなたに十分なことをしてあげられなかった。それは痛いほど分かっているわ。本当にごめんなさい。今さらこんなことを言っても、重荷に感じさせてしまうかもしれないけれど……」
「違います!」
私は勢いよく首を振った。重荷なんかであるはずがない。それどころか、ずっと、ずっと誰かに言ってほしかった言葉だったのだから。
「だったら……お母様とお父様に、正直に話してちょうだい」
喉の奥まで出かかった。
――私たちが一緒に過ごせる時間が、また一年減ってしまったんだって。
「……お母さん、少し抱きしめてください」
その言葉をずっと待っていたかのように、母は私を力強く抱きしめてくれた。赤ん坊の頃から変わらない、大好きな母の腕の中。父も黙って歩み寄ると、その大きな腕で母と私を丸ごと包み込んだ。世界で一番強固で安心できる城壁に守られているような感覚。
(ここなら、大丈夫)
これ以上ないほど安全な場所にいるはずなのに。それでも、胸の奥底から理不尽なまでの恐怖と不安がこみ上げてきた。自分では抑え込むことができず、体が小刻みに震え始める。
「いるよ、お母様。いるよ、お父様……」
お母様もお父様も、ただ静かに私の言葉を待ってくれていた。私を失わせまいと強く抱きしめたまま。
心の奥深くに封印していた言葉が、今にも溢れ出そうとしていた。
(だめ。言っちゃだめ……)
何も話したくなかった。ただこの大切な温もりを味わっていたかった。この安心できる腕の中で、ずっと守られていたかった。
(だめ……言っちゃだめなのに……!)
けれど、私はついに感情の堤防を崩してしまった。
「……怖いの」
心の最奥に押し込め、何重もの鍵をかけて閉じ込めていた叫びが、とうとう溢れ出してしまう。私は震える体を抑えきれず、涙とともに言葉を漏らした。
「私……本当は、死にたくないみたいです……っ!」
「……」
一度溢れ出た本音は、もう誰にも止められなかった。
私は毎日「大丈夫」だと言っていた。誰に対しても、そして自分自身にもそう言い聞かせて偽ってきた。でも、今日になってようやく思い知らされたのだ。時が経てば経つほど、この穏やかな日常がどれほど愛おしく、代えがたいものだったのかを。手に入れた幸せがあまりにも眩しすぎて、手放すことが恐ろしい。
「私……大丈夫じゃないみたいです……!」
答えなんてないと分かっていても、こんな言葉を吐けばお母様とお父様を深く傷つけると理解していても、もう口を閉じることができなかった。
「どうしたらいいんですか……? 私は、どうすればいいの……!?」
これが、私の偽りのない本心だった。胸の中で狂ったように羽ばたく鳩のように、心臓が恐ろしい速さで鼓動を刻む。
「……ああ、もうだめ……っ」
私の口は勝手に動き、「もうだめ」という絶望を何度も何度も繰り返していた。
「いつも『大丈夫です』『平気です』『何もありません』『幸せです』って笑っていたのに……っ!」
昨日まで、一体どうやって平然と振る舞えていたのか自分でも分からなかった。気がつけば、私は子どものように二人にしがみつき、声を上げて泣いていた。
『今日は誕生日なんだから、思い切り甘えていいのよ』
いつの間にか私は父の胸の中で泣きじゃくっており、父は大樹のように黙って私を強く抱き締めてくれていた。
ふと、父と交わした絶望の淵での会話が思い起こされる。
『生きたいって言ってもいいですか……? 怒りませんか……?』
『お前は「大丈夫だ」なんて、一度も言わなかったじゃないか』
『大丈夫です……大丈夫なのに、大丈夫じゃないんです……! 全然、大丈夫じゃありません……!』
『でも、大丈夫です……』
それからどんな言葉を交わしたのかは、はっきりと覚えていない。
私は不幸ではなかった。本当に幸せだったし、動く健康な体にも感謝していた。だからこそ、満21歳――いや、満20歳になれば訪れる「死」を、これほどまでに恐ろしいと感じたことはなかったのだ。
この人生は私に与えられた祝福のようなものだった。それなのに、昨日はどうしてあんなにも惨めで、恐ろしかったのだろう。お父様は、どこか悲しげに、そして少し怒っているようにも見えた。
(嘘をつく子どもだと思われたのかもしれない……)
お父様は嘘をつく人間が大嫌いなのに、昨日の私は「与えられた運命を受け入れる聞き分けの良い子」ではいられなかった。昨日の記憶は、涙の膜の向こうに溶けてしまっていた。
父が部屋を出て行った後、母は日が暮れるまでずっと私のそばに寄り添ってくれた。翌朝の朝食も一緒に食べた。本当なら午前中に非常に重要な会議があったらしいのに、母はそれを一方的に延期したのだという。
申し訳なさはあったけれど、自分のためにそこにいてくれたことが、どこか密かに嬉しかった。
(剣林学院では、午前の会議をすっぽかしたお母様の大騒ぎになっているらしいけれど……)
カリンの力が戻ったことは心から祝福すべきことだった。けれどその一方で、原作小説において「最後の黒幕」とされた存在が完全に復活したことをも意味している。複雑な思いが胸を渦巻き、私は無表情のまま、自分の思考の迷宮に迷い込んでいた。
◇
「眠れない……」
夜中の一時を過ぎても、一向に眠気は訪れなかった。私はベッドからゆっくりと起き上がった。温かいハーブティーでも飲んで、心を落ち着かせよう。
そう思って足を踏み出した時、部屋の扉の隙間に異物が挟まっているのが目に入った。
「手紙……?」
外から内側へそっと差し込まれたような一通の便箋。そこには素朴で、どこか田舎くさいクマの絵が描かれていた。その絶妙な不器用さを見ただけで、差出人が誰なのか即座に理解できた。
(お父様だ……!)
父は生まれつきの圧倒的な美貌ですべてをねじ伏せるような人だが、美術的なセンスだけは壊滅的だった。去年、一度だけ父のコーディネートを手掛けた時に痛感したのだ。服でも髪型でもなく、最後は「顔」がすべてを完成させてしまうのだと。どんなにちぐはぐな格好をさせても、父が身にまとえば一瞬で高級ブランドのファッションショーへと変貌してしまう。
(でも、お父様が手紙を書くなんて……)
小説の中でも、お父様がまともな手紙を贈った相手はお母様だけだったはずだ。私は胸を高鳴らせながら手紙を開き、そこに躍る文字に目を落とした。
【お前が「生きたい」と言ったのは、あれが初めてだった】
――言葉を失った。
一文字一文字から、気圧されるほどの濃密な魔力が立ち上っていた。どれほど強い感情と威圧的な魔力を込めて執筆したのか、紙面そのものが熱を帯びているように錯覚する。
(本当に、ものすごく気合いを入れて書いたんだ……)
手紙など一度も書いたことがない人間が書いたのだと一目で分かる。ぎこちなく、不器用で、書いている本人の照れくささがそのまま滲み出ているようだった。けれど不思議なことに、そのつたなさの隙間から、深くひたむきな愛情だけが強く、真っ直ぐに伝わってきた。
【最初に言いたかったのは、ありがとう】
言葉が所々抜け落ちていて、文脈を完璧に追うのは難しい。手紙というよりは、心の溢れ出た感情をそのまま書き留めた記録のようだった。
【一人で、どれほどつらかったんだ?】
文字を追うたびに、頭の中で父の低い声が再生される。
『つらかっただろう?』
『お前の気持ちは、全部わかっている』
そう優しく語りかけられている気がして、普段は自分を可哀想だなんて思わないのに、ボロボロと涙が溢れ出してきた。
【今、私にできることは、お前の歩む道を照らしてやることだけだ。だが、今は無理でもいつかは違う。私をはじめ、お前を大切に思う多くの者が「ナルビダルの刻印」について解明しようと動き出している。だから、どうか諦めないでほしい。つらい時は、いつでも両親の部屋へ来なさい。娘のためなら、父と母の部屋の扉は永遠に開かれている】
そして、文章の最後に添えられた一文に、私は思わず笑みを零した。
【お前を誰よりも愛している、お父さんより】
そこだけ露骨に筆跡が異なっており、後から無理やり書き足されたような痕跡があった。文字に宿る魔力の質が、その事実を雄弁に物語っている。
「ふふっ……これ、絶対にお母様の仕業ね」
お母様が強引に書かせたのか、あるいは父が書いた文章をお母様が添削して手を入れたのだろう。
『ほら、まず全部書いてから見せなさい』と指示する母の姿が目に浮かぶようだった。お父様の文章が以前よりずっと洗練されていた理由も納得がいった。不自然な省略が少ないのも、母の手助けがあったからこそだ。
私は手紙を胸に固く抱きしめた。紙に込められた父の温かな魔力が、少しずつ私の体へと染み込んでいくのを感じながら。
◇
時を同じくして、執務室でデイルサが静かに立ち上がった。
「殿下が、どうしてわざわざこちらへお越しになったのですか?」
「私が来てはいけない場所だったか?」
「お呼びいただければ、私がお伺いしました。『来い』と言われれば参りますし、『行け』と言われれば退きます。それが私の務めです。次からは一声かけていただければ、私がお迎えに参りましたものを」
デイルサは普段から黒い衣装を好んでいたが、今日も全身を深い喪服のような黒で包んでいた。その佇まいを見つめ、ロンが低く問いかける。
「休暇でも取ってきたらどうだ」
「今の私がこの姿で休暇に出れば、人々は不審に思うでしょう。ランサー卿の死は公には伏せられていませんから。ここで静かに過ごすことこそが、私にとっての休暇です」
「……」
ランサーはヴィルヘルムを追う最中に命を落とした。ヴィルヘルムとの浅からぬ因縁がある以上、ランサーの死を大々的に公表するには政治的な障害が多すぎたのだ。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫でないはずがありません。私は……死には慣れていますから」
デイルサは微塵も取り乱した様子を見せず、平然とロンと会話を続けた。心配して訪ねてきたロンが拍子抜けするほど、彼女は普段通りの「無愛想で完璧な執事長」だった。
二人とも元来口数が少ないタチであり、会話の合間には長い沈黙が横たわった。しかし、戦場を共にした二人にとって、その静寂は気まずいものではなく、むしろ心地よいものだった。
ロンが再び口を開く。
「ずいぶん丸くなったな。昔のお前なら、報せを聞いた瞬間に剣を抜き、追跡へ向かっていたはずだ」
「今の私では、実力が足りません」
デイルサは自身の両手を見つめた。手首と足首の腱を深く痛めた彼女の身体は、日常に支障はなくとも、もう二度と第一線で剣を振るうことはできない。
「ですが……いつかヴィルヘルムを討つ機会が訪れるなら、その役目を私にお与えください」
皇帝と侍従になる以前からの固い絆で結ばれた戦友。デイルサは穏やかな大河のような女性だ。一見すると静寂に満ちているが、その水底には誰よりも激しい怒りと情熱の渦が巻いている。
「約束しよう」
「お気遣い、ありがとうございます」
「もう行く」
「どうぞ、お見送りさせてください」
他人から見れば、言葉数も少ない素っ気ないやり取り。けれど二人にとっては、それで十分に互いの意図と情熱が伝わっていた。
ロンが背を向け、部屋を出ようとしたその時、デイルサがぽつりと一言を書き足すように付け加えた。
「復讐のためだけではありません」
「……?」
「本当は、今すぐにでも剣を手に取り、ヴィルヘルムを追って地獄の果てまで行き、殺してやりたいと思っていました。ですが……この皇宮には、私が何としても守らなければならない『春』がありますから」
デイルサの手には、小さく包まれたダルゴナがひとつ握られていた。昨日、イザベルが自ら火にかけ、少し焦げて形も歪になってしまった手作りの菓子。
「とても甘い、春ですね」
「……」
「ランサーは……その春が、大好きだったのです。幼い頃からずっと」
要点を3つにまとめました。
-
「生きたい」という本音と両親の深い愛
余命が縮まった恐怖から「死にたくない」「大丈夫じゃない」と泣きじゃくるイザベルを、父ロンと母は優しく抱きしめ、かつての過ちを謝罪しながら「愛しい我が子だ」と存在そのものを肯定した。
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不器用な父からの手紙と希望
夜遅く、父ロンから届いた手紙には、不器用ながらも「生きたいと言ってくれてありがとう」「絶対に諦めず刻印の呪いを解く方法を探す」という力強い約束と、母の添削による温かい愛情が込められていた。
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デイルサの秘めた誓いとイザベルへの思い
夫を亡くしたデイルサは、もう剣を振るえぬ体でありながらも冷静さを保ち、イザベルが作った不格好なダルゴナ(小さな春)を守るため、皇宮にとどまって己の務めを果たすことを誓う。