こんにちは、ちゃむです。
「悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
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又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
91話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 愛憎の果てに
「やっぱり、本当に聖女じゃないのかも……」
誰かがぽつりと漏らした。
ジキセンの発作によって静まり返った法廷では、その小さな囁きさえも冷酷な刃となってはっきりと響き渡った。
周囲の視線が急速に冷え込んでいく中、リリカはそこで初めて、ゆっくりと口を開く。
「……お兄様は、ただ私に怒っていらっしゃるだけなんです。だから、あんな恐ろしい嘘を。私は分かっています……あそこまで出鱈目を並べなければならないほど、お兄様も追い詰められていたのだって……」
リリカはそれ以上声を荒らげることもなく、ただ悲しげに、静かに微笑んだ。まるで「兄が感情的になって暴走しているだけで、自分はそれすら慈悲深く受け入れる」とでも言うように、淑やかな態度で言葉を終えた。
だが――ジキセンが命を削るようにして放ったあの証言の重みは、リリカの偽りの微笑みなどでは到底打ち消せなかった。法廷の空気は完全に変わっていた。先ほどまで半信半疑だった者たち、あるいは彼女の美しさに毒されていた者たちですら、その目に軽蔑の念を混じらせ始める。
検事もまた、この決定的な勝機を逃さなかった。
「“奇妙な術式”で皇帝暗殺を企てたという重罪の疑惑は、従者ヤコブがいない今、あなたがこの場で神聖力の一片でも使えば即座に晴れる話です。わざわざ体調を言い訳に、回りくどく拒む必要がありますか?」
「……」
リリカが沈黙すると、それまで必死に彼女を庇っていた弁護側ですら、どこか検事の正論に納得しかけていた。
イバフネ教徒の弁護士は、脂汗を流しながらリリカに声を潜めて語りかける。
「聖女様がお疲れなのは重々承知しておりますが……このままでは、彼らの主張が正しいと認めるようなものです」
「……」
「もちろん、あちら側の邪推に合わせるのは納得がいきません。ですが、先ほどのジキセン様の証言で、風向きは完全に変わってしまいました。どんな小さな奇跡でも構いません、どうか……!」
弁護士が必死に懇願を続けても、リリカはただドレスの裾で指先をぎゅっと握りしめるばかりだった。
(ヤコブがいないのに、どうやって神聖力を見せろというのよ……!)
リリカは胸の内で、血が出るほど激しく歯を食いしばる。これは最初から、自分を完璧に陥れるために精緻に仕組まれた罠だったのだ。ヤコブを拘束した時点で、検察やユリアたちの計画は、冷酷に動き出していたのだ。
検事は容赦なく追撃の言葉を重ねた。
「証言を総合するに、被告リリカ・フリムローズは“本物の神聖力で治癒を行っていた”か、あるいは“最初から全員を騙していた偽物”か、そのどちらかということになります」
「それはあまりにも極論です! 仮に聖女様の力に特殊な発動条件があるとしても――」
弁護士は先ほどより明らかに気圧されながらも、なお必死に食い下がった。
「仮に、時折“ヤコブ”という特定の従者を必要としていたのだとしても、それだけで“神聖力が偽物だった”とは断定できません!」
「……では、被告の血筋である“紅河の一族”についてはご存じですか?」
検事は弁護士を鋭く射すような目で見据えながら、淡々と問いかけた。
「被告の実母もまた、紅河の血筋の者です。その縁によって、ヤコブという従者を含め、同じく奇妙な力を扱う呪術的な者たちと裏で接触していた可能性があります。被告の奇跡の正体は、彼らが組織的に支援していた歪な術式なのです」
「っ……!」
「マル村での魔物討伐の際、ヤコブが不在だったためにジキセン・フリムローズ卿の脚を治せなかった件も同じです。あれは被告に治癒能力など最初から無かったからであり、さらに紅河側との内部対立が原因だったのでしょう」
「検事側は、あまりにも飛躍した推論を述べている!」
弁護士の怒号を遮り、検事は法廷全体へ響き渡る声で宣告した。
「従者ヤコブの術式の正体は、こういうものです。――『目の前にいる者の苦痛を、“生贄”となる別の人間へ移し替える』。被告リリカは、そのヤコブ以外にも、常に苦痛を引き受ける“犠牲役”を傍に置かなければ、その偽りの神聖力を使えなかったのです!」
その瞬間、傍聴席は今までにないほどの激しい動揺とざわめきに包まれた。
「聖女を演じていたと思ったら……他人に苦痛を押し付ける呪いだったってことか!?」
「いや、普通の神聖力じゃなくて、“フリムローズ公爵家に降る祝福”って話だったよな? だから誰もその本質を見抜けなかったのか……!」
検事はリリカに反論の隙を一切与えない。
「それでは、真実を完全に裏付ける次の証人を呼びます」
神殿に仕えていた使用人や神官たちが動揺する中、法廷の扉が再び開いた。
「ジキセン様まで証言したというのに、まだ決定的な証人が残っていたのか……」
「私は……もう、この悍ましい不正を見過ごせなくなったのです」
重々しい声と共に法廷に現れたその人物は、決して無名の男ではなかった。
その姿を視界に捉えた瞬間、リリカの顔色がさっと鉛色に青ざめる。
「ギルバート……」
かつてリリカの最側近として、誰よりも彼女の汚れ仕事を引き受けてきた男。言い換えれば――リリカの“裏の顔”を最もよく知る存在だった。
(自分の命を自由にできると知っているはずなのに……どうして、どうしてここへ立っているの……!?)
ジキセンの登場も予想外だったが、ギルバートの裏切りは完全な想定外だった。
「どういうつもり?」
リリカはギルバートを鋭く睨みつけ、凄惨な意味を込めた視線を送った。「逆らえばどうなるか分かっているわね」と、無言の脅迫を放ったのだ。
だが、リリカと目を合わせたギルバートの表情は、ピクリとも揺らがなかった。――いや、それどころか。まるで絶対的な余裕すらあるかのように、彼は静かに、嘲るような笑みすら浮かべていた。
「リリカ・フリムローズの罪は、今回の皇帝陛下暗殺未遂だけではありません」
「……何ですって?」
ギルバートの言葉に、法廷の空気が一気に張り詰める。その反応を見て、ギルバートは満足げに目を細めた。いったい何を切り札にして、これほどの余裕を見せているのか、リリカには分からなかった。
(こんな状況で……一体何を言うつもりなの……!?)
リリカは無意識に唇を噛んだ。先ほどからドレスの中で強く握り締めていた指先は、爪が肉に食い込んで傷つき、法廷の床へと赤い血の雫がぽたり、ぽたりと落ちていた。
リリカは、床に落ちたその赤い血痕をじっと見つめた。
もう、美しく整えていた爪のことなどどうでもよかった。彼女の頭を占めていたのは、もっと別の、根源的な恐怖だった。
(今ここで私が力を使えば、真っ先に危険に晒されるのは自分の命のはずなのに。あの人たちは、それを百も承知のはずなのに……どうして私を見ても、少しも怯えないの……?)
――そう、紅河の一族の者たちは、リリカが「命を奪う」と呪いの権能で脅した最初こそ、激しく怯えていた。兵を率いて押し入ってきた時も、皆震え上がっていたはずだった。
だが、ある時を境に、彼らの態度は一変したのだ。まるで緊張の糸が切れたかのように、どこか開き直った態度へと変わっていった。
『どうせ、私たちを殺すつもりなんでしょう?』
『どうせ、私たちなんて用が済めば見捨てるつもりでしょう?』
彼らの死んだような視線は、そう語っていた。ずる賢い一族らしく、彼らは計算していたのだ。リリカはすでに社会的に追い詰められている。だから、今さらここで無差別に呪いを暴発させることなどできまい、と。
だがその時、リリカは彼らに何を見せた?
――『お前たちが従わなければ、死ぬのはお前たちの家族だ』
彼女は決して、“人質”という切り札を手放さなかった。親族の命を巧みに利用し、彼らを無理やり皇帝暗殺へと加担させたのだ。
(私が簡単に諦めると思っているのね……)
それは、あまりにも自分を甘く見た考えだとリリカは思った。親族が次々と命を落としていくのを見せつけられてなお、彼らは自分へ逆らおうとしている。――そのあまりの異常さに、リリカの口元から乾いた笑いが漏れた。
(今ここで人を殺して、口封じでもしろってこと?)
自分が何をしようとしているのか――ギルバートなら理解しているはずだった。今の彼が握っている情報が、どれほど自分にとって致命的であるかも。
これまでの証言だけでも、すでにリリカは瀕死だった。彼女を支えていた侍女や神官。そして何より、“誰よりもリリカを大切にしている”と世界に知られていた兄ジキセンが、杖をつきながら法廷へ現れ、彼女の力を「偽物だ」と断言したのだ。その衝撃は十分だった。
だが――ギルバートの知る秘密は、それらとは比べものにならない。
それでも。それでもなお、リリカの中には往生際の悪いためらいが残っていた。
まだ、終わりではないのかもしれない。今日ここで有罪さえ確定しなければ、まだ公爵家の権力を使って挽回の余地は残されている。まずはこの法廷を切り抜けること。その後でヤコブを奪い返し、神殿側とも改めて交渉すればいい……。
(そのためには、まず、この場でギルバートを黙らせないと――!)
リリカはそっと目を閉じた。紅河の一族は、今もなお自分の呪いの支配下(禁制)にある。当然、その中にはギルバートも含まれているはずだった。彼らを殺さず、代わりに“生かしておく権利”を握ってやったのだ。
『お前の従兄弟も叔父も、お前を守るために死んだのよ』
そんな呪詛を吐きかけておけば、普通は逆らえない。少なくとも、リリカは自分の支配を絶対だと信じていた。
(なのに……全部無駄にされるの……!?)
リリカは必死に魔力を練り上げ、ギルバートの喉を呪いで潰そうとした。
だが――。
「……え?」
放ったはずの呪いの力は、ギルバートの喉へ届かなかった。リリカの体内から溢れ出た禍々しい気配は、彼の手前でまるで透明な壁に阻まれたかのように、霧となって崩れ落ち、空中へ霧散していったのだ。
「な……っ!?」
信じられなかった。彼女は何度も、狂ったように同じ呪いを使おうとしたが、返ってくるのは失敗という冷酷な現実だけ。まるで、何かもっと強大な力に阻まれているようだった。
しかし、リリカが内心で激しく混乱している間にも、裁判は容赦なく進んでいく。
「被告人が狙ったのは、今回の皇帝陛下だけではありません」
ギルバートは静かに告げた。
「以前、皇女殿下や多くの貴族たちが毒に倒れたあの忌まわしい事件――あれもまた、すべて彼女の自作自演、彼女の仕業だったのです」
「何を言っているんですか! そんな根拠のない話で、皇族への加害を決めつけるなど――!」
弁護側が必死に声を荒げる。だがギルバートは一切怯まず、淡々と続けた。
「当時、リリカ・フリムローズの評判は大きく落ちていました。だから彼女は、その最悪な印象を覆す必要があったのです。わざと皇女殿下や高位貴族たちを毒にかけ、最後に“唯一の救い手”として現れることで、絶対的な地位を手に入れようとした。……そして」
ギルバートは低く息を吐き、リリカを冷たく見据えた。
「毒に倒れた皇女殿下や貴族たちを治療するため、彼女は我々に“必要な犠牲”を集めさせました」
「犠牲……?」
傍聴席の誰かが呆然と呟く。
「侍従ヤコブの力は、“人を癒す”高尚なものではありません。……他人へ痛みを、傷を、毒を『移し替えている』だけなのです」
ギルバートはそう言い切ると、紅河の一族とリリカがやり取りしていた生々しい連絡記録、さらに“犠牲者”について細かくまとめられた帳簿の実物を裁判長へと提出した。そこには、誰から誰へ病を移したのか、どの犠牲者がどれほど衰弱しているのかが、冷酷な数字と名前で記されていた。
法廷の空気が完全に凍りつく。
リリカは即座にその証拠を魔力で燃やそうとした。だが、その資料は最初から彼女が裏切った時のため、紅河側が「保険」として密かに握り続けていたものだった。
そして――。
法廷の別の一角から、実際に病や痛みを押し付けられた“犠牲者”たちが、生々しい証人として姿を現した。
顔色が死人のように悪い者。杖なしでは一歩も歩けない者。激しく咳き込み続ける者。彼らは震える声で、その地獄を語った。
「借金を肩代わりするって……言われて……」
「拒否したら、家族の命まで終わるって脅されて……」
「だから、仕方なく……身体を差し出しました……」
狩猟大会で毒を受けた貴族たちの代わりに、“ヤマカガシの毒”や“病”を理不尽に押し付けられた市井の人間たち。その痛々しい姿が、ギルバートの証言を何より雄弁に裏付けていた。
「私は……ただ一人生き残りました……」
一人の男が前に出る。彼の体には、ヤマカガシの猛毒を飲んだ時に現れる特有の黒い壊死の斑点が、そのまま現れていた。
「あの日、リリカ様が治癒奉仕を……なさった時に、ある患者の『折れた腕』の激痛も、私に移されてしまったんです……」
奇妙な角度にへし曲がった男の腕は、見るだけでもぞっとするほどだった。そんな生贄たちには、自ら死を選ぶ自由すら与えられなかった。彼らは耐えられる限界まで、全身の痛みを抱え続けさせられたのだ。新しい生贄を探すより、一つの器を極限まで使い潰す方が、リリカたちにとって都合が良かったからだ。
「私なんかが無駄に長生きさせられて……毎日、こんな狂うほどの苦痛を味わうことになりました……」
賭博の借金を返せなかった代わりに連れて来られ、従わなければ家族が危険な目に遭うと脅された生贄たち。その場にいた傍聴人、神官、すべての者が怒りに震えていた。
「もしあれが本当なら……これはもう……」
「悪事ってレベルじゃないぞ! 聖女どころか、人間ですらねえ!」
だからこそ、ギルバートは真相を口にしなければならなかったのだ。もし先にリリカの力でギルバートが殺されていたなら、生贄たちが現れて証言しても、リリカは「私には関係ない、彼らが勝手にやったことだ」と言い逃れして、そのまま押し通すこともできただろう……。
(なのに、なぜ殺せないの!? なぜ私の禁制が発動しない!?)
リリカが紅河の一族を自分の意志で殺すのは、今回が初めてではない。もし術の熟練度が必要だったなら、すでに何人かを殺して、自分の権能がどの程度なのか試していたはずだ。だが、初めて紅河の一族を自分の支配下に置いたあの瞬間――本能的に、「ああ、こうすれば彼らの命の灯火を消せるんだな」とはっきり理解していた。一族の一人ひとりが貴重な駒だったから、わざわざ実験して確かめる必要もなかったのだ。
(なぜ、あいつはさっき目が合っただけで気絶したのに、ギルバートには何も起きないのよ!?)
少し時間が必要なのかとも考えたが……実際には、さっきからギルバートと自分の魂が「繋がっている感覚」そのものが消え失せていた。他の紅河の一族とは、明らかに違っていた。
(あり得ない。私の支配を外部から解く方法なんて、この世に存在するはずが……!)
裁判が始まってからというもの、予想もしていなかった絶望の連続だった。ジキセンが現れて叫びながら証人席に立ち、紅河の一族の者たちは自分の禁制を恐れる風もなく、次々と姿を現して――。
――まさか、あいつらの禁制を裏で解いた者がいる……!?
リリカはハッと勢いよく顔を上げ、傍聴席のユリアを睨みつけた。
目を逸らすことなく、自分をまっすぐ見返してくる、冷徹で澄んだ瞳。次々と続く致命的な証言にも、まるで最初から知っていたかのように動じない表情。
そうか。あの女は、すべてを知っていたのだ。
(あの匿名の密告者……まさか、ユリアだったの!?)
なぜいつも、あの女は自分の行く手を完璧に阻むのか。数え切れないほど人間がいる中で、なぜよりにもよって、自分ばかりがこんな目に遭わされなければならないのか。
「ここに、皇帝暗殺を計画していた際にリリカ・フリムローズ本人が描いた詳細な地図と作戦書があります」
ギルバートが決定的な証拠書類を掲げた。
それまで必死にリリカを擁護していた弁護士の言葉は、いつの間にか聖女を守るものではなく、被告人を激しく攻撃する糾弾へと変わっていた。
「君も共犯ではないのか! 君たち紅河の一族があの女をそそくさと言いくるめて、被告人に大逆を……!」
リリカはそれに気づいたが、もう手遅れだった。今さら口封じをしようという考えすら浮かばない。自分の支配が完全に解けて、最も信頼していた手駒が証人として立たされるなど、想像の範疇を超えていた。
もはや取り返しのつかない破滅の状況だったが、それでも、自分を生物学的に決定的に追い詰める証拠さえ出なければ、まだ――。
「その女――リリカ・フリムローズは、“魅了の術”でヤコブという男を洗脳し、その術を媒介にして他人に病や傷を移していたのは厳然たる事実です!」
その瞬間、ギルバートはリリカが最も世界に聞きたくなかった血筋の秘密まで口にした。
「一族の中では、常に“あの母にしてあの娘あり”と噂されていました」
「……それは、どういう意味ですか?」
検事が問う。
「リリカの実母だったあの女も、術で男を誘惑するのが非常に上手くて……“魅了の術”っていうのは、そういう忌まわしい血の呪いなんです。だからこそ、ただの街の下級貴族の女だった彼女が、一国の公爵を完璧に虜にできたんですよ」
「……っ!」
リリカは激しい屈辱に身を震わせた。そんな公衆の面前で、自分の母親の出自の話まで持ち出されるなんて。しかも紅河の一族は、リリカが捨てられた後の利益を狙い、彼女をフリムローズ公爵家へ送り込んだ張本人たちだった。公爵家へ連れていく間の養育費名目で、裏で莫大な金まで受け取っていたのだ。
「魅了の術だと……? それは一体、どういう意味だ……!」
法廷の最前列で、フリムローズ公爵がギルバートに向かって初めて大声を上げた。それまで席に座ったまま、あまりの衝撃に一言も発していなかった彼が、顔を真っ赤にして立ち上がったのだ。
「もちろん“魅了の術”といっても、リリカのように人を奴隷のように支配できるほど強固ではありませんでした……ですがその分、普通の人間にも極めて自然に効いたのです。……プリムローズ公爵閣下。あの偽聖女の母親と、初めて会った時のことを覚えておいでですか? いや、違いますね……」
ギルバートは、自分だけが他人の知らない最高貴族の醜聞を握っているという優越感を、もはや隠そうともしなかった。
「初めてあの女と会った後、理性を超えて“どうしても、もう一度会いたい”という狂おしい衝動に駆られませんでしたか?」
会った瞬間から他のどんな女性より強く惹かれ、その後も、何かに取り憑かれたように彼女のことばかり考えてしまった――それこそが。
「ただの街の女だったのに、どうして公爵ほどの方をそこまで盲目に夢中にさせられたと思います? それが、我が一族に伝わる“魅了の術”の力なんです。我らの偽聖女様もまた、他人へ痛みを移せるヤコブを、そうやって魅了して都合のいい手駒にしたのです。自分に性的な好意を抱いている相手には、とてつもない洗脳力を発揮しますからね」
醜悪な笑みを浮かべたギルバートは、衝撃のあまりガタガタと震えるプリムローズ公爵を見て、ますます楽しげに言葉を繋いだ。
「まあ、本格的に術を使わなくても、元々他人に無条件で好かれやすいんですよ。“魅了の術”の因子を持っている女というのは」
「それでは……私が、ただの一介の街の女に弄ばれていたとでも言うのか……!」
プリムローズ公爵はうまく言葉を続けられず、国家の重鎮でありながら、女に翻弄された愚かな男として扱われている羞恥で顔を激しく変色させた。
これまでリリカの実母について陰で噂する者はいても、今日のように公の法廷で口にされたことは一度もなかった。どうにか高ぶる怒りを抑え込んだ公爵は、しどろもどろになりながらも、狂ったように言葉を続けた。
「考えてみれば……! リリカは実に狡猾だった……! ユリアに全ての罪をなすりつけたり! 殿下を奪おうとしたり! そのくせ、自分は婚約者に捨てられた悲劇の被害者のように振る舞い、裏でユリアを嘲笑って……!」
だが、覚悟を決めて話し始めたわりには、公爵の言葉には何のまとまりもなかった。周囲の傍聴人たちには、ただプライドを潰された公爵が、見苦しくリリカを罵っているようにしか見えなかった。
「……つまり、私もあの“魅了の術”に惑わされ、あの娼婦のような母親に騙されていたということだ! 私は完全に騙されていた被害者だ!!」
公爵は自らの無実と潔白を証明しようと、法廷中に響き渡る声で絶叫した。
「裁判長! どうかあの悍ましい魔女を厳罰に処し、帝国の正義を示してください!」
だが、その惨めな姿に同情する者は誰一人としていなかった。彼がどれほど異常なまでにリリカを溺愛し、その一方で本妻や実娘ユリアをどれだけ冷酷に冷遇してきたか、社交界の誰もが知っていたからだ。それが今になって保身のために態度を一変させ、泥をかけるようにリリカを激しく罵っている。まるで、自分の命より大切だと言っていた愛娘など、最初から惜しくもなかったかのように。
「あれほど“我が命より愛する娘”だと言っていたのに……」
「結局、自分の立場が危うくなればその程度の愛情だったということだな」
誰かが皮肉混じりに呟いた。気品ある最高貴族のふりをしていた公爵の、あまりの薄情さと軽薄さに、法廷は白けた空気に包まれる。そんな周囲の冷ややかな視線など気づいていないのか、公爵は最後に自らの保身を叫んだ。
「私は被害者です! フリムローズ公爵家はリリカ――いや、あの希代の犯罪者とは、本日を限りに一切の関係を断絶いたします!」
それは、公爵家がリリカを完全にゴミのように切り捨てるという公式な宣言だった。
「……」
リリカは、もう抵抗しようとしなかった。ここまで来れば、もはや何の希望も持てない。きっと後ろ盾だったイバフネ教も、このプリムローズ公爵のように自分をトカゲの尻尾のように見捨てるだろう。すべての証拠が出揃い、完全な敗北だった。
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リリカの悪事の全貌が暴かれたこと: ジキセンやギルバート、さらに「生贄」として痛みを押し付けられた被害者たちの証言によって、リリカの「神聖力」の正体が他人に苦痛や毒を移し替える呪いであり、皇女毒殺未遂なども含めた数々の悪事が公の場で完全に立証されたこと。
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強力な支配の崩壊と裏切り: リリカを支えていた紅河の一族に対する彼女の「禁制(呪いの支配)」が何者かによって突如として解かれ、最側近のギルバートを含む一族が次々と決定的な証拠と裏切りの証言を突きつけたこと。
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父・プリムローズ公爵の保身と絶交宣言: 実の娘であるリリカを熱愛していたはずの公爵が、「魅了の術」に騙されていた被害者であると主張し、自己保身のためにリリカを激しく罵った末に公爵家としての絶縁を宣言したこと。