憑依者の特典

憑依者の特典【123話】ネタバレ




 

こんにちは、ちゃむです。

「憑依者の特典」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【憑依者の特典】まとめ こんにちは、ちゃむです。 「憑依者の特典」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介となっております...

 




 

123話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 大洪水の海②

いつの間にかトラック3が終わり、トラック4へと移りかけていたオルゴールを止めた。

私は小瓶の蓋を丁寧に閉めながら言った。

「これで契約成立ね。涙をどれだけ集めるかは、後でお互いに相談して決めましょう」

私は末の人魚を海へとそっと解放し、他の人魚たちへ向き直る。

「さて、クラーケンを倒しに行きましょうか。あいつのいる場所まで案内してくれる?」

〈分かったわ〉

十二人の人魚たちがゴンドラを押しながら泳ぎ出した。

その速さは目で追えないほどだった。

やがて冷たい霧が晴れ、船は再び雨の降る夜の海へと戻る。

〈ここよ。この下の深い場所に、醜いタコが私たちの家の入口を塞いでいるの〉

「ここからは私たちに任せて。あなたたちは離れていなさい。戦いになるから」

〈ええ、お願いね〉

人魚たちは手を振りながら去っていった。

末の人魚だけが最後まで残っていた。彼女は顔を半分水に沈めたまま、もじもじとためらい、やがてぽつりと呟く。

〈気をつけて〉

「ええ、ありがとう。早くお姉さんたちのところへ行きなさい」

〈うん〉

恥ずかしそうに消えていく末の人魚の背中を見送りながら、私はテシリドとアッシュの耳元に掛けられていた保護の加護を解いた。

アッシュは待っていたかのように、にやりと笑って口を開く。

「ふふっ、姉さんがどうしてこのダンジョンを独り占めしたがっていたのかと思えば、人魚が理由だったんですね?」

「そうよ。殺されて食われたくなければ、余計なことは考えないことね」

「ご安心ください。秘密は守りますよ。それより、人魚たちとの交渉はうまくいきましたか?」

「ええ。ボスを倒す代わりに、人魚の涙をもらうことで合意したわ」

「なるほど。それじゃあボス攻略ですね。私は何をすればいいでしょう?また釣りでもします?」

「欲張らないで。攻略に参加しても、あなたの取り分はないわよ」

「最初から期待してませんよ。もともと傭兵ですから」

分をわきまえているのは好ましい。

報酬は相場より多めに支払うことに、さっき決めた。

「それで、また釣りでもすればいいですか?」

「いいえ、もう必要ないわ。ここからは一人でやるから」

そう言い終えて、私はテシリドの方へ視線を向けた。

テシリドは必要な作業をすでに理解し、手際よく動いている。

彼は先ほど捕らえた巨大な青魚に傷をつけていた。

血の匂いでボスを誘き寄せるためだ。

「釣り糸はこれを使いなさい」

「高級装備ですね」

テシリドが精霊王のハープの弦に釣り糸を付け替えている間に、私はインベントリから瓶を一本取り出し、青魚の口の中へ流し込んだ。

暗い色の液体が、青魚の体内へと音を立てて流れ込んでいく。

アッシュが興味深そうに覗き込んだ。

「猛毒って感じですね?」

「さすが業界人、いい目をしているわね」

それは、ずっと昔に〈試練の塔〉で毒魔竜を討伐した際に手に入れたアイテムだった。

テシリドは、釣り糸代わりにした精霊王のハープの弦の先に、青魚をしっかりと縛り付けた。

あとは、この巨大な餌を海の深くへ沈めるだけだ。

「重り代わりになるものが必要ね……」

短く考えた末、テシリドは答えを出した。

聖剣リブラを召喚し、それを青魚と一緒に括りつけたのだ。

――ドボン!

精霊王のハープの弦を通して聖剣に魔力を流し込むと、青魚は一気に海底へと沈んでいった。

アッシュが素直に感嘆した。

「うわあ、兄さん。聖剣をそんな用途に使うなんて……罪悪感とかないんですか?」

「ない」

テシリドはそのまま釣りに集中した。

正確には、精霊王のハープの弦を通して伝わってくる感触を、指先で感じ取ることに神経を研ぎ澄ませている。

テシリドがボスを釣り上げようと集中している間、私とアッシュは軽く食べ物をつまみながら、船上のピクニックを楽しんでいた。

「このダークアズ、おいしいですね」

「たくさん食べなさい。まだ十分あるわ」

「兄さんもどうです?」

「私は手が離せないから遠慮しておく」

「じゃあ食べさせてあげますよ。ほら、あーん」

「……遠慮しておく」

「姉さん、食べないんですか?それ、くださいよ」

「自分の手で食べなさい」

「はい、姉さん」

テシリドに食べさせようとしていたダークアズは、そのまま私の口の中へと放り込まれた。

「……」

「テリー、どうしたの?」

「……いや、なんでもない」

――いや、なんでもなくはないけど。

もう一度ダークアズを差し出すと、彼は待っていたかのように素直に受け取って食べた。

[魂を裁く天秤が、嘲るように揺れています。]

[万象の混沌を見守る瞳が、その光景に呆れを隠せずにいます。]

そんなふうに穏やかな時間を過ごしていた、その時だった。

――ピン……ッ

青魚の餌へと繋がれたハープの弦が、細かく震え始める。

「来たのかしら?」

テシリドは目を細め、釣り糸をゆっくりと巻き始めた。

餌を上へと引き上げ、誘い出すつもりだ。

ざぶん、ざぶん。

静かだった海が、不穏な気配を帯びて揺れ始める。

「アッシュ、船をしっかり押さえて」

指示を飛ばしながら、私は片手でゴンドラの手すりを掴み、もう片方の手でテシリドの肩をしっかりと支えた。

――その瞬間。

シュウウウウッ!!

海水が巨大な円を描きながら渦を巻き始めた。

人魚たちが船を囲んでいた時とは比べものにならないほど、荒々しく速い流れだった。

【システム】警告。激しい潮流の渦が発生しています。

穏やかだった海の一角に、まるで深淵へと続く入口のような大渦が生まれる。

私たちの乗るゴンドラは、狂ったようにその縁をなぞるように回転した。

今にも船が引きずり込まれそうな状況――だが、それで終わりではない。

「来るわ」

――ズガァァンッ!!

至るところから、巨大な触手が突き破るように現れた。

蠢くそれらは、全部で八本。

――それは、タコの足だった。

どの足も、二、三本の大木に匹敵するほどの太さと長さを誇っている。

表面を覆う吸盤の一つひとつが、人の頭ほどもある大きさだ。

それらが一斉に締めつけたり緩んだりしながら蠢く光景は、見る者に強烈な嫌悪感を抱かせるに十分だった。

〈ああ、気持ち悪い。さっさと片付けてちょうだい、アイレット〉

「はいはい、アグネス」

釣り糸を操っていたテシリドの手が、ぴたりと止まる。

「ゴンドラの真下で餌を飲み込んだ」

「いいわ、内側から攻めるわよ。テリー、あなたはオーラと神聖力で内臓をかき回しなさい。私は外から気絶させる」

「姉さん、俺は?」

「応援してなさい」

――その役回りが一番安全だ。

私はゴンドラの上でバランスを取りながら立ち上がった。

厳かな声で、神の雷を呼び下ろす準備に入る。

「聖力増幅。標的刻印。審判予告。絶対執行」

補助系スキルを重ねがけし、ゆっくりと顔を上げた。

夜空に異変が走る。

厚い雲が、まるで巣を張る蜘蛛のようにゆっくりと円を描き始めたのだ。

――バチッ、バチッ!

目が焼けるほどの蒼い閃光が弾ける。

やがて空に形作られたのは、五つに裂けた巨大な電撃の輪。

ちょうどその時、雲は電荷をたっぷりと帯び、怒りを溜め込んでいた。

それが、神聖なる落雷の威力をさらに増幅させる。

「――神罰!」

巨大な電撃の輪が、八つの尾のようにうねりながら回転した、その瞬間――

――バチチチチチチッ!!

空から凄まじい雷撃が降り注いだ。

渦の軌道に沿って、電撃は途切れることなく螺旋を描きながら叩きつけられていく。

もはや単発の落雷ではない。

それは――電撃の嵐。

乾いた空から引きずり出されたそれとは比べものにならない、圧倒的な威力だった。

水面上に突き出していた巨大な触手が、次々と焼き焦がされていく。

強化された神罰の力をまともに受けたボスが、激しく身をよじった。

その影響で、海は渦とは別の原因で大きく揺れ始める。

私たちは船にしがみつき、なんとか踏みとどまった。

その時だった。

「姉さん、水が……!」

海面がみるみるうちに下がっていく。

突然、海水が引いた――それも一因ではあるが、もっと大きな理由がある。

「っ……!」

アッシュが息を呑んだ。

ゴンドラが傾き、そのまま滑り落ちるように流される。

急な傾斜を転がるように、私たちは後ろを振り返った。

――ザァァァァァッ!!

まるで滝のように海水を吐き出しながら、巨大な影が姿を現す。

イカともタコともつかない、異形の海獣。

いくつもの赤い瞳が、不気味に瞬きながら、私たちを見下ろしていた。

【システム】ダンジョンの主、魔界序列610位『下水路を塞ぐクラーケン』が出現しました。

――そうか。さっき私たちが遊具みたいに滑り落ちてきたこの斜面。

その正体は、クラーケンのぬめった頭部と胴体だったのね。

「ひっ、ひぃ……怖いです、姉さん……」

「大げさね」

その瞬間、クラーケンの触手が、私たちの乗るゴンドラへと鋭く振り下ろされる。

船を絡め取って、そのまま海中へ引きずり込むつもりだろう――だが。

――ザシュッ!!

私の斬撃と、アッシュの短剣が同時に閃いた。

一本の触手が切り落とされる。

激痛にのたうち回るクラーケンが、怒りに満ちた咆哮を海に轟かせた。

クォォォォォォ――ッ!

「うわ……すごく気持ち悪いですね」

同感だ。

クラーケンの口の中には舌はなく、内壁一面が歯なのか棘なのか分からない突起でびっしり覆われていた。

――グオオオオッ!

その口の奥から、どろりとした暗緑色の体液が溢れ出している。

どうやら、さっき流し込んだ毒が効き始めたらしい。

……いや、それだけじゃないか。

さっきよりも触手の動きが鈍い。明らかに力が落ちている。

「もう少し揺さぶればいいわね」

テシリドが釣り竿を横に払った。

その左手には、釣り糸代わりに使っている精霊王のハープの弦がしっかりと巻き付いている。

クラーケンが青魚の餌を丸呑みにしてくれたおかげで、ワイヤーの先は内臓の奥深くまで届いていた。

テシリドが攻撃に移る。

「蒼の聖火」

――ゴォォッ!

テシリドの手に灯った蒼い炎が、精霊王のハープの弦を伝って一気に走る。

それはクラーケンの口から体内へと入り込み、胃の奥へと深く突き刺さった。

「グォォォォォォ――ッ!!」

元来、水棲の魔物は炎に弱い。

ましてや高位の神聖力を込めた聖火が体内で炸裂すれば――その苦痛は想像に難くない。

クラーケンは絶叫しながら、激しく身をよじった。

 



 

――ザァァァァァッ!!

ボスがのたうち回るたび、四方へと墨が雨のように降り注いだ。

しかも、その墨には麻痺成分が含まれているうえ、先ほど流し込んだ魔毒と混ざり合っている。

人間がまともに浴びれば、まず助からないだろう。

「水鏡の防壁」

淡く輝く水の結界が展開され、私たちを守った。

私たちはそのまま、毒と墨の雨が止むのをじっと待つ。

「かなり効いてますね」

「そうね」

ちらりと見えたクラーケンの口内は、すでにずたずたに裂けていた。

あれだけやられていれば、内臓も無事では済まないだろう。

やがて毒と墨の雨は止み、こちらも決着をつけるタイミングだ。

「――神罰」

水鏡の防壁を解き、間髪入れずに二撃目を叩き込む。

今度は触手ではなく、頭部を狙った直撃。

雷撃をまともに受けたクラーケンは、その場でしばらくのあいだ硬直し、痙攣するように震え続けた。

周囲には焼け焦げた臭いが漂う。

やがて巨体はゆっくりと海中へ沈み始める。

――逃げるつもりか。

――逃げられると思わないことね。

「さあ、ちゃんと中まで火が通っているか確認しましょうか。――断罪!」

私は指先ではなく、セレペスの剣先でクラーケンを指し示し、そのまま振り下ろした。

次の瞬間――遠距離から放たれた神聖スキルが、一直線にクラーケンへと叩き込まれる。

見えない審判の刃が、正確に縦へと走り抜けた。

その一撃は、胴体の中心にある胃袋までも真っ二つに裂き――内部に溜まっていた毒ガスと蒼い聖火が外気と触れ、激しい爆発を引き起こす。

――ドォォォォンッ!!

四方へと焼けた肉片が飛び散った。

私が水の防壁を張り直そうとした、その瞬間――

「……危ない」

テシリドが先に動いた。

片手で天幕をひっくり返すように持ち上げると、もう一方の腕で私を包み込むように抱き寄せた。

アッシュは気を利かせて、先に天幕の中へ潜り込んでいたらしい。

【システム】おめでとうございます!ダンジョンの主、魔界序列610位『下水路を塞ぐクラーケン』を討伐しました。

【システム】魔界領地『大湖の海』が、ダンジョン踏破者アイレット・ロテラインに帰属しました。

――ぐらり。

しばらくして、飛び散っていた肉片の雨も止み、クラーケンの巨体は完全に海中へ沈んでいく。

アッシュが天幕をめくり、ひょこっと顔を出した。

「ふぅ……無事に倒しましたね。お疲れさまです」

「あなたもね、アッシュ」

「ところで、姉さん」

「ええ、何かしら?」

「どうして……渦が止まらないのでしょうか?」

――ヒュオオオオッ!

その通りだった。

私たちの乗るゴンドラは、依然として渦流の中でぐるぐると回り続けている。

私は落ち着いて口を開いた。

「大丈夫。これは当然の現象よ」

「え?ボスは倒したのに……?」

「そこなのよ。ボスを倒したからこそ起きている現象。正確に言えば、“ボスをその場から排除したから”ね」

理由は単純だ。私たちが討伐したのは――『下水路を塞ぐクラーケン』。

つまり、あの怪物は長い間、“流れを塞ぐ栓”の役割を果たしていたということ。

人魚たちの話では、あのクラーケンが現れてから、海底の入口はおよそ百年ものあいだ閉ざされていたらしい。

「せき止められていた水が、一気に流れ込んでいるのよ」

私は渦の中心を見据えながら、静かに言い切った。

「だから――今が一番、危ない時間帯ね」

それは、聖書に記された四十日とは比べものにならないほど――圧倒的に短く、そして危険な時間だった。

「実際、大洪水そのものはとっくに終わっているのよ。それでも水が引かないのは……排水の問題ね」

「排水、ですか?」

「ええ。クラーケンが“水の抜け道”を完全に塞いでいたの。だから水位が維持されていた。でも――」

私は肩をすくめて、あっさりと言った。

「そのクラーケンを、私たちは倒してしまった」

「あ……」

アッシュの顔に、理解の色が広がる。

「つまり今は――巨大な浴槽の栓を、思い切り引き抜いた状態というわけ」

「なるほど……」

素直に頷いた彼は、次の瞬間――顔色をさっと青ざめさせた。

「ちょ、ちょっと待ってください。その“排水口”って……どれくらいの大きさなんですか?」

「そうね……大きめの池くらいかしら」

「えっ」

一拍の沈黙。

「……俺たちのゴンドラより、ずっと大きいですよね?」

その問いに、私はにこりと微笑んだ。

「ええ、もちろんよ」

「そうね」

「じゃあ、このままだと……俺たちも排水口に吸い込まれるんじゃないですか?」

ずいぶんと頭の回る生徒だ。

いや、それどころではない。

私たちの乗るゴンドラが描く円の半径は、明らかに縮まってきている。

つまり――少しずつ、渦の中心へ引き寄せられているということだ。

海面は目に見えて急速に下がっていく。

遠くの水平線のあたりでは、すでに山の稜線が姿を現し始めていた。

周囲には、鋭い岩礁が牙のように突き出しているのも見える。

私はアッシュの肩を軽く叩き、手を挙げた。

「大丈夫よ」

「本当に大丈夫なんですか?」

「ええ。完全に吸い込まれる前に、脱出すればいいだけだから」

「え?うわっ……!」

私はアッシュの首根っこを掴むと、そのままゴンドラから飛び降りた。

着地したのは、キノコのような形をした巨大な岩の上だった。

横目で確認すると、テシリドも無事に脱出している。

ギィィィィ――

水をほとんど吸い込み切ったことを告げるように、渦が甲高い音を立てた。

その中心へ、さっきまで私たちが乗っていたゴンドラが、真っ二つに砕かれながら呑み込まれていくのが見える。

ゴゴゴゴゴ……。

やがて水はすべて引き、ついに海底が露わになった。

同時に、あれほど立ち込めていた濃い墨の雲も、跡形もなく消え去る。

まるで最初から雨など降っていなかったかのように夜空には、冴えわたる満月が静かに輝き、世界を銀色の光で満たしていた。

百年ものあいだ海底に沈んでいた大地に、ついに光が差し込んだ瞬間だった。

〈何もないわね。珊瑚礁がびっしり広がっていると思っていたのだけれど〉

「深海ですから。光が届かなくて、珊瑚は生きられなかったんでしょう」

珊瑚は、テシリドの瞳のような色をした浅い海に生息するものだ。

「ところで……誰と話しているんですか?」

「え?何のこと?」

「さっき、何か話していたじゃないですか。しかも敬語で」

「聞き間違いでしょう。変なこと言わないで」

「……」

――ごめんなさい、アッシュ。

心の中でそっと謝った、その時。

くすり、と小さな笑い声が耳元をかすめた。

こんな風に、柔らかく心地いい響きを持つ声を出せる人なんて――ひとりしかいない。

〈テシリド、あなたもね。私が見えないという点では、彼と同じ立場なのに……面白いわ〉

その瞬間、テシリドはぴたりと笑みを止めた。

私はぬかるんだ地面を慎重に踏みしめながら進んだ。

ほどなくして、幅が十数メートルはあろうかという大きな池が目に入る。

そこが、水を吸い込んでいた排水口――“深海の泉”だった。

私は周囲で弱々しく跳ねる魚たちを一匹ずつすくい上げ、泉の中へ放り込んでいく。

この泉は深海へとつながっている。

だから、その中に入れば、また元のように生きていけるはずだ。

〈ねえ、私も手伝って〉

〈こっちにも、こっちにも!〉

水に戻れず、苦しげに身をよじる存在は、魚だけではなかった。

人魚たちも、泉まで這っていこうとして力尽きたのか、助けを求めてきた。

「テリー、アッシュ。あなたたちは下がっていなさい」

男たちを安全な場所へ退避させ、私は一人で動き出した。

動き回るたびに、生臭い魚の匂いが服に染みついていく。

私は大きなタオルを取り出し、人魚たちを一人ずつ包み込んでから、泉へと運んだ。

人魚たちはそのタオルに興味津々の様子だ。

〈わあ、これなに?触り心地が変だね〉

「タオルっていうのよ。体の水分を拭き取るのに使うもの」

〈水の外のものって、不思議なのが多いね。これ、もらってもいい?〉

「いいわよ」

どうせ魚臭くなってしまったものだし。

〈私も、私も!〉

気づけば、タオルを十二枚も強奪されていた。

文明から切り離された海は、ほとんど野生と変わらない。

だからこそ、人魚たちにとっては人間の何気ない道具ですら珍しく映るのだろう。

「さあ、集中して」

タオルを手にしてはしゃぐ人魚たちの注意を引き戻した。

「クラーケンは討伐したし、このダンジョンの所有権も私に帰属した。だから約束は守ってもらうわ」

〈ここをあなたが支配する以上、私たちに拒否権はないでしょうね〉

「安心して。無茶な要求はしないわ。だいたい一ヶ月に一度、この小瓶三本分を満たすくらいの涙をもらえればいい」

必要量はおよそ半リットル。

期間については、現実世界とダンジョン内の時間の流れの差を考慮して、ちょうどよく調整してある。

すると人魚たちは、互いに顔を寄せ合い、ひそひそと相談を始めた。

なぜだろう。

私の合理的な提案に、何か不満でもあるのだろうか。

〈あのね〉

おそらく長姉格らしい人魚が、タオルをぎゅっと握りしめたまま私と視線を合わせ、意を決したように口を開いた。

〈条件を一つ、追加したいの〉

「何?言ってみて」

〈ここに来るたびに、“陸のもの”をもっと持ってきてほしいの〉

「陸のもの?タオルみたいな?」

〈タオルもいいけど、それだけじゃなくて……いろんなものが欲しいの〉

「ふむ……なるほど。例えば、こんなのはどう?」

私はインベントリから、華やかな服や可愛らしい食器、ガラス瓶に詰めた茶葉、筆記用具など、細々とした品々を取り出して見せた。

一つひとつ、品物を取り出していった。

すると人魚たちは、きらめく宝石を見つけたカラスのように、ぱっと目を輝かせた。

〈わあ!きれい!〉

〈難破船にもこんなのなかったよ!〉

〈あれ欲しい!〉

〈ちょうだい、ちょうだい!〉

はしゃぐ人魚たちを見て、自然と笑みがこぼれる。

思わず浮かぶ、柔らかな笑み。

「ただではあげられないよ。これがどれだけ貴重なものか、分かるだろう?」

〈そっか、貴重なんだね〉

「そうだ。さっきのタオルも、取引の始まりの記念ってことで特別にあげただけだ。でもこれは別。ちゃんと交換しようか」

〈交換?涙をもっとあげればいいの?〉

「涙がもっと必要なら、最初からたくさん要求しているわ」

〈じゃあ……何が欲しいの?私たちに渡せるもの?〉

取引が壊れるのを恐れているのか、人魚たちの表情には緊張が浮かんでいた。

「まあ、無理な要求をするつもりはないよ……」

私は末の人魚の首元に手を伸ばした。

指先でつまみ上げたのは、淡い光を放つ天然の真珠のネックレスだった。

「同じ重さの真珠で交換、ってのはどう?」

〈え、それだけ?海の中じゃ珍しくもないのに……あなた、ずいぶん優しいのね〉

「そう?私もそう思う」

こうして、双方が納得する取引は成立した。

【『天機漏洩監察官』が、水準が落ちて人間性を失ったあなたの姿に失望しています。】

【『世界を構築する精霊』は、それくらいのことで過剰反応だと判断し、あなたへの人格議論を一蹴しました。】

【『創造経済管理者』は、あなたが手に入れたダンジョンの所有権をうまく活用し、売上実績に貢献することを期待しています。】

【『魂を審判する天秤』は、そう遠くないうちにR18級の逆ハーレムロマンスが誕生すると予言し、あなたを祝福しています。】

 



 

 

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