こんにちは、ちゃむです。
「悪役なのに愛されすぎています」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
148話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 涙を洗い流す朝
翌日になり、ロレッタはメロディと同じ寝台で目を覚ました。
ふと横を見ると、小さな手ぬぐいがぽつりと落ちていた。どうやらメロディが一晩中、彼女の泣き腫らした目元を優しく冷やしてくれていたらしい。
「……ごめんね、メロディ。疲れたでしょう」
ロレッタはまだ眠っているメロディの額に、愛おしさを込めて軽く口づけを落とし、そっと寝台から起き上がった。
メロディを起こさないよう足音を忍ばせて廊下へ出ると、ちょうど前を通りかかった騎士イサヤとばったり鉢合わせた。
「ひっ、大隊長!」
「おはよう」
ロレッタは一歩近づき、茶目っ気たっぷりににこりと微笑んだ。
「急に出てきたら、驚きますよね?」
「……さすがだと思いました」
「それじゃあ、来年には私の顔が入った記念切手が出るのかしら?」
イサヤはこれまでに何度も武闘大会で優勝を重ね、その輝かしい功績もあって、現皇帝に次ぐほど多くの記念切手を発行された人物として、ますます名を広めていた。
「大将の肖像入り切手なんて出たら、公爵さまかクロードさまが、即座に市場のものをまとめて買い占めてしまいそうですね。何より、その上から郵便局の消印が乱暴に押されるのを、お二人が嫌いそうですし」
なるほど、とロレッタは思い、思わず小さく笑みをこぼした。イサヤはそんな彼女の様子を、少し心配そうな表情で見つめ、慎重に言葉を紡いだ。
「私は大丈夫よ。無理に笑ってるわけでもないし、わざと元気なふりをしてるわけでもないの」
「い、いえっ!」
イサヤは慌てて首を振って否定したものの、結局は自分の頭をぽりぽりとかきながら、正直な気持ちを打ち明けるのだった。
「差し支えなければ幸いですが……それでもここは、隊長の家(ホーム)ですよ」
「……」
「つまり、思いきり悲しむには、ここ以上にふさわしい場所はない、ということです」
ロレッタはしばらく目を伏せたまま、自分の心の中を探るように沈黙した。
「そうね。私……思っていたより、平気みたい」
彼女はゆっくりとうなずいた。確かに胸の奥に深い悲しみは残っていたが、不思議ともう涙があふれるほどではなかった。
「不思議ね。きっと何日も何も手につかなくなって、部屋に閉じこもって泣いてばかりいると思っていたのに。まるで小説の中の悲劇のヒロインみたいにね。もしかして、私……自分で思っていたほど、彼のことを強く好きだったわけじゃなかったのかしら?」
「まさか」
イサヤは肩をすくめ、にっと親しみやすい笑みを浮かべた。
「お嬢さまが、そのお気持ちにすべての全力を尽くされたからでしょう。後悔が一片も残らないほどに、真っ直ぐに」
そう言って、彼は少し声を落とし、「……僕も、かつてそうでしたから」と、自嘲気味に付け加えた。
「それなら――これからは、その胸に溜まった“想い”を、ほんの少しずつ外に出していけそうですか?」
「うん……」
イサヤはそのロレッタの曖昧な生返事に対して、それ以上ははっきりとした答えを求めなかった。ロレッタも彼の優しさに甘え、これ以上踏み込まないことにして微笑んだ。
「ともあれ、心配してくれてありがとう、メルン卿。私は本当に平気よ。お腹も空いたし、何か面白そうなものも見たいくらいだわ」
「では、さっそく予定を立てましょうか。ちょうど今夜、ボルドウ夫人が楽しみにしていらした劇が、芸術院で開幕したそうですよ」
「うううん、それはいいの」
ロレッタは、少し乱れた髪を指先でくしゃりと整えながら、悪戯っぽく微笑んだ。
「幸い、今日は先約があるのよ。陛下が『面白い公演を観て、美味しいものも食べに行こう』って、誘ってくださってね」
「皇帝陛下が、ですか?」
イサヤは少し驚いた様子で問い返した。それも無理はない。これまでロレッタは、熱烈なアプローチをしてくる若き皇帝と会うことを、ひどく面倒に感じて避けていたのだから。
「うん。ちょっと昨日、私の恥ずかしい取り乱した話を聞かれてしまったし、色々と大きな借りもできちゃったから。まあ、たまにはお付き合いするのも悪くないでしょ」
「隊長がよろしければ何よりです。では、芸術院へ行かれる際は私が護衛として同行いたします。陛下の側近たちと一緒に動くより、その方が色々とやりやすいでしょうから」
「お願いするわ」
ロレッタはイサヤに軽くうなずき、身支度をするために自室へと戻っていった。
ちらりと見えた窓の外では、透き通った新しい朝日が昇っている。ロレッタはその光に向かって、胸の支えを吐き出すように、思わず小さく「おはよう」と挨拶した。
あんなに重かった好きな気持ちを、そっと手放した朝の心は――思っていたよりも、ずっと悪くなかった。そういうことだったのだろう。
アウグストの結婚式の日を境に、ロレッタとエヴァンは、互いに一度も連絡を取らなかった。実のところ、特別に連絡を取る必要も、口実もなかったのだ。
たとえ魔力石が水や空気のように生活の隅々まで行き渡る時代になったとしても、彼女は依然としてメロディの傍で、心の軸をしっかりと保ち続けていた。最も大切な心が揺らぐことはなく、かつてのような魔力の暴発が起こることもなかった。
そしてエヴァンもまた、師であるジェレミアからの明確な依頼がない限り、わざわざロレッタに用事を作るようなことはしなかった。
そうして、あの鮮やかな秋が完全に過ぎ去り、凍てつく冬へと移り変わったある日のこと。
エヴァンは自室の机の上に置かれた、小さな魔力球をぼんやりと見つめていた。そこには、過去の彼が、日付を添えて丹念に刻み込んだ約束の痕跡が、確かに残っていた。
昨年、ロレッタが嬉しそうに「冬が始まる頃に、また魔塔に遊びに行ってもいい?」と約束した日が、ちょうど今日の約束だった。
もちろん、その約束をした時は、あのアウグストの結婚式で、あんな決定的な破局が起こるだなんて、夢にも想像していなかったけれど……。
「来ない……よな」
エヴァンは無意識のうちにそう呟きながら、自嘲気味に気持ちをきっぱりと引き締めた。当然といえば当然だ。あの夜、ロレッタにしてしまった数々の残酷な仕打ちと、突き放すような言葉を思えば、彼女がここへ来ない方が自然だった。
「ふう……」
エヴァンは大きくため息をつき、後悔を押し殺すように机に額をゴンと打ちつけた。
「にゃあ」
その時、背後から聞き慣れた鳴き声がした。エヴァンは驚いて勢いよく振り返る。
「エコ!」
嬉しそうにその名前を呼んだ。ロレッタの愛猫であり、魔塔の賢い使い魔でもあるエコが、そこに佇んでいた。だが、エコからは特に大きな熱い反応はなかった。エヴァンが戻ってきたことは察しているのだろうが、「だからといって今さら取り立てて用事もない」とでも言いたげな、冷ややかな様子だった。
「エコ、いつ戻ったの? 公爵邸から帰ってきたのかい?」
エヴァンの問いかけに、エコはにっこりと微笑むような表情を作りながら、ただ小悪魔的に首を傾けるだけだった。
「ほ……もしかして、僕に怒っているの……?」
利口な猫は、いつの間にかエヴァンとロレッタの間にあったあの切ない出来事を、すべて悟っていたらしい。エコは気まずそうにエヴァンから視線を逸らすと、少し開いていた扉の向こうへ、すっと姿を消してしまった。
「エコ?」
呼び止めると、エコは「ついてこなくていいでしょ?」と言わんばかりに一度だけ振り返り、そのまま廊下の奥へと歩いていく。
「ついて……来いってこと? え、どういう意味?」
問いかけても、もう返事はない。エコは黙ったまま、リズミカルな足音だけを残して進んでいった。
(……まさか、お嬢様が?)
エヴァンは胸の奥に芽生えた、説明のつかない激しい予感を抱えたまま、吸い寄せられるようにエコの後を追った。
胸が激しくざわついた。あんな残酷な別れ方をして、もう二度と「そんな淡い期待」を抱いてはいけないと決めたはずなのに、どうしても期待してしまう自分がいた。
「そんなはずない……お嬢様は、もう俺のことなんて……」
彼は頭を振って、必死に現実的な思考をしようとした。けれど、廊下の先でふわりと揺れるエコの白いしっぽを目にするたび、みじめな期待が胸をもたげるのを止められなかった。
エヴァンの心臓は、うるさいほどにドクドクと激しく打ち始める。階段を下りきったエコが、一階の応接室へ向かって軽やかに走り出した頃には、エヴァンは緊張のあまり呼吸まで浅くなっていた。
(ぼ、僕は本当にお嬢様に、どんな顔をして会えば……)
どうすればいいんだ。エヴァンは、焦りで汗ばんだ手のひらを、何度もローブの布地にこすりつけた。
「魔法使いエヴァン!」
ちょうどその時、近くの角から高位魔法使いのフィアスが、血相を変えて遠くからこちらへ駆け寄ってきた。
「ピ、フィアス様」
「ご来客があるなら、前もって僕に言ってくださいよ! 今、魔塔の厨房が大変なことになっているんですから!」
「す、すみません……」
エヴァンは慌てて腰を折った。本来なら、ロレッタが来ることがわかっていれば、一週間も前から魔塔の厨房に根回しをして、彼女の好む貴重で高価な食材を山ほど確保しておくところだったのだ。
「とにかく早く中へどうぞ。高貴なお方が、中でお待ちですから」
「……本当に、ずっとお待たせしていたのですか?」
驚いて問い返すと、フィアスは当然だという顔で声を潜めた。
「これほどの貴人をお待たせするなど、普通なら大問題ですよ。我が魔塔の不条理なルールでなければ、すでに大不敬として苦情が出ていたでしょうね」
「も、申し訳ありません……」
彼は何度も頭を下げると、弾かれたように急いで応接室の扉の前へと走っていった。
――ロレッタのことは、もう忘れなければならない。これ以上、彼女を巻き込んで傷つけてはならないんだ。
エヴァンはそう自分に強く言い聞かせながら、扉の前で深く深呼吸をした。胸の奥に満ちていたはずの覚悟が、いざ「また会える」のだと思うと、少しも薄れることなく激しい感情となって再び顔を出してくる。
「……お嬢さん」
彼は今日もいつものように、自らの強大な魔力を限界まで抑え込み、動揺を隠すために両手を背中に回してもう一度深呼吸した。
そうして、心の中でゆっくりと数を数え終えてから、ようやく覚悟を決めて扉を開いた。
「よく会うな、魔法使いエヴァン」
だが、静かな応接室から聞こえてきた声は、彼が心から期待し、同時に恐れていたあの愛らしい少女のものではなかった。
「……陛下」
エヴァンは一瞬の落胆の後、少し遅れて完璧な礼を取り、視線を上げた。
若き最高権力者の膝の上では、ロレッタの愛猫であるエコが、これ以上ないほど甘えるように丸くなり、その体をぴったりと押しつけていた。
「突然の訪問となったことは詫びよう。だが――」
皇帝は少し困ったように、しかし愛おしそうに膝の上の猫をやさしく撫でた。
「ロレッタのエコが、今日はどうしても魔塔へ戻らなければならないと、私をここまで案内して聞かなくてね」
エヴァンは言葉を失ったまま、エコと皇帝の姿をただ呆然と見つめていた。
「どうして、陛下が……」
「魔塔の使い魔は噂どおり、実に賢いな。正直、感心したよ」
皇帝はそう言いながら、猫を両腕で大切そうに抱き上げた。普段なら、ロレッタとエヴァン以外の腕をひどく嫌うはずのエコが、不思議なことに若い皇帝の胸の中では大人しく身を委ね、喉を鳴らしている。
「エコを……わざわざここまで連れてきてくださり、深く感謝いたします」
エヴァンがかしこまって臣下としての礼を述べると、皇帝はどこか全てを見透かしたような穏やかな笑みを浮かべて首を振った。
「礼を言うのはこちらのほうさ。エコが我が皇宮を気に入ってくれたおかげで、公爵の鋭い目を盗んで、何通も公女(ロレッタ)に宛てた手紙を届けることができたのだからね」
「にゃあ」
エコは小さく鳴き、皇帝の腕の中へとさらに信頼を寄せるように顔をうずめた。
皇帝は続けて、エコがどのような経緯で皇室の微笑ましい客人となったのかを、静かに説明してくれた。
「先の約束のあった日にね。公女に付き添って出てきた君が、まるで大切な宝物を奪われるのを警戒するように、私を鋭く睨むように見つめていたのでね」
皇帝は慣れた手つきで、エコの顎の下を優しく撫でた。
「……大変、申し訳ありませんでした」
エヴァンは再び深く腰を折った。いくら魔塔の高位魔法使い、次期魔塔主と目される身とはいえ、皇室の至高の存在に対してそのような無礼な視線を向けたのは、明らかに不敬罪に値することだった。
「いや、責めているわけじゃない。悪くなかったよ。むしろ、君のあの目に、少し興味を引かれたんだ」
「ご興味、ですか?」
ちょうどその時、静かに部屋にノックの音が響いた。お茶の用意を終えたフィアスが気を利かせて叩いたのだろう。だが、エヴァンも皇帝も、誰ひとりとしてそちらへ視線を向けることはなかった。緊迫した空気が、二人を包んでいた。
「君が、あの公女のそばに立つ資格がある男なのかどうか――それを、少し確かめてみたくなってね」
そう言って、皇帝は抱き上げていたエコを、そっとエヴァンの腕の中へと戻した。そして、何事もなかったかのように優雅に踵を返した。
「ぼ、僕は……!」
エヴァンは戻ってきたエコをしっかりと抱きしめたまま、去ろうとする皇帝の背中に向かって、必死に声を張り上げた。
「お嬢様を、決して傷つけたりはしていません!」
「魔法使いエヴァン」
応接室を出かけていた若き皇帝は、そのエヴァンの必死な叫びにピタリと足を止めた。何か引っかかるものでもあったのか、楽しげにエコの残した白い毛を自身の袖から払いながら、ゆっくりと振り返る。
「……はい」
「明日はたしか、魔塔と我が皇室の研究情報の共有会だったな?」
魔塔と皇室の首脳たちは、定期的にお互いの必要な魔導の知見を交換する場を設けていた。学問や魔導工学に強い関心を持つ若き皇帝は、主宰としてほとんど欠かさずその場に顔を出すことで有名だった。
「はい。現在はジェレミア師が不在のため、不肖ながら私が代理として出席し、発表を行う予定です」
「そうか」
皇帝は少し残念そうに、しかしどこか挑発的に目を細めた。
「それは惜しいな。明日は君と腰を据えて魔導の話をする時間が取れそうにない。……何しろ明日は、私の一番大切なお嬢さんと、素敵な先約があってね」
彼はそう言って、勝利を確信した男のように、どこか照れたように甘く微笑んだ。
「一日ほど私がその共有会を欠席しても、進行に支障はないだろう?」
「……その必要性の判断は、陛下の優秀な研究官の方々にお任せすべきかと存じます」
エヴァンが奥歯を噛み締めながら、極めて慎重に、冷徹な言葉を選ぶと、皇帝はそれがたまらなく愉快そうに小さく笑った。
「はは、確かにその通りだ。君は実に真面目で、つまらないな」
腕の中のエコが「にゃあ」と同意するように鳴き、エヴァンの胸元に顔をこすりつける。
その傲慢とも言える皇帝の余裕に満ちた様子を見て、エヴァンは胸の奥を激しい嫉妬に焼かれると同時に――どこか、妙な安堵を覚えていた。
(……少なくとも、この人は)
あの、世界で一番愛らしくて、傷つきやすい“お嬢様”を、決して軽んじてはいない。全力で、一人の淑女として大切に扱おうとしてくれている。その確信だけが、静かにエヴァンの胸に重く残っていた。
「そういうことだと思うよ、エヴァン」
「ああ、そうだな」
皇帝はエヴァンの複雑な表情に深く納得したように頷き、にやりと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「私が誰に会おうと、君にとってはもう『手を放した』のだから、大した関係のない話だろう?」
「…………っ」
「では、これで失礼しよう。次はきちんと公式に挨拶を整えて訪ねるとするよ。これ以上、育児と公務で疲れ切っている魔法使いフィアスを困らせたくはないからね」
エヴァンはどう言い返せばいいのかわからず、ただ悔しさに唇を強く噛みしめた。皇帝は特にそれ以上気にする様子もなく、そのまま優雅な足取りで応接室を出ていった。
廊下で待っていたフィアスが、はっとした様子で「陛下、せめて温かいお茶だけでも!」と勧める声が聞こえた。だが、次第に遠ざかっていく迷いのない足音から察するに、皇帝はその勧めをにべもなく断って去ったのだろう。
エヴァンは相変わらず、腕の中のエコを強く抱きしめたまま、誰もいなくなった静かな部屋で、黙って立ち尽くしていた。
「……だよね」
エコが、腕の中でどこか呆れたように、憐れむような目でエヴァンを見上げながらそう鳴いた気がして、エヴァンは深く深く頭を下げた。
「僕も……分かっているよ。もう、僕の手は届かないんだってことくらい」
「僕?」
――違う。
お前は、何も分かっていない。
本当に、どうしようもないバカな魔法使いだ。
エコはエヴァンの腕からすっと飛び降りると、窓の外を見つめながら、きっぱりとそう言い切るように、もう一度だけ、低く鳴いた。