大公家に転がり込んできた聖女様

大公家に転がり込んできた聖女様【145話】ネタバレ




 

こんにちは、ちゃむです。

「大公家に転がり込んできた聖女様」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【大公家に転がり込んできた聖女様】まとめ こんにちは、ちゃむです。 「大公家に転がり込んできた聖女様」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹...

 




 

145話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 資格試験

ラビエンヌは、震える手をぎゅっと握りしめながら、長老たちの前に立った。

座っていた長老たちは一度立ち上がり、ラビエンヌに礼を示してから、再び席に着いた。

(――年老いた狐どもめ)

数十人にも及ぶ長老たちが一斉に見下ろしてくるこの場は、試験のためとはいえ、ひどく居心地が悪かった。ラビエンヌは不快そうな表情を隠さず、口を開いた。

「第十五代聖女ラビエンヌ・デ・ブラウンス。長老の皆様のお呼びを受け、参上いたしました」

澄んだ声が、場内に余韻を残して響き渡った。

長老会の代表であるシャロンが進み出る。司祭服を厳かに整えた彼女からは、無視できない重圧が漂っていた。

ラビエンヌは、どうにか場の空気を和らげようと無理に笑顔を作り、甘えるような口調で言った。

「大母様、これまで聖女に就任した後に、改めて資格試験を受けた例は一度もありませんでした。どうか、もう一度お考え直しください」

「ええ、確かにその通りです。しかし――今のように、帝国中に疫病が蔓延したことも、かつてありませんでした」

シャロンの冷徹な返答に、ラビエンヌの言葉はほとんど届いていなかった。

「どうしても、ここまでなさるおつもりですか? これは神殿のためにも、決して良いことではありません。もし私が試験に合格できなかった場合、長老会もその責任を免れないはずです」

ラビエンヌは長老たちを一人ずつ見回し、必死に訴えかけた。しかし、誰一人として彼女と視線を合わせようとはしなかった。

(――雰囲気が、あまりにも冷たい)

いつもとはまるで違う、突き放すような視線。ラビエンヌは無意識のうちに腕を抱きしめていた。肉眼でも分かるほど、唇がかさかさに乾いている。

「我々長老には、責任を負うべきことがあれば正す義務があります。聖女様にも、その点をご理解いただきたい」

「…………」

「試験は、歴代の聖女たちが受けてきたものと同様に進められます。巷で囁かれている、聖女様に関する不明瞭な噂を払拭するためにも、今回の試験は必要不可欠です」

存在しない病をでっち上げ、それを止められなかったラビエンヌには、もはや試験を拒む正当な理由などなかった。

「……分かりました」

袖の中で握りしめた指先には、すでに感覚がなくなるほど強く力がこもっていた。

「では――第一の試験は、植物を育てることです」

シャロンが手振りで合図を送ると、神官たちが一斉に動き、ラビエンヌの前へと大きな植木鉢を運んできて据えた。中には、ラビエンヌの背丈ほどもあるヒアシンスの木が植えられていた。

(これなら、いける)

候補生時代の授業で扱った科目の一つであり、ラビエンヌが一度も首位を譲らなかった得意分野でもある。

(どうか、聖花の効果がありますように)

ラビエンヌは切実に祈りながら両手を前に突き出し、ありったけの聖力を注ぎ込んだ。意識をその木に集中させると、手のひらの先から淡く柔らかな光があふれ出す。

やがて時が流れ、枝先には花のつぼみがいくつも芽吹いた。それを見たラビエンヌは、ぱっと笑顔を浮かべる。

(授業のときより、ずっと早い!)

それが長年の修練の成果なのか、それとも聖花を肩に宿した影響なのかは分からないが、聖力が確実に成長している手応えがあった。

定められた時間が終わると、青々とした花芽がいくつもついた鉢が、長老会へと提出された。ラビエンヌは、これなら悪くない評価をもらえるのではないかと、期待を込めた眼差しで長老たちを見つめた。

(――たかが、花芽止まりか)

しかしシャロンは、歴代の聖女たちの記録に目を通しながら、心の中で小さく舌打ちした。聖女でなければ、確かに優れた聖力だと評価されただろう。だが、聖女の力とは、花を何輪も「咲き誇らせる」ことができるかどうかで測られる。花を咲かせるに至らなかった花芽では、評価の対象にすらならないのだ。

ラビエンヌの聖力が想定を上回るものではないことを確認すると、シャロンは険しい表情のまま、静かに手を挙げた。

「……開けなさい」

扉の前で待機していた神官たちは、その合図を受けるや否や、勢いよく扉を開いた。

「扉……?」

ラビエンヌは戸惑い、周囲の視線につられて振り返る。そして、自分の目を疑った。試験が終わるまで、決して開いてはならないはずの扉が開いていたのだ。

まだ状況を理解しきれないラビエンヌが細めた目を向けると、誰かが中へと足を踏み入れてきた。その人物が誰なのか、遠目にもすぐ分かった瞬間、ラビエンヌの瞳は愕然と見開かれる。

「な、なんで……あの子が、ここに?」

あまりの衝撃に、声が思わず喉からこぼれ落ちた。

絶対にここにいてはならない――ラビエンヌがこの試験場で、最も顔を合わせたくなかった人物。エスターだった。

エスターは、固い決意を宿した表情のまま、堂々と試験場の中央へ向かって歩き出した。

「エスター令嬢、どうやら間違って入ってきたようですね」

ラビエンヌは慌てて駆け寄り、長老たちの視界からエスターを遮ろうとしながら言った。

「ここは令嬢が入る場所じゃありません。今すぐ出て行ってください」

何がそんなに恐ろしいのか、ラビエンヌの顔はすでに青ざめていた。それでもエスターは足を止めない。混乱したラビエンヌがエスターの腕を掴んだ。

「令嬢、もう一度言いますが、ここは――」

必死に自分を止めようとするラビエンヌを、エスターは冷ややかに振り返った。無数の視線が、二人に集中していた。

ラビエンヌが威圧するように睨みつけても、エスターはまったくひるまなかった。それどころか、むしろ一層の余裕すら感じさせる態度だった。

「そんなに驚きました? あんなに慌てた顔、初めて見ましたけど」

エスターの言葉に、ラビエンヌは自尊心を傷つけられ、ぎりっと目を吊り上げた。今すぐにでも言い返したかったが、ここが試験会場であることを思い出し、必死に怒りを抑える。

「驚くのも無理はありません。今は大事な試験の最中です。それなのに、こんなふうに無礼にも立ち入ってくるなんて……」

「許可もなく私の体に触れておいて、誰が無礼だなんて言っているのかしら?」

本当に呆れた、と言わんばかりに、エスターはラビエンヌの腕をひねって振りほどいた。

「私が入ってはいけない場所だって言いましたよね? それなら、その答えは――」

乾いた声でそう言い放ち、エスターはそこに立ち尽くすシャロンを指さした。

(――まさか)

事態が妙な方向へ転がっていることを、ラビエンヌも感じ取っていた。扉が開いたこともそうだが、長老たちの中に、試験場へ踏み込んできたエスターを止める者が一人もいない。違っていてほしいと切実に願いながら視線を巡らせると、シャロンがラビエンヌに向かって、ゆっくりとうなずいた。

「聖女様、我々が招いた方です。どうかお止めにならないでください」

その言葉を聞いた瞬間、どくん、とラビエンヌの心臓が底へ落ちた。

「長老会がお呼びになったって? 一体どういうことですか。なぜ、公爵家の娘をこんな場に……」

いつの間にこんな事態になっていたのか、どこで歯車が狂ったのか、見当もつかなかった。

「聖女様と同じ試験を受けていただくためです」

「……何ですって?」

動揺を隠しきれず、ラビエンヌの声が思わず高くなる。

「女神様のご神託がありました。――神託を受けた者が、聖女様ではない、という内容です。この場で、もっと詳しく説明しましょうか?」

シャロンが静かに告げると、ラビエンヌははっとして首を巡らし、その場に居並ぶ大神官たちを鋭く見回した。

「ルーカス大神官……!」

必ず秘密にすると約束した事実が表に出たということは、大神官の中に裏切り者がいるという意味だ。

「ち、違います! 私ではありません!」

ルーカスは慌てて両手を差し出し、必死に弁明する。

「私が話しました」

裏切り者を炙り出そうと険しい目を向けるラビエンヌに対し、カイルが落ち着いた声でそう答えた。

「今は、誰が話したかを探ることが重要なのではありません」

「……ですから。どうせ事情を知りながら隠していた者は、試験が終わった後、すべて厳罰に処されます」

シャロンが厳しく指摘すると、ラビエンヌは理不尽だと言わんばかりに足を踏み鳴らした。

「でも、それは……!」

言葉に詰まり、もどかしそうにしているラビエンヌの横で、エスターが明るい声で、彼女を気遣う素振りを見せた。

「大丈夫ですか? とてもおつらそうに見えます」

「……お前が仕組んだことだろ?」

エスターにぴったりと詰め寄ったラビエンヌが、低い声で吐き捨てるように言った。

ようやく本性を現したとばかりに、エスターはくすりと笑った。

「いくら聖女様でも、礼儀というものはわきまえてください」

「今さら礼儀ですって!?」

どれほど声を荒らげ、エスターを責め立てても、状況が変わることはなかった。

怒りでどうしていいか分からずにいる間に、先ほど鉢植えを運んできた神官たちが、今度は同じヒアシンスの鉢をもう一つ抱えて入ってきた。その鉢は、エスターの前に置かれる。

もはやラビエンヌの目は飛び出しそうになり、全身は小刻みに震え始めていた。

「皆さん、私は聖女です! まだ私の試験は終わってもいないのに、こんな真似をされるなんて、常識的に考えて理解できません。正式に抗議します!」

「神託が下った以上、私たちも確認を行う必要があります。どうか聖女様の広いお心で、後ろ盾のない私たちをお許しください」

怒りを露わにし、声を荒らげて詰め寄っても、ラビエンヌの言葉はまったく取り合ってもらえなかった。結局、ラビエンヌは逆上する感情を抑えきれず、歯を食いしばりながら、ただエスターだけを憎々しげに睨みつける。

――しかし、エスターはそんなラビエンヌを相手にしようともしなかった。

「ヒアシンスです」

シャロンは、先ほどラビエンヌに説明したのと同じ手順をエスターに告げた。

「花を咲かせればいいんですか?」

「はい。ただし、どれだけ花を咲かせられるかは個人の聖力次第ですので、可能な限り力を注いでください」

ラビエンヌは、それがどれほど簡単ではないかを知っているため、鼻で笑った。

エスターは迷うことなく、枝だけになった鉢植えを見つめた。

(――ヒアシンス)

かつて資格が現れかけた時、公爵家の庭でヒアシンスの種を持ち込み、花を咲かせたことがあった。あの頃とは違う今、この枯れ枝がどう変わるのか、エスター自身にもまだ分からなかった。

「では、始めますね」

「待ちなさい……!」

ラビエンヌが止めに入ろうとしたが、エスターは彼女の存在を意にも介さず、長い手袋に包まれた両腕を大きく広げた。

動作そのものはラビエンヌと同じ――だが、放たれる圧倒的な力は、まるで次元が違っていた。

次の瞬間、轟音とともに凄まじい光が炸裂する。

エスターの手から溢れ出した光は、ラビエンヌの淡く頼りない光など、比べることすらできないほどだった。すでに昼の明るさだというのに、太陽光をも凌ぐ眩い輝きが、試験場の内側を真っ白に染め上げる。

見守っていた人々は、あまりの光景に口をあんぐりと開け、場は水を打ったような静寂に包まれた。

(今日は、出し惜しみしない)

ノアと交わした会話を思い出しながら、エスターは曖昧さを一切捨て、全身全霊で聖力を解き放った。

光に包まれたヒアシンスの木は、ほんの一瞬で枝という枝に花を咲かせる。一輪や二輪どころではない。すべての枝先に、幾重にも重なる花が咲き誇り、ヒアシンスそのものも目に見えてぐんぐんと成長していった。それは、人間の背丈をはるかに超える巨木となった。

見上げるだけで神々しさを感じさせる光景に、居並ぶ者たちは息をのみ、自然と両手を組んで祈りを捧げた。

「……ごくり」

唾を飲み込む音だけが響き、誰一人として言葉を発することができない。

中でも、最も動揺していたのは、これまで密かにエスターを見下していたラビエンヌだった。

「……あり得ない……」

ラビエンヌは爪を強く噛みしめ、視線をあちこちへさまよわせた。

(――あの時の医師の言葉は、本当だったのか)

自分の聖力とエスターの聖力を比べ、「器」と「渦」にたとえたエビアンの言葉。聖女に選ばれたとはいえ、エスターの聖力がここまで強大だとは思っていなかったラビエンヌは、その忠告を聞き流したことを激しく後悔した。

「……これ以上、ここで花を咲かせるのは無理そうですね」

エスターは鉢植えから手を離した。鉢にひびが入り、今にも割れそうになっていたため、これ以上ヒアシンスを成長させることはできなかったのだ。

「……続けますか?」

エスターは軽く髪をかき上げながら、長老たちを見渡す。

さらり。

風が吹くはずのない会場の中で、一瞬、清らかな風が通り抜けたかのような錯覚を、誰もが覚えた。それは、エスターの聖力が風に乗って広がり、澄みきった気運として伝わった感覚だった。

「……瞳の色が変わりました」

「き、金色……ではありませんか?」

黄金に輝くその瞳は、疑う余地のない――真なる聖女の証。

エスターの瞳を見た長老の一人が、驚きのあまり勢いよく立ち上がり、どさりと椅子から崩れ落ちた。しかし、その無様な様子を咎める者は、誰一人としていなかった。

「……一体、どうなっているんだ……」

長老たちは混乱しながら、エスターの手とラビエンヌの手を交互に見比べた。ラビエンヌの手の甲にも、聖女の証である刻印がはっきりと現れていたからだ。

「では、どちらが本当の聖女様なのでしょう? まさか、お二人ともということは……?」

「はは、あれほどの光景を目にして、まだそんなことを言うのですか」

遅れて我に返った長老たちがざわめく中、深く感銘を受けたシャロンが、エスターに向かって敬意を示した。

「もう十分です。おやめください」

その瞬間、ラビエンヌの唇がひくりと引きつり、血の気が引いた。見ているだけで力を込め、歯を食いしばっていたせいで、口の中に鉄のような味が広がる。ラビエンヌの目に、激しい怒りの火がともった。

「……いったい、どんな手を使ったの?」

「……私は、何もしていませんよ」

振り返ったエスターの瞳の色が変わっているのを目の当たりにし、ラビエンヌの目は制御も利かずに揺れ動いた。

(やっぱり……本物だ。みんな、見てしまった)

ラビエンヌは無意識のうちに身をすくめ、後ずさる。自分の立場が、もはや危ういものになった――その恐怖に、視界がぐらりと歪んだ。

「長老様方、あの子はすでに神殿を出た人間です! 無関係な存在です! 私が、もっと努力しますから……! 私の一族が代々、聖女を輩出してきたことはご存じでしょう!?」

不安が募るほど、最後の悪あがきとばかりに声を荒らげ、エスターを追い出すよう長老たちに詰め寄ったが――すでにエスターに心を奪われた長老たちは、彼女の言葉に耳を貸さなかった。

「……無関係には見えませんが」

「これほどの聖力を目の当たりにして、まだそんなことが言えるのですか?」

これまで向けられたことのない、冷ややかな視線。生まれてこの方、一度も拒まれたことのなかったラビエンヌは、それに耐えきれず、悔しさで目に涙を浮かべた。

「このまま、あの子と同列で試験を受け続けることなんてできません! 私はまだ聖女です、どうか敬意を払ってください!」

ここまで言えば、さすがに聞き入れてもらえるだろう――そんな思い上がりがあった。

「そうですか。では試験を受けないということは、こちらの聖女としての地位を放棄される、と理解しますが?」

だが、先ほど目の当たりにした圧倒的な聖力の差を前に、ラビエンヌの味方をする者は誰一人いなかった。

「……は、みんなおかしいわ」

ラビエンヌは、特に冷徹なシャロンの態度に乾いた笑いを漏らし、涙がこぼれないよう必死にこらえた。

一方、ラビエンヌとは対照的に、余裕に満ちたエスターの澄んだ声が会場に響き渡った。

「次の試験は、何ですか?」

このままでは、すべてをエスターに奪われてしまう――そんな焦燥に駆られ、ラビエンヌは歯を食いしばるような声で遮った。

「やります! 私も、やればいいんでしょう!」

その様子を見て、エスターは――まだ諦めていないラビエンヌを前に、内心ほっとする。

(そう。もう引き下がられちゃ困る)

これだけでは、まだ足りない。エスターは、まだ手袋すら外していなかったのだから。ラビエンヌが偽物であることを、より確実に証明できる瞬間を、エスターは待っていた。

「第二の試験は――聖花です」

 



 

聖花、というシャロンの言葉に、ラビエンヌの表情がわずかに明るくなる。

(私には、種がある)

どう転んでも、あの種さえ植えてしまえば、聖花の芽を育てることはできる。先ほどは大きな差がつい

てしまったが、今回は同じように聖花を育てるのだ。もしかしたら結果を覆せるのではないか――そんな希望が芽生えた。

神官たちが、あらかじめ用意してあった四角い盆を運んできた。広い盆の中には、温室から持ち出された土がぎっしりと詰められている。

「聖花を育てていただければ結構です」

エスターとラビエンヌには、同じ空間と同じ制限時間が与えられた。そしてシャロンの説明が終わるや否や、ラビエンヌは我先にと盆へ駆け寄った。

(何を企んでいるの?)

エスターは、ついさっきまで涙目だったのに、急に生気を取り戻したラビエンヌを訝しげに見つめた。走り寄ったラビエンヌは、中央のもっとも良さそうな場所を陣取り、両手を地面に強く押し当てていた。

(まあ、また小細工するんでしょうけど)

正々堂々と試験に臨むつもりなど、エスターには最初からなかった。エスターは気にも留めず、ゆっくりと祭壇へ向かって歩き出す。彼女が動き出すと、長老たちの視線も一斉にその背を追った。

ラビエンヌが中央の位置を占めていたため、エスターは端の場所に立つことになった。だが、不満を口にすることもなく、静かに土を踏みしめ、そっと目を閉じる。

(こんな場所で育てることになって、ごめんなさい)

温室でもない、急ごしらえの狭い空間で育つことになる聖花へ詫びるように、エスターは聖力を注ぎ込んだ。

すると――エスターの足元から小さな芽が顔を出し、淡い緑の光がくるくると舞い始める。

「おお……!」

「ご覧なさい!」

特に力を入れなくても、聖花は自らエスターの聖力を糧にして、ぐんぐんと大きく育っていった。

「やった……これなら一つは確実に……! ――え、あれは何?」

ようやく持ってきた種を植え、聖花の芽を出させたラビエンヌは、得意げに振り返った――その瞬間、驚きのあまりその場にへたり込んだ。

どれほどエスターでも、さすがに苦戦しているだろうと思っていたのに、予想は完全に外れた。周囲にあたり一面、あまりにも多くの聖花が美しく咲き誇っているというのに、エスターは穏やかな表情を浮かべている。その光景に、ラビエンヌは強い衝撃を受けた。

(あんなことが、可能なの……?)

見守るラビエンヌの目に、赤い嫉妬の光が宿った。自分はずっと力を注ぎ続けて、限界まで使い切ったはずだったのに。

(――みんな、私を見ていない)

そして、自分に向けられる視線が一つもないことに、気づいてしまった。

状況を目の当たりにし、ラビエンヌは絶望した。会場にいる全員が、まるで呆然としたように、エスターの指先からこぼれる光景だけを見つめている。

(私が、引き立て役だなんて……!)

ラビエンヌは指の間から土を掬い上げ、苛立ちをぶつけるように地面へと撒き散らした。握った土をそのまま低く周囲へと投げつけ、抑えきれない怒りを吐き出す。

「どうしてあんなに余裕なの? どうして、あんなにも平然とした顔をしていられるのよ……!」

聖力の差は、すぐ隣に立つラビエンヌにさえ伝わり、肌がひりつくほどだった。羞恥と嫉妬がないまぜになり、ラビエンヌの顔は歪んでいく。

その頃――「そろそろいいかな」と目を開けたエスターは、想像以上に大きく育ってしまった聖花を見て、思わず声を漏らした。

「……ちょっと、やりすぎちゃったかも」

そう言って、照れくさそうに首を傾げた。

ラビエンヌは視線を巡らせ、怒りに燃える赤い瞳でエスターを見た。

「……なんで笑ってるの? 私が、そんなにおかしい!?」

ラビエンヌは小さくうめき声を上げながら、掴んだ土をエスターに投げつけようとした。衝動的な行動だった。

「まさか投げるつもりですか? 今まで必死に積み上げてきたイメージが全部壊れますけど……大丈夫ですか?」

「あなた……!」

結局、振りかぶった腕は振り下ろされることなく宙で止まり、ラビエンヌの腕は小刻みに震え続けた。

「いつも通り、笑っていればいいんです。こんなふうに取り乱していたら、誰が見ても分かりますよ。聖女の器じゃないって」

いつも見下していたエスターから、こんな言葉を向けられる日が来るとは思ってもみなかったラビエンヌは、言葉を失い、愕然としたまま立ち尽くした。

(……しまった)

ラビエンヌはハッと我に返り、必死に虚勢を張る。

「聖力が少し増えたからって、調子に乗ってるみたいだけど……勘違いしないで。今日はたまたま体調が悪いだけなんだから」

「……そう、ですよね」

エスターはラビエンヌを軽くあしらいながら、何でもないことのように手袋を外した。

すると、手の甲にくっきりと浮かび上がった――聖痕が、はっきりと姿を現す。

「私たち、同じですね。本物なら、ですけど」

そう言って、エスターはラビエンヌの手の甲を指さし、にっこりと微笑んだ。

不意を突かれたラビエンヌは、思わず身を縮め、自分の手を背中に隠す。

瞳の色に続き、手の甲の聖痕までも明らかになったことで、長老たちはついに確信した。エスターこそが、真の聖女であると。

ある者は、歴代の聖女の試験記録を思い出すように、慌ただしく目を走らせる。ヒアシンスの件もそうだが、聖花をここまで完璧に育て上げた例など、エスターの記録は歴代の誰と比べても群を抜いていた。

「これほどの速度で聖花を育てた例は、前例がありません」

「あの方であれば、伝染病の治療も時間の問題でしょう」

「治療だけではありません。我ら神殿の失われた威信を取り戻すのも、容易いはずです」

数人の長老は、真の聖女が正しい座に戻ることを喜び、また別の者たちは、その裏で自分たちの利益を計算していた。

「時間です」

シャロンは二人に盆から離れるよう告げ、試験の終了を宣言した。

もはや、いつものように笑顔を保つことすらできず、ラビエンヌの表情は見る影もなく崩れていた。

(これほどまでに聖力の差があるなら、今まで私がしてきたことは何だったの……?)

圧倒的な無力感が、彼女を深く包み込んだ。自分が聖女の座に就く存在ではなかったと理解した瞬間、周囲の視線がいっそう冷たく突き刺さるように感じられた。

(これから、どうなるの……。ここで終わり? ……いいえ。父上が、きっと何とかしてくださる)

ラビエンヌが恐慌に陥っているあいだに、場の空気は一変していた。

前へ進み出たシャロンは、二人を交互に見つめ、落ち着いた口調で告げる。

「これで、残るは最後の確認のみです」

その言葉に、エスターは軽くうなずいた。一方、先の試験でほとんど聖力を使い果たしてしまったラビエンヌは、落ち着きを失い、そわそわと身じろぎする。

「三つ目は……何ですか?」

「これは試験というより――確認の工程です。お二人の刻印を見せていただければ結構です」

予想外の内容に、ラビエンヌは思わず自分でも気づかぬうちに手の甲を覆い、シャロンの反応をうかがった。

(大丈夫、よね……)

ラビエンヌの手の甲にある刻印は、聖女に任命される前、名の知れた彫師に依頼して刻ませた偽物だった。歴代の聖女たちの紋様を忠実に模したため、ぱっと見ではエスターのものと大差はない。見抜かれるのではという不安はあったが、すでに聖力を使い果たした試験よりはましだと自分に言い聞かせ、意を決して手を差し出した。

エスターもほぼ同時に、手の甲が見えるよう手を差し伸べた。

「……ふむ」

それを黙って見ていたシャロンは、どうやら一人でじっくり考えたいようで、後ろへと下がった。

「ひとまず分かりました。長老たち同士で、試験について協議する必要があります。結果は三十分後にお伝えしますので、その間はお休みください」

長老たちの会議が必要だとして、三十分の休憩時間が与えられた。

 



 

エスターとラビエンヌは、廊下に続く小さな応接室へ案内された。

ほんの短い時間、二人きりになるや否や――ラビエンヌは、エスターへの敵意を隠そうともしなかった。扉が閉まると同時に、鋭い視線で睨みつけ、吐き捨てるように言う。

「あなた、何を企んでるの? やっぱり権力? それとも……聖女の座が欲しいの?」

「企んでる、ですって?」

「は?」

「私が聖女になるかもしれない、あなたの居場所を奪うかもしれない。それが怖いんでしょう?」

「私は絶対に奪わせない!! どれだけ苦労してこの座に就いたと思ってるの!」

ラビエンヌは怒鳴り声を上げたあと、周囲に人がいないことを確かめ、スカートのひだに隠していた短剣を抜いた。手のひらほどの大きさしかないが、刃は鋭く、肌を切り裂くには十分な短剣だった。しかも、その刃には毒が塗られていた。エスターに対しては決して使うつもりはなかったが、敵となれば話は別だった。

「それで、どうするつもり?」

エスターは祈る様子も見せず、冷めた表情でラビエンヌを見返した。

「大人しくしていれば、大きな傷にはしないわ」

勢いよく顔を上げ、逆上した目でエスターを睨みつける。すでに追い詰められ、崖っぷちに立たされたラビエンヌには、後退する余地はなかった。

「叫べば終わりよ。外には人が――」

「……いろいろありますよ」

エスターは静かに遮った。

「そう。じゃあ、今すぐ叫べばいいじゃない。私に襲われたって言えば? もう失うものなんて、ないんでしょう」

虚勢を張るラビエンヌの瞳は、必死さのあまり、どこか狂気じみた光を帯びていた。

エスターはラビエンヌと張りつめた距離を保ったまま、誰かを呼ぶこともなく、静かに一歩前へ出る。

「シュル」

その名を呼んだ瞬間、エスターの足首に巻きついていた存在――シュルが、するりととぐろを解いて姿を現した。床に届くほどの長いスカートの陰から、シュルがエスターの前に立ちはだかる。

「へ、蛇……!?」

「ただの蛇じゃありません。毒蛇です。ジャイアント・バイパーとして知られています。致死性ですよ。一度噛まれたら、その人が持つ聖力程度では治療できません」

敵意をむき出しにしているラビエンヌに向け、シュルは舌なめずりしながら、今にも飛びかかりそうな気配を漂わせた。

「どっちが速いか、あなたの刃か、それとも私たちのシュルか。知りたいなら試してみればいい。私は怖くないから」

ほんの少しでも動けば襲いかかるとでも言うような、獰猛な視線を向けられ、ラビエンヌはその場で凍りついた。

「まだ私を昔のダイナだと思っているみたいだけど、大公家を甘く見ないで。私を傷つけたら、あなたの一族が無事でいられるかは分からないわ」

エスターの無関心な態度に、怒りが頂点に達したラビエンヌは、堪えきれず机を激しく叩いた。

「全部あんたのせいよ! あんたさえいなければよかった! 私は聖女になる運命だったのに!!」

「……本気でそう思ってる?」

これ以上、敬語を使う価値もないと判断したエスターは、同じく砕けた口調でラビエンヌに言い返した。

「は? どこでタメ口なのよ?」

「できないことがある? ラビエンヌ。あんた、一度でも“それが自分の席だった”って思ったことある?」

「……みんながそう言ってたわ! ここは私の場所だって! 私だけが聖女になるべきだ。全部、あんたが壊したのよ!」

「そう。じゃあ、反省もしないで、罪悪感も抱かないで。……私が、あんたを少しでも哀れに思わないようにね」

エスターは、いまだに諦めきれず、自分の血を狙うラビエンヌを、心底うんざりした目で見下ろした。

「自分が勝ったと思ってる? だから、聖女になれると思う?」

「興味ないわ。お願いされたって、その席には座らない」

「そんな話、信じろって言うの!?」

どうやって聖女の座を拒めるのかと、ラビエンヌは嘲るように言った。

「信じるか信じないかは好きにすればいい。ただ、あなたがそこまで欲しがっている“聖女”という立場は、私にとっては何の価値もない」

エスターは淡々と、事実を述べるようにそう言った。それは偽りのない本心だった。もし最初から聖女でなかったなら、もっと平凡な人生を送れたのではないか――そんなことを、これまで一体どれほど考えてきたのか、自分でも分からない。

「それにラビエンヌ、あなたがセスピア聖女様を毒殺したこと、私は知っているわ」

「証拠はあるの!? 根拠もなく人を疑わないで! あの方を病から救うために、最後まで看病したのは私よ!」

エスターの冷静な言葉に、ラビエンヌは完全に動揺し、首筋まで真っ赤にしながら必死に弁明し始めた。

「あるわ。証拠が」

だが、その次の言葉を口にする前に、ラビエンヌはまるでエスターを殺さんばかりの目つきで睨みつけた。

「でたらめ言わないで、嘘よ!」

「信じなくていい。どうせ、すぐ全部明るみに出る」

「明るみに出るって、何が!? 私は何もしてない! 今、この状況で不当な目に遭ってるのは――私よ!」

ラビエンヌは、自分は決してそんなことをしていないと訴えるように、激しく首を横に振った。長い髪が大きく揺れ、その様子がエスターの視界をかき乱す。自分こそ被害者だと言わんばかりに取り乱すラビエンヌを見つめるエスターの瞳には、冷え切った軽蔑の色が宿っていた。

「……できることなら、残りの人生を地下牢で朽ちていけばいいと思ってる」

かつて、自分が光の届かない牢獄に長いあいだ閉じ込められていたように――ラビエンヌにもまた、二度と光の差さない、暗く希望のない日々が永遠に続けばいいと願った。

「……何ですって?」

これまでずっと見下してきたエスターから、そんな容赦のない言葉を向けられるとは思ってもみなかったラビエンヌは、呆然と目を見開いたあと、乾いた笑いを漏らした。

「大公家に養子に入ったからって、何にでもなれると思ってるみたいだけど、勘違いよ。人には生まれつき決まった分というものがあるの。その違いが、孤児のあなたと私の差なのよ」

「……そう」

もはや言い返す価値もないと判断したエスターは、それ以上何も言わず、静かに口を閉ざした。

そのとき――コンコン、と扉を叩く音が響いた。

「長老様方がお呼びです」

その瞬間、ラビエンヌははっとして、まだ手に握っていた短剣を慌てて内側に隠した。

(もうこんな時間……!?)

隙を突いて何としてもエスターの血を手に入れなければならなかったのに、彼女に引き留められているうちに、無情にも時間だけが過ぎてしまっていた。

追い詰められたラビエンヌは、血が滲むほど強く自分の唇を噛みしめた。

「……ラビエンヌ」

エスターが静かに名を呼ぶと、ラビエンヌはびくりと肩を揺らし、鋭く睨み返す。

「気にならない? 偽物のあなたが、どんな“報い”を受けることになるのか」

「何度も何度も、私を偽物呼ばわりして……! だからって、私が大人しく引き下がると思ってるの!? 私が目を覚まして、あなたに奪われたこの座を取り返すとでも!?」

ついに表情を消したエスターは、ラビエンヌを冷ややかに見下ろすと、閉ざされていた扉を勢いよく開いた。そして、狂ったように叫ぶ彼女の声など何も聞こえなくなったかのように、前に立つ神官の後を追って歩き出した。

 



 

 

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