こんにちは、ちゃむです。
「大公家に転がり込んできた聖女様」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
146話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 神殿との決別
――約十分前。
エスターとラビエンヌが別室へと案内されている間、長老会は机の上に並んだ試験結果を前にして、深く頭を悩ませていた。
「試験結果はあまりにも明白だ。現聖女には、その座に就く資格が微塵もない」
「では、これからどうすべきでしょうか」
提出されたラビエンヌの聖力は、どう見ても聖女の資格試験を通過できる水準ではなかった。
「一体どういうことなのです。十五代目の聖女は、必ずブラウンス家から出るはずではなかったのか……」
「だからこそ、これまで試験すら受けさせずにいたのですが……はあ、本当に困ったことだ」
一同が混乱に包まれる中、部屋の隅で大神官たちと共に控えていたルーカスが、そっと声を落として助け舟を出した。
「聖女様は、本日お身体の具合が優れないようでございます。きっとそのせいで、本来の実力を十分に発揮できなかったのでは……」
しかし次の瞬間、長老たちが一斉に鋭い視線を向け、ルーカスは慌てて口を閉ざした。もはや、彼女をかばえるような状況でも、雰囲気でもなかった。
「ルーカス大神官。――神託について、はっきり答えなさい。あなた方は皆、神託の内容と現聖女が一致していないことを、本当は最初から分かっていたのではありませんか?」
長老会の代表であるシャロンは、カイルから伝え聞いていた神託の内容を、すでに長老全員に共有していた。試験が行われるまでは半信半疑だった者も多かったが、神託の記述に寸分違わぬ姿のエスターが、常軌を逸した聖力を示すのを目の当たりにした今、もはや疑う余地などなかった。
「…………」
「もう一度、聞きます。あなた方は神託の内容を知っていた。それでも、その事実を隠していた。――違いますか?」
「……は、はい。事実でございます」
大神官たち四人は、まるで罪人のように深く頭を垂れた。
「ならば――現聖女としての資格も、ここまでです。実力もないと分かっていながら、その尊き座に居座っていたということか」
「申し訳ありません……」
「本当に、申し訳ありませんでした」
カイルとジョフリは椅子を蹴るようにして立ち上がり、床にひざまずいた。
「謝って済む話ではない! 今回の件で神殿の威信は地に落ち、帝国には疫病まで広がった。この責任を、いったいどう取るつもりだ!」
激しい叱責を浴びながら、ルーカスは不安に駆られていた。もし自分たちが企てたことを、カイルがすべてこの場で口にしてしまえば、本当に終わりだ。決して許されるはずがない。
カイルとルーカスの視線が交錯し、ルーカスは必死に、強く首を横に振った。すべてを事実のまま語るつもりだったカイルも、さすがに長老全員が揃うこの場で、その全貌を口にすることはできなかった。
真の聖女を見つけ出し、その力だけを奪って幽閉する――そんなおぞましい計画。
それはルーカスとラビエンヌが中心となって立てたものであり、他の大神官たちは黙認していただけだったが、それだけでも責任を免れることなど到底できなかった。
「時間があまりありません。この件については、後ほど改めて協議しましょう」
シャロンはまず大神官たちを退室させると、聖女に関する今後を決めるため、長老たちとの話し合いを進めた。
「まず、現聖女様――いえ、今後はラビエンヌと呼ぶべきですね。あの者が真の聖女ではなかったという事実について、皆さん異論はありませんね」
長老たちの中で、シャロンの言葉に反対する者は一人もいなかった。
「そして、今日試験を受けたエスター。彼女こそが、疑う余地のない真の聖女である――その点についても、同意ということでよろしいですね」
「はい。彼女が示した聖力は、まさに驚嘆すべきものでした。正直に言って、私も最初は信じられませんでした。あのような結果は、過去のどの試験記録にも存在しませんから」
長老たちの議論が進むにつれ、場の流れは完全にエスターへと傾いていった。シャロンはこの機を逃さず、さらに強く彼女を聖女の座に据えるべきだと主張した。
「今すぐにでも、すべてを正さねばなりません。我々の手であの方を追い出した後、ようやく巡ってきた機会なのです。今回だけは、決して逃してはなりません」
「同意します」
「仮に“偽り”に対する処分は後回しにするとしても、まずはあの方を必ず我々の側に引き入れる必要があります」
長老たちは皆、一度は冷遇して神殿から手放し、大公家の養子となったエスターを再び連れ戻すのは容易ではないだろうと考えていた。だからこそ、何としてでも彼女の心を掴まねばならなかった。
「まずは本日中に、ラビエンヌを聖女の座から引き離してあの子を救い出し、本来あるべき場所へ戻す――というのは、いかがでしょうか」
「今すぐ、ですか? 少々拙速な気もしますが……」
「私は賛成です。もしここで躊躇してあの方を取り逃がすようなことになれば、それこそ取り返しのつかない事態になります。誰が真の聖女であるかは、すでに明白です。これ以上、時間を無駄にすべきではありません」
「しかし、ブラウンス公爵家がどれほど騒ぎ立てるか……。このまま事を進めて、本当に収まるでしょうか?」
「聖女を偽った罪は重い。公爵家としても、門前払い同然に反発し続けることはできまい」
シャロンは、話し合いの間じゅう丹念に書き留めていた書類を手に取り、もはや懸念はないと言わんばかりに、きっぱりと言い切った。
「では、方針は決まりました。二人を、こちらへ呼び戻しなさい」
シャロンの命を受けた神官が、エスターとラビエンヌを迎えに向かった。
そして、同じ時刻。
騎士団の訓練を見回って戻る途中だったドゥヒンは、ふと足を止め、空を見上げた。
「はあ……」
深く、長い溜め息が漏れる。何度も立ち止まり、また歩き、そしてまた立ち止まる。その繰り返しだった。
ここまで深刻そうに苦悩するドゥヒンの姿を見るのは初めてで、ベンは慎重に近づいた。
「大丈夫ですか?」
「そう見えるか?」
空から視線を戻してベンを見たドゥヒンの顔は、暗いというより、ただ無表情で疲れ切っているように見えた。ベンはその様子に息を呑み、思わず頷く。
「……お嬢様のことが心配だから、でしょうか」
「そうだな。心配なのは確かだが……」
言葉をいったん飲み込んだドゥヒンは、再び深い溜め息をついた。そして、その後に続いた言葉は、ひどく弱々しく響いた。
「……会いたいな。まだ一週間も経っていないか」
まるで人を呪い殺しかねないほど無表情な顔で、そんな取り留めのないことを口にする。かつての冷徹なドゥヒンであれば、到底想像もできない姿と言葉だった。だが、今のベンはそれにも少し慣れてきており、気を取り上げて、苦悩する主君の心をなだめた。
「ですが閣下。本日はお嬢様が試験を受けられる日ではありませんか。試験が終わり次第、きっとすぐお戻りになりますよ」
「……試験、か。試験の最中に何か起きるんじゃないか……あのラビエンヌとかいう娘が、また嫌がらせをしないか心配でな。やはり――行くべきだった」
ドゥヒンの声には、抑えきれない不安が滲んでいた。ベンは、今にも爆発しそうな主君の様子にどう声をかければいいかわからずにいたが、ふと似た気配を感じて振り返った。
「ジュ、ジュディ導師?」
力が抜けきった様子で肩を落とし、ふらふらと歩いてくるジュディの姿があった。
「父上……」
「……ああ」
向かい合って立っているのに、二人の視線はどこか虚ろだった。エスターが屋敷を出てから、まだ一週間しか経っていない。それだけのことなのに、大公邸の中は、主を失ったかのように重く沈んだ空気に包まれていた。
「エスターは……うまくやっているでしょうか」
それだけの問いだったのに、ドゥヒンの目がふっと鋭く光った。
「気になるか?」
「はい。皇太子殿下ではなく、私がついて行くべきだったのに……」
「……それなら、今からでも行こうか?」
ドゥヒンは、ためらうジュディに向かって、軽く餌を投げるようにそう言った。すると、ジュディの瞳にも一瞬で期待の光が宿る。
「エスター様のところへ、ですか? 本当に行ってもいいんですか!?」
その目に浮かんだ輝きは、しかし、すぐさま現実の重みで翳った。
「えっ、閣下。どちらへ行かれるおつもりです? 未処理の公務が山積みですが……」
慌てて止めに入ったベンだったが、すでに決断を下したドゥヒンを止めることなどできなかった。
「試験が終わればすぐ戻る約束だったな。だが、どうせ今日のうちだろう? なら、少し早めに迎えに行くだけの話だ。ジュディ、屋敷へ戻ってデニスを連れてきなさい」
「はい! すぐに参ります!」
そう答えるや否や、ジュディは屋敷へ向かって駆け出した。弾む足取りからは、喜びを抑えきれない様子がはっきりと伝わってくる。
「閣下、ですが……お嬢様の試験が終わってから、もうしばらく滞在されるかもしれませんし、個人的な事情がある可能性もあります。そうなれば、あまり良い気分ではないでしょうし……」
「もしそうなったら、我々は神殿見物に行くとしよう。デニスもジュディも、幼い頃を除けば神殿をきちんと見たことがないだろう。それなら、ちょうどいい」
言い訳まであらかじめ用意していたドゥヒンは、どこか満足そうに微笑んだ。
「……わかりました。では、私も準備してきます」
ドゥヒンといえば“神殿嫌い”として帝国中に知られているというのに、神殿見物とは。ベンは、それ以上に似合わない口実はないだろうと思い、思わず額を押さえた。
出発前に、急いで予定を組み直さなければならないことが山ほどある。だが、エスターが去ってからのドゥヒンは、普段の十分の一も仕事が手につかない状態だ。そう考えると、いっそ神殿へ向かった方が、まだマシだと思えてきた。
(――早くお戻りください、お嬢様)
ベンは心の中で願った。もはやエスターは、大公家にとって決して欠けてはならない、温かな中心となっていた。
試験を終え、再び会場へ戻ってきたエスターは、中央に置かれた二脚の椅子のうち、一つに腰を下ろした。
周囲を見渡すと、試験の最中には開いていた出入口は固く閉ざされ、場内には張り詰めた空気が漂っている。少し遅れて入ってきたラビエンヌもまた椅子に座ると、長老会を代表してシャロンが試験結果の発表を始めた。
「先ほどの資格試験において、我々は明確な聖力の差を確認しました。とりわけ、エスター・デ・テレシアの聖力は、歴代の聖女方と比しても際立っており、実に驚嘆すべきものでした」
その言葉を聞いた瞬間、ラビエンヌは皮膚が裂けそうなほど、強く拳を握り締めた。
「しかし、現・十五代聖女であるラビエンヌ・デ・ブラウンスについては、聖女としての資質に疑義があると判断いたしました」
ラビエンヌは屈辱と怒りを抑えきれず、その顔はみるみる赤く染まっていった。
「ゆえに、ラビエンヌ・デ・ブラウンスは聖女としての資質を明確に欠いているため、現在与えられている聖女の座を剥奪いたします」
シャロンの言葉が終わると同時に、会場は大きなどよめきに包まれた。
そして、その場にいる誰一人として例外なく動揺する中、ただエスターの唇にだけ、かすかな笑みが浮かんでいた。エスターは、ラビエンヌがどんな表情をしているのかをはっきりと確かめるため、背筋を伸ばし、ゆっくりと首を巡らせた。
口を半ば開いたまま呆然と立ち尽くすラビエンヌは、自分の耳に入った言葉を到底信じられないという目をしていた。あまりの衝撃に血の気が引き、まともに瞬きすることすらできない。
「そ、そんな……いくら私の試験結果が劣っていたからって、こんなふうに聖女の座から降ろされるなんて! そんなの、あんまりです!」
興奮したラビエンヌは、勢いよく椅子から立ち上がり、感情をむき出しにして声を荒らげた。その態度がかえって不利になると分かってはいても、昂った感情は思うように抑えられないようだった。
「異議があるのなら、どうぞ述べなさい」
シャロンは制止することなく、ラビエンヌに発言の機会を与えた。
「大長老様。エスター令嬢の聖力が、私よりも優れているという事実は認めます。ですが……それでも、私も聖女です。資格だって、確かに示されたではありませんか!」
言葉を重ねるうちに、理性をわずかに取り戻したラビエンヌは、必死に笑顔を作り、少しでも良い印象を残そうとしながら、なおも訴え続けた。
だが、シャロンは静かにひとつ息をついた。
「その発言に、責任を持てますか?」
「……え?」
“責任”という言葉に内心ざわついたラビエンヌは、視線を泳がせ、無意識のうちに自分の手のひらをもてあそんだ。
(――何か、露見したの?)
自分の刻印が偽物だと見抜かれたのではないかと、胸がひりつく。だが、ラビエンヌがここまで強気でいられた理由は単純だった。先ほど隣で見たエスターの刻印と、自分の刻印の間に、目立った違いはなかったからだ。
ラビエンヌが思案する間に、シャロンはエスターの前へと歩み出た。
「失礼ですが、もう一度刻印を見せていただけますか?」
「構いません」
難しいことではない。エスターは手袋を外し、手のひらを差し出した。
「……ご覧ください。刻印が、消えています」
シャロンが厳かに告げた。
「……嘘をついた……まさか……?」
エスターの手に刻印がないのを見て、内心ほくそ笑んでいたラビエンヌは、そこでようやく重大な事実に気づき、言葉を失った。そして、その刻印について――自分が知らなかった秘密があったのだと悟る。
「刻印は、普段は表に現れず、聖力に反応したときにだけ姿を現すの。こうしてね」
そう言ってエスターは、何でもないかのように手のひらを掲げ、そこへ聖力を流し込んだ。すると、先ほどまで何もなかった手の甲に、淡い光を帯びた刻印が一瞬で浮かび上がり、はっきりと刻まれる。
「……あり得ない……」
ラビエンヌは、愕然と呟いた。
(セスピアが生きていた頃でさえ、刻印は現れなかった。そんな仕組みがあるなんて、知らなかった……知っていれば……!)
かつてセスピアのそばで、ずっと監視する立場にありながら、彼女はその事実を見抜けなかったのだ。セスピアは毒を盛られる以前から病を患っていたため、聖力が弱まって刻印も一緒に消えたのだと思い込んでいた。だが考えてみれば、セスピアが死ぬ少し前に大司祭の刻印を現した時も、それは死に際に突然起きた現象として片づけられていたに過ぎなかった。
「聖力を使っていない時でも、刻印は本来そのまま残るものです」
シャロンはそう言いながら、位置を変えてラビエンヌの正面に歩み出た。試験が終わってからも手袋を外したままだったラビエンヌは、はっとして慌てて自分の手の甲を覆った。
「そこまで理解している者は稀でしょう。普通は気づきません」
ラビエンヌが聖女ではないと確信していたシャロンは、刻印があると分かった瞬間から違和感を覚えていた。そして、目にした途端にそれが偽物だと見抜いた。それでもその場で指摘しなかったのは――いずれにせよ、切り捨てる以上は、どちらか一方に罪を被せねばならなかったからだ。
すでに聖女の座にあるブラウンス家の令嬢の罪が重くなるのは、神殿側としても望ましい展開ではない。だが――それでも、ここまで醜い執着を見せられては、シャロンとしても、もはや引くに引けなかった。
「加えて、あなたの刻印からは、傷のような歪んだ熱が感じられました。エスター様の手を取ったときに感じた清澄な気配とは、明らかに異なっています」
その言葉に、ラビエンヌの唇が小刻みに震え始めた。
「つまり――あなたは、第三の試験にも合格できなかった、ということです」
完全に血の気を失ったラビエンヌの顔には、もはや絶望しか浮かんでいなかった。
「これは……私一人の罪なのですか? それとも……父であるブラウンス公爵も、関わっているのですか?」
震える声で問いかけた直後、彼女は力を失ったように肩を落とし、かすれた声で続けた。
「……父を、お呼びください」
ラビエンヌは答えることを拒み、これ以上事を荒立てないためにもブラウンス公爵を呼ぶよう訴えた。だが、シャロンの眼差しは冷酷だった。
「ブラウンス公爵が来たところで、状況は変わりません。あなたの罪はあまりにも重い」
名分をはっきりさせるため、シャロンはラビエンヌの罪状を一つひとつ挙げていった。
「啓示を知りながら隠したこと、大神官たちを扇動したこと、聖女を偽って帝国を危険にさらしたこと、そして刻印の改ざん。いずれも到底許されるものではありません」
そのとき、そばで黙って聞いていたエスターが手を挙げ、静かに会話へ割り込んだ。
「もう一つあります。先代聖女様を毒殺した罪です」
その瞬間、会場の空気が凍りつき、次の瞬間には長老たちが大きな声でどよめき始めた。
前代未聞の聖女殺し。それは、たとえラビエンヌが四大貴族の令嬢であったとしても、処刑に処されかねないほどの重罪だった。
「ふざけたことを言わないでください、大母様! そんな話、信じろって言うんですか!? 私が失敗した? 聖女の座を奪うために、でっち上げた嘘よ!」
ラビエンヌはすべてが嘘だと叫び、エスターに食ってかかった。
「どうして、そんなことを言うのですか?」
しかしシャロンは、エスターが虚偽を語っているとは微塵も思わなかった。
「……お見せしましょう」
あらかじめ頭の奥に封じていた、重要な記憶を呼び起こしたエスターは、シャロンの額にそっと手を当てた。そして――かつて家族に見せたのと同じように、すでに「証」を通じてセスピアと交わした会話、その一場面を映し出した。
「関連する証拠は、前神官長であったパラス様が所持されています」
これは、パラスが神官長の職を辞した後、保護所で再会した際に聞いた話だった。セスピアの容体が著しく悪化したあと、パラスはもう一度病室を訪ねたという。そのとき、ラビエンヌが持ってきた薬を少量抜き取り、保管していた瓶を証拠として残していたのだ。
「なんてことだ……」
シャロンは、頭の中に浮かんだ光景とその内容に大きな衝撃を受け、思わず額を押さえた。エスターが行った“イメージング”は、シャロンも書物で知っていた聖女の能力の一つだった。実際に目にしたのは初めてだったが、エスターの聖力であれば十分に可能なことであり、細工や捏造と疑う余地はなかった。
「証拠を確認する必要があります。そして、これが事実であるなら、決して見過ごしてはなりません。関与した者はすべて厳しく処罰すべきです」
先代聖女セスピアを大切に思っていたシャロンの瞳に、激しい怒りの色が宿った。
「すべての事実が明らかになり、処罰が正式に決まるまで――ラビエンヌ・デ・ブラウンスは、地下監獄に収監します」
本来であれば、部屋に謹慎させ、相応の罰を与えたうえで神殿から追放するか、降格処分にする程度で穏便に済ませるつもりだった。しかし、“前代聖女の毒殺”という大罪が浮上した以上、もはや見過ごすことはできなかった。
「い、今……監獄って言いました? そんな……何を見たのか分かりませんけど、全部でっちあげです! どうか、捏造された話を信じないでください……!」
ラビエンヌは自分は無実だと訴え、涙を滲ませた瞳で、これ以上ないほど哀れを誘う表情を作った。
「私、ちゃんとやってきたじゃありませんか……。これからは、もっと頑張れます。お願いです、もう一度だけ機会をください……ね? 前代聖女様の件だって、私がどうにか処理しますから……」
シャロンや長老たちが沈黙を保ったままでいると、ラビエンヌはついに堪えきれず、シャロンの衣の裾と手を掴んで縋りついた。
「……あ、ああいっそ、“聖女”の座は空席にしておいて、エスター嬢の力だけを使うという手もあるじゃないですか! 所詮は孤児だった子でしょう。あの子を、本当に聖女の座に据えるおつもりですか? この、あまりにも尊い席に!?」
ねっとりとした憐れみを帯びたラビエンヌの声が、長く尾を引いた。しかし、ラビエンヌがそう言えば言うほど、シャロンの表情は硬くなり、眼差しは冷え切っていった。
「……そんな浅ましい考えを抱いているとは思いませんでした。これまで私たちが知っていたあなたではないようですね」
シャロンは、かつてラビエンヌこそが聖女の座に最もふさわしいと信じて疑わなかった自分自身を、心底悔いた。
「ええ。聖女の座は尊いものです。だからこそ、これ以上あなたを座らせておくことはできません」
堪えきれずにそう言い切ったシャロンは、縋りつくラビエンヌの手を激しくはねのけた。老齢とはいえ力は残っていた。すでに足に力が入らなくなっていたラビエンヌは、その反動を受け、そのまま床に崩れ落ちた。
「……そんな、あり得ない……」
すべてを失ったという思いに、自分の腕を抱きしめ、ぶるぶると震える。だが、それも束の間。彼女はすぐに立ち上がり、まるで溺れる者が藁を掴むように、助けてくれそうな人物を探してよろめいた。
「ル、ルーカス大神官様! ジョフリ大神官様! 私たち、うまくやってきたじゃありませんか……! お願いです、どうか助けてください……お願いします……!」
いつもラビエンヌの傍らで太鼓持ちをしていた大神官たち、そして数名の長老たちを、必死に見上げて懇願する。
しかし、誰一人として動こうとしない。思い通りに事が運ばないと悟った瞬間――ラビエンヌは顎が鳴るほど震えながら、ついに金切り声を上げた。
「ほ、本当に私を地下牢に送るつもりですって!? 私はブラウンス家の外孫で、聖女なのよ! みんな忘れたの!? ああっ!!」
長い髪が乱れ切るほど取り乱し、醜くわめき散らすラビエンヌを、人々は哀れむような、あるいは冷ややかな視線で見つめていた。手を差し伸べようとする者は、誰ひとりいない。
「こんなの……夢よ……悪い夢なのよ……」
「いいえ、現実です」
エスターは、ラビエンヌの逃避を容赦なく打ち砕き、はっきりと言い切った。
ラビエンヌは歯ぎしりが聞こえるほど強く歯を食いしばり、顔を上げてエスターを睨みつけた。毒を宿したかのような真っ赤な瞳とエスターの視線が交わった瞬間、ラビエンヌは狂乱のまま彼女に飛びかかろうとした。
「あなたさえいなければ……! 全部、全部あなたのせいよ!!」
しかし、聖騎士たちが即座に駆け寄り、ラビエンヌを無慈悲に取り押さえた。ラビエンヌの暴走は、もはやエスターに指一本触れることすら叶わなかった。
「私がどれだけ努力してきたか……この座を手に入れるために、どれほど多くのものを犠牲にしてきたか……」
――もう、本当に終わりだった。
あと一歩。エスターを自分の手中に収めさえすれば、すべてが完成するはずだった。その直前で、すべてが崩れ落ちたことが、あまりにも悔しくてたまらない。
「……こんな形で終われるわけがない。お父様が来てくだされば、どうにか――っ」
ラビエンヌは怒りと焦燥を抑えきれず、ついにはブラウンス公爵の名まで口にしかけ、そして――とうとう嗚惑を漏らし、床に泣き崩れた。
エスターは、そんなラビエンヌを静かに見つめながら、胸の奥に込み上げるものを噛みしめていた。さまざまな感情が、複雑に交錯している。
――こんな瞬間が、本当に訪れるのだ。
ラビエンヌと自分の立場が入れ替わり、どちらが“本物”で、どちらが“偽物”なのかが、誰の目にも明らかになる瞬間。決して起こらないと思っていた出来事が、現実となった。
だが――想像していたほど、胸がすくような喜びは、エスターの中には湧いてこなかった。
終わりは、あっけないほどあっさりとしていた。
「結局、この程度の人間だったのね……」
むしろ、ラビエンヌがもう少し周到で、もう少し賢く立ち回っていたなら、気分は多少マシだったのだろうか。エスターにとって彼女は、強烈な恐怖の象徴であり、拭い去ることのできない傷を残した存在だった。それなのに、思っていた以上に簡単に崩れ落ち、見るに堪えない有様を晒している。
(私のこれまでの人生は、いったい何だったのだろう)
胸のつかえが下りた感覚は確かにあった。だが同時に、こんな人間に支配され、振り回され続けてきた事実が、ひどく虚しく感じられた。ラビエンヌは、エスターが思っていた以上に、浅ましく、そして哀れな存在だった。他人に期待することしか知らず、自分自身の力では何一つ成し得ない、取るに足らない人間。
かつてはあれほど巨大に見え、到底手の届かない存在だと思っていたラビエンヌが、今や――石ころよりも、ずっと小さく見えた。
――もう、終わった。
虚しさに包まれたエスターは、溢れそうになる感情を必死に押し殺し、深く息を吐いた。そして最後に、完全に崩れ落ちたラビエンヌの姿を、忘れまいとするかのように、しっかりと目に焼き付ける。
「神殿に長く居すぎたせいか、少し頭が痛いですね。私はこれで失礼します」
エスターが椅子から立ち上がると、長老たちや神殿側の人間は皆、戸惑ったようにざわめき始めた。
「ま、待ちなさい。聖女様がいらっしゃる場所は、これからはこの神殿ですぞ? どこへ行かれるおつもりですか?」
「どこって? 家ですけど」
エスターはあまりにも当然といった表情で、あっさりと言い切った。会場のざわめきは、さらに大きくなった。ラビエンヌの聖女職を即座に剥奪した理由は、エスターを引き留めるためだったはずなのに――当の本人が、まるで未練もないかのように去ろうとしているのだから。
長老たちは明らかに動揺した。だがエスターは、そんな反応など意に意に介さず、ゆっくりと出口へ向かって歩き出した。その背を引き止めようと、シャロンが慌てて後を追う。
「どうか、少しだけお待ちください、エスター様」
扉の目前まで来ていたエスターは、足を止めて振り返った。それは、真実を明らかにする助けを得たシャロンの声が、あまりにも切実だったからだ。
「これからは、私たちと同じ志で歩んでくださるのではなかったのですか?」
皺の刻まれたシャロンの瞳が、かすかに震えている。エスターが去ってしまうのではないかという、不安を隠せない眼差しだった。
「最初から、あなたたちと志を共にするつもりはありませんでした」
「ですが、試験をお受けになったではありませんか? エスター様の――」
言葉は、そこで途切れた。
「力をすべて見せておいて、こうして何事もなかったかのように帰られるおつもりですか……」
エスターのあまりに淡白な態度に、シャロンは明らかに動揺し、どうにか引き留めようと必死になった。
「私たちは、あなた――エスター様だけを頼りにしているのです。そのために、現聖女を即座に引きずり下ろしたのですよ」
だからこそ、その期待を一身に背負えと言われているのだと理解した瞬間、エスターは心底うんざりしたように小さく首を振った。
「つまり、その“重荷”を背負えって言いたいんですよね。……嫌です」
「エスター様がこのままお帰りになれば、帝国中に蔓延する疫病は、決して解決しません。さらに多くの命が失われるでしょう」
「それを、どうして私に解決しろって言うんですか?」
「そ、それは……エスター様が……」
「あなたたちの誤った選択が原因で起きたことですよね。なら、責任を取るのはあなたたちです。自分たちで収拾してください。どうして、その責任を私に押し付けようとするのか、まったく理解できません」
エスターは淡々と、しかし一切の情を挟ずに言い切った。立場をころころと変え、都合のいいように人を利用する神殿の姿は、かつてラビエンヌが見せていた振る舞いと、驚くほどよく似ていた。それが、心底嫌だった。
「私たちが対処できるのであれば、すでにそうしていました。ここでは詳しく話せませんが……感染症を完全に消し去れるのは、聖女様だけなのです」
歴代の聖女が結んできた契約。帝国を守る結界と、それを維持するための修正具が存在することは、古い書物で知っていた。だからここへ来るとき、たとえ聖女の座を退くことになっても、修正具だけは直すべきかと悩んだこともある。
だがエスターは、自分一人ですべてを背負うつもりはなかった。神殿のための犠牲など、これ以上払いたくはなかったのだ。
「全員が長老の座を退いたとしても、聖力は残るはずでしょう。一人でも多くの人を救うために、その力を神殿の外で使おうとは思わなかったのですか?」
「それは……」
言葉は、そこで詰まった。シャロンは何も言えないまま、唇をぎゅっと噛みしめた。
「来る途中で見ました。路地ごとに倒れている人が放置されていましたよ。長老会は、いったい何をしていたんですか? それとも、誰かが現れて勝手に解決してくれるのを、ただ待っていただけですか?」
エスターの冷え切った声は、刃のようにシャロンの胸を貫いた。背後で聞いていた長老たちも、同じように息を詰まらせる。
「最初から資格のない人間をその座に据えて、事態をここまで悪化させたのは――あなたたちです」
言うべきことをすべて言い切ったエスターは、黙り込んだままの長老たちを一人ずつ、冷静に見渡した。
「すべて神殿が自分たちで背負うべき問題です。それに対する批判も、非難も、解体も、そして責任も。私に期待しないでください。私は――この場所とは、何の関係もありませんから」
胸が痛む言葉ではあったが、一つとして間違ってはいなかったため、シャロンはただ悲しげな目でエスターを見つめるしかなかった。
「……申し訳ありません。どうしても引き留めたい一心で、私たちは欲を出してしまったようです」
より強く引き止めたからといって、エスターが思いとどまるわけではないことも、無理やり連れ戻してはならないことも、シャロンには分かっていた。だが、このまま見送ろうとするシャロンとは違い、数人の長老たちは強引に聖騎士団を前に出した。
「まずは拘束すべきではありませんか。このまま帰すわけにはいきません」
「少なくとも神殿の外に出られないようにするだけでも。こんな事態になっているのに、黙って行かせることなどできません」
彼らの命令を受けた聖騎士たちが、エスターの前に立ちはだかった。
「これが、あなたたちの選択なのですか?」
エスターは痛ましげな眼差しで、聖騎士たちを見つめた。だが、彼女が自ら身を翻すよりも早く、シャロンが前に出た。
「何をしている! 全員下がれ。……彼女を、お見送りしろ」
「大長老!」
「同じ過ちを、また繰り返すつもりか? 今の話を聞いて、まだそんな愚かな行動を取ろうというのか。我々にできるのは、謝罪だけだ。力でどうにかしようなど、決して許されん」
エスターを止めようとしていた聖騎士たちを鋭く制しながら、シャロンは苦々しく言い切った。
「……テレシアへ向かわれるのですか?」
「ええ。家がありますから」
“家”という言葉を口にした瞬間だけ、エスターの表情はわずかに和らいだ。それは、シャロンに向けられたことのない、ひどく柔らかな笑みだった。
その変化を見て、シャロンは悟る。たとえ自分が直接何かをしたわけではなくとも――神殿そのものが、エスターをこの場所から永遠に追い出してしまったのだ、と。事態を食い止められなかったことを、シャロンは心から悔やんでいた。
「そこは、あなたの居場所ではありません。本来あなたは神殿で育った方です。私たちが、あなたからそれを奪ってしまったのです」
本気で悔恨を滲ませるシャロンに、エスターは静かに首を振った。
「いいえ。最初から、私がいるべき場所は神殿ではありませんでした」
皆が背を向けた神殿の中で、ただ一人、エスターの手を力強く取ってくれたのはドゥヒンだった。神殿は、常に傍観者であり、同時に加害者でもあった。荒れ果てていたエスターの世界が鮮やかに変わり始めたのは、ドゥヒンと出会ってからだ。
「そして、もう腐りきった神殿に、未来はありません」
「これからは変わります! 未来のある神殿を、私たちが必ず作ります。どんな形であれ……!」
必死に縋るように続けられたシャロンの言葉を遮るようにして、エスターが言った。
「では今回、ラビエンヌに対して――あなた方がどれほど公正な処罰を下すのか。見届けさせてもらいます」
そう言い残し、彼女はそのまま歩みを進め、会場の出入口の前に立った。扉を守っていた聖騎士たちは戸惑い、シャロンやエスター、そして長老たちの顔色をうかがう。
「通るので、どいてもらえますか?」
「え……ええ」
今のエスターに、強く逆らえる者などいなかった。場の空気そのものが、彼女の圧倒的な正しさを告げていた。聖騎士は身をすくめるようにして、無意識のうちに横へ退いた。
エスターは両手で巨大な扉を押し開く。重々しい感触が腕に伝わり、次の瞬間、外からまばゆい光が流れ込んできた。扉が完全に開いた、その正面に――見慣れた街並みが、はっきりと広がっていた。
試験が行われている会場の中へは立ち入れなかったため、ノアとビクターは外で待っていた。
エスターが彼らの方へ歩み寄ると、雲のように会場の外に集まっていた人々がざわめきながら道を開いた。好奇心と敬意が入り混じった視線、あるいは恐れや疑念を帯びた視線――さまざまな感情を宿した目が、彼女へと向けられていた。瞬く間に、人々の間に一本の美しい道ができた。
エスターはためらうことなくその道を進み、ノアとビクターのもとへ向かった。
「お疲れさま、エスター」
「ご苦労さまでした、お嬢さん」
二人の温かな言葉を受け取った瞬間、これまで一日中張り詰めていた体の力が、ゆっくりとほどけていくのを感じた。ノアはいつも通り、穏やかな笑みを浮かべて、エスターを明るく迎えた。
「……全部、終わったの?」
「うん」
過去の呪縛からすっかり解き放たれたエスターは、向かい合う相手を見て、やわらかく――それでいてひどく美しい笑みを浮かべた。これまで一度として見せたことのない、まるで本物の天使のような微笑みだった。
「じゃあ、急いで帰ろう。もうとっくに、君を迎えに行かなかったって大公の館が大騒ぎになってるはずだよ」
「くす、そうだね。お父様、すごく待ってるだろうな」
エスターの脳裏には、正門の前で彼女を待ち続けていた、あの日の父の姿が自然と浮かんだ。けれど今回は待ちきれず、ドゥヒンと双子が自らエスターを迎えにこちらへ向かっているという事実。その知らせが驚くほど早く届き、すでに神殿のすぐ近くまで来ていることなど、エスターはまだ、想像すらしていなかった。