こんにちは、ちゃむです。
「私が主人公(ヒロイン)だと思ってたのに」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
46話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 揺るがぬ地位
「お嬢様、どちらへ向かわれますか?」
ダッシュボードに埋め込まれた魔法石の通信窓から、御者台にいるビリーの気の抜けた声が響いてきた。
「メイベルへ行ってちょうだい」
「メイベル様の本店ですか?」
「ううん、あっちの――『メイベル・プレミアム』の方よ」
「かしこまりました」
行き先が告げられると、馬車は滑らかに速度を上げた。
私たちが仕掛けた一大デザートブームの中心、メイベルのブランドはこの数年で恐ろしいほどの急成長を遂げていた。私は早い段階で表の経営からは手を引いていたけれど、店長であるメイの卓越した手腕のおかげで、店はとどまることを知らずに繁栄し続けている。
そして、あまりに客が増えすぎて本店だけでは捌ききれなくなった結果、新たにオープンしたのがこの「メイベル・プレミアム」だった。
正確にいえば、ここは選ばれた『貴族専用』のハイエンドな支店。
本店が人気になりすぎたせいで、権力を振りかざす傲慢な貴族たちが平民の一般客に迷惑をかけるケースが後を絶たず、その棲み分けとして急遽作られた防波堤のような店だ。
ところが、「貴族専用」という最高級の箔がついたことで、虚栄心の塊である貴族たちの見栄をこれでもかと刺激してしまい、プレミアム店は本店を凌ぐほどの爆発的な大繁栄を始めてしまったのだ。
まったく、貴族の見栄というものは、本当に恐ろしい。
(まあ、そのおかげで私の隠し口座の残高が国家予算並みに潤い続けているのだから、どんどん見栄を張って財布を軽くしてちょうだい!)
初期投資にかかった費用を回収してから、もうずいぶんになる。
頭の中で恐ろしい数字の預金残高を思い浮かべてほくほくしつつ、私は意識を別のところへ飛ばした。
私の怒涛の誕生日パーティーから、すでに一週間が経過していた。
その間、特に変わったことは何も起きていない。強いて言えば、あの日からデミアンとはまだ一度も会えていなかった。
正確には、デミアンが急に忙しくなったらしく、予定がどうしても合わなかったのだ。
あの日、私をあれほど露骨に口説いてきたくせに、もしかしてルチのように私を避けているのかとも疑ったが、デミアンはあの無愛想な幼馴染とは違っていた。会えないことへの丁寧な謝罪と、美しい季節の花束、そして甘い手紙が定期的に我が家へ届けられている。
(だからこそ、ますます怪しいのよね……)
あの完璧な美貌の黒幕が、一体裏で何を企んでいるのか皆目見当がつかない。
そんな思考の海に沈んでいると、すぐ近くにあるはずのメイベル・プレミアムの店舗を目前にして、馬車がぴたりと停止した。
「お嬢様、申し訳ありません。少し時間がかかりそうです」
魔法石を通じて、ビリーの困り果てた声が聞こえてきた。
「どうしたの?」
「メイベル・プレミアムへ向かう馬車の列が、通りを埋め尽くすほどずらりと並んでしまっているのです」
ビリーの言葉を促されて窓の外を覗くと、思わず息を呑んだ。店の入口へ向かって、きらびやかな高級馬車が長蛇の列をなしている。
今や王都でその名を知らない者はいない超名店。メイベルは、新メニューが発表されるたびに数ヶ月先まで予約が埋まるほどの狂乱的人気を誇っている。
そして最悪なことに、今日がまさにその「待望の新メニュー発売日」だったのだ。
何も考えずにふらりと予定を入れてしまったせいで、一番混雑する特異日に自ら飛び込んでしまったらしい。
(混むだろうとは予想していたけれど、まさかここまで大渋滞しているなんてね……)
ちなみに私が、このメイベル・プレミアムを直接訪れるのは本当に久しぶりのことだった。
3年前、オフィリア様の体調が悪化してベネット領へ静養に移られてからは、一度も足を運んでいない。行こうと思えばいつでも行けたけれど、私がこの店の『真のオーナー(黒幕)』であることを周囲に隠すため、あえて店舗への臨店は避けていたのだ。必要な経営戦略の打ち合わせは、すべてメイの自宅で隠密に済ませていた。
「ビリー、私ここで降りて歩いて行くわ」
このまま馬車の中で退屈な時間を浪費したくなくて、私はそう決断した。
「えっ、それでもよろしいのですか?」
「すぐそこだし、目と鼻の先だから大丈夫よ」
「分かりました。では、私はあちらの馬車待機所で待っております。どうかお気をつけて行ってらっしゃいませ、お嬢様」
相変わらず、うちの屋敷の人間は私をガラス細工の子供のように過保護に扱う。
(まあ、数年前みたいに『ビリー、おてて繋いで歩きましょ!』って言われなくなっただけ、少しは大人として認められたってことかしらね)
私は御者台のビリーに「心配しないで」と軽く手を振り、軽快に馬車を降りた。
改めてずらりと並ぶ豪華な馬車の列を見渡し、私は呆れて頭を振った。
渋滞の原因は、あの馬車に乗っているのが全員、プライドだけは一丁前の「貴族」だからだ。
普通なら、馬車をここで降りて、店の入口のウェイティングスペースで優雅に待てば済むだけの話。しかし、彼らにとって『道端で立って順番を待つ』などという行為は、自らの品位と家名を著しく汚す屈辱的なものらしい。そのため、冷房の効いた馬車の中に閉じこもり、己の順番が来るのをじっと待っているのだ。
(自分たちの馬車が通りを完全に塞いで、一般の交通の猛烈な迷惑になっていることには、これっぽっちも自覚がないのね。本当にこれだから貴族は……)
心の中でたっぷりと毒づきながら、私はガウンを翻してメイベル・プレミアムのきらびやかなエントランスへと向かった。
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「ようこそメイベル・プレミアムへお越しくださいました。本日はご予約のお客様でしょうか?」
エントランスの重厚な扉の前で、完璧な笑みを浮かべた店員がにこやかに私の前に立ち塞がった。
ここメイベル・プレミアムは、混雑緩和のために完全予約制という厳格なシステムをとっている。一応は、予約がなければ絶対に中へは入れない鉄の掟。
けれど、もちろんこの店のグランドデザイナーである私に関しては「完全なる例外」だ。
私は何食わぬ顔で、その店員の脇をすり抜けて中へ入ろうとした。店員が一瞬だけ動きを止めたので、周囲で順番を待っていた他の貴族たちも、私が「ちょっと馬車から外に出て戻ってきただけの客」だと勘違いしたようだった。
「……あの、お客様?」
ところが、不運なことにその店員は、私の顔を知らない新しく雇われたばかりのスタッフだった。
店員として不審な客を止めるのは当然の職務だけれど、今の私にとっては少々面倒な事態だった。
(新しく入った子かしらね? でも、どうして一番デリケートなエントランスの予約確認を、こんな経験の浅い新人に任せちゃったのよ、メイ……)
サービス業において、ファーストコンタクトを担うフロントの対応は何よりも重要だ。特に、少しでも気に入らないことがあればすぐに平民を処罰しようとする、気難しい貴族たちの機嫌を損ねないためには、酸いも甘いも噛み分けた熟練のスタッフを配置しなければならない。
「はい、かしこまりました。お客様、今一度お尋ねいたしますが、本日のご予約はお済みでしょうか?」
新人のスタッフは、なおも営業スマイルを崩さずに私の前に回り込んできた。物腰は柔らかく、声のトーンも非常に穏やかだったが、その瞳の奥には『もし予約がないと答えたら、何があってもきっぱりとつまみ出す』という強い意志が透けて見えていた。
「実は予約はしていないのだけれど、店の中に私のよく知る知り合いがいるのよ」
「ご同行の方がすでに中で席を確保されている、ということでしょうか? 大変申し訳ありませんが、本日のシートマップにはそのような引き継ぎはございません。一体、どちら様をお訪ねですか?」
「同行者というか、その、ここの身内というか……」
「あら、まあ! エスピンじゃない」
追い返される前に、自分がここの実質的なオーナーだと説明しようとしたその時――背後から、鼓膜に突き刺さるような高慢な声が響いた。
最悪なタイミングだった。振り返ると、私の人生において「できれば二度と顔を合わせたくないリスト」の上位に君臨する顔ぶれが、そこに立っていた。
「随分とお久しぶりね。まさか、こんな高貴な場所であなたのようなお転婆と出くわすなんて」
華やかに着飾ったベティ・ルランが、勝ち誇ったような尊大な笑みを浮かべていた。そして、その隣には――
「……」
現皇太子の筆頭候補である、スティーブ皇子が不機嫌そうに佇んでいた。
(そういえば最近、社交界の裏で『この二人が近々正式に婚約する』って噂が本格的に出回っていたわね……)
どうやら、ただの噂話ではなかったらしい。
「スティーブ皇子殿下におかれましては、お目にかかれて光栄に存じます」
内心では盛大に舌打ちをしながらも、相手は泣く子も黙る皇族だ。私は瞬時に貴族令嬢としての完璧なカーテシーを披露し、礼を尽くした。
「……顔を上げてください」
「もったいなきお言葉です」
スティーブ皇子は、どこか生気のない穏やかな表情を浮かべていた。一方、その隣のベティはといえば――我が世の春を謳歌するかのように、得意げな表情で皇子の腕にこれ見よがしもぴったりと寄り添っている。
二人はゆっくりと私の方へ歩いてきた。正確には、ベティがこれ見よがしに皇子の腕を引っ張り、スティーブ皇子が死ぬほど面倒くさそうな顔で引きずられてきている、という構図だった。
ベティはいじの悪い笑みを浮かべると、私の肩を狙い澄まして口を開いた。
「ふふ、相変わらず、その薄汚い小鳥をちゃんと連れて歩いているのね?」
私の肩にちょこんと止まっている黄金(ファンゴミ)を見て、ベティは嘲笑うように声を上げて笑った。
数年前、私の活躍(?)がきっかけで、王都の貴族たちの間では「愛玩鳥を肩に乗せて歩くこと」が一世を風靡するほどの大流行を見せていた。黄金が尋ねるまでもなく可愛らしく、人間の言葉を理解しているかのように賢かったため、周囲の令嬢たちが嫉妬に狂って真似をしたのだ。
けれど、野生の鳥というものは、そう簡単に人間の思い通りに飼える動物ではない。黄金のように主人のそばを片時も離れず、おとなしく品良く寄り添ってくれる奇跡のような鳥は、他には存在しなかった。
そのため、ブームの裏では悲惨な現実が起きていた。一部の愚かな貴族たちは、鳥が逃げないようにその美しい羽を残酷に切り落とし、無理やり肩に乗せて連れ歩いていたのだ。
だが、鳥が飛べなくなったところで、根本的な問題は解決しなかった。
鳥という生き物は、恐ろしい頻度で排泄をする。本当に、一秒の猶予もなく頻繁にするのだ。彼らは貴族の高級なドレスの上だろうが、時と場所を選ばずに平気でフンを落とす。そうなったらどうなるか。
(きらびやかな衣装を着た主人が、愛鳥のフンを全身に浴びて社交界の笑いものになるだけよね)
当然、ドレスを何着も台無しにされた貴族たちはすぐにうんざりし、今では鳥を連れ歩く流行など跡形もなく消え去っていた。
ちなみに、うちの黄金(ファンゴミ)は超がつくほどの天才鳥なので、排泄したくなると自ら私の肩を離れ、見えない遠くの場所で用を足してから、何事もなかったかのように綺麗になって戻ってくる。
「ええ、そうよ。どこかの誰かの鳥と違って、うちの黄金(ファン)は最高に賢くて綺麗好きだから、ドレスを汚される心配が一切ないの」
以前、ベティが私の前で「私だって珍しい極楽鳥を飼っているのよ!」と自慢し、その直後に肩へ見事なフンを落とされて顔を真っ青にしていた大失敗の事件があった。
その黒歴史をあえてチクリと持ち出すと、ベティの顔はみるみるうちに屈辱で真っ赤に染まった。
私は勝利を確信しながらも、何とかおすまし顔を取り繕った。
「……そんなことより、あなた、こんな場所で一体何をしているの?」
ベティの声には、あからさまなトゲと皮肉が込められていた。
ベティと私の仲は、お世辞にも良いとは言えなかった。以前、あるお茶会で私が彼女の仕掛けた悪質な不正を白日の下に晒して以来、彼女は私を蛇蝎のごとく嫌うようになった。さらに追い打ちをかけるように、先日のルチの誕生日の件で、ヘリスンから手厳しい叱責を受けてからは、完全に私を「不倶戴天の敵」として敵視するようになったのだ。
私はただ正当防衛をしていただけなのに、ベティ側が一方的に被害妄想を膨らませて敵意を募らせている。だから、彼女がこうしてニヤニヤしながら話しかけてくる時は、大抵ろくでもない嫌がらせの合図だった。
私はベティの言葉を受け流しつつ、隣に立つスティーブ皇子の様子をちらりと盗み見た。
ベティ個人の相手をするのはいくらでも構わないが、背後にいる皇族の機嫌を損ねて、実家に迷惑がかかるような事態だけは避けたかった。
(……でも、本当に噂通りね)
実は、ルチ襲撃事件以降、あの冷酷なイザベル皇妃は、私たちの陣営に対して不思議なほど目立った妨害を仕掛けてこなくなっていた。私たちの陽動作戦が功を奏したのもあるけれど、最大の理由は、目の前にいるスティーブ皇子の『劇的な変化』にあった。
幼い頃、ルチとの公式な剣術の試合で完膚なきまでに叩きのめされて以来、彼の様子は完全におかしくなってしまったのだ。
あれほど熱心だった剣術の訓練をあからさまに怠るようになり、帝国の一流の家庭教師たちによる講義もたびたびエスケープした。何事に対しても完全に無気力になり、幽霊のように屋敷に引きこもる日々を送るうちに、いつしか全ての英才教育を自ら放棄してしまったのだ。
当然、彼を次期皇帝に据えようと血眼になっていたイザベル皇妃は大狂乱した。だが、スティーブ皇子は母親の怒号を完全に無視し続けた。
原作でのスティーブ皇子は、主人公であるルチに対する異常なまでの劣等感を爆発させ、その悔しさをエネルギーに変えて這い上がろうとする、努力型のライバルキャラだったはずなのに。
しかし、目の前にいる現在の彼は……。
(……完全に、生気を失った『無気力ニート』そのものじゃない)
スティーブ皇子が次期皇帝の座に興味を失い、完全にニート化してしまったせいで、イザベル皇妃も世論や貴族たちを味方につけてルチを追い落とすための「大義名分(神輿)」を失ってしまったのだ。結果として皇妃も大人しくせざるを得なくなり、そのおかげで私とルチは、誰にも邪魔されることなく水面下で着実に力を蓄えることができたのだけれど。
(本当に、この皇子は頭の中で何を考えているのかさっぱり分からないわ)
今回もスティーブ皇子は、ベティと私の女同士のバチバチしたやり取りには、一ミリも興味がなさそうだった。
実は昔から、彼は時折私に対して、何かを値踏みするような意味深な視線を向けてくることがあり、そのたびに私は激しい居心地の悪さを感じていた。けれど今の彼は完全に魂が抜けたような状態だったので、私は安心してベティへの応対に集中した。
「こんな大混雑している場所で二人に会うなんて、本当に奇妙な偶然ね」
「偶然? 私は新メニューが発表される今日という日に合わせて、殿下におねだりして連れてきていただいたのよ。今や社交界では、メイベル・プレミアムの新メニューを発売当日に味わうことが、一流の貴族としてのステータスなんですもの」
ベティは自慢げに胸を張った。
「そう。それは良かったわね。じゃあ、二人で心ゆくまで楽しんでちょうだい」
私が話を切り上げようとすると、私たちの会話を固唾を飲んで見守っていた新人の店員が、ここぞとばかりに前に出てきた。
「メイベル・プレミアムへようこそお越しくださいました。……恐れ入りますが、ご予約のお客様でしょうか?」
「『ベティ・ルラン』の名前で予約してあるわ。今すぐ名簿を確認してちょうだい」
尋ねられたベティは、待ってましたとばかりに店員を見下し、高慢な口調で命じた。店員は手元の高級な革装丁の名簿をめくり、素早く彼女の予約を確認した。
その間、ベティは口元に薄気味悪い笑みを浮かべながら、私を値踏むように一瞥した。
「ところでエスピン、……あなたは、当然『予約』なんてしてあるのでしょうね?」
その意地の悪い笑みを見る限り、どうやら彼女は、私が先ほど新人店員に足止めを食らっていた情けないやり取りを、最初から影で全部見ていたらしい。
あまり無駄な説明をして彼女を喜ばせたくなかったので、私はあえて何も答えず口を閉ざした。
私の沈黙を「予約がない証拠」だと確信したのだろう、ベティの口角がますます醜く吊り上がった。
「あら、図星のようね? 予約をしていないのかしら。ねえエスピン、知らなかったの? このメイベル・プレミアムは、私のような選ばれた人間が事前に予約をしなければ、絶対に利用できない高貴な場所なのよ?」
(そんな法律、作った張本人の私が一番よく知っているわよ……)
かつてメイベルの本店では、傲慢な貴族たちが平民を見下し、理不尽な権力を振りかざして度々サロンで騒ぎを起こしていた。被害を受けるのは決まって立場の弱い平民客であり、その最悪な状況を打破するための隔離施設として、このプレミアム店が企画されたのだ。
だが、客を貴族だけに限定したからといって、彼らの醜い権力闘争が消えてなくなるわけではなかった。むしろ、今度は「身分の高い大貴族」のワガママに、「身分の低い下級貴族」が理不尽に従わされるという、新たな階級社会の縮図が出来上がるだけだった。
だからこそ私は、この店における全ての身分闘争を無効化するため、「完全予約制」というシステムの導入をメイに提案したのだ。
予約の順番さえ守れば、公爵だろうが男爵だろうが対等に扱われる。この制度を初めて発表した当時、特権意識にしがみつく貴族たちの間では、文字通り天を突くような大騒動が巻き起こった。
『たかが平民風情が始めたデザート店が、店を少し大きくした途端にずいぶん偉くなったものね! 貴族に向かって事前に予約をしろだなんて、傲慢極まりないわ!』
『そうよ、何が予約制よ! 身の程を知りなさい!』
社交界では、一時的に「メイベルは不遜である」というネガティブな世論が急速に広がった。
(私だって、裏でオフィリア様にお願いして、わざわざ予約枠を使って利用しているんだから、文句を言われる筋合いはないんだけどね)
だが、この深刻なボイコット騒動は、私の最強の切り札であるオフィリア様が直々に動いてくださったことで、信じられないほどあっさりと鎮火した。
帝国における最高位の貴族であるベネット公爵夫人のオフィリア様が、「私はこの素晴らしい予約システムを支持しますわ」と、自ら一般の予約枠に並んで店を利用してくださったのだ。最高権力者がルールに従っている以上、それ以下の一般貴族ごときが文句を言えるはずもなかった。
そうして今では予約制がすっかり定着し、メイベル・プレミアムはどんな大物の圧力がかかろうとも、予約制度を厳格に守る鉄の牙城となったのだ。
「ベティ・ルラン様、お連れ様お一人のご予約、確かに確認が取れました」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ。ただいま、お席へご案内いたします」
スタッフがベティの予約を確認し、列の内側に控えていたフロアの案内係を呼びに動いた。
それを見たベティは、私に向かって勝ち誇ったように顎を突き出した。
「私は予約が確認できたから、お先に失礼して中へ入るわね。……予約すらできずにエントランスで立ち往生しているお可哀想な方は、大人しくお屋敷へお帰りになったらどうかしら?」
ーー予約もできなかった負け犬は、さっさと消え失せなさい。
そんな分かりやすい悪意を込めた視線だった。
あまりにも幼稚で子供じみた嫌がらせに、不快感を覚えるどころか、私は思わずフッと苦笑いを漏らしてしまった。
しかし、その私の余裕のある反応がベティのプライドを逆撫でしたらしく、彼女は一瞬にして不機嫌そうに顔を歪めた。
「……ちょっと、ここの接客はどうなっているの?」
ベティは、踵を返してエントランスの新人スタッフに猛烈な勢いで詰め寄った。
「お客様、何かご不快な点でもございましたでしょうか……?」
「大ありよ! 客でもない部外者が、いつまでもこの神聖なエントランスの特等席を占領しているじゃないの」
「あら、そんな不届き者がうろついているせいで、これからメイベル・プレミアムを正式に利用しようとしている本物の高貴なお客様たちが、酷く不快な思いをされるのではないかしら?」
ベティはそう言うと、私をこれみよがしに顎でしゃくり、早くこの浮浪者を追い出せと新人スタッフに無言の合図を送った。
店員は一瞬、どうしていいか分からないといった風に酷く困惑した表情を浮かべた。私をすぐに追い出す大義名分はないが、かといって未来の皇太子妃(仮)であるベティの不機嫌を無視することも、一介の平民店員には不可能だったのだろう。
「……大変申し訳ございません。直ちに確認をいたしまして、もし万が一、当店のお客様でないことが判明いたしました場合は、速やかにお引き取りいただくようお願い申し上げます」
(うん、なかなかに素晴らしい臨機応変な対応ね)
どうしてこんな新人をフロントに立たせているのか疑問だったけれど、彼女のクレーム処理のポテンシャルは非常に高かった。
問題は、ベティという女が、そんな大人の対応で大人しく引き下がるような殊勝な性格ではないということだ。
「だったら、今すぐその場で確認して、私の目の前で追い出しなさい!」
「お客様、しかし……」
「いいから、今すぐ私の目の前でやりなさいって言っているのよ!」
ベティはドスの利いた冷たい声で命じた。
私は、ベティが絡んできた時点で、さっさとその場を離れて回れ右をしなかった己の判断を、ほんの少しだけ後悔した。
「……お客様、大変恐縮ではございますが、本日のご予約はお済みでしょうか?」
スタッフは死にそうなほど申し訳なさそうな表情を浮かべ、消え入りそうな声で私に予約の有無を尋ねてきた。
(はあ、本当に心の底から面倒くさいわね……)
私が思わず深くため息をつくと、案の定、ベティがここぞとばかりに横から口を挟んで大騒ぎし始めた。
「ほらご覧なさい! やっぱり予約なんてしていないじゃないの!」
ベティはわざと周囲に聞こえるような大声を出し、私にこの上ない恥をかかせようと必死だった。
私もさすがに頭にきて、奥にいるメイかベルを力ずくで呼び出してもらおうかとも思ったが、ぐっと奥歯を噛み締めて衝動を抑えた。相手がここまで子供じみた泥仕合を仕掛けてきているからといって、私まで同じ低い土俵に降りてあげる義理はない。
「ええ、そうよ。予約はしていないわ」
どうせ、彼女たちが中に入った後で、裏口からこっそり入り直せばいいだけのことだ。私はあっさりと自分の予約がない事実を認めた。
するとベティは、人生最高の絶頂を迎えたかのように、満足そうに邪悪な笑みを浮かべた。
ベティは即座に店員の顔を激しく指差し、勝利の雄叫びをあげた。
「聞いたでしょう! 予約をしていないって本人が認めたわよ!」
店員は青ざめた顔で私とベティを交互に見比べ、最大限の敬意と、そして泣き出しそうなほどの丁寧な口調で私に懇願してきた。
「……大変、大変申し訳ございませんが、ご予約がお済みでないようでしたら、他のお客様の円滑なご案内のため、エントランスをお譲りいただけますでしょうか……」
その店員の引きつった表情から、彼女がどれほどこの修羅場に困惑し、胃を痛めているかが痛いほど伝わってきた。私がここで身分を笠に着て騒ぎを起こすのではないかと、恐怖に震えているのだ。
(あーあ……私のせいで、この真面目な店員さんに余計な気を遣わせちゃったわね。これ以上ここにいるのは店のためにも良くないわ)
「分かりました、それじゃあ私は――」
「何をもたもたしているの!? 早くガードマンを呼んで、今すぐこの女を力ずくでつまみ出しなさい!」
久しぶりに私を合法的に辱める最高のチャンスを掴んだベティは、嬉々として狂ったようにはしゃぎ回っていた。私が哀れに引きずり出される姿を、何が何でもその特等席で鑑賞したいのだろう。
相変わらず、子どもの頃から精神年齢が1ミリも成長していないのね。
(まあ、だからこそ扱いやすい駒として、あの邪悪なイザベル皇妃に都合よく可愛がられているのでしょうけれど)
スタッフはどう対応すればいいのか完全にフリーズし、その場でおろおろと視線を彷徨わせるしかなかった。これ以上この哀れなピエロに付き合ってあげるのは時間の無駄だし、いったんこの場を離れて、彼女たちが消えた後に仕切り直した方が賢明だ。
「それじゃあ、私はこれで――」
「大変お待たせいたしました、お客様。ただいまお席へご案内いたします。……って、あら? エ、エスピン様!?」
またしても、私の言葉は途中で遮られる運命にあったらしい。
ベティたちを店内の特等席へと案内するために、奥から優雅に現れた高級制服を纏ったスタッフ――ジュリーが、私の姿を視界に捉えた瞬間、そのプロフェッショナルな仮面をかなぐり捨てて嬉々とした悲鳴を上げた。
「ジュリー!」
私も、創業当時から苦楽を共にしてきた懐かしいジュリーの名前を、弾んだ声で呼び返した。ジュリーは、メイベルの小さかった本店創業当初から、私とメイの右腕として文字通り寝食を共にして働いてくれた、絶対の信頼を置くコアスタッフだった。
彼女とも完全に顔なじみだったので、この最悪な泥沼の状況において、これ以上ないほどの最高の救世主だった。
「お嬢様、一体どうしてこんなにお久しぶりなのですか!? いつ王都へ戻られたのです!? そうでなくても、メイ様もベル様も、お嬢様がいつフラリとお見えになっても良いように、毎日首を長くしてお待ちしていたんですよ! さあ、立ち話も何ですから、早く中へお入りください!」
ジュリーは何年ぶりかに戦地から生還した最愛の家族を迎えるかのように、弾んた顔で私の手を取り、極上のVIP待遇で迎え入れようとした。
その信じられない光景を目の当たりにした瞬間、ベティの勝ち誇っていた顔が、まるで彫刻のようにカチリと凝固した。ジュリーの口から飛び出した言葉の意味が、彼女の貧弱な脳では到底理解できず、完全にパニックを起こしているようだった。
エントランスの微妙すぎる致命的な空気の乱れを察知した新人の店員が、おそるおそる、震える声で口を開いた。
「て、店長……」
「何かしら、ポーラ?」
「あの……そ、その方ではなく、こちらのお二人が、本日ご予約をいただいている大変貴重なお客様なのですが……」
その指摘を受けて初めて、ジュリーは私から視線を外し、隣で般若のような怒りに満ちた形相でこちらを睨みつけているベティと、その横のスティーブ皇子の存在に気づいた。
さすがは数多の修羅場をくぐり抜けてプレミアム店の店長にのし上がったジュリーだけあって、その場のパワーバランスと状況を把握するのは、光の速さだった。
「――これは大変失礼いたしました、スティーブ皇子殿下、ならびにベティ・ルラン様。私がエスピン様との再会に興奮するあまり、お二人のご到着に気づくのが遅れてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。本日お二人には、当店最高峰の、王都を一望できる一番眺めの良いロイヤルテラス席をご用意しております。どうぞ、こちらへ」
それは、思わず見とれてしまうほどに滑らかで、非の打ち所がない完璧な接客の神技だった。
ベティは怒りと屈辱で激しく肩を震わせ、今にも私を噛み殺さんばかりの険しい表情で睨みつけてきた。
(何よ?)と言わんばかりに私が涼しい顔で見返してやると、ベティは不満と悔しさで下唇を血がにじむほど強く噛み締め、今度こそ私を奈落に突き落とすような罵詈雑言をぶちまけようとした。その瞬間――
「……もう入るぞ」
それまで完全に置物のように黙りこくっていたスティーブ皇子が、心底鬱陶しそうに、低い声でベティの言葉を遮った。
彼の『これ以上、俺を平民たちの前で恥をかかせるな、いつまで待たせるつもりだ』と言わんばかりの冷酷な視線に射抜かれ、ベティもそれ以上、ヒステリーを起こして言い返すのを完全に諦めざるを得なかった。
「……案内してちょうだい」
私に浴びせかけたかった怒りの言葉を必死に喉の奥へと押し込み、悔しさのあまり涙目で唇を噛み締めながら、ベティは逃げるように店内へと足早に入っていった。
彼女の背中からは、周囲の空気が振動するほどの荒い息遣いと、凄まじい怒りのオーラが肌で感じられるほどだった。
「どうぞこちらへ。……ああ、それからポーラ。奥の特別待機室から誰か手の空いている者を呼んで、エスピン様を『オーナー専用の最上級特別個室』へ最優先でご案内しなさい」
ジュリーは中へ入る直前、エントランスの新人スタッフへ向かって、これ見よがしにそう言い残した。それを背中で聞いたベティの歩調が、屈辱で一瞬ガクリと乱れたのを、私は見逃さなかった。
私は完璧な勝利の余韻に浸りながら、遠ざかるベティの背中に向かって、にっこりと極上の聖女のような笑顔を浮かべて手を振った。
「ええ、それじゃあベティ、また後でね」
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「貴族専用」ブランドの皮肉な大繁栄
エスピンが仕掛けたハイエンド支店「メイベル・プレミアム」は、一般客への迷惑防止という本来の目的を超え、貴族たちの「見栄」を激しく刺激したことで、彼女の隠し口座が潤い続けるほどの爆発的な大繁栄を遂げていました。
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犬猿の仲・ベティとの最悪な再会と嫌がらせ
数年ぶりに店を訪れたエスピンは、新人の洗礼で足止めを食らっているところを、スティーブ皇子を連れた天敵・ベティに見つかってしまいます。ベティは優越感に浸りながら、予約のないエスピンを目の前で追い出そうと執拗に店員へ強要しました。
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元祖スタッフの登場と、立場の大逆転
絶体絶命と思われた瞬間、昔馴染みの店長ジュリーが現れ、エスピンを家族のように大歓迎します。さらに「オーナー専用の最上級特別個室」へと案内されたことで、エスピンの圧倒的な格上ぶりが証明され、ベティは屈辱に震えながら敗退していきました。