こんにちは、ちゃむです。
「余命わずかな令嬢が黒幕家に偽装就職したら」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
50話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- その心が揺れる瞬間に
「だめ……!」
何もできないと分かっていながらも、私の身体は本能的にその凄惨な光景へと駆け出していた。
その時だった。
ガシッ!
「先生!?」
背後から誰かに肩を強く掴まれたかと思うと、私の身体は抗う術もなく、勢いよく後ろへ引き戻された。
驚愕に目を見開いた私の視界に、あまりにも見慣れた姿が飛び込んでくる。
「……カーディエン?」
「先生が、どうしてここに……」
青年期の姿をしたカーディエンは、美しく整った眉をひそめ、低く呟いた。
そして、私の手から立ち上る微かな光の残滓に視線を落とす。
「その力か。やはり、ここは私の夢の中だったようだな」
「……カーディエン閣下が、どうしてここに……」
私の呆然とした問いかけに、彼はふっと小さく笑ってみせた。
「それは私の台詞だ。この夢の主が誰なのか、忘れてしまったのか?」
「……あ」
その傲岸不遜で、けれど酷く耳に馴染んだ声音を聞いて、私はようやく目の前の存在が「本物のカーディエン」なのだと実感した。
恐る恐る後ろを振り返る。
先ほどまでそこにいた、血を吐きながら倒れていた幼いカーディエンの姿は、どこにもなかった。
再び彼へと視線を戻す。
泥にまみれ、傷だらけだった少年の面影は消え去り、そこにはいつも通りの端正な、大人のカーディエンが静かに佇んでいた。
「あ……、うっ……」
張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、堪えていた涙が一気に溢れ出した。
私が突然泣き出したことに驚いたのか、カーディエンは戸惑ったようにその美しい紫色の瞳を丸くした。
「せ、先生……?」
気遣わしげな声音を耳にすると、胸の奥から熱い感情が次から次へと込み上げ、ますます涙が止まらなくなる。
「私がいない間に、何かあったのか? 泣かないで、話してくれ」
『あなたが今、人の心配をしている場合なの……!?』
「一つ……!」
「……?」
「大変なことが、あったでしょう……!」
「……」
みっともない泣き顔を見せたくなくて、私はぎゅっと下唇を噛み締めた。
カーディエンは黙ってそんな私を見つめていたが、やがてそっと細い手を伸ばし、温かい指先で私の目元に溜まった涙をやさしく拭った。
その指先が肌に触れた瞬間、私はびくりと肩を震わせる。
「よく分からないな。先生が、どうしてそれほど泣いているのか」
「……」
今すぐにでも、夢の中で見た彼の過酷な幼少期について問い詰めたかった。けれど、なぜ自分がこれほど涙を流しているのか、複雑に絡み合った感情を上手く言葉に直すことができなかった。
ただ、彼の無事な姿を見た瞬間、言葉にならない安堵と痛みが胸をいっぱいに満たしてしまったのだ。
「それでも……」
私を見つめ続けていたカーディエンの唇が、ふっと柔らかな弧を描いた。
「ここで先生に会えたのは、素直に嬉しいよ」
「……ちょっと待ってください」
「……?」
私はそっと、彼の手から身を引いて一歩距離を取った。
そして、じっとその顔を凝視する。彼を覆う甘やかな空気は、間違いなく私の知っているカーディエンのものだが――。
「私の知っている閣下は、そんな殊勝なことを口にする人ではありません。あなた、本当に本物ですか……?」
「……手厳しいな。ただ、泣いている先生を慰めようとしただけなのに」
「それ自体が、私にとっては十分な大事件です」
私が不審そうに首をかしげていると、彼は降参したように苦笑を漏らし、ふと真面目な顔に戻って問いかけてきた。
「……外では、どれほどの時間が経った?」
「外、ですか?」
私は一瞬瞬きをしたが、すぐにその意図を理解して頷いた。
「十日、です」
「たった十日か」
「十日『も』、ですよ……!」
どれほど彼が長い時間を過ごしたとしても、現実の十日間も相当なものだ。それなのに、彼の反応はあまりにも淡々としていた。
カーディエンは軽く息をつき、遠い目をして告げた。
「ここでは……もう一ヶ月が過ぎた」
「……え?」
聞き間違いかと思い、私は固まった。
理解が追いついていない私を気遣うように、彼は静かに言葉を重ねる。
「いや、精神世界で時間の長さを数えることに意味はないな。正確に言えば――太陽が昇り、沈むのを三十回見送った、ということだ」
「……三十回……」
つまり、私が先ほど体験した、あの救いのない一日を、カーディエンはこの閉ざされた世界の中で何度も、何度も独りで繰り返していたのだ。
「そんなこと……本当に……」
「だから、先生に会えて救われたんだ。違うかい?」
「……どうして、この夢は終わらないのでしょう?」
「さあね」
彼は軽く肩をすくめてみせた。あまりにも達観した態度に、私は息を呑む。
この夢にあとどれだけ閉じ込められるかも分からないというのに、どうしてこれほど平然としていられるのだろう。
「先生が今、心の中で私のことを呆れているのは何となく分かるよ」
「…………」
相変わらずの鋭い洞察力に、私はぐうの音も出ない。
私が「はぁ……」と深くため息をついて唇を結ぶと、カーディエンはくすくすと愉しそうに笑った。
「先生さえ隣にいてくれるなら、あと一年くらいここに閉じ込められていても構わないけれどね」
「……不吉な冗談はやめてください、閣下」
こちらは本気で焦っているというのに。
「冗談に見えるかい?」
涼しげな顔でそうのたまう彼の言葉を半分聞き流しながら、私は腕を組んで周囲を見回した。
『冷静に考えてみよう。きっと、ここから脱出する方法はあるはず……』
これまで彼と共有してきた奇妙な夢には、必ず何かしらの共通点があった。
最初の夢では、幼いカーディエンが私に「泣かないで」と告げたことで目覚めた。
二つ目の夢では、私が「カーディエンを幸せにする」と宣言した瞬間に現実へ引き戻された。
そして、彼が私の代わりに見たという三つ目の夢も、唐突に幕を下ろしたという。
『あの夢の終わりには、何か明確なトリガーがあるのでは……?』
私はそっと彼の顔を窺った。
それなら、当事者である彼自身に直接訊ねてみるのが一番早い。
「殿下、これまで夢が終わる瞬間に、何か体感したことはありませんでしたか?」
カーディエンは「突拍子もないことを訊くものだ」とでも言いたげな眼差しを私に向けた。そのあまりの余裕ぶりに、私は込み上げるため息を必死に飲み込む。
『本気で私とあと一年もここに引きこもるつもりなの? 何なの、この人は……』
彼の考えていることは、いつだって霧に包まれていて読み解けない。彼には私の思考が筒抜けだというのに、あまりにも不公平で悔しかった。
心の中で文句を並べ立てながらも、私は真剣なトーンで食い下がった。
「これまで私が見てきた夢は、すべて閣下を中心に展開していました。この夢も同じです。だから、夢の終わりと閣下には、絶対に何らかの因果関係があると思うのです」
「ふむ」
彼は何かを咀嚼するように、静かに顎を引いた。
「夢が途切れる直前、いつも共通して感じる身体的な変化や、刺すような五感の刺激、あるいは感情の揺らぎのようなものはなかったですか?」
私の問いかけに、カーディエンはしばらくの沈黙を保ち、ただじっと私を見つめ返した。
「……一つだけ、心当たりはある」
「本当ですか!? それは一体何ですか?」
身を乗り出す私に対し、なぜかカーディエンは答えをはぐらかすように、ただ妖しげな視線を注ぎ続けるばかりだった。
「……?」
「殿下? 私の声、聞こえていますか?」
私はしびれを切らし、彼の腕を指先でつついた。
「どうして何もおっしゃらないのですか?」
まさか、知らないのに知っているふりをして見栄を張っているのだろうか。彼がそんな子供じみたプライドを持つ男ではないと分かってはいても、その沈黙があまりにも長いため、そんな疑念さえ頭をもたげてくる。
「もし、閣下にも分からないのでしたら、今からでもそう言って――」
「先生」
私の言葉を遮るように、低く心地よい声が響いた。
「はい?」
「笑って」
「……え?」
今度は一体、何を言い出すのだろう。
ようやく口を開いたと思えば、あまりにも唐突で突拍子もない要求に、私は本気で呆気に取られてしまった。
「……今、私をからかって楽しんでいらっしゃいますか?」
「いや、極めて真剣だ。確かめたい。笑ってみてくれ」
彼の紫色の瞳には、冷やかしの光など微塵もなかった。本気なのだ。
私は当惑しながらも、これほど真剣に請われては従わざるを得なかった。引き攣りそうになる口角を必死に持ち上げる。
「ははは……こんな感じ、でしょうか?」
精いっぱいの笑みを作ってみせたが、カーディエンはあからさまに不満そうに眉の間に皺を寄せた。
「ひどい作り笑いだ。先生は、元々そんなに不自然な笑い方をする人だったかい?」
「……っ」
驚きのあまり、喉が詰まった。
無理やり笑えと言われて、自然な笑顔を作れる人間がどこにいるというのか。言い返したい不満は山ほどあったが、私はぐっと言葉を飲み込んだ。
『まったく、この不条理な身分社会め……』
結局、私は大きく肩を落としてため息をついた。
「笑えるような面白い出来事があれば、喜んで笑いますよ」
「笑えるようなことは、何もないと?」
「当たり前でしょう」
呆れた目を向ける。これほど陰惨な夢の景色を見せられて、しかも自分自身が衰弱しきっているというのに、どうして心から笑えるだろうか。
「そもそも、私が笑うことと、この閉ざされた夢が終わることに、どのような因果関係があるのですか?」
納得のいかない表情で問い詰めると、カーディエンは静かに私を見つめ返し、やがてゆっくりと唇を開いた。
「……感情だ」
「はい?」
「先生の推測通り、この世界を終わらせる鍵は、夢の主である私の感情の変化にあるのだろう」
「……!」
言葉を失い、目を瞬かせる。私の当てずっぽうな仮説が、まさか本質を射抜いていたとは。
「ですが、私が笑うことと、閣下の感情の変化に何の関係が……」
「先生が笑うと、私の心が動くからだ」
「……それなら、私の笑顔を見ると、閣下は一体どのような感情になるのですか?」
まさか、不快感や怒りではないだろう。
「さあな……」
はぐらかすような、曖昧な返答。
私は少しむっとしながら彼を睨みつけた。まさか私の不格好な笑顔を見て面白がり、その「嘲笑」や「娯楽」の感情で夢を壊そうという魂胆ではないだろうか。
「少なくとも、先生が今考えているような無礼なことではないよ。だから、その疑わしげな目を向けるのはやめてくれ」
「……では、何なのですか?」
「ただ――」
「ただ……?」
「…………」
続きを待ったが、彼はそれ以上言葉を紡ごうとはしなかった。
「……え、それだけですか?」
「私にも分からないのだ。ただ、先生が笑う姿を目にすると、自分でも制御できないほど感情が大きく揺らぐ。それだけだ」
自分の感情の正体が分からないなど、そんなことがあり得るのだろうか。
私は反論したい衝動を抑え、唇をきゅっと結んだ。
だが、同時に合点がいった。
『なるほど……だから今まで、この夢は終わらなかったのね』
感情の起伏が極端に少ないカーディエンの心が、この三十日間、微動だにしなかったからこそ、この世界はループを繰り返していたのだ。
理由が分かったのはいいが、それだけに解決の難しさが際立つ。
『感情の揺らぎ、か……』
言うのは簡単だが、最も困難な課題だ。作り笑いを見破る彼を前に、形だけの笑顔など何の役にも立たない。
私は静かにカーディエンを見つめた。彼は、ただ一点を見つめて揺るぎない。
その時、脳裏にふと、ある奇妙な解決策が浮かんだ。
それは子供騙しの「しゃっくりを止める方法」に似ていた。しゃっくりが止まらない相手を突然大声で驚かせると、ショックで止まるという、あれだ。
『なんで今、そんなことを思い出したのかしら』
しかし、要は「大きな感情の揺れ」を引き起こせばいいのだ。驚きでも、困惑でも、あるいは怒りであっても構わない。この堅牢な精神世界を揺るがすほどの激震を、彼の心に与えることができれば――。
『問題は、あのカーディエンをどうやって驚かせるか、ね』
仮に私がここで奇妙なダンスを踊り出したとしても、彼は道端の石転がりを見るような冷ややかな目で私を眺めるだけだろう。
そんな彼を本気で驚かせ、感情を激変させる方法。
『……やっぱり、これしかないわ』
およそ私らしくない手段だが、これくらいの劇薬でなければ、彼の強固な平穏を打ち破ることはできない。
「これは、正当防衛です。黒幕様」
心の中で言い訳を呟きながら、私は意を決して口を開いた。
「あの……閣下」
私の呼びかけに、カーディエンがゆっくりと視線をこちらへ戻した。その紫色の瞳が、いつもよりわずかに鋭敏に光ったように見えた。
夢を強制終了させるためだけの、一時の手段。そう軽く考えていたはずなのに、いざ彼と真っ直ぐに対峙すると、緊張のあまり手のひらにじっとりとした汗がにじむ。
私は息を整え、彼の瞳を見つめて――
「好きです」
「……」
カーディエンの時が止まったように、呆然と私を見つめた。
逃げ出したくなるほどの鼓動の暴走を必死に抑え込み、私はもう一度、はっきりとその言葉を告げた。
「好きです、殿下」
その瞬間、凄まじい不安が押し寄せてくる。
『これで何も起きなかったら、この後の気まずさに私は耐えられない……!』
お願いだから、効いて――。
心からの祈りが通じたのか、突如として、カーディエンの身体を中心に世界がガラス細工のように激しくひび割れ、崩壊し始めた。
『やった、通じた……!』
本当にこんな方法が効くなんて。
安堵のあまり「閣下……!」と彼の顔を見上げた私は、そのまま言葉を失った。
「あれ……?」
視界の端で光に溶けていく彼の瞳が、これまで出会ったどの瞬間よりも、激しく揺れ動いていたからだ。その圧倒的な動揺の光に呑み込まれるまで、私は彼から目を離すことができなかった。
「そんなこと、されては……」
「駄目なら駄目でいいさ……」
「ご主人様……」
ふと、周囲がひどく騒がしいことに気づき、私はゆっくりと目を開けた。
網膜に映る見慣れた天井。どうやら現実に戻り、ベッドに横たわっているようだった。しかし、手のひらの下に感じる感触が妙に硬く、そして温かい。
『ベッドって、こんなに硬かったかしら……?』
「変だな……」
もぞもぞと身をすり寄せると、頭上から低く、呆れたような声が降ってきた。
「今の先生の姿勢のほうが、よっぽど変だと思うが」
「え……? あっ!?」
跳ね起きるようにして顔を上げ、私は硬直した。
紫色の瞳が、すぐ目の前で私を冷やかしを含んだ目で見下ろしていた。
その瞬間、自分が何を枕にして寝そべっていたのかを理解する。
『最悪……!』
これ、ベッドではなく、カーディエンの胸板じゃないの!
どうりで広くて硬いわけだ――などと納得している場合ではない。
「ひゃっ! も、申し訳ありません……!」
慌ててその身体から飛び退こうとした、その時だった。
「だから、閣下のご様子が本当に無事なのか、自分の目で確かめたかったんだ! また魔力が暴走して、意識を失ったまま倒れているんじゃないかと思って……」
「ちょ、ちょっと待ってください、閣下は……!」
バタン!!
外廊下の喧騒を突き破るようにして、乱暴に扉が開け放たれ、誰かが部屋へと押し入ってきた。
驚いた私は、反射的に振り返る。
『一体誰……!?』
飛び込んできたのは、豊かな白髪と、垂れた目尻が印象的な一人の老人だった。身にまとっている衣服は、言葉を失うほど豪華で仕立てが良い。
堂々と踏み込んできたその老人は、私と目が合うと、意外そうな顔をしてピタリと足を止めた。
「お待ちください! ご主人様は現在ご休息中で――」
後ろから慌てて追いかけてきたウィンストンも、室内の妙な光景――カディエンのベッドの上で取り乱している私と彼――を目にして、言葉を失って立ち尽くした。
部屋の空気が一瞬にして氷結する中、背後から冷ややかな愉悦を孕んだ声が静かに響いた。
「勝手に寝室へ不法侵入とは。随分と好き放題やってくれるな」
その言葉に、老人は穏やかな風貌とは裏腹の、刃のように鋭い眼差しをカーディエンへと向けた。
「何度も連絡を差し上げましたがお返事がなかったため、万が一の事態を案じて直接伺ったのです。ですが……」
老人の冷徹な灰色の瞳が、ゆっくりと私へと移動する。
「まさか、公爵殿下がこれほど熱烈な恋愛沙汰に夢中になっておられるとは。予想だにしておりませんでしたよ、閣下」
老人の口元には、どこか意味深で不穏な笑みが張り付いていた。
『……いや、恋愛沙汰って何のことですか!?』
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本物のカーディエンとの再会
夢の中で成長した本物のカーディエンと再会した私は、外では十日、夢の中では「太陽が三十回昇り沈む」ほどの長い時間を彼が孤独にループしていたことを知ったこと。
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脱出のための「告白」という劇薬
夢を終わらせる鍵が「主(カーディエン)の感情の揺らぎ」であると突き止め、感情の起伏が少ない彼の心を激変させるため、私は一か八かで「好きです」と告白して現実世界への覚醒を成功させたこと。
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現実での気まずい目覚めと、不穏な来客
カーディエンの胸を枕にして目覚めるという最悪の状況の中、部屋に強引に押し入ってきた「豪華な服の老人」と遭遇し、目撃された状況から「恋愛沙汰に夢中」と誤解されてしまったこと。