こんにちは、ちゃむです。
「私が主人公(ヒロイン)だと思ってたのに」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
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又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
45話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 私の幸福論
深夜、デミアンの冷徹な仮面の下に見え隠れする意図と、ルチが残していった熱い吐息の残像のせいで、私はすっかり不眠症に陥っていた。
山ほどの誕生日プレゼントと、三つもの貴重な魔法道具に囲まれているのだから、本来なら幸せの絶頂にいるはずなのに、胸の奥のつかえがどうしても消えてくれない。
ふと横を見ると、肩の上から移動した黄金(ファンゴミ)がベッドの隅で無邪気にぐっすりと眠っていた。
「……ダメだ、眠れるわけがないわ」
私は勢いよく跳ね起きると、ナイトガウンを羽織って気晴らしに窓の外を眺めた。
すると、静まり返った暗い庭園を、不自然に動く大きな人影が目に入った。一瞬ぎょっとしたものの、その並外れた体格の正体が誰なのかはすぐに察しがついた。
私は足音を忍ばせて屋敷の外へ出て、その人影の背後へと近づいた。
「こんな真夜中に、一体何をしているの?」
大きな人影――ハリソンは、私の気配をあらかじめ察知していたかのように、驚くこともなくゆっくりと振り返った。
「……眠れなくて」
「だからって、明かりも消えた夜中の庭を散歩しているの?」
庭園をほのかに照らす夜間照明も、深夜になれば消されてしまう。今や周囲にあるのは、頼りない月明かりだけだった。
「私がこの大きな体で夜中に廊下をうろうろ歩き回ったら、屋敷の使用人たちが驚いて心臓を発作を起こしてしまうでしょうから」
ハリソンは、数年前の懐かしい出来事を思い出させるような冗談を口にした。
かつてルチの襲撃事件で負傷した彼が、我が家で療養していた頃、同じように夜の廊下を徘徊していた彼を私が見つけて注意したことがあったのだ。『みんなを驚かせてショック死させるつもり?』と。
「まだ、あの時のことを覚えているの?」
「もちろん。忘れられるわけがないでしょう。……久しぶりに、あのはちみつ入りミルクでも飲みますか?」
「そうね、そうしましょうか」
私たちは示し合わせて、静まり返った厨房へと向かった。
この5年間で、未来の皇帝たるルチも目覚ましい成長を遂げたけれど、私の周囲で「最も変わった人」を挙げるなら、それは間違いなくハリソンだった。
もうこれ以上は大きくならないだろうと思っていた体格は、以前にも増して逞しく強靭になり、それに伴って彼自身の内面もずっしりとした落ち着きを増していた。本来持っていた豪快さと、実直で誠実な人柄が完璧に調和している。
今の大人びたハリソンには、大人の男としての不思議な魅力があった。
時折、その頼もしさにほんの少しだけ胸がときめくこともあったけれど、彼はいつも私に対して明確な一線を引いていた。どこまでも礼儀正しく、まるで主人に仕える騎士のように振る舞い、『この適切な距離感を保とう』という彼の確固たる意思が伝わってくる。だからこそ私も、彼の望む通りの距離感で接してきたのだ。
(私のことを、こんな風に大切に思ってくれる人は貴重だものね)
厨房に入り、二人で温かい特製ドリンクを作ることにした。
保管庫から新鮮な牛乳とはちみつを取り出し、小さな鍋を火にかけて温めていると、ハリソンが不意に小さく笑った。
「どうしたの?」
「いえ、当時のことを思い出してしまって」
きょとんとして見つめると、彼の笑みがさらに深くなる。
「初めてエスピンに、あのはちみつ入りミルクを作ってもらった時のことです。あの時は本当に驚きました」
「そんなに美味しかった?」
「味の前に、いきなり私の体を手で掴んで『私をちょっと抱き上げて』と言ったでしょう?」
「ああ……そんなこともあったわね」
当時の私はまだ11歳で、大人の調理台で作業をするには圧倒的に背が低かった。
「――まったく、何度言っても分からないんですね。ここをしっかり掴んで、私を持ち上げてください。私は牛乳を温めますから」
足場用の踏み台をわざわざ持ってくるのが面倒で、私はその場にいたハリソンを便利な踏み台代わりに使ったのだ。
牛乳をかき混ぜながら、ハリソンは愛おしそうに目を細めた。
「あの頃に比べると、ずいぶん成長されましたね」
「そりゃあね。もうあなたに持ち上げてもらわなくても、ひとりで何でもできるわ」
「ええ。もうすっかり大きくなられました」
ハリソンは満足そうに私を見つめた。それはまるで、妹の成長を喜ぶ兄のようでもあり、あるいは不器用な父親のようでもある、温かい笑みだった。
(……まさか、自分が私を育てた、なんて思っていないわよね?)
年齢差を考えれば、彼がそんな風に私を保護者目線で見守っていても不思議ではない。そういえば昔、私とルチが庭で騒いでいる時も、彼はいつも一歩引いた場所からあんな優しい眼差しを向けていた。
私は心の中で「私がハリソンを一人前の男に育てた」と思っていたけれど、どうやら向こうも同じように「自分がエスピンを見守り育ててきた」と考えていたらしい。
「はい、どうぞ。お熱いから気をつけて」
出来上がった黄金色のミルクを差し出すと、ハリソンは丁寧に受け取った。
「ありがとうございます。……やはり、記憶の中のあの味と、まったく同じですね」
一口含んだ彼は、この世の至福といった様子で微笑んだ。
「当然でしょ。同じ材料とレシピで作っているんだから」
私も自分のカップを口に運ぶ。はちみつの濃厚な甘みと温かさが五臓六腑に染み渡り、デミアンやルチのせいで一日中張り詰めていた神経が、お湯に溶けるようにほぐれていくのが分かった。
「久しぶりにこの屋敷に泊まったからでしょうか。昔のことをよく思い出します。ここで療養していた頃の日々を」
「どんなこと?」
「……色々ですよ」
その頃の記憶は、彼にとって襲撃の恐怖や痛みに満ちた、決して良い思い出ばかりではないはずだ。
私はふと気になって尋ねた。
「ねえ。今更聞くのも変だけど、その時の怪我はもう本当に大丈夫なの? 後遺症や、心の傷とかは残っていない?」
5年も経ってから切り出すのは少し間が抜けているけれど、普通ならトラウマになってもおかしくない大事件だったのだ。当時のハリソンは平気そうに振る舞っていたし、私も自分のことで手一杯で、そこまで彼の繊細な内面に気を配れていなかった。
「はい。もう、すっかり大丈夫です」
ハリソンはカップを掲げ、まるで物語のサブヒーローにふさわしい、眩しいほどの笑顔を向けた。
「そっか、ならよかった」
もともと寡黙で滅多に笑わない彼が、今夜はやけに表情が柔らかい。その美貌に見惚れそうになっていた私は、彼の言葉の微妙なニュアンスにハッと気づいた。
「……待って。それって、当時は大丈夫じゃなかったってこと?」
「……。当時は、少しだけ。でも今は本当に大丈夫です。すべて、エスピンのおかげですから」
今まで隠されていた過去の事実に衝撃を受けている私に、ハリソンは久しぶりに、一線を越えてくるような真っ直ぐで熱い眼差しを向けてきた。
「私のおかげ? 私、あの時何か特別なことをしたかしら?」
戸惑って視線をそらそうとする私を、彼は逃がさないように静かに打ち明けた。
「実はあの頃、私は毎晩のように、剣で無惨に斬られる悪夢を見ては飛び起きていたんです」
「え……?」
「恐怖でなかなか寝付けず、暗闇が怖かった」
聞くだけで胸が締め付けられるような告白だった。
「どうしてそれを、あの時に言ってくれなかったのよ!」
話してくれたところで、当時の私に医療の知識があったわけではない。それでも、毎日顔を合わせて一緒に過ごしていたのに、彼のその深い苦しみに気づけなかったという事実が、私にとって大きなショックだった。
「ですが、あなたが淹れてくれたあのはちみつ入りミルクを飲んだ夜だけは、不思議と悪夢を見ずに、朝までぐっすり眠れたんです」
ハリソンは愛おしそうに手元のカップを見つめた。
そんな深刻なセラピー効果を求めて、彼はあの頃、毎晩のように厨房へ足を運んでいたのだ。私は彼の「眠れないから」という言葉を、単に「怪我でベッドの上に縛られていて退屈だから」という程度の意味だと完全に勘違いしていた。
「そんな理由があったなら、毎日でも、何杯でも淹れてあげたのに」
私は思わず、当時の彼の遠慮深さをたしなめるように言った。
「よくおねだりはしていたつもりですが」
「でも、毎日ではなかったじゃない!」
本気で怒る私を見て、ハリソンの笑みはどこまでも深く、優しく深化した。
「そういうところが……本当に、エスピンらしいですね」
「私らしいって、何よ」
「美しくて、優しくて……どこまでも他人のために思いやりを尽くしてくれるところです」
(ちょっと待って。美しくて優しくて思いやりがある……って、私が!?)
一体どこの聖女様と勘違いしているのだろう。喉元まで出かかった猛烈なセルフツッコミをどうにか飲み込み、私は、彼の記憶の中で美化されきった「聖女エスピン」の思い出を、そのまま壊さずにそっとしておこうと決めた。
冷酷なルチの傍らで5年間も過ごしていながら、そんな凄まじいフィルターを未だに信じ続けているなんて、ある意味で奇跡的なピュアさだ。
(これが、いわゆる『ヒロイン補正』ってやつかしら?)
ロマンス小説のヒロインは、攻略対象の男たちから無条件で全肯定され、愛される宿命にある。ハリソンも例外なく、その強力な補正にかかってしまったのだろう。
けれど、そう結論づけるには、今夜のハリソンの態度はどこかいつもと違っていた。
その誤解に満ちた熱い視線だけを見れば、まるで私に個人的な「好意」を寄せているようにも受け取れる。しかし、彼はいつでも一線を守る誠実な友人(騎士)として振る舞ってきたはずだ。
(原作でも、彼は密かにヒロインに想いを寄せるポジションだったけれど……)
考えれば考えるほど、頭の中がこんがらがってくる。
「だから私は、今でもいつも、エスピンには感謝しているんです」
「いや、そんな大それた感謝なんて要らないわよ。私はただ……」
本当に大したことはしていないと首を振る私に、ハリソンは静かに言葉を重ねた。
「それだけではありません。私は他にも、あなたに何度も、数え切れないほど救われました」
「……」
何度も? 一体彼は、私の知らないところでどんな勘違い(思い出)を一人で積み重ねてきたのだろう。そして、なぜ今になってそんな重大な告白を、私に語りかけるのか。
(……待って。これって、もしかして、本物の『告白』の前振りの流れじゃないの!?)
その瞬間、頭の中に一筋の閃光が走った。
全てのきっかけは――今日、突如として現れた「デミアン」という男の存在だ。
ハリソンは、自分でも気づかないうちに私への恋心を募らせていて、デミアンという見知らぬハイスペックな男が登場したことで、ついに自分の本当の気持ち(嫉妬と独占欲)を自覚したのではないか。
恋愛小説において、これ以上ないほど王道の、完璧なフラグの回収だ。
話の流れも見事に整合性が取れている。いよいよこの物語も、育成パートを終えて本格的な恋愛(ロマンス)パートに突入するのだ。私は自分の立てた仮説に、絶対の確信を持ち始めていた。
「エスピン、私は……」
そこまで言って、ハリソンはふっと言葉を切った。
(何よ! どうしてそこで止まるの!?)
『焦らさないで早く続きを言って!』と叫びたい衝動を必死に抑え、私は唾を飲み込んで彼の次の言葉を待った。
静まり返った厨房に、じれったい沈黙が流れる。
そして、意を決したようにハリソンが口を開いた。
「エスピンは……さっきの彼、ケイド公爵家のご子息のことが、気になっているのですか?」
(ほら、やっぱりーー!! 私の予想は100%的中してたわ!!)
胸の中で勝利の咆哮を上げつつも、私はかろうじて冷静な表情を保った。
(はあ……さすがヒロインの人生、波瀾万丈ね)
少し疲れるけれど、どこか刺激的で、同時に猛烈に頭が痛くなる展開だ。
これまで私は、ハリソンを恋愛対象として完全に除外してきた。彼のことが嫌いだったわけではない。ただ、彼からそのような男としての熱い気配を、これまでの5年間で一度も感じたことがなかったからだ。私は「自分を好きでもない人に無駄に執着する」という不毛な行為が一番嫌いだった。だからこそ、ハリソンのことは最初からノーカウントだったのだ。
(もし、このまま本当に告白されたら、私はどう応えればいいのかしら……)
「エスピン?」
考え込みすぎて無言になっていた私を、ハリソンが心配そうに覗き込んできた。
ひとまず、彼の誤解を解くために話を軌道修正することにした。
「ねえ、どうして私がデミアンのことを気にしてるなんて、そんな勘違いをしたの?」
「勘違い……ですか?」
「そうよ。食堂に一緒に入ってきたから驚いたかもしれないけれど、あの人とは今日がまだ人生で二度目に会っただけなのよ?」
「ですが、エスピンはこれまで、自分から特定の異性に興味や関心を示したことが一度もありませんでしたから」
「私が?」
「ええ。エスピンは、とてもはっきりと心の境界線を引く人です。ご自身が認めた親しい相手と、それ以外の人間では、接し方の温度差が全然違う」
言われてみれば、確かに前世の癖で、どうでもいい人間は完全にシャットアウトする傾向はある。
「それに、あの方は誰の目から見ても驚くほどの美男子です。エスピンも年頃の女性ですから、多少なりとも殿方として意識されたのではないかと、そう思ったのです」
デミアンが国宝級の美形であることは認めざるを得ない。実際、あの美しい水の魔法を見た瞬間、一瞬だけ(この人と結婚したら魔道具作ってもらい放題で幸せかも)という不純な動機が頭をよぎったのも事実だ。
けれど、別れ際の彼のあの執着に満ちた態度を思い出すと、どうしても引っかかるものがある。彼は明らかに何か意図を持って私に近づいてきている。そんな「黒幕」としての裏の顔を持つ相手を、私が何の疑いもなく受け入れるわけがない。
(まあ、公爵家の息子だから政治的に色々あるのかもしれないけれど。ああいう冷たそうな氷の美男子って、周囲の女性が放っておかないから、ハリソンも心配したのかしらね)
「よく分からないわ」
「分からない……ですか?」
「ええ。ルチが毎日毎日、壊れたオーディオみたいに『新しい友達を作れ』ってうるさく言うから、たまたま出会った彼をただ招待しただけよ。政治的な意図なんてこれっぽっちもないわ」
私のあまりにも緊張感のない、くだらない理由を聞いた瞬間、ハリソンの端正な顔に「そんな理由で……!?」という驚愕の表情が浮かんだ。そして、何かを頭の中で猛スピードで計算し始めたのか、彼の表情がくるくると忙しなく変わり始める。
(ああ、やっぱりこの後、満を持して告白するつもりなのね? どうしよう、受けるべき? それとも原作のルートを守るべき!?)
私は内心で千々に乱れながらも、いつでも彼の熱い言葉を受け止める準備をして、複雑な笑みを浮かべて彼を見つめた。
「……安心しました」
ハリソンは、心底嬉しそうに、そして憑き物が落ちたような晴れやかな笑みを浮かべた。
その明るい表情は、どこからどう見ても、重大な心配事が一つ消え去った人間のそれだった。
「え? 何が安心したの?」
早く本音を言いなさいと促すと、ハリソンはにこりと微笑み、どこまでも穏やかな口調で答えた。
「――これからも、これまで通りの関係でいられますから」
本当に、肩の荷が下りたというような、清々しい表情だった。
……。
……あれ?
ちょっと待って。今って、自分の恋心を自覚した男が、ライバルの出現に焦って告白に踏み切る、あの最高潮の盛り上がりの場面じゃなかったの?
「……。ねえ、他に私に、何か言いたいことはないの?」
ハリソンは不思議そうに、大きな頭を小さく傾げた。
「他に、ですか? 一体何のことでしょう?」
彼の澄んだ瞳は、ものすごい勢いでパチパチと泳いでいた。本当に、私の意図をミリ単位も理解していない、100%純粋な「きょとん顔」だった。どうやら彼は、私への告白なんてこれっぽっちも考えていなかったらしい。ただ純粋に、お嬢様に悪い虫(デミアン)がついて、これまでの平穏な主従関係が壊れるのを心配していただけだったのだ。
「…………」
まただ。
一晩のうちに、私は二度も盛大に勘違いのキムチスープを吹き出す羽目になった。
デミアンの時も、ルチの時も、そしてこのハリソンの時も――誰一人として、私の思った通りのまともな恋愛話に進展しない。この世界の男たちは一体どうなっているのよ。
夜が明ける頃、私は完全に悟りを開いた。私には、このロマンスファンタジーの世界における恋愛運など、爪の先ほども残されていないのだ、と。
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・
・
「男なんて、もうどうでもいいわ!」
だからこそ私は、裏切ることもなく、ただそこに存在するだけで私を100%幸せにしてくれる「物」――すなわち、魔法道具にだけ全神経を集中させることにした。
目の前で美しく様々な光を放つ魔道具たちは、ただ眺めているだけでも荒んだ私の心を極上に癒やしてくれる。
「ああ、なんて素晴らしいのかしら……。いい目の保養だわ」
(そう、これこそが本当の、至高の幸せよ!)
男なんていなくたって生きていける。お金と、この輝くコレクションさえあれば、私の人生は完全に満たされているのだから。
「ピヨピヨ!」
私の膝の上で、黄金も私のその高尚な哲学に賛同するように激しく鳴いた。
「さすが黄金、あなたにはこの価値が分かるのね。でもね、これは私のお宝だから、絶対にあなたにはあげないわよ?」
「ピィーッ!」
黄金の悲しげな抗議の鳴き声を優雅に聞き流しながら、私は机の上に並べた魔法道具だけを愛おしげに見つめていた。特に、今回の誕生日で新たに増えた三つの指輪が、私のコレクションの格を底上げし、幸福感を限界突破させてくれる。
「お嬢様、もうそのくらいになさってくださいな」
呆れた乳母(ユモ)の声が降ってきた。
「見ているだけで、脳内麻薬が分泌されるくらい幸せなんですもの」
「それは分かりますけれど。お嬢様、今日の午前中、ずーーっとそればかりを眺めておいでなのを自覚していらっしゃいますか?」
「えっ? ……嘘、もうお昼なの!?」
本当に時間を忘れてトランス状態で見入っていたらしい。さすがに今日の鑑賞会はここまでにして、午後の予定をこなすことにした。
「ここ数日、毎朝毎朝その調子ですもの。アガー様は本当に、魔法道具のことになると我を忘れてしまいますね」
「だって、見ているだけでも最高にワクワクするんだから仕方ないじゃない」
私は高級なセーム革の布で、指紋がつかないよう丁寧に一つひとつ魔道具を拭き上げ、特製の保管箱へとしまっていった。この保管箱自体が一流の魔法道具であり、厳重な防犯用のセキュリティ魔法がかけられている。だからこそ、この国家予算級の高価な品々も安心して我が家に置いておけるのだ。
最後に、机の上に三つの指輪が残った。
どれも今回の誕生日で、父、ルチ、デミアンからそれぞれ贈られた極上の品だ。どれを今日の主役に選ぶべきか決められず、私は三つの指輪を前にして真剣に頭を悩ませていた。ここ数日、日替わりで着け替えてみても、毎日同じようにどれをレギュラーにするか決めきれなかったのだ。
「お嬢様」
「なぁに、ユモ。私は今、人生の重大な選択を迫られているのよ」
「お嬢様の手は二つございます。そして指は、両手合わせて十本ございますよ」
「……!」
私が悩んでいる本質的な理由を察したユモが、コロンブスの卵のような、実に素晴らしい名案を教えてくれた。
私は感動のあまり目を見開き、三つの指輪をすべて手元に残して、保管箱の蓋をパタンと閉じた。
「ユモ! そんな大事な解決策があるなら、どうして今まで教えてくれなかったのよ!」
私が毎日どれだけ指の選択肢に頭を悩ませていたか知っていたくせに。
「いや、そんな当たり前の構造に、どうして私自身今まで気づかなかったのかしら?」
そうだ、視野が狭くなっていた私が全面的に悪かったのだ。私は一生かかっても、この冷静沈着なユモには勝てそうにない。
私は急いで、右手にはルチとデミアンから贈られた指輪を、左手にはお父様から贈られた指輪を贅沢にはめ込んだ。
両手でそれぞれ異なる輝きを放つ指輪を見つめていると、自然と口元がだらしなく緩んでしまう。やっぱり、新しいお宝は周囲に見せびらかして、自慢してこそ真の価値が生まれるというものだ。
「ユモ、私、ちょっと出かけてくるわ!」
「どちらへ行かれるのですか?」
立ち上がった私に、ユモが素早く疑いの眼差しを向けてきた。
「ちょっとそこまでよ」
「お嬢様の仰る『ちょっとそこまで』で、何事も起きなかった試しがございません」
「大丈夫よ、今回は本当にただのお散歩だから!」
ユモは完全に信用していない目で私をじっと見つめ、大きくため息をついた。
「分かりました。くれぐれも、問題だけは起こさないでくださいね」
『気をつけて行ってらっしゃい』ではなく、『問題を起こすな』とは、随分な挨拶だ。
「もう、私を子供扱いしないで。私はこれでも16歳、立派なレディよ?」
「お嬢様に関しては、子供の頃よりも、大人になってからの方が遥かに大きな問題(やらかし)を起こされますから」
ユモの言葉には、冗談ではなく本気で胃を痛めているようなリアルな心配が滲んでいた。
「とにかく、行ってきます!」
「ピヨッ!」
お留守番を察知した黄金が、慌てて私の肩へと飛び乗ってきた。
「本当に、一体どちらへ行かれるのですか?」
「美味しいものを、お腹いっぱい食べに行くのよ!」
ユモがこれ以上、終わりのない小言を始める前に、私は自室を疾風のように飛び出して、あらかじめ待機させていた馬車へと飛び乗った。
「ビリー! お願い、今すぐ馬車を出して! ユモが追いかけてくるわ! 私を部屋に連れ戻してお説教しようとしてるの! 助けて!」
行き先すら告げずに大慌てで指示を出す私を見て、御者のビリーは御者台の上で笑いを堪えるように肩を震わせていた。
ちなみにこのビリー、ここ最近ですっかり私の熱狂的な味方(共犯者)になってくれている。いつも一番近くで私の行動を見ていくうちに、私が「普通の貴族令嬢とは根本的に何かが違う」ということに気づいたらしい。私の突飛な行動に半信半疑ではありつつも、彼はいつも私の味方をしてくれる頼もしい存在だ。
「かしこまりました、お嬢様。お任せください」
馬車が小気味よい音を立てて動き出すと、私はようやく追手から逃げ切った安心感で大きなため息をつき、ふかふかの背もたれに深く身を預けた。
その時、私を追って玄関先まで走ってきたユモが、遠ざかる馬車に向かって声を張り上げた。
「お嬢様――!! 本当にお気をつけてくださいね! もし今回も何か仕出かしたら、本当にただでは済みませんからねーー!?」
もはやお見送りではなく、完全なる脅迫文句だった。
「分かってるわよーー!」
私は馬車の窓から顔を半分出して、負けじと叫び返した。
まったく、ユモもみんなも大げさなんだから!
まるで私が、行く先々でいつも事件や問題ばかりを起こしているトラブルメーカーみたいな言い方をして!
私はただ、普通の令嬢よりほんの少しだけ元気に、自分の人生をアグレッシブに楽しんでいるだけなのに、どうしてみんな口を揃えて私を「問題児」扱いするのかしら。本当に心外だわ、と私は指先で輝く三つの魔道具を愛おしそうに撫でながら、これからの美味しい計画に胸を膨らませるのだった。
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ハリソンとの夜の邂逅と、予想外の「悪夢の過去」
デミアンとルチの言動で眠れないエスピンは、深夜の庭でハリソンと遭遇し、厨房ではちみつミルクを作ります。そこでハリソンから、5年前の療養中に毎晩剣で斬られる悪夢に苦しんでいたこと、そしてエスピンのミルクだけが救いだったという衝撃の事実を明かされます。
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「ヒロイン補正」の勘違いと、盛大な空振り
ハリソンからの熱い感謝の言葉やデミアンへの牽制に、エスピンは「ついに原作の恋愛(告白)パートが来た!」と確信します。しかし、ハリソンの真意は「これまでの平穏な主従(友人)関係が維持できて安心した」というだけであり、エスピンはまたしても猛烈に空振る結果となりました。
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男より魔道具!指輪の総取りとユモからの逃亡
自分の恋愛運のなさを悟ったエスピンは、男を諦め大好きな魔法道具(計20個)への愛を再確認します。誕生日にもらった3つの指輪を両手にすべてはめるというユモの名案を採用してご機嫌になり、ユモの小言や「問題児」扱いを振り切って、金ちゃんと共に馬車で街へと繰り出します。