こんにちは、ちゃむです。
「余命わずかな赤ちゃん薬師は天才なのを隠さない」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
40話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 神仙の如き黄金の水流
くだらないことばかり言う連中を黙らせるのは簡単だ。自分の実力が本物であることを、圧倒的な結果で証明して見せればいい。
しばらくして、騒ぎを聞きつけた野次馬たちが、津波のように診療所の周りへ押し寄せてきた。
すべては、私がこの日のために赤龍商会の会長、ジョク・ユンハに頼んで整えてもらった最高の舞台だ。
(わあ、我ながらなんて面白い見世物かしら。こんな傑作、みんなで見なきゃ損だものね)
市場で絶大な影響力を持つユンハが、あらかじめあちこちに噂を広めておいてくれたおかげで、観客の数は膨れ上がっていた。
「な、何を企んでいる……!」
怯える医師フェイマンを無視し、私は目の前に連れてこられた新しい患者たちへ視線を向けた。
(……ホームレスの人たちかな?)
ボロボロの服をまとい、長い間体を洗うこともできず、冷たい路地裏にうずくまっていた――そんな風貌の人たちだった。この華やかな街の影には、貧しさゆえに医療の恩恵を一切受けられない人々が、確かに存在している。
ちなみに、その患者たちを連れてきたのは私ではない。
後から一切の疑いの余地を残さないよう、私はフェイマン自身に患者を連れてくるよう要求したのだ。逃げ出せないよう、お父様には「風の結界」で見張ってもらっていたため、フェイマンの弟子たちが大急ぎで連れてきたのが彼らだった。
「最低な連中ね」
患者たちをまるで罪人のように縄で縛って連れてきた弟子の姿に、胸の奥から激しい怒りが込み上げた。けれど、この後の劇的な展開のためにも、今はぐっと我慢するしかなかった。
こうして、私たちの前には五人の患者が集められた。
「自分たちで選んで連れてきた患者だ。まさか、今さら不満はないよね?」
フェイマンはここまで事態が大きくなるとは予想していなかったのか、額に冷や汗を浮かべて動揺を隠せない。それでも私と目が合うと、自尊心を保つように虚勢を張って笑ってみせた。
「ふん! お前のような小賢しい詐欺師の化けの皮が、大衆の目の前で剥がれる瞬間が楽しみだ!」
追い詰められながらも、彼は途中で逃げ出す選択をしなかった。
(中級医員にまで上り詰めたんだもの。今さら子供相手に敵前逃亡なんて、その肥大化したプライドが許さないのよね)
何かがおかしい、罠にはめられていると本能で察していながらも、彼はもう後戻りできないところまで来ていた。
上へ行けば行くほど、こういう人間は多い。自分は絶対に間違っていないと盲信し、自らの傲慢さゆえに最後は自滅していく――そんな人間を、私は前世で嫌というほど見てきた。
(さあ、次はあなたの番よ)
私は心の中で冷酷に口元を歪めた。
「それじゃあ、あなたも一緒に治療して見せてよ」
「……っ」
「え? もしかして怖気づいちゃった?」
私はくすりと笑った。その自信満々な顔が、これからどう絶望に染まっていくのか、じっくり見せてもらうとしよう。
***
フェイマンの心臓は、警鐘を鳴らすように激しく脈打っていた。
(こんなはずではなかった……何が起きているのだ?)
東方出身の伝説的な医師を師に持つフェイマンは、若い頃から「腕の立つ若手医師」としてその名を知られていた。彼の師は、「侵襲治療の大家」と呼ばれる、業界でも一目置かれる存在だった。
フェイマンもその下で死に物狂いで学び、師の足元にも及ばないながらも、人並み以上の実力を身につけて独立した。その頃の彼の腕前は、確かに本物だった。
だが、彼の輝かしい全盛期はそこで止まっていた。
フェイマン自身、薄々勘づいてはいたのだ。自分の実力は、医療の届かない田舎や地方都市で、かろうじて「名医」とちやほやされるレベルに過ぎないということを。
中級医員の資格を得られたのも、純粋な実力というよりは、偏に「運」が良かったからだ。
正確には、ある寂れた村で、人生最大の大金星となる人脈を掴んだおかげだった。
彼が偶然命を救った高位貴族――それは、帝国の八大名家の一つである、あの「シニオン家」の人間だった。
『腕というものは、放っておけばすぐに鈍る。修練を怠るな。たとえお前がいつか「医仙」と呼ばれるようになっても、それは同じだ』
かつて恩師がくれた忠告など、今のフェイマンの耳にはもう届かなかった。
それ以降は、血の滲むような努力をせずとも、「シニオン家との繋がり」を示すだけで、財産も名声も、そして医師としての権威も、向こうから勝手に転がり込んできたからだ。
患者たちは、治療に多少の問題があろうが、処方された薬が体に合わなかろうが、「シニオン家お抱えの医師」というブランドを盲信し、ひれ伏した。
そんなフェイマンがこの「黒林」へやってきたのは、八年前のこと。
この地にシニオン家の裏の拠点を構え、根を張れという秘密の指令を受けたからだった。
いつかシニオン家のために役立つ日が来ると信じ、地道に地域での名声を積み上げてきた。そして、ようやく巡ってきた千載一遇の機会だったというのに!
『簡単な雑務を片付けるだけでいいと言われたはずだ……!』
シニオン家から派遣された上級騎士は、ただ「カニンの頼みを聞いてやってくれ」とだけ告げた。カニンもまた、「世間知らずの生意気な幼い医師を、少し痛い目に遭わせて脅すだけでいい」と言っていたはずなのだ。
『師匠……様子がおかしいです。カニンからの連絡が完全に途絶えました』
弟子が青ざめた顔で囁く。
フェイマン自身、初めて「ホク・ビユ」という幼い少女を見た瞬間から、得体の知れない異変を感じていた。
ふざけたような偽名。だが、黒家の領域で「ホク(黒)」の姓を堂々と名乗るなど――。
それは、黒家からの明確なメッセージに他ならなかった。
さらに、少女の隣に佇むフードを被った武人は、どう見ても黒家の本流に連なる規格外の強者だった。
その時になって初めて、フェイマンは悟ったのだ。シニオン家の騎士もカニンも、自分に肝心な情報を与えないまま、厄介な怪物の前に生贄として放り出したのだと。
しかし、気づいた時にはもう手遅れだった。
彼はすでに、権力に甘んじた温くて安穏な生活に慣れきってしまっていた。まともな危機管理能力は摩耗し、技術を磨くことを怠ったその腕は鈍り、かつて一世を風靡した鍼術の技など、とうの昔に失われていた。
師の威光を信じてついてきていた若い弟子たちの目にも、いつしか「本当にこの人は名医なのか?」という疑念の光が宿り始めている。
今のフェイマンには、ビユの処方した薬の「本質」を見抜く実力など、欠片も残っていなかった。
これまで問題にならなかったのは、ただ彼を保護するシニオン家という盾があまりにも強大だったからに過ぎない。
だが、彼は知らなかったのだ。
誰もその綻びを問題視しないうちは、確かに世界は平和だ。
しかし、一度「本物の専門家」によって綻びを暴かれ始めれば、どれほど強固に見える権威の塔であっても、一瞬で瓦解するということを。
まさに今が、その破滅の瞬間だった。
「どうしたの? 断るつもり?」
冷たい汗が、フェイマンの背中をだらだらと伝い落ちる。
本来なら、あの小娘は自分の「中級医員」という肩書きに怯え、泣いて許しを請うはずだった。たとえ上手くいかなくとも、カニンの配下やシニオン家の高位騎士たちが乱入し、物理的に診療所を潰して自分を助けてくれるはずだったのに……!
なぜだ? どうして誰も助けに来ない!?
(来ると言ったではないか! 確実に仕留めると言ったはずだろ! くそっ、使えない役立たずどもめ……!!)
フェイマンは救いを求めるようにきょろきょろと周囲を見回した。
大勢の群衆が、固唾をのんで彼の一挙手一投足を見守っている。まだ彼の「国家公認」という肩書きを信じている者が半分。
弟子たちも違和感を覚えつつも、まだ「まさか師匠が負けるはずがない」と自分に言い聞かせている状態だ。
――ここで逃げ出したら?
冷や汗が首筋を濡らす。
(すべてを失う。私の地位も、名誉も、シニオン家からの信頼も……!)
もはや退路は断たれていた。彼は壊れそうなほどに奥歯を噛み締め、拳を握りしめた。
「ふ、ふん! 誰が逃げると言った! お前こそ、後ろ盾の黒家の武力を笠に着て、好き勝手に吠えるなよ!」
「ふーん。私のこと『お父さん』って呼んだのが聞こえたはずだけど、おじさん耳が悪いの?」
「な、何だと……っ」
「まあ、もういいよ。あなたが勝っても、私は言い訳一つしないから」
幼い医師、ビユは、にやりと不敵に笑った。
その細められた黒い瞳には、三歳の幼児のものとは到底思えない、深淵のような鋭い理知の光が宿っていた。
その瞬間、雲の隙間から、ステージのようになった中央の広場へ一本の光が差し込んだ。
「私たちは、正々堂々と勝負するだけよ」
極限の緊張状態にあったフェイマンは、その言葉の意味を正しく理解していなかった。ただ、あのフードを被った凶悪な武人――恐らく黒家当主「黒飛侯」本人と思われる男――が、これ以上前に出てこないという事実だけに、安堵のため息を漏らしていた。
(どうせ、医療の知識勝負で私が負けるはずがないのだ!)
弟子が連れてきた五人の患者は、全員が共通の症状を示していた。全身を覆う禍々しい赤黒い発疹。それを見た観客の何人かは、嫌悪感から思わず顔をしかめて後ずさりする。
これらは、あらかじめ用意されていた「仕込み」の患者たちだった。
事前の打ち合わせの際、カニンはフェイマンに邪悪な笑みを浮かべてこう提案していたのだ。
『もしあの生意気な小娘が、予想以上の実力者だった場合に備えて、確実に我々が勝てる保険が必要だと思いませんか? もちろん、フェイマン先生の実力を疑うわけではありませんが……確実に、ね』
カニンたちは、自分たちが用意したホームレスたちに、事前に特殊な「毒」を服用させておいたのだ。それは、摂取してから一定時間後に皮膚に激しい発疹が現れ、最終的に何の毒で死んだのかさえ完璧に偽装できる、極めて陰湿な毒だった。
『もちろん、あの家畜(ホームレス)どもは、自分が何を飲まされたかなど知る由もありませんがね。ククク……』
その毒を盛る役を担当したのは、他ならぬフェイマンの直属の弟子たちだった。つまり、この場にいる彼らは全員が殺人未遂の共犯者なのだ。
(その毒は、解毒剤がなければ確実に死に至る猛毒だった)
つまり、集められた五人の患者たちは、この勝負の結末がどうあれ、どのみち死ぬ運命に調教されていた。
罪なき人々を無理やり担ぎ上げ、幼い医師に治療させた直後に毒殺し、「あのガキが毒薬を処方して患者を殺した!」と濡れ衣を着せて社会的・物理的に抹殺する――それがカニンの描いた筋書きだった。
しかし、その計画の首謀者であるカニンは現れず、後ろ盾となるシニオン家の騎士たちも姿を見せない。
「さて、先生方。準備はよろしいかしら?」
進行役を務める赤龍商会のジョク・ユンハが、妖艶な笑みを浮かべて一同を見渡した。彼女は極めて優秀なビジネスマンらしく、より多くの見物人にこの「勝負」が克明に見えるよう、様々な最高級の薬材をステージのすぐ脇に整然と並べさせていた。
人々が幾重にも取り囲む円の中心。
そこには五人の患者と、ちっぽけな東洋の少女ホク・ビユ、背後に佇むお父様、そして顔色を失ったフェイマンが立っていた。
「私から始めるね」
お父様の温かい腕からトントンと地面に降り立った私は、小さなおててをひらひらと振った。
フェイマンは驚愕に目を見開く。
「同じ病気の患者さんたちだよね? じゃあ、五人のうち、そっちの三人は私が治療する」
返事を待つこともなく、私は胸の前で、パンッ! と可愛らしく手を打ち鳴らした。
その乾いた小さな音が響き渡った瞬間――
ゴオオオオッ!!!
ステージの中央に、視界を遮るほどの巨大な水の波が巻き起こった。
私の得意とする、魔力を介した液状処方の極意。
その波は、ビロードのように柔らかでありながらも、龍の如く荒々しい曲線を描き、三人の患者たちの体を優しく包み込んだ。
急に水に包まれた患者たちは、溺れることもなく、驚きに目を見開いている。
「驚かないで。ただの診察だからね」
フェイマンの目は、今度こそ裂けんばかりに見開かれた。
(な、なんだこれは……!? 水属性の治癒魔術……いや、それどころではない!)
彼はこれまで、帝国中の名だたる治癒能力者を見てきた。だが、これほどまでに濃密で、完璧に制御された膨大な魔力の奔流を目にしたことはただの一度もない。
自然系能力者において、その「規模」と「緻密さ」は、すなわち絶対的な実力の証。
三人の患者は、巨大な水の球体の中に心地よさそうに浮かんでいる。それはまるで、穏やかな母なる海に抱かれているかのようだった。
まるで人形のように愛らしい、左右にお団子を結んだ三歳の少女。彼女は無表情のまま、その美しい水流をじっと見つめていた。
その大きな瞳が一瞬だけ細められ、次の瞬間、黄金色の鋭い神光を宿す。
「えっ……何これ、綺麗……」
観客の何人かが、そのあまりに神秘的な姿に「可愛い」「妖精のようだ」とため息を漏らしたが、私はそんな雑音など意識の端にも留めない。
私の背後で、意思を持つかのように水流が激しくのたうった。
シュッ――シュッ――!
かつてない速度で旋回する水流が、脇に置かれた最高級の薬材を、次から次へと正確無比に飲み込んでいく。
最初は薬草の葉緑素で鮮やかな緑色に染まった水流が、一瞬にして深い青色へと変わり、再び患者の元へ還る頃には、神秘的な金色にきらめいていた。
まるで神仙の住まう至高の領域に迷い込んだかのような、息をのむほどに美しい光景。見物人たちは誰もが言葉を失い、ただその奇跡に見入っていた。
「薬を……調合する速度が……あり得ん……」
フェイマンは呆然と口を開け、顎が外れそうなほど硬直していた。
彼はこれまでの長い医師人生で、数多くの天才たちを見てきた。その中には、到底自分では足元にも及ばない高位の能力者もいた。自然系の治癒魔術を用いて、その場で薬を作り出す特殊な医師たちも知っている。
だが、その誰一人として――。
これほどの圧倒的な速度で、しかも寸分の狂いもなく、三人分もの高度な薬を同時に生成できる者など存在しなかった。
(業界で『神速』と謳われた最上級医師ですら、一度に処方できるのは二人分が限界だったというのに……!)
目の前の幼児が示す力は、同じ医療の道を志す者として、本能的な「恐怖」を抱かせるに十分すぎるものだった。
規格外の天才。いや、果たしてそんな安っぽい言葉だけで、この怪物を片付けてしまってよいのだろうか。
気づけば、フェイマンの両手は生まれたての小鹿のように小刻みに震えていた。
この化け物のせいで、自分がこれまで血と嘘で築き上げてきたすべてが、砂の城のように崩れ去る。その絶対的な恐怖が、彼の精神を真っ黒に塗りつぶしていく。
圧倒的な現実が目の前に突きつけられ、フェイマンの脳内は「逃げ出したい」という卑屈な衝動で一杯になっていた。
やがて、役目を終えた金色の水流が静かに霧霧となって消え去り、三人の患者たちの口元へと、完璧に調合された薬液が届けられた。
「はい、お薬だよ。治療するだけだから、難しい説明は省くね。おじさんたち、全身が引き裂かれそうに痒くて、喉も呼吸ができないくらい腫れて、すごく苦しかったでしょ?」
「え、あ……う、いや、その、はい……!」
私はにっこりと、ひまわりが咲くような愛らしい笑顔を向けた。
その無垢な天使のような微笑みに、それまで死を覚悟して怯えていた患者たちの強張った表情が、ふっと和らぐ。彼らは一瞬の躊躇もなく、私から差し出された金色の薬液を飲み干した。
すると、奇跡は劇的に訪れた。
薬が彼らの喉を通った直後から、見る見るうちに全身の不気味な発疹が、まるで最初から存在しなかったかのように、サーッと引いて消えていったのだ。
カニンは、視覚的な効果を高めるために、あらかじめ症状が最も重く見える患者(仕込み)をわざわざ選んで連れてこさせていた。
「ビフォー・アフター」の差が劇的であればあるほど、治療の失敗が際立つと考えたからだ。
そしてこの瞬間、その悪知恵は、彼らにとって文字通りの「墓穴」となった。
「な、なんということだ……!」
「皮膚の腫れが、一瞬で消えていくぞ!」
「発疹が……完全に消えた!」
「奇跡だ! 本物の奇跡だ!!」
「天才医師様は、本物の神仙の申し子だったんだ!!」
「おおおおおおおっ!!!」
群衆から、地を震わせるような割れんばかりの歓声が沸き起こった。
病がこれ以上ないほど美しく完治したことは、医学の知識がない素人の目にも一目瞭然だった。誰一人として、この結果に疑いを持つ者などいなかった。
「ビユ先生、万歳!」
「どうか末永く、この黒林にいてください!」
「私は最初から、あの先生が本物だと信じていましたとも!」
四方八方から、嵐のような称賛と歓声が降るように注がれる中――。
フェイマンは、ただ泥人形のように硬直していた。
(どうしよう……どうすればいい……!?)
彼の人生の中で、これほどまでに背中が冷や汗でぐっしょりと濡れたことがあっただろうか。
帝国の高貴な爵位を持つ貴族を治療した日も、中級医員の免許を手にし、世界を手に入れたと錯覚した日も、これほど全身がガタガタと震えたことはなかった。
次は、いよいよ彼の番だった。
残された二人の患者が、すがるような、そして期待に満ちた瞳でフェイマンを見つめている。
先ほどの仲間たちと同じように、自分たちのこの地獄のような苦しみも、この偉い先生なら一瞬で治してくれるはずだ――そんな、無垢で純粋な眼差しだった。
フェイマンは、この無謀な勝負を受け入れた過去の自分を、今すぐ八つ裂きにしてやりたい衝動に駆られていた。
(くそっ……くそおおおっ!!)
最初から気づくべきだったのだ。あの子供が、自分の常識など一切通用しない異次元の存在だったということに。
(どうすればいい? 今から逃げ出すことはできないのか!?)
フェイマンは、その時になってようやく、自分が退路を完全に断たれたネズミ捕りの中のネズミであることに気づいた。
「私の治療は、これで終わり。ねえ、私の薬が偽物だって言う『証拠』は、いつ出してくれるの?」
そう言って、私はくるりと彼の方へ振り返った。
ちっぽけな三歳の体に、左右で結んだ愛らしいお団子頭。
外見だけを見れば、どこにでもいる、ただの可愛い幼子だ。
だが、フェイマンの目には、自分の膝丈ほどしかないその幼女が、深い霧の立ち込める山中で不意に遭遇した、一瞬で自分を噛み殺す巨大な猛獣のように映っていた。
底の知れない圧倒的な医療魔力。
自分の貧困な知識では、その構成すら理解できない神の薬。
(なぜ、あんな子供が……これほどの力を……!?)
フェイマンの奥歯が、カチカチと恐怖で悲鳴を上げる。
「……でも、おかしいなぁ?」
嵐のような拍手と歓声が渦巻く中でも、私の澄んだ、よく通る声だけは、人々の鼓膜へ不思議と明瞭に響き渡った。
「その、残された二人の患者さんたち……」
その瞬間、フェイマンの脳裏に、すべての計画の破綻を告げる鐘が鳴り響いた。
破滅は、もう目の前まで迫っていたのではない。彼は、とっくに奈落の底へと転落していたのだ。
「どうして、あらかじめ『毒』なんて飲ませておいたの?」
気づくには、あまりにも遅すぎたのだ。
「まったく、あの馬鹿どもめ」
私は心の中で盛大に舌打ちをした。
カニンの連中が用意した患者なのだから、何かしらの姑息な企みがあるだろうとは予測していた。
(患者と医者が全員最初からグルで、わざと大げさに騒いでいるとか、ね)
だが、実際に診察して判明したのは、私の想像を遥かに超えた最悪の展開だった。
(罪のない、助けを求めている患者を、自分たちの醜い利権とプライドのために、毒殺用の道具として利用するなんて)
いっそ、患者全員がカニンの狂信的な手下で、私と共倒れになる覚悟で挑んできたというのなら、まだ理解できた。
だが、この口の中に広がる泥のような苦さは、何だ。
フェイマンが犯した罪は、私が医師として、薬剤師として、最も激しく憎悪する行為だった。
医師としての安っぽい自尊心や優越感、権力を誇示するために、患者の「命」をただの使い捨ての道具として利用すること。
そんな外道に、一体何の誇りがあるというのだろう。
私たち医師や薬剤師の存在意義は、ただ一つ。目の前の「人を治す」ことだ。
その証拠に、三度の人生の中で、生き延びるためにあらゆる汚い手段を用いてきたこの私でさえ、自分のプライドのために患者の命を秤にかけたことは、ただの一度だってない。
なのに――。
(……本当に腹が立つわね)
私は小さな拳を、ぎゅっと壊れそうなほど強く握りしめた。
私のこのちっぽけなおててで彼を殴ったところで、大した痛痒も与えられないだろう。
本当に、滅びてしまえばいいのに。この医療界のクズ野郎。
どうして、こんな罪のない人々に、あんな悪質な遅効性の毒を盛るなんて真似ができるのよ。
「……ビユ、大丈夫か?」
頭上から、ふわりと温かい風が降りてきた。お父様だ。
「顔色が悪い。やはり、一度に魔力を使いすぎたのではないか?」
私はその過保護な心配に、ふっと自嘲気味に微笑んだ。
「まさか。これくらいで、私がへばるわけないじゃない……」
午前中に少し外来の患者さんを診て、今ようやく三人治療しただけだ。
「私、前世では村一つ丸ごと、私一人で治療したことだってあるんだからね……」
そう、かつて一ヶ月にわたり、村全体に蔓延した凄惨な伝染病を、ただ一人で治療し続けたことがあった。
あの時は、私も本当に命を落とす覚悟で、不眠不休で治療に臨んだのだ。
貧しい貧民たちが寄り添って暮らすスラムのような村だったから、帝国のどんな名医も、伝染病への感染を恐れて近づこうとさえしなかった、見捨てられた場所。
それでも、私がなぜそこへ行ったのかといえば。
あの頃の私は、ただ、世界に「証明」したかったのだ。
私は、世間で噂されているような冷酷なホク家の魔女でも、災いをもたらす化け物でもないということを。
けれど、いざ治療が始まってしまえば、そんなくだらない承認欲求などすべて忘れ、ただ目の前の命を救うことだけに、魂を注ぎ込んでいた。
全盛期の私なら、一つの村――百世帯以上の患者を同時に管理することだってできた。
この程度の勝負、私にとっては準備運動にもならない。
(問題は、この三歳の頼りない幼い肉体だけね)
大丈夫だと言ったのに、お父様の深い瞳は、心配そうにずっと私から離れなかった。まるで、一流の医師が極めて重篤な患者を注意深く観察するような、そんな真剣な眼差しで。
(……私の独り言、お父様に聞こえちゃったのかな?)
お父様の視線があまりにも真剣で、くすぐったくて、私はなんとなく照れくさくなって人差し指で自分の頬をポリポリとかいた。
「痛むところがないなら、それでいい」
「うん、全然平気。これくらいでへばってたら、世界一の医師なんて務まらないもん」
「まだ、正式な資格すら持っていないだろう?」
お父様の珍しい冗談に、私も負けじと大きく頷いてみせた。
――そう、私は私自身に誓ったのだ。
「もうすぐ、皇室から最高位の医師資格を持ってこいって、向こうから泣きついてくるようになるんだから。見ててね」
今世でも、あの最高峰の栄誉は、必ず私の手の中へ収まるはずだ。
お父様は私の大きな口に、思わず低く吹き出した。
「ふっ……ずいぶんと大きく出たな、我が娘ながら」
「当然でしょ!」
まだ国家公認の紙切れ一枚持っていないけれど、私もお父様を見上げてにやりと笑い返した。
背後では、群衆の歓声がまだ地鳴りのように響いている。
私は、少し前に自分が口にした言葉を、もう一度冷ややかに思い返した。
「どうして、患者に毒なんて飲ませたの?」
――うん、やっぱり、私の診断は一ミリも間違っていなかった。
「う、あ……あ、ああ……」
当然、私の至近距離にいたフェイマンには、私の小さな呟きがはっきりと聞こえていた。
みるみるうちに顔面が死人のように真っ青になり、ガタガタと全身を震わせ始めたのが、その動かぬ証拠だった。
嵐のような歓声が、潮が引くように少しずつ収まり始めていく。
まだ呆然と立ち尽くしている私のもとへ、お父様が静かに一歩を踏み出し、私の小さな肩に手を置いた。
「先生」
……お父様の口から出た聞き慣れない響きに、私は思わず目をパチパチと瞬かせた。
(え? 今……なんて言ったの、お父様?)
フードを被ったお父様の圧倒的な存在感に加え、その低くよく通る声は、広場全体の静寂を支配した。自然と、すべての観客の視線がお父様へと集中する。
いつの間にか、この場にいる誰よりも強大な主役となっていたお父様は、私を見つめ、フードの奥で優しく口元を緩めた。
私は息をのむ。
(……お父様、そんなふうに、柔らかく笑うこともできるんだね)
どう見ても、私のためにわざと作ってくれた、おどけたような笑顔。
だけど、その眼差しは――。
『お前が生きていてくれて、私は幸せだ』
かつてお父様の失われた記憶の底で見た、あの若き日のお父様がアリンに向けていた、世界で最も温かい愛に満ちた表情と、とてもよく似ていた。
私はその温もりに包まれながら、いつまでもお父様の顔を見つめ続けていた。
今回のエピソードの要点は以下の3点です。
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ビユが仕掛けた「公開治療対決」と観衆の集結
逃げ道をなくした医師フェイマンに対し、ビユは自分で連れてこさせたホームレスの患者5人を使い、大勢の観客の前で治療対決を挑みます。中級医員のプライドに縛られたフェイマンは、罠だと察しながらも逃げ出すことができず、後に引けない状況に追い込まれます。
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「最高医員」の圧倒的な格の違いと劇的な完治
ビユは膨大で緻密な魔力(水の能力)を操り、一瞬で3人分の最高級薬液を同時に調合して見せます。その薬を飲んだ患者たちの発疹は瞬時に消え去り、観客からは「本物の神仙の申し子だ」と地鳴りのような歓声が沸き起こります。
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カニンの非道な計画の露見と、お父様の優しい変化
ビユは、残された患者たちにフェイマン一味が事前に「遅効性の猛毒」を盛っていたことを見抜きます。患者をただの道具として利用したフェイマンに激しい憤りを覚えるビユ。そんな彼女の心身を案じ、お父様はかつての記憶にある「幸せだった頃」と同じ、この上なく温かい笑顔でビユに「先生」と呼びかけるのでした。