こんにちは、ちゃむです。
「偽の聖女なのに神々が執着してきます」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
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又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
139話ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 分岐点:現代、そして4人の男たち⑥
私たちがエルス渓谷に到着した頃には、日はすっかり傾いていた。
その景色は、かつて私が初めて浄化を行ったあの時と、驚くほどよく似ていた。
無数の石、そして……。
「妙なのが一つあるな」
カイルは、石の合間に立てられた黒い碑へと歩み寄った。
私はその背中を追う。
黒い碑の前に立った彼は、唇を引き結んだ。
「帝国の皇帝は、歴史的にも慣例的にも、皇太子のために試練を用意するものだ」
「皇太子のための……試練、ですか?」
「帝国を治める資質があるかを試し、乗り越えた者には、神々とともに報奨が与えられる。だが先皇は病が重く、その余裕がなかった」
黒い碑には、何ひとつ刻まれていなかった。
「崩御された後になって、ようやくその試練を課すために私を、呼び寄せたというわけか」
渦巻く噂の内容は、こうだ。
――私に、本当に帝国を導く資格があるのかどうか。
キンステンには、亡き先皇の幽霊が彷徨っている、という話まで出回っていた。
それが現皇帝の政治に不満を持つ者たちの作り話でない、という噂さえある。
だが、おそらくそれもすべて――カイルをこの地へ引き寄せるための仕掛けにすぎないのだろう。
「……」
カイルは、黒い碑石にそっと手を置いた。
彼の手が触れた瞬間、石はかすかに光を帯び始める。
「先皇帝陛下が、用意されていたものなのでしょうか」
カイルは、静かにうなずいた。
「なるほどな」
しばらくして、碑にこびりついていた汚れが雨に洗い流され、金色の文字が浮かび上がった。
『水は低きより高きへと流れる』
謎かけのようなその言葉に、私は首を傾げた。
水が低いところではなく、高いところへ流れる?
谷を下る渓流には、はっきりとした高低差がある。
水は当然、高い上流から低い下流へと流れるものだ。
[知識の神ヘセドは意味を理解し、口をきゅっと結びます。]
[破壊の神シエルは、ヘセドの後ろをちょこちょことついていきます。]
「……陛下」
「この問題は、私自身で解かなければならない」
カイルの深い紅の瞳には、はっきりとした意志が宿っていた。
彼を見つめていた私は、静かにうなずく。
これは先皇帝が彼に与えた試練だ。
私が軽々しく踏み込んでいいものではない。
カイルはしばらくの間、物思いに沈んでいた。
空を仰ぎ、流れる水に目を落とし――そうして考え続けているようだった。
「少し、頭を冷やしてみるのはどうですか」
私は岩陰にもたれながら、そう声をかけた。
彼は私の隣に腰を下ろした。
涼しい風は吹き抜けず、空にはちぎれ雲がゆっくりと流れている。
「ほら。メラニは、いちばん幼いのに、ちゃんとリーダー役を果たしているじゃないですか」
「リーダーシップ?」
「皆を導く力。強い決断力もあるし、それでいて柔らかさもある。だからこそ、人の心を引き寄せる」
「君に似ている」
カイルの言葉に、私は思わず小さく笑った。
「いいところばかり、私に似ているって言いますね」
「それだけ、君がいい人だからさ」
「陛下もお優しい方です。メラニは、陛下のようになりたいそうですよ」
「……あの子が?」
メラニとカイルが一緒にいるときの空気は、まるで張り詰めた静寂のようだ。
整えられた背景画の前に立つ二人を見ているようで、どうにも言葉を挟みづらい。
そんな二人だからこそ、今の私の言葉は、ひどく場違いに思えた。
「お気づきにならなかったんですか。神官たちにも、陛下の行いについて、よく尋ねているじゃないですか」
「……」
「誰かを信じ、好いているという気持ちは、言葉だけで伝えられるものじゃありませんから」
私の言葉に、彼の唇の端がわずかに緩んだ。
疲れが抜けたような、どこか安堵した笑みだった。
「……そうだな」
そう呟いてから、彼はふいに立ち上がった。
私は驚いて彼を見上げる。
まだ、ほとんど腰を下ろしていなかったはずなのに――。
「君の手助けは受けまいと思っていたが、どうやらヒントをもらってしまったようだ」
「それは……」
私が言葉を探していると、彼は穏やかな視線を向けてきた。
「解けたみたいですね」
しばらくして、カイルは黒い石碑のそばへ歩み寄った。
そして、ゆっくりと唇を引き結ぶ。
「水は逆には流れない。だが、逆に流れているように“見る”ためには――」
カイルは、水の流れとは反対の向きに身を横たえた。
彼の瞳には、上流から下ってくる水が、まるで逆流しているかのように映っている。
「自分が動けばいい」
そう言って、私は彼の隣へ歩み寄りながら口にした。
「すべては心の持ちよう、という教えでしょうか。どう見るかによって、成し遂げられないことなどない――先皇陛下の……」
カイルが横へと手を伸ばした、その瞬間。
彼が立ち上がると同時に、これまで見えなかった溝が石碑の脇にくっきりと浮かび上がった。
彼は迷いなく、再び動き出す。
私は思わず身をすくめた。
「たとえ皇帝であっても、過ちを見つめるときに身を守ってばかりではいけない、という意味でしょう」
カイルは剣を抜いた。
そして迷いなく、その剣を振るった。
一瞬、衝撃が走り、黒い石碑は真っ二つに割れて砕け散った。
私はテーブルの上の花瓶を、じっと見つめていた。
「これ……本当に、私が受け取っていいものなの?」
花瓶には、珍しい宝石で作られた黄金の薔薇が挿してあった。
カスティアでは、“黄金の王国”と呼ばれていた時代の古代の宝だと言われても不思議ではないほど、その美しさは際立っていた。
私は思わず息をのんだ。
それは、狩場でカイルが手に入れた宝だった。
対になった品で、彼はそのうちの一つを私へと差し出した。
「先皇陛下が、陛下に授けられるはずだった贈り物だ。あなたに渡すことまで見越して、用意されていたものだ」
私は、彼の言葉の意味をすぐには理解できなかった。
「先皇陛下が、私に託そうとしていたことは三つある」
一つ目は、型にはまらず、機敏に動くこと。
二つ目は、逆流する水のように、皇帝の権力は帝国民から生まれるということ。
三つ目は――。
私を見つめていたカイルは、そこで言葉を止めた。
ちょうどその時、セイン卿が到着し、ほかの皇宮騎士たちも後に続いた。
彼らは皇帝と私に怪我がないかを確かめ、私はカイルが私に長剣を差し出した意味を、ついに理解できないままだった。
「お母様!」
突然聞こえたメラニの声に、私は一瞬、回想から引き戻された。
扉の外には、蒼白な表情をしたメラニが立っていた。
「大変です。ニスお兄様とハリスお兄様が……!」
私は席を立った。
子どもというのは、いつだってろくでもないことをしでかすものだ。
神官や神女たちが同行していようと、自分の身を守ってくれる大人たちの後ろをついて回るのには慣れているくせに、危険なことに首を突っ込むとなると、なぜか全力を注ぐ。
うちの子どもたちも例外ではなかった。
メラニを追っていくうちに、行儀よくしているかどうかなどどうでもよくなったらしい。
何人かの神女が、ぎょっとした表情で別館の屋根を見上げていた。
「聖女様……」
別館の屋根には大きな穴が開いており、その穴に腰を引っかけたままのニスと、その隣でうずくまり、泣いているヘリスの姿があった。
そして下には、途中で壊れたはしごが見えている。
「……あれが一番長いはしごなのに……」
侍女のひそひそとした声が聞こえた。
「お母様……!」
「ひっ……お母様!」
私に気づいたニスとハリスは身をこわばらせ、慌てて私を呼んだ。
私は眉をひそめ、二人に問いかけた。
「どうしてそんなところにいるの?ニス、ハリス。」
二人は戸惑った表情で互いに視線を交わした。
先に口を開いたのはハリスだった。
「……そ、その……雛鳥が落ちていて……」
そう言いながら、ハリスは背後にある巣を指さした。
そこには確かに、巣から落ちたらしい小さな鳥がいた。
そして、そのそばには、淡く青みを帯びた羽を持つ幼い鳥たちが寄り添っていた。
「ごめんなさい、お母様……」
ニスが硬い表情のまま答えた。
私はふっと表情を緩め、子どもたちに声をかける。
「少し待っていなさい」
そう言って膝をつき、手のひらを地面に当てた。
すると大地から植物の茎が勢いよく伸び上がり始める。
私が持つ神聖力の一つ――それを惜しみなく使ったのだ。
茎は絡み合い、なだらかな傾斜を描いて即席の梯子となり、私はそこへ足を踏み出した。
「聖女様、私が助けに行きます」
デイジーが前に出ようとしたが、私は首を横に振り、そのまま自分で子どもたちのもとへ向かった。
茎をしっかりと掴み、ついに別館の屋根へと辿り着く。
まずは、穴に挟まっていたニスの身体を慎重に引き抜いた。
幼いヘリスの力ではどうにもならなかっただろうが、私が支えれば話は別だった。
幸いにも、ほどなく抜け出すことができた。
そして、ハリスの背後にある鳥の巣へと目を向けた。
そこには、殻を破って間もないような幼い雛たちがいた。
雛は全部で四羽。
「チチッ、チチッ」
――きっとキュウも喜ぶだろう。
そんな考えを頭の片隅で打ち消しながら、私はその中でもひときわ弱々しく見える一羽を、そっと手に取った。
「落ちたのは、この子?」
「……はい。」
やはり、脚が折れていた。
私は神聖力を集中させ、雛にそっと流し込んだ。
くちばしを小さく鳴らしながらもがいたかと思うと、次の瞬間、折れていた脚は元通りに癒えていた。
「わあ……」
ヘリスとニスの、感嘆の混じった声が重なった。
私が二人を順に見渡すと、子どもたちは叱られると悟ったように、身をすくめて視線を伏せる。
私は苦笑しながら、救い出した雛鳥をそっと巣へ戻し、静かに言った。
「あなたたちが雛を助けようとした気持ちは、立派だったわ」
恐る恐る、二人は顔を上げる。
「でも……」
ヘリスの大きな瞳が、わずかに揺れた。
私はあえて表情を引き締め、言葉を続ける。
「こんな時はね、大人に助けを求めなきゃだめ。自分たちだけで無理をしたら、どうなるか分かるでしょう?本当に危ないところだったのよ」
褒めるべきところはきちんと褒める。
けれど、叱るべきことは曖昧にしない。
それが、大人の役目なのだから。
「はしごまで一緒に落ちて、ニス、あなたは体まで挟まれていたでしょう。もしあなたたちが怪我をしていたら……」
「でも、ママが治してくれればいいじゃない。」
ニスの言葉に、私は小さく息をついた。
「ニス。神々から授かった神聖力は、不注意で怪我をした子どもたちを助けるためだけに使うものじゃない。痛みや苦しみを抱える人たちの力になるために必要なものなの。……それに」
私はニスの目をまっすぐ見つめて言った。
「神聖力は、いつでも何でもできる万能な力じゃないの。」
ニスの瞳が揺れた。
少し前、自然災害で命を落としたブルーウィングの出来事を思い出したのだろう。
しばらく考え込んだあと、ニスは小さくうなずいた。
「ごめんなさい。これからは、むやみに危ないことはしません」
「わ、私もです」
ニスの言葉に、ヘリスも慌てて頷いた。
私は穏やかに微笑み、二人の頭をそっと撫でる。
そして、地上へ戻るために手を差し出した。
「いい子ね。さあ、気をつけて降りましょう」
ヘリスはさっきまでの恐怖をすっかり忘れたようで、私が作り出した植物の梯子を、物珍しそうな目でじっと眺め、指先で何度も触れている。
「すごい……」
その様子を見て、思わず小さく笑ってしまった。
「だから言ったでしょ。最初から大人に言えばよかったのよ」
地上で待っていたメラニが、腕を組んだまま険しい顔でこちらを見上げ、兄たちに向かってぴしゃりと言い放つ。
「これからは、危ないことは絶対にしないで!」
子どもたちは揃って肩をすくめ、深く反省した様子でこくこくと頷いた。
「わかったよ、メラニ。」
ニスはくすりと微笑み、メラニの頭をやさしく撫でた。
私たちがその場を離れて間もなく、母鳥が巣へ戻ってくるのが見えた。
「私たちが去るのを、待っていたみたいだね。」
ニスの言葉に、私はうなずいた。
「赤ちゃんたち、またね。」
ハリスが無邪気な表情で手を振ると、母鳥はそれに応えるかのように、こちらを見て甲高く鳴いた。
私は三人の子どもたちを連れ、別館を後にして歩き出した。