こんにちは、ちゃむです。
「残された余命を楽しんでいただけなのに」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
85話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 軍歌
私の記憶では、カマンは作中でちょうど三度だけ本性を現した。
一度は、何年も書き続けてきた日記を焼き捨てながら、声を上げて泣いた場面。
ここには少ししたポイントがあって、本人は淡々とした表情で燃えていく日記を見つめていた――と記憶しているはずだ。
そしてもう一度は、母が亡くなったとき。
――ああ、思い出すのも嫌だ。
……うっ。
私は思わず身震いした。
小説の中で“悪女”だったイサベルのせいで、日々追い詰められていた母が、ついに亡くなってしまうあの場面。
今となっては薄れてきているとはいえ、思い出すだけでぞっとする。
とにかく、小説では母が亡くなった後――カマンは一年の間、ただの一言も口にしなかった。
それが、母の死を悼む彼なりのやり方だった。
「そして最後の場面は、覚醒した主人公アロンによってビロティアン帝国が滅びるとき……だったはず、多分?」
そのとき、カマンはアロンと対峙する。
ちなみにカマンは、ビロティアン皇家最後の生き残りだった。
――剣を捨てて降伏しろ。皇帝はすでに死んだ。私は復讐を終えた。お前に望みはないが、命だけは見逃してやる。
アロンの言葉に対し、カマンは剣を手放さなかった。
そして、戦いの中で命を落とした父の亡骸へと歩み寄り、静かに二度、膝をついた。
――それでも、私は父を愛していました。
生涯、胸の奥に押し込めていたその言葉を口にして、カマンは自ら命を絶った。
……それが、小説の結末。
実際のところ、『<時限爆弾の悪女が死んだ後>』の物語は、主人公アロンとヒロインのアセリアを中心に展開していた。
ビロティアン帝国の第三皇子カマンは、ただ通り過ぎていく脇役の一人に過ぎない。
それでもなお、私の心を強く揺さぶったのは、カマンの事情と私自身の境遇がどこか似ていたからだと思う。
「誰かにとっては当たり前のことでも、誰かにとっては切実なものがある。」
私にとって、“家族”がまさにそうだった。
私も同じだった。
私にも、家族がいなかったから。
小説の内容を思い出しながら、カマンの顔を思い浮かべた。
ただ、少し……守ってあげたい。
格好いいからじゃない。本当に。
今の私は、まるで姉のような気持ちだった。
……本当だ。
簡易ベッドに横になっていた私は、がばっと体を起こした。
「どちらへ行かれるんですか?」
ユリが尋ねてきた。
「うん、カマン様のところに行こうと思って」
「夕方に行くとおっしゃっていませんでしたか?まだ私も準備が……」
「大丈夫。夕方までには戻るから、ユリはユリなりに最善を尽くしてちょうだい」
「かしこまりました」
私は幕舎を出て、カマン様を探しに向かった。
――なんでこんなに広いの?
これはまずい。誰かに道を聞かないと。
行き交う兵士たちは皆、鋭い空気をまとっていて、声をかけるのが少し怖い。
言えばきっと親切に教えてくれるだろうけど、これは完全に気分の問題だ。
――優しそうな人に聞こう。
そう思ったそのとき、見覚えのある顔が目に入った。
「え?ルカイン兵長?」
エルベ山脈第七警戒哨の兵長、ルカインだった。
かつて皇宮を訪れていたルカイン兵長が、この基地にいた。
「わっ、皇女殿下ではありませんか!」
ルカイン兵長は、およそ十名ほどの部下を率いて歩いていた。
彼は大きく声を張り上げる。
「全体、気をつけ!敬礼!」
ザッ、ザッ、ザッ!
兵士たちが一糸乱れぬ動きで整列した。
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください!」
嫌な予感が、ひしひしと込み上げてくる。
そしてその予感は、見事に的中した。
湧き上がるような歓声。
「軍紀厳正、我らが誇りなる皇女殿下に敬礼!」
――それを上回る、さらに大きな喝采。
「かっこいい皇女様!」
ルカイン兵長は、誇らしげな顔で叫んだ。
「軍歌、開始!一、二、三、四!」
「かっこいい!皇女様!」
続いて響き渡る軍歌に、私は思わず全身がこわばるほどの恥ずかしさを覚えた。
――内容は、まったく変わらない。
勇ましいだの、皇女様のための戦士だの、戦えば無敵で忠誠は熱く、ひたすら皇女を称える――そんな感じの歌だ。
正直、私が知る中で最悪の歌だった。
「はあ……」
ベースキャンプを行き交う兵士や使用人、そして数人の騎士までもがこちらを振り返っているのが分かる。
顔が熱くなっていくのを止められなかった。
それとは対照的に、軍歌を披露したルカイン兵長は、どこか誇らしげだった。
「皇女殿下、何かご命令はございますか?」
話を聞くと、ルカイン兵長はこの地に再配置されたらしい。
給料も上がり、待遇も良くなったとか。
「……あの軍歌は、今後禁止です」
「……え?」
「禁止。私の言っていること、分かりますよね?」
「は、はい。承知いたしました」
ルカイン兵長はぎゅっと唇を噛みしめた。
どこか悔しそうだ。
「せっかく、もっと立派な作曲家に依頼して作ったのに……」
――え、依頼して作らせたの?
それだけでも十分おかしかったのに、後ろから兵士たちが口を挟んできた。
「ご覧ください。あまりに洗練されすぎているのが問題なのではありませんか?」
……は?
「軍歌にしては上品すぎる、ということです」
……私の知らない世界でもあるの?洗練とか高級とか、概念が違うのかな。
「申し訳ありません。次はもっと勇ましく、荒々しい軍歌をご用意いたします、皇女殿下!」
……いや、それ以上荒くなったら大惨事な気がするんだけど。
私は話題を変えることにした。
「……ルカイン兵長、お願いがあります」
ビシッ!
彼はすぐに直立不動の姿勢を取った。
「お願いとは何でしょう。ご命令ください!」
「私を、カマンお兄様の屋敷まで案内してください」
「命、承りました。」
私は無事に――あんな妙に洗練された軍歌を聞いたせいで、本当に無事かどうかは怪しいけれど――ともかく、カマンお兄様の屋敷に到着することができた。
イサベルをカマンの屋敷まで送り届けたルカイン兵長は、部下たちの前で鼻高々だった。
「見ただろう、お前たち?皇女殿下が俺の名前を覚えてくださっていたんだぞ。」
「確かに拝見しました。皇女殿下とお近づきとは、実に羨ましい限りです。」
部下たちはルカイン兵長を羨望の眼差しで見つめていた。
彼らも確かに目撃していた。
皇女がルカインの名前を覚え、直接その名を呼んだ瞬間を。
ルカインはしばらく得意げに胸を張っていたが、やがてため息をつき、本音を漏らした。
「正直なところ、あれは皇女殿下だからだ。俺が特別だから覚えてくださったわけじゃない。」
皇族が名前を覚えてくれる――それはこの上ない栄誉だった。
ときには「名前を覚えておこう」と口先だけで言う者もいたが、本当にそれを実行する高位貴族は多くない。
だが、皇女イサベルは違った。
彼女は本当に名前を覚えてくれていた。
それだけで、兵士たちにとっては十分すぎるほどの感動だった。
「殿下は、どんな相手にも真心をもって接してくださるお方だ。それがあの方の器というものだろう。俺たちみたいな下っ端にも気を配ってくださるし、ラヘラ王国での功績なんて語りきれないほどだ。ほら見てみろ、俺の名前も覚えてくださるうえに、私にまで気軽に話しかけてくださるんだぞ?」
「兵長、それはさすがに持ち上げすぎでは?」
「いや、殿下は称賛されて当然のお方だ!」
イサベルがその場にいたなら、思わず顔を覆っていただろう会話が続いていた。
「それにしても、どうして我々の『かっこいい皇女様』の軍歌をお気に召されなかったのか、考えてみようじゃないか。」
「やっぱり、洗練されすぎていたからでは?」
「軍歌はもう少し荒っぽさが必要ですからね。」
「本当にそれだけが理由か?他に見落としている点があるのでは?」
彼らはそれぞれの視点で真剣に議論を始めた。
しばらく黙って考えていたルカイン兵長が、突然手を打った。
「分かった!」
「おっ!何でしょうか?」
「イサベル皇女殿下のお名前が入っていないからだ!歌詞に一度も『イサベル』が出てこない!」
よく考えてみれば、あまりにも単純な話だった。
「俺みたいな一兵卒でも、自分の名前を呼ばれて覚えてもらえたら嬉しいし光栄だ。それがあの高貴な皇女殿下なら……なおさらだろう!」
「……ああ!」
「確かに、名前は入れるべきですね。」
こうして彼らはついに答えへと辿り着いた。
「次の軍歌には必ず『イサベル』という尊い御名を入れましょう!」
「完全に見落としていましたね。」
「ルカイン兵長、さすがです。この発想は認めざるを得ません。」
「それに『尊き』『賛美』といった言葉も盛り込むと、より良くなるでしょう。」
彼らの“発想会議”はさらにヒートアップし、ルカインがもう一つ提案を口にした。
「次の軍歌のタイトルは――《イサベル讃歌》なんてどうだ?」
その一言に、隊員たちからどっと拍手が起こる。
ルカインはまんざらでもなさそうに胸を張った。
一方その頃――カマンの束の間の休息は、あっさりと打ち破られていた。
「お兄様、イサベルです。」
「……」
カマンは、イサベルが来たことにすぐ気づいていた。
けれど、彼はイサベルと顔を合わせるのをあまり歓迎していなかった。
すでに手放したはずのもの――忘れたはずのものを、また思い出させられる気がしたからだ。
「……どうした?」
「ここは帝国でも特に重視されているベースキャンプだと聞きました。だからこそ、正規軍の中でも精鋭中の精鋭である『黒鯨』の部隊が派遣されているんですよね。そして、すべての皇子がここを経験するとも……」
ミハエルも、数か月後にはこの場所へ配属される予定だった。
「それほど重要な場所なら、皇女として一度は見ておくべきだと思ったんです。」
カマンはベッドに横になったまま、そっけなく体を背けた。
「好きにすればいい。」
「でも……ここ、本当に広くて道も複雑で……ここまで来るのもすごく大変でした。」
「……」
カマンは何も答えず、ただ目を閉じた。
イサベルと話すこと自体が、無駄な時間のように感じられたからだ。
イサベルは隣で休む間もなく、ぽつぽつと話し続けた。
「こんな軍歌、初めて聞きました。すごく……恥ずかしくて、隠れたくなっちゃって。」
「……」
「だから、ここまで逃げてきたんです。」
「……」
傍から見れば、カマンは完全に無視しているようにしか見えなかった。
だがイサベルは、そうは受け取らなかった。
――この人は、こんなふうになるまでに、きっとたくさん傷ついてきたんだ。
そう感じていたからだ。
(少しでも、楽にしてあげたい。)
気がつけば、彼女はもう八歳。
そして、残された時間はあと十三年。
その限られた時間を、少しでも意味のあるものにしたいと思っていた。
(せめて、一人くらいは……)
「私、一人くらいなら……慰めてもいいですよね?」
一人きりのとき、手を差し伸べてくれる存在がどれほどありがたいか――イサベルは、そのことをよく知っていた。
彼女はカマンのベッドの端に腰掛ける。
「お兄様。私たち、遊びませんか?」
「……」
「厳しい規律とか決まりきった日課から、少し離れてみるのはどうですか?」
「……」
休む間もなく話し続けるイサベルに、カマンはうんざりしていた。
(……うるさいな。)
だが、それでも何も言わなかった。
「私、お兄様と仲良くなりたいんです。だって、私たち家族でしょう?」
その言葉を聞いたカマンは、苛立たしげに体を起こした。
「家族みたいなことを……」
「きゃっ!」
ドンッ!
ベッドの端に腰掛けていたイサベルが、そのまま後ろにひっくり返る。
カマンは唇をわずかに噛みしめ、イサベルを見下ろした。
「その程度の体幹も保てないのか?」
「うう……」
イサベルは後頭部をさすりながら起き上がる。
だが、転んだにもかかわらず、どこか嬉しそうだった。
「どうして笑っている?」
「頭をぶつけたのに、なんともないんです」
「それが笑う理由になるのか?」
「だって嬉しいんです。こんなに丈夫な体でいられるなんて。普通の体だったら、かなりのケガをしていたかもしれません」
「それが“丈夫”だと?」
カマンにとっては、到底理解できない言い分だった。
あの程度の衝撃すら受け止めきれない、まるで出来損ないのような体が、どうして誇れるものになるのか。
「……私のこと、心配してくれたんですか?」
「見苦しいだけだ」
「えっ……見苦しい、ですか?」
イサベルは目を丸くした。
くるくるとよく動く、琥珀色の瞳がぱちぱちと瞬く。
「……」
「傷つきました」
「知るか」
「でも、ちゃんと返事してくれましたよね?私たち、少しは仲良くなれました?」
「……」
イサベルに振り回されているような感覚に、カマンはひどく不機嫌だった。
「……仕方ない。切り札を使うしかないですね」
「……」
カマンは面倒くさそうに再び枕へ頭を沈め、そのまま背を向けた。
イサベルはまたベッドの端に腰掛ける。
「私、切り札を使うんですか?」
何度も話しかけられても、カマンはそれ以上反応を見せなかった。
しかし完全に追い払おうともしない。どこかで、手加減している様子だった。
それだけで、イサベルには十分だった。
(やっぱり……優しいところ、あるんだ)
イサベルはそっと口元をほころばせた。
「私、本当に切り札を使いますからね。止めないでください」
「……」
「本気ですよ。止めても無駄です」
「……」
「ほら、止めてみてください。本当に、本当に本気ですから」
「止めたことなんてあったか?」
「お兄様がそこまで言うなら、我慢してあげてもいいですよ?」
「……」
あまりのやり取りに呆れ、カマンはわずかに顔を向けてイサベルを見た。
イサベルはくすくすと笑っている。
その笑みが、なぜかやけに眩しく感じられた。
「うるさい。消えろ」
「私は蝋燭じゃありませんよ?」
「……」
「ごめんなさい。久しぶりに会えて嬉しくて、ついはしゃいじゃいました。でも、たった一人の妹にそんな言い方するのは、ちょっとひどいですよ?傷ついたので、切り札を使うことにしますね」
「……」
そこまで言われて、カマンもさすがに気になり始めた。
“切り札”とは一体何なのか。
イサベルには、不思議と相手の興味を引き出す力があった。
「私、お兄様の好きな人を知ってるんです」
誰にでもある、幼い頃の憧れや初恋。
カマンにも、そんな存在がいた。
「それに、その人とはとても仲がいいんですよ。その人に頼まれて、ここに来たんです」
背を向けていたカマンの背中に、イサベルはトントンとリズムを刻むように軽く叩いた。
トントン、コン、コン。
「デュウ・ウィナー……じゃなくて、一緒にご飯でもどうですか?」
キレンの副官であり、幼い頃からの友人でもあるメリンが尋ねた。
「隊長、どうして急に休暇を全部使ったんです?」
「ただ、ちょっと可愛い子に会いに行くだけだ」
「彼女でもできたんですか?」
「そうだったらいいんだけどな」
「彼女でもないのに、なんでそんなに嬉しそうなんです?」
「俺が嬉しそうに見えるのか?」
「どう見ても、かなり浮かれてますよ?」
メリンはじっと目を細めた。
どう考えても怪しい状況だった。
「可愛い子って、年下なの?見た目は?性格は?ほら、お姉さんに全部話してみなさい」
「そういうのじゃない」
キレンは椅子にもたれ、少し考え込んでから口を開いた。
「十歳くらいの女の子って、何が好きなんだ?」
「ああ……隊長もあの有名な“姪バカ”なんだ?」
「まあ、そんなところだ」
剣を握って生きてきた二人の女は、顔を突き合わせて真剣に悩み始めた。
「女の子なら、やっぱり軽い鎧とかがいいんじゃない?」
「いや、それはダメ。もらったらプライド傷つくと思う」
「プライドが?なんで?」
「覚えてないの?私、十歳の誕生日に軽鎧もらって、めちゃくちゃ泣いたじゃん」
「ああ、そうだ。思い出した。あのときなんで泣いたんだっけ?」
「重いのが着られないからって、仕方なくもらったみたいで嫌だったのよ」
「プライドが傷ついて泣いたのよ」
「ああ……!」
キレンは何かを悟ったように、深く納得した表情を浮かべた。
「言われてみれば、そうかもしれないな」
「私たちの子どもの頃をよく思い出してみて。一番嬉しかったプレゼントって何だった?」
二人は顔を見合わせた。
長年連れ添った友であり戦友でもあるからか、すぐに気持ちが通じ合う。
そして同時に叫んだ。
「十歳の誕生日にもらったマント!」
「十歳の誕生日にもらった巨大マント!」
そのマントは、十歳の子どもには大きすぎて重く、実用性なんてほとんどなかった。
それでも、とにかく嬉しかった。
「マントってね、格好よくてロマンがあるのよ。ほら、」
「マントにはロマンがあるでしょ」
「そうね、それに決まり。ちょうど八歳で発育もすごくいいし、私たちの十歳の頃と大差ないはずよ」
二人は完璧な結論だと言わんばかりに、互いに向かって親指を立てた。