悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す

悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す【81話】ネタバレ




 

こんにちは、ちゃむです。

「悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す】まとめ こんにちは、ちゃむです。 「悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す」を紹介させていただきます。 ネタバレ...

 




 

81話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 暴発する戦場

『武闘大会のあとから、紅河家の連中の要求がどんどん図々しくなってきてる……』

リリカは小刻みに震える爪を噛み締めながら、不安そうに眉を寄せた。

“弱みを握った”つもりで傲慢に詰め寄ってくるジキセンだけでなく、神殿の影で暗躍する紅河家の人間までがあからさまに強気に出てきた理由を、彼女は痛いほど理解していた。

すべては、リリカ自身が以前よりも確実に“弱っていた”からだ。

もし以前のように、周囲を圧倒する神聖な威厳と盤石な立場を保っていたなら、不気味な寄生虫に過ぎない彼らがこんな態度を取ることなど万に一つもなかったはずだ。

「少し治療の効率が落ちているだけだわ。ただの体調不良。だから、すぐに元に戻る。大丈夫よ……」

そう、自分に言い聞かせるように呟くしかなかった。だが、最近の体調悪化は目に見えて深刻だった。少しでも“生贄”が不足すれば、自分の聖女としてのハリボテの肉体が内側から崩壊しかねない危うい状態にあることを、他ならぬ彼女自身が一番よく分かっていた。

だからこそ、紅河家の連中はリリカの窮地を見透かし、“生贄”を秘密裏に集めてくる見返りとして、法外な見返りや特権を次々と突きつけてきたのだ。

断る選択肢など最初からなく、リリカは自身の私有財産の大半を彼らの貪欲な懐へと差し出すしかなかった。

『しばらくは紅河家の言いなりになるしかないわ。今はただ、耐えるのよ……』

本当は、これだけの財産を払ったところで、彼らの口を塞ぎ続けるには到底足りないと分かっていた。それでも、今は奥歯をガタガタと鳴らしながら耐えるほかに道はなかった。

『そのためにも、まずはジキセンの口を完全に封じないと』

今ここで聖女としての名声が崩れてしまえば、その先のお金も権力も、何もかもが無意味になる。先の泥沼のことは、その時になってから考えればいい。最近のように、完璧に立てたはずの計画が次々と予測不能に崩れていく絶望的な状況では、なおさらだった。

『……はぁ。私さえ完璧な聖女でい続ければ、お金なんていくらでも後から取り戻せる。いつか必ず、ユリアの鼻を明かしてやるんだから』

リリカは、そう自分に惨めな自己暗示をかけるしかなかった。ユリアが公爵家を去る際に売り払ったラディエタのルビーも、次の社交界の季節に向けて特注していた高価なドレスも――すべてを紅河家への支払いのために手放すことになった。

それでも今は、神殿から与えられた最高級の豪華な神官服さえまとっていれば、周囲の目は何とか誤魔化せる。神官服の下にどれほど安物の端切れを着ていようと、誰も気に留めはしない。それだけが、今の彼女にとって唯一の救いだった。

『私はいったい、何のためにこんな……』

煌びやかな宝石に身を包み、大勢の貴族たちが自分に頭を下げてくる極上の快感。そういうものを貪るためにフリムローズ公爵家に留まり、聖女の地位にしがみついていたはずなのに、気づけばそれらは砂のように虚しく指の間から零れ落ちていっていた。

『でも、今回の“生贄”たちはいつもより随分と体調が良さそうで助かったわ』

リリカは、生贄にする予定の病弱な人間たちを、“騎士団に同行する下級の使用人”として偽装してこの遠征に連れてきていた。

普通、生贄に選ばれるような人間は、迫り来る死や苦痛への本能的な恐怖で衰弱しきっていたり、目の光を完全に失っていたりするものだ。だが、今回紅河家が用意した者たちは違った。基礎体力もあり、過酷な雪山の行軍にも想像以上によくついてきている。

不安に駆られていたリリカに対し、紅河家の者が「ご心配には及びません」と不敵に笑っていたのも、単なる気休めの慰めではなかったらしい。

“連れて行く途中で病死でもしたらどうしよう”と四六時中気を揉んでいたリリカだったが、その点だけはひとまず安心できた。

『……そうね。紅河家の連中だって、多少は頭を使っているはず。今の私に簡単に潰れられては自分たちの利益がなくなるもの。だから、今回の儀式のためにわざと丈夫な人間を選んだのね』

もし生贄たちが道中で脱落していたら、自分の命を繋ぐための治療(うつしかえ)どころではなくなっていた。

『もちろん、生贄の命は一滴も無駄遣いできないわ』

――けれど、ジキセン以外の騎士たちはどうなろうと知ったことではない。

どうせ、昔は自分を崇めて従っていたくせに、武闘大会の惨敗以降はあからさまに態度を変えた軽薄な人間たちだ。彼らが戦場で多少傷つこうが、貴重な力を割いてわざわざ治療してやるつもりなど毛頭なかった。平民上がりの騎士風情なら、多少の怪我や不具は戦場の常だといくらでも言い訳が立つ。

だが、ジキセンだけは別だった。

「生贄を無事に完遂できないかもしれないという最悪の危険負担があっても、今回は私がこの遠征に出るべきだったのよ。今回の魔物討伐という絶好の機会を逃したら、二度とジキセンの汚い口を塞げなくなる」

ジキセンは、リリカが己の脅迫に屈し、一生自分の支配に従うしかないと思い込んでいた。だが、それは傲慢な兄の致命的な勘違いだ。

リリカはジキセンの脅しに屈するふりをしながら、彼が「リリカの力はプリムローズの祝福ではない」と外部に吹聴するのを完全に防ぎ、同時に自らの聖女としての地位を再び神格化させる陰惨な計画を立てていた。

 



 

そうして私欲のために同行することになった今回の討伐で、ジキセンと騎士団が相手にするのは、猛烈な暴風雪が吹き荒れる極寒の雪山地帯に生息する獰猛な魔物だった。その魔物は、一度捕まると決して抜け出せない無数の不気味な触手と、鋼をも断つ鋭い刃のような爪で獲物を執拗に苦しめる。

『あいつが厄介な傷を負ったら、あえて二、三度ほど小出しに神聖力を注ぎ込んで……』

『命に別状はないけれど、戦線復帰は不可能な重傷を負わせるのよ。傷跡は醜く残るけれど、“私が継続的に面倒を見てあげる”という優位な形を作るの』

リリカは神聖力で一度に治しきることはしないつもりだった。もちろん彼女にとっても、公爵家の後ろ盾であるジキセンが完全に使い物にならなくなれば困る。だから、後から自分のさじ加減一つでどうとでも治せる程度に、戦場でうまく加減して大怪我を負わせるつもりだった。

「それに、あいつの脚を不具にすれば、ユリアが作った生意気な霊薬(ポーション)なんて戦場の致命傷には全く効果が薄いという事実を、人々に強烈に印象づけられるわ」

リリカの継続的な祝福の力がなければ、プリムローズの騎士はまともに戦うことすらできない――そんな圧倒的な依存関係を植え付ける。他の神官たちには治療の様子を一切見せず、聖女である自分がつきっきりで密着看護する形で、ジキセンに精神的な圧力をかける。そうして、戦場で傷ついた兄を健気にお世話する、かつてのような「家族仲の良い、兄に愛される可愛らしい令嬢」という聖女のイメージを世間に取り戻すはずだった。

だが、リリカの邪悪な計画は、開始早々に半分しか成功しなかった。

せいぜい、他の神官がジキセンを完全に治療してしまわないよう、手頃な怪我を負わせる舞台を用意するために自ら最前線まで来たのだが――。

「え?」

ズガァン!!!

鼓膜を破らんばかりの爆音と共に、周囲の巨大な大木が一瞬で一刀両断に切り裂かれた。あまりの衝撃に、リリカはすぐには状況を理解できなかった。猛烈な土煙と雪煙が晴れ、その中心から姿を現した規格外の魔物を見るまでは。

「危険等級の超大型魔物が現れました!!!」

「何だって!?」

最前線からの悲鳴のような報告を受けた瞬間、ジキセンの顔から一気に血の気が引いた。

「そんな話は聞いてないぞ! 事前の神殿の調査では、ただ数が多いだけで、陣形を維持して注意していれば問題ない雑魚ばかりだと……!」

「報告が常に正しいとは限りません! 少公爵様、今すぐプリムローズ騎士団に防衛の命令を!」

「少公爵様、ご指示を!!」

ジキセンは「あり得ない」と壊れた人形のように何度も呟いた。だが、騎士たちが自分へ向けていた期待の視線が、絶望と共にいつの間にか後方のリリカの後ろへと流れていくのを感じていた。

「急に、急にこんな状況になったんだから、俺にどうしろっていうんだ! 俺は知らない! お前たちで勝手に戦え!!」

ジキセンが土壇場で責任を放棄し、醜く身を引くのはいつものことだった。普段の彼なら、騎士団へ作戦命令を下すことすら微塵もせず、「指示を出すより、俺一人で突撃して八つ裂きにした方が早い!」と単身で魔物を蹂躙していたからだ。

だが、今の彼は違う。祝福を失い、普通の騎士以下の力しかない。

『予想外の事態とはいえ、まさか……最初から剣すら振るわないつもりなの!?』

ジキセンが恐怖で後方へ身を引く無様な姿を見たプリムローズ騎士団の目には、かつてないほど濃い失望と冷徹な色が浮かんだ。

だが、感傷に浸っている暇はなかった。生き残るためには、この包囲網を突破しなければならない。ジキセンが完全に使い物にならないと判断するや否や、別の副長格の騎士がすぐに騎士団へ向かって大声で叫んだ。

「全員、少公爵殿に構うな! 隊列を整えろ!!」

結局、別の騎士の的確な指揮によって、崩壊しかけていた陣形は何とか立て直された。騎士たちが肉の壁となって前線に立ち、彼らを支援しに来ていた使用人や後方支援部隊は一斉に安全な後ろへと下がっていく。

「魔物の甲殻の隙間にある、柔らかい関節部分を狙え!」

「触手が飛んでくる前に、根元から斬り落とせ!」

ガキィン!!!

だが、人間たちが冷静に態勢を整えるのを、飢えた魔物たちは黙って見てはいなかった。ほんのわずかな隙も逃さず、無数の触手と刃が襲いかかってくる。あちこちから、人間の骨が砕ける悲鳴と、魔物の不気味な咆哮が入り混じった凄惨な地獄絵図が響き渡った。

それでもリリカは、恐怖で我を失っているジキセンよりは冷静に周囲を見渡していた。

「聖女様、危険です! こちらへ!」

周囲の聖騎士たちの呼びかけに応じ、リリカは衣服の裾を翻して素早く安全圏へと移動した。そんな彼女の後を、腰が引けたジキセンが必死についていく。

「少公爵様は……」

この極限状態の最中でも、ジキセンは自分がまともに剣を振れないという決定的な事実が、部下たちに露見することを何よりも恐れていた。

「お、俺のことは気にするな! 持ち場を守れ!」

「……チッ、承知しました!」

「リリカは俺が直々に守る! だからお前たちは向こうへ行って、魔物をどうにか防ぎやがれ!」

結局、彼の傲慢な取り巻きたちがリリカを守る役目までほとんど引き受けることになった。それも、彼らがまだジキセンの「帝国最強の武勇」を心のどこかで信じていたからこそ成立していた。魔物が現れて大混乱している最中にも、多くの戦闘人員がジキセンの身勝手な言葉によって、何度も無駄に持ち場を移動させられていた。

「え……?」

激しい戦闘の喧騒の中、リリカは遅れて致命的な事実に気づいた。

先ほどの配置転換の混乱に乗じて――自分の痛みを肩代わりさせるはずの最重要の生贄、ジャコブが忽然と姿を消していたことに。

『嘘でしょう……? さっきまで、他の生贄たちと一緒に私のすぐ後ろにいたはずなのに……』

どこを見渡しても、ジャコブの姿がない。

リリカの顔から、完全に血の気が引いた。彼女はパニックになりかける頭を回し、素早く思考を巡らせた。生贄たちが慌てて動いている間に紛れて消えたのだとしたら、この吹雪の中だ、まだそこまで遠くへは行っていないはず。まずは何としてもジャコブを見つけ出さなければ、自分の体がもたない。

「ねえ、ここにいたあの男はどこへ行ったの!?」

近くにいた騎士の腕を掴んで叫ぶリリカに、騎士は怪訝な顔をした。

「聖女様、あの男なら……足手まといの使用人など、戦いが終わってからでも探せます! 今は――」

「違うのよ! 今すぐ見つけないと大変なことになるの!」

地面にべったりと張り付いた魔物の緑色の死骸。首筋に不快にまとわりつく冷たい雪。呼吸が少しずつ荒くなり、胸の奥から言いようのない、どす黒い不安がじわじわと湧き上がってきた。リリカは危うく震えそうになる身体に無理やり力を込め、鋭い声で言った。

「あなたたち、私の命令よ! 探してきて。今すぐに!」

「え!? この戦闘の真っ最中にですか!?」

「ここにいた使用人たちは、みんなどこへ行ったのよ!?」

「それが……」

よく見れば、消えたのはジャコブ一人だけではなかった。紅河家が用意した何人もの生贄の人間たちが、いつの間にか集団でごっそりと姿を消していたのだ。集団で行動しているなら、足跡を辿れば捜索もしやすくなるはずだが――。

いつもならリリカの言葉に盲従していた騎士たちが、あからさまに困惑した顔で彼女を説得しようとした。

「聖女様、いくら何でも戦闘の真っ最中に、武器も持たない非戦闘員を探しに戦線を離れろとおっしゃるのですか!?」

「彼らを大切に思って心配される聖女様の慈悲深いお気持ちは分かりますが、今はその時ではありません! 我々の命がかかっているのです!」

リリカが怒りで反論の言葉を探していた、まさにその時だった。

「キィィィッ!!!」

遠くの山々で響いていたはずの魔物の悍ましい咆哮が、突然、鼓膜を突き刺すような至近距離で轟いた。

凄まじい雪原の地響きと共に、巨大な魔物の影が雪を割って目の前に飛び出してきた。成人男性の数倍はある異形の巨体に似合わぬ、空間を切り裂くような素早く鋭い動きだった。

「聖女様、お下がりください!!!」

つい先ほどまでリリカの理不尽な命令に困惑していた騎士たちの姿は、もうそこにはなかった。一瞬で戦士の顔になり、冷静に彼女の前へ肉の壁となって立ちはだかる聖騎士たちを見て、リリカは悔しさに唇を噛み締めた。

これほど強力な魔物が目の前に再び現れた以上、もうこれ以上「使用人を探しに行け」とは強制できなかった。

『本格的に戦闘が始まる前に、何としてでもジャコブを見つけるべきだったのに……!』

騎士たちがためらいなくリリカのために前へ出られるのは、彼女の無尽蔵の“治癒能力”を絶対的に信頼しているからだ。だが今のリリカは、生贄たちが何人も逃亡し、そして何より――自分の苦痛を引き受けてくれる最大の器であるジャコブがいないのだ。治療を使えば、その反動の激痛がダイレクトに自分の肉体を破壊する。

「リ、リリカ! だ、大丈夫だ、俺がいるから平気だぞ! じ、自分を守るくらいのことは、この帝国最強の俺なら――」

恐怖でガタガタと震えながら、自分に言い聞かせるようにジキセンが前に出た。

「おい、お前たち! すぐにあっちの援護に向かえ!」

「ですが少公爵様、聖女様を置いてあちらの防衛線に行くのは危険すぎます!」

「うるさい! 魔物といっても、あそこに現れた奴らに比べれば大したことないだろ! 俺一人で十分だ、行け!!」

ジキセンは、自分の決定的な実力不足が部下に露見することを恐れるあまり、目障りな聖騎士たちをリリカの周囲から力づくで追い払おうとしていた。だが、リリカにとってはむしろ好都合だった。ジャコブがいない状態で中途半端な治療を行い、その不自然な激痛の悶絶を他人に目撃されなくて済むからだ。

どうせリリカの目的は、この戦場でジキセンを適度に負傷させることだったため、彼が周囲の兵を遠ざける命令を出すことにも同意した。聖騎士たちは苦渋の表情で顔を見合わせた末、主君の命令に従ってその場を離れていった。

静まり返った後方で、リリカは本格的に、残された数少ない生贄たちへの冷酷な聞き込みを始めようとした。ジャコブたちが消えてから、まだそれほど時間は経っていない。どこへ逃げたにせよ、この猛吹雪の雪山だ、遠くまでは行けていないはずだ。捕まえるなら今しかなかった。

「あなたたち、ここに私のすぐ後ろにいたくせに、どうして誰も何も見てないのよ……!」

リリカは、その場に残っていた怯えるべき生贄の胸ぐらを掴み、鋭い声で詰め寄った。

だが――不気味なことに、その生贄の男は怯えるどころか、不快そうに眉をひそめてリリカを冷たく見下ろしたのだ。

『……え?』

先ほどから、決定的な違和感はあった。逃げ場もなく強制的に連れてこられ、生贄にされた奴隷のような立場のくせに……なぜ、この男たちはこれほどまでに、強者としての不気味な生気に満ち溢れているのか。

「おい、リリカ! 何をしてるんだ! どこを見てるんだよ! あんな下男をそんなに血相変えて探してどうするんだよ! 後で探せばいいだろ!」

背後からジキセンの苛立った怒声が響くが、今のリリカには彼の相手をしている余裕など微塵もなかった。こちらを振り向きもせず、生贄の男を問い詰め続けているリリカの背中に向かって、ジキセンはさらに悲鳴のような声を張り上げた。

「もし俺が怪我をしたら、お前がすぐに俺を治療しなきゃいけないんだぞ!? だから、俺のそばに――」

「……俺のそばにいろって言ってるだろ!!!」

だが、リリカには致命的な思い違いがあった。

彼女は、武闘大会でジキセンが敗れたのも、単に彼の日頃の不摂生と体調管理が悪かっただけだと思い込んでいたのだ。本来なら、いくら衰えたりとも“剣の祝福”を受けた者としての最低限の規格外の実力は持っているはずだと、兄の武勇を過信していた。

「お兄様、少し黙って待っていなさい! その程度の魔物、あなたなら問題ないはずでしょう!」

いくら周囲の聖騎士たちを下がらせたとはいえ、たった数匹の残党の魔物程度で、あのジキセンが傷を負うなど万に一つと考えてもいなかった。いつもの自信満々で不遜なジキセンらしくもなく、しつこく自分の名前を呼び続ける兄を心の底から煩わしく思いながら、リリカがジャコブの行方だけで頭をいっぱいにしていた、まさにその瞬間だった――。

「ぐああああっ!!!」

激しい金属音と共に、魔物の振るった巨大な刃をまともに受け止めたジキセンの身体が、紙切れのように勢いよく後方へと吹き飛ばされた。

「……お兄様?」

肉が裂ける生々しい音と、兄の無様な絶叫を聞いて、リリカは弾かれたように振り返った。彼女の完璧だったはずの聖女の顔に、言葉を失うほどの激しい戸惑いと衝撃の色が浮かぶ。

もちろん、ジキセンを傷つけるつもりはあった。だがそれは、ジャコブが傍らにいて、自分が用意した安全な罠へ誘導した後のシナリオだったはずだ。

「どうして……どうしてお兄様が、あんな、あんな雑魚の魔物に一撃で傷つけられるのよ……!?」

雪原に転がったジキセンは、自身の右脚を血に染めながら、狂ったように雪を掻きむしって叫んだ。

「リ、リリカ!! 脚を、脚を切られたんだ!! 骨までいってる! 早く、早く治療してくれ! 頼む、頼むから早くしろ!!」

ジキセンが涙と鼻水にまみれて必死に救いを求めたが、リリカは凍りついたようにその場から一歩も動かず、ただ黙ってそれを見下ろしていた。治療(うつしかえ)の器であるジャコブがいない今、この重傷を治せば、ジキセンの脚の切断の激痛がそのまま自分の脚へと襲いかかってくる。そんな恐怖の選択ができるはずがなかった。

「何をしてるんだよお前!! 早くしろ!!」

「……」

「な、なんでだよ……!? 早く治療してくれって言ってるだろおがああ!!」

ジキセンはリリカの冷徹な沈黙に呆然としながらも、失血死の恐怖から、どうにか震える手で剣を杖代わりにして立ち上がった。

「あ……」

その瞬間、血の匂いに狂った魔物たちの、二度目の容赦なき襲撃が開始された。

 



 

 

【悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す】まとめ こんにちは、ちゃむです。 「悪役に仕立てあげられた令嬢は財力を隠す」を紹介させていただきます。 ネタバレ...