こんにちは、ちゃむです。
「監禁王子のメイドとして生き残る方法」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
56話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 因縁の終焉
ロストゥラトゥの最期は、思っていたよりもあっ気ないものだった。
アルバートは、人は恐怖に支配されるとここまで醜くなれるのかと、冷徹な一瞥をくれてやった。いつも劣等感を剥き出しにし、脅迫や暴力を繰り返していた男は、いざ追い詰められてみれば、実に小さな存在に過ぎなかった。
一族の中で自分だけが生き残ったと聞いたときも、哀れむどころか「ざまあみろ」と嘲笑っていた男だ。それが今や、四肢を襲う激痛に泣き叫んでいる。
「頼む、助けてくれ……! 命だけは……!」
男はアルバートの足元に縋りつき、涙と鼻水に塗れて命乞いをした。だが、アルバートの心に揺らぎなど微塵もない。容赦なく、さらなる苦痛を与えた。魔法の刃で、ロストゥラトゥの身体を少しずつ切り刻んでいく。一瞬で首を刎ねてやるなど、この男にはあまりにも慈悲深すぎる。
やがて、絶叫は途絶え、ロストゥラトゥ・グレイは物言わぬ肉塊となった。
アルバートは無言のまま、自らの剣に付着した血を拭い去った。無惨な死に様を晒したその男は、王というよりも乞食に近い姿だった。普段身に纏っていた豪華な衣服も地位も、そのすべてが、彼という存在が消え去った今となっては、何の価値もない虚飾に過ぎなかった。
たかが、こんな男のために。
私はこれほどの復讐心を燃やさなければならなかったのか。
たかが、こんな男のために。
あれほど多くの無辜の民が、命を落とさなければならなかったのか。
アルバートの脳裏に、かつて自分に忠誠を誓ってくれた者たちの顔が次々とよみがえる。すでに土へと還った彼らの姿は、苦しい記憶として、決して忘れられない思い出として、胸を締めつけた。この消えることのない記憶こそが、彼の首を絞め続ける罪悪感そのものだった。
何の罪もない人々を巻き込んでしまったという重い事実が、胸の奥底へと深く沈み込んでいく。
それでも、復讐は果たさなければならなかった。彼らの無念を晴らすためにも、引き下がるわけにはいかなかったのだ。
「私は、やるべきことをやった……」
自分に言い聞かせるように呟く。だが、すべてが終わったあとに押し寄せる圧倒的な虚しさだけは、どうすることもできなかった。
アルバートは息を吐き、ゆっくりと歩きながら、乱れた袖口をそっと整えた。
無性に、ロゼの顔が見たかった。
この胸を焦がす虚しさも、彼女が「大丈夫」とあの一言をかけてくれれば。いつものように笑って、冗談を言ってくれさえすれば――すべてが癒やされるような、そんな気がした。
アルバートは自分の身体に返り血が付かないよう、細心の注意を払っていた。あんな男の汚れた血に触れたくないという嫌悪もあったが、それ以上に、凄惨な現場の匂いを纏った自分を、ロゼに怖がられたくなかったからだ。
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塔の近くまで戻ると、周囲の兵士たちは泥のように眠りこけていた。すべてはアルバートの計画通りだった。
ロゼが民衆の前で魔法を使うところを見た者は、少なくとも数百人はいる。その全員を証人とし、彼女と交わした契約書を提示すれば、たとえ彼女の出自に不満を抱く保守的な貴族たちであっても、もはや異を唱えることはできないだろう。彼女を正当な地位へと引き上げる舞台は整いつつあった。
「陛下、お帰りなさいませ!」
アルバートの姿を認めたメルシが、慌てて駆け寄ってきた。彼女の額に滲む汗を見る限り、兵士たちの脳内に幻覚を植え付ける作業は無事に完了したようだった。
その場にいた全員の記憶には、ロストゥラトゥが死ぬ直前、自らの罪をすべて告白して絶命した姿が鮮明に刻み込まれている。幻覚によって現実の記憶を都合よく上書きする――それこそが、メルシの特技だった。
かつて、自分の父親であった先代の魔塔主が、底なしの欲望に呑まれて変わり果てていく姿に耐えられなかった。その現実逃避から始まった幻覚魔法は、皮肉にも、彼女だけの強力な得意魔法へと昇華していた。
だが、アルバートはすぐに異変に気づいた。メルシの隣にいるはずの、最も愛おしい人物の姿がない。
「ロゼは?」
アルバートの問いに、メルシは一瞬視線を彷徨わせた後、意を決したように唇を開いた。
「……公のもとへ向かわれました」
その瞬間、アルバートの目が鋭く細められた。腕を組んだまま向けられたその表情は、今にもメルシを凍りつかせ、殺しかねないほどに冷え切っていた。
「なぜ公のところへ?」
低く沈んだ、地を這うような声が響く。メルシはぎゅっと目を閉じた。
「……反乱軍側で、ほんの小さな問題が起きまして。魔法使いでなければ対処できない事態だったのです。私はこの場の記憶操作から離れられませんでしたので、ロゼ様ご自身の意志で向かわれました」
「魔法使いが必要なら、私を呼べばよかっただろう」
「……アティオス様が、そうなさりたくないとおっしゃいました。どうしてもご自分で行きたい、と」
メルシはロゼの強い眼差しを思い出し、言葉を詰まらせた。彼女には、ロゼの願いを拒むことができなかったのだ。
メルシは長い間、アルバートを見つめ続けてきた。彼女が魔塔主となる遥か以前から、父親とともに宮殿へ出入りする中で、彼とは何度も顔を合わせていた。洗練された美しい佇まいの彼は、常に周囲の目を引く存在だった。
だが、その眩い外見とは裏腹に、彼の心がどれほど深く傷つき、壊れているかを知るのに時間はかからなかった。ロストゥラトゥは、メルシの父である先代魔塔主と手を組み、アルバートを徹底的に孤立させ、絶望へと追い込んだ張本人だったからだ。
父親が裏で何をしていたのか、当時のメルシがまったく知らなかったわけではない。しかし、幼かった彼女にできることなど、何一つなかった。
――いや、もしかすると、何かできることがあったのかもしれない。
ただ、怖かったのだ。自分を心から大切にしてくれた父親が、真実を暴くことで自分を見捨ててしまうのではないかという恐怖。その弱さを乗り越えるまでには、あまりにも長い時間がかかってしまった。
だからこそメルシは、アルバートの復讐が完全な形で終わることを、誰よりも願っていた。ロゼが姿を消したと聞けば彼が激怒することは百も承知だったが、それでも彼女を送り出さざるを得なかったのだ。
「ロゼ様には、防御魔法と姿を隠す魔法を二重にかけてあります。大丈夫なはずです。あの方は、どうしても捕らえられている拘束具を解除しなければならないからと……」
アルバートは深く、重い息を吐き出すと、メルシの一歩前へと進み出た。怯える彼女を見下ろしながら、静かに、だが拒絶の許さないトーンで囁いた。
「お前がどんな思いで彼女を送り出したのかは分かっている。だが、もう二度とそんな必要はない」
「……陛下であっても、私の考えをすべて読み切ることはできないと思います」
「罪悪感――そう思っているんだろう」
メルシの身体が、ぴくりと跳ねるように震えた。アルバートは昔から、人の本心を見抜くことに恐ろしいほど長けていた。彼の前で秘密を隠し通すことなど、最初から不可能なのだ。
「もう自分を責めてはいない。そう思っていたんだがな」
メルシはぎゅっと拳を握りしめた。
「……そう思わずにはいられません」
滅多に感情を表に出さないその顔には、過酷な環境のせいで、あまりにも早く大人にならざるを得なかった少女の面影だけが取り残されていた。
いつの間にか高く昇った太陽が、地上を眩しく照らし出している。陽光を浴びたアルバートの灰色の髪は、まるで精緻な銀糸のようにきらめいていた。
「それは、お前に対する虐待でもあった」
アルバートが放ったその言葉は、メルシが一生、彼の口から聞くことはないだろうと思っていた救いの言葉だった。
アルバートはメルシの横を通り過ぎ、ふと足を止める。
「今回はそれでいい。だが次からは、ロゼの意思よりも私の命令を優先するような真似はするな」
ゆっくりと手を上げると、呆然と立ち尽くすメルシへ軽く合図を送った。
「仕事が終わったら宮殿へ来い。塔の扉は閉めておけ。私の空間に、他の者が自由に出入りできるわけにはいかないからな」
そう言い残した瞬間、アルバートの姿は掻き消えるようにその場から消失した。魔法陣の残光すらまともに視認できないほどの、圧倒的な速度の転移魔法だった。
「……いったい、どこまで強くなるつもりなの」
メルシは、彼が消え去った虚空を見つめながら、小さく身震いした。もしかすると彼の魔力は、すでにドラゴンの領域にすら匹敵しているのかもしれない。人間でも魔法使いでもない、世界の理を超越した存在にさえ、彼はなろうとしているのではないか。そんな予感が、彼女の背中を冷たく伝っていった。
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私はハヤンとともに、果てしなく続く長い石造りの階段を下りていた。
ひたすら下へ、下へ。
先の見えない暗闇を進み続けるうちに、冷たい空気が肺に溜まり、息が詰まりそうになる。だが、ハヤンは私を励ますように、ぴったりと足元に寄り添いながら歩いてくれた。
どれほど歩いただろうか。ようやく、行く手に不気味な終着点が見えてきた。
「着いたわ」
「うん……」
先ほどまでの通路よりもさらに湿っぽく、不快な臭気の漂う地下牢へとたどり着いた。いかにも凶悪な重罪人だけが隔離されていそうなその牢獄には、壁一面に苔やカビがびっしりと生い茂っている。人の顔がようやく判別できるほどの薄暗がりの中、鉄格子の向こうに、ぐったりと気を失った二人の人影が見えた。
――あそこね。
囚われた魔法使いたちのもとへ近づこうとした、その時だった。不意に首筋をなでるような、凍りつくような殺気を感じて、私は思わず足を止めた。
「誰だ」
低く鋭い、若い女性の声が暗闇に響き渡り、私は息を呑んだ。
……こんな場所にまだ見張りが残っていたなんて。皇宮の混乱を考えれば、本当に徹底した管理だ。それにしても、気配を殺していたはずの私の存在に、彼女はどうやって気づいたのだろう。
「魔法使いか? 杖を持っているようだな」
「…………」
「隠れようとするな。この場所では姿を隠す魔法など通用しない。ここは魔法そのものを無効化する特殊な空間だ」
その言葉に心臓が跳ね上がる。ということは、この中に入ってしまえば、かけられている魔法を解除することもできないし、新たな魔法を発動することもできない。
どうすればいいの?
頭の中で必死に思考を巡らせる。
幸いなことに、相手はまだハヤンの存在には気づいていないようだった。ハヤンはもともと足音を立てずに動くし、普通の人の目にはただの黒猫にしか見えない。この一寸先も見えない暗闇の中なら、なおさら見つかりにくいはずだ。
私はハヤンの耳元で、消え入るような小声で囁いた。
「ハヤン、あの人の足に噛みついて!」
ハヤンの牙は見た目以上に鋭い。不意を突いて相手をひるませるくらいはできるはずだ。
「わかった!」
ハヤンが力強く応じた瞬間、暗闇の中で若い女性の目がぎょっとして見開かれた。
「きゃあっ!」
直後、激しい衝撃とともに女が床へ転がる音が響いた。私はその隙を逃さず、腰から剣を抜くと、倒れ込んだ女の喉元へその切っ先を突きつけた。
「……私の勝ち、みたいですね」
息を荒げながら言う私に対し、女は痛みに顔を歪めながらも、どこか呆れたような苦笑を浮かべた。そして足元を這うハヤンを見つけ、怪訝そうに首を傾げる。
「……ただの猫に噛まれただけで、こんなに骨に響くような痛みが走るはずがないのだが?」
そう呟いた女は、抵抗する気配も見せず、そのまま床にぐったりと横たわった。首元に突きつけられた刃など、まるで気にしていない様子だ。むしろ、彼女が急に動いて刃で喉を傷つけてしまわないかと、私のほうがひやひやして手を震わせていた。
戸惑いを隠せないまま、私は尋ねた。
「その……私があなたの首を跳ねるかもしれないって、分かっていますよね?」
「構わない、好きにしろ。どうせ騎士団はもう終わりだ……」
「……え?」
どういうことだろう。私が思わず首をかしげた、その瞬間だった。
カラン、と金属の擦れる音がして、女が私に向かって何かを放り投げてきた。手元に落ちてきたのは、重々しい鉄の鍵だった。
「それで開けろ」
「……さっきまで私の喉元に剣を突きつけようとしていた人とは思えませんね。もしかして、私に何か魔法でもかけられました?」
「ふん、騎士としての最低限の務めを果たそうとは思ったさ。だが……考えてみれば、こんな腐りきった騎士団など潰れたほうが、よほど世のためになる」
吐き捨てるようなその言葉を聞いて、彼女の真意がなんとなく理解できた。ロストゥラトゥのあのような腐敗した政治のもとで、高潔な志を持つまともな騎士団が存続できるはずもなかったのだ。
「戦場に出ることも許されず、こんな陰気な地下牢の見張りが重要任務だなんてな。本当にくだらない」
その声には、深い疲労と長年の苦しみが滲んでいた。床に横たわる彼女の姿は、もはや敵というより、どこか自分と同じように不条理な環境に耐えてきた境遇の人に見えた。
さっき皇宮の上層で見かけた騎士たちの大半は、傲慢な男ばかりだった。その男社会の中で、彼女がたった一人の女性騎士として生き抜くのが、どれほど容易でなかったかは想像に難くない。
「何をしている。早く助けろ。その魔法使いたちを連れ出すためにリスクを冒して来たのだろう?」
私は返事をする代わりに、剣を収めて彼女のそばへと歩み寄った。確かに、私一人の力では意識のない二人を地上まで運ぶのは不可能だ。
「ここでは拘束魔法を解けないので、彼らを上の階まで運ばなければなりません。でも、私一人では無理なんです。だから手伝ってください。どうせ騎士団が潰れるなら、徹底的に潰しましょう」
私の言葉に、女は一瞬呆気に取られたようだったが、すぐに腹の底から声を上げて笑い出した。
「……徹底的に潰す、か。はははっ! その通りだ。やるなら徹底的にな!」
女騎士は豪快に笑い飛ばすと、床を蹴って勢いよく立ち上がった。さっきは緊張していて気づかなかったけれど、彼女は並の男よりも頭一つ分ほど大柄で、均整の取れた見事な体格をしていた。
「鍵を貸せ」
私が素直に鍵を渡すと、彼女は慣れた手つきで牢の扉を開け、中にいた魔法使いを一人ずつ、左右の両肩へと軽々と担ぎ上げた。まるで羽毛でも扱っているかのような、無駄のない動きだった。重い荷物を背負っているにもかかわらず、その表情にはどこまでも余裕が満ち溢れている。
「それじゃ、行くか」
私はその凄まじい怪力に内心すっかり感心しながら、深く頷いた。
女騎士は先頭に立って階段を上り始める。男女二人を担いでいるとは思えないほど、まるで庭園を散歩でもしているかのような足取りで、息一つ乱す様子もない。
暗い階段を数段上がったところで、先を歩いていた彼女がふいに口を開いた。
「これからは、剣で人を脅すのはやめろよ、魔法使いさん」
「え?」
「同じように剣を握ってきた人間なら一目で分かる。あんた、剣の扱いには全く慣れていないな」
どうやら、さっきの命がけの脅しは最初から完全に見抜かれていたらしい。少し恥ずかしくなりながらも、私は微笑んだ。
「そうですね。騎士さんが味方になってくれたおかげです。そうでなかったら、私は今頃ここで死んでいたかもしれません」
「……正直な奴だな」
私の返事に、彼女は驚いたように目をぱちぱちと瞬かせた。そして少しだけ顔を振り返り、私の表情をじっと見つめると、気に入ったように小さく頷いた。
「悪くないな、その姿勢」
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階段はどこまでも長く、急だった。
下りるときは勢いでいけたが、上りはさすがに足にくる。身体強化魔法を使って走ってはいたものの、皇宮に侵入してからずっと動き回っていたせいで、私の体力はすでに限界に近づいていた。
「少し休んでいこう」
彼女がそう言って足を止めてくれた。男女二人の魔法使いを両腕に抱えたままだというのに、彼女には疲労の色が一切見られない。階段に腰掛けた彼女の太ももは、重厚な鎧越しにでも分かるほど、実に見事に引き締まっていた。
長年、血の滲むような努力で鍛え上げてきた身体なのだろう。
本当に、格好いい。
こういう人こそ、前世の言葉で言う“ガールクラッシュ”の体現者と呼ぶべきではないだろうか。会社員時代、運動といえばデスクで息を潜めることくらいしかしてこなかった私とは、何もかもが正反対だった。
メルシもどちらかといえば細身の線の細いタイプだったし、ロストゥラトゥのパーティーで見かけた貴族令嬢たちも、コルセットで締め上げたドレスが似合う、華奢で優雅な体つきの人ばかりだった。だからこそ、自分の力で生き抜いてきた証拠である彼女のその肉体は、より一層輝いて見えた。
「……何だ?」
どうやら、私は無意識のうちに彼女をじっと見つめすぎていたらしい。私の熱い視線を避けようと何度か顔をそらしていた彼女が、ついに耐えかねたように問いかけてきた。私は取り繕うこともせず、素直に笑って答えた。
「体つきがすごく格好いいな、と思って見ていました。体力もありますし……本当にすごいです」
「口が上手いな」
「本心ですよ。筋肉をつけるのって、並大抵の努力じゃできないじゃないですか。それより、お名前をまだ聞いていませんでした。お名前を伺ってもいいですか?」
彼女は短く、ぶっきらぼうに答えた。
「レオナ・ブレイク」
「ブレイクさん、とお呼びしても?」
「レオナと呼べ。見たところ、あんたはリアム公爵側の人間みたいだが……」
レオナは現在の状況を鋭く察知していた。私は肯いた。
「はい。地上ではまだ激しい戦いが続いています。私はここに囚われている魔法使いたちを救出するために来ました」
「一人でこんな深部まで来るのが危険だとは、思わなかったのか?」
「まあ、ハヤンも一緒でしたから……」
「ハヤン?」
レオナが怪訝そうに首を傾げた。その視線の先では、いつの間にか私の膝の上に飛び乗り、甘えるように頬をすり寄せているハヤンがいた。
そういえば、ハヤンはこれだけ歩いたというのに全く疲れた様子がない。普段あまり肉体的な力を使わないからか、基礎体力が尋常ではないらしい。
ドラゴンが成体になるまでは、契約者はドラゴンの魔力以外の能力を共有することができない。そのため、ハヤンが持つこの底なしの体力だけは、私に引き継がれることはなかったのが今更ながら悔やまれる。
「……真っ黒な猫なのに、ハヤン(白)なんて名前を付けるとは、変わった感性をしているな」
「……あはは、まあ」
本当の正体がドラゴンだとは言えず、私は曖昧に笑ってごまかした。
レオナは再び階段の上、光の差し込む出口の方を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「……騎士団も、もう底まで腐りきっている」
その軽蔑と諦念の入り混じった表情を見て、私は彼女に何か慰めの言葉をかけたくなった。
「今まで、本当に大変な思いをされてきたんですね……」
「……お前に私の何が分かる」
レオナは反射的に、鋭い拒絶の言葉を返した。人から同情されたり、慰められたりすることに慣れていないのだろう。言葉の響きは突き放すようだったが、その視線はどこか寂しげに、何度もこちらを窺っていた。
「きっと、自分の狭い正義を一方的に押しつけてくる人たちが、周りにたくさんいたんでしょうね」
さっき皇宮の廊下で見かけた、アルバートについて悪びれもせず事実無根の噂話を愉しんでいた赤毛の騎士たちの姿が脳裏をよぎる。自分の考えこそが絶対の正義だと信じ込み、他人の背景も見ずに決めつける人間。そういう手合いは、どこの世界にも一定数存在する。自分しか見えていない、哀れな人たちだ。
「…………」
レオナは私の言葉を否定しなかった。彼女はふう、と息を吐くと、再び二人を抱え直して立ち上がった。
「そろそろ行くか」
私はその背中に頷き、再び長い階段を歩み始めた。
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一歩一歩階段を上りながら、私はこれからアルバートが築こうとしている、新しい国の姿に思いを馳せていた。ロストゥラトゥが私利私欲で治めていたあの暗黒の時代とは、まったく違う、誰もが真っ当に生きられる国になるはずだ。
「新しい王様が即位したら、騎士団のあり方もきっと大きく変わりますよ」
確信を込めてそう言うと、レオナが足を止め、驚いたように目を丸くして私を振り返った。私はただ、アルバートのあの真っ直ぐな瞳を思い浮かべていただけだったのだが。
「……好きなんだな、その王のことが」
レオナの唐突な一言に、私は心臓が止まるかと思うほど驚いた。急激に顔が熱くなるのが自分でも分かる。私は普段、あまり感情が表に出ないポーカーフェイスなタイプだと思っていたのに、どうやらアルバートのこととなると、自分でも制御できないほど分かりやすく顔に出てしまうらしい。
アルバートにも、私のこの気持ちはすべてお見通しだったのだろうか。彼が私に「一か月」という恋人のような猶予を与えてくれたのも、もしかすると、私の好意があまりにも露骨で、隠しきれていなかったからなのかもしれない。
「そんなに……分かりやすいですか?」
「ああ」
レオナは私を見つめながら、同情を込めた目であっさりと言い放った。
「諦めたほうがいい」
「……どうしてそう思うんですか?」
「お前はどう見ても貴族の令嬢には見えない。ただの平民だろう」
「それでも、今回の作戦の功績が認められれば、ちゃんとした爵位をもらえるはずです」
レオナは私とアルバートの本当の関係性を知らない。だからこそ、現実を知る一人の大人として、善意で忠告してくれているのだと分かっていた。それでも胸の奥がちくりと痛んだのは、彼女の言葉が、かつて私自身が「身分が違うから」とアルバートを遠ざけようとしていた最大の理由と、あまりにも残酷に重なっていたからだ。
私の暗い表情から、納得していないことを察したのだろう。レオナは再び上へ向かって歩きながら、冷徹な現実を言葉にし続けた。
「後ろ盾のない新王なら、自らの脆い権力基盤を盤石にするためにも、当然、有力貴族の娘と政略結婚を選ぶのが王道の鉄則だ。建国以来続く名門貴族で、莫大な財産と兵力を持つ家の令嬢が、この国には一人いる」
レオナの指摘は、何一つ間違っていなかった。アルバート自身が圧倒的な魔力を持っているとはいえ、内政を安定させるためには公爵であるリアムや、新たな魔塔の主となったメルシの支持だけでは足りないかもしれない。
それでも――。
もし、アルバートが政治のために私から離れていくというのなら、私はそれを無理に引き止めるつもりはなかった。だからこそ私は、彼から「一か月」という短い時間をもらったのだ。いつかそんな選択を迫られる日が来ると、最初から分かっていたから。
私は無理ににっこりと笑うと、努めて明るい声で話題を変えた。
「それは私にはどうしようもないことですね。それより、私ももうすぐ貴族になる身ですが、上流階級の礼儀作法がちゃんと身につくかどうかが心配なんです」
「それはお前次第だ。だが、礼儀作法が完璧でないからといって――それだけで一度与えた爵位を奪えるわけじゃない」
私の言葉に、レオナは淡々と答えた。彼女は他人が自分をどう評価するかなど、端からあまり気にしていないようだった。自分なりの揺るぎない信念を持ち、置かれた立場で果たすべき職務をただ全うする人。
メルシの持つ繊細さとはまた違う、強固な芯を持った彼女に、私は深い好感を抱いた。
ロゼという少女の身体に憑依し、最悪な現実からこの異世界での物語は始まった。それでも、私は本当に人との縁には恵まれているらしい。こうして窮地の中で、次々と素敵な人たちに出会えるのだから。人生において、「この人とは気が合いそうだ」と心から思える相手に巡り会える機会など、決して多くはない。だからこそ私は、この新たな縁を大切に紡ぎたいと思った。
「レオナさん。この政変が終わったら、これからどうするおつもりなんですか?」
もしかしたら彼女は、これからの私にとって最高の友人であり、頼れる師にもなってくれるかもしれない。私の意図を察したのか、レオナは少し困ったように笑った。
「私に教えられることなど、そう多くはないぞ。私が舞踏会にドレス姿で出席しても、周囲の令嬢たちには物珍しそうな目で見られるばかりだ。ダンスだって、もう長いこと踊っていない。お前が望むような高雅な嗜みは教えられない」
彼女は、私が遠回しに尋ねた言葉の本当の意味を、正確に理解していた。私の表情か、あるいは話し方の端々から気持ちが伝わってしまったのだろう。私の周りには、本当に勘の鋭い人ばかりが集まってくる。それとも、そういう油断のならない環境で生き抜いてきたからだろうか。
レオナは、自分の鎧に包まれたたくましい腕をポンと軽く叩いた。確かに、この国のひらひらとした貴族令嬢たちが好むドレスを着れば、彼女の鍛え上げられた美しい筋肉は目立ってしまうかもしれない。
「女性がここまで綺麗な筋肉をつけるのって、本当に血の滲むような大変さですよね。長い時間をかけて努力を積み重ねてきた証だって分かるから、私はレオナさんと、もっと仲良くなりたいんです」
人は、自分と違う輝きを持つものにはつい目を奪われてしまう。レオナもまた、その例外ではなかった。彼女も、男ばかりの騎士団の中で、私と似たような孤独な戦いを続けてきたのかもしれない。
「それに、その理屈で言えば私も同じですよ。つい最近まで塔で王子殿下に仕えていたただの侍女が、いきなり貴族の爵位を授かるんです。周囲の貴族からの反発なんて、きっと凄まじいと思います」
「……お前、元は侍女だったのか?」
「そう見えませんか? じゃあ、お嬢様っぽく振る舞う変装は半分くらい成功ですね」
レオナが驚愕に目を見開き、私は照れくさそうに肩をすくめた。彼女は感心したように小さく肯く。
「確かに、それほどの魔法を操る侍女など前代未聞だな」
「だから、私の提案を受けてくれませんか? 私はもっと、レオナさんのことを知りたいんです」
レオナは少し階段を上る速度を落とし、声を低くして言った。
「最初に、私がお前の喉元へ容赦なく剣を突きつけたことを忘れたのか?」
もちろん、鮮明に覚えている。怖くなかったと言えば、それは大嘘になる。
「でも、私はこうして無事ですし、あの時のあなたの立場や職務を考えれば、当然の行動だったと理解できます。だからこそ、自分の利害だけで動かない、善悪をきちんと見極められる人なんだって、余計に格好よく見えました」
「その私が、結果的に主君である騎士団を裏切ったとしてもか?」
「裏切られて当然の、底まで腐りきった騎士団だったじゃないですか。トップの王様があの有様だったんですから」
私があっさりと前王ロストゥラトゥを酷評すると、レオナは呆れ果てたように私を見つめた。私はおどけて肩をすくめてみせる。
レオナは目を細め、自嘲気味に笑った。
「一度でも騎士団を裏切った人間は、騎士としての信頼を失ったも同然だ。新しく即位する若き王が、そんな不忠の私をまともに信用して雇うと思うか?」
彼女の心配ももっともだった。ロストゥラトゥの配下にいた騎士団など、新王となるアルバートがすべて粛清するか、解体するのが普通だと考えているのだ。彼らは、本当のアルバートという人間を知らない。彼がその本性を現す前に、彼は不当に塔へと幽閉されてしまっていたのだから。
「ええ、絶対に信用してくれます」
しかし、アルバートの性質を誰よりも知っている私だからこそ、確固たる自信を持って答えられた。
「新しい王様は、私が知る誰よりも強くて、そして誰よりも賢く、慈悲深い方なんです」
私は嘘偽りのない本心を告げた。これは恋慕による贔屓目ではなく、客観的な事実だった。アルバートは、自分の大切な人たちのために人知れず涙を流せる繊細さを持ちながら、押し寄せる怒りを完璧にコントロールし、大局を見て行動できる人だ。あの過酷な幽閉の日々の中、塔を取り囲む監視の兵たちをいつでも皆殺しにできるほどの圧倒的な力を持ちながら、彼は私のために、誰一人として手にかけなかったのだから。
「愛しているという盲目な理由だけで、すべての現実を正当化できるわけではないぞ」
「私はこれでも、もの凄く客観的に彼を見ているつもりですよ」
レオナはくすりと小さく笑った。まるで、恋に恋する少女の戯言だと切り捨てるように。
だが、一息ついた彼女は、少し首を傾げて私を優しく見つめると、消え入るような小声で呟いた。
「……考えておく」
その一言だけで、今の私には十分すぎる収穫だった。すぐにレオナの頑なな考えを変えられるとは思っていなかったけれど、彼女の凍りついていた心が、ほんの少しだけ解けたような気がしたから。
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アルバートによる復讐の完了と虚しさ
アルバートは仇敵ロストゥラトゥを激しい苦痛の中で処刑し、復讐を果たしました。しかし、計画通りに進みすべてが終わった後には、多くの犠牲に対する罪悪感と圧倒的な虚しさが残り、彼は癒やしを求めてロゼの存在を渇望しています。
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ロゼの危機と地下牢での新たな出会い
アルバートの命令に反し、自らの意思で囚われた魔法使いたちの救出に向かったロゼは、魔法が無効化される地下牢で女性騎士レオナ・ブレイクと対峙します。騎士団の腐敗に絶望していたレオナはロゼの説得に応じて味方となり、二人の魔法使いを担いでともに脱出を図ります。
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身分違いの恋への忠告と未来への希望
脱出の道中、ロゼのアルバートへの深い恋心に気づいたレオナは、新王の立場から「有力貴族との政略結婚を選ぶべきで、平民出身(元侍女)のロゼは諦めるべきだ」と現実的な忠告をします。しかし、ロゼはアルバートへの信頼を崩さず、同時にレオナの人間性に魅了され、彼女と未来の国で友人としての絆を結びたいと願います。