こんにちは、ちゃむです。
「悪役なのに愛されすぎています」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

113話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 勇敢な歩み②
クロードにパイを渡したあと、メロディはその足でイサヤの元へと向かった。
けれど彼は今、他の騎士たちと訓練の最中だったため、彼女は木陰に身を寄せてしばし待つことにした。
騎士たちはそれぞれ独自の鍛錬に励んでいたが、その中でもイサヤの姿はひときわ目を引いた。
ひとりで三人を相手にしていたのだ。
襲いかかる剣を的確に受け止め、同時に別の刃をかわす。
巨体からは想像できないほどしなやかに動き、むしろ優雅ささえ漂わせていた。
『あんなに大きな身体なのに……信じられないくらい、身のこなしが軽い……』
了だが、それも束の間のこと。
イサヤはすぐに三人を相手に取っ組み合いを始め、場は一気に騒然とした。
最後には「幸運を祈る!」と声を張り上げてようやく乱闘は終わった。
そのとき、ひとりの使用人が駆け寄り、イサヤに伝える。
「メロディお嬢様がお待ちです。」
振り返ったイサヤはぱっと笑顔を浮かべ、両手を大きく振りながら喜びをあらわにした。
「……イ、イサヤ!」
だがメロディは思わず声を失った。
イサヤの鼻先から唇にかけて、鮮血がつうっと流れ落ちていたからだ。
けれども当の本人はそれを気にも留めず、むしろ勢いよく駆け寄ってくる。
その拍子に、またもや血が流れて顔はすっかり真っ赤に染まっていった。
「ほんと、もうやってられない!」
メロディは召使いが持ってきた布で、イサヤの顔についた血を拭き取り、鼻血が止まるよう押さえてやった。
「一体どうなってるのよ!服までボロボロになるくらい傷だらけじゃない!」
「大丈夫だ。」
イサヤは誇らしげな笑みを浮かべる。
「俺、掃除だって得意なんだぞ。」
「……は?」
「薪割りも上手いし、畑仕事だってこなす。いいだろ?」
あまりにも呑気な言葉に、メロディは息を詰まらせ、返す言葉さえ見つけられなかった。
「イサヤの、ばか。」
そう呟くと、彼女は力なく彼の隣に腰を下ろした。
裾から覗く足首に、柔らかな草の感触がくすぐったく触れる。
まるでこうして並んでいるのが、ずっと前から当たり前だったかのように――。
彼を見ていると、なぜか子どもの頃に戻ったような気持ちになった。
村の子どもたちと無邪気にじゃれ合っていた、そんな日々の思い出がよみがえる。
「……少し、厳しすぎる訓練じゃない?」
「平気だよ。僕だけがやられるわけじゃないし。」
そう言って、彼は先ほどまで拳を交わしていた仲間の騎士たちに大きく手を振った。
“問題ない”という合図のように。
「攻撃役は順番に回ってくるんだ。今回は僕の番ってだけさ。」
「それにしても、危なっかしく見えるのよ。」
「そうかな。」
ふと真剣な表情になった彼を見て、メロディは息を呑んだ。
さっきまでの軽口とは打って変わって、その顔には揺るぎない決意が浮かんでいたからだ。
「騎士は危険を恐れず立ち向かう者だから。」
「……そうだけど。」
メロディは心のどこかで、そういう無謀さを嫌だと思いながらも、その言葉を否定できなかった。
「でも、顔に“納得いかない”って書いてあるよ。」
「……あの、聞いてた?」
「もちろん。前にも言っただろ?メルの顔には、気持ちが全部書いてあるって。」
「うん……でも、その文字を読めるのはイサヤだけだって言ってたよね?」
「そうだ。」
イサヤは足元の草をちぎり、小さな束を作るように編みはじめた。
「でも、幸運だったんだ。」
「なにが?」
メロディは近くに咲いていた小さな野花を数本摘み取り、彼に差し出した。
イサヤは受け取った花を草の束に差し込み、白い花がきれいに混じるようにまとめあげる。
「これさ。」
そう言って、イサヤは編み上げた花束をメロディの頭の上にそっと載せた。
「前は、メルの顔に浮かぶ文字を読めるのはきっと嫌な奴だけだと思ってた。でも今は違う。俺には……ちゃんと見えるから。」
メロディは言葉を失い、ただ静かに彼を見つめた。
「でも、今はもう違うって分かってる。」
ちょうどその時、風が吹き抜けた。
建物の隙間をすり抜けてきた強い風に、メロディの頭に飾られていた花と草の装飾がふわりと宙へ舞い上がる。
「あっ。」
メロディが驚いて手を伸ばそうとした瞬間、イサヤがその手を掴み制した。
飾りは風に流され、騎士たちの訓練場へと落ちていった。
ちょうどその上に足を運んだ騎士がいて、無意識に踏みつけてしまう。
メロディは慌てて立ち上がろうとしたが、再びイサヤがその手を強く握り止めた。
「……大丈夫だよ。」
「でも!」
「本当さ、メル。」
イサヤは安心させるように柔らかく笑った。
その笑みは不思議なほど、心を落ち着けてくれるのだった。
「君の顔に書かれた気持ちを理解できる人が増えたのは、本当に素晴らしいことだと思う。
心から嬉しいんだ。」
――イサヤは、すべてを知っているのかもしれない。
メロディはそう感じた。
昔から誰よりも早く、自分の心を見抜いてくれる人だったから。
「イサヤ……」
ようやく声を絞り出すと、彼はそっと拳を握りしめた。
「大丈夫だ。君が僕の栄誉をどう扱おうと、気にしない。」
「……」
「だって、最初から僕のすべては君のものだったんだから。」
彼の手がメロディの髪へと伸びる。
けれど指先が触れる寸前で、彼は拳を握りしめ、自ら引っ込めてしまった。
「僕は、全部――君のものだよ、メル。」
彼は空を掴むように、何度も拳を握っては開いた。
彼は繰り返し、優しく囁いた。
「たとえ君が……その栄誉を公式には受け入れず、望まないとしても。」
彼の微笑みは、メロディの目には必死に心を砕いた末のものに映った。
「僕はずっと君に、すべてを捧げるつもりだ。」
自然と、彼女の唇から小さな声が漏れた。
「どうして……?」
彼は少し考えるように黙り込んだ後、メロディの髪先を指先で弄びながら答えた。
「ただ、そうしたいからだ。……でも、君は嫌かい?」
「私がイサヤを嫌うはずないじゃない。」
「なら、良かった。」
まるで何も問題はないと言わんばかりに彼は笑った。
けれどメロディの胸の奥では、別の思いが渦巻いていた。
――イサヤがこの世で最も大切なものを自分に託そうとしているなら、自分は彼の望むことを果たせるのだろうか……。
「イサヤ、私は……」
「まだわからない?」
本題を切り出す前に、彼はメロディの言葉に耳を傾けた。
「騎士になりたいって思わせてくれたのは、君だったんだ、メル。」
イサヤは幼い日の記憶を思い出す。
母はいつも「医者になりなさい」と言っていた。
人を助け、救う道を歩めと。
けれど彼はその道を望まず、別の夢を探して母を説得しなければならなかった。
しかし、イサヤには「やりたいこと」など何一つなかった。
ただひとつ、唯一の願いがあるとすれば――メロディを守り抜くこと。
「幸い、子どもの頃の俺はそれほど馬鹿じゃなかったみたいだ。『守る』という言葉を職業に置き換えたら、すぐに答えが出た。騎士になるってことだってね。」
「……」
メロディは息をのんだ。
「僕はね、この暮らしが本当に気に入ってるんだ。ありのままの僕を認めてもらえているし……時々、母の言った通り医者になっていたらどうなっていたのかなって想像することもある。」
彼は少し笑みを浮かべた。
「きっと立派な石頭になってたに違いない。」
「そんなことないわ。」
「いや、絶対そうなっていたさ。だって僕は――」
彼は身を屈め、メロディの瞳をもっと間近で覗き込んだ。
「君のそばで、君の隣にいるんだから。次は君を、もっと楽しい場所へ連れて行くよ……。あっ、メル!泣いてるのかい?!」
驚いてうろたえる彼の前で、メロディの頬を涙が伝い落ちていった。
止めようと思っても、涙は次々と溢れ出してしまう。
「どうして……どうして泣いてるんだ?僕が怖がらせた?」
「違うのよ……ほんと、あなたってバカね。」
こんな優しさが、ずっと隣にあったことを改めて思い知らされただけだった。
「泣くなよ、な?ほら、うう……」
彼はどうしていいかわからない様子で辺りを見回し、それから思い出したように懐へ手を入れた。
深く仕舞い込んでいたハンカチを取り出し、メロディに差し出す。
「これ使えよ。袖で拭くなって。ああ、もう……目が真っ赤だ。どうして泣くたびにこうなるんだ、お前は。困ったやつだ。」
今度はイサヤの顔も、泣きそうに歪んでいた。
メロディは必死に涙をこらえながら、彼の差し出したハンカチを受け取った。
けれど、それを使うことはどうしてもできなかった。
「……これ、私があげたやつだ。」
「ああ、そうだ。お前がくれたやつだ。毎日、大事に持ち歩いてる。偉いだろ?」
「汗を拭けって渡したのに……持ってるだけでどうするの?」
「だって……汚したらもったいないだろ。」
イサヤは、まるで子どもみたいに照れ笑いを浮かべた。
「イサヤは汚くなんかない!」
メロディは汗に濡れた彼の額にハンカチを差し出した。
「ひゃっ。」
彼は慌てて体を横にそらし、メロディの手を避けた。
「大変だ!君のハンカチが僕の汗で汚れちゃった!」
「イサヤ!」
メロディはまだ涙で潤んだ瞳で彼を睨みつけた。
「メル、泣くのか怒るのか、どっちか一つにしてよ。」
「……え?」
「泣きながら怒るなんて、すごく可愛いんだ。普段から可愛いけど、ああ、本当にどうしてこんなに可愛いんだろう?」
彼はくすくす笑いながら、彼女の頭を大きな手でわしゃわしゃとかき混ぜるように撫でた。
まるで子どものころ、村でそうしていたように。
「泣くなよ、メル。心配するな。」
彼女の頬をなぞっていた手が、そっと離れて草の上に落ちる。
「君と、大切な人たちを守ることが……俺の一番好きなことなんだ。」
その表情は驚くほど大人びていた。
メロディはふと、もしかしたらこれこそがイサヤの本当の姿なのかもしれない、と思った。
「君はただ、心から幸せでいればいいんだ。わかった?」
彼の問いかけに、メロディは涙に濡れた瞳でじっと見返す。
だがイサヤはもう一度、優しく念を押すように「わかったか?」と繰り返した。
「……うん。」
小さく、けれどはっきりと答えた瞬間――背後から、場違いなほど賑やかなざわめきが聞こえてきた。
振り返ると、イサヤの仲間の騎士たちが集まっていて、少し前に彼が編んだ草花の飾りをどうやって保存するかで大騒ぎしていたのだった。
しかし二人がそれぞれのやり方で花や草を束ねているうちに、最終的には大きな花束が出来上がってしまった。
イサヤが「このおバカども!」と床を叩いて笑い出したので、メロディもつられて笑ってしまった。
メロディは騎士団の真心で完成した花束を、とても嬉しそうに受け取った。
最近の公爵は普段と少しも変わらなかった。
だがその平凡な日常の陰で、公爵とクロードは人知れず大きな苦労をしていた。
公爵はジェレミアが作ってくれた「姿を偽る薬」を用い、オーガストが隠れて暮らしていた屋敷に、食料や本、そして生活用品などを十分に運び込めるよう取り計らっていた。
彼が豪商の言葉を淀みなく操る姿を、もし屋敷の人々が見たなら――きっと皆、驚愕したに違いない。
クロードは必要な資金を国外の商団を経由して巧みに回し、迂回的に公爵家へ流れるよう手筈を整えていた。
メロディはときどき、公爵やクロードに申し訳なさを覚えることがあった。
自分のせいでこんな厄介ごとを招いてしまったのではないか、と。
けれど、それによって得られる利点を考えれば、決して無視できるものではなかった。
まず第一に――サミュエル公の命が救われるのだ。
もちろん、今の領主はオーガスト。
彼が父と離れて暮らしていることに胸を痛めないわけではなかった。
だが……目の前で父が殺され、無力のまま冷たい宮廷で生き長らえることを思えば、まだその方がましなのかもしれない、と彼女は思った。
さらに、皇帝の領土はいつまで守られるかも分からないのだから。
ナイフの刃のように鋭くはないだろうが、ボルドウィン公爵は適切な時に父と息子が会えるよう取り計らってくれるはずだ。
公爵は家族の大切さを誰よりも理解している人物なのだから。
また、オーガストの心に闇が差し込まないことは、ロゼッタにとっても良いことだった。
その暗い側面を共に見守り苦しむ必要がなくなるのだから。
そんな慎重で穏やかな日々が続いたある朝、メロディは温かい秋の陽射しの下で目を覚ました。
『カーテンを閉めたまま眠ってしまったのね……』
彼女は窓を背にして身を起こし、ふわりと羽毛のように軽いブランケットを頭の上にかぶせた。
心地よい闇が訪れると、小さなため息がもれた。
『本当に一睡もできなかったわ。』
それはすべてクロードのせいだった。
あの男は生まれながらにしてメロディを苦しめるために現れた悪魔なのではないか。
昨夜の出来事を思い出すと、ブランケットを握られた手に、無意識のうちに力がこもった。
――本当は、それほど大した出来事ではなかったのだ。
昨夜、メロディが少し遅くまで彼の仕事を手伝った。
必要な地図や図表を探して持っていっただけ。
それだけで、何も起こるはずもなかった。
問題はその後だった。
仕事を終えたクロードが「もう遅いですから、お部屋までお送りします」と言った瞬間、彼女が動揺したのが始まりだった。
彼はメロディを部屋の前まで送り届けた。
「おやすみなさい」――小さな挨拶とともに。
だが、言葉を口にしてもなぜか立ち去ろうとはせず、結局その場に残ってしまった。
クロードが帰らないので、メロディもまた彼を見送ることができず、互いに顔を見つめ合ったまま、ただそこに立ち尽くしていた。
――あの時から、急におかしくなったのだ。
人影のない回廊で、ただ見つめ合って。
理由もなく、でも確かに心が揺さぶられて。
耐えきれなくなったのか、クロードがようやく口を開いた。
「……失礼します。」
そう言って軽く頭を下げ、ようやく別れを告げたのだった。
『でも、もしハピルだったら?近くで誰かがドアを開ける音が聞こえて……』
驚いた二人は、誰が先にとも言わず同時にメロディの部屋の中へ飛び込み、扉を押して閉めてしまった。
まるで人目から隠れなければならないほど恥ずかしいことをしていたわけでもないのに。
『そして私が再び我に返った時には……』
メロディは閉ざされた扉とクロードの間に挟まれていた。
彼の顔には夜の影が深く落ち、その眼差しはただメロディをまっすぐに見下ろしている以外、何も映していなかった。
それをただの視線と呼ぶのは違う。
むしろ「渇望」と言うべきか。
もっと露骨な言葉を選ぶなら……「欲望」。
その強烈な感情の中で、メロディは思わず彼を受け入れてしまった。
彼がさらに身を寄せ、熱い吐息が彼女の額に触れた瞬間――その腕がそっと彼女の腰へと回り込む。
だが、クロードはぎりぎりのところで自分の手を押しとどめ、代わりに冷たい鉄のドアノブを何度も握りしめては離す動作を繰り返した。
そして深い吐息をもらし、彼女の肩へ額を預ける。
「……気が狂いそうだ。」
長い髪の間に指を差し入れながら、完全に身を沈めてくる。
「褒めてくれよ。俺、一日中ずっと我慢したんだ。」
――我慢?
メロディの目には、いつものように仕事に集中していた彼の姿しか映っていなかったのに。
「頭も撫でてくれ。可愛いって、言ってくれよ。」
せがむような声に、メロディは慌てて手を伸ばした。
少し震える指先で、彼の髪をそっと撫でてやりながら。
「……ありがとう。」
彼はようやく杯を取り、メロディを見つめながら笑った。
「時間なんて全然進まないですね。こんなことなら、十日なんて待たずに、あの日すぐデートに誘えばよかった。」
「坊ちゃま、私に言いたいこと……があるとおっしゃいましたよね?」
「メロディ嬢は順序を大切にする方ですから。」
だから彼は、きちんとしたデートを終えた後でなければ、恋人になってほしいと頼む資格がないと思っているらしい。
「君にとって大切なことは、僕にとってはさらに大切なんです。」
「……こんなときにこんなことを言うのは、本当に申し訳ないんですが、その……坊ちゃま。」
「言ってください。構いませんから。」
「私は何事も“ゆっくり”進めることが大事だと思うんです。」
「とても……辛抱強いですね。」
何か言いたそうにしながらも、彼はただ黙ってメロディの肩を抱き寄せていた。
――もしかして、自分は彼を苦しめているのではないか。
ふとそんな思いが胸をかすめたが、それでも決意を変える気はなかった。
「その代わり……褒めてあげます。たくさん。」
軽口のつもりで言った一言。
この妙な空気を打ち払うための冗談――のはずだった。
だが、結果は逆効果だったらしい。
「じゃあ、本当にそうしてくれますか?」
悪戯っぽく笑う顔に、不覚にも心を奪われ、メロディは彼の髪に手を添え、そのまま額に口づけを落としてしまった。
――そんなつもりじゃ、なかったのに!
顔を赤らめる間もなく、今度は「お返しだ」と言わんばかりに、彼がそっと彼女の手の甲へ柔らかな口づけを落とした。
『……坊ちゃまは人を惑わす悪魔に違いない。』
けれど、その瞬間を思い出しながら胸が高鳴っている自分を見ると、やっぱり自分もかなり好きなのだろうか。
『私までおかしな人になったみたい。』
メロディが彼を求めるように、手の甲の上に自分の唇を寄せたその瞬間……天窓がぱっと開き、明るい光が一気に差し込んできた。
「……っ?!」
驚いたメロディは思わず立ち上がった。
慌てて辺りを見回すと、ロゼッタが天窓を抱え込んだまま、ぱちぱちと瞬きをしていた。
「ロ、ロゼッタ。」
おずおずと名を呼ぶと、彼女は泣きそうな顔をした。
「ごめんね、メロディを驚かせるつもりはなかったの。」
「い、いや。驚いたんじゃなくて、その……。」
メロディは耳まで赤くなった顔を隠すようにしながら、まず大事なことを確認した。
「み、見てないよね?」
「うん、まだ。」
「……まだ?」
自分の手に落とされた口づけを「まだ見てない」というのは、どういう意味なのか。
妙に引っかかる答えだった。
「うん、だって私が勝手に見たら駄目でしょう?」
そう言ってロレンタは、手にしていた手紙をすっと差し出した。
「これは……」
メロディはまだ光に慣れない目を瞬かせながら、それを受け取った。
封筒には見慣れた紋章――記録官試験を受けるときに、何度も目にしたものが押されていた。
「これ、記録官からの手紙じゃない?!」
彼女は慌てて手紙を受け取り、とりあえず深呼吸をした。
隣にいたロゼッタも一緒に深く息を吐いた。
二人は顔を見合わせると、同時に口をつぐんだ。
すぐに封を切り、手紙を取り出して読み始めた。
最初から冷静に読む勇気は出ず、彼女は最後の一文だけ先に目を通した。
そこには、こう書かれていた。
――「では、その日にお会いしましょう。」
『その日に……会うって?』
ただの挨拶で終わるとは思えない。
きっと何か大事な話があるに違いない。
そう考えながら、彼女はようやく手紙の冒頭に目を戻した。
記録官の手紙には「直接会って話したいことがある。来週、宮殿に来てほしい」と記されていた。
「これって……メロディが合格したって意味なの?」
一緒に手紙を読んでいたロゼッタが尋ねたが、それはメロディ自身にも分からなかった。
「よく分からないな。あとでスチュに聞いてみよう。」
――“試験のことなら何でも聞いてくれ”そう言っていたのだから、この手紙の意味も教えてくれるかもしれない。
「心配しないで、メロディ。きっと良い知らせに決まってる!その時は私が直接、盛大にお祝いの宴を開いてあげるよ。」
落ち込んだ顔色を見て気遣ったのだろう。
ロレンタは満面の笑みを浮かべてそう告げた。
「……ありがとう。」
だが、メロディの胸を締め付けているものは、ただ意味の分からない手紙だけではなかった。
試験の結果を気にしても仕方ない――それは十分分かっている。
本当に気にしているのは別のこと。
――もし合格して入宮する日が、ちょうど坊ちゃまと演奏会へ行く約束の日と重なってしまったら……。
彼にこの知らせを伝えたら、ひどく失望してしまうのではないだろうか。
もっとも、あの性格からしてそこまで露骨に落胆することはないだろうが。









