余命僅かな皇帝の主治医になりました【２２話】ネタバレ

あの出来事の後、セリーナはアゼイドに対してさらに冷たく、素っ気なく振る舞うようになった。

朝は口をきかずに挨拶だけして、すぐに立ち去った。

散歩の時間になるとレオナルドに付き添いを頼み、彼の着替えはアンナに任せた。

主治医と皇帝の間の冷たい空気が長引くほど、周囲の人々もピリピリと緊張を隠せなかった。

そんな中、食堂でアンナがマリに耳打ちした。

「どうしてケンカしたの？」

誰のことか聞かなくても、マリにはすぐに分かった。

マリはため息をつき、顔をこわばらせた。

「……分かりません。話してくれません。」

「恋人同士の喧嘩は剣で斬り合うって言うけど、これは氷の刃で戦ってるみたいだね。」

アンナは震えながら顔をしかめた。

皇帝の寝室を外で守る担当のアンナは、二人の冷たい空気を全身で受け止めていた。

これが長引けば長引くほど、アンナは不安でたまらなかった。

マリは無表情のまま、もらった柔らかいパンを見つめた。

そして、セリーナの黄色い瞳を見た瞬間、セリーナの目元が少し潤んでいるのに気づいた。

『セリーナ様、お休みにならないんですか？』

『うん。研究することがあるから。』

『また陛下の治療薬を探していらっしゃるんでしょう？どうか休んでください。じゃないとセリーナ様が先に倒れてしまいますよ。』

『いいよ。死んじゃうかもしれないし。』

『そんなこと言わないでください！』

『あ、ごめん。何言ってるんだろうね、私。』

マリは、セリーナに同情せずにはいられなかった。

死んでもいい、なんて冗談を言うほどなら、皇帝との冷戦がどれだけ辛かったかは明らかだ。

毎晩、眠る間も惜しんで治療薬を探し続けた相手だったから。

心から愛しているからこそ、愛する人に拒絶される痛みがどれほど苦しいか、マリには分かっていた。

マリは込み上げる涙を必死にこらえた。

そっと拳を握り締めながら。

「セリーナ様がかわいそう……。あんな冷たい人の何がそんなに楽しいのか、毎晩ろくに眠れていないようです。」

「セリーナ様も眠れていないんですか？」

「毎晩ため息ばかり吐いて、とても苦しそうなんですよ。見ているだけでつらいです……。」

「そうだよね……。」

アンナは肉をもぐもぐ食べながら、何か意味ありげな目つきをした。

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「へくしっ！」

セリーナは突然くしゃみをして、肩をすくめた。

「誰かが私の噂でもしてるのかな。」

昨夜遅くに寝たせいか、体がゾクゾクと寒気を感じた。

『このままじゃ風邪をひいちゃう。体を温めないと。』

幸いにも、前もって休暇を申請していたので、アゼイドの世話に行かずに済んだ。

朝の診察はすでに終わっていたので、今は完全にセリーナだけの時間だ。

セリーナは重たい体を引きずりながら壁際に置かれた棚を満たしていった。

皇宮の建物は高く広々としているため、隙間風が吹き込んで冷え込んでいた。

体調も悪いせいか、余計に寒く感じられた。

セリーナは本棚から何かを取り出して、安楽椅子に腰を下ろし、分厚いブランケットをかけた。

『ああ、あったかい。』

セリーナは満足げな表情を浮かべながら、本を手に取る。

セリーナは昨夜、マリアにこの本で殴られかけてどれほど冷や汗をかいたことか。

幸いにも、研究していた本たちが机に積まれていたおかげで危機を免れたのだった。

本の表紙には《真性患者観察記》としっかり書かれていた。

ここで言う「真性患者」とはもちろんアジェイドのことだ。

「はあ……。次からは鍵をしっかりかけておかないと。」

セリーナはため息をつきながら、本を開いた。

［皇帝このクソxx］

強烈な文句で始まる昨日の記録には、怒りがにじみ出ていた。

セリーナはアゼイドの荒々しい感情を読み取って、ふっと笑う。

胸が少しすっきりした。

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一方、アゼイドはベッドに横たわったまま天井のシミをぼんやりと見つめていた。

そのとき、そばで待っていたレオナルドが尋ねた。

「いつまでそんなふうにしているつもりですか？」

「何？」

アゼイドはレオナルドに視線を移し、淡々と聞き返した。

「セリーナさんのことですよ。」

レオナルドは皮肉めいた笑みを浮かべながらアゼイドに直球を投げた。

アゼイドは答えたくなさそうに眉をひそめ、レオナルドに背を向けたまま横になった。

セリーナと冷えきった関係になってから、約一週間が過ぎていた。

セリーナは毎日、コツコツとアゼイドに付き従いながらも、以前のようにひるむことはなかった。

ただ、レオナルドや侍女を通して言葉を伝えるときだけは、息苦しくて死にそうだった。

『レオナルド卿、陛下に今日の散歩は必ず行くようお伝えください。』

『陛下、今日は必ず散歩に行っていただきたいとのことです。』

『もう聞いたと伝えろ。』

『もうお聞きになったそうです。』

人前でわざわざ言葉を伝えろというのは、どう見ても嫌がらせだった。

実のところ、アゼイドが怒りをぶつけようとしなかったわけではない。

ただ、セリーナ側が完璧に防ぎ切ったため、ただただ気まずいだけだった。

まさかこんなに長引いて、ぎくしゃくしたままになるとは思わなかったので、アゼイドも当惑していた。

彼女がここまで冷たくなった理由は、きっとあの日の彼の発言のせいだろう。

『だって私は、陛下のただの庇護対象ですから。』

セリーナの表情は、初めて会ったときよりもさらに他人行儀だった。

アゼイドは、あの日のセリーナの張り詰めた表情を見たとき、思わず彼女を衝動的に引き止めたくなった。

けれど、アゼイドはその場でセリーナを引き止めることができず、状況はこうして冷え切ってしまった。

結局、時間が経てば経つほど、落ち着かなくなっていったのはアゼイドの方だ。

『自分から距離を置いたくせに、傷ついているなんて……。』

アゼイドは、自分でも困惑していた。

周囲の人々には冷たく当たるのが常だった彼なのに、なぜかセリーナにだけは甘くなってしまうようだ。

アゼイドは、依然としてセリーナを完全に信用してはいなかった。

とはいえ、セリーナが誰かから命令を受けているのではないかと疑っているわけではない。

ただ、彼女の居場所を知ったうえで近づこうとする間者たちが、彼女を裏切らせようとするのではないかと警戒しているだけだ。

人を見かけで信じるには、彼の人生はあまりにも裏切りに満ちていた。

利益を得るために集まっては、すぐに離れていく──

そんなことを繰り返す宮廷の中で、彼は生き延び、自力で皇帝にまで上りつめた。

それでもなお、彼は貴族たちの監視の目から逃れられなかった。

ビンセント家門がセリーナに接触してきたとき、アゼイドは「やはりそうか」と思った。

ビンセント家の若者たちは、最初から不愉快だった。

下級貴族でさえ馴れ馴れしく擦り寄ってくるのだから、上級貴族なら当然もっと図々しく近づくだろう。

だから、むしろセリーナのほうに近寄ってくるかもしれないと考えたのだ。

自分から距離を置いたのは、今のアゼイド自身が望んだことだったのかもしれない。

なのに、なぜこんなにも心が焦げるように苦しく、沈んだ気持ちになるのだろう。

ただ周囲の人たちに冷たく接し、仕事に没頭するだけのいつも通りの皇帝になっただけなのに。

彼女が何なのだろう。表情ひとつでどうしてこんなにも心がかき乱されるのか。

そんなとき、レオナルドがそっと尋ねた。

「あの日、何かあったんですか？もし無断外泊の件でお怒りなら……」

「私がそんなに器の小さい人間に見えるか？」

「はい。」

一瞬の迷いもなく返された答えに、アゼイドは暖炉の前でぴたりと動きを止めた。

親友までもが、彼女の味方をするとは！

「いつからお前が、俺より俺の主治医の味方をするようになったんだ？」

「恋人の喧嘩は、長引くほどいいことがありませんから。」

レオナルドが肩をすくめながら、困ったように言った。

「……！な、なに？それはどういう意味だ！」

アゼイドは声を荒らげたが、レオナルドは冷静な表情を浮かべていた。

『恋人喧嘩？俺が？主治医と？』

困惑したアゼイドがさらに声を荒げようとしたそのとき、

「陛下、入ります。」

誰かがノックしてから寝室に入ってきた。

やって来たのは侍女のアンナだ。

アンナが薬湯の盆を持って入り、アゼイドに差し出した。

本来ならセリーナが直接持ってくるはずだったが、騒動以降はこの侍女に任せることが増えた。

それでも今までは必ず一緒に来ていたのに、彼女がいないことに、アゼイドは鋭く問いかけた。

「なぜ君が来た？セリーナは？」

皇帝から初めて声をかけられたアンナは、驚いて肩を震わせた。

「はい、セリーナ様が代わりにお持ちするようにと仰せでした。」

「それでも、いつも一緒に来てただろう。」

「そ、それが今日は休暇を取られたんです。」

「休暇を取った？」

俺と診察するときですら、顔も見たくないってことか？

アゼイドは焦りから顔をしかめた。

すると途中で、アンナがおずおずと口を開いた。

「その……、体調があまり良くないみたいです。」

その言葉があまりにも突然だったので、アゼイドの瞳が大きく見開かれた。

セリーナが体調を崩している？

アゼイドはセリーナの体調が悪いという言葉に、思わず身を震わせた。

しばらくして彼はそっとアンナを見上げた。

「そんなに悪いのか？朝までは何も言ってなかったのに……。」

実は、アゼイドはただ様子を見に来ただけで、きちんと会話をする時間もなかった。

アンナは怖がりながら答えた。

「そ、その、聞いた話では、皇宮に来てから毎晩、陛下の病気を治す方法を研究しているみたいで……。夜明けまで働いていらっしゃるそうです。」

「……」

「それに最近はつらいことでもあるのか、ため息ばかりついて、眠れない日も多くて……。」

アンナはアゼイドの顔色をうかがいながら、さらに言葉を続けた。

「毎日そんな調子じゃ、体を壊すのも当然ですよ。今日も顔色が良くないみたいで……。」

アンナはため息を深く吐き、皇帝を心配そうに見つめた。

アゼイドはアンナの話を黙って聞きながら、表情を変えなかった。

『一体、どうして俺のためにそこまで……？』

アゼイドには、セリーナの無理な行動が理解できなかった。

1年契約を提案したとはいえ、まだ十分時間は残っている。

以前は余裕たっぷりにしか見えなかった彼女が毎晩、急いで自分の病気を治そうと努力していたなんて。

その時、レオナルドが隣で口を挟んだ。

「みすぼらしい傷にお金を注ぎ込むのは骨が折れるものですよ。」

「レオナルド。」

アゼイドが睨みつけると、レオナルドは目を伏せ、また上げて、ふざけた様子で返事をした。

アゼイドは侍女とレオナルドがそろって自分を責める様子に、思わず口をつぐんだ。

『自分の治療薬がどうって？夜を徹して研究してた？だから体調が悪いんだ。』

知らなかった事実に、罪悪感が込み上げた。

『お前が何だって俺のことを心配するんだよ。』

ここまで頑なに意地を張ることはなかった。

良心がチクリと痛み、彼女に冷たく言い放った言葉を後悔した。

「医者は？診てもらうって言ってなかったか。」

「本人が医者だから必要ないと。」

「……！」

アゼイドは、そうだろうと思ったかのように、静かに冷えた湯薬を一気に飲み干した。

そして誰に言うともなく、突然立ち上がりこう言った。

「誰もついてくるな。」

「どちらへ行かれるのですか。」

「聞くな。」

アゼイドは荒々しく、静まりかえった寝室を後にした。

本当はセリーナが心配で様子を見に行こうとしていると口にするのが恥ずかしかった。

しかしレオナルドは誰なのか。

皇帝の側近であり、友人でもある。

レオナルドはアゼイドがどこへ行こうとしっかり把握していて、不安そうなアンナに言った。

「心配せずに行ってこい。」

「え、でも、今、陛下の様子があまりにも……」

怖いですよ？

このままだとセリーナ様にまで被害が及ぶのではないでしょうか？

ケンカが長引く気配に、アンナはそっと足を引こうとしたが、むしろケンカを眺めているだけのようで心配になった。

何も言えずにうろたえるアンナを見て、レオナルドが淡々と告げた。

「心配だから行ってくるだけだ。」

「うん。」

「もともとそういう方だからな。周りの人が苦しんでいるのを見過ごせない。」

レオナルドはアゼイドの空席をぼんやりと見つめていた。

長年そばで見てきた彼は、実は情に厚い人間だった。

あちこちぶっきらぼうに振る舞うことはあったが、根は優しくて臆病だった。

四人部屋の中でも、なかなか心を開かない彼を内心心配していたが、そこへ突然現れたセリーナは、アゼイドの固い殻をやわらかく包み込んでいた。

良い相手を見つけたようで、レオナルドは安堵していた。

どうか、この大切な存在を手放さないようにと願いながら。

『ようやく伝令役も終わるか。』

レオナルドは苦笑して席を立つ。