偽の聖女なのに神々が執着してきます【１１９話】ネタバレ

月明かりにきらめく黄金の髪、その対比となるような鋭く冷たい瞳に私は息をのんだ。

レイハスの手には、いつも腰に帯びている短剣が握られていた。

その先端からはハンスの血が滴り落ちていたのだ。

「ぐあっ！うぎゃああ！！」

血を流す腕を押さえながら後ずさるハンスは、恐怖に叫び声を上げた。

［正義の神ヘトゥスは、卑劣な魂と変態のような魂の中では、まだ変態のような魂の方がましだとしてレイハスを応援します。］

［芸術の神モンドは、誰かと誰かを比較すること自体を不快に思っています。］

私は少女の目を覆い、背後へと庇った。

「ぐあっ！ぎゃああ！！な、何だ！！お前は何者だ！！」

苦痛に身をよじりながらも、ハンスはレイハスを狙おうとしていた。

『やめておいた方がいいのに』と頭をよぎったが、口に出す必要はなかった。

「その汚れた手を、よくも誰かに向けられるものだな。」

レイハスの赤い唇から、威圧的で低く危険な声が漏れた。

「お前！！貴様ら！！こんなことで俺を恐れると思うか？部下を差し向けて必ずお前らを殺してやる！！」

刃物で刺されながらも虚勢を張るハンスに、レイハスがゆっくりと身をかがめた。

「ハンス・レイジフィールド。あなたのことはよく知っています。」

レイハスの冷たい声に、ハンスの体がびくりと震え、怯えた目で彼を見上げた。

「ひっ……ひぃ……」

「神殿で少しでも集中していれば、私を思い出したはずです。私の顔を覚えていないということは、エリリウムでも結局はこうした下らない行為ばかりを目的にしていたということなのでしょうね。」

その言葉に、ハンスが記憶を手繰るように瞬きを繰り返した。

そして遅ればせながら、目の前の人物がエリリウムの大神官であることに気づいたように目を大きく見開いた。

「粛清を行い、エリリウムからあなたの一族を根絶やしにしたはずなのに……。」

レイハスの低く湿った声には、鋭い殺気が込められていた。

驚愕の眼差しで自分を見つめるハンスに向け、彼はまるで歯ぎしりするかのような声で威圧する。

「今度こそ、この世からあなたとあなたの一族を完全に根絶やしにする方法を見つけてみせます。」

「ひっ……ひぃっ！！ しっ……すみません！ 許してください！ ど、どうか……！」

ハンスは地面に頭をこすりつけてひれ伏した。

[神々は炭酸飲料を分け合いながら飲んでいます。]

「私が気が狂っておりました！本当に申し訳ありません！！許してください！！」

帝国においてエルリウムの権勢は宮廷に匹敵するほど強大だった。

そのエルリウムの大神官であるレイハスは、凡庸な男爵の一族である彼が到底逆らえるような存在ではない。

私は緊張した目で、レイハスの手に握られた剣を凝視した。

――なぜ忘れていられただろう。

彼はかつて、アニーの首を一刀のもとに斬り落とした張本人だったのだ。

鋭い殺気に緊張したが、幸いにもすぐに彼は剣を鞘に納めた。

私は胸を撫で下ろすように小さく息を吐いた。

どんな屑であっても、目の前で人が死ぬのは見たくなかった。

「神法に従って裁いてください。」

その言葉に、レイハスがわずかに口元を引き締めた。

すると、いつ待機していたのか、暗がりから聖騎士たちが現れ、ハンスを連れ去っていった。

神国法と別個でありながら同等の効力を持つ神法は、神を冒涜したり神殿を脅かす者に適用される。

私を害そうとした行為は、そのまま神殿への脅威として裁かれるに十分であった。

「せっ……聖女様！ 申し訳ありません！ どうか、一度だけでもお許しを……ぎゃあっ！」

連れて行かれるハンスの悲鳴が遠ざかり、私は茫然とレイハスに視線を向けた。

私たちの間に風が吹き抜けた。

そよ風は彼の金色の髪を一度撫で、私のボネットのレースを揺らした。

いつから私を見ていたのか、その視線に胸がざわついた。

一歩、二歩と私に近づいたレイハスは、背後で震えている少女に向かって言った。

「明日が明けたら、エルリウムに来なさい。文使に伝えておきます。」

少女は震えながらレイハスを見上げた。

レイハスは先ほどハンスの腕を剣で貫いたのが嘘のように、落ち着いた表情で柔らかい笑みを浮かべた。

「通りでリンゴを売るよりも報酬が高い仕事を与えましょう。時間も自由です。」

その言葉に、少女は呆然とした表情を浮かべたのち、深くお辞儀をした。

「こ、……ありがとうございます。」

そしてレイハスに一礼したあと、私にも頭を下げ、慌ただしく立ち去っていった。

［愛の神オディセイが、レイハスの温かな心に拍手を送ります。］

［慈愛の神オーマンは、次の場面を楽しみにしています。］

「あ……」

薄暗い通りには、もう私と彼だけが残されていた。

気まずい沈黙の中、レイハスが先に口を開いた。

「行きましょう。だんだん視線が増えてきましたね。」

狂ったようにこちらに近づいては来なかったが、人々が背後に多く集まっていた。

私はフードを深くかぶり、彼が私の手を取った。

レイハスと共に乗った神殿の馬車は、しばらく走って首都郊外のある湖に到着した。

そしてその湖には監獄が一つあった。

「ここは……」

「私の別荘です。」

「監獄ではないのですか？」

見た目は二階建ての家のようだったが、扉と窓が鉄格子で覆われているのを見て、そこが監獄だと悟った。

［正義の神ヘトゥスは、あなたに「今さら逃げられると思うのか」と囁きます。］

［芸術の神モンドは、ヘトゥスの口を塞ぎながら「蛮族の酋長の戯言など聞くな」と目を細めます。］

まさか、本当に逃げ場のない場所とは……。

「監獄ですか。」

彼は法衣の腰帯から、どう見ても牢の鍵にしか見えないものを取り出し、鉄格子の扉を開けた。

そして二重になった内扉を押し開いた。

中に入ると、ようやく別荘のような内部が見えた。

やはり逃げ出すようなことは……ないのだろうか？

私は少し緊張しながら、彼に案内された居間のソファに腰を下ろした。

台所に入ったレイハスが器をカチャカチャと鳴らしながらお茶を淹れている音が聞こえてきた。

このまま置き去りにされることはないだろうと不安が込み上げてきた頃、彼が香ばしいハーブティーを持って現れた。

「聖女様も別荘を飾るために競売に通っていると仰ったことがありましたね。」

神殿を去ることを念頭に置きながら、彼にうっかり漏らしてしまった時のことを思い出した。

「ええ、そうでした。」

「その時、私もこの徽章を身につけました。私たちが近づけば、もっと一緒にいられるのではないかと期待して……」

その言葉に、私は熱い茶杯を強く握りしめた。

「近づけば」という言葉に、その夜の彼の姿がよみがえる。

端正な祭服に身を包み、冷徹な表情で剣を振るっていた大神官レイハスとはまるで別人のような――今、私の前で見せている切ない顔。

「……狂おしいほどに敬愛しています、主よ。」

瞬間、顔に一気に熱がこみ上げ、私は思わず視線をそらした。

「さっきはありがとう。あのゴミを片付けてくれて。」

「口調が……荒くなられましたね。」

[慈愛の神オーマンは『主人』らしい口ぶりだとあなたを応援します。]

「ええ……そうですね。最近はストレスを受けることが多いので。ところで、どうやって私を見つけたのですか？」

彼がかすかな笑みを浮かべ、お茶をそっと置いて言った。

「どこにも戻られないのではと思い、探しに出たのです。すると偶然、聖女様と一緒にあの者を見て、思わず頭に血が上って……見ていられませんでした。」

その場面は確かに残酷だった。

だが、私を守ろうとしたレイハスの気持ちが伝わってきた。

「いいえ。おかげで胸がすっとしました。あんな人間は、むしろああやって晒されても当然です。」

そう言うと、彼はふっと笑みを浮かべた。

「……きっと、そんなところに惹かれて、私はあなたを好きになったのでしょう。」

［愛の神オディセイが、両手を頬にあてて息を呑みます。］

［慈愛の神オーマンが鼻を鳴らします。］

［芸術の神モンドは「やっと少し落ち着いた」と言いながら、炭酸飲料をゴクゴクと飲みます。］

冗談のように軽く流れる告白に、私は何と答えればいいのか分からなかった。

「とても聖女らしくありながら、また聖女らしくないところもありますね。」

一瞬の静寂の後、彼が再び口を開いた。

「きっと、私が出しゃばらなくてもご自身で解決なさったでしょう。あなたにはそれだけの力がありますから。」

かつて地下の牢に閉じ込められていたレイハスを救い出したことを思い出した。

私の力を知ってからは、随分と視線が変わったようだ。

「はは……それでも、とにかく助けてくださって感謝します。」

私は意味のない笑みを浮かべて、この妙な空気を和らげようとした。

けれども、それ以上にかける言葉は思いつかなかった。

［愛の神オディセイが、あなたの曖昧な反応と鈍い機転に悲しみを覚えます。］

再び沈黙が流れる。

「……ところで、聖女様は。」

不安げな表情で口を閉ざしていた私に、レイハスが再び口を開いた。

「私は長い眠りからようやく目を覚ましたというのに――私の体の状態がどうなっているか、気にならないのですか？」

[愛の神オディセイは、鋭い視線でモンドを見つめながら口元を吊り上げます。]

弱点を突かれるような彼の言葉に、私は思わず動揺した。

「……あ……でも、ちょっと聞いてみたくて……」

「気になさらなかったのも理解できます。きっと私が無事で、必ず目を覚ますと分かっておられたからでしょう。」

[芸術の神モンドが唾をゴクリと飲み込みます。]

しかし、私が何か言い訳をしようとする前に、彼が先に答えを口にした。

「……呪いにかかっていた私を、癒やしてくださったのですね。」

［芸術の神モンドの掌に汗がにじみます。］

私もまた、手に汗が滲むのを感じて立ち上がった。

「レイハス様、そろそろ神殿へ戻られた方がよろしいでしょう。もう遅いです。」

だが彼は、なおも席に座ったまま茶杯を手にしていた。

鋭い金色の眼差しだけが、私を鋭く射抜くように見つめていた。

「……思いがけず、ディエゴ卿の使者から連絡を受けました。デイジーの安否についてです。」

「……」

思い出せない、思い出すことができない……。

私は心の中でそう繰り返すしかなかった。

その時、彼がカチリと音を立てて茶碗を置く音が聞こえた。

やがて彼が一歩、また一歩とこちらに近づいてきた。

私は緊張で体を強張らせ、はるかに大きな彼がついに目の前に立った瞬間、息を呑んだ。

鋭い視線で私を見つめていた彼は、やがて静かに私の前に膝をついた。

「レイハス……様……」

その肩に手を伸ばし、彼の衣を掴んで――欲望を吐き出したあの瞬間は、今も鮮明に蘇る。

「あなたが私を救ってくださったのです。」

頬が火照り、胸の奥が熱く燃え立つように感じたその時、彼は私を見上げて言った。

「私はもう、生涯あなたのものです。主よ。」

［慈愛の神オーマンが、まもなくセレモニーを執り行います。］

［愛の神オディセイが、新しく覚えたタップダンスを踊ります。］

［芸術の神モンドは、その場に身を投げ出すようにして目を閉じます。］

覚えていた。

彼の瞳の輝きで、その声で分かった。

「やはり……あれは夢ではなかったのですね。」

あの夜の出来事……彼は忘れていなかった。

彼の首には、私が噛みついた痕が残っていた。

微かに残る金色は私を切なく見つめ、その頬には赤い朱が差していた。

「私はあなたの奴隷であり、あなたの剣であり、あなたの……あなたの……」

彼の手が私の足首を掴んだ。

「あなたの望むもの、何にでもなります。」

[慈愛の神オーマンが、レイハスの発言を深く愛おしく思っています。]

神へと祈りを捧げる厳格な聖者のように、彼は私を見つめていた。

震えるレイハスの声の余韻が、私の心臓に深く刻み込まれる。

私は思わず身を屈め、彼の目前にひざまずいていた。

美しいレイハスの顔が、すぐ目の前にあった。

ドクン、ドクン、と心臓が鳴る。

彼が呪いによって死ぬかもしれないという現実に直面したとき、私はレイハスへの想いをはっきりと悟ったのだ。

初めから今まで、ただ私だけを熱く見つめ続けてきたこの美しい男が、ずっとそばにいてほしいと願ってしまう――そんな切実な望みを。

そして……私は自分の中に潜んでいた、甘美で危うい欲望を、あの夜以降レイハスと共に知ってしまった。

『泣かせたいと思うことも、愛なのだろうか。』

人に聞かれたら、狂気だと笑われるに違いない。

この綺麗な男を泣かせたいだなんて。

けれど泣きそうで泣けないその顔と、苦しげな息遣いは、まるで刻印のように私の脳裏に焼き付いていた。

まったく……自分のこの状態を否定したかった。

だが彼は私の性向を揺さぶっていた。

小雨が衣服を濡らすように、静かに語りかけてくる。

私はレイハスの頬に手を伸ばした。

彼の震える肩がわずかに揺れた。

「温かいですね、レイハス様の頬は。」

[慈愛の神オーマンは、自分の胸も燃え上がっていると言います。]

[愛の神オディセイは、自分ほど燃えてはいないだろうと反発します。]

[芸術の神モンドは両手を上げ、ただ茶化しています。]

私の言葉に、彼の少し開いた唇に微笑みが浮かんだ。

私は少し震える声で問いかけた。

「私のものになりたいのですか？」

彼は片手で自分の頬を包みながら、私の手の甲を覆っているもう一方の手で顎を撫でた。

慈しむような仕草に、しばし言葉を失った私は、彼を見つめながら小さく息を吐いた。

そのとき、彼の金色の瞳が不安に揺れているのが見えた。

その揺らぎを見て、私は熱を帯びた微笑みと共に唇を結んだ。

「……厳かな祭服も、また邪魔になるかもしれませんね。」

私の言葉に、彼はわずかに動揺したように私を見つめ返した。

ほんの一瞬、時が止まったかのように。

こわばっていた唇に、安堵を含んだ微笑みが浮かんだ。

「構いません。もっと熱くても。」

はあ。

[芸術の神モンドは、自ら作ったレイハスの肖像画の座布団を全ての神々に贈ります。]

[慈愛の神オーマンは、これからここが自分の定位置だと宣言します。]

[愛の神オディセイも続いて腰を下ろします。]

[死の神カイロスも腰を下ろします。]

[破壊の神シエルは腹を抱えて笑い転げます。]

［知識の神 ヘセドが、ゆっくりと床に背を預けます。］

［正義の神 ヘトゥスが、まどろみながら眼鏡を外して置きます。］

［運命の神 ベラトリクスは、すでに横になっています。］

［ほとんどの神々は、この甘美な監獄の情景を愛しています。］

――湖畔の星空の下、再び私たちだけの時間が始まった。

時は速く流れていく。

青い果実が芳醇で甘酸っぱい赤い果実になるように、私たちの感情も熟していった。

そしてデイジーと散歩に出かけたある日、私はデイジーの弾んだ声を聞いていた。

「聖女様！ 最近、貴族の娘たちの間で『人生は聖女様のように』という流行語が広まっているんですよ。」

美しく咲き誇るホワイト・ロトニアの葉を撫でながら、私は知らないふりをして尋ねた。

「それはどういう意味？」

「全部お持ちじゃないですか。神殿の主人であり、富もあり、神々からの愛も受けて……何より帝国一の美男子を夫として迎えられたのですから。」

［慈愛の神オーマンが、別のルートを思い浮かべながら「すべてを得る」という言葉の真の意味について考え込みます。］

［愛の神オディセイが、息を呑みます。］

思わず口元に笑みがこぼれた。

聖女が大神官を夫として迎えるのは初めてのことで、本殿はただいま改装工事の真っ最中だった。

私たちの独立した空間を確保するために。

まあ、たとえ独立した空間がなくても、毎週末には彼の「監獄」……いや、別荘があるので問題はないのだが。

「デイジーにも、きっと良い縁が訪れるはずだよ。」

最近、彼女が中級神官の一人と手紙をやり取りしていることを知ってはいたけれど、私はあえて気づかないふりをして微笑んだ。

「へへ、そうでしょうか。」

私を見て一緒に微笑んでいたデイジーが、ふと目を見開き、息を呑んだ。

「はっ、大神官様ですね。」

そして身を翻し、私の後ろにすっと身を隠した。

肩越しに振り返ると、レイハスがこちらへ歩いてくるのが見えた。

爽やかな風が二人の間をすり抜け、ロトニアの香りが鼻をくすぐる。

目の前に立ったレイハスは、私の手を取り、その甲に唇を触れさせた。

［芸術の神モンドは、条件反射のように席に伏せます。］

「祭儀は終わったのですか？」

「はい。たった今。」

彼の首元には、まだチョーカーが揺れていた。

「会いたくて、すぐに駆けつけました。」

遠慮なくそう言う彼を見て、私は熱のこもった笑みを浮かべた。

きらめく瞳も、柔らかな唇も、率直な告白も――すべてが愛おしく感じられた。

そのすべてが、完全に私のものだった。

「一緒に散歩しましょう。」

レイハスが力強い腕で、私の肩を優しく抱き寄せる。

「喜んで。主よ。」

低く確かな声が、私の耳に心地よく響いた。

黄金の陽射しがまばゆい午後だった。

『そして逆説的にも、少年の執拗な愛を代弁するかのように、ロトニアの二番目の花言葉はこうである。“永遠の所有。”』

―『101種類のバラの豆知識』より

＜外伝1 終わり＞