悪役なのに愛されすぎています

悪役なのに愛されすぎています【115話】ネタバレ




 

こんにちは、ちゃむです。

「悪役なのに愛されすぎています」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【悪役なのに愛されすぎています】まとめ こんにちは、ちゃむです。 「悪役なのに愛されすぎています」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介...

 




 

115話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 別れと約束

宴の主役として輝いたロレンタは、やがてすやすやと寝息を立て始めた。

疲れていたせいもあったが、久しぶりにメロディの隣に横たわっている安心感が彼女を眠りへと誘ったのかもしれない。

大切な友と温もりを分かち合えば、ひとりでいる時よりもずっと心地よくて、すぐに夢へと落ちていくのだ。

一方で、メロディは夜が更けてもなかなか眠れなかった。

彼女は長い間、ロレンタの寝顔をじっと見つめていた。

ときどき落ちてくる前髪をそっと撫でて整えながら――。

『……そういえば。』

雨音を聞きながら寄り添うこの光景に、彼女の胸に古い記憶が甦る。

ロレンタと初めて出会った日のこと。

『どうしても物音を抑えられずに困っていたのに……。』

「大丈夫。第1章はとても短いから。」

「だから、私が言いたいのは……ロレッタはきっと幸せになれるってことよ。だから。」

「怖がらずに、安心して眠りなさい。」

メロディの胸の上で眠りかけていた子どもも、今ではもう音に怯える様子を見せず、安心しているように見えたので、彼女もホッとした。

「言ったでしょ、ロレッタ。」

メロディは微笑みながら囁いた。

「あなたはきっと幸せになれる。私の言葉、当たってたでしょ?」

けれど、そのすべての言葉が正しかったわけではない。

「……どうやら私が登場する第1章は、思っていたより長引いてしまったみたいね……。」

席を立ったメロディは、ゆっくりと身をかがめ、眠るロレッタの額へとそっと唇を寄せた。

ふつうなら「おやすみ、いい夢を」と小さなキスを残して部屋を出ただろう。

けれど今夜ばかりは、簡単にその場を離れることができなかった。

「……ありがとう。」

メロディはようやく立ち上がり、静かに足を運んで部屋を後にした。

ロレンタの寝顔を背に、そっと扉を閉める。

慎重に階段を下り、自分の部屋へ戻った彼女は、机にランプをともして紙を取り出すと、この屋敷で出会った人々へ短い手紙をしたため始めた。

――それを終えると、狩猟用のズボンとシャツに着替える。

クリステンスへの旅の途中、クロードが贈ってくれた家族の形見の短剣も忘れず腰に下げた。

最後に、肩を覆う大きなクロークを羽織ると、すべての準備は整った。

メロディはランプの火を吹き消した。

窓の外では、まだ雨が降っていて、光ひとつない周囲は完全な闇に包まれていた。

メロディは、今朝ひとりで考えたことを思い出した。

――こんな日は、人目を避けて動くのにちょうどいい、と。

『だから、今日はとても運のいい日なのよ。』

メロディは窓を開けた。

大粒の雨音が耳を打つほどの光景だった。

彼女はすぐに窓を閉めようとしたが、その瞬間、思わず自分の部屋の方を振り返ってしまった。

「……」

暗闇にまだ目が慣れないせいだろうか。

いや、実際にはそれはどうでもよかった。

わずかな月明かりの下でも、メロディには自室の家具の配置がはっきりと感じ取れたのだから。

彼女は急いで鍵を回し、そっと窓枠を越えて外へ飛び降りた。

中庭を駆け抜けながら、メロディはどうか誰にも会いませんようにと強く祈った。

 



 

濃い雨の帳の中、浅い息が白く揺れた。

メロディはしっかりと手綱を握り、懐から懐中時計を取り出して時刻を確かめる。

――司官との約束の時刻まで、残り三十分。

彼女は馬の腹を蹴って駆け出し、遠くにそびえる都の城郭を目指した。

激しい雨に煙る夜更けの街に、御者も行き交う馬車もなく、彼女の姿を追える者は誰一人としていなかった。

ただ、馬の蹄が残す轍だけが雨に打たれ、やがてその跡も濁流に消えていくだけ。

やがて、城門の前にともされた小さな灯火が視界に映った。

『――着いた。』

屋敷を出てから必死に急いだ甲斐あって、どうにか間に合ったようだ。

約束の時間まではまだ余裕があり、城門を抜けられると思えた。

メロディは雨音の中、苦労を共にしてくれる愛馬のたてがみを軽く撫でながら、歩調を緩めた。

そのとき、背後からせわしない馬の蹄音が響いてきた。

まるで急を告げ、必死に追いつこうとする軍馬のような……?

『もしや、そうでなければ……』

メロディは不安に駆られ、思わず振り返った。

「……っ!」

漆黒の馬がこちらへ猛然と駆けてきていた。

それは公爵が狩猟の折に使うもので、大抵は宮廷や高位貴族たちのためにだけ飼われてきた、由緒ある血統の馬。

その背に、外套もまとわず、ただ鋭い眼差しでこちらを射抜くクロードの姿があった。

驚愕したメロディは、慌てて馬を駆り立てようとした。

「メロディ嬢!」

その声は鋭い号令のように夜を切り裂いた。

思わず手綱を引いたメロディの馬は、驚くほど素直に足を止める。

――黒馬の蹄音が近づくのを聞いた瞬間から、こうなることを心のどこかで予感していたのかもしれない。

やがて、彼の馬が目の前で立ち止まった。

「……」

再び相まみえた二頭は、鼻息を荒げながら互いに首を振る。

まるで再会を喜んでいるかのように。

けれど、メロディの視線は騎乗する公爵へ、そしてクロードもまた、ただ彼女を見つめていた。

「……なぜだ。」

静かに漏れた問いに、メロディは反射的に手綱を握り直す。

だが、その声は闇夜の中でいっそう鮮やかに響き、彼の瞳の輝きだけが、深い闇を押し返していた。

あまりに鮮やかで、メロディはその眼差しが自分の心臓の奥深くまで突き刺さり、痛いほどに抉っていくような気がした。

そして、その奥底から感じられる抗いがたい感情……。

メロディは自分を戒めるように、強く瞼を閉じた。

『……私は、まだ……。』

それでも彼女は、クロードの想いが微塵も揺らがず存在していることに安堵していた。

完全に拒絶しようと決めたはずなのに、それが空しくなるほどに。

「メロディ嬢。」

彼が再び、慎重な声音で呼びかけてくる。

「……退いてください。」

「……」

「退いてくださいってば!」

メロディは必死に言葉を吐き出した。

しかし彼女自身も分かっていた――。

クロード・ボルドウィンという男は、まるで悪魔に取り憑かれたような執念を持つ人間だということを。

結局、メロディの口からは、すべての抑え込みが崩れ去っていったのだった。

道を切り開くために、この事実を受け止めなければならない――。

メロディは固く唇を噛みしめた。

 



 

「メロディ・ヒギンス。」

白いブーツの裏に、彼女の名が刻まれていた。

鋭く浮かび上がるその文字は、司官が示した揺るぎない証拠。

そのブーツはクリステンスで商団から贈られたもの。

本来ならサミュエル公やオーガストが所持しているはずだった。

あるいは――処分されているはずの品。

「こ、これは……どういうこと……。」

「私は年に四度、クリステンスを訪れます。」

動揺するメロディを余所に、司官の声は淡々と続く。

冷静さの裏に潜む確信が、彼女の胸をさらに締め付けた。

「あなたであれば、誰がそこへ潜入しているのか――既にお気づきでしょう?」

皇帝の異母弟があの別棟に住んでいることは誰もが知っている事実だった。

メロディは小さく息を呑んだ。

「サムエル……公のことですね。」

「はい。たとえ反逆の罪を着せられたとはいえ、その血筋の尊さは変わりません。ゆえに我々記録官は定期的に彼を訪ね、その様子を観察して記録を残しているのです。」

――そして、その場所でメロディの靴が発見されたということは?

不安に駆られ、彼女の心臓は狂ったように早鐘を打ち始めた。

サムエル公に関わる話題は、皇帝が最も敏感に反応する部分だ。

かつては、サムエル公とただ一言言葉を交わしたというだけで処刑された者もいたほどである。

『そして今、ここは……』

無惨な死の記録がぎっしりと並んだ書庫。

記録官があえて彼女と面会する場としてここを選んだことには、何かしらの警告の意味が含まれているのではないか――。

「顔色が優れませんね。」

そう言って司官は静かに席を立ち、温かな茶をメロディの前へ置いた。

「お飲みなさい。少しは気持ちが落ち着くでしょう。」

立ちのぼる白い湯気を見つめながらも、メロディは震える手を伸ばすことができなかった。

もし持ち上げたら、その震えが露わになってしまうから。

やがて、彼女の両肩にそっと手が添えられる。

「私も愚かではありません。」

落ち着いた声とともに、司官の手が優しく肩を包んだ。

「ボルドウィン公爵は決して災いを育てる御方ではありません。彼は誰よりも、平和を愛する方なのです。」

そう告げると司官は再び机の向こうへ戻り、柔らかく微笑んでメロディを見つめた。

「……もっとも、その確信が誤りかもしれませんが。」

メロディは目を大きく見開いた。

彼女の行動によってボルドウィン公爵の心を揺さぶることは当然のことだった。

いつか父も言っていた。

人々はヒギンス家の振る舞いからボルドウィンの心を推し量ろうとするのだと。

震える手をぎゅっと握りしめながら、メロディは小さく呟いた。

「確かに……そうです。」

最初は震えていた声も、やがて普段と変わらぬ落ち着きを取り戻す。

「申し上げます。公爵様は皇帝陛下に最も近しい忠臣です。この事実の前では、他のすべては取るに足りません。」

「しかし、あなたの名が刻まれた靴が、サムエル公の屋敷で発見されたのもまた事実でしょう?」

記録官の意味深な視線を受けながらも、メロディは怯むことなく顎を引いた。

「ボルドウィン公爵がそんな愚かな過ちはなさらないでしょう。」

「……大胆なお言葉ですね。もし本当に反逆を企てていたのなら、こんな証拠など残すはずがない、と。」

「公爵様は隙のないお方ですから。」

「……確かに。」

司官は中腰になり、卓上の茶を一口含む。

緊張を和らげるように、あえて穏やかな仕草を見せながら。

「実は、私もそう思っていたのです。公爵殿は用意周到で、鉄のように冷徹な方ですから。」

「……え?」

思わず問い返すメロディに、彼女は肩をすくめるようにして答えた。

「邸宅で見つかったのは、あなただけの靴ではありません。祭りの最中に観光客が落とした金細工のブローチや、レースの縁飾りがついたハンカチ――そうしたものも一緒に紛れ込んでいたのです。」

「そんなもの、どうして……」

「売ればそれなりの金になるからでしょう。靴に付いていた飾りのような物のことです。あそこの使用人たちは、それを臨時の褒美のように考えているのです。」

言われてみれば、メロディもそんな話を聞いたことがあった。

どの家の使用人でも、貴重な品を見つければこっそり懐に入れることがあるのだと。

もっとも、裕福な公爵家で使用人が贈り物を受け取るなどということは、決して起こらないことだが。

「メロディ・ヒギンス。」

声は少し疲れを帯びていた。

「正直に言えば、私は少し疲れました。」

「疲れ……たのですか?」

「ええ。」

彼女は寂しげに微笑みながら、この部屋をしばし見渡した。

久しくそうすることもなかったのだろう。

「この時期になっても、私は記録官であり続けました。」

「……あ。」

「お気づきですか?その意味に。」

メロディは喉の奥で小さく声を漏らした。

日々、死を記すことがどれほど冷酷な行いか、彼女はようやく悟り始めていた。

「いえ、あなたには分からないでしょう、若きヒギンス。」

記録官は淡くため息をつき、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

「かつて私も、サミュエル公の一挙手一投足を記しました。陛下が彼を反逆者と断じ、処分を命じられたときも。私は死を覚悟しながら、すべてを書き残したのです。――ただ、彼に頭を下げた、あの青ざめた少年のことも。」

その瞬間、メロディは気づいた。

記録官の指先が微かに震えていることに。

そして、続く言葉が何であるかも、予感していた。

「……あの少年は、死んだのですね。」

「ええ。その記録も、この手で書きました。」

記録官の静かな声が、冷たい刃のように胸を突いた。

メロディは彼女の心の奥底に潜む恐怖を、ありありと思い描いてしまった。

彼女が記録に名前を書き残した人物の大半は、無念の死を遂げた者たちだった。

「実は、もう少し穏やかになると思っていたのですが……」

彼女は小さく息を吐きながら、そっと首を振った。

「最近、サムエル公爵邸から密かに逃げ出した侍女が一人いました。もちろん、使用人が仕事に耐えきれず逃げることは珍しくありませんので、私は深く考えず記録に残しました。」

だが、その記録を目にした皇帝の考えは違った。

その侍女はサムエル公爵の命を受け、他の貴族に新たな反逆の意思を伝えに行ったに違いないと。

「結局、陛下はその哀れな侍女を捕らえさせました。もちろん処刑でした。罪状は反逆。しかし、実際には証拠などありませんでした。いや……」

記録官は一瞬、唇を噛みしめてから言葉を続けた。

「処刑の証拠となったのは、私の記録でした。「――サミュエル公の邸宅から逃亡した、と。ただその一行が、記録に残されたすべてでした。」

メロディは言葉を失い、胸の奥に冷たいものが広がっていくのを感じた。

その証言が指し示す人物が誰であるか、思い浮かべるのは難しくなかった。

『……それでは、無事に……生き延びられたと?』

『処刑された。』

短く放たれた答えは、オーガストの母を意味していた。

「よく聞いてください、ヒギンス。」

記録官は静かに語りながら、机の上に置かれた靴を両手でしっかりと握りしめた。

「私の正確な記録は、またしても人を死に追いやるでしょう。」

「…………」

「しかも、犠牲は一人では済まない。陛下は必ずボルドウィンをも、この件に連座させるはずです。――今の状況では、なおさら。」

その声音には、確信にも似た重みが宿っていた。

時期が良くなかった。

公爵は実際にサムエル公に会うため、クリステンソンへ向かっていたからだ。

たとえ公爵が魔法の力で姿を変えていたとしても、皇帝の執念深さはその正体を暴き出し、存在しないはずの反逆罪までねつ造するかもしれなかった。

「もしかすると、この部屋に積まれた記録の数だけ、数多の死が呼び起こされることになるかもしれません。いえ、ボルドウィン公爵の影響力を考えれば、それは必然でしょう。」

彼女の言葉は、目の前に突き付けられるような冷酷さを帯びていた。

深い恐怖が刻まれた顔で、かすかに震えている。

「記録官殿……」

慰めを求めるような言葉に、彼女はわずかに首を振った。

「メロディ・ヒギンス。私の師が去り際にこう申しました。記録官に与えられる機会はただ一度きりだと。」

「……機会、ですか?」

「記録に真実を残さずに済む機会のことです。」

「――!」

「ただし、その機会は一度きりしか使えません。」

「記録官さま、それは……!」

「ええ。」

記録官は喉を震わせるように声を落とし、メロディを静かに見据えた。

「この世に、堕落の甘美さを知る記録官など必要ありません。記す者は、常に完全に中立でなければならないのです。」

それはつまり、己の立場をすべて捨てる覚悟を意味していた。

「――私は、この一度の機会であなたを救おうと思います。」

「でも!」

「今になってようやく分かりました。きっと、私の師も……同じやり方で、誰かを――救いたかったのだろうと。」

記録官はようやく、かつての師の心を理解したのかもしれなかった。

「ただし、条件があります。ヒギンス。」

彼女は過去の肖像画から視線をそらし、目の前の若者を真っ直ぐに見据えた。

「私と同じ選択をしてくれますか?」

「記録官になることを……捨てろという意味ですね。」

「ええ。あなたが都に留まるなら、採用を拒んだ理由を探り立てようとする者が現れるかもしれません。」

目に見えないものは容易に忘れ去られる。

記録官は、その真理を今回の件で利用しようとしているのだ。

メロディは深く息を吐いた。

何かを逡巡するような表情ではあったが、実のところ長く考える必要はなかった。

メロディはヒギンス家の娘であり、その名を背負う者がどの選択を取るべきか、誰よりもよく理解していた。

――たとえそれが、己の口から偽りを紡ぐことになろうとも。

生涯の夢を踏みにじることになろうとも。

それでも、ボルドウィンを守らなければならなかった。

メロディは、目の前に置かれた茶器を静かに口へ運び、一口含んでから迷いのない声で言葉を返した。

 



 

「……私は、約束をしました。」

まだ雨が降りしきる宵の中で、彼女はクロードに向かって告げた。

「今日、すぐにでも出発すると。」

その言葉に、クロードの瞳がわずかに揺れる。

まるで『本当に?何の別れもなく?』と問うかのように。

メロディは視線を逸らさず、胸の奥の決意を絞り出した。

「記録官さまにお願いしたのです。明日の朝、坊ちゃまに真実を伝えてほしいと。……けれど、もうその必要さえなくなってしまいました。」

「その知らせを聞いた私が……ただ黙っていると思われたのですか?」

「ええ。」

メロディはきっぱりと答えた。

「その時、坊ちゃまは私の手紙も読まれていたはずです。」

彼女が机の上に残していった手紙には、クロードへの言葉も添えられていた。

「絶対に私を探さないで、と書きました。」

「実に思慮深い方ですね。私がその言葉を拒めないとご存じで、そう記されたのでしょう。」

「ええ、承知のうえで書きました。それは……母が父に託した最後の願いでしたから。」

沈黙がしばし続いたのち、メロディが再び口を開いた。

「私は今日、王城の外郭の門でその靴を受け取るよう言われています。」

メロディは懐中時計を取り出し、再び時刻を確かめた。

メロディは自分の決意を確かめるように深く息をついた。

「だから、行かなければなりません。記録官さまが待っているはずです。」

その言葉に、クロードは一瞬だけ顔を歪めた。

だが彼が無責任に「どうにかなるさ、行くな」などとは言わなかったことに、メロディはむしろ安堵を覚えた。

考えてみれば、日々の重みを無視するような人を、自分が好きになるはずもなかったのだ。

「……すまない。」

小さく謝るクロードの声。

しかしそれだけでは足りないと思ったのか、彼は椅子から立ち上がり、メロディの前に歩み寄った。

感情を抑えきれず揺れるその瞳のまま、彼は彼女を抱きしめるように手を伸ばしかけ――次の瞬間、すっと膝を床についた。

新雪のように白いシャツの袖が濡れ、

ズボンにもしっとりとした染みが広がるのも気にせずに。

「ぼ、坊ちゃま……!?」

メロディの喉から驚きの声がこぼれた。

「私は……あの靴を受け取る機会がありました。いえ、それだけではなく……」

クロードはその短い一瞬をはっきりと思い出していた。

「震えていたオーガストの手に、それを渡したのは私でした。」

「でも、坊ちゃま!」

メロディは慌てて馬から降り、彼の肩を掴んだ。

「それは坊ちゃまのせいじゃないんです。靴に私の名前が刻まれているなんて、ご存じなかったでしょう?」

彼がその事実を知ったのは、彼らのもとにサミュエル公から送られた靴が届いた後のことだった。

「そうだとしても、私がきちんと処理したと無条件に信じるべきではなかった……。陛下に関わる仕事を他人に任せるなんて……」

「でも、結果的にはうまくいったじゃないですか。」

メロディは胸の奥から込み上げる想いを抱きしめるように、彼の頭を両腕で包み込んだ。

まるで慰めるかのように。

「オーガストの件も片づきましたし、サミュエル公との繋がりもできましたね。」

それは少し前にクロードが口にした言葉だった。

その時、メロディは「結果論にすぎません」と皮肉めいた返しをしたのを覚えている。

「確かに、記録官さまが示した靴跡は不安を招きました。でも、そのおかげで……私は前へ進む決心がついたのです。」

「けれど、あなたは?本当にそれでいいんですか?やり残したことが、まだあるはずです!」

クロードの声には縋るような響きがあった。

だが次の瞬間、彼は言葉を途切れさせる。

――もし、メロディが行かないと言えば?

記録官もまた、都を離れることはなかっただろう。

職務に殉じる彼女の選択は、やがて誰かを危険にさらす。

その未来を想像したクロードは、喉の奥で言葉をつまらせた。

結局、彼の唇から零れたのは一言だけ。

「……ありがとう、メロディ。」

雨に濡れた彼の髪に、メロディはそっと手を伸ばし、その温もりを確かめるように撫でた。

「こんな状況でも、私が望むことを考えてくださったんですね。」

クロードはかすかに首を振った。

「それだけで十分です。本当に。」

「お願いです!」

「記録官との約束に遅れたくありません。どうか……行かせてください。」

メロディは彼を離し、慌てて体を翻した。

もう迷っている暇はない。

ここに留まれば、受け入れざるを得ない現実に押し潰されてしまいそうだった。

「メロディ嬢。」

だが、切迫した声に呼ばれ、思わず足を止めてしまう。

さっき耳にした声と同じ響きに、胸が締め付けられたのだ。

振り返ると、席を立った彼がメロディに向かってよろよろと歩み寄ってきていた。

その姿はあまりにも痛々しかった。

太陽のように輝いていた髪は乱れ、肩口に垂れてしまっている。

シャツは体にまとわりつき、弱々しく見えた。

雨に濡れた髪が額へ張りつき、彼の肌は青ざめていた。

つい先ほどまでの整った衣装や靴は見る影もない。

――けれど、不思議なことに。

メロディには、その姿がひどく愛おしく映った。

「……私は、坊ちゃまの外見だけに惹かれていたのだと思っていました。」

声を震わせながら告げる。

だが、今の彼を見て、違うのだと気づかされる。

ぼろぼろになってもなお、心が引き寄せられてしまう――。

たとえ今さら悟ったところで、何も変わらないとしても。

「ロゼッタを守ってください。あの子を、この世で一番幸せな子にしてあげてください。」

沈黙ののち、クロードはただ深く頷いた。

「……約束します。」

その言葉は短く、しかし決して揺るがぬ力を帯びていた。

メロディは微笑んだ。

「きっと、言葉にせずともそうしてくださると思っていました。」

「あなたの望む通り、必ずロゼッタを……」

「そう言ってくださって嬉しいです。本当に。」

メロディは微笑みながら、彼の右腕をそっと抱いた。

クロードの体が今にも倒れそうに前へ傾き、メロディは軽く背伸びして短く、柔らかな口づけを残した。

「……本気です。」

唇を離すと、彼女は思わず視線を落とした。

自分から口づけを交わしたことが、恥ずかしくてたまらなかったからだ。

「それでは。」

ぎこちない声で別れの挨拶を告げながら、彼女は本当に最後の瞬間だと悟った。

だが、振り返る前に、彼がその手を掴んだ。

その時になってようやく、メロディは彼が馬具を整える余裕もなく、自邸から駆けつけてきたのだと気づいた。

二人の手が触れ合った瞬間、その隙間から赤い血が流れ落ち、雨粒と混じり合って地面へ散った。

鞭の痕が裂けていたのだ。

「坊ちゃま、手が……!」

咄嗟に洩れたメロディの声は、そこで止まった。

再び重なったのは、互いの唇だった。

しかも今度は、彼の方から。

「……坊ちゃま。」

唇が離れた一瞬、メロディがそっと名前を呼ぶ。

だが答えの代わりに返ってきたのは、もう一度、静かで柔らかな口づけ。

言葉のいらないやり取りは何度も繰り返され、やがてそれは二人だけの対話のようになった。

――もしかしたら、この口づけは彼の言葉の代わりなのかもしれない。

メロディはそう思いながら、そっと瞳を閉じた。

実際、この夜が二人にとって「正式な初めてのデート」になるとは、その時の彼女も気づいていなかった。

その日は特別な日で、クロードはメロディに伝えたい言葉を胸に秘め、ただ黙っていた。

『きっと、それは……』

とても美しく、胸を打つ言葉に違いない。

今メロディが感じている感情と同じように。

『聞きたかったのに。』

ちょっとした未練だったのだろうか。

メロディは思わず彼の手を、少し強く握りしめていた。

だがすぐに、はっとして慌てて力を緩めた。

彼の手に傷跡があることを思い出したからだ。

「……大丈夫だから。」

そう言って彼は再び彼女を引き寄せ、手のひらだけでなく手首の内側まで熱が伝わるほど、強く握りしめた。

自然に体はさらに近づき、クロードはますます深く彼女を抱き締めた。

押しつけられるような強い口づけには、一片の隙もなかった。

彼は執拗に彼女を求め――彼を受け入れた直後、メロディの心はむしろ掻き乱されていた。

――私はおかしくなってしまったのだろうか。

あれほど嫌っていたはずの、彼の独占欲。

その激しさに反発しながら、今はむしろ自らすべてを捧げたいと願ってしまう。

心さえ、魂さえも。

……けれど、それはもう叶わぬこと。

メロディは残された自由な手で、彼の肩を押し返した。

その瞬間、触れていた全ての感覚が冷たく剥がれ落ちていく。

彼の手のぬくもりすら、するりと消えて。

そして――雨が降り出した。

実際には、ずっと前から降っていたのに。

今さらのように気づかされる。

冷たい滴が、唇に残る熱を少しずつ洗い流し、やがて全てを沈黙へと押しやった。

――トク。

その音と共に、まるで何もかもが流されていくかのように、静かな雨音だけが世界を満たした。

まるで二人の間に何事もなかったかのように。

メロディは体を翻した。

ありがたいことに馬の速度はさらに増し、そのおかげで再び鞍に身を預けると、彼女の耳には風切り音以外の何も届かなくなった。

馬が腹帯を蹴られると、馬は再び速い速度で闇の中を突き進み始めた。

風の音さえもかき消され、もう本当に何の音も聞こえない。

本当に、何の音も……。

『聞こえない。聞こえない。坊ちゃまの悲しげな声なんて、少しも……。』

メロディは休む間もなく鞭を振るい、前へと突き進んだ。

もう本当に時間は残されていなかった。

 



 

 

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