こんにちは、ちゃむです。
「公爵邸の囚われ王女様」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
130話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 幽霊騒動
「もう少し様子を見るべきだ」という結論は、どれほど受け身なものなのだろうか。
毎日新聞を読み、公爵夫人に任せきりにしてきた「ゴシップ誌」の話に耳を傾け、バレンタインがときどき伝えてくる王室の近況に気を配ってみても、クラリスやノアが新たな手がかりを得ることはなかった。
こうした状況の中で、クラリスの日常はただ淡々と戻ってきた試験を受け、毎回いくつかの誤答を出し、あとになって気づく解き方のミスを悔やむ——それだけのものだった。
完璧に覚えたはずだと思っていたことが、いざ試験になると間違ってしまうのは、いったいなぜなのだろうか。
それでも、まったく無駄だったわけではない。
クラリスは、試験問題を解くための戦略を身につけていた。
まずは確実で簡単な問題から手をつけ、応用が必要だったり、設問の長い問題は後回しにする。
その方法がクラリスに合っていることは、成績が着実に右肩上がりになっている事実が、何よりの証明だった。
そして、再び巡ってきた試験を一週間後に控えた、ある夜。
冬と春の狭間の季節で、雪よりも雨の降る日が多くなっていた。
クラリスは、日付が変わる直前まで自習室に残っていたが、その日、受験生の中で早々に寝床へ向かわずに残っていたのは、彼女とエイビントだけだった。
彼は、ときおりクラリスの存在を意識しているかのように、ちらりと視線を向けていた。
それはおそらく前回の試験で、クラリスがぎりぎり彼を上回ったからだろう。(最初の試験以降、クラリスは一度もエイビントを超えられていない。)
「本当に負けるの、嫌いなんだね……」
クラリスはもう飽きてもいたし、彼がぶつぶつ言うのが気になったため、席を立った。
すると、向かいのテーブルに座っていたエイビントが、少し顔を上げて彼女に声をかけてきた。
「え、行かないんですか?」
いかにも怖気づいたような顔だった。
エイビントが先に話しかけてきたあとに生まれる、あの気まずさは一度や二度ではなかったので、クラリスはあまり納得していない表情で答えた。
「どうして?」
「グレジェカイア様が行ってしまったら、僕ひとり残るじゃないですか」
「ええ。私が行くとき、忘れずに騒がしくしないようお願いしておいてくださいね」
「まさか、私がそれを面倒くさがって、グレジェカイア様を呼んだと思っていらっしゃるんですか!?」
違いますよ!?
クラリスは心底驚いた様子で、目を大きく見開いた。
「じゃあ、どうしてなんですか?眠いなら早く言ってください。」
彼は一瞬、周囲をきょろきょろと見回した。
「ああ、もしかして……あの噂を聞いたんですか?自習室の“暗記幽霊”の話ですよ!」
「……え?」
「二度も口にしないでください。自分の話をしてるって分かったら、出てくるって言うじゃないですか。」
彼はもう一度、辺りをうかがった。
なぜだかクラリスまで、彼につられて自習室を見回してしまった。
長いテーブル、規則正しく並んだ椅子、そして壁に掛けられた肖像画。
いつも見慣れているはずの光景が、今は妙に新鮮に感じられた。
「そ、そんな筋の通らない話、しないでください!」
「筋が通らないだなんて!被害者がいるんですよ!」
「被害者?」
エイビントはゆっくりとうなずいた。
「それは、士官学校に入る前の出来事でした」
そう言うと、彼は頼まれたわけでもない話を、急に真剣な調子で語り始めた。
「その日も、僕は自習室に最後まで残って勉強していました」
「え、そうなの?」
「それで……」
彼は全身を小刻みに震わせ始めた。
「気がついたら、朝になっていたんです」
「……え?」
それ、何の話。
ただ自習室で寝落ちしただけじゃない。
「ちょ、ちょっと待ってください!受験生代表のこの私が、勉強中に居眠りなんてするわけないじゃないですか?」
「そう思いたいなら、止めはしませんけど。」
「これを見てください、これ!」
そう言うと、エビンテンはテーブルをぐいっと回り込み、クラリスの前に問題集を一冊突き出した。
「私、この問題集を解いたんですよ!」
「……?」
「つまりですね、気がついたら幽霊が私の体に入り込んで、五ページ分も代わりに数学の問題を解いてくれたんです。しかも採点してみたら、全部正解でした!」
幽霊に会っても、結局は自分に似た存在としか出会わないものらしい。
「ある意味では、ありがたい幽霊ですね。」
「何がありがたいって言うんですか?肝心の私は何一つ覚えていないんですよ。それに、これを見てください!」
彼が差し出したページを確認した瞬間、クラリスのこめかみも同時にずきりと痛んだ。
分厚い過去問題集の中でも、歴代でも特に難しい極限レベルの問題だけを集めた、最後の章。
通称「こんな問題が試験に出たら、解こうとして時間を無駄にするな。塗りつぶして先へ行け」と呼ばれる、まさにその問題ばかりを、あいつは一つ残らず解いていたじゃないか。
「これで信じましたか?」
クラリスは素直にうなずいた。
エイビントに、こんな問題が解けるはずがないのだから。
「だから、絶対に一人で残してはいけません。幽霊に勉強時間を奪われたじゃないですか!」
「わ、わかった。きっかり一時間だけだよ?」
「素晴らしい友情!」
彼は再びよじよじとテーブルの上を移動し、自分の席に戻っていった。
クラリスも本とノートを取り出し、勉強を始めた。
――約五分後。
何か嫌な予感がして顔を上げると、エビンテンは机に突っ伏したまま、ぐうぐうと眠っていた。
「だから言ったじゃないですか、こうなるって!」
クラリスはペンを机に叩きつけるように置いた。
けれど、彼はぴくりとも反応しない。
「もう、本当に!」
クラリスは彼の机の向かい側へと回り込んだ。
「部屋に戻って寝なさい!こんなところで居眠りしてたら、また……」
――暗記幽霊がやって来るんですよ。
そう言いかけた瞬間、クラリスは全身にぞわりと鳥肌が立つのを感じた。
もしかして、エビンテンが眠り始めたのは、あの幽霊の影響なのでは……?
そんな考えがよぎり、彼女はそろそろと後ずさった。
机の上に無造作に置かれた鞄と本をまとめる余裕もなく、抱え込むようにして持ち上げる。
――ドン。
だが、あまりに慌てすぎたのだろう。
すぐ近くにいた椅子の脚を足で蹴った拍子に、ものすごい音が自習室に響き渡った。
「……!」
ぎょっとしたクラリスは、エイビントの方を振り返った。
音に気づいたのか、彼の頭がゆっくりと持ち上がっていく。
「……ひっ!」
寝ぼけたような彼と視線が合った、その瞬間。
クラリスは振り返りもせず、自習室の外へ走り出た。
エイビントに幽霊が取り憑いた!間違いない!
翌朝。
悪夢にうなされ、ひどくやつれた顔で目を覚ましたクラリスの前に、ちょうど階段を上ってくるエイビントの姿が見えた。
クラリスはぎくりとし、もう一度部屋に戻ろうとしたが、彼女に気づいたエイビントの動きが大きく響いた。
「見ました?今の、見ましたよね!?」
彼は半泣きになりながら、今度も胸に抱えていた問題集を取り出した。
「さっき意識が戻ったと思ったら、また難しい問題を解いてたんです」
二人はしばらく廊下にしゃがみ込み、幽霊が書き残した答えを一問ずつ確認していった。
ぱっと見た限り、間違っているようには見えない。
「……何してるんですか?」
そこへ、二人の間にぬっとノアが割り込んできた。
彼は、クラリスとエビンテンが解析していた問題をちらりと見て、あっさりと言った。
「ちゃんと解けてるな」
クラリスとエビンテンは、はっとしてノアを振り返った。
「……な、なんでそんなことが分かるんですか?」
「いいか、ノア。落ち着いて、よく聞きなさい」
クラリスは、この不可思議な出来事を説明する前に、まず彼をなだめた。
「落ち着くべきなのはあなたのほうだと思うけど――いったい何があったんですか?」
「この問題、誰が解いたか分かる?」
「二人が廊下に並んで座って解いていたんじゃないですか?」
「ノアは魔法使いだから、こういう非現実的な話は信じないだろうけど、これは自習室の“暗記幽霊”がエイビントの体を借りた痕跡よ」
ノアは答える代わりに、そっと仮面の位置を直した。
「ああ、分かった。幽霊なんて存在しないって言いたいんだろ?」
クラリスが不満そうに問いかけると、ノアはそれが当然でもない、というように答えた。
「幽霊は確かにいる。今も……」
ノアはエイビントの方を振り返った。
ぎくっとした彼は、恐る恐る自分の肩越しに後ろを確かめたかと思うと、突然その場から跳ね起き、悲鳴を上げながら逃げ出してしまった。
「……行っちゃったわね」
「ちょ、ちょっと!そんな冗談、どうしてするのよ!」
「冗談に聞こえた?」
「……!」
「人々が幽霊と呼ぶものは、結局のところ自然現象の一種にすぎない。何も存在しない場所と、何かが存在する場所とでは、力の波動が明確に異なる。少しでも魔力の扱いを心得ていれば、嫌でもその存在を直接感じ取れる」
「そ、そうすると……ノアの言ってたことは……」
彼は静かにうなずいた。
「自習室の“暗記幽霊”は、間違いなく存在している」
「ベルベルさん、大丈夫ですか?」
午後になり、クラリスは部屋に閉じこもったままのエビンテンが心配になって様子を見に来た。
「……グレジェカイアさん……うぇええん!」
エビンテンはすっかり涙目になっていた。
「ど、どうしたんですか?」
心配そうに問いかけるクラリスに、彼は大きくうなずいた。
「これを見てください、これを!」
そう言って彼はクラリスを部屋に引っ張り込み、ノートを見せた。
ノートの上段にはいくつかの問題が書かれており、下段にはそれに対する説明が丁寧に記されていた。
「……間違いノートですか?」
「僕が分からなかったところをまとめておいたんです。でも、寝て起きたら、こんなふうに親切な解説が書き足されていたんですよ」
「え?」
「もう資料を探すために図書館で時間を無駄にする必要はありません。質問を書いて寝るだけでいいんですから」
彼は目を輝かせた。
「嬉しすぎて、涙が止まりません」
そして、何かを思い出したようにクラリスをちらりと警戒するように見た。
「もしかして、僕の能力を狙って、夜遅くまで自習室に残っているんじゃないでしょうね――いい加減、その策はやめたほうがいい。分かりましたね?この幽霊は、私のものです」
「…………」
クラリスは静かに踵を返した。
やはり、エビンテンとまともに話が噛み合う相手ではなかった。
一週間後、試験当日。
エビンテンの様子はどこかおかしかった。
試験を受ける彼の瞳孔は、不自然なほどに開いていた。
試験が終わり、いつも通りに戻ったエビンテンは、今度は自習室の真ん中に腰を下ろし、試験問題の採点を始めた。
最初は、誰も彼に注目しなかった。
だが、鉛筆で描かれていく見事な魔法陣の数々に、次第に見物人が集まり始める。
採点を終えると、彼は自分の試験用紙を高く掲げ、その場に立ち上がった。
「ユジェニー・マクレッドはどこだ!」
それも、ひどく尊大な口調で。
すると、たまたま近くに座っていたユジェニが、眼鏡を押し上げながら顔を上げた。
彼は丸印だらけの試験用紙を、彼女の目の前に差し出した。
「見えるだろ?ほら、これ!」
彼が差し出した試験用紙を、無表情で眺めていたユジェニが、静かに言った。
「……あ、これ間違ってる」
「……え?え?」
エビントンはぎょっとして、試験用紙を慌てて引き寄せ、彼女が見ていた箇所をもう一度確認した。
「全部合ってるじゃないか!」
苛立ったように言う彼に対し、ユジェニはすでに鞄を手に取り、席を立った後だった。
「ねえ、私が一位を取るのがそんなに気に入らないの?私に嫉妬してるんでしょ?」
「答える価値もないわ」
「そんなふうに言って、何が楽しいんだ?ああ?今日みたいな日なら、勉強しか能がないくせに、満点を取って新聞に載るのは僕のほうだろ!」
どうやら彼は、暗記幽霊の力を利用し公務員試験まで手助けを受けるつもりらしかった。
「……やめておいたほうがいいと思うけど」
ユジェニーは大きくため息をつくと、そのまま自分の部屋へ戻ってしまった。
「ふん、嫉妬で八つ当たりしに行った、ってところかしら」
その様子を見ていたクラリスが、控えめに声をかける。
「ほら、あそこにいますよ」
「え?何か分からない問題でもあるんですか?」
「いいえ、質問があるわけじゃありません」
「ただ……本気でお祝いしたいなら、公務員試験で満点を取ってからにするべきだと思っただけです」
けれど、そういう意味ではなかった。
クラリスが続きを口にする間もなく、エビンテンは魔法陣だらけの試験用紙を手に、どこかへ姿を消してしまった。
「……他人の名前が書いてある、って伝えようとしたのに」
「せめて解答用紙には、ちゃんと自分の名前を書くようにしてほしいものですね」
そう語るノアの声には、もはや大きな希望と呼べるものは含まれていなかった。
そして、そうして迎えた今回の試験結果の発表の日。
最上段には、ユジェニとノア、そして誰も知らないある人物の名前が並んで記されていた。
それを目にした瞬間、その場で気を失ったエビントンの様子を見るに、どうやら名前が正しく載っていないことを、今日まで知らなかったのだろう。
そして数日後。
ちょうどエビントンの部屋の前を通りかかったクラリスは、思わず声を上げてしまった。
「……グレジェカイア様。う、うひゃあっ!」
突然ドアを開けたエビントンは、彼女を見つけるなり、またしても泣き出してしまった。
クラリスは、前回の教訓を思い出し、反射的に一歩後ずさった。
「もう、ベルベルさんの話には一切触れないから!毎回、損をするのは私なんですから!」
そう言いながらも彼は怒鳴ったりはせず、ずっと抱えていたノートを彼女の前にばさりと広げた。
「ほら、これを見てください!これですよ!」
「もう、本当に……!」
どうせまた幽霊が答えを書いた、という話だろうと思ってノートを叩き落とそうとしたが……。
彼が差し出したノートには、質問だけがぎっしりと書き込まれており、答えは一切なかった。
「結果発表が終わってからは、答えが出てないんです。ふふっ!」
そのとき、クラリスの背後に現れたノアとヴァレンタインが、エビンテンのノートをひょいと持ち上げた。
「ちょっと見せて」
「これが、あの幽霊ノート?」
ページをめくるたびに、腕を組んだヴァレンタインは興味深そうな視線で一緒に中を覗き込んだ。
「いや、これ……幽霊の立場でも殴りたくなるな。もう少し要点をまとめて聞けよ」
「い、いえ……最低限の疑問について、ほんの少し手助けを受けただけです!」
説得力のある答えとは言い難かった。
ノートの表紙に「暗記幽霊 問答集 第26巻」と記されていることが、その何よりの証拠だった。
ノートを軽く叩いたノアは、それを再びエビントンへ差し出した。
「いずれにせよ、良いことをなさいました」
「よ、良い……こと?」
エビントンは、ノートを大切そうに抱えたまま問い返した。
「結果を見る限り、立派な成績を収めたことに満足して、幽霊は去ったようですから」
「え、去ったって?だめです、戻してください。まだ試験がどれだけ残っていると思って……!」
「ですが、また名前を書けば、ベルベルさんの成績になってしまいますよ」
クラリスの的確な指摘にも、彼は特に問題なさそうに答えた。
「ですから、私は改名を申請するつもりでした!」
「そんな理由で姓まで改名するのは、さすがに許可が下りないな」
もちろん、その言葉はヴァレンタインによって即座に否定されたのだが。
「そ、そんな……ひどすぎる……」
エビンテンは廊下にぺたりと膝をついた。
「……グレジェカイア様ぁ……うえええん!」
「どうして毎日、私の名前を呼びながら泣くんですか!」
クラリスが叫んだものの、彼はただ彼女の名を呼び続け、声を上げて泣きじゃくった。
その結果、数日後には修道院で、ついに堪忍袋の緒が切れたクラリスがエビンテンに蹴りを入れた、という噂が立ち、修道院でおよそ五十年にわたって語り継がれてきた自習室の暗き幽霊は、それ以降、二度と姿を現すことはなかった。







