公爵邸の囚われ王女様

公爵邸の囚われ王女様【131話】ネタバレ




 

こんにちは、ちゃむです。

「公爵邸の囚われ王女様」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【公爵邸の囚われ王女様】まとめ こんにちは、ちゃむです。 「公爵邸の囚われ王女様」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介となって...

 




 

131話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 小さな不安

「セリデンの北側城壁について、話していただけますか?」

いつか「悩み相談をしに行く」と言っていたユジェニが、本当にクラリスのもとを訪ねてきたのは、エビントンとの幽霊騒動が終わったその日の夜のことだった。

「北側城壁ですか?」

クラリスは彼女にベッドに座るよう促し、自分もすぐ隣に並んで腰を下ろした。

「……はい」

ユジェニは、いつもより少し沈んでいるように見えた。

「うーん、どう説明すればいいかな」

クラリスは、ユジェニがなぜ北側城壁について尋ねてきたのか気になりはしたが、まずは彼女の質問に答えることに。

「城壁は、王都の城壁みたいに美しいものじゃないわ。くすんだ色の石壁には、北部の寒さにも耐えて生き残った苔がびっしりと張り付いていることもあるし」

ユジェニは、クラリスの言葉に静かにうなずいた。

「それでも、長いあいだ北の村で人々を見守ってきた壁には、誇りのようなものすら感じられるんです。まるで……命が宿っているみたいで。私は、ああいう静かな美しさがとても好きなんですよ」

「雪が多く降ると聞きました」

「それはセリデンのどこでも同じです。ただ、マクレッド様がおっしゃっていた通り、北の城壁は特に厳しい。壁に刻まれた豪雪の記録を見れば、人の背丈ほどの雪なんて簡単に越えてしまうのが分かりますから」

「苦労の多い場所なんですね」

「ええ。特に、あの場所を守る方々は。雪が多いときには階級に関係なく、交代で雪かきをしないと閉じ込められてしまいますから」

「騎士たちも雪かきを?」

「はい。私が訪れたときには、セリデン公爵様も雪かきをなさっていました。セリデンの人々は皆、雪かきの仕方を学ぶんです」

クラリスは、なぜか胸に込み上げる誇らしさを隠しきれないまま、少しだけ笑ってしまった。

「そうなんですね。でしたらきっと……つらいだけの場所ではないように思います」

「ええ。新年が始まるときには、花火も打ち上げられるんですよ。美しい北の夜空に光が広がる光景が、どれほど特別なものか……」

ユジェニは、クラリスが目を輝かせて話す様子を見つめながら、ゆっくりとうなずいた。

「お話ししてくださって、ありがとうございます。少し……気持ちが楽になりました」

「それならよかったです。あ、ノアなら、北側城壁について私より詳しいはずですけど。今、呼んできますか?」

クラリスが席を立とうとした、その気配を察して、ユジェニは慌てて彼女の手を取った。

「い、いいえ。大丈夫です。グレジェカイアさんと二人で話すほうが……いいですから」

二人で話すほうがいい?

クラリスの胸に、今の彼女の言葉が反響のように残った。

――そ、それって……ほとんど告白みたいなものじゃない……!あっ、何を考えてるのよ、私は……

クラリスは、同性の友人に抱いてしまった淡い妄想を、慌てて頭から振り払う。

「突然のことだったでしょうに、事情も聞かずに答えてくださって、ありがとうございます」

「いえいえ。セリデンの話でしたら、いつでも歓迎ですよ。機会があれば、北の城壁にも足を運んでみるといいですよ。あそこは本当に素晴らしいですから……」

クラリスの言葉は、そこで途切れた。

ユジェニの顔色が、見る見るうちに悪くなっていったからだ。

(もしかして……私、何か失礼なことを……?)

不安に駆られて黙って見つめていると、ユジェニは長い金髪をそっと払ってから、謝罪した。

「ごめんなさい……その……」

彼女は、いつもより少し沈んだ声で、ゆっくりと言葉を続けた。

「突然……こんなふうにお尋ねしてしまって……その……」

クラリスは、静かにうなずくだけで、言葉を待った。

「騎士だった父が……あの場所で亡くなったと聞いていて。だから、気になっていました。その……ゴーレムが崩れ落ちた時のことです」

「お父……さまが、ですか?」

ユジェニが家族の話をするのは、これが初めてだ。

「はい。王室の騎士だったと聞いています。私が生まれて間もない頃に、セリデンへ向かったまま戻らなかったそうです」

「あ……そ、そうなんですね……お気の毒です」

クラリスは、何と声をかければいいのかわからず、ようやくそれだけを口にした。

「ありがとうございます」

「……あの、ところで」

少し前に彼女が口にした、「あそこで亡くなったようだ」という言葉が、クラリスの胸にふとよみがえった。

「もしかして……お父様について、何か疑問に思っていることが……ありましたか?」

「はい」

最初からそこまで話すつもりだったのだろう。ユジェニは、ためらいもなく答えた。

「セリデンでは、父の遺体は見つかりませんでした」

「それは……」

「はい。ですから軍では、父は戦場から無断で離脱したのだろう、と判断したそうです」

遺体も戻らず、本人も帰還しなかったのなら、そう扱われてしまうのも無理はなかった。

「お母様は……ご苦労なさったでしょうね」

クラリスが彼女を気遣ったのは、「軍を脱走した者」に対しては、どのような補償金も支払われないという方針があったからだ。

「私には、母という存在はいません」

「……え?」

亡くなったという意味だろうかと思ったが、ユジェニは、

「“最初から、いない”という意味です」

と、はっきりと言った。

「え、え……それで、どうなったんですか?」

「私にも、わかりません」

ユジェニは、どこか感情の抜け落ちたような笑みを浮かべた。

「乳母の話では、数年ぶりに戻ってきた父は、金貨をいくつかと、生まれたばかりの私を残して去っていったそうです」

「ほかには、何もおっしゃっていなかったんですか?」

「すぐ戻るから、それまで育ててほしいと言って、そのまま馬を走らせて、トヴェルへ合流するためセリデンへ向かったと聞いています。結局、守れない約束になってしまいましたが」

「お父上も、その約束を守れなかったことを、きっと悔やんでおられたはずです。間違いなく」

「……そうでしょうか?」

「ええ、そうです」

「本当なら、よかったのですが。そうであれば、少なくとも……」

クラリスは、ユジェニと乳母の関係が、決して穏やかなものではなかったのだろうと感じた。

一度もきちんと会ったことのない父への思いが……それを望んでいる、ということなのだろう。

「いずれにせよ、だから公務試験を受けることにしたんです。平凡に農場仕事なんかをしていたら、父に何が起きたのかを調べる機会すら得られませんから」

「その方の名誉を守ろうとしているんですね?」

「どうあれ、私にとっては父ですから。幼い頃は、もしかしたら自分は父の実の娘ではないのかもしれない、なんて考えたこともありましたけど」

ユジェニは肩をすくめ、くすりと笑った。

「村のご老人たちが言うには、父と私が驚くほど似ているから、そんなはずはないって。あの“汚れた目”こそが、何よりの証拠だそうです」

「失礼ですが、マクレド様の目は綺麗だと思いますよ。私はあの目、すごく好きです。汚いなんて言い方、しないでいただけませんか?」

「うーん、私はそこまで好きじゃありませんけどね。どちらかと言えばクラリ……いえ、グ、グレジェカイア嬢……」

ユジェニは一瞬、思わず「クラリスの名前」を口にしかけた。

「クラリスと呼んでください!」

機会を逃さずそう言うと、ユジェニは少し驚いた様子で尋ねた。

「し、失礼でしたよね」

「どうしてそう思うんですか?」

「だって、初めて会ったときに、私があなたの好意を無遠慮に踏みにじってしまったでしょう?」

それは、エヴィントンと一緒に初めて顔を合わせたときの出来事を指しているようだ。

「クラリスって呼んでも構いません。そのほうがいいですか?」

「いいえ。グレジェカイア様のほうが、私は良いです。私はユジェニ・マクラードです」

あのときに恥をかいていなければ、嘘に聞こえただろう。だが、クラリスが慌てて取り繕ったのも事実であり、本人はあまり気にしていなかった。

けれど、ユジェニは違った。

「私があなたをクラリスと呼ぶ前に、謝らせてください」

「いいえ。」

クラリスはきっぱりと言った。

「絶対に違います。だって、少なくとも私は、その程度のことで好意を持たれたなんて思っていませんから。それに、何より――」

クラリスはそっとユジェニとの距離を詰め、向き合って微笑んだ。

「――あの頃と、今は違います。」

「そうですか。では、もう遠慮せずに、これからは名前で呼びますね。クラリス。」

「……っ。」

思わず胸を打たれてしまったクラリスは、なぜか声にならない音が喉からこぼれてしまった。

「私が感じているこの喜びを、どう言葉にすれば全部伝えられるのか分かりません。ああ、本当に……」

「そこまで嬉しそうに、少し怖いくらいに目を輝かせていれば、十分伝わりますよ。」

「今日は本当にいい日ですね。ユジェニと、こんなにたくさん話ができて……」

「エヴィントンの幽霊は、成仏しました」

二人はしばらく顔を見合わせてから、どちらからともなく声を上げて笑った。

「自習室の暗記幽霊が、どうか良いところへ行っていますように」

「念願の一位を取ったのですから、きっとそうでしょう」

「そんな幽霊と一体になるなんて、それもまたベルベルさんらしいですね」

「ええ。彼に暗記幽霊が憑いたと聞いたとき、受験生の大半は怖がる前に、すぐ納得しました」

「たぶん、ユジェニが上手に説明してくれたおかげでしょう」

ユジェニは、受験生たちの間で信頼の厚い人物だった。

恐ろしい幽霊との交流でさえ、彼女が「大丈夫」と言うだけで安心してしまう受験生がいたほどだ。

「だから、何か問題が起きると、みんなユジェニのところにということです。」

「私は、ただ話を聞いているだけなんです。」

「それで十分なんですよ。それがどれほど大したことか。」

「……特別に難しいわけでもありませんし。最近耳にする話は、だいたい似たようなものですから。」

それって、どういうことですか?

クラリスは、思わずそう問いかけそうになり、慌てて言葉を飲み込んだ。

他人の事情を詮索するのは、礼を欠く行為だった。

「聞いていただいても構いませんよ。」

「え?でも、それは他の人の話でしょう?」

「驚くことに、それがクラリスの話なんです。」

「え……?私ですか? もしかして、私が何か失礼なことを……?」

そうでなければ、受験生たちがユジェニに、わざわざクラリスの話をするはずがない。

「いいえ、そういうことではありません。ただ――クラリスはですね――誰を好きなのかが気になっている、というだけです。気になりすぎて、勉強が手につかないほどだと」

「……え?私ですか?」

「もう少し具体的に言うなら、王子殿下と魔法使い様のどちらを好きなのかが気になる、という話でした」

ユジェニは指を二本立てた。

「どうして選択肢がその二人なんですか!?」

クラリスが思わず声を上げると、ユジェニは涼しい顔で、さらにもう一本指を立てた。

「ごく稀に、エヴィントンの名前を挙げる人もいますが……」

「その指、今すぐ下ろしてください」

ユジェニは、さっと立てた指を折った。

「私があの二人と九歳の頃から友人だということは、皆さんご存じだと思っていましたが」

「それは何の影響もありません」

クラリスは、近くにあったクッションをぎゅっと抱きしめた。

「今でも、ときどきお二人が幼い頃の姿に見えることがあるんです。」

「幼い頃の姿に、見えないこともあるんですか?」

「ああ……本当に。それは……」

そうは言いながらも、彼らを見る自分の視線が、ほんの少し変わってしまったという事実を、認めたくはなかった。

なぜだろう。

友情が変質してしまうのではないか――そんな考えが、胸をよぎったからだ。

「……分かりません。私はお二人が本当に大切で、何にも代えられないんです。それに、私は……」

しばらく考え込んだ末、クラリスは長い間胸に秘めてきた決意を、口にすることにした。

「私は……恋を、知ろうとしないことにしたんです、ユジェニ。こんなふうに平凡に暮らしていますけれど、それでも……結局のところ、私の本質は……臆病者なのでしょうか」

誰かを好きだという激しい感情に気づくこと自体、何の意味もなかった。

それどころか、相手に迷惑をかけてしまう可能性すらある。

もしもクラリスの気持ちが知られてしまえば、相手はきっと困ってしまうだろう。

「私も、似たような考えをしたことがあります。だから分かりますよ、クラリス」

ユジェニはベッドのヘッドボードに体を預け、より楽な姿勢になった。

「父に何があったのか分かるまでは、他のことに目を向けないと決めていました。友人関係も含めて、です」

「でも、ユジェニは誰よりも友達が多いじゃないですか」

彼女は小さく、柔らかな笑みを浮かべた。

「だから気づいたんです。どれほど理性で感情に線を引こうとしても、意味がないのだと」

「…………」

「そもそも、形のないものですから。自分の意思だけで縛りをかけられるようなものじゃありませんよね。」

「……ええ。そう、なんでしょうけど……」

クラリスは浮かべた苦笑をそのままに、小さくうなずいた。

――絶対に恋をしてはいけないのに、その“予防”さえできないなんて。

「え、ええと……とにかく、私には好きな人はいません。もし誰かに聞かれても、絶対にいないって伝えてもらえますか?」

「ひとまず、分かりました。」

「……そもそも、誰かを好きになるって、どうやって自覚するものなのかも分からないんです。小説みたいに光が差して、効果音が鳴るわけでもないですし。」

現実には――『あ、この人だ』と確信させてくれる仕組みなんて、どこにもない。

もちろん、クラリスがまだ、そういう相手に出会っていないだけなのかもしれないけれど……。

「それは、私にもはっきりとは分かりません。ただ一般論として言うなら、いちばん分かりやすい指標は“身体の反応”だと思います」

「……身体の、反応?」

クラリスが首をかしげると、ユジェニはさらに噛み砕いて説明した。

「クラリス」

「……はい」

「まずは、エヴィントとキスするところを想像してみてください」

「えっ!?」

クラリスは思わず、その場で飛び上がりそうになるほど仰天した。

ユジェニは満足そうに、ゆっくりとうなずく。

「これが、身体の反応です。分かりやすいですね。残念ですが、エヴィントは不合格です」

……あまりにも当然すぎる結果ではないだろうか。

クラリスはなぜか唇をきゅっと結んでいた。

まだきちんと想像したわけでもないのに、心臓が無駄に騒がしかった。

ユジェニが腰を上げる。

そろそろ部屋に戻って、勉強を再開する時間だ。

「では、応用問題は自力で解いてみてくださいね、クラリス。」

「え?お、応用って……それ、キスのことですか!?」

「まさか。エビントン=ベルビに関して、そんな反応が返ってくるとは思わずに聞いたとでも?」

……たしかに、そうだけど。

……だからといって。

――私がノアとキスする想像をするのも、十分おかしいじゃない。

その考えに至った瞬間、ろくに想像もしていないはずなのに、なぜか頬が一気に熱くなった気がした。

ユジェニが去って、さほど時間も経たないうちに、一人の受験生がクラリスのもとへ駆け寄ってきた。

「司祭様がお呼びです」

いずれにせよ、奇妙な考えに苦しめられていたこともあり、クラリスはためらうことなく、すぐに司祭のもとを訪ねて戻ってきた。

そして再び自分の部屋へ戻る途中。

クラリスは部屋の前に立っているバレンタインの姿を見つけ、思わず足を止めた。

彼を見て驚いたのは、久しぶりにきちんとした正装を身にまとっていたからだ。

緑色の宝石のブローチに、帽子まで被った姿がどこか懐かしく、クラリスはにこりと笑って彼に近づいた。

「王子さま。」

「なんで司祭服みたいなのを持ってるんだ?」

「司祭服みたい、じゃなくて、司祭服ですよ。」

少し前に司祭様から受け取ったもので、クラリスはそれを大切そうに胸に抱えていた。

「まさか、お前……」

「違いますよ。私がどうして司祭様になれるんですか。わかってるでしょう?」

クラリスは改めて、自分の身分を噛みしめるように自覚した。

キスの話をしたせいか、彼はわずかに眉をひそめた。

クラリスは、彼が何か言い出す前に、慌てて司祭服の用途を説明する。

「モビールを作ろうと思っていて」

「モビール?」

「赤ちゃんのベッドの上に吊るす、小さな飾りです。ですから……」

「お前、話し方がだんだんユジェニに似てきてないか?モビールが何かくらい、俺だって知ってる。問題は、モビールと司祭服がどう関係するかだ」

「あっ、これを切って作るんです!」

クラリスはそう言って、司祭服を彼の前に差し出した。

袖口には、蝋燭の火で焦がしたような跡がいくつも残っている。

「司祭様方が、時々ろうそくで袖を焦がしてしまうって聞いて、前にお願いしたことがあるんです。何度も焼けて、もう直せなくなった服が出たら、それをもらってモビールを作ってもいいって」

クラリスは司祭服を、まるで宝物のように、両手でそっと抱きしめた。

「司祭服で作ったお守りは、きっと公爵家のお子さまに良い気を授けてくれますよ。
それで、王子さまはどちらへ行かれるのですか?」

「ああ。少し王都へ行ってくる。」

「そんな急にですか?昨日は何もおっしゃっていなかったのに。」

「まあ……そうなったんだ。」

大したことではない、というような口ぶりとは裏腹に、クラリスの胸には不安がよぎった。

昨日まで存在しなかった予定が突然入ったということは、王宮がバレンタインを急ぎ探している、という意味に違いない。

「何かあったんですか?」

声を潜めて尋ねたが、彼は取り繕うことなく答えた。

「大事じゃないよ。すぐ戻る。」

「本当ですか?」

「本当だって。」

「でも、出発する前に、わざわざ私に会おうとして待っていてくださったじゃないですか。」

もしかすると、友を慰めたり、励ましたりする必要がある出来事なのではないか。

そんな不安が胸をよぎった。

「……そ、そうだよ」

バレンタインは、少しの間、自分の頬を指で掻いた。

「何も言わずに行ったら、あとでお前が不機嫌になるだろ?」

「私、そんなに面倒くさい友達でしたか?」

「お、今さら気づいたのか?」

彼はそう言って、クラリスの頭頂部を手のひらで軽く叩いた。

いつも通りの冗談めいた仕草のはずなのに、なぜかその表情はどこか……落ち着かず、不安げに見えた。

「王子様……本当に、大丈夫なんですか?」

「…………」

彼は答える代わりに、ただクラリスの頭を撫でた。

その手つきが、やけに優しいと感じたその時、ようやく彼は口を開く。

「クラリス。俺が、お前に……一つだけ、命令してもいいか?・・・いや違う。」

そう言って、彼はすぐに先ほどの言葉を訂正した。

「頼みがある、クラリス。」

いったい何があったのか。

バレンタインがここまで真剣な表情を見せる理由が、クラリスにはわからなかった。

その姿があまりにも見慣れず、彼女は戸惑いながら、小さくうなずくことしかできなかった。

「僕が戻るまで、勉強だけに集中していてくれ。」

「それが……王子さまのお願い、なんですか?」

「うん。」

「……変です。」

「そうか?」

彼はそこでようやく、彼女の頭を撫でていた手を離した。

「ただ……君が外のことに気を取られずにいてほしいだけだ。」

「どうしてですか?」

彼は片方の口角だけをわずかに上げて笑ったが、その理由を口にすることはなかった。

「行ってくる。」

彼が身を翻そうとした、その瞬間。

クラリスは思わず、彼の腕を掴んでいた。

「……いますよね、王子様」

「すぐ戻る。心配するな」

彼はクラリスの手をそっと包み込み、やさしく解くと、そのまま廊下の向こうへと姿を消した。

――戻る時期を尋ねたわけでもないのに……。

クラリスは、祭服を抱えたまま、彼が階段の下へ消えていくまで、ずっと見送っていた。

(王子様……なんだか、とても悲しそうだった)

本当に大丈夫なのだろうか。

そのことが、どうしても気に掛かった。

(王宮で、いったい何が起きているんだろう……?)

部屋へ戻った彼女は、祭服を机の上に置き、懐に入れていたモチをそっと取り出した。

少し前まで、バレンタインは緑色の宝石を身につけていた。

あの宝石は、以前からもバレンタインについてさまざまな話を聞かせてくれていたものだ。

今回もまた、モチが何かを耳にしていた可能性は――決して低くない。

クラリスは、宝石を見つめながら、静かに息を整えた。

(……聞いてみようか)

そう決めた瞬間、彼女の胸の奥で、小さく不安が揺れた。

クラリスは、褐色の小石を唇元へ運んだ。

だが、最後まで口を閉ざすことはできなかった。

――外のことに気を取られないでいろ。

バレンタインの言葉が、頭の中で何度も反芻される。

「……本当に、そうなのかな。」

クラリスはお守りを机の上に置いた。

どう考えても、バレンタインが戻ってきたら、直接問いただした方がよさそうだ。

「大したことじゃないといいけど……」

 



 

 

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