こんにちは、ちゃむです。
「余命僅かな皇帝の主治医になりました」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

36話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- グリーンウッド領④
アジェイドは舞踏会が始まる前の作戦と面談のために席を外した。
セリーナは一人になったのをいいことに、毛布を手に取ってグリーンウッド本城にある図書館へ向かった。
2週間の間に必要な本をまとめて要約しようと考えたのだった。
入館証を見せて図書館に入ると、思わず口を開けてしまうほどの光景が広がっていた。
まさに噂通りだ。
書庫はセリーナが考えていた以上の規模だった。
これは書庫というよりも図書館レベル。
ぎっしりと詰まった本棚の間には、上り下りができるはしごが設置されていた。
公爵の几帳面さを象徴するかのように、膨大な蔵書があった。
また、その性格を反映するかのように、分野ごとにきちんと整理されていた。
絶版で入手困難な本もある。
何ということだろう。
セリーナは興奮で目を輝かせながら古代魔法の棚へと歩みを進め、感嘆を禁じ得なかった。
『この貴重な本を独り占めしていたなんて。』
学者の家系と聞いていたが、確かにその評判に違わぬ書庫だった。
セリーナはいつしか本来の目的を忘れ、あちこち見て回りながら本を手に取って時間を過ごした。
そしてふと必要な本を探すため、はしごに手をかけた――これは図書館にある可動式のはしごではなかった。
機関のように頑丈な木でできた階段式のはしごの後ろには、大人一人が隠れられるくらいの空間があった。
かくれんぼをするならまさに絶好の場所だろう。
彼女がはしごの半分ほど登ったところで動きが止まった。
向かいの本棚の後ろから誰かのひそひそ話す声が聞こえてきた。
「わかって来たのか?」
「俺が誰だと思ってるんだ。これさえあれば、あの出来損ないの小娘には何もできやしない。」
「アイツにやられたことを思い出すだけで……皇帝を後ろ盾にしていい気になってるのは見え見えだ。」
声は一つではなかった。
少なくとも三人はいたようだった。
陰謀の集会か?不穏だな。
セリーナはその会話の中に「皇帝」という単語が含まれていることに気づいた。
もしかして聞き逃すまいとひそかに息を潜めて耳を澄ませた。
すると背後でハイトーンの男が話し始めた。
「愛人たちがこそこそ遊んでるだけさ。」
貴族の中には、皇帝の素性を仄めかしながら陰口を叩く者もいた。
権威が高まるほど、陰でささやかれることが増えるものだ。
ことあるごとに皇帝の弱点をつかもうとする貴族も少なくなかった。
ただ、皇族はアゼイド一人だけで、その力が強大すぎるため、あからさまに敵対することはできず、ただ噂話で終わるのが関の山だった。
『ただの陰口?さっきの話を聞くと、何か怪しいことを企んでいるようだが。』
セリーナはここで事故が起こったことを思い出し、気づかれぬよう静かにハシゴを降りた。
そして素早くハシゴの後ろへ潜り込み、身を隠した。
壁際で耳をそばだてるのは、いつもながら緊張するものだった。
「そこで何してる?」
「!!!」
セリーナは突然聞こえた声にびっくりして隣を見た。
いつの間に来たのか、アジェイドがセリーナの横にしゃがんで、彼女を見下ろしていた。
どうやら公爵と面談を終えて、彼女を探しに来たようだ。
アジェイドの声が聞こえたのか、あちら側の話し声がぴたりと止んだ。
セリーナが聞かれてしまうのではと心配していると、アジェイドがセリーナの腕を引っ張ってはしごの下へと引きずり込んだ。
「何してる……」
「シッ!静かにして!」
セリーナが声をひそめながらもたついていると、再びセリーナの手で口をふさがれたアジェイドは押し黙った。
とはいえ、セリーナは彼をぐいっと引っ張って、彼らに見つからないようにした。
思っていたよりも体が大きいアジェイドのせいでかなり窮屈だった。
おそらくアゼイドも例外ではないのだろう。
彼女はハシゴに体をぴったりと押しつけ、アゼイドが何か言おうとするのを阻むように、手のひらで彼の唇をしっかり塞いだ。
そして視線で「お願い、静かにして」と必死に訴えた。
その時、足音が近づいてきた。
3人のうち1人が音がした方を確かめるためにこちらへ向かってくるようだった。
セリーナの心臓はドキドキ高鳴った。
なぜかアゼイドの唇に触れている自分の手のひらが、だんだん熱くなっていくような気がした。
セリーナは顔を横に向け、わずかな光が漏れている方向をじっと見つめた。
ハシゴの隙間から相手の顔が見えた。
『あの人は……。』
以前、ノクターンを取り囲んでいじめようとしていた一味のうちの1人だった。
ノクターンがやり込めた相手だ。
彼が良心の呵責を感じているのは明らかだった。
男がもじもじしながら言った。
「誰もいないみたい?ああ……ちょっと待って。あれ、司書だった。」
司書は、少し前にここに入ってきたときに挨拶してきた人だった。
年配の方で、セリーナのために書庫の書籍リストのパンフレットを抜き取ってくれたりもした。
この書庫がこうして整然と保たれているのは、その人のおかげらしい。
後ろから別の職員二人がやって来て、ひそひそと話し始めた。
「また司書が一人で話してるのか。まったく、あのうるさい爺さん、ぶつぶつ言いながら歩き回るから怖いんだよな。」
「怪談じゃん。幽霊司書かもね。くくっ。」
いつの間にか、彼らの会話は司書の陰口に変わっていた。
聞いているだけで不快になるような内容に、セリーナは耳をふさぎたくなった。
男たちはハシゴの前で再び話し始めた。
「今日の夜の舞踏会でやるのはどう?あいつにピッタリなタイミングだと思うけど。」
「下手に舞踏会を台無しにしたら面倒なんじゃないか?狩猟祭の最初の行事だし。」
小柄な男がそう提案すると、隣にいた声の大きい男が怒鳴った。
「面倒なほうがいいんだよ!ノクターンのやつが二度とこの家に足を踏み入れられないようにしてやるんだ!」
そう言うと、ギリギリと歯を食いしばり、握った拳を反対の手のひらにバシッと叩きつけた。
大柄な男は何かをぶんぶん振り回した。
『あれ? あれって魔法具じゃない?』
本で見たことがあった。
魔獣の心臓にある核には特別な力が秘められていて、魔法使いたちの間では研究資料として価値があるという。
普通、魔獣が死ぬと一緒に壊れてしまうため、無傷の魔法具を手に入れるのは難しいらしい。
だが、あの人たちが持っている魔法具は傷一つなく見えた。
『これは本当に危ないことを企んでるな……』
彼女は真剣な表情で彼らの話す声に耳を澄ませた。
彼らは具体的な計画をぼそぼそ話しながら、書庫を出ていった。
セリーナは彼らの足音が遠のくまで息を潜めて待った。
少しして、セリーナは深呼吸しながらアジェイドの方へそっと身を乗り出した。
「ごめんなさい、びっくりさせちゃって……」
セリーナは言いかけて、ふと口を閉ざした。
思った以上にアジェイドがすぐそばに寄り添っている状態だった。
セリーナはアジェイドとの距離が思いのほか近いことに気づき、ハッとした。
膝を立ててしゃがみ込んでいるセリーナが、彼の両脚の間にぴったりと収まるような姿勢だった。
アジェイドはセリーナに口をふさがれたまま、やや無理な体勢でかがんでいた。
青い瞳にはセリーナの姿がくっきり映っていた。
少しでも顔を動かせば唇が触れそうなほどの距離感。
第三者が見れば、アジェイドがセリーナを逃がさないように押さえつけているように見えたかもしれない。
セリーナの手のひらには彼の熱い吐息が伝わってきた。
その妙な感覚にセリーナは思わず手を引っ込めた。
その瞬間、アジェイドが顎を上げ、堪えていた息を吐き出すように長く息をついた。
「はあ。」
その息でセリーナの前髪がふわりと揺れた。
彼女のこめかみ、すでに左側には不自然に浮いたような火傷のような跡がうっすらと見えていた。
花びらのようでもある小さな傷跡。
髪に隠れていて、よほど注意深く見なければ気づかないほど小さい。
セリーナは慌てて手でこめかみを覆った。
一部の傷を隠そうとして前髪を下ろしたのはかなり手慣れた動きだった。
アジェイドは別の場所に気を取られていたため、彼女の傷には気づかなかった。
彼はコップを持ったまま、何やら奇妙な呪文をつぶやきながら、ただ深いため息ばかりついていた。
そのとき、ぴくっと動いた喉元がセリーナの目に入った。
そこから鎖骨にかけてピクリと動く様子がまるで視線を誘うかのようだった。
セリーナは無意識に彼の喉元を見つめた。
くっきりとした首筋に浮かぶ筋と、すっと伸びた喉仏のラインがとても美しかった。
『どうしてみんな、皇帝を見ると顔を赤らめるのかしら』
セリーナはなんとなく暑くなってきた気がした。
だから早くアジェイドが離れてくれたらいいのにと思ったが、彼はまるで戦いの直後に鼻息を荒くする猛獣のように、ただ深く息を吐き続けていた。
『ノクターンの件で怒っているのかしら?』
セリーナはやっと、彼の行動がただごとではないと気づき、まばたきをした。
もしかしてノクターンをいじめようとする不届き者を見つけて、どうやって懲らしめるか考えているとか?
だとしたら、もう少し離れて考えてもいいのに。
セリーナは結局、息苦しさに耐えきれず口を開いた。
「陛下、いつまでこうしているつもりですか? そろそろ深呼吸はやめてもいいんじゃないですか。」
「……」
「陛下の息がずっと私の髪にかかっていて不快です。そろそろ少し離れていただけませんか?」
セリーナのつぶやくような声に、アジェイドは深いため息すら止めて下を見た。
彼の表情はどこか彼女に対して怒っているように見えた。
『し、失言だったか?』
セリーナはまるで火事場に水をかけたかのように、そっと彼の反応をうかがった。
もし機嫌を損ねたなら、それを引き起こしたのは自分だと確信していた。
驚いていたのに、まったく表に出さずに話す彼の姿に、セリーナは黙って見つめた。
アジェイドは何か言いたそうな目でセリーナを見た。
彼の視線はセリーナの目、鼻、口元をゆっくりとたどった。
しばらくして彼は大きく息を吐きながら、不満げに言った。
「どうしてそんなに警戒心がないんだ?」
「え?」
セリーナは思わずぽかんとして、驚いた目でアジェイドを見上げた。
まさか怒っているのかと思って。
「いや、私も怒りたくて怒ったわけじゃなくて……陛下が困りそうで心配だったんです。」
セリーナは気まずそうに言い訳をしながら体をずらした。
ずっと同じ姿勢でいたので体がしびれていたのだ。
その瞬間、アジェイドが鋭く叫んだ。
「う、動くな!」
セリーナは動きを止め、アジェイドをびっくりして見つめた。
彼は依然として青ざめた表情のまま、ぐっと口を閉じて唇をきつく噛んでいた。
どこか不安げなその顔は、なぜか妙だった。
「どうしたんですか?」
「……」
「もしかして、虫に刺されました?取ってあげましょうか?」
セリーナが手を伸ばして、彼の耳に何か異常がないか確かめようとしたその瞬間、アジェイドが彼女の手をつかんで言った。
「ちょっと……!黙っててくれ……」
荒々しかった声が、次第にかすれていった。
セリーナは手を握られたままアジェイドを見上げた。
なんだか彼の顔が赤くなっているような気がした。
とにかく手は熱かった。熱があるのだろうかと心配になった。
怒っているわけでも、虫に刺されたわけでもないのなら、一体なぜこんなにくっついているのか。
セリーナは息苦しさに耐えられず、彼の胸元を軽く押しながら言った。
「じゃあ少しだけ後ろに動いてください。窮屈なんです。」
「うわっ、ちょ、ちょっと……!」
アジェイドがびくっとして体を大きくのけぞらせた。
その瞬間、じっとしていた何かがセリーナの足にコツンと当たった。
大きくて硬い何か、まるで石のようだった。
セリーナは思わず声を上げた。
「石ころでも持ってきたんですか?」
アジェイドは答えず、もう片方の手で目元を覆ったまま、静かに拳を下ろした。
その耳は、まるで寒さで赤くなった木の実のように、うっすらと赤みを帯びていた。
「あ……」
その様子を見たセリーナは、遅れて何かを察した。
『そっか……つまり、うん、そういうことか。』
セリーナは、さっきから奇妙な態度を見せていたアジェイドの気持ちを少し理解したようで、目をそっと伏せた。
皇帝は別の意味でとても健康そうだった。
喉が渇いて喉が乾燥していたが、彼女は職業意識を働かせた。彼女は医師だった。
それが思うようにコントロールできるものではないことをよく理解していた。
だからこそ、患者が動揺しないように配慮する責任があった。
彼女は落ち着いて言った。
「大丈夫ですよ、陛下。それはただ、健康な人なら誰にでも起こりうる非常に自然な現象……」
しかし、アジェイドは素直に聞いてはいなかった。
「何も言わないでくれ、セリーナ。」
「はい。」
彼の切実な頼みに、彼女は口をぎゅっと結んだ。
重苦しい沈黙が流れた。
アジェイドが少し冷静さを取り戻し、後ろに下がったのはもう少し後のことだった。
アジェイドは何も言わず、セリーナも何事もなかったかのように視線をそらしながら話題を切り替えた。
「私はノクターン様にこの件をお伝えしてきますね。」
「……」
「陛下は……舞踏会の準備をなさるといいかと。」
セリーナは気まずそうに言葉を付け加えた。
アジェイドは傷ついた口元で、まるで子羊のような表情を見せながら、じっとセリーナを見つめた。
「……では、私はこれで失礼します。」
セリーナはそのじっとした視線をそっと避けるように立ち去った。
そそくさと書庫を出たセリーナは、さも当然のように堂々とした態度で—
『うわああああっ!』
心の中で悲鳴を上げながら、バタバタと廊下を走った。
抑えていた恥ずかしさが表に出た途端、一気に噴き出したようだった。
怒りは大丈夫だったが、アジェイドの反応を見て気分が晴れなかった。
『あの表情は何なのよ!』
いつの間にかセリーナの顔も真っ赤になっていた。
さっきのアジェイドのように。
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セリーナは落ち着いた後、ノクターンを探しに行った。
まず少し前に書庫で聞いた話を伝えようと思った。
ノクターンが滞在している部屋は、本邸ではなく別館のほうにあった。
おそらく、伯爵家の屋敷を借りて公爵が出入りする際、公爵に仕えるために滞在しているのだろうとセリーナは思った。
彼女はその部屋に到着し、扉を三度ノックした。
しばらくして扉が開き、ノクターンがセリーナだと気づいた。
「セリーナ嬢、これはどうしたご用件ですか?」
ノクターンは思いがけず訪ねてきたセリーナに目を大きく見開いた。
部屋で休んでいたのか、しっかりと結ばれていた長い髪がゆるく乱れていた。
「少しお伝えしたいことがありまして。中に入ってもよろしいですか?」
「うむ。この中でということですね?」
ノクターンは困ったような表情を浮かべた。
見知らぬ男性の私室にずかずかと入るのは少し危険な行動だ。
アジェイドは患者なので毎回病室に出入りしているけれど、ノクターンは彼女の患者ではなかった。
セリーナが手を合わせて言った。
「わっ、すみません。急いでいて、礼儀を欠いたとは思いもしませんでした。」
「いえ。このフロアの3番目の部屋が診察室です。そちらでお待ちいただければ、準備ができ次第伺います。」
「はい、そうします。」
危うく本当に失礼なことをするところだった。
さっきアジェイドと気まずく別れてしまい、まだ気持ちが落ち着いていないようだった。
セリーナは診察室でしばらくじっと座って待った。
なんだか気まずかった。
「遅くなってすみません。」
ノクターンは近くの席に腰を下ろし、手で合図をした。
「セリーナ嬢、何のご用件でそんなに急いでいらしたのですか?」
「確認したいことがありまして。」
「何でしょう?」
「もしかして今夜の舞踏会にご出席されますか?」
「ええ、そのつもりです。」
「うーん、行かないでいただけませんか?」
セリーナが戸惑いながらも問いかけると、ノクターンは喉を鳴らして笑った。
「どうしてです?」
彼の反応はもっともだった。
その舞踏会は狩猟祭の始まりを知らせる開幕式のようなものだからだ。
ノクターンとしてもグリーンウッド家の儀式なら誰でも参加するものだった。
もしかするとノクターンも都からここまで来ていたのかもしれない。
セリーナは慎重に口を開いた。
「その…実は、さっき図書館でグリーンウッド家の儀式の写真を見ました。その時、ノクターンさんも写っていたんです。」
セリーナがその時の出来事を言及すると、ノクターンの目がわずかに変化した。
「その時ノクターンさんがしたことに、罪悪感を感じておられるのかと思いました。」
「僕は他人なのにセリーナさんを心配させていたんですね。」
ノクターンはふっと笑いながら言った。
その表情には一切の警戒心が感じられなかった。
セリーナは少し戸惑いながら答えた。
「ただ笑い飛ばせることじゃありません。彼ら、魔法具を持っていました。」
「魔法具……。」
ノクターンの表情は思ったより落ち着いていた。
誰が見ても他人事のような顔だった。
セリーナはそれが不審だったが、まず話を続けた。
「ええ、赤い色のが少し危険に見えました。舞踏会の第1部が終わった後、作戦を決行する予定だと話していました。」
「第1部の間に騒ぎを起こすとグリーンウッド公爵が困るので、第2部で動くつもりなのですね。」
「……ご自身のことなのに、ずいぶん冷静なんですね。」
セリーナはノクターンの落ち着き払った様子に不審感を示した。
するとノクターンは肩をすくめて説明した。
「兄たちのやろうとしていることは、もうすでにいたずらの域を越えています。大体、何かを企てているのは間違いありません。」
「まずは、時間と場所がわかったのは幸いですね。もちろん、ノクターンさんが舞踏会に行かないのが一番安全でしょうけど、そういうわけにもいかないですよね?」
セリーナの問いに、ノクターンは軽く首をかしげた。
「魔法具が赤色だったと言いましたか?」
「はい。正確には鮮やかな深紅色に近かったです。もしかしたら、他にも持っているかもしれません。」
「ふむ。」
ノクターンは口を開くのをためらうようにしつつ、セリーナにそっと近づいて手招きした。
セリーナが顔を寄せると、ノクターンは耳元にささやくように言った――ノクターンが言ったことを全部聞いたセリーナは驚いてノクターンを見つめた。
「それ、可能なんですか?」
ノクターンは余裕のある様子で顎を撫でた。
「ええ。セリーナ嬢が協力してくれれば。」
「もちろんです。どうせノクターンさんにお礼をしなければいけないこともありますし。」
「忘れていなかったんですね。」
ノクターンはゆったりと笑みを浮かべ、セリナは肩をすくめた。
「恩はずっと覚えているべきですし、チャンスがあれば早く返すのが私の主義ですから。」
「いい心がけですね。」
「それじゃあ、また後ほど。」
セリーナが話を終えて席を立つと、ノクターンが腕を差し出した。
「本館までお送りいたします。」
「はい。」
セリーナは彼の腕に手を添えて歩き出した。
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夜になると、シャンデリアが華やかに輝き、あちこちにろうそくが灯された。
午後いっぱい動き回っていた侍女たちの努力のおかげで、無道会は盛大に開幕した。
グリーンウッド城は夜にもかかわらず昼のように明るく照らされていた。
あちこちからは柔らかな花の香りと美味しそうな料理の匂いが漂ってきて、入口には絶え間なく行列ができていた。
華やかな装いをした貴族たちが招待状を確認して入場した。
壮大なオーケストラの演奏がホールを満たした。
アジェイドはおしゃべりな群れの中で会話を聞くふりをしたり、ぼんやりしたりしていた。
その隣ではオフィリアがアジェイドの腕にしっかりとしがみつき、にこやかに笑っていた。
今回の舞踏会は狩猟祭の開始を告げる場。
そしてグリーンウッド公爵家の令嬢オフィリアがアジェイドのパートナーとなった。
彼女の表情が普段より明るかったのはこのためだった。
アジェイドは依然としてぼんやりとした様子だった。
彼の頭の中を悩ませる存在は見当たらなかった。
午後ずっと姿が見えなかったところを見ると、また部屋に籠って研究か何かをしていたのかもしれない。
さっき書庫でも本を一冊取っていたので、それを読んでいるのかもしれない。
アジェイドは時折セリーナのことを考えている自分に気づき、呆れた。
あのきまりの悪い事件があった後は特にそうだった。
実は少し衝撃だった。
あのとき通りで感じたほのかな体香と、かすかな温もり、そして唇に触れた柔らかな手の感触は今も鮮明だった。
セリーナはそのことを思い出し、再び心臓がドキドキした。
『体の調子が悪いのかも。』
アジェイドはもやもやとした気持ちを振り払った。
なんとなく喉が渇いた気がして、シャンパンのグラスに手を伸ばした。
そして、それを一口飲もうとしたとき——
ホールの扉が開き、見覚えのある二人が親しげな雰囲気をまとって入ってきた。
セリーナとノクターンだった。
アジェイドは顔をしかめてグラスを口から離した。
「まあ、セリーナ嬢じゃない。」
そのとき、オフィリアがセリーナに気づいて、かすかに声を上げた。
彼女の口元にはアジェイドが自分の隣の席を取ったことに勝ち誇ったような気分だった。
アジェイドは困惑した顔でセリーナとノクターンの方を見やった。
確かに今朝会った時も舞踏会に対して大した反応はなかったが、目の前のセリーナはとても楽しそうに見えた。
アジェイドの視線はノクターンの腕に手を添えているセリーナの指先へと向かう。
その瞬間、彼が持っていたシャンパンのグラスがかすかに震え始めた。
『あの二人、いつの間にそんなに親しくなったんだ?』
そういえば最近セリーナがノクターンと会うことが多いという話を聞いていた。
研究の進展のために相談するという名目だったが、実は恋愛でもしていたのだろうか。
アジェイドはこの前の報告を思い返した。
『セリーナには問題なかったが、まさかグリーンウッド家門の使用人たちがうるさいとか?』
『控えめでしたが、大きな問題はありませんでした。』
『また部屋にこもってた?研究してたとか?』
『いえ、今日はヘリス伯爵と一緒に散歩をなさいました。』
『……なに?ノクターンと散歩?どうして?』
『ええ。邸宅の周りを案内してくれたようです。雰囲気は和やかで、特に争いはありませんでした。』
無神経に報告を終えた護衛騎士が、くすっと笑った。
そしてその日、彼は理由もなくアジェイドから鋭い視線を浴びた。









