できるメイド様【２４６話】ネタバレ

そのどうしようもない予感通り、ラエルは遠慮なくマリを求め続けた。

消耗したマリはベッドでぼんやりしながら、ラエルを見つめて言った。

「……やりすぎですよ。」

「何のことだ？」

「……わかってるじゃないですか。」

ラエルはくすっと笑い、彼女の額にそっとキスをした。

「よくわからないな。じゃあ、何かな？」

彼は再び愛に満ちた瞳で彼女を見つめながら尋ねた。

「もっと愛してほしいってこと？だったらいくらでも君を愛してみせるさ。」

マリは思わず息を飲み、軽く頭を横に振った。

それは、「そんな意味ではない」という気持ちの表れだった。

けれど、それを言葉で説明するのは難しい。

「そんなことじゃないです。」

「そうなの？」

ラエルは彼女の言葉を受け止めつつも、優しく彼女の頬に手を伸ばし、その指先で彼女の顔を撫でた。

その仕草にはどこか切ない名残惜しさが漂っていた。

マリはその手の温もりを感じると同時に、意識がぼんやりと遠のきそうになった。

彼女はまたしても困らせられる（？）予感に襲われ、慌てて声を上げた。

「ちょ、ちょっとお腹が空きました！」

「……そう？」

「はい、お腹が空きすぎて倒れそうです。美味しいものを食べたいです。」

ラエルは彼女の言葉に苦笑いしながらも、仕方がないとばかりに手を上げた。

「わかった、食事を準備することにしよう。」

ラエルの顔にほんのりと名残惜しさが浮かび、それを見たマリはどこか気まずそうな表情をした。

ラエルがこんなにも強い情熱を持っているとは思いもしなかった。

かつて彼は冷淡で控えめな姿勢を見せていたが、今や彼の中には情熱的で新たな一面が見えるようだった。

「私を騙したんですね。」

「ん？どういう意味だ？」

「私はあなたがこんなことにはまったく興味がない人だと思っていました。」

マリはラエルの目を避けながら、不満げな様子を見せた。

そんな彼女を見たラエルは微笑みながら、優しく彼女の額に軽いキスをした。

「嘘をついたことはない。君を愛しているからこそ、僕がこう変わったんだ。」

彼は穏やかに言葉を続けた。

「僕が望むのはただ君だけだ。君がいてくれさえすれば、それでいいんだ。」

甘い言葉にマリの頬がほんのりと赤く染まり、胸の奥にじんわりとした感情が広がった。

「とにかく食事を用意してもらおう。」

やがて、厨房が作った料理が部屋に運ばれてきた。

しかし、食事を始めようとした矢先、アルモンドがラエルに向かって慎重に耳打ちした。

マリに聞こえないように注意を払って。

「陛下、招待状が届きました。」

「招待状？」

ラエルは不審そうな表情を浮かべた。

この休暇地で一体どんな招待状だというのか？

「まさか……？」

「はい、その通りです。『彼』です。」

ラエルは険しい顔つきになった。

「彼」とはヨハネフ3世のことだった。

彼が再び、ラエルとマリを妨害しようと何らかの企みを始めたのだ。

「見る価値もない。ただ持って行って燃やしてしまえ。」

「はい、承知しました。」

アルモンドは黙々と指示に従い、それを持ち去った。

二人のやり取りにマリは不審そうな顔をした。

「何かあったんですか、ラン？」

「何もない。ただ鬱陶しい小鳥が周囲を飛び回っているだけだ。」

「……小鳥？」

マリは困惑した表情を浮かべた。

ランは彼女を安心させるかのように、肉の一切れを掴んでマリの口元に直接運んだ。

「そうだ、小鳥だ。気にせず、食事でもしよう。」

ランはヨハネフ3世の存在をマリにできるだけ隠そうとしていた。

ヨハネフ3世がこの場所にいることを知れば、マリが当然動揺するのは明らかだったし、ランは彼女が自分以外のことに気を取られるのを望んでいなかった。

この場所では、彼女が自分だけを見つめていてくれれば、それでよかった。

それが彼の願望だった。

しかし、それが簡単なことではないのは分かっていた。

相手は狡猾なヨハネフ3世なのだから。

しかし、ラエルは急いで邸宅を出ることもなく、外に出たとしても、事前に周辺に近衛騎士を配置し、完全に接近を阻止することでヨハンの妨害を防いだ。

結果として、ヨハネフ3世はラエルに書簡を送ることを余儀なくされた。

「ふん、大したものですね。しかし油断しないでください。彼女への想いは、あなた以上に私も決して諦めるつもりはありませんから。」

ラエルはその書簡を受け取るや否や、迷うことなく紙を真っ二つに引き裂いた。

読む価値すらないと判断したのだ。

「ラン、それは一体どんな書簡だったの？」

「書簡なんてものじゃない。誰かがくだらない手紙を寄越しただけだ。」

「……くだらない手紙？」

「そうだ。この島には頭のおかしい奴が一人住んでいるようだ。」

マリが怪訝そうに見つめると、ラエルは内心で怒りを燃やした。

『ヨハネフ、お前のような奴に絶対に妨害はさせない。さっさと諦めて自分の国へ帰るがいい。』

しかし、そんなラエルの意図とは別のことが起こった。

その夜、一通の招待状が邸宅に届けられた。

ラエルは当然ながらヨハネフ3世が送ったものだと思い、火に投げ捨てようとしたが、差出人を見て一瞬手を止めた。

ヨハネフ3世ではなかった。

「ノビエン男爵が送った招待状だと？」

ノビエン男爵は、この島を統治する領主だった。

「ええ、島を訪れた貴賓たちを招待して盛大な宴を催したいとおっしゃっています。」

ラエルは困惑した表情を浮かべた。

特に理由もなく、好意で招待されただけだと言われても断りづらい。

「ヨハネフ3世が参席できないように縄で縛って地下牢にでも放り込んでおきますか？永遠にですが。」

アルモンドが真剣に尋ねた。

ラエルは本当にそうするべきかどうか、一瞬考えた。

それほどまでにヨハネフ3世に邪魔されるのは嫌だったのだ。

しかし——。

「……そこまでしなくてもいいだろうな。」

ラエルはため息をついた。

結局、彼はどうしようもなく招待を受け入れ、マリに簡単な事情を説明した。

「ヨハネフ3世がこの島に来ているって？」

「そうだ、やつも休暇を取りに来たそうだが、理解しがたいことだ。」

マリは思いがけない事実に目を丸くした。

「たぶんノビエン男爵の宴会にヨハネフ3世も参加するだろう。もし邪魔をするようなら、参加させないようにするさ。」

「それでも私たちを気遣って招待してくれたのに、無視するのは失礼ではありませんか？」

「失礼だろうな。それでも、まあ、構わないさ。」

正直なところ、ラエルは失礼だとか宴会の礼儀などどうでもよかった。

ただ、彼女と過ごす時間が足りないのに、そんな宴会に出席する必要があるのかと内心思っていた。

マリはしばらく黙っていたが、やがてそっと問いかけた。

「正直、気は進まないけど、それでも出席しなければならないんですね。」

「ヨハネフ3世も来るだろうが、大丈夫だろうか？」

マリは微笑みながら彼の腕にもたれかかった。

「大丈夫です。どうせ私の隣にはランがいるんですもの。あなたがいれば何も心配いりません。だから、気にしないでください。」

その言葉にラエルの胸は温かくなった。

そうだ、彼女にとっては自分だけがすべてなのだ。

ヨハネフ3世がどんな妨害をしてこようと関係ない。

ラエルはほほ笑みながら彼女の肩を引き寄せ、抱きしめた。

「それなら、顔を見せるだけにして帰ってこよう。」

こうして二人は島の領主であるノビエン男爵の宴会に出席した。

「お二人のご来場を歓迎いたします！ノビエン男爵でございます。」

気品のある中年の男がにこやかに微笑みながら二人を迎え入れた。

「東帝国のウィンター伯爵です。お目にかかれて光栄です。こちらは私の妻です。」

本当の身分を明かすわけにはいかなかったため、二人は偽名を使った。

ノビエン男爵もそれを察し、特に追及する様子はなかった。

穏やかな声で、二人は城の中へ案内された。

「お越しいただきありがとうございます。本来ならもっと早くお招きすべきでしたが、遅くなってしまい申し訳ありません。」

「いえ、こうしてお気遣いいただけるだけで感謝しております。」

礼儀正しい会話を交わしながら、二人は男爵の後についていった。

「こちらが応接室です。粗末な場所ではありますが、心ばかりの料理をご用意いたしましたので、どうぞお召し上がりください。」

マリはラエルの手をそっと握りしめた。

おそらくこの奥にヨハネフ3世が潜んでいる可能性が高いと感じているのだろう。

表面上は平静を装っていたが、その指先には緊張がにじんでいた。

ラエルは穏やかな微笑みを浮かべながら、彼女の手をしっかりと握り返した。

『ヨハネフ3世よ、もし何か企みを仕掛けるつもりならば、絶対に容赦しない。』

ラエルは心の中でそう決意しながら応接室の扉をくぐった。

しかし、部屋の内部を見た二人は意外な光景に直面した。

そこにはヨハネフ3世の姿はなく、数人の侍女と使用人だけが控えていたのだ。

ラエルは食事を取る位置に座り、マリも隣に腰を落ち着けた。

この場は、島を訪れた特別な招待客たちをもてなすために準備された宴会場だった。

だが、招待されたはずの人物がなぜ見当たらないのか、ラエルの心に疑問が浮かんだ。

「遅れているのか？ヨハネフ3世はまだ姿を見せていないようだな。」

彼は緊張感を保ちつつも、外見上は何事もないように振る舞った。

「ささやかですが、お楽しみいただければ幸いです。」

主人であるノビエン男爵は、穏やかな声でそう言った。

宴会は始まり、ラエルとマリは慎重に周囲を観察しながら食事を楽しんだ。

「この海産物は、島の目の前の海で採れたものです。新鮮さには自信がありますよ。」

「本当に新鮮でおいしいですね。」

ノビエン男爵は場を和ませるように会話を進め、ラエルとマリも相槌を打ちながら進行に合わせた。

宴会の雰囲気は悪くなかった。

しかし、ラエルの心は完全には安らげない。

いつどのタイミングでヨハネフ3世が現れるのか、その不安がずっと頭を離れなかった。

宴会も中盤を過ぎ、デザートが配られ始めたころ、ラエルはついに我慢できず何かに気づいたようだった。

「もしかして、私たち以外に招待された方はいますか？」

「いいえ、いません。この島に招待するに値する方は、現在お二人だけです。」

ヨハネフ3世がこの島に滞在していることを知っているラエルには、理解できない回答だった。

『どういうことだ？』

どうやらヨハネフ3世がこの宴会に来ることはなさそうだと判断した二人は、ようやく気持ちを落ち着けて食事を楽しむことにした。

不思議なことに、料理がより美味しく感じられた。

ノビエン男爵は楽しそうな表情で話し始めた。

「はは、それで以前、私が東帝国を訪れたとき……！」

そのとき、男爵の楽しげな声が止まった。

侍従がそっと男爵に近づき、耳元で何かを囁いた。

「男爵様……」

「そうか？わかった。そう、そうだ。」

侍従の言葉を聞いた男爵は、顔にわずかな緊張感を浮かべながらも、ゆっくりと頷いた。

その表情は、さきほどまでの穏やかさとは違う、少し硬いものだった。

「何か問題があるのですか？」

「ええ、その……」

男爵は額に皺を寄せながら話し始めた。

「島で放火事件が起こりまして。」

「放火事件ですか？」

「はい。村で大切に保管されていた絵画がありまして、それが昨晩の火事で大きく焼失してしまったんです。」

「犯人は見つかったのですか？」

男爵は肉を切り分けながら答えた。

「はい、確定ではありませんが、容疑者として怪しい男を捕まえました。調査によれば、正体不明の男が密かに島に侵入していたようで、その男が犯人と見られ現在取り調べ中です。」

「……正体不明の男？」

ラエルは驚いた表情で聞き返した。男爵はため息をつきながら続けた。

「はい。彼は自分を西帝国の皇帝だと名乗っており、どうやら少し精神が普通ではないようです。」

ラエルとマリは驚きのあまりお互いの顔を見合わせた。

『まさか？』

「もしかして、黒い髪と黒い瞳を持った男ではありませんか？」

「はい、その通りです！容姿は際立って整っているのですが、自分が西帝国の皇帝だと名乗っています。全く、一体どうしてそんな精神の異常な人物がこの島に潜り込んだのか……。」

ラエルとマリは呆然とした表情で男爵を見つめた。

まさに予想もしない展開だ。

分明、ヨハネフ3世の仕業だと思われるが、彼がなぜ放火事件に関わっているのかについてラエルは納得がいかず、低い声で提案した。

「……一度その容疑者に会ってみてもいいでしょうか？」

ヨハネフ3世は城の地下牢に拘束されていた。

ラエルとマリがその場所に案内され、牢の中の男と向き合った。

彼らは何を言うべきか分からないまま、その場でヨハネフ3世の顔をじっと見つめた。

『ナーレ大帝国の皇帝が、放火事件の容疑者として捕らえられ牢にいるなんて、あり得るだろうか？』

その時、ヨハネフ3世がマリの方を見て、にっこりと笑みを浮かべた。

「おや、これはどなたですか？ 私が夢の中で恋しく思っていたモリナ国王ではありませんか？」

「……」

「こうして再びお会いするとは。運命があなたを私のもとへ引き寄せたのでしょうね。心から恋しかったのですよ。」

マリは相変わらずのヨハネフの態度に驚きと苛立ちを感じていた。

牢に入れられているのに、全く意気消沈することなく堂々としていた。

「……もう帰ってもよさそうですね。」

「はい、もし助けが必要なのではと思って来ましたが、その必要はなさそうですね。」

ラエルは静かにマリの手を取り、その場を立ち去ろうとした。

しかし、彼らが本当に去ろうとした瞬間、ヨハネフ3世が慌てて叫び声をあげた。

「ちょっと待ってください！このままでは困ります。どうか助けてください。このままだと私は放火犯として処刑されてしまいます！」

「なぜ私たちが君を助ける必要がある？」

ラエルが冷たく問いかけた。

「私たちは大切な友人ではありませんか！」

「……行こう、マリ。」

「おお、ラン！私はあなたを真の友人と思っています！だから、どうか一度だけ助けてください！」

ラエルは苦笑した。

ヨハネフ3世と彼自身が友人だというのは、まるで不公平な取引の一端に近い発言だ。

今は平和協定を結んでいる状況だが、東帝国と西帝国はいつまた戦争を始めるかわからない眠れる敵国同士だった。

「……このまま知らないふりをするのが最善かもしれないな。」

ラエルはそう真剣に考えた。

しかし、マリは少し異なる考えを持っているのか、何か迷うような表情を浮かべていた。

「少し話だけでも聞いてみましょうか？」

「……」

「もちろん、私もヨハネフ3世を助けたいわけではありません。でも、何も知らないふりをするのも、それはそれで……。」

ラエルにとってはヨハネフ3世がどうなろうと関係なかったが、優しい心を持つマリにとっては、知らないふりをするのは気が引ける様子だった。

「そして、もし本当にヨハネフ3世がここで何か問題を起こせば、西帝国との間に再び大きな争いが起きるのではと心配になるんです。」

結局、ラエルはやりきれない表情で深いため息をついた。

「分かった。それなら話を聞いてみよう。」