こんにちは、ちゃむです。
「余命僅かな皇帝の主治医になりました」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

38話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 酔い
しばらくの間、しがみついた末にセリーナはようやく手を放した。
すでに口の中の解毒薬はすべて溶けてなくなっていた。
アゼイドは赤くなった指をハンカチで拭きながら、大きくため息をついた。
目の前にどこからか子ヤギが一匹跳ねていた。
アジェイドはこれをどうしたらいいのかと、冷めた目でそのヤギを見つめた。
「セリーナ。絶対にお酒は飲むな。」
「えっ?私、お酒にはめっぽう弱いんですけど?」
「せめて発音くらい正確にしてから言え。」
「ほんとにもう……」
「さっき君の口に入れた薬が解毒剤ってこと、忘れた?」
アジェイドの小言に、セリーナは聞こえないふりをした。
いや、聞こえないふりをしながらも彼に近寄った。
『解毒剤の効果が出るまで30分はかかるって言ってたな。』
アジェイドは懐中時計をじっと見つめ、大きくため息をついた。
そしてセリーナが外に出られないよう、肩を抱いて腰をしっかりつかんだ。
まるで逃げ出す子犬をひょいと持ち上げて囲いに入れるような、そんな感じだった。
「逃げ場はないな。」
「自己紹介します?」
「……もう、何も言わない。」
アジェイドは肩を小刻みに震わせながら視線を横にそらした。
あの赤らんだ顔を見ていると、怒りの沸点が破裂しそうだった。
『ノクターン、あの野郎はパートナーが酔っ払うまで気にも留めないのか?』
他の者へと怒りの矛先を向けていた。
ノクターンであれば、舞踏会のデザートの中に危険な食品が混ざっていることなど面倒がって気にもしなかっただろう。
セリーナはアジェイドの腕の中から抜け出そうとしばらくもがいていたが、諦めたのか、体をぐったりと預けた。
微かに安らかな呼吸が聞こえるのを見て、どうやら眠ってしまったようだ。
『酔いがさめたらしっかりお灸を据えてやる。』
そうして約30分ほど眠っていたかという頃だった。
第1部が終了したという鐘の音が鳴り響いた。
「たった一人の酔っ払いのせいで、第1部はまともに観られなかったな。」
実は、それほど長くいたい舞踏会ではなかった。
その後の第2部は、もっと楽しみたい人だけが残って、談笑を交わす場だ。
カーテンがすっと引かれ、すでに高位の官職者たちは第1部を終えて帰ろうとする雰囲気だった。
数人はまだ残っていたが、大半は出会いを求める若い令嬢たちだった。
おそらく第2部は第1部とは違って、若者たちの交流の場になるだろう。
アジェイドはカーテンをしっかり閉め、セリーナの方へ向かう。
そしてセリーナの膝裏と腰を抱きかかえ、ひょいと持ち上げた。
こっそりとテラスの外に行こうとしたその動きが、ドアの前でぴたりと止まった。
考えてみれば、このまま酔ったセリーナを連れて出れば、きっと妙な噂が立つに違いない。
すでに彼と彼女の間に噂が流れていることは知っていた。
オフィリアがまた姿を現したことで、社交界では一時的に噂はおさまったが、まだ完全には消えていなかった。
彼はどうでもよかったが、関係のないセリーナが話題に上がるのは嫌だった。
とりあえず彼女も結婚適齢期の令嬢だ。婚期の邪魔をしてはならない。
「もう少しここにいてもらわないと。」
アジェイドがセリーナをソファの椅子にそっと下ろした。
セリーナの重たそうなまぶたがゆっくりと開いた。
その隙間から覗く黄色い瞳がアジェイドをじっと見つめた。
もしかすると、ぼんやりしているものの意志疎通はできるかもしれない。
「少しは覚めたか?」
「……」
「覚めてないのか?」
「アジェイド……?」
セリーナが彼の名前を呼ぶと、彼はぱっと目を見開いた。
彼女の口から自分の名前が出たのは初めてのことだ。
アジェイドの心臓がまたドクンと高鳴り、まるで跳ねるように鼓動を打ち始めた。
セリーナが唇をむにゃむにゃ動かしているのを見て、彼はほっと笑いながら言った。
「生きてる?よかった。」
「……」
アジェイドは少し身をかがめてセリーナをじっと見つめた。
もしかして、彼が死ぬ夢でも見ていたのだろうか?
だから目を開けて、彼が生きているのを見て不思議だったのか?
……あんなに安心したように笑うなんて。
「そもそもお前、なんでいつも俺の健康にこだわるんだ?」
誰かが見たら彼女が彼の母親でもあるかのように思うほど、彼女には穏やかな気質があった。
少し面倒くさがるかと思いきや、こうして熱心に世話を焼いてくれるとは、どの段階で対応すべきか分からなかった。
アジェイドは好奇心に満ちた目でセリーナを見つめていたが、困惑していた。
外が騒がしくなると思ったら、「ガシャン!」と何かが割れる音が聞こえた。
その音に、セリーナに完全に意識を向けていたアジェイドは我に返って、ぱっと顔を向けた。
アジェイドとセリーナがテラスにいる間、ホールではまた騒がしくなり始めていた。
オフィリアが言った。
「おばあさまが持ってるあれ。これよ、ジェイムス。」
「いきなり何を持ち出したの?」
「それはあなたのほうがよく知ってるでしょ。」
オフィリアは冷たい目でまた手を差し出した。
ジェイムスは下唇を噛みしめ、ポケットの中の魔法球をもぞもぞといじっていた。
『わかって来てる感じだけど……誰だ?まさか内通者か?』
ジェイムスは出どころを突き止めようと頭をひねっていた。
彼らの計画はこうだ。
第2部が始まる前に、ノクターンに睡眠薬を混ぜた酒を飲ませてから火をつける。
そして魔法具をノクターンのポケットに入れて証拠として仕込む。
魔法具による火は周囲の自然マナを吸収して拡大するため、魔法でしか消せない。
そして事態が十分に混乱した頃合いを見計らって、彼が現れて別の魔法具で火を消すという段取りだった。
ジェイムスは魔術師ではなかったが、魔道具を使った生活魔法に詳しかった。
特に魔法使いから出た魔法具を研究して論文まで書いたほどで、魔法具の扱いには長けていた。
ジェイムスはとりあえずごまかすために、不敵な笑みを浮かべてこう言った。
「大胆だな。もしポケットに何も入ってなかったら、どうするつもりだったんだ?」
オフィリアは手に持った魔法球探知機をいじっていた。
ノクターンは慎重な人物だ。
彼女が彼を完全に信用していないことを知っていて、こうして客観的な証拠まで用意しているのだ。
すでに探知機はジェイムスが魔法球を持っていることを感知していた。ジェイムスが言い逃れる余地はなかった。
「何もなければ謝るわ。」
「謝罪だけで終わるの?それじゃ軽すぎない?」
「いつからあなたが私の前で軽重を評価できる立場になったの?分をわきまえなさい、ジェイムス。」
オフィリアがゆっくり笑うと、ジェイムスの顔に緊張が走った。
彼女はグリーンウッド家の嫡流。
一方のジェイムスは、側室筋として能力が認められ養子として迎えられた存在で、立場はかなり下だった。
しかも、彼女は公爵が溺愛する娘であり、ジェイムスとはまるで天と地ほどの差があった。
ジェイムスは苦笑いしながら、わざとらしく上着を脱いだ。
「そんなに疑うなら、お前が直接調べてみろよ。」
そう言いながら、さりげなく魔法具を持った手でクッキーの入った皿にぶつけて落とした。
そして、横で小刻みに震えているパトリックに目をやった。
パトリックはいつもより体をぶるぶると震わせていた。
緊張しているのか、それとも酒を飲み過ぎたのか、見た目にも分かった。
『まったく、あの小心者め。』
ジェイムスは気に留めることなく、それを幸いとばかりにオフィリアを見た。
オフィリアがポケットをまさぐっている間に、ジェイムスはノクターンがどこにいるのかをしっかりと確認した。
数人の召使いが彼に杯を差し出しているのが見えた。
口元に運ばれるのを確認したが、すでに彼は少し朦朧とし始めていた。
あらかじめ手配していた兄弟が彼に近づき、魔法球をさりげなく動かすと、そこからが本番だ。
ジェイムスは曖昧な笑顔を浮かべたままオフィリアを見ていた。
だがオフィリアは愚直に空っぽの袋をいじってばかりいた。
「見てごらん、何もないだろ?」
「………」
オフィリアはそんなはずはないと、中をもう一度確認しながら袋を探っていた。
そのときだった。
「オフィリア、これ探してる?」
聞き覚えのあるノクターンの声が穏やかに響き渡った。
ジェイムスが驚いて振り返ると、ノクターンが騒ぎの中でパトリックの手首を掴んでいた。
パトリックの手には、先ほどアガサが渡した魔法具がしっかりと握られていた。
オフィリアはパトリックとジェイムスを見比べながら、冷ややかな表情を浮かべた。
ノクターンがパトリックの手首をひねると、魔法具がぽろりと落ちた。
落ちたそれを素早く拾い上げ、オフィリアに渡しながら言った。
「さっきジェイムスがパトリックに渡すのをこの目で見た。証拠が必要なら言って。これは証拠品だから、ちゃんと保管しておいてくれ。」
オフィリアは突然現れ、助けてくれたノクターンをじっと見つめ、澄ましたように答えた。
「私一人でも十分に暴き出せたけどね。」
「だから空の袋をひっくり返してたんだね、オフィリア。」
「ほんと、お前はダメだな。」
オフィリアはぼそりと悪態をつきながら魔法球をつかみ取った。
ノクターンは余裕の笑みを浮かべ、オフィリアはそれを見つめた。
炎の属性を持つ魔法球の一つは簡単に照らすことができた。
ジェイムスは状況が理解できず、きょろきょろと目を動かした。
ノクターンは本来もう眠っているはずなのに、しっかり目を覚ましていた。
目の前で睡眠薬入りのワインを飲んでいたはずなのに……。
その妙な様子を見守っていたノクターンが口を開いた。
「私が起きてるのがそんなに不思議ですか?」
「何言ってるか分からないけど。」
ジェームスは視線を避け、小さくつぶやいた。
一旦ばれてしまったのだから、開き直って後のことは後で考えればいいと思った。
しかしノクターンはジェームスを刺激する言葉ばかり選んだ。
礼儀を装うことさえ拒否し、密かに神経を逆なでした。
「俺の酒に睡眠薬を入れただろう。知ってて飲んでやったら、ずいぶん喜んでたみたいだな?」
「この野郎……」
「結局、俺に相手をしてほしくて何度も絡んでくるのか?俺は俺より格下のやつには礼儀正しくする方法を知らなくてな」
ノクターンはニヤニヤと笑いながらジェームスの神経を逆撫でした。
ジェームスは怒りに震えながら尋ねた。
「どうして平気なんだ?いや、それよりも、飲んだのにどうしてまだピンピンしているんだ?」
ノクターンは腕を組んだまま薄く笑い、セリナとの会話を思い出す。
『私に睡眠薬を飲めと?』
『ええ。それで向こうが油断するでしょ。』
『でもそれじゃあ私が危険じゃないですか?何か方法はあるんですか?』
『これを持って。』
『これは……?』
『睡眠薬を解毒する薬です。これを飲めば睡眠薬を飲んでも眠りませんよ。』
『こんなもの、なぜ作ったんですか?』
『ただの趣味生活ってことでいいでしょ。』
ノクターンはセリーナを知れば知るほど不思議だった。
一体どこの医者が様々な解毒剤を作るのにあれほど真剣になるのだろうか。
そんな利益にもならない研究よりは、もっと名を挙げることができるような研究をしたほうがキャリアに役立つはずだ。
おそらく彼女の手元にはあらゆる毒やアレルギー、病気に関する解毒剤のレシピが山ほどあるのだろう。
果たしてそんな解毒剤がどこで使い道があると思って作ったのかは分からない。
ただ一つ確かなことは、今彼女が心を込めて救いたいと思っている相手が、この国の皇帝ただ一人だということだ。
「つまらない小細工はやめて、さっさと答えろ。」
「さあね。俺の後ろ盾がお前より強力なんだろうよ。くだらない魔法ごときで俺をどうにかしようなんて、笑わせるな。」
ノクターンが皮肉交じりに言うと、ジェームスの顔が赤くなるのは一瞬だった。
ノクターンはジェイムスを軽く通り過ぎてオフィリアに言った。
「マイケルを捕まえたから、あいつに説明させて、家門の掟どおりに処理して。」
「そんなの、じゃあ自分でやればいいのに、なんで私を巻き込んだの?」
オフィリアが不満げに睨むと、ノクターンは答えた。
「もうグリーンウッド家のことには関わりたくないんだ。」
「それでもあなたは永遠にグリーンウッドよ、ノクターン。」
オフィリアの挑発的な言葉にノクターンは何も言わず見つめた。
目をそらそうとしたが、ノクターンは動けなくなった。
「あなたの口から『永遠にグリーンウッド』なんて、そんな言葉が出てくるとは思わなかったな。」
冷たい口調にオフィリアが反論しようとした瞬間だった。
「お、おい、無視するな……!」
ガシャーン!
後ろで酔いのせいか震える体を抑えきれなくなったパトリックが、ウェイターからワインボトルを奪い取って壁に投げつけた。
そのため、片側の壁が赤ワインで染まり、まるで血まみれのようで不気味だった。
ジェームスは突然のパトリックの行動に呆然としながら驚いた。
普段のパトリックの性格では、あれほど興奮した姿を見せることはないはず。
どうやら酒の勢いで無駄な勇気が出てしまったらしい。
それも、勇気を出してはいけないタイミングで。
「うわああああ!」
パトリックが怒号を上げてノクターンに突進してきた。
ノクターンは一人なら避けられたが、隣にはオフィリアがいた。
「くそっ。」
ノクターンは低く悪態をつきながら、避けるのを諦めてオフィリアを抱き寄せた。
オフィリアは一瞬、自分の前を覆うノクターンを呆然と見つめた。
彼が自分だけ逃げると思っていたのに、守ろうとしている姿に驚いたのだ。
「……きゃあああっ!」
周りにいた令嬢が恐怖で悲鳴を上げた。
パトリックが持ったワインボトルがノクテンの頭を打とうとしたその時――
ぼうっ!
ノクターンとオフィリアの前に火の壁がしっかりと立ちはだかった――。
逃げる間もなくパトリックが炎の中に飛び込み、全身にひどい火傷を負って床を転げまわった。
「うわああっ!お、俺の腕が!」
パトリックが苦痛に満ちた悲鳴を上げた。
髪は炎で焼け焦げ、服のあちこちに火の塊がくっついていた。
ジェームスが急いでパトリックに水をかけているその時だった。
「ノクターン、僕が渡した指輪はこういう時に使うものだろう?」
穏やかな海のような落ち着いた声がホールいっぱいに響いた。
すべての視線がテラス入口の壁にもたれかかっているアジェイドに向けられた。
彼は穏やかな表情でノクターンを見つめていた。
たった今、一人を焼き殺しかけたということなど全く気にしていないような表情で。
その姿はあまりに危険で、悲鳴を上げていた令嬢たちですら言葉を失った。
状況は混乱していたが、アジェイドは倒れているノクターンとオフィリアを見て、冷静に状況を把握している様子。
そして心の中で「その時書庫で見たやつらか」と思い出していた。
アジェイドが薄く笑いながら手を振ると、炎の壁は洗い流されたように消えた。
パトリックについた火もすべて消えてしまった。
壁のすぐそばにいたノクターンとオフィリアにはすす一つ付かなかった。
ただ一人、騒動を起こしたパトリックだけが火傷を負った。
魔法の使い手の手際があまりにも鮮やかで、周囲からは感嘆のため息が漏れた。
ジェームスは皇帝まで現れて騒ぎが大きくなったため、深く頭を下げた。
思い通りにならない状況に苛立ちが募った。
この騒動はすぐに公爵の耳に入るだろうし、ジェームス自身が罰を受けることになりかねなかった。
人前でノクターンを辱めるはずの計画は完全に彼らに裏目に出てしまった。
パトリックはすでに泡を吹き気絶していた。
オフィリアは今になって事態が現実的に感じられたのか、体を震わせた。
ノクターンが一息ついている間に、遅れて騒ぎを聞きつけてホールの中に騎士が入ってきた。
ノクターンは顔色を失ったオフィリアの代わりにジェイムスとパトリックを睨みつけた。
「ここにいる二人と、北の柱に縛られているやつらも全員『あそこ』に連れて行け。」
ノクターンが「あそこ」と言うと、騎士はオフィリアの目線を見た。
「ノクターンの言う通りにしなさい。」
オフィリアは力なく命じ、騎士はすぐに二人を引きずるようにして連れて行った。
『あそこ』はグリーンウッド家の令嬢たちが罰を受けるときに入る部屋だ。
ジェイムスはそれを苦々しく思いながらもノクターンを鋭く睨みつけたが、すぐに視線をそらした。
目はとても冷たかったが、その裏にはこれから起こる出来事への恐れが見え隠れしていた。
オフィリアは何も言わず、ただ蒼ざめた顔で息を整えていた。
アジェイドがノクターンに言った。
「グリーンウッド令嬢がひどく驚いているようだ。送って行って差し上げなさい。」
「はい。」
ノクターンは短く返事をすると、オフィリアに手を差し出した。
オフィリアは力なく手を伸ばそうとしてよろめいた。
弱い姿を見せることを嫌う彼女にとっても、先ほどの騒ぎは相当な衝撃だったようだ。
ノクターンはオフィリアの状態が良くないことを確認すると、彼女の膝の裏と腰に手を回してひょいと抱き上げた。
「一人で歩けるわ!」
オフィリアはノクターンだけに聞こえるよう小さく叫んだ。
ノクターンはそれを無視し、アジェイドに軽く会釈するとオフィリアを連れて姿を消した。
ワインに染まった壁からはアルコールの香りが漂った。
アジェイドがオーケストラに目で合図すると、止まっていた演奏が再開された。
そのおかげで張り詰めていた雰囲気が次第に和らいでいった。
使用人たちが床のガラス片を片付けている間、アジェイドは再びテラスへと向かった。
騒ぎは収まったので、そろそろ戻るところだった。
セリーナはアジェイドのコートを毛布代わりにしてすやすやと眠っていた。
周りでどんな騒ぎが起きていたのかも知らずに眠る姿は、まるで魂のない子どものようだった。
月明かりはまるでスポットライトのようにセリーナの白い顔だけを照らしていた。
アジェイドは引き寄せられるようにセリーナの前に腰を下ろした。
距離はかなり近かったが、アジェイドは自分でも気づかないままじっと彼女を見つめた。
うっすらと閉じた目は深い紫色のまつ毛が蝶が羽を閉じたように垂れ下がっていた。
なぜか少し気難しそうにも見えた。
その下にきゅっと閉じた小さな鼻と赤い唇は……。
「……あ。」
アジェイドは何かを悟った人のように小さな感嘆の声を漏らした。
遅れて、自分の口の中に誰かの指が入っていたことを思い出したのだ。
慌ててその指を口から離して見てみると、うっすらとセリーナの古い歯型が残っていた。
アジェイドはその痕跡をもう片方の指でなぞりながら、しばし思案にふけった。
いつもただ感触として触れていた柔らかい感覚が、突然生々しく感じられ、顔がほてるようだった。
自然とアジェイドの鼓動は速くなっていった。
彼はなぜか恥ずかしさを感じ、片手で口元を覆った。
その指が誰のものだったかまでは思い至らなかった。
もう一方の手は胸元に当てられ、意味もなく心臓の鼓動を感じていた。
ドクン。
最近セリーナを見ると、理由もなく胸がドキドキして仕方がなかった。
『一体なんなんだこれは。』
アジェイドは自分の体調が良くないのだろうと大きくため息をついた。
彼の息がセリーナの顔にかかると、彼女が少し身じろぎした。
アジェイドの視線が彼女に注がれるのは自然なことだった。
「陛下。」
任務を受けてしばらく席を外していたレオナルドが戻ってきた。
アジェイドは後ろめたいことをしていた人のように、ぱっと立ち上がった。
「……来たか?」
「はい。私がいない間に騒ぎがあったと聞きました。」
レオナルドはアジェイドに何かおかしな様子を感じながらも、そっと近づいた。
アジェイドは何事もなかったかのように軽く応じた。
「たいしたことじゃない。」
それからなぜか暑くなって、上着をパタパタと仰いでいると、レオナルドはさらに近づいてきた。
「お酒は召し上がりましたか?」
「ああ。ウイスキーチョコレートを少し食べたが……」
アジェイドはようやく、セリーナが自分に無理やりウイスキーチョコレートを食べさせたことを思い出した。
「ウイスキーは強いから好きじゃないなら一口だけにしておけばいいのに、全部食べてしまったんですか?」
「まあ、たぶん。」
アジェイドはセリーナが食べたという話を聞いて固まった。
『酔ってたんだな。』
そしてまだドキドキする心臓と暑さの理由もお酒のせいだと結論づけて、言い訳を並べた。
さっきセリーナの顔が赤くなっていたのも、きっとお酒のせいでぼんやりしていたんだと思った。
そのとき、眠っているセリーナを確認したレオナルドが尋ねた。
「セリーナ嬢はなぜ寝ているのですか?」
「そのチョコレートを10個以上食べたんだよ。」
「止めなかったんですか?」
「止める前にすでに酔っていて……。」
アジェイドが話している途中で、レオナルドが彼女を抱き上げようとした。
アジェイドは反射的に拒否してレオナルドを止めた。
「ちょっと待って。」
「え?」
「俺が運ぶ。」
「大丈夫です。ご負担にならないよう、私が――」
このような場に出ることがなかったアジェイドが、率先して動こうとするとレオナルドが丁寧に止めた。
しかしアジェイドは彼をそっと後ろへ下げると、そのままセリーナを抱き上げたのだった。
それはもはや自然な流れだった。
アジェイドはセリーナを抱き上げたあと、彼女が不快にならないように体勢を整えてあげた。
すると、ふわりとセリーナから良い香りが漂ってきた。
アジェイドには、それが何度も彼をついて回っていた香りのように感じられた。
無造作に結ばれた髪が丸くて可愛いとさえ思えた。
人の頭が丸いことに初めて気づいたように、アジェイドはしばらくセリーナをじっと見つめた。
「……行かれないのですか?外ではすでにワインパーティーが始まっていますよ。」
「行こう。」
アジェイドはゆっくりと答えて歩き出した。
不思議と心臓がだんだん速くなるようだった。
酔いがまた回ってきたのかもしれない。









