こんにちは、ちゃむです。
「悪役なのに愛されすぎています」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
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又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
116話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 心細い季節
まとわりつくように降り続け、秋の名残をすっかり洗い流していった。
瞬きする間に訪れた冬の気配。
旅慣れないメロディにとって、それはただただ肌寒く、心細い季節だった。
それでも彼女は足を止めなかった。
特に行き先を決めていたわけではない。
けれど、心の中には確かな目標があった。
――昨日よりも今日、少しでも首都から遠ざかること。
彼女は朝から歩き出し、日が暮れるまでひたすら進み続けた。
町から町へ、ただ歩いては夜になると見知らぬ村で一夜を過ごす。
その繰り返しだった。
そして遅い夜には、借りた寝床で横になり、歩いてきた道のりを頭の中で辿るのが習慣になっていた。
――だが。
『ベルホルド』という名の村に辿り着いたとき、彼女は思わず息を呑んだ。
それは、彼女の旅の節目を告げる出来事のように思えたからだ。
「スノークリフまで一日で移動できるかって?お嬢さん、本気で言ってるのか?」
一日馬車を走らせた宿屋の主人は、メロディが差し出した地図を見て深いため息をついた。
「でも、ここまでの道はそんなに遠くないはずです。ほら、ここにちゃんと道も描いてありますし。ちょっとした丘道くらいなら、半日もあれば――」
「冗談言うな。世の中の道が全部、地図どおりだと思ってるのか?」
宿屋の主人は地図を自分の方へぐいっと引き寄せると、指先でなぞりながら説明を続けた。
「ここ、山崩れで道が塞がれてからもう十年以上だ。ただの荒れ野だよ。つい最近も商人の荷馬車がはまり込んで、大損害を出したばかりさ」
そう言いながら地図をくるりと回し、しばらく睨み込む。
やがて彼はスノークリフとは正反対の道を指でたどり、すっと横へ滑らせた。
「本当にそっちへ行きたいなら、こんなふうに大きく回り道するしかないんだよ」
「……まあ、仕方ないですね。多少は遠回りになりますけど」
「おっ……」
男の指先が地図の上をすべり、左下の方をトントンと叩いた。
そこには、メロディがよく知っている地名が記されていた。
かつて、彼女が訪れたことのある場所だ。
……それを避けるようにして、わざわざ遠回りしてきたのに。
「そういうことですか」
メロディはぎこちない笑みを浮かべ、地図を受け取った。
「教えてくださってありがとうございます。あ、えっと……」
言いかけて、彼女は無意識に自分の髪の毛先を指先で弄んだ。
「ひょっとしたら、もう少しここに滞在することになるかもしれませんね」
その言葉に、宿の主人の顔にふっと嬉しそうな笑みが広がった。
『どうしよう……』
メロディは迷いを振り切るように外套をきゅっと締め直し、近くの店に入ってパンと牛乳を買った。
「牛乳、温めてあげようかい?」
店の女主人は、メロディの赤くなった頬に気づいたらしい。
「そうしていただけると助かります」
「お安い御用さ。そこに座って待ってな」
メロディは小さなスツールに腰を下ろした。
窓の外をふと見やると、村の子どもたちが分厚い服を着込み、声を上げながら走り抜けていくのが見えた。
手に紙束を抱えているところを見ると、この近くに勉強を教える場所があるらしい。
『いい村だな……』
普通の子どもたちに学びの機会を与える場所など、そう多くはない。
偶然にもこの村に学者が住みついたのか、それとも――とにかく素晴らしいことだった。
「さあ、どうぞ。砂糖を入れておいたから、きっと気に入るはずよ」
女将さんがそっと差し出したのは、湯気の立つ温かなミルクだった。
「ありがとうございます」
メロディは両手でカップを包み込む。
冬の風にかじかんでいた指先が、じんわりと解けていくのを感じた。
「ゆっくりしていくといいわ」
優しい言葉を残して、女将さんは店の奥へと姿を消した。
おそらく暖炉の火加減を見に行ったのだろう。
メロディはカップを口に運び、ひと口飲む。
甘さがほんのりと広がり、冷え切った身体の芯まで届いていく。
(砂糖入りのミルクって、こんなに美味しいんだ……)
どこか懐かしいその味に、ふとクロード坊ちゃまが淹れてくれたミルクのことを思い出す。
――似ている。でも、ほんの少し違う。
胸の奥から込み上げてくる切なさに、メロディは慌てて首を振った。
『……もう何日経ったか。』
メロディには、王都の聖堂を後にしたあの日、心に誓ったことがあった。
――せめてロレンタが大人になるその日までは、身を潜めて生き延びよう。あの子が掴むはずの幸福を、決して自分が邪魔しないように。
『でも、そのためには……まずは腰を落ち着けられる場所を見つけないと。』
伝手ひとつない身の上では、居場所を作るのも容易ではなかった。
正直、ロレンタと再会したあの村に行ってみたい気持ちもあったが……イサヤの母のことを思うと、結局は諦めるしかなかった。
『お医者さまに余計な心配をかけるだろうしな……。』
それを思うと胸が少し痛む。
何より、王都から逃げ出した事情を彼女に打ち明けるわけにもいかないのだ。
『……まあ、今はここに腰を据えるしかないか。』
とりあえず、この場所を拠点に家と仕事を探して村を見て回るのも悪くないかもしれない)
そう考えながら、メロディは小さく息を吐いた。
知らない土地で腰を落ち着けるなんて、本来なら不安でしかないはずなのに――なぜだか、胸の奥に妙なざわめきが広がっていた。
だが、彼女はパンをちぎって口に運び、その感情を押し込める。
「ジェレミアが言ってたじゃない。私の選択は、いつだって間違ってないって……」
そう、自分に言い聞かせるように。
今回も、きっと大丈夫――そう信じてみることにした。
メロディが旅立った後、ボルドウィン公爵家には冷たい空気が漂い始めていた。
とりわけ、ヒギンズ夫人とクロードが顔を合わせるたびに、使用人たちは凍りついたような重苦しい沈黙を味わわされることになった。
「……また、メロディの件ですか」
屋敷の人々は、すでに幾度も繰り返されるその話題にうんざりしながらも、耳をそばだてずにはいられなかった。
夫婦は必死に食い下がっていた。
「必ずメロディを見つけ出す」と訴える妻に、クロードは「たとえ一族の影響力すべてを使ってでも処罰を止めてみせる」と約束していた。
「坊ちゃま!」
堪えきれず、ヒギンスが声を荒らげる。
「あの子は、やっと大人になったばかりではありませんか!それなのに行政処分を調べるなと仰るのですか?!」
「……」
「行き過ぎです!あの子はまだ幼いのです!まさか、この寒空の下、どこでどうしているのか気にもならないのですか?!」
ヒギンスは窓の外に降りしきる冷たい雨を見やりながら、声を震わせた。
「妻は心労で立ち上がることすらできません。なのに、私が黙っていろと?!」
机に向かい書類をめくっていたクロードは、静かに視線を上げてヒギンスを見据えた。
その目は冷ややかに揺らめき、次の言葉を待っていた――。
しばしの沈黙のあと、クロードは答えた。
「……ええ」
「坊ちゃま!」
「……静かに」
ヒギンスは鋭い視線をクロードに投げかけた。
主人に対しては少々無礼に思えるほどの眼差しだったが、クロードはそれを咎めることなく受け止める。
「覚えておられますか、坊ちゃま」
「……」
「私は、ヒギンス家のパイを坊ちゃまにもお分けしました」
その一言に、今まで微動だにしなかったクロードの瞳がわずかに揺れた。
「……そんな命令を、あなたが下すなんて」
ヒギンスは何度か主の顔を見つめ返したが、やがて静かに頭を下げ、クロードの部屋を後にした。
重く閉ざされた扉の前に取り残されたクロードは、しばらくその扉を見つめ続け――やがて、机の上に置かれた本の上へと、身を沈めるように突っ伏した。
「……まさか、私がこんな命令を出すなんて思わなかったよ。」
ヒギンスが部屋を出て間もなく、小さなノックの音が響いた。
その主をすぐに察したクロードは、姿勢を正し、優雅な微笑を浮かべる。
「お兄様。」
少しだけ扉が開き、隙間からロレンタが顔を覗かせた。
彼の目を見つめながら、遠慮がちに声をかけてくる。
「ごめんなさい。」
クロードはすぐに彼女の前まで歩み寄り、しゃがんで視線の高さを合わせた。
「ヒギンスと話しているの、聞こえていたのか?」
問いかけに、ロレンタは小さく頷きながらうつむいた。
「全部じゃないけど……」
「そうか。私たちの内輪の話が、狭い扉の隙間から漏れ聞こえてしまったんだな。」
「うん、そう。」
「余計な心配をかけてしまったな。すまない。部屋まで送っていこう。」
ロレッタは両手を胸の前でぎゅっと組み合わせ、そのままクロード――彼女にとっての“兄”――の白い顔を見上げていた。
いつもと変わらない、爽やかな笑みがそこにある。
けれど、どういうわけか心のどこかで「寂しそうだ」と感じてしまう。
それはロレッタ自身の気持ちのせいなのか。
それとも、クロードの表情の奥に隠された、微かな翳りのせいなのか。
「……ロレッタ?」
見つめ続ける時間が長くなり、クロードが不安げに声をかける。
彼の瞳が彼女を探るように揺れ、まるでロレッタが傷ついていないか、落ち込んでいないかを気にしているかのようだった。
ロレッタは小さく唇を噛みしめ、やがて勇気を出して問いかける。
「お兄様、本当に大丈夫なの?」
「もちろん、何の問題もない」
「嘘。そんな風には見えないよ。だから……私に抱きしめさせて」
ロレッタは両腕を大きく広げ、クロードの首元へと差し伸べた。
「えっと、その……私は大丈夫だから……」
困惑気味のクロードの言葉に、ロレンタは肩に預けていた顔を上げ、小さな声で反論する。
「ううん、違うよ。お兄様だって、私と同じくらい傷ついてるんだから。」
あまりにも真っ直ぐなその言葉に、クロードは何も言い返せなかった。
むしろ、その気遣いが胸に沁みて、思わず小さく笑ってしまう。
『……いつも守ってやらなきゃいけない子供だと思っていたのに。』
気がつけば、彼の心を先に察し、慰めてくれるまでに成長していたのだ。
「お父様も言ってたけど……寂しさを感じてもいいんだって。」
「え?」
「無理に前向きにならなくてもいい。だから、私は――」
言葉を区切り、ロレンタはさらに強く彼を抱きしめた。
「お兄様が寂しいって思うなら、拗ねたり、悲しい顔をしたりしてもいいんだよ」
「……ありがとう」
クロードはかすかに呟き、そしてロレッタから一歩だけ身を引いた。
だがロレッタはすぐに問いかける。
「お兄様、本当に大丈夫?」
彼は唇を震わせ、目を閉じる。
「……いや」
その一言には、初めて吐き出す本音と、抑えきれないほどの震えが混ざっていた。
クロードはロレッタの金色の髪を見つめながら、低く答える。
「メロディがいないんだ……だから、どうしようもなく寂しくて、心が沈む」
その告白を口にした瞬間、長い間閉ざされていた心の奥が、一気に決壊するかのように溢れ出した。
後悔。喪失感。取り返しのつかない想い。
そして、屋敷を飛び出してでも追いかけたいという衝動。
――それは、かつて父が感じていたものと同じ感情だった。
母が家を去ったあの頃を思い出す。
いや、もしかすると――。
『今でもまだ……』
クロードはそっと溜め込んでいた感情を吐き出した。
父を尊敬してはいたが、こんな思いを抱えたまま一生を過ごすのは嫌だった。
だからこそ、これからの指針を心に定める。
――メロディに託された願いを果たし、その後は必ず彼女が帰ってこられるように、状況を作り出してみせる。
「お兄様、顔つきが変わったね」
ロレンタが微笑んで言った。
「正直になったら、不思議と道が見える気がするよ。少し手探りでもね。」
クロードはその頭を優しく撫でた。
「賢い妹のおかげだな。」
「えへへ。でしょ?お兄様は、私に感謝してるんだよね?」
「もちろんだ。」
「ほら、やっぱり!」
ロレンタの明るい笑顔に、クロードは思わず口元を緩めた。
ロレッタは両手を胸の前で合わせ、祈るように瞳を輝かせていた。
まるで、どうしても聞き出したいことがあるかのように。
「ねえ、お兄様は……もしかして、王宮でジェレミアお兄様と会ったりするの?」
「ジェレミアを?」
「うん。お父さまは魔力石会議のせいで、二週間に一度はジェレミアお兄様と顔を合わせてたって言ってたの。今はお兄様がその役目を継いでるんでしょ?だから、ひょっとして……」
「……どうしてそんなことが気になるのかは知らないが、その会議はもう存在しない」
「えっ?!」
ロレッタはまるで雷に打たれたみたいに固まり、目を丸くした。
「そんなに驚くことか?」
「じ、じゃあ……もうジェレミアお兄様とは会えないの?」
「おそらく、しばらくはな」
肩をがっくりと落とすロレッタの姿に、クロードは小さく息をついた。
クロードはそっとロレンタの頭を撫でた。
「まさか……おまえがそんなにジェレミアを気に入っているとは思わなかったよ。」
「……ち、違うの。私は……」
ロレンタは途中で言葉を切り、唇を噛んで小さく首を振った。
「ロレンタ?」
「ううん!なんでもない。大丈夫だから。」
無理に笑ってみせるロレンタの顔を、クロードはしばし見つめた。
ほんの少し前の自分に重なって見えるのは――ただの錯覚なのだろうか。







