こんにちは、ちゃむです。
「悪役なのに愛されすぎています」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
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又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
117話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 心細い季節②
それから二週間後。
クロードは公爵家の玄関に立ち、夜の帳を破って近づいてくる車輪の音に耳を澄ませていた。
凍りついた地面を鳴らしながら、一台の馬車が姿を現し、やがて邸の正面で止まった。
「父上!」
馬車の扉が開いた瞬間、クロードは駆け寄った。
「遅い時間まで待たせてしまったな」
「いいえ、当然のことです」
「ヒギンスは?」
「疲れているようでしたので、先に休むよう伝えました。父上に謝罪の言葉を伝えてほしいと……」
クロードは一瞬、周囲へ視線を走らせた。
共にいた使用人たちは荷物を抱えて屋敷の中へと消えていく。
そして、公爵を乗せてきた馬車も再びゆっくりと車輪をきしませながら厩舎へと移動していった。
――気づけば、二人の周囲には誰もいなかった。
「……上手くいったのですか?」
クロードは、抑えきれない思いを胸に、最も気になっていたことを問うた。
公爵がクリステンソンへ向かって以来、彼には一切の報せが届いていなかったのだ。
不安と焦燥に胸を焼かれ続けた日々。
「……ああ」
短くも力強いその返事に、クロードの胸は大きく波打った。
彼は、サムエル公が息子を遠ざけることを簡単には受け入れないのではと心配していたのだ。
「そう簡単に賛成すると思いますか?」
「口では了承したとしても、心の底では納得していないだろう。……どうやって察したのかは分からないが。」
クロードの脳裏に浮かんだのは、震えるサムエル公の姿だった。
彼はいまだに兄への恐怖に囚われ、さらにオーガストの母が処刑された事実も把握していた。
「このまま黙っていては駄目だと感じていた。だからこそ、協力を仰ぐのは難しいことじゃなかった。」
「けれど、我々の真意を知られぬままでは、不審に思われませんか?」
「確かにそうだ。だが――他に道はない。」
クロードの声音には、迷いのない決意が込められていた。
公爵のほかに、彼を助けられる貴族はいないのだから。
「子どもと乳母が無事に屋敷へ到着したことは確認しました」
「そちらは私が定期的に見ておきます。ジェレミアが使っていた魔法馬車を借りれば、すぐにでも行き来できるはずです」
「そうだな。ただ、あの近道は道が悪い。注意しろ」
公爵の眉間にわずかな皺が寄る。
「近くの丘陵地帯で車輪が外れて、大変な思いをした。思いもよらぬ場所で足止めを食らったのだ」
「……ベルホルドの外郭のことですね?」
クロードはすでに承知していたかのように、柔らかく微笑んだ。
「私はもう隅々まで歩き回りましたから、今では安全なルートをいくつも把握しています。どうかご安心ください」
「そうか……そして」
公爵の視線がクロードの背後をとらえる。
普段ならそこにいるはずの――メロディを思い浮かべて。
「あ……」
視線の意味を悟ったクロードは、わずかに顔を伏せる。
「それは……少し長い話になるかもしれません、父上。」
言葉を選ぶように口ごもるクロードの様子に、公爵の眉間には不吉な予感を思わせる皺が刻まれた。
翌朝。
ロニが公爵家の庭に駆け出した時、世界は夜のうちに降り積もった雪で真っ白に染まっていた。
いつもなら、ロレンタとメロディが作った雪だるまが三つ並んでいるはずの場所。
だが今は、召使いたちが片付けきれずに寄せておいた雪の山が、庭の片隅にひっそりと積もっているだけだった。
平和そのものの光景を目にしていたはずなのに、ロニの胸には苛立ちが込み上げてきた。
「ふざけんなよ!」
彼はフードを深くかぶり直し、荒々しく足を踏み鳴らす。
「坊ちゃま!」
屋敷から駆け出してきたイサヤが、慌ててその腕を掴んだ。
「離せ!」
ロニは目を見開き、怒声を張り上げる。
「ジェン、あんたも父上も兄上も同じだ!どうしてみんな揃いも揃って背を向けるんだよ?!正気なのか?!」
彼はさっきまでクロードの部屋で言い合いをしてきたばかりだった。
それなのに、今度はメロディを置き去りにするなんて――到底許せなかった。
「お前、本当にあの子のことが心配じゃないのか!」
「……そうだ」
イサヤはしばしの沈黙のあと、重く口を開いた。
「俺だって……心配で気が狂いそうだった。何度も屋敷を飛び出そうとしたくらいに。」
「なのに、なんでここでじっとしてるんだよ!それでも騎士か!」
ロニはイサヤの胸倉を掴み、強く揺さぶった。
二人の視線がぶつかり合い、距離が一気に縮まる。
「一緒に探しに行こう、な?……本当に、戻れなくなりそうで怖いんだ。頼むよ、な?」
「……ごめん。俺には……坊ちゃまを見捨てられない。」
「お前だって心配なんだろ?!気が狂いそうだって言ったじゃないか!それなのに、なんで!」
「……ったんだ。」
イサヤはロニの目を真っ直ぐに見返した。その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。
「メルが……俺に屋敷を守れと託していったんだ。」
メロディは短い手紙に、謝罪と感謝、そして最後の願いを綴っていた。
――だから。彼にとっては、危険がどうこうという問題ではなかった。
「メルが自分を危険にさらすなんて、ありえない。俺はメルを信じてる」
「…………」
「だからこそ、俺もメルを信じている通りに、公爵家の騎士として最善を尽くすんだ」
「ふざけんな……!」
ロニは思わず歯ぎしりした。
けれど彼自身も、イサヤと同じようにメロディから手紙を受け取っていたのだ。
――[私が安心して旅立てるのは、ロニお坊ちゃまを信じているからです。誰よりも屋敷の人たちを守ってくださる方だから。]
「……マジで嫌だ」
「ロニ」
「ヒギンスがボルドウィンに命令なんて――そんなの聞いたこともない!絶対に許さない、メロディ・ヒギンス!」
ロニは叫び声を上げ、イサヤの手を振りほどいて体をひねった。
「おい、どこへ行くんだ?!坊ちゃまから屋敷を頼まれてるんだぞ!」
「今の俺がじっとしていられると思うか!」
ロニは足を止め、苛立ちに歪んだ顔で振り返る。
「……ヒギンス夫人だって、食欲をなくして何日もまともに食事できてないじゃないか。」
「ロニ様……」
「だからこそ、国だって、夫人の好きなものくらい買ってきてやるべきだろ!まったく、やってられない!」
そう吐き捨てると、ロニは再び足を踏み出し、早足で去っていった。
「ちぇっ、ちぇっ」と舌打ちを繰り返しながら、何度も頭をかきむしりつつ――。
ロレッタが朝、目を覚ますと、ベッドの周りは散らかし放題になっていた。
昨夜のうちに読み散らかして、ベッドに積んでおいた本が床に全部落ちてしまったのだ。
一冊は大きく開いたまま床に伏せていて、拾い上げてみると……なんと表紙がぐしゃりと折れてしまっていた。
「うそ……こんな風に落ちるなんて」
ロレッタは眉をひそめ、折れた部分をそっと手のひらで撫でるように伸ばしてみた。
だが完全には戻らない。
「どうしよう……これ、メロディの本なのに」
唇を噛みしめて落ち込むロレッタに、そっと声がかかる。
「ご心配なく、お嬢様」
目を覚ました彼女のもとへ侍女が駆け寄り、一緒に本を集めながら微笑んだ。
「折れた本はリネン室に持っていって、アイロンの残り熱で押せば元に戻りますよ。大丈夫です」
「ほんとに?でも、それってすごく大変そうに思えるんだけど……」
「大丈夫ですよ、お嬢さま。」
侍女は本をそっと差し出し、にっこり笑った。
「これからは、ベッドの上に本を積み上げて置いておくのはやめてくださいね。いいですね?」
「……うん。ごめんね。」
ロレンタは手に取った本の表紙をなぞりながら、小さく頷いた。
侍女は「じゃあ、この古い本は持っていきますね」と言い残して部屋を出ていった。
残されたロレンタは、ベッドの下に散らばっている本を一冊ずつ拾い集める。
真っ先に目に入ったのは、メロディの名前が書かれた蔵書票だった。
そういえば、この本は前にロニがメロディへ贈ったものだ。
メロディは自分の本に蔵書票を貼るのを、子どものように嬉しがっていた。
その様子を見たロレンタも「一緒にやってみよう」と彼女の隣に座ったのだが――結果はというと、少し残念な出来栄えだった。
本の表紙を修復しようと必死に貼り付けてみたけれど、ところどころはうまくいかず、裏側にしわが寄ってしまった。
失敗してしまったのがあまりに明らかで、ロレッタは顔を伏せたまま固まってしまう。
――ところが。
「……ふふっ」
思いがけず、メロディの口から笑い声がこぼれたのだ。
『……どうして?』
『ロレッタが一生懸命貼ってくれたからよ』
『で、でも……私、ぐちゃぐちゃにしちゃったのに』
『くすっ、それがいいの。だから余計に嬉しいの』
意味がわからず瞬きを繰り返すロレッタに、メロディはそっと彼女の手を取って、貼り付けられた表紙を撫でた。
『この跡を見るたびに、今日のロレッタを思い出せるでしょ? きっと笑顔になれるわ』
『……メロディが笑ってくれるのは嬉しい。でも、ごめんね……』
『じゃあ、償いとして。次は別の本にも表紙を貼ってくれる?』
ロレンタは本をこれ以上傷つけたくなくて、最初は断ろうとした。
けれど、メロディが期待に満ちた瞳でじっと見てくるものだから、結局は折れてしまい、数冊の本に蔵書票を貼ってやったのだった。
『……楽しかったな。』
ふいに蘇る記憶。
ロレンタは蔵書票の下に印字された文字を、声に出さずそっとなぞる。
――「この本はメロディ・ヒギンスの所有物です。」
「……所有物、か。」
その言葉で手を止め、白い紙片の端を何度も指で撫でてしまう。
「いいな……こうして名前が残るなんて。」
生まれて初めて、ロレンタは「本が羨ましい」と思った。
この本は、どこにあろうと永遠にメロディのもの。
彼女を知らない人が手に取ったとしても、この蔵書票を見れば一目で分かるのだから。
「これは……メロディ・ヒギンスの本なんだ」
そう言って渡せばよかったのに。
ロレッタはそっと本を持ち上げ、貼ったばかりの表紙を指でなぞりながら、小さく呟いた。
「私にも、こうして貼ってくれたらよかったのに……」
メロディを想う彼女の心には、確かにそんな寂しさが残っていた。
「メロディは、しばらく探さないでって言ってた。でも……どうしても会いたい。今すぐにでも探しに行きたいくらい。せめて父上にお願いすれば、メロディの消息くらいは……」
そう胸の内でつぶやいた瞬間、孤独に耐えていたロレッタの瞳に涙があふれた。
メロディは彼女に、確かに頼みごとを残していったのだ。
「探さないでほしい」ことと、「父上や兄たちの力になってほしい」ということを。
どちらもメロディらしくないくらいに、力強い筆跡で綴られていた。
だからこそ、ロレッタは堪えきれずに涙をこぼす。
きっとメロディは、震える手で必死にその文字を書き記したのだろう――そう思うと胸が締めつけられた。
『……あんなに苦労して残した言葉を、私が軽んじるわけにはいかない。』
けれど、どうしても拭えない虚しさが心を圧した。
ロレンタは本を抱きしめるように握りしめ、そのままベッドに身を投げ出す。
「……いるんでしょう?メロディ。」
本に額を寄せ、幼い頃に口癖のように言っていた言葉を、今は小さく呟く。
「……会いたい。」
溢れ出した涙が頬を伝う。
メロディが去ってからというもの、ロレンタはいつもこうして人知れず泣いていた。
もし自分まで泣き崩れてしまえば、屋敷全体が悲しみに沈んでしまう。
『そうなったら、本当にメロディが戻ってこられなくなるかもしれないから……』
胸に強く本を抱きしめながら、ロレンタは静かに涙を拭った。
午後になって、ベッドに横たわっていたロレッタの部屋を、誰かが訪ねてきた。
毛布を頭までかぶり、すっかりふてくされていたロレッタだったが、扉が開いた瞬間に相手が誰なのかはわかっていた。
理由は二つ。
ノックもせずに開け放たれる扉。
そして、ずかずかと響く無遠慮な足音。
――この屋敷で、その条件に当てはまるのはただ一人。
「お前、立派な大人になりたいって気持ちはあるのか?」
ロニ・ボルドウィン。
彼は毛布にくるまるロレッタの全身を、容赦なくひょいと持ち上げた。
「ちょ、ちょっと!何するのよ!」
ロレッタは慌てて本を抱え込んだまま立ち上がり、怒鳴った。
だがロニは鼻で笑い、意にも介さない。
「淑女?冗談だろ。お前なんて、まだ鼻垂れ小娘じゃないか。」
「わ、私、鼻なんか垂らしてない!」
「そうか?じゃあ“立派なお子様”ってところか?」
鼻垂れよりはマシだろう――とロレンタは思いつつも、思わず口をつぐむ。
「本当に立派なお子様だって言うなら……」
ロニは彼女の腕から本をひったくると、近くのスツールの上に適当に放り出した。
「きゃっ!」
ロレンタは慌てて本を取り返そうとしたが、腰を抱え上げられ、ぶら下げられるような格好ではどうすることもできない。
「放してよ!お兄様に降ろせって言うから!」
「じっとしてろ!それより前を見ろ、目の前にな!」
「……前?」
ロレンタは抵抗をやめ、まばたきを繰り返す。
そのままロニに肩車される形で窓辺へ運ばれ――そこで彼女の目に飛び込んできたのは……。
窓の外には、真っ白な雪が降り積もっていた。
「雪が来たぞ。」
「……ほんとだ。知らなかった。」
「もうわかっただろ。お前が今やるべきことも。」
ロニはそう言って、ロレッタをひょいと抱えたまま窓際に立つと、そのままそっと床に下ろした。
すぐに部屋の侍女たちが駆け寄り、彼女に分厚い防寒着を着せ始める。
「え、ちょっと待って。どうして私が雪の日にわざわざ防寒服なんて……?」
袖を通しながら、ロレッタは不満げに声をあげる。
今日は誰とも会いたくなかったのに。
すると、背後からロニの低い声が飛んできた。
「理由なんて一つだ。お前……子ども時代に、雪で雪だるまを作れる日を大事にしない気か?一年に、雪が何度降ると思ってる。」
「今から雪だるまを作るって?!メロディもいないのに?」
「どうして?作り方分からないの?メロディがいないと何もできないってわけ?」
「……っ!」
ロレンタはすぐさま侍女の手を振りほどき、机の上に腰掛けていたロニの前へ駆け寄った。
「ひとりでもできるもん!」
両拳をぎゅっと握りしめ、全力で言い返す。
「メロディはね、私がひとりでもできるように、ちゃんと教えてくれたんだから!」
少し言葉を発しただけで息が上がる。胸がせわしなく上下し、顔が赤く染まっていった。
ロニはそんなロレンタを見下ろし、ふっと口元を緩める。
彼女を机から降ろすと、意地悪そうに笑みを浮かべた。
「へぇ?そうか、よかったじゃないか。」
そう言うなり、ロニはロレンタの手に握られていたペンをひょいと奪った。
「手袋をもう一枚。そうだな、一番厚いやつを。外套も忘れるな。」
命じると同時に、侍女たちが毛皮のついた手袋とどっしりした外套を持ってきて、彼女に着せていく。
首元までしっかり覆われると、完全防備だ。
「……なんか、雪だるまにされた気分なんだけど。」
ロレッタがじとっとした目で言うと、ロニは「まだ終わってない」と言わんばかりに毛皮の帽子まで深々とかぶせてきた。
「風邪ひくよりマシだろ?違うか?」
「そ、それはそうだけど……。」
「なら文句なしだ。さあ行くぞ。子どもとしての務めを果たせ。」
ロニはそう言ってロレッタの腕を掴むと、ずんずんと歩き出した。
最初は引きずられるようにしてついていったロレッタだったが、やがて彼の横に並び、少し小走りで歩くようになる。
「お兄様も、一緒にやるでしょ?」
「ふん、そこまで必死に頼まれたら、断る理由なんてないな。」
「やっぱり嘘つき。」
ロレンタは小さく呟き、くるりと背を向けて先に駆け出した。
きっとロニは最初から彼女を雪だるま作りに誘うつもりだったのだろう。
午前中ずっと部屋に籠っていたロレンタを気遣って――。
『少しぐらい、素直に優しくしてもいいのに。』
そんな考えがよぎったが、すぐにかき消す。
『でもそうしたら、みんながロニお祖父さまの良さを知っちゃうじゃない。』
それは嫌だった。
ロニの意外な優しさは、自分と彼だけの秘密でいてほしい。
『優しさが秘密だなんて、ちょっと変だけど……』
ロレンタは久しぶりに微笑み、玄関へと向かう。
ちょうど近くにいた使用人が彼女の上着を確認し、凍える外気へと繋がる扉を開け放った――。
真っ白な世界が彼女の前に広がった。
ロレッタは「わあ!」と声を上げて、勢いよく庭へ駆け出した。







