こんにちは、ちゃむです。
「大公家に転がり込んできた聖女様」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
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86話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 一年の努力
皇宮がある首都のとある裏路地。
庶民の家が並ぶその一角、他と変わらない普通の家の前に高級な馬車が止まった。
馬車から降り立ったのは中年の男性で、彼の名はジョスア・フシャクだった。
周囲を警戒しながら、彼は扉を叩いた。
しばらくして。
静かに扉が開き、ジョスアは無言で中へと足を踏み入れる。
ろうそくの明かりで照らされた家の中では、ノアが彼を待っていた。
その隣にはベンジャミンも一緒にいた。
ノアが政治から手を引いて久しいベンジャミンだったため、ジョスアは二人を見て少し驚いた。
「……本当に殿下でいらっしゃいますか?」
「はい。まずはこちらにお座りください。」
ノアは柔らかく微笑みながら、ジョスアを自分の向かい側の席へ案内した。
ジョスアは元気に動くノアの姿を見て驚き、言葉を失ってしまった。
信じられないという表情を浮かべていた。
「ご病状が深刻だと聞いていましたが、全て嘘だったようですね。」
「ご覧の通り、今はとても元気です。」
テーブルを挟んで向かい合って座った二人は、互いにゆっくりと視線を交わした。
「実は少し緊張しながら来ました。誰かが殿下を名乗っているだけかもしれないと思ったのです。」
「それでも信じてここまで来てくださったのは、まだ私に期待があると考えていいのでしょう?」
ノアは遠回しにせず、本題に切り込んだ。
すると、ジョシュアの表情は真剣なものに変わった。
「どんなお考えをお持ちなのでしょう?」
「皇太子になりたいのです。」
向かい合っている3人の間に重苦しい空気が漂った。
ジョシュアは、申し訳なさと困惑が入り混じった目つきでノアを見つめ、ようやく言葉を発した。
「以前ならまだしも、今は難しいです。すでにデイモン皇太子に対する大勢が固まっています。」
「見た目にはそう見えなくても、この1年間、裏で働きかけ、多くの支持を集めてきました。」
ノアが自分を支持するように促す意図を感じ取ったジョシュアは、難しい表情を浮かべた。
「私はもともと皇太子の側近でしたが、危険な状況下では受け入れることはできません。」
かつてノアが説得した貴族たちも、最初はこのように反応した。
「理解します。今でも私は敗者の身ですから。」
ノアは冷静にジョシュアの言葉を受け止めつつ、自身の考えを述べた。
「ですが、もし私でなければ皇太子になるのはデイモン兄上です。後継者は常に神殿を疎かにすべきだと主張してきたのを覚えておられますか?」
彼は他の貴族たちにもそう言ったように、親切そうな口調でありながらも、強い意志をもってジョシュアを説得し始めた。
「デイモン兄上が皇太子になれば、それで終わりです。神殿との結束はより強固になり、我々は絶対に神殿の支配から逃れることはできなくなるでしょう。」
「……」
「すでに準備は整っています。後継者となれば、多くの支持者が私を支援することを約束してくれています。」
この数字は、会議に参加する資格を持つ人々の中で、神殿の票を引き抜いた数字とほぼ一致していた。
ジョシュアは落ち着いた表情を隠さずにベンジャミンをじっと見つめ、軽く問いかけた。
「ベンジャミン公爵は地方神殿にいると聞きましたが……再び政治の世界に復帰されるつもりですか?」
「ええ。皇太子が戻られるとあれば、私も復帰しなければなりません。前皇太子のもとでうまくやられると信じています。」
二人の視線が空中で交差した。
誠実なベンジャミンのまなざしは、ついにジョシュアの心を動かした。
現在は地方神殿に身を置いているが、ベンジャミンは数年前までは戦争の最前線で活躍していた実力者で、多くの支持者を引き寄せていた。
そんなベンジャミンがノアの側に立つのであれば、確実に信頼を勝ち取れるとノアは確信した。
かつての名声を取り戻すつもりであるノアの言葉は真実味があった。
この時からジョシュアはノアを確認するため、多くの質問を投げかけた。
そしてしばらく会話を交わした後、ノアと同じ船に乗ることを決意した。
「……分かりました。投票では皇太子に票を入れます。」
「約束されたのですね。」
「はい。ですが皇太子殿下も私をお忘れにならないでください。」
「私の人々は必ず取り戻します。」
ノアがにっこりと笑いながらテーブルに置かれた本を広げ、空白のページをジョシュアの前に滑らせた。
「こうしておけば絶対に裏切りません。」
「お互い確認できるのはいいことですね。」
ノアが黒い瞳で視線を送ると、黙っていたジョシュアもどうしようもないと悟り、苦笑いしながら同意の意を表した。
「……分かりました。」
ジョシュアは本に自分の名前を書き署名した。
それは互いに裏切らないことを誓う信頼の証。
「では、投票の時にお会いしましょう。」
ノアとベンジャミンに順番に約束を交わし、ジョシュアは何事もなかったかのようにその場を去った。
彼を見送って戻ったノアは満足そうな表情で人々の名前が書かれた名簿を眺めた。
「もう大丈夫だ。」
オースティン帝国では皇太子を選ぶ際、皇帝の意思だけで決めることはなかった。
皇室の票、新殿の票、そして貴族たちの票をすべて合わせて会議で多数決によって決めるのが通例だ。
皇帝が支援を表明すれば有利になるが、それが絶対的な決定力ではなかった。
ノアは皇宮の近くに滞在しながら1年間貴族たちを説得し、ついに今日、過半数の支持を得た。
「おめでとうございます。」
扉がしっかり閉まっていることを確認して中に入ってきたベンジャミンは、壁にもたれかかりながらノアを見つめた。
「本当に短期間で名簿に載っている人々全員を説得するなんて。驚くばかりです。」
「ベンジャミンがそばで手助けしてくれたおかげだよ。一人だったら到底成し遂げられなかった。」
「そんなことありません。そうした説得も、あなたが皇太子だからできたことです。もっと自信を持っていいんですよ。」
ベンジャミンの目には、優しさに満ちた光が宿っていた。
その視線を受けるノアの目にも、信頼が込められていた。
実際、1年前、ノアがここに来た時は、過半数を説得するのは困難だと考えていた。
皇宮を追われる前まで、ノアは政治から遠ざかっていたからだ。
その能力を実際に示したことがなかったためである。
それでもノアの瞳の輝きは目を引きつけ、ベンジャミンは彼が最終的には正しい道を進むだろうと信じた。
「もう皇子ではなく皇太子としてお考えになるべきです。会議の日が待ち遠しいですね。」
ベンジャミンが見るノアは、優れた頭脳と実行力を備えた人物であった。
デイモンと比べても、あらゆる面で優れていることは言うまでもなかった。
「ただ、まだ一人残っています。喜ぶにはまだ早いですよ。」
ノアはベンジャミンの支援に恐縮しながら、鼻をかすかにすすった。
「その話はさておき、こちらに座ってください。ここでは最後の夜になります。ファレンもあそこにいますが、声をかけて一緒に座りましょう。」
ノアはベンジャミンと部屋の片隅に立っていたファレンを呼び、自分の隣に座るよう促した。
そして彼は、前に飲み残した葡萄酒を持ち出し、グラスに注いだ。
成人ではないノアでも飲めるほどアルコール度数の低い葡萄酒だった。
「皇太子選定会議がついに来月末に決まったそうだね。」
「それまでに全ての準備を終えることができて幸いだ。」
三人は言葉を交わさず、グラスを合わせながらこれまでの努力を互いに称えた。
葡萄酒を一口飲んだノアの唇が赤く染まった。
笑顔はさらに柔らかさを増していた。
ベンジャミンはそんなノアを見て驚きながら応じた。
「二人きりの時はまるで子どもみたいだけど、貴族たちを相手にするときは戦場を経験した猛者のようになるね。」
「明日すぐに出発される予定ですか?」
「うん。整理するものなんてないだろう。」
ノアは常に持ち物を身軽にしていたため、準備は必要なかった。
家にも家具にも何もなかった。
「目的地はやっぱりテレシアですか?」
「うん。ついに会えるね。」
疲れていたノアの唇が少しだけほころんだ。
その目には淡い笑みが浮かび、視線の先にはエスターがいた。
ベンジャミンは何か言いたげでためらいながらも、手にしたワイングラスを傾けて控えめに尋ねた。
「お嬢様をすごく恋しく思われていたのでは?」
「私が?どうしてそう思うんだ?」
驚いたノアは手にしていたグラスをそっとテーブルに置いた。
「毎日、髪飾りに絵を添えていたではありませんか。」
「それは……うん、そうだね。」
ノアは照れたように横に笑みを浮かべた。
エスターのためにと思って髪飾りにささやかな装飾を施していたが、それをファレンが気づいていたとは思わず、少し気恥ずかしさを覚えた。
「でも、エスターが僕を忘れているわけないよね?」
1人用のソファに深く身を沈めながら、ノアの瞳は少し曇り、視線が下へと落ちた。
エスターの消息については信頼できる人物を通じて細かく耳に入っていた。
直接会うことはできなくても、公式なパーティーに参加する際には遠くから彼女の姿を確認することもあった。
しかし、ノアとは違い、エスターは彼の消息を耳にすることは一切なかっただろう。
いざ再会が近づくと、もしかして自分のことをもう忘れてしまったのではないかという不安が彼を包み込んだ。
「何度か話に聞いた通り、セバスチャンという公爵の子息とは特に親交があるようですね。お嬢様があなたを忘れていたとしても、それはきっと傷つけられたわけではありませんよ。」
ファレンの冷静な口調に、ノアは少し顔をしかめながらグラスを軽く回した。
「セバスチャン、か。」
胸に小さな刺のような痛みが走ったような表情を見せ、ノアはその名を繰り返した。
彼の名前をしっかりと心に刻みながら、 「……それでも早く会いたい。」
愛おしさが込められた記憶の中に囚われたノアの瞳には、いつも同じようにエスターの姿が浮かんでいた。
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